カテゴリー:3.経営哲学

経営理念

8月3日
経営理念
中小企業にとってなくてはならないもの、それは経営理念である。時代の波に常に大きく翻弄される度に必死に踏みとどまり、暗黒のトンネルの中でも一点の明かりを信じてひたすら前進する。その為の明かりが経営理念である。それは空疎なものではダメだ。全社員が一心同体になる理念が必要だ。それは社員の家族や地域の人々あらゆるステークホルダーの同感を必要とする。時代の風潮にも配慮が必要であろう。しかし最も大切なのは経営者の心である。魂である。大きな夢を描き、高い志を持ったものでなければならない。先日井上商事の井上彪会長の講演を聞いた。70周年記念を来年迎えようとされている。売上も100億円をはるかに超え、自己資本も50億円を超える優良企業である。30年ほど前に井上会長が福井セメント組合の理事長を、私が福井生コン組合の理事会をしたという不思議なご縁があり、その頃からロータリークラブの会員同士として、おつきあいをいただいている。お互いに経営を長男に譲った者として話がよくあうようになってきた。心配もまた同じである。初心を忘れず新しい経営理念を築き上げていってもらいたい。

持たざる経営

12月14日
持たざる経営
59歳で創業した私は「持たざる経営」に徹底するつもりでスタートした。この経営戦略はダイエーの中内さんとイトーヨーカ堂の伊藤さんの二人の先輩経営者の戦略の違いを参考にさせていただいた。自社で土地建物を所有して拡大を続けるダイエーとすべてを借入れていこうというイトーヨーカ堂の戦略の差が、変動を繰り返す時の流れの中でどちらに軍配が上がるかを見極めてのことである。そう自制していても金融緩和の波に押し流されるとついつい投資してしまう。ピーク時には70億円を上回る投資を行った。そしてリーマンショック。現在では30億円以下に縮小し、更に自己資本比率向上に努力している。そして「持たざる経営」の根本精神はモノへの投資でなく、ヒトへの投資に終始することである。ここへしっかりと投資していきたいと更に戦略を練ってもらっている。

キャッシュフロー

5月18日
キャッシュフロー
現代経営の基本はキャッシュフローにあるといわれる。
福井県に本社を置く上場企業は14社あるが、ここ数年業績が上向いてきているのと同時に、各社共キャッシュポジションを上げてきている。反対に有利子負債が下がってきている。手元資金を投資にまわすのではなく、有利子負債の返済に充てているのだ。アベノミクスの弱点が目に見えるようだ。金融緩和を「異次元」と自ら呼ぶほどのレベルで行いながら、投資にまわっていないのを日銀は承知している筈である。さりながら適切な手が打てていない。残念ながら投資は海外で行われており、国内での投資は官製を除くと微々たるものでしかない。投資減税を本腰を入れて実行すべき時である。特区の設定も一日も早く、各地方でドンドンやるべきである。ちなみに福井県の上場企業の自己資本比率(単純計算除金融)は48%の高いレベルに到達してしまっている。

金曜会

4月4日
金曜会
三菱グループの主要企業の社長があつまる社長会の名を金曜会という。住友グループの社長会は白水会という。私の友人が三菱ケミカルの元副社長だったので、彼をJR東京駅前の丸の内に訪ねていく事が多かった。その頃金曜会は三菱ケミカルビルで開かれていた。その頃三谷商事の役員をしていたので、三谷グループもいつか三菱グループに匹敵できる一大グループにしたいと夢見ていた。今三谷商事グループは福井県下でも指折りの存在を誇っているのは同慶の至りである。私は先日私達のグループ企業の社長に呼びかけて「金曜会」を組織した。毎月主要グループ会社の社長に順次直近の3ヶ年計画を発表し、お互いの絆を深めようと考えたのである。第1回目は私の夢を語った。変化が私達の予想以上のスピードで襲ってくるのが現在である。それに的確に対応していくにはスクラムを組み、情報を共有し、それぞれがまたアンテナを高くすることを求めた。資本金のトータル約10億円を3年後の3ヶ年計画終了時に30億円にしたい。自己資本や(売上純利益)付加価値も大きく延ばしたい。成長は悪だという考えが出てきたが、成長は企業にとって必然である。「十方よし」を掲げる私達にとって縮小均衡は幸福をもたらさないと信じている。「足るを知る」ことと「成長する」ことは相反するものではない。

自己資本比率

11月16日
自己資本比率
経営者にとって数字を忘れるわけにはいかない。特に最近のように想定外のことが次々と起きるようになると、経営を安定させる為の目標設定の種類を増す必要が出てくる。最近の傾向は借金を返せということで、借入金の返済がすすんでいる。同時に設備投資をはじめとする投資意欲が減退し、企業の手持資金がふえている。自己資本比率が上昇をはじめているのだ。私達の会社も今中間期末には28%となりそうだ。これは同業の三井不動産25%、三菱地所25%、東京建物22%、スターツ19%、東急不動産15%、住友不動産14%と比較すると、可成りよい数字である。今期末にはこれを30%近くまで引上げて、更に安定度を増したいと考えている。

源平酒造

7月21日
源平酒造
先日東京のベンチャー企業の社長から突然の電話が入った。大野の源平酒造の新オーナーである。実は昨年の暮れに、大野の「源平酒造」を訪問した。丁度NHKのテレビ取材中で、東京駐在の萩原オーナーも東京から馳せ参じてこられた。新雪の降りつむ中での楽しい地酒を楽しむ会となった。源平酒造は県内でも有数の老舗で、創業1673年。ところが近年の日本酒業界不調の中にあって、更生法適用となっていた。萩原オーナーは、若年乍ら起業し、苦労して貯えた虎の子の資金を、老舗再生のために投資をしていただいたと聞いた。福井の地酒を愛する私にとっては、涙が出るほどうれしかった。感謝の気持ちを伝えると、逆に彼は、私が小松空港やJR福井駅頭に「福井の地酒」をPRしているのを知り、その心に感動して出資を決断したというのである。驚いた。見ている人もいるのである。その彼からの電話である。最近私からの発注が減っているので何か不満があるのかとの質問だ。何も不満がない、逆に心配になり、担当者に問合せて、仕入を増やすように注意した。新オーナーが自ら私のような客に電話をしてくれることに感激した。伸びる会社は違うなあと痛切に感じた一本の電話である。

東京ディズニーランド

7月7日
東京ディズニーランド
私は東京ディズニーランド近くの新浦安に住んだことがある。59才で私の会社を設立した時、東京本社を私の浦安のアパートに置き、福井本社を私の自宅に置いた。営業の中心は東京、人事・財務は福井と分けたのだ。すぐ近くで、東京ディズニーランドの経営を見ていたのだが、そのTDLが今年4月、開園30周年を迎えた。そして昨年度は入園者数、売上、利益ともすべて最高記録を更新したとのことである。この厳しい時代に、そして3.11の大被害を乗りこえての最高記録の達成とは、なんという素晴らしい快挙であることか。創業者の高橋政知、それを継いだ加賀俊夫両氏の卓越した経営努力のおかげである。常に先の先を読んでの投資姿勢、そして内には徹底したおもてなしの心を植えつける社員教育、お客様に夢を売る仕事、感動を売る仕事は私にとって、魅力にあふれた他山の石であった。今後共世界一の魅力のスポットでありつづけられることを祈っている。

6次産業化

6月21日
6次産業化
地酒がおいしい。各地の地酒を楽しむ機会が多いが、特に福井県下の地酒に惚れて、「九頭龍・地酒百蔵」という名の小売ショップをJR福井駅前にオープンした。観光客に福井の地酒をPRすると共に、福井が「酒どころ、米どころ、食どころ」であることを多くの方々に知っていただきたいとの思いでスタートした。ところが先般「SHINDO」の新道会長から、ベルリンやNYやPARISで出店をして、サンプルショップのつもりが、十分採算をとっているとの話を聞いた。メーカーが小売店をだし、「ナイキ」や「ルイヴィトン」へ素材を納入しているというのである。商社マンとして長年営業の第一線にいた私でも第6次産業への転換は至難の技である。その難事をメーカーの新道会長がやって成功しているというのである。まさしく天才経営者といえよう。日本の農業の明日は「第1次産業」から脱却し、加工から販売まで、一貫して手掛ける「6次産業化」が生き残りの唯一の方法といわれている。私達も現状に安住せず常に新しい変革へ踏み出す勇気を持たねばならない。

地方経済

1月11日
地方経済
福井という典型的な地方都市に本社を置く中小企業の経営者として、日々努力している身にとって、最近の地方経済の停滞は誠に歯がゆく悔しい次第である。
地方経済が敗戦以後繁栄をつづけてこられたのは地方での公共投資が牽引し民間投資が行われてきたおかげであった。それが公共投資が無駄遣いのように吹聴されて年々削減に次ぐ削減となり、今や地方におけるトップスリーの建設業者で生き残っているのは殆どない。
1990年頃から2010年頃までの20年間を「失われた20年」という人が多いが、この20年の公共投資、民間投資は半分以下に激減している。即ち景気をよくする根本の投資が行われていないのである。
福井県は土建王国といわれてきた。戦前の「飛島組」は建設業界で唯一財閥解体に指定された名門であった。戦後は熊谷組、前田建設工業、飛島建設を先頭に地場の業者が全国に雄飛していった。
地方経済を活性化するにはやはり公共投資を呼び水とし民間投資を導き出すことが必要である。
2010年は北陸新幹線の着工、中部縦貫道の継続、敦舞道路の最終段階と明るい話題が続いている。
東日本の復旧工事もいよいよ着工を迎えようとしている。
これ等の公共投資はすべて真水である。これ等は想像以上の大きな効果をもたらすことと思われる。
新しい希望の年になることを確信している。

創立記念日

23年8月23日(火)
創立記念日

1996年7月10日に日本システムバンク株式会社を設立。資本金1,000万円でスタートした。初年度社員(役員共)4名すべて身内だった。年商3,700万円。赤字は出さずにスタートできた。15周年を迎えた今年、年商は約60億円、純資産約16億円、15年間でほぼ160倍になった。後15年経つと私は90歳となり、このまま伸長を同じように続けると「年商8,000億円、純資産2,500億円の優良企業になるはずである。今後の経営陣の活躍に期待したい。
今月19日の福井新聞経済面のトップを飾って、2000年度から2009年度までの過去10年間の増収企業ランキング(帝国データ福井調査)が発表された。そのトップが私達の会社である。10年間の伸長は11.3倍と、唯一2ケタ成長と発表された。第2位小林化工7.1倍、第3位ゲンキー5.9倍と優良企業が並んでいる。私達の会社は創業以来ずっと2ケタ成長を続けてきた。この2年間は停滞しているが、成長率では以前から自信を持ってきた。しかし年商50億円以上の県内企業が多い。トップの三谷商事は年商3,500億円、純資産600億円である。セーレンが1,000億円、450億円と続いている。
私達の吹けば飛ぶような零細企業が、15年間にここまで成長できたのは役員社員の頑張りだけではない。数多くお客様をはじめ、陰に陽に支援して下さった方々のお蔭である。感謝、感謝、感謝の気持を忘れず三谷商事やセーレンのような立派な会社を目指して精進を続けたいものである。とりあえず10年後に迫った25周年に向けて、感謝を力に、新たな夢に向かって挑戦したいと考えている。
ただ心配なのは全県下の企業の10年間の伸長率はマイナス13.5倍である。2000年度の売上より2009年度の売上が大きく落込んでいる。海外への工場移転が進む製造業や建設業のマイナスが大きい。内需拡大の努力が不足しているのは明白である。

コインパーキングシステム

23年7月15日(金)
コインパーキングシステム

コインパーキングシステムを考案したのは15年前のことである。当時の福井工業大学の金井兼造総長から「大学で特許を持っているコインパーキングの販売とメンテナンスをやってくれないかとの依頼があり、市場調査の結果、その将来性を確信して引受けることにした。競合メーカーは日本信号、オムロン、三菱電機、アマノと殆どすべてが東証一部上場企業であっただけに最初の3年間は悪戦苦闘の連続であった。失敗が続くとひとりでに知恵を使うようになる。4年目からは戦略を変えた。自分だけが市場を独占するのでなく、お客様がシェアを伸ばしていただくことで私達も共に伸びていこうと考えたのである。それと同時に全国の主要都市でコインパーキングの講習会を開いて、新しい顧客を1人づつ広げていった。10社獲得するまではその都市に居を構えて、お客様を育てていき、20社ぐらいで支店を開設していった。沖縄は電車がないところなので、沖縄はゼロからのスタートで支店を開設したが大失敗をして、2年で一時撤退となってしまった。時間貸駐車場・100円パーキングというコンセプトで広げていったのだが、あらゆる意味で、ICTの導入が必要となった。セールスへの携帯やPHS、モバイルパソコンの導入にはじまり、精算機への通信システムの導入、盗難防止のためのITC投資、そしてコールセンターの開設と私達のコインパーキングはICTの最先端技術によって支えられている。
エコについても太陽光発電や風力発電、更にはハイブリッド発電システムの導入など常に業界初のシステムを創り出してきたと自負している。
今後は省エネ投資が私達の業界でも進むと思われるが、もっと新しい分散型省エネシステムの可能性を予感している。いずれ近々中にそのシステムを世に問いたいと考えている。

これからの戦略

23年7月11日(月)
これからの戦略

21世紀はアジアの時代といわれてきた。そしてそれが現実のものとなりつつある。日本はボーダレス時代を迎えて、日本の持っているインフラ技術の輸出、原子力や自然エネルギーを中心とした低炭素脱炭素エネルギー技術の輸出、そして日本への投資や観光旅行等の勧誘を促進する戦略をとろうとしてきた。それが3.11の大震災、福島原発の事故によって完全に見直さざるを得ない状態になった。これからの世界はどのような変化をし、私達はどう対処すればよいのだろうか。
昨年秋、世銀総裁がイギリスのフィナンシャルタイム紙へ投稿している。もはや米ドルだけが国際通貨として機能する時代は終わった。これからはユーロ、ポンド、円、元などを含めてお互いが支えあう時代となると述べている。アメリカの財政危機は日本と比較して決して安泰ではない。アメリカ国債を買っているのは日本、中国をはじめ世界中の先進国であり、それ等の国々が米ドルを買い支えているのである。日本の国債を格付企業が種々評価をしているが、彼等はサブプライムローンを含んだデリバティブ債権にスリーAをつけた張本人である。あまり信用できるものではない。EUについてもギリシアをはじめアイルランド、ポルトガル、スペインなど危機にある国々が多い。デフォルトの可能性を云々する声が出はじめているが、もしそうなればユーロやドルの暴落は現実味を帯びてくる。日本の役割は可成り重要になってこよう。日本に期待する外国も増えてきている。それは日本への信頼と日本円への信頼に裏打ちされた期待である。ただ現在の電力不足、法人税減税の先送り、政治の無策が重なれば企業はどんどん海外に出て行ってしまう。日本国内への投資が必要な今日である。投資をする意欲のある企業を優遇する政策が何としても必要である。
私達は中小企業ではあるが志だけは常に高く持っている。創業時から掲げている「最先端のICT企業をめざす」という大きな夢に向かって新しい歩みをまた始めている。

LED照明とバス停

23年7月7日(木)
LED照明とバス停

LED照明の普及がすすんでいる。大手が最近量産に乗り出してきて、末端価格が下り、それが普及に拍車をかけている。中小企業では大手の進出の前に、次々と新製品を開発していく必要がある。金沢のファブレス企業でLEDをバス停の照明に使っているところがある。東京都からクリーンエネルギーを使ったバス停のモデル事業として受注したとのこと。バス停の屋根に太陽光発電と小型風力発電とバス停のイスの下に電池を配してシステム化している。夜間の照明や電光掲示板にLEDを使っている。このシステムは私達がハイブリッド発電システムとして、5年前に開発したものと全く同じ発想である。私達はコインパーキング場に設置していったが、それをバス停に使うと発想を変えた。私はいつも発想の転換をうるさく云っている。柔軟な考え方であらゆるものをシステム化することで、ローテクでもすばらしい新商品を生むことが出来る。バス停に特化したLEDシステムはとても魅力的である。と同時に他への応用の可能性が大きい。

1人暮しが標準家庭

23年7月5日(火)
1人暮しが標準家庭

2010年10月に実施された国勢調査によると、日本の標準家庭といわれてきた「夫婦と子」の家庭よりも、1人暮しの人が上回り、総世帯数5092.8万世帯に対して、1人暮しは1588.5万世帯となった。1995年には1人暮しの比率は25.6%、5年後の2000年には27.6%、2005年には29.5%となり、遂に2010年には31.2%となった。急増という言葉がピッタリの増え方である。
老人の孤独死が時々新聞紙上を賑わすことがあるが、誠に悲惨な状況である。高齢者の1人暮しは危険だと思った方がよい。私達の分譲マンションは隣人祭りを年2回開催し、相互の助け合いを奨励している。更にワイン会やジャズのフェスティバル等を開いて、孤独にならないように住民すべてが見張り役を務めている。
1人暮しが急増しているので、日本の総世帯数は年々増加を続けている。これが原因で、日本の経済や文化に及ぼす影響は大きいことを知らねばならない。新商品の誕生につながるものも期待できよう。新様式の生活スタイルによる変化から、次々と変革の萌芽が表われるであろう。1人暮しの急増は、悪いことばかりではない。新しい可能性を生み出してくれることも多いのである。何を見付けるかは私達の努力次第である。自分の仕事に関連づけてじっくりと考えてみたい。

数字を読む

23年5月27日(金)
数字を読む

「経営とは足し算と引き算である。そんなに難しいものではない。難しく考えるとダメだ。また掛け算や割り算だと考えると失敗する。」この言葉は私のロータリークラブ入会の推薦人永多外男氏(当時福井テレビ社長)からいただいた。
経営者の中には、この足し算と引き算すら出来ない人が多くいる。ついつい掛け算や割り算で夢を膨らませる夢想家も多い。「事業は三代にして成る」という有名な言葉もある。焦らず、休まず、怯まず、挑戦し続けることが大切である。59歳で創業した私にこの禁句であるはずの「焦り」がなかったといえばウソになる。しかし永年商社にいて、営業の第一線をかけ回り、数多くの子会社の設立からその育成を手掛けていただけに、経営の手法はいつか身についていたと思われる。その経営手法の最もたるものは「数字を読む」ことである。自社の数字だけでなく、ライバルの数字、業界の数字、日本経済の数字などを常に読む習慣をつけるのである。
数字は恐ろしい程に明確な明日を示してくれる。この術を見につければ経営は万全である。

キャデラックを救った男

23年5月12日(木)
キャデラックを救った男

1930年代世界大恐慌の頃、GMのキャデラック事業部門は、存続の危機にあり、まさに生産中止の決定が下されようとしていた。その時ニコラス・ドレイシュタットは、事業部門消滅の会議に出席し、10分間のスピーチの時間をもらった。彼はアフターサービス部長だった。「一年半でキャデラック事業部を立て直す計画」を提案します。キャデラックは黒人に売らないことになっていますが、サービスを受けに来るお客は殆ど黒人です。黒人はキャデラックに乗ることがステータスなのです。白人名義でプレミアム付で黒人の富裕層が買っているのです。だから売り方を変えれば必ず売れます。第二にキャデラックは手作りで高いコストがかかっていますが、大量生産方式に切替えることでコストを大幅に下げられます。人件費に金をかけずに、開発費や設備投資に金をかけましょう」。この提案が認められ、ドレイシュタットはキャデラック事業部門長に就任し、1934年黒字転換、1937年には閉鎖しかかっていたキャデラックは、GM社内で最高の利益を稼ぐ部門に成長した。まさに奇跡を呼んだ男である。その後最大のシボレー事業部長に転じ、GM社長目前で咽喉癌のため逝去した。
 ドレイシュタットは南ドイツの出身で、1911年13歳の時メルセデスベンツのレーシングチームの最年少修理士としてアメリカへ来た。学歴のない彼はキャデラックに入り、約30年働いて、アフターサービス部長に就任したのであった。彼は「キャデラックを救った男」としてGMの社歴の中で異彩を放っている。温かい人柄、人を愛し、人に愛され、面倒見のよい彼を慕う社員は、GMの全盛期を支えた人達であった。

右脳を使え

23年3月15日(火)
右脳を使え

右脳は芸術を司るといわれている。私は幼少より絵が好きであったが、絵画、彫刻、音楽などすべてに共通するのは、イメージの定着である。妻は作曲は数学だというが、門外漢の私には原始よりの自然との共鳴のように思われる。
音楽は左耳で聞けといわれる。左耳で聞き乍ら、身体全体で空気を振動させて伝わってくる音楽を体感するのだといわれる。ジャズの演奏会で最前列に座って実験してみた。なるほど納得する程によい演奏に思えた。右脳で聞いていたのである。
私は経営分析でも常にグラフや絵を多用する。例えば私の会社の総資産を分析すると、半分以上が有利子負債の他人資本である。自己資本は3分の1以下である。それをグラフ化する。そして10年後の姿をイメージする。有利子負債をゼロにし、自己資本3分の2以上にするグラフを描くのである。その現在の姿と10年後の姿を円グラフにして見ると会社の進むべき方向、そして毎年打つべき手が少しずつ明確化してくる。資産リストラが必要なことがよくわかる。これが右脳経営である。
私の会社は遊休不動産の有効活用を企業の使命としている。単なる資産リストラではなく、有効活用の役目を十分果たした上で、収益還元法に則ってこれを売却し、購入していただいた方々に喜んでもらえるようにしなければならない。

充電スタンド

23年2月18日
充電スタンド

電気自動車のマーケットはどのくらいであろうか。電池の開発スピードの影響を受けるのは間違いないが、リチウムイオン電池より上のものから10年で莫大なコンバートEU市場の誕生が期待できる。その規模は現在地球上で走っている車約10億台の殆どが電気自動車に置き換わっていくであろう。コンバージョンキットを台当り50万円としても500兆円の新市場の誕生である。しかもこの数字は上ぶれする可能性が大きい。ガソリンの需給逼迫と地球環境保全の見地から早晩エンジン車から電動車への転換は必然のものとなってくる。コンバージョンキットの50万円の試算は工賃や電池の価格によって上振れしてこよう。そうなると年間50兆円以上の新市場になることは確実である。
私の会社はコインパーキングを全国に設置する仕事をしているが、普通充電システムを新設する運動を併せて行っている。現在建設中のところを併せると10ヶ所以上となっているが、4ヶ月後には100台以上、10ヶ月後には300台以上となる予定である。政府は2020年までに200万台を設置するとの方針を出しているが、その殆どは自家用の車庫内に設置されると思われるので、急速充電システム5,000台を含めても、業務用は20万台程度が予測されよう。私達も環境に優しい企業を目指しているのでこの20万台の内幾分かをシェアしたいと考えている。先週既に電気自動車を購入したが、社用車は順次電気自動車に切換えていきたいと考えている。

愛されていますか

23年2月1日(火)
愛されていますか

お客様との間に信頼関係が成立しているかどうか、ビジネスの世界ではとても重要である。パートナーとして認めていただいているかどうか。お客様に愛されているかどうかが大切である。私達はお客様に無形の価値を提供できているだろうか。私は常に自問自答を繰り返している。
創業した15年前を思い出してみよう。初心に帰るために一番手っ取り早い方法である。あの頃あったのは「目標」とそれに到達したいという「情熱」だけであった。資金もなし、人もなし、設備もなかった。しかし経営の三資源といわれる大切なものを何一つ持たずにスタートし、あっという間に15年が経過した。人、もの、お金なしで、目標と情熱だけで前へ進むことが出来たのである。いや何もないという制約があった方が、アイデアも力も知恵も湧いてくるのかもしれない。お客様の協力、まわりの方々の支援も得られるのである。お客様を愛する、仕事を愛すると、お客様から愛されるようになる。ビジネスの究極の秘訣は「お客様に愛される」ことである。「十方よし」の精神である。愛はお金では買えない。何よりも尊いもの、人が最も欲しがるものが愛である。その愛を私達の方からお客様に提供することによって、お客様は感動し、そして愛されるようになる。お客様、ビジネスパートナー、ステークホルダーの方々に本当の愛情をもって接することが肝要である。そこから新天地が開け、奇跡の大躍進が生まれる。愛とは、至高のもの、最も尊いもの、そしてすべての人が求めているものである。


社員教育

23年1月24日
社員教育
「人間の能力に差があるのか」というテーマについていつも考えている。DNAの世界でも脳細胞のミクロの研究でも、ノーベル賞の科学者や大実業家の脳力や能力と隣のオジさん、オバさんのそれとは大差がないそうである。しかしそのパフォーマンスには大差ができてしまっている。どこにどういう原因があるのでろうか。幼少より偉人伝を読んだり、興味のある人物の成長の軌跡を調べる趣味を持ったのは、このテーマに限りない大きな興味を持っていたからである。そして後期高齢者入りを目前にして、このテーマに一つの結論を出すところまで来た。
この人間としての仕事量や質について、差ができてしまう最大の原因は、「意欲の大きさ」の差である。「意欲のある人と、ない人とでは、その結果に大差が出るのは当然である。「大きな意欲」を持ち続ければ、人は大成できるのである。しかし意欲を持ち続けることができる人は少ない。大抵の人は途中で意欲を減退させる。意欲を持ち続ける秘訣、自らを鼓舞する秘訣は何だろう。私は秘訣は使命感と好奇心の二つであると思うようになってきた。「使命感」というより最近では、ミッションとかデューティという方がわかり易い。もう一つの「好奇心」は、幼児を見ていればよくわかる。その「好奇心」を私達生物はすべて生来持っている。偉大なる人々はその幼児の天性の好奇心を、一生持ち続けるのである。好奇心は集中力を生む。ドンドン深みにはまっていくのである。そして突然別世界を発見する。気がつけば人と人との間に大きな差がついてしまう。
社員教育をしなければならないといつも思いつつそれが中途半端になっていた。そこで友人の藤田紀一郎さんに依頼してトヨタ流の社員教育を実施してもらうことにした。MUST会議と呼ぶ幹部研修会である。集団で議論をすると、安易に上司の悪口を言ったり、特定の人に非難が集中しがちである。その危険を十分承知した上で、指導をお願いした。私や社長の言葉や考えを、他の人から、社会的に権威のある人から言ってもらうと、案外素直に浸透していくものである。藤田顧問はトヨタの宣伝部長をはじめ数々の要職を勤めあげた紳士である。年齢こそ私より下ではあるが、その識見、人格はすばらしく、いつも尊敬している。彼の尽力のおかげで私の会社の社員教育が軌道に乗りつつある。
MUST会議をはじめてもう3年になる。リーマンショックの前後を社員の協力を得て、何とか乗り越えてこれたのも社員教育の賜物である。
アメリカのトヨタ大学にちなんで、私の会社の社員教育も「D地球大学」と命名し、基本的なカリキュラムと演習を組み込んで4年制のものに進化させていくよう社長に提案している。私達中小企業にとっては、人間がすべてである。社員が宝である。社員が意欲を出して、使命感に燃えて、仕事に熱中してくれれば怖いものは何もない。洋々たる前途がひらけている。

人は石垣人は城

23年1月13日
人は石垣人は城

リーマンショック以来世界経済は大きなショックを受けている。日本経済はバブル崩壊以来の20年間の長きに亘って、異常な低迷が続いている。この20年間の間、日本経済は僅か2%〜3%程度の低い成長率であった。これに対して世界は、5%近い高い成長を続けてきたのである。
この原因が日本の政治の貧困であるのか、日本経済の高成長後の一時的な状態にすぐないのか、或いは教育の問題に起因するのか、議論は尽きない。ただ私達が忘れてはならない事が一つある。それは私達自身の自助努力が十分であったかどうかである。景気が悪いことを「政治」や「金融」や「行政」のせいにして、自助努力を怠っていたのではなろうか。
企業側を見てみると、この間躍進を続けているところが数多く存在する。そしてこれ等の企業は、自助努力を全力で実行している。企業を支えるのは人である。社員である。この社員が企業を守るために、全力を出しているところは、苦しいながらも成長し続けている。
私は武田信玄の「人は石垣、人は城」という言葉が好きだ。社員の大切さを、これ程うまく表現する言葉は珍しい。人の結束が破れば、どんな堅固な城でも、落城してしまう。
社員全体を火の玉にして、現在の困難な状態を乗り越えていこう。閉塞状態を打ち破るのである。その為に目標を高々と掲げよう。自ら新しい風となって困難な壁を吹き飛ばすのである。目標を持ち、帰属意識を失わず、意欲をかきたて、今年こそ真の意味の「挑戦」を全力で実行する年にしたい。
10年後の25周年を向けて、さあ第一歩を踏み出そう。

今年のスローガン

23年1月7日
今年のスローガン

今年の7月10日がわが社の創立記念日である。15周年を迎える。そこで社内でスローガンを募集した。その中から何点かを選び、私の思いも入れて決めた。
「チャレンジ25、感謝を力に、新たな夢へ」
25というのは25周年のことである。10年後の25周年に向けて、挑戦を続けるという意味をこめた。
20世紀はエンジンの時代であった。近代科学の発達により、物理的な大きな発展が起きた。20世紀を一言でいうと左脳の大活躍により、量的な拡大が起き、化石燃料や地下資源への執着が発生した。一方で貧富の差が拡大し(日本では総中流といわれる程に格差は少ない)、21世紀には大きな問題となりそうである。
21世紀は人類が何万年もの間蓄積してきた右脳の能力を発揮する時代となる。モーターの時代である。潜在意識を顕在化し新しいエネルギーや新しい理論の発見により、20世紀とは大きく異なる社会が現れることであろう。
私はそれをニュートン時間での人生、ニュートン時間での社会から、ベルグソン時間への移行が始まると予測している。地球が1回転する時間を1日24時間と定め、更に60分、60秒と細分化したニュートン時間から、人間が持つ限りない瞬発力、執着心、精神の高揚などにより、ニュートン時間では測りきれない新しい時間の考え方(それをベルグソン時間という)への移行である。ニュートン時間は貧者も富者も、老いも若きも、男も女もすべての人々に等しく与えられている。ところがその結果には大きな差ができてしまう。それは生きている時間の違いなのである。新しい事業、新しい商品の開発に携わっている人は、熱中できたかどうかで大きな差ができることを知っている。自分ではない何かが手伝ってくれたという人がいるくらいである。手伝ってくれたのは自分のDNAであり、潜在意識であり、それを可能にしてくれたベルグソン時間なのである。
今年からは、私も今まで以上に、ベルグソン時間での思索を楽しみたいと考えている。

目先の利益を捨てる

平成22年11月22日
目先の利益を捨てる

適正マージンとは何だろうか。商品やサービスの提供時に価格決定がされる。その時マージンが決まる。そのマージンが適正かどうか、その判断によってそのビジネスの成長に大きな差が出来てしまう。適正マージンを決めること、引いては価格決定はマーケティングの重要ポイントである。
私は新規の事業やサービス提供をする際に、進出するかどうか、採用するかどうかを決定する必要条件の1つに、この「価格決定権」があるかどうかを上げている。この権利を持てる商品、サービスかどうかにこだわるのだ。そして価格を決定し、マージンを決める時に、この目先の利益にこだわり過ぎて失敗したことが多かった苦い経験があるからだ。「目先の利益」にこだわって価格を上げすぎることは、新商品、新サービスの普及にブレーキをかけてしまう。目先の利益にこだわりすぎては新しい事業は失敗する。
新しい事業だけでなく、既存のものでも同様である。「損して得とれ」は先人の教えである。目先の利益にこだわらず、長い目で見て適正マージンがとれる方法を考えることが肝要である。目先の利益を捨てることにより、数多くの新しい発見ができる。それが成長への道に続いている。目先の利益を捨てる勇気を持ちたいものだ。


変化を好む

平成22年11月19日
変化を好む

停滞は後退につながる。腐敗の温床だ。私は変えるべきか、変えざるべきかの選択の時、決定に迷いが生じた時、意見が分かれた時、変えることに同意している。変えることは勇気を必要とする。エネルギーが必要だ。常人は変えない方を選ぶ。それはその方がラクだからだ。変えることには困難が伴う。危険が多い。だから止めようという理屈である。私は反対にだからやろう、だから変えようという。
変化は自分を成長させ、組織に緊張感を与え、内部をひきしめ、団結心を生む。変化することで新しいエネルギーが沸いてくるのである。
日本は問題先送りを多く選ぶようになった。何もしないということは、後退を意味する。問題を先送りすることにより、日本の活力はどんどん削がれていくのである。
「勇気をもって可能性に挑戦しよう」という言葉が好きだ。この言葉は、豊田章一郎氏がトヨタの工販合併時に、新生トヨタの社長に就任された時のスローガンである。変化を選ぶには大きな勇気が必要だ。その勇気が原動力となり変化を生み、挑戦を生み、新しい世界を創り出してくれる。変化こそ何よりの宝である。変化を好む心意気を常に持ちつつ、小さなことから着実に実行しようではないか。さあはじめよう。


仮のニーズ

平成22年11月18日
仮のニーズ

市場万能主義のアメリカでは、市場が求めるニーズを把握し、そのニーズを供給することが、経済原則になっている。その為に市場調査が異常なほどに発達し、真のニーズの追求が急である。
日本では生産者の原理が強く働くケースが多く、よいものを作れば売れるはずだと考える経営者が多い。よいものを作るという時に大切なことは「よい商品は、顧客にとってよい商品かどうか」という視点を持つことである。作る側の視点でなく、買う側の視点で見てよいものでなければならない。
「ニーズ」は顧客が買って初めてニーズになる。「買うはずだ、買われるはずだ」という商品は仮のニーズである。真のニーズを作り出す為に、マーケットリサーチがあり、マーチャンダイジングがあり、セールスプロモーションがある。しかし最も大切なものは「セールス」そのものの質であり、量である。
セールスは営業マンの資質だけでなく、企業のイメージ、商品のある環境など、営業マンをとりまくあらゆるものごとに影響される。お客様の仮のニーズを真のニーズに転換できるかどうかは「セールス」にかかっている。このセールスの質量を高めて、真のニーズの実現は売上が出来代金決済が終了できることが必要である。真のニーズは、売上入金した時にはじめて現実のものとなる。「お客様がほしがっている」とか「その商品はあるか」と言っている内はそれは仮のニーズである。真のニーズではない。購入していただいて初めて真のニーズとなるのである。市場分析で判るニーズは当然仮のニーズに過ぎない。それを信じ過ぎる事は大変危険である。時代の先を見る目も大切であるが、実証的な営業思想を堅持していくこともより大切なことである。

敵をつくるな

平成22年11月2日
敵をつくるな

生きているということは、「敵をつくる」機会が多くなる。真剣に生きて、真剣に仕事をすると、敵が出来る。敵が出来てしまうとこの敵に勝たなければ、自分が負けてしまう。殺されてしまう。そこで争いが起きる。
敵をつくらないという生き方が出来ないだろうか。私は自分の人生の中で、このことを考え続けてきた。幸い近江商人研究をしている数々の先達、友人の方々から「三方よし」の近江商人の哲学を教えられた。またインド革命の父、ガンジーからは無抵抗主義の偉大さを学んだ。法然、親鸞の浄土宗の大先達からは、迫害の中で真理を見出し、それを身をもって示したその人生から多くのことを教えられた。そして「敵を作らない」という至難の技が、心の持ちようで可能であることを知ったのである。知らされたのである。
その秘訣は「敵を作らない」のでなく、「味方を増やす」ことに気持ちを切り替えるのである。私は常に自分に言い聞かせている。「敵を作るな、味方をふやせ」と。
味方を増やしていると、敵と思えた人も、気がつけば味方に変わっている。いや本当は最初から敵などいない。自分が勝手に敵と決め付けていただけなのである。だから敵を意識せず、常に味方を増やす為に最大の努力をするのである。このビジネスの手法を私は「十方よし」と呼んで、社員に心してこれを日々実行するように指導している。
ある時、「ブルーオーシャン戦略」という競争しないセールス戦略の講演を聞いた。「競争しないセールス」だという。私のいう「十方よし」の営業戦略と瓜二つのものであるので驚いた。しかし真理は一つ、正しいものは当然同じでなければならない。
味方を増やす方法を考えることは楽しい。なぜならそれが正しいことであるからである。


失敗の法則

平成22年8月18日
失敗の法則

企業約1,000社を対象に、新事業展開の現状を調査したデータが発表された。それによれば、約38%の企業が、新商品開発や異業種進出などの新事業展開をはかっているという。新しい商品を売り出したり、新しい事業に進出するのは、大変な危険がともなう。そしてものすごいエネルギーが必要である。そして結果は90%以上が失敗に終る。
大変な危険を冒し、多大な資金や労力を投入し、その約90%が失敗に終るような割のあわない事をなぜするのであろうか。
企業の平均寿命30年がその理由である。この変化の激しい時代に、同じ商品、同じ事業だけで生き延びるのは至難の技である。いくらリスクが大きくとも、時代の変化に追随して、自らを変えていかなければ、生き残ることはできない。その為の必死の努力、懸命の研究開発、マーケティングが求められるのである。
成功の確率は十に一つである。十の内九は失敗する。これを真理として認識しなければならない。そして失敗から学び、失敗から立ち直ることである。大切なのは成功することではなく、失敗からいかに早く立ち直り、次の行動に進むことができるかである。そのスピードの早さ、そしてその反転力の強さが問われる。
必ず成功する人がいる。その人は絶対あきらめない人なのである。同じ事をある程度続けると、その事業が少しずつ見えてくる。そこで常に次の展開を自問自答するのである。自社の資金力や営業力いろんな能力をはかりにかけながら次の手をどう打つのか、引き際も大切である。新事業で「撤退が一番難しい」といわれているのはそのためだ。決断したら一潟千里に実行する。その切り替えしの早さ、強さが、企業の命運を分かつ。
私は失敗の法則を次のように決めている。
 1.命がけでやるリーダーがいるか、いないと失敗する。
 2.それを支援するサブリーダーがいるか、いないと失敗する。
 3.失敗の責任をとる上司がいるか、いないと失敗する。
どれ一つが欠けても失敗する。この三条件を必ず満たさなければならない。
 

環境ビジネスの王者は「水」

平成22年7月27日
環境ビジネスの王者は「水」

世界中で水質汚染、渇水などが問題になりつつある。特に21世紀の覇者になるといわれているアジアでの産業排水や都市への人口集中による生活排水により汚染がすすんでいる。
水ビジネスというと「ボトルウォーター」を想像してしまうが、実際には、ボトルウォーターの比率はそれ程高くはない。世界の水市場は2005年で60兆円といわれていた。2025年には100兆円になるといわれている。ボトルウォーターは小さなウェイトを占めるに過ぎない。
では水ビジネスの主役は一体誰なのであろうか。現在予測するのは至難の技であるが、「水源の確保から上下水道施設の所有、管理運営、料金の徴収、設備の維持更新」までをコントロールする力を有する巨大企業が想像できよう。
日本では東京都水道局のような公営が多いが、いずれ民間委託が全国を風靡し、すべてを企業が行うようになる。その企業群の中から、世界の水ビジネスをリードする、新しいリーダーの出現を期待したい。
日本企業の個々の力は世界でもトップクラスにある。例えば商社、建設業者、エンジニアリング企業、素材メーカーなどは、世界の水ビジネスの外国巨大企業の下請として、既に納入実績がある。しかし元請として巨大プロジェクトを請負う力も実績もない。その実力と実績を持っているのは公営企業や地方公共団体である。
新しいコンソーシアムを組んで「水ビジネスチーム」を創設する必要がある。金融機関、電力会社等を含めた新しいチームを作ることが焦眉の急である。私達中小企業にとって、参入の可能性はどのあたりにあるのか。それを考える毎日である。
今私は福井にいる。「水の都」と呼んでもおかしくない程に恵まれた土地に生きている。このおいしい水に恵まれた福井から、為すべきこと、為せることは何か考えているのだ。

 

コインパーキングの近未来

平成22年6月3日
コインパーキングの近未来

車はガソリン車が殆どである。しかし最近になって急速にハイブリッドカーやEV(電気自動車)の普及を目指して、電気自動車や充電システムの研究開発が進んでいる。
20世紀は車の時代であった。20世紀初頭には殆ど地上を走っていなかった車が、21世紀の今では世界中に溢れかえっている。その数5億台。そしてまだ増え続けている。
これ程便利な車は、急に他のもので代替されるとは思えないが「ガソリン」から他のものへの転換を余儀なくされるのは間違いない。それが「電気」である。「水素」という人もいるが、21世紀中に「水素」に変ってしまうのは困難かも知れない。
コインパーキングは車の普及と同時に徐々に認知されるようになり、今や日本では常識になりつつある。私達が創業した15年前には、クレームの第一は「使い方はわからない」であった。「車を入庫してすぐ代金を投入してもコインが返ってきてしまう」というクレームである。今では信じられない昔話になってしまった。
これからのコインパーキングはどう変っていくのであろうか。はっきり見えているのは三点である。その第一は代金決裁が現金からETCやカード等へ変ること。キャッシュレスである。その第二は駐車場だけの役割りから充電施設への転換が起きること。駐車しながら充電するのである。そしてその第三はフラップ板がなくなること。ゲート式のよい点とフラップ板方式のよい点を組合せた新方式の誕生である。これ等がどの時点で大勢を左右する程に普及してくるのか。それを見極めることが肝要である。早すぎでも遅すぎても覇者になることは出来ない。タイミングを測りながら、準備おさおさ怠りない状態にしていきたいものである。

ユニーク経営

平成22年5月28日
ユニーク経営

私の信念は「経営はユニークでなければならない」ということである。奇をてらうわけではないが、この厳しい時代に、他の人と同じことをやっていては勝つことは難しい。自分独自のやり方を創り出し、そしてそのやり方を常に磨き上げていかねばならない。
「ユニーク経営」とは何であろうか。それを分析してみよう。
1.人のやらないことをやる経営
 2.人のやれないことをやる経営
 3.人のやるべきことをやる経営

まず「人のやらないこと」とは人が嫌がることである。3Kなどはその最たる
ものである。駐車場経営で一番つらいこと、嫌なことは「クレーム処理」であり、「清掃」であり、「集金」である。この3Kに注力することをめざしている。また若手の大抜擢や女性管理職の増加である。これ等を他に先がけて実行するのは、大変な勇気を必要とする。しかし実行すること、行動することが成功に直結するのである。
次に「人のやれないこと」とは、生涯現役の施策である。老年労働者の受
皿づくりが必要であるが、これがなかなか難しい。男女雇用均等や、心身障害者雇用も同じように重要である。資金、設備、人員など大量投入する事業もこの範疇に入る。進出が難しければ難しい程、事前調査、研究そして周到な準備、資金の収集などが必要となってくる。これ等は至難の技であるが、逆にこうなるとあまり失敗しないものである。高い志、大きな夢を常に持っていればチャンスは必ずめぐってくる。
そして「人のやるべきこと」とは、利他の心をもって経営に当ることである。私達の会社ではこれを「十方よし」と呼んでいる。毎日の仕事を通して「喜びの種、幸せの種を蒔こう」と呼びかけながら、生き生きと共に生きていくのである。自分達のためだけでなく、他の人々のために一日一日を大切にしながら努力し続けるのである。

コラム

平成22年5月27日
コラム

ある新聞社から毎月の新聞コラム欄に投稿するように依頼がきた。テーマは何でもよいという。地元の経済界から二、三人を選んでの依頼だという。迷ったあげく、引き受けることにしたが、さて「テーマ」に何を選んだものかと考えた。
私の当面の課題は福井県の県都、福井市の中心市街地の活性化である。ということでコラムの年間のテーマを県都ふくいをどうするのかの意味で「ケント計画」とすることにした。
地方経済は低迷している。特に中心市街地の商店街の状況は厳しい。この状況を打破し、繁栄をとり戻し、賑わいを復活させる為に、具体的な施策は何かを日夜考え抜いている。
そして到達した一つの結論が、内部からの改革である。外部からの干渉である。この二方向からの異なったアプローチが、成功をもたらしてくれるであろう。
まず内部からの改革とは、地域の住民、商店主、地権者が市や商工会議所や大学と連携しながら、新しい魅力のある個店づくりをしていくことである。どちらかというとハード面よりもソフト面での新鮮な発想を期待したい。日本中どこにでもあるような金太郎飴でなく、地域に根ざしたユニークなものが求められる。
外部からの干渉による改革とは、地元の人間の気付かないかくれた魅力の発掘である。「よそ者の知恵」といわれるものを素直に聞いてその活用をはかることである。また幕末の黒船襲来により、人々が、蒸気船を新たに作ったり、ライフル銃や大砲を作ったように、地域に全くなかったものを作り上げていくことも考えなければならない。
天の時、地の利、人の和というが、この大変化の起きている時代に、知恵を絞って、新しい挑戦を始めることは大いに意義があると主が、いかがであろうか。


キラリ会

平成22年4月27日
キラリ会

福井県下で活躍している組織の長で、他府県出身者の方々を集めて「ヨソ者の会」をつくり、「ヨソ者の知恵」を集めて、福井県のために役立てられないかと考えて早や3年が経過した。毎月1回(12月1月は休会)開催する会である。今回は30回記念に北陸経済連合会の新木富士雄会長をスピーカーにお願いした。テーマは「再び環日本海時代――北陸のこれから」である。日本海側の中心に位置する北陸3県の歴史的な特徴や現状の優れている点、また将来のあるべき姿など、豊富な資料とデーターを駆使して格調の高い講話をしていただいた。
その中で経営者としての心構えを教えられた。事業を成し遂げるには・・・1.明確なビジョン(理念)2.ビジネスを実現する形と気持のコンセプト(概念)3.成功に至るストーリー(道筋)・・・この3つが必要不可欠とのことである。そして注意すべき所は、ビジョンとコンセプトを深く印象付け、正しく認識させる為の、シンボル(象徴)が必要である。またストーリーは入り易いものでなく、入り難くとも出易いものを選べとのことであった。
これ等の言葉は堺屋太一の「世界を創った男チンギス・ハン」の中にあるとのことで、私は記憶にある言葉であったので書架を探してみた。見当たらないのでえきまえのアオッサの中になる市の桜木図書館へ行って第1巻を読んでみた。間違いなく以前に読んでいた。チンギス・ハンの「人間に差別なし、地上に境界なし」というビジョンが、くり返し使われている。僅か数百万人のモンゴル系部族が、僅か50年程の年月の間に、ユーラシア大陸の殆どの国々を支配してしまった歴史を、今更のように気付かされ、感銘を受けた。チンギス・ハンにも絶体絶命の危機が3度あったとのこと。この危機に際しては、沈着冷静、そして機敏な行動で切り抜けている。13世紀のモンゴルと21世紀のアメリカの相似性に気付かされる場面が、数多く見受けられる。多人種、多文化、多宗教を容認して拡大していった点、強大な軍事力を背景に大量報復の軍事戦略をとった点、不換紙幣を発行した通貨政策、強く完璧な統制力と指揮命令系統を持つ組織、そしてビジョン、コンセプト、ストーリー。
久しぶりに堺屋太一氏の小説を読んで心が躍った。キラリ会に参加し、新木会長の話を聞いたおかげで、またこの本に出会い、感動を新たにしたのである。今またチンギス・ハンのビジョンやコンセプトそして成功のストリートを再評価するべき時代が来たように思う。私達の会社にとっても、直ちに役立つ言葉だと考えて、社長にコピーを渡すことにした。

システマティックセールス

平成22年1月27日
システマティックセールス

私は営業マンとしての人生を送ってきた。「セールス」の中に、私の少年時代を過した近江の風土、近江商人としての商人道を常に追い求めてきた。そしてセールスの王道を極める為の、科学的なアプローチを「システマティックセールス」と呼んだ。その「システマティックセールス」を自分の働いている会社の中で、実行していったのである。当時はコンサルタント契約が流行していて、「長銀総研」のコンサルタントがついていた。「システマティックセールス」とは聞き慣れない名前だから使わない方がよいという指摘である。その中身を批判したのではなく、その呼び名を注意してくれたのである。
「システマティックセールス」の名は、科学実験において多用されていた「システマティックテスト」、いわゆる「システマティック実験」からとった言い方である。「セールス」という非科学的に見える分野に、科学のメスを入れ、誰でも使いこなせる「セールスパワー」を生み出す方法を「システマティックセールス」と呼んだのである。
中身については、化学実験の場合とよく似た道程を示したものである。ことさら新しいことではない。実験の手法、それも最新の、最先端の、他部門でつかわれている手法を、「セールス」という人間と人間の商取引の世界に置き換えたのである。
「システマティックセールス」の導入にとって最も重要なものは、組織内のコンセンサスである。セールスグループだけでなく、全社的な信頼と合意が必要である。私は59歳で創業し、このシステマティックセールスを掲げて日本中を飛び回った。そして15年目を迎えた今、よく考えてみると、少年時代に叩き込まれた「近江商人」としての哲学とあまり変わらないのに驚いている。
理論物理学者は日本人にも多い。彼等が考えた新理論を、実験物理学者が、後を追うように実験を繰り返して実証していく。その二人の関係をよく見ていると、「システマティックセールス」への更なる愛着が生まれてくる。人間が偶然だと考えることが、宇宙や海そしてあらゆる自然界では必然なのである。

中小企業が勝てる?

平成22年1月26日
中小企業が勝てる?

経済は年々グローバル化がすすんでいる。あらゆる分野で規模の大小に関係なく熾烈な競争が繰り広げられている。その中で生き残っていくためには、生半可なやり方や考え方では無理である。必ずひねりつぶされて、生命を断たれてしまう。
勝ち残れる要因をいくつか指摘してみよう。言い古されたことではあるが、まず「選択と集中」である。限られた資本、人材、物資しか調達できない私達の進むべき道、とるべき方法はこれが一番である。
続いて私は「スピード」を上げたい。中小企業は大企業病にかかるともろい、「スピード」の加速、減速、ストップの決断を可及的速やかに実行できるのは、中小企業の強みである。この「スピード」を活用しなければ勝ち残っていけない。
未知の世界への挑戦は、中小企業だからこそ可能である。大きなリスクを伴うけれども、この挑戦を繰り返す勇気と、実力を涵養することを忘れてはならない。ここでも「選択と集中」と「スピード」そして「撤退の勇気」が大切である。
組織のコンパクト化も重要である。文鎮型の組織が理想といわれているが、中間管理職は自ら存在感を大きくしたいと考えるので、十分注意が必要である。組織の肥大化は何ものも生み出してくれない。逆に腐敗の温床になりがちである。
「ブレークスルー」「突破力」も大きな要因である。少数派は、大勢の敵に容易に包囲されてしまう。その閉塞状態を、実力で、一点集中、突き破る力を養うことが大切である。社員の心を一つにまとめ上げる日頃の社風の涵養が求められる。
そして成長指向である。大きくなりたい、よりよいものを作りたい、大企業に追いつき追い越ししたいという思いは、子供が大人になりたいと願う気持によく似ている。その思いが強ければ強いほど勝ち残れる確率は高まる。
社会のニーズにあっているかどうかの検討も常に行う必要がある。隙間産業といわれる超優良中小企業は数多く存在している。彼等はニーズに適合した分野で、研鑽努力を重ねまがら、深い技術力、特殊な手段、能力を発揮しているのである。


三方よし

平成22年1月13日
三方よし

近江商人の基本のあきない哲学に「三方よし」がある。「売り手よし、買い手よし、
世間よし」という。近江商人は「近江(滋賀県)に本宅を持ち、各地への行商で信用を得て、江戸や大阪、京に出店を出した商人である。江戸、大阪、京以外にも、全国各地に進出し、その地に土着した近江商人も数多い。
なぜ近江商人が、それ程までに広範囲なところで、信用を得たのであろうか。それはこの「三方よし」の精神に原因がある。行商人は「旅の恥はかき捨て」ということで、自己の利益を優先し、相手のことを考えず、暴利を貪ったり、粗悪品を売りつけたりする者が多かった。近江商人はそのようなことを厳に戒めている。買い手即ちお客様にとっても、世間の人々即ち地域社会にとっても最もよいことは何かを常に考え、自分の利益との正しい配分を考えるのである。
私は創業以来、この考えを会社の基本精神である「社是」とした。そして「三方」だけでなく、社員や下請さん、仕入先、お客様の先にいる最終ユーザー、また産官学連携の人々、資金を出していただいている株主様や金融機関の方々と、私達を支えて下さる方々は数多いことに気付かされる。そこで「三方」を「十方」に置きかえて、「十方よし」の精神という表現とした。
最近のデフレ傾向の激しさはこの「十方よし」の精神とは程遠いものである。買い手の意向だけにとらわれて、価格競争に巻き込まれ、本来の売り手や世間の思惑を完全に無視してしまっている。しかも「買い手」に迎合しているのは、価格面だけが強調されている。本当にその商品、その価格が「買い手」のためになっているのかの検証が忘れられている。2枚、3枚まとめ買いを強要する商法は「物不足」の時代なら許されるが、現在のような「物余り」「資源不足」「環境重視」の時代では、許すことができない。邪道と言ったほうがよい。現代のあるべき売り手の姿は、価格破壊の方向ではなく、真に必要なもの、よい品質のものを、買い手の要求に合わせて適正価格で提供することが求められる。それが正しい商人道である。
デフレ経済の先は、破滅しか残されない。デフレスパイラルに陥らないためにも、近江商人の「三方よし」、私の主義である「十方よし」を今こそ声を大にして主張したい。消費者に迎合するだけでは、真の商人にはなれない。低価格から生まれる付加価値は小さい。その為量販に走ってしまう。それが資源の無駄づかいになっていく。その道は地獄への道である。その道は通ってはならない悪の道である。日本を代表する大企業の経営者が地獄道、悪の道をひた走っているのは見るに忍びない。あえて苦言を呈したい。
これからの日本で必要なものは、買い手の1人1人にとって大切な商品である。良いもの恩师を少量ずつ提供し、それによってみんなが満足できる付加価値を生み出す商品である。それは何かを真剣に考え、実行していくのが「三方よし、十方よし」の精神である。

神戸の洋菓子 

平成21年11月17日
神戸の洋菓子 

失敗もいろいろやっている。それも並の失敗ではない。大失敗といっても過言ではない。どんどん増やしていった「エーデルワイス」のフランチャイズは、20年経過した1989年に150店舗、年商50億円になっていた。このフランチャイズを全店舗閉鎖する決断をし、2002年までに完了したのである。その理由はコンビニでの安価な洋菓子の出現である。近い将来この巨大資本と競合することを想定し、「勝ち目はない」と決断した比屋根会長の慧眼に敬服する。そして専門店の使命である「よそにないもの」「魅力あふれるもの」を追求することにし、ベルギー王室御用達のチョコレート店、「ヴィタメール」との業務提携を実行、菓子業界を驚かせたという。「ヴィタメール」は商品の質を維持するために本店だけの小さな大企業であり、多店舗展開をはかっている「エーデルワイス」との提携は信じられないものであった。
もう一つの要因は1978年にスタートした高級洋菓子「アンテノール」の成功である。これは百貨店に洋菓子だけの専門店を出店していったのである。「見せる洋菓子ファクトリー」の導入である。「ヴィタメール」との提携という、高品質維持の裏付けと、「スティタス」獲得があり。この「アンテノール」は急成長していった。働いている菓子職人たちも、上昇指向で技術を磨いていった。「アンテノール」を1店舗増やすと同時に「エーデルワイス」を20店舗閉店させる荒療治を続けていったのである。並の決断ではない。ほぼ10年をかけて、全加盟店に補償をし、売上を維持しながらフランチャイズを全廃したのである。
そして現在、百貨店を中心にオープンしていった「アンテノール」、ベルギー洋菓子店「ヴィタメール」、フランスパン専門店「ルビアン」など79店のネットワークを持つ「エーデルワイス」は年商165億円となった。「神戸スイーツ」を神戸観光の目玉の一つとする程、地元密着でありながら、東京横浜を抜く程の菓子業界に育てた比屋根毅会長の努力に深甚な敬意をはらいたい。
今年3月に日本で開催された「世界パティスリー2009」で、日本チームが優勝した。この快挙のうらに、比屋根会長の洋菓子職人育成の信念と菓子文化を高めるという強い目的意識があることを忘れてはならない。
私と比屋根会長は同年で、私がスイスの避暑地ルツェルンでヨーロッパミタニという現地法人を作った頃、彼は社名をスイス菓子エーデルワイスに変更し、シュプリングリ社へ技術者を派遣・研修していった。同じ頃スイスを中心に、ヨーロッパでビジネスをしたのでとても他人とは思えない。健闘を祈りたい。
 

神戸の洋菓子 

平成21年11月16日
神戸の洋菓子 

日本へ洋菓子が入ってきたのはいつの頃であろうか。長崎カステーラやコンペイトウなどは古い。江戸末期から明治にかけて横浜、神戸などの港町で洋菓子産業が育っていったのである。
神戸へ入った文化は、当時の商都大阪へ、そして千年の都京都へ移っていった。横浜へ入った文化は同じように江戸即ち東京へと移っていった。
しかし洋菓子産業は、神戸や横浜にも残った。現在でもその名残りがあり、東京都の洋菓子協会と神奈川県洋菓子協会、兵庫県洋菓子協会のメンバー数に大差はない。特に神戸は、東京や横浜と比較すると小さな都市であるが、その神戸の洋菓子が日本一いや世界一に何度もなっているというので調べてみた。そしてカリスマ経営者、エーデルワイス会長比屋根毅氏を知った。
比屋根会長は沖縄県石垣島の出身で、15歳で上京、電気通信技術士を目指したとのこと。学資を稼ぐ為に、菓子店にアルバイトで入ったことが、今日の洋菓子業につながっていった。当時から洋菓子業界には技術コンテストがあり、会長は手先が器用であったので、そのコンテストに代表で出て、次々と優勝をさらっていったという。優勝をする為には、人に言えない努力が必要である。3食とも洋菓子を食べながら、腕のいい、技術力の秀でた先輩から、そのテクニックを学ばせてもらったとのこと。「工芸菓子」を創作するのである。そして遂に、28歳の時、かの有名な「大阪城天守閣」を全国菓子大博覧会に出品し、見事に「洋風工芸文化大賞」を受賞した。私はこの作品の実物を見たけれど、これが菓子だとはともて思えない程の巨大なものであった。
この「賞状」を担保に、銀行の融資を受け、29歳で「エーデルワイス」1号店をオープンした。しかし当然のことながら、オープンはしたけれど、お客は来ない。いろいろ考えてみたが、作った洋菓子を、あちこちへ無料で配り出した。翌日に「昨日もらった菓子を売ってくれ」とお客が来だした。客が客を呼ぶようになるまで、それ程かからなかったという。
研究心は人一倍旺盛で、シュークリームの中に生クリームを入れることを日本ではじめてやった。「工芸菓子」に生クリームを使った作品を出品した。「コンテスト」が比屋根会長の「負けじ魂」を育てた面も大きい。そして「エーデルワイス」へ弟子入を希望する人が増え続け、2店舗、3店舗と近くに小さな店を次々とオープンしていったのである。主力商品は「生クリーム入りのシュークリーム」である。
成功の秘密はどこにあったのだろうか。私は会長の「研究熱心」と「負けじ魂」を上げたい。そして「決断の早さ」と「粘り強さ」である。菓子業界に「コンテスト」という技術を磨き、創意工夫を競いあう伝統があったことも成功の大きな要因である。

夢通信

平成21年7月30日
夢通信

会社を設立したのは59歳の時、あれから13年が経過した。季刊の社内報兼お客様とのコミュニケーション紙を創ってから7年(H14・3・1)がたった。最近では活字離れがすすみ、新聞、雑誌の経営が難しくなったという。毎月いろんな会社からいろんな印刷物が送られてくる。その中から時に珠玉の小冊子を見付けることがある。
大学を出て三谷商事へ入社してすぐ「三谷グラフ」という写真を多用する意気ごみの社内報を創刊し、その編集委員となった。当時の三谷商事は100名余りの中小企業であったが、石炭、セメント等のメーカー地域販売店としての支店を各地に持っていた。福井本社と敦賀、長浜、大津、京都、大阪、和歌山、岐阜、名古屋、東京の10拠点であった。文字通りのタコの足型経営で、社内の意識統一が課題であった。そこで三谷グラフが登場したのである。
その頃の三谷商事を思い、同じように全国展開をはかっていた私達の会社もJSBニュースの発刊に踏み切ったのである。そこで特に力を入れたのは全国行脚の講演会である。講演会、講習会を各地で開き、JSBニュースを配付したり、当社のカタログ等を配付することでファンを作り、広げていった。
不動産それも遊休不動産の有効活用をすすめる旅、そして夢を売るための全国への旅であった。「喜びの種、幸せの種を蒔こう」や近江商人道の三方よしの考え方を更に広く解釈した「十方よし」の経営についての思想的な裏付けも徐々に固まってきた。『夢への挑戦者たち』『夢への挑戦』『夢への始動』の夢の三部作も皆さんの協力により出版の運びとなった。そして私も著者の一人となった『実践コインパーキング事業』を出版した。
私達がコインパーキング事業に進出した13年前は、まだ事業としては揺籃期であった。それが今や数千億円の市場に育ってきたのは誠に夢のように思われる。思えば多くの人達に支えられ励まされた13年である。今一度原点にかえって、JSBニュースを見直してみると、まだまだ私達の目指している思想や行為の描写が不足しているように思う。もっともっと私達の目指している「夢」について多くを語る必要がある。また同じ考えを持つ人々の協力を得て、より鮮明な方向性を打ち出していってほしいと思う。「夢」を語る人は若いといわれているが、夢を語りあえる味方をどんどん増やしていくことで世の中を変えられると私は信じている。夢を満載した「夢通信」への変身を期している。

満室経営


平成21年7月6日
満室経営

全国賃貸住宅経営協会という名のアパートやマンションのオーナー会がある。社団法人で国土交通省の指導を受けている全国組織である。毎年1〜2回講演会等を開き、優良な住宅の提供や業界の地位向上、相互の情報交換などの事業を行っている。このオーナー会の永遠のテーマが「満室経営」である。
ビルにしてもマンションにしても、新築の賃貸住宅にしても、新しいうちは、稼働率は高い。ところが経年と共に少しずつ下ってくる。そして景気にもかなり敏感に影響を受ける。コインパーキングと同様に、稼働率の如何が、経営に大きなインパクトを与える。満室経営を貫くことが唯一、最大と言ってもよい程の大きな要素である。ところが、実際には、この簡単な「満室経営」を実行、実現することが、なかなかに難しいのである。
満室経営を貫いているオーナーに会ってみると、共通した特徴がある。それは先ず自分の物件を常によく見ていることである。私はそこに「愛情」を感じる。自分の物件に愛情を注いでいるのである。管理会社に任せきりにせず、常に見てまわり、次々と対策を考え、そして手を打っていっている。
経年と共に、品質は劣化する。設備は時代遅れになる。それを防ぐために手を討ち続けているのが名オーナー達である。同じ地域で、同じようなアパートを経営していながら、経営の良し悪しで結果に大きな差が出ていることが多い。この原因は、物件に対する「愛情」と「執着心」、そして時代の流れを直ちに取り入れる「経営センス」と「機敏さ」にあると思う。
満室経営を貫いているオーナーの家賃は決して高くない。しかし安くもない。次々と発生する諸問題や諸クレームに、直ちに、誠心誠意対処しているから、入居者や管理業者の評価が上るのである。この成功、不成功の差は、「勿体ない」という考えをオーナーが持っているかどうかで大きな差になっていく。また「十方よし」の精神を持っているかどうかにもよる。自分の利益を考える前に、まず相手の利益を先に考えてあげることによって、満室経営が出来るのである。

兵は拙速を尊ぶ

平成21年6月25日
兵は拙速を尊ぶ

桶狭間の奇襲の古事は、有名であるが、中小企業が大企業の中にあって、生き残っていく為の一つの知恵にこの「兵は拙速を尊ぶ」がある。大企業が中小企業に唯一つ及ばないのが、この「スピード」なのである。
「スピード」は中小企業にとって最大の武器である。逆に大企業にとって最大のウィークポイントである。ところが中小企業である私達が、この「スピード」を忘れてしまうと、これは明らかに敗退を意味する。唯一最大の武器である「スピード」に、磨きをかけておく必要があるのである。
私達の会社では、社是の中にこの「スピード」を取り入れている。「より良い商品を、より早く、より安く提供します」というフレーズがある。そして私達の目指しているユニーク経営の根幹が、「スピード経営」にあると明言している。しかし、創業以来13年を経過し、この「スピード経営」のスピードが遅くなってきていることに私は不安を感じ出している。唯一最大の武器である「スピード」が遅くなれば、企業の将来に暗雲がのしかかってくる。エンジンを全開にして「スピード」を上げ、急加速することが必要である。
不況の時は、人間は当然慎重になる。投資は手控える。コスト削減に懸命の努力をする。すべての人間が同じ方向に走り出すと、社会全体の動きがスローになる。不況は広がっていくのである。
好況の時は、人間は当然積極的になる。投資がすすみ、人員が採用され、コストも積み上っていく。拡大する経済はインフレ傾向になり、社会全体が好況感を満喫し、経営のスピードは増していく。
今は不況のドン底である。私は既に底を打ったという実感を持っている。不況の底をすぎ、上昇段階にあるという認識を持てば、やるべき事が明確になる。株価は景気の先行指標といわれているが、世界の株価が反転のきざしを見せている。
環境、資源、エネルギーの分野での、APEC(アジア太平洋経済協力会議)のエネルギー担当相の国際会議が、来年夏に福井市で開催されることになった。福井県は世界一の原子力発電の立地県である。そして原子力エネルギー研究開発の拠点である必要がある。環境に優しい次世代エネルギーの原子力を、更に効率よく、更に維持して利用し、安全性を高める研究が望まれている。また他分野への原子力エネルギーの活用の道をさぐることも重要である。国際会議開発まで、後1年しか残っていないが、この対応もスピードを以って対処していくことが肝要である。

赤字は罪悪

平成21年6月22日
赤字は罪悪

サラリーマン時代を含めると、営業の第一線に立っていたのは、約50年間である。その間、常に自分に戒めてきたのが「赤字は罪悪」ということである。個人の営業成績は勿論、チームの場合も、会社全体の場合も、「赤字」に対する強い拒否反応を持ってきた。
今回の世界同時不況、百年に一度という大不況の中で、赤字に対する罪悪感が希薄になっているようだ。これは何としても避けなければならない。一刻の猶予も出来ないことである。
「赤字」を出す、「赤字」が出るということは、事業や企業が存在する必要性を失うことなのである。私達は付加価値を追求して生きている。この作り出すべき付加価値が、コストに達しない時に、赤字が発生する。コストを切り下げるか、付加価値を上げるかである。経営とは足し算と引き算であるといわれるのが、この単純な計算根拠に基づいた考え方なのである。
「赤字」が数十年続いたサントリーのビール事業については。賛否両論というより、オーナー経営のゆえの事態であり、経営理論からいえば、信じられないことになる。
「健全なる赤字」という言葉もある。研究開発や次世代の為の投資を常に続けていくことの必要性を説いたものである。サントリーの場合はこれに当てはめることも可能である。トータルで赤字部門の赤字を吸収し、常に黒字決算を続けていける場合に、この「健全なる赤字」の可能性がある。
私達の会社は約2,700ヶ所をこえるコインパーキングの管理を行っている。その他数十棟のビルマンションの管理も併せて行っている。個々の採算の積み重ねが、全体の採算に直結することを忘れてはならない。平穏無事な時代ではない。常に時代の変化を注目し、即時に対応しなければならない危機の時である。その時の指標、唯一無二の指標が「赤字」である。赤字を注目しない経営は必ず破綻することを忘れてはならない。「赤字は罪悪」であることを強調しておきたい。

感動について

平成21年3月26日
感動について

人生は感動の連続である。人は喜怒哀楽の毎日の生活の中から幸せを捜し続けて歩いているのである。その道程において「感動」のもたらす力が、生きる原動力である。人は「感動」することで次への意欲がわき、夢がふくらみ、また新たな第一歩を踏み出す勇気が沸いてくる。
若い頃は何にでも感動した。「若い女性は箸がころげても笑う」といわれる。赤ん坊は這いながら一歩一歩泣いたり、笑ったりする。若い頃の表情はよくかわる。感情が顔にすぐ出る。ところが年をとると顔の表情があまり変化しなくなる。喜んでいても、うれしそうな顔にならないのである。
「感動する」という力も弱くなるようだ。多少のことではなかなか心が動かない。年をとるのは、感動する力、即ち生命力が衰えてくることである。
私は好奇心が旺盛である。何にでも興味を持つ。素人ではあるが、「素人のアイデア」が世界を変える力を持っていると信じている。それだけにプロに対しては、常に質問を欠かさない。質問することでまた新たな疑問が沸いてきて、更に次の質問が出てくる。子供の頃「なぜ、なぜ」「どうして、どうして」と父母や祖父母に質問したのを思い出す。若い感性を持ち続けていると、ものごとに対する興味を失わない。更にその感性を磨くことが出来る。
感動しなくなると人間は生きた化石になる。そばに居ても「生体反応」を感じさせない物体になってしまう。年をとるとそのような境遇に落ち込まないよう、お互いに努力をしなければならない。その為に小さな事柄にも心から喜びを感じ、小さな親切にも大きく喜び、感謝の言葉や便りを出す習慣を持つことをすすめたい。「感動の輪」を広げるのである。「輪」は広げると「和」になる。
経営の根幹に「感動経営」という名で基本精神とされる方が多い。社員とも、お客様とも「感動」を共にする企業を目指しているという。私達も、そんな企業の一つに、早くなりたいと思っている。

スペースシェアリング

平成21年3月12日
スペースシェアリング

日本の文化の特長はスペースシェアリングである。住居について考えてみると、かつては結婚式もお葬式も自宅で開くのを常とした。その同じ座敷で夜は眠り、朝になると床を上げて、神棚に礼拝し、隣の仏壇に経をあげた。朝食を準備し、食べ終わると座卓を片付けて元の座敷に戻る。時にはご近所の人々の集会場になったり、子供の誕生パーティの場になったり、使い方は自由自在であった。
コインパーキング事業はこのスペースシェアリングの考え方を採用したのである。駐車場は通常特定の個人や法人の為の専用であった。一番数が多かったのが「月極駐車場」という名の、各月ごとの契約による駐車場である。その「月極め駐車場」の「月極め」という契約を「時間貸・日貸・週貸・月貸し」という長短自由自在の契約に変えたのがコインパーキングである。このシステムの変更により、僅かの追加投資で売上は大きく伸長した。同時に利用者の方々から「便利になってよかった」という声が上り、近隣の商店街の方々からも感謝の言葉をいただいた。このシステムの変更は、タイムシェアリングとスペースシェアリングを同時に行った方式である。冒頭にあげた日本家屋の部屋の使い方によく似た方式である。
これからの日本は「まちづくり」や「都市再生」について、このタイムシェアリングとスペースシェアリングの方式を取り入れていく必要がある。例えば地方都市の中心部の空洞化が著しい。この利用方法は、空店舗を借上げて、他の人々に貸すこと。小学校の生徒が極端に減少したので、教室を他へ転用すること。大きい店舗やビルを小間に仕切り、他の用途に転用すること。一つのスペースを何人かが時間別に利用することなどが考えられる。
カーシェアリングは「レンタカー事業」が世界的に普及しているが、更に数人、数家族で1台の車を共有し、共同利用する方法が一般化しつつある。即ち「所有」と「利用」を分離する動きが、現代では顕著化してきたのである。それが車から、駐車場へそして住まいから店舗へビルへと広がってきた。更にこの動きを「まち全体」へ拡大していく必要がある。
すでにヨーロッパの都市では、何世紀も前から古い鉄道の駅舎を美術館にしたり、発電所を美術館にしたり、用途変更が盛んに行われている。スクラップアンドビルドでなく、一度作った建物やまちを残しながら、それを生かす道を考えたのである。要介護の人達が集まって生活する「グループホーム」や、ホテルと賃貸マンションの中間に位置する「ウィークリーマンションやマンスリーマンション」もその一例である。
「柔軟な発想」と同時に「所有権と利用権の分離」を前提に、新しい「都市再生=コンパクトシティ誕生」を実現していく知恵と勇気を持つ必要がある。21世紀の日本の地方都市再生のキーワード、それがスペースシェアリング(タイムシェアリングを含んだもの)である。

足し算と引き算

平成21年1月27日
足し算と引き算

企業経営は足し算と引き算である。掛け算や割り算を導入すると間違うことが多い。しかし多くの経営者がこの過ちを犯してしまう。
今回の世界的な金融不安の元は、「金融工学」という数学の常識を無視した理論を作り上げ、この悪用によってもたらされたものである。
日本人は思想的には「引き算」が得意な民族である。難解な哲学や思想を簡略化してしまう異能を持った数少ない民族である。片仮名や平仮名の由来を考えてもよくわかる。また俳句などは17字の中に宇宙を表わすという世界唯一の文学である。禅問答に「只管打座」がある。道元の正法眼蔵の真髄である。この至言を何百年も一途に守り通すことは日本人の精神構造の中でしか考えられない。日本人が思考や生活の中で常に引き算を重視しているから続くのである。
「還暦を迎えたから」とか「満70歳を迎えたから」とか言って、生活を縮小したり、仕事を整理したりする友人が多い。精神的にも肉体的にも若い頃と同じようなことは無理である。それは当然それなりの対応をせざるを得ない。しかし年齢を重ねたからこそ出来ることがあるのを忘れては困る。それを見つけ、そしてその為に残りの人生を有意義に過すことが肝要である。引き算ばかりでは駄目だ。足し算も時には必要だ。場合によっては、足し算こそが熟年になって出来る「社会貢献」なのかもしれない。
偉人伝を毎日読んでいると、偉人といわれる人々の「最後の十年」は、引き算に終っていることは皆無である。何かをこの世に残した人々は、最後の十年もコツコツと足し算を繰り返し、この世に恩返しをしていっている。
今年の経営者の頭にあるのは「コスト削減」ばかりのようである。引き算を必死に考えている。果たしてその考えは正しいのであろうか。信用収縮はそれで解消するのであろうか。私は反対の意見を持っている。この困難な時こそ、お互いが信じ合い、明るい日本を作り上げる絶好のチャンスなのである。何をどのように「足し算」することが出来るのか、智恵を絞ろう。そこにこそ私達の未来がある。

CHA

平成21年1月22日
CHA

創業は12年半前である。59歳からの出発であった。その時社是を考え、会社経営の根幹にすえた。「喜びの種、幸せの種を蒔こう」という一言を冒頭に掲げた「社是」を作った。そして豊田章一郎氏がトヨタ自動車(工販合併時)の社長就任時に掲げられたスローガン「三つのC」(クリエーション(creation)、チャレンジ(chaenllge)、カリージ(courage)」の中から「勇気を持って可能性に挑戦する」というスローガンを作った。更に当時の日本電気の関本社長の「変化する時こそチャンスである」との言葉を玩味し、「変化する時こそ絶好のチャンス、その時に挑戦する」というスローガンを作った。
この変化CHANGE、チャンスCHANCE、挑戦CHALLENGEの三つの言葉の頭に「CHA」がつく。そこで「CHA」を私達の心に刻む意味で、いろんな所で使っている。
福井市の新しい副都心、開発(かいほつ)で「タワーグランデCHA」という分譲マンションを作っている。この「CHA」の意味するところは前記の通りである。そして何にどう挑戦するのか、挑戦して何を作るのかを述べたい。それは古いものを壊して新しいものを作る、即ち「創造」を成し遂げる仕事である。豊田章一郎氏のいわれたCreation、創造こそ私達が全力で挑戦していることである。それを4つ目の「C」と呼びたい。破壊(Clash)し、創造する(Create)という大きな仕事に挑戦しているのである。
旧来のマンションと同じものでは創造とはいえない。そこで次々と新しいアイデアを採用している。それは免震装置、すべてにペアガラスT2級、タンクレストイレ、床暖房、内廊下内階段、17人乗緊急エレベーター、ハイサッシュ2.3m高、眺望・陽あたり・風通し抜群のトライアングル型設計、デザイナーズマンション、池と滝・緑と花園癒し空間、十分なトランクルーム・駐車場などのハード面は勿論、ソフト面でも他のマンションと峻別するサービスを準備した。創造の名に恥じないものと思う。それはミールサービスや見守りサービス、健康相談などのコンシェルジュ対応である。24時間365日のきめ細かなサービスを提供する。また自転車の無料提供、自動車の有料提供などのカーシェアリング、コミュニティルームの共同利用(各種イベント、各種教室、健康づくり等)を準備している。ホテルのコンシェルジュは日本では十分利用されていないが、タワーグランデCHAのコンシェルジュは私達が心血を注いで作りつつある新しいサービスとなる。「21世紀型サービス」と自負している。住む人が安心して、明るく楽しく幸せに暮せる喜びに満ち溢れた安全な住まい、そんな理想の住まいを作り上げたいと考えている。

十方よし経営

平成21年1月7日
十方よし経営

近江商人の商道に、「三方よし」がある。売り手よし、買い手よし、世間よしと三方にいる人すべてが喜ぶ商売をせよとの教えである。私は幼少の頃より祖父母や両親、そして親戚、その他周りの人々からこの「三方よし」を具体的に、その都度、その都度、徹底的に教えこまれた。大学を出て商社へ入ってもこの幼少の頃から教えられたことは私の血肉となって流れ続けている。
13年前に会社を設立した時も、社是にこの精神を標榜することに躊躇はなかった。ただしステークホルダーを三者とするよりは、あらゆる周囲の方々という意味で、「三方」を「十方」に置きかえて「十方よし」の経営を目指すとした。仏教の「十方世界」の「十方」は「じっぽう」と発音する。だから「じっぽうよし」の経営である。
もう少しわかり易くいうと、十方よしの経営は、「敵をつくらず、味方をふやす」経営なのである。商品の売り手と買い手、サービスの出し手と受け手、お金の貸し手と借り手、すべて利害は逆転することになる。これでは「三方よし」も「十方よし」も出てこない。しかし工夫すればこれが出来るから不思議である。
それを可能にするのは「譲歩」の前の徹底討論である。本当に相手のことを考え、相手に喜びや幸せを提供するという考え方があれば、難しいことは何一つない。相手のことを優先すると利益がなくなるという人がいるが、実際やってみるとそんな事はない。利益は多少減っても、その次の受注につながっていく。トータルでは逆に大きく利益をいただくことになる。この大不況下における「十方よし経営」を目指して明るく元気に努力していきたい。

どこまで下がる原油市場

成20年12月22日
どこまで下がる原油市場

OPECが来年1月より日産220万バレルの減産を発表した。これは過去最大の減産である。そして今回の一連の減産高は440万バレルとなった。総量の約4%に匹敵する。しかしこの発表にもかかわらずWTI先物相場は一時33ドル台まで下がり、現在35ドルとなっている。ピーク時の147ドルから約4分の1まで下がったことになる。直接の原因は、消費の低迷による原油在庫の増加である。僅か5ヶ月前の7月につけたピークの147ドルが、あまりに高すぎたそのとがめが来ているといえよう。
世界的な新車、中古車販売の不調が、一時に表面に出てきたことで、10月、11月の車の業界はパニックを起こしている。過去に経験したことのない落込みなのである。車の販売が落ちただけでなく、先行き不安を感じ、人々は車の使用を減らすことを実行しだしている。それがまた急激な原油消費の減少につながっているのだ。
先行きを予測するのは難しいが、毎週発表されるガソリンの店頭販売価格を見ていると、確実に、後追いながら、ガソリン価格も原油価格同様に下がり続けている。リッター当り100円を割るのは時間の問題である。100円割れになると、気分的に楽になり、ガソリン消費は徐々に回復に向うものと思われる。
私達のコインパーキング業界も、車関連事業に位置するので、現下はその影響下にあるが、回復段階に入れば、最初に恩恵を受けることが出来る位置にある。その時期は来春と考えている。それまでは辛抱、辛抱の日々であるが、雇用確保だけは、全力でこれを守り通していきたいと堅く心に誓っている。何故なら「働く職場の確保」こそ、私達にとって企業価値の源泉である。経営目標の重要な指標なのである。

百年に一度の大変

平成20年12月4日
百年に一度の大変


1927年2月のニューヨーク証券取引所で始まった世界恐慌といわれる地球規模の経済危機から既に81年が経過した。今回のサブプライムローンに発する危機は、リーマンブラザーズ倒産を契機として、81年前とは比較にならない程のスピードと広がりで、地球を覆っている。私達は既に81年前にも、敗戦時にも、バブル崩壊時にも体験済みの「大変」である。3回の「大変」を私達日本人は知識としてだけでなく、身近かな体験として記憶に残している。
この「大変」をピンチと取るか、チャンスと取るか、これが両極端の結果を生むのは、間違いない。同じ「大変」を経験せざるを得ないのであれば、これを絶好のチャンスと把え、勇気を出して可能性に挑戦しようではないか。
それには「心の持ちよう」を変えるのである。例えばガソリンの価格が今年の7月日本で200円/ℓに上昇した。この時世界でも同じことがおきていた。「もう車に乗れない」と考えた人が多かった。そして車を売る人、車に乗らない人、車を買わない人が全世界に広がり、ガソリン価格は一気に暴落している。車の販売も世界中で激減している。
これをピンチと見る人、チャンスと見る人に分かれる。慌てふためいて失敗する人、悲観して落ち込む人、撤退する人、廃業する人、縮小する人、いろいろある。また逆にこの機会に大きく成長する機会をうかがう人、拡張する人、深耕する人も数は少ないが存在する。この両者の差のよってくるところは「心の持ちよう」の差である。
私の拙い経験によれば「所有の心」を捨てることによって、非常に心が軽くなる。考え方が変る。物事を見る目が変る。「所有の心」は、本来ないはずの「私のものだ」という観念が間違っているのに気付いた時に消えていく。「私のもの」は地上に何一つないのである。それが財産があるとか、立派な家、屋敷があるとか、執着心が強すぎると、物事を見通す目が曇ってしまう。財産や家財などは「大変」の前には無力である。無価値である。
この百年に一度の「大変」を乗り切り、新しい社会を切り拓いていくために「心の持ちよう」に留意し、「我執」や「欲心」を捨てて、私達の原点である「喜びの種、幸せの種を蒔こう」を合言葉に「十方よし」を実行していきたい。

不景気と近江商人


平成20年11月26日
不景気と近江商人

約80年前の世界恐慌の再来かといわれる程、急激な景気ダウンが起きている。世界が不安に慄いている。世の中が不景気になると、不思議に「近江商人」について知りたい、研究したいという人が出てくる。これは徒手空拳で、天秤棒に商品を担いで、困難な時代に、全国を行商して歩いた近江商人の知恵と根性を学びたいということであろう。
北は北海道から、南は沖縄まで近江商人の足跡全国各地には残っている。行商人からその土地に止って定住し、信用を積み、大を
なしていった近江商人に学ぶべきことは多い。 しかし不景気の時に、特に学ぶべき点はどこであろうか。それを検証してみると、この世界恐慌といわれる百年に一度の大不況に対処する方法が見つかるかも知れない。
まず信仰の強さを上げねばならない。先祖崇拝が強い。「ご先祖様」という言葉は、家系の継続と強い家意識を感じさせる。そして「陰徳」といわれる信用の創造である。現代のCSR活動を数百年前から重要視している。これが信用につながっていく。商いや家系の永遠の存在は自分の努力だけでは不可能であり、他人様の支援、支持がどうしても必要である。その為に常日頃から陰徳を積めと教えているのである。
二つ目は「しまつときばる」である。浪費や奢侈を諫め、入るを量って出ずるを制せよといっている。そして「きばる」を求めている。気張るとは、気を張る、努力する、頑張ると同時に、薄利多売、商いの回転率を上げよといっている。「おきばりやす」は毎日の挨拶ことばである。
三つ目の組織と雇用形態は、「家族主義」と「多店舗展開」と今考えても斬新である。また、全国物産まわしも忘れてはならない。ニーズのある所へ諸物産をどんどんネットワークでまわしていくのである。現代の商社活動の原型である。
「資本」の概念が確立しており、他人資本の活用が早くから行われていた。元手(資本)の充実のため、身内、知人、仲間、社寺の講金よりの借入や出資を求めている。乗合商合や組合商合などの例が数多くみられる。自分だけの利益を求めず、利を分け合う姿勢を教えてくれる。これは一見損をしたように見えるが、よく考えてみると小さな自己資本を元手に梃子の応用で巨利を上げることになっている。低金利での資金調達と回転率の高さがそれを可能にしている。複式簿記の存在も必要に迫られてのことではあるが、コンプライアンスの重視がすでに江戸時代から行われていたことに驚きを禁じえない。不景気の今こそ、これ等の先人の知恵を学びたいものである。

楽しい仕事

平成20年2月14日
楽しい仕事

 楽しい仕事をしたいと思う人は多い。楽しく仕事をしたいと思う人はもっと多い。しかし「楽しい仕事」なんてあるのだろうか。「楽しそうに見える仕事」はある。「楽しい仕事」は決して存在しない。

 新入社員の頃、自分の上司の仕事は「楽しそうに見えた」。そして5年半後、自分がその上司とよく似た任務についた。「楽しそうに見えた仕事は、自分でやってみると、生半可なことは出来ない。やってみて初めてわかる現実である。

 その時、会社を代表する社長は「楽しそうに見えた」。社長になればもう恐いものなしだ。思い通りに「楽しい仕事」が出来る。しかし社長への階段を昇っていくにつれ、社長のお仕事の大変さに気付く。社長になると大口のお客様や金融機関に頭が上らない。予想を遥かに超えて、社長の仕事は「楽しい仕事」ではない。

 反面、どんな仕事でも、どんなに辛く、厳しい仕事でも、「楽しく仕事をする」ことは出来る。心のスイッチを切りかえるのだ。暗から明に、心のスイッチを自分で切りかえるのだ。やれば出来る。今すぐ出来る。こんな簡単なことに気付かない人が、なぜ多いのだろうか。

 私の小学生の頃、中学へ進級するのは選ばれた者だけであった。それが六三三制という新教育制度が導入され、全員が無条件で中学へ強制的に入学した。家庭の事情で家業を手伝う為に、中学へ来ない人がいた。先生に頼まれて、その家へ再三一緒に行こうと誘いにいった。早朝から家族全員が、とても忙しそうに働いておられた。私は声をかけることが出来ず立ち尽くしていた。その家はお豆腐屋さんであった。

 中学を卒業する時、約半数の生徒が就職した。その時就職する友へ励ましの手紙を書いた。まだ15歳になるのかならない頃の手紙だ。そこにこう書いた。「人生は苦しみの連続だ。苦しい日々が続くことと思う。しかしくじけるな。気持ちを明るくもって努力していこう」。

 中学3年生の頃、私達は「仕事は楽しくない」ことを既に見抜いていた。しかもその辛く厳しい仕事を、気のもちようで、楽しいものに変えることが出来るのを本能的に知っていた。

 「楽しい仕事」なんてこの世にない。しかし、どんな仕事でも楽しく働くことは誰でも出来る。今すぐ出来る。同じ一生を送るのなら、楽しい人生を送りたい。その為に楽しく働く知恵を持ちたいものだ。

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4年連続過去最高の配当

平成20年1月10日
4年連続過去最高の配当

 08年3月末の配当は過去最高を記録することがほぼ確実のようである。上場企業の株価の下落によって、配当利回りは上昇しているが、特に今期末は前年比112%と利益の伸びを上回る配当総額(新興市場及金融を除く)になる。

 「配当」に対する注目度は徐々に高まってきており、今迄配当に関心の薄かった経営者も考え方を変えてきている。中間配当についても、有名無実に近かったものが、どんどん採用しだしてきた。配当性向への言及もふえてきている。

 M+A環境の変化が、配当への関心を高めている直接の原因であるが、株価への影響も大きくなってきた。特に、増配は安定株主となる可能性の大きい小口・零細株主を増すためにも、有効な手段である。株主優待制度への関心もその意味で徐々に高まりつつある。

 私の会社では、3年前の配当性向は7%であった。直後に1株を4株に無償分割をした。2年前は33%を配当。前期は41%の配当性向に引上げた。これもすべて毎期増収増益を続けているからこそ可能となっている。

 また株主優待制度も早くから採用しており、当社ベーカリープラザへ納入していただいている地元のパン屋さん特製の「ビュートパン」をクール宅急便で毎年2回、全株主に送らせていただいている。1株株主様の場合は、3%を大きく超える投資効率となっている。

 上場企業の場合、4期連続の最高の配当予想が出されているが、当社の場合も全く同じように進行中である。また、是非これを今後共継続していきたい。

 ただ今年の景気の動向は全く予断を許さない。十分に気持を引締めてコツコツ地道に努力していく年としたい。

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実行力

平成20年1月4日
実行力

 私の人生は失敗の連続だと公言している。これは自らを叱咤激励しているのだ。失敗を自慢しているのではない。失敗することを恐れてはならない。失敗を恥と思ってはならない。失敗することは逆に名誉なことである。失敗する人は勇者である。失敗を恐れて何もせずに朽ち果てていった先輩を数多く見てきた。

 何かをする為に私達は生まれてきた。そして生きている。生かされている。何をするか、どうするか、それは私達の自由である。しかし、自由度が大きすぎて何をやればよいのか、判らない人が多い。「何をするのか」その答えは常に私達の目の前にある。山のかなたにはない。目の前にある。その目の前の仕事に全力を注ぐこと。それが私達に課せられた仕事である。

 とらわれてはならない。目の前の仕事を為し遂げるためには八方に気を配り、十方の人々を幸せにする為に努力を続けることだ。古いやり方、古い考え方、成功体験は捨てた方がよい。守るべき古いこと、守るべき人の道を外してはならないが、常に前向き進むことを心がけよう。

 大切なことは実行力だ。ものごとを為す勇気。そしてその可能性に向けて、一歩を踏み出す実行力。これがすべてである。結果が吉と出ようと凶と出ようとそんな事はどうでもよい。信ずることを誠心誠意為し続けることに価値がある。

 そこで失敗するのは当然である。失敗は最初から予測できることである。その時軌道修正をしたり、方向転換したり、転進したりする。時には出発地点に戻ることもあろう。何も恥ではない。何もせずにまわりをびくびくしながら見ている人に較べれば、失敗した人を私は認めた。そしてそんな「失敗した人」にエールを送りたい。「一日一生まだやり直しが出来る。もう一度勇気を出して出発だ」。

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アフター60歳

平成19年12月25日
アフター60歳

 「アフターファイブ」という表現で、仕事を終えた後の楽しみ方を云々したことがあった。私は「アフター60歳」ということで「定年退職、停年退職の後の仕事のしかた、生き方」を考え続けてきた。

 私自身の体験を話すと、私は上場企業を40歳台で役員待遇ということで子会社へ出向し、4年後正式に本社の社外取締役となった。その1年後本社へ常務取締役として戻り、その後専務として勤務。57歳でまた別の子会社の社長として出た。そして59歳で退職。

 退職して考えたことは「自分の世話になった会社と競合する仕事はしない」「自分が育てた部下と競合することはしない」である。そして先輩の生き方や私の友人達の生き方を見ていて感じていたのは「アフター60歳」の生き方のその類似性であった。多くの例が殆んど同じである。多少の貯蓄と年金での「悠々自適」の生活であった。

 少し違った一群の方々がいた。それは長い間やってきた仕事に一生かかわっていくという生き方である。この生き方は私には出来ない。しないと堅く決心をしていたのだから。しかし参考にはなる。やってきたところから川上へ上るか、川下へ下るかである。

 例えば、太陽光発電所研究会を1994年に福井県下で初めて立ち上げた私は、その後そのビジネスが続いているかどうか調べてみた。なぜなら太陽光発電の魅力に一度とりつかれた人は、退職後も、何らかの形でこの仕事を続けている。風力発電も同様である。また水ビジネスも同じ魅力がある。これまた同じように水にとりつかれた人々は多い。教育者・師匠も同じように一生をその聖職に捧げている。

 私の「アフター60歳」はこれ等の数少ない方々とも違って、全くの未知の分野への船出であった。それを心配した家族が「一緒に行こう」といって乗りこんでくれた。一艘の小さな船での船出であった。

 今70歳で超えて私達が育ててきた「コインパーキング業界」もまた魅力的なビジネスである。この魅力にとりつかれた者はこの世界から離れられない。それだけ他にはない特別の魅力があるのである。これを一冊の本にまとめてもうすぐ発刊の運びとなった。その内容は「コインパーキングのすすめ」である。書名は『実践コインパーキング事業』である。

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百年の資産価値

平成19年12月20日
百年の資産価値

 福井で分譲マンションを作っている。施工業者に熊谷組を選んだ。故熊谷太三郎元参議院議員は元福井市長であった。市長在職中は給与を市へ寄付。熊谷組は福井市に本店を置き今でも納税地である。

 私も福井市で創業し、納税地は福井を動くつもりはない。熊谷組は土木業者(トンネルやダム・発電所や道路の建設)で知られている。しかし世界一の高さを誇るビルの建設でも世界有数であるのを知る人は少ない。いま世界一は台北市の熊谷組施工の台北101タワーである。

 私は百年の資産価値を追求する仕事をしたいと考えている。人生の殆んどを住宅の建設に費やすのが日本人である。最近では車にも大きなお金がかかってしまう。しかし折角建てた住宅や購入したマンションが、いつまで資産価値を持つのか。これが問題である。建物には耐用年数を定め減価償却制度がある。木造30年、コンクリート60年である。アメリカの住宅は100年、イギリスは140年である。アメリカやイギリスの中古住宅市場(約80%が中古住宅である)が大きいのはそれが第一要因である。長く保つので、リフォームに力が入り、大切に住み継いでいく。日本は30年で価値を失い、また新しく建てかえる。資源のムダ、地球環境に悪い、勿体ない話である。

 私は百年はおろか、二百年は大丈夫な分譲マンションを作っている。質実剛健、そしてセキュリティに十分配慮した。日本の税制が変り耐用年数を200年にすれば、日本人の住宅に対するイメージは、大きく変貌する。大きな資産形成がすすむことであろう。ひいては国富が増える。そして二酸化炭素の排出は、大きく節約できる。最近の構造計算ミスやハウスメーカーの大量生産を利する為の住宅政策でなく、国民の富を増やす為の政策の実現に努力していくことが必要である。

 私達のマンションは、デザイン賞、景観賞の獲得を目指しており、そして二百年の耐用に値する国の優遇制度に合致するものである。

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マンションに住む

平成19年12月6日
マンションに住む

 今、福井で分譲マンションを建設中である。建設業の資格はあるが、建設は大手ゼネコンと地元とのJVに任せた。私達はディベロッパーとして、このプロジェクトを主導している。約30億円という当社にとっては巨大プロジェクトである。完成予定の第14期の売上高は100億円を突破する。年商の30%に迫る大型プロジェクトなのだ。

 2005年度の国勢調査によれば、2000年度から2005年度の5年間に住み方が大きく変ってきている。一戸建てに住んでいる人は、2,735万世帯余り、5年間の伸び率は3%以下にとどまっている。マンションに住んでいる人1,901万世帯余り、5年間の伸び率は11%を上回っている。今後この傾向が進むと10年後にはマンション住いの世帯が全世帯の半分近くになる可能性すら感じさせる。

 福井は一戸当りの居住面積が広く、一戸建てが多い。その為マンションの建設、特に分譲マンションは、富山、石川両県と比較して少ない。このことは可能性の大きさにつながってくる。特徴のある分譲マンションを建てれば必ずニーズは生まれる。そこでどんな特徴のあるマンションが望まれるか考えた。第一は目減りのしない資産価値のあるもの。第二はユニークな外観と住み易さ。第三は安全、安心、安価なもの。そして何よりも立地が大事である。売れ筋のマンションを調査すると「設備」に対する志向が私の予想以上に強いのがわかった。

 そこで福井市の副都心となった市の東北の地を選び、75戸の免震マンションを建てることにしたのである。形は三つのウィングが延びた独特のもの、採光・通風・眺望に優れたものである。
高齢時代、お一人様時代を迎えてマンションのニーズは益々高まることと思われる。24時間365日完全セキュリティのマンションを作ることを目指している。省エネ、低コストは勿論のこと、ゆとりと癒しの、水と緑のマンションにしたい。

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コインパーキング勉強会

平成19年12月4日
コインパーキング勉強会

 会社設立以来毎年何回となく、「コインパーキング」事業の魅力や仕事の進め方について講演会を開いてきた。また私達のお客様にもその成功体験を多くの方々に知っていただく機会を作っていただいてきた。そのせいもあってコインパーキング事業に進出する方々も年々増加し、今やこのビジネスは景気に左右されない、二桁成長を続ける稀有の事業として認知されるようになってきた。

 今回は久しぶりにJR東京駅南口の国際フォーラムで勉強会を開催した。宝塚の出口地所の出口社長の助言をいただいてのことである。小さな会場であったが、30名定員のところ、当社社員や関係者も含め、60名を越す方々の参加をいただいた。

 今までの講師は私が中心になって行ってきたが、今回は社外講師の村山さんをはじめとして当社の3名の部長に委せた。勉強会の後、時間に余裕のある方々に残っていただき懇親会を開いた。みなさん興奮気味で、ぜひ共、この事業に進出したいとか、更に注力したいとか前向きのお話しをされているのが印象に残った。年1回といわず、年に2、3回やってほしいという要望もあり、来春もう一度中身を充実させてやることとした。

 日本システムバンクという企業をもっともっと知ってもらいたい。そしてお付き合いいただきたい。そんな夢の実現に向けて、更に努力を続けることを誓いあった。

 東京駅周辺での開催ということで、交通の便がよい。今後の開催場所も同じ場所がよいとのご意見が多かった。地方から参加の方々が多かったせいか、変貌が続く東京を見る機会になり、有難いとご感想を寄せていただいた。伸長著しいコインパーキング事業も、年々地方への拡散が広がり出している。これからが楽しみである。

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コインパーキング講習会

平成19年12月3日
コインパーキング講習会

 久しぶりに先週は東京駅に近い旧都庁跡の国際フォーラムでコインパーキングの講習会を開く。文字通りの「喜びの種、幸せの種を蒔く」ための講習会である。

 何故なら、コインパーキングはお金儲けの道具である。お金儲けの道具を売る仕事は、なかなか見つからない。私はこのことに気がついた。そして全国行脚をはじめた。今では直接、間接私の話に触発されてコインパーキング事業に進出さている方々が多い。その方々すべてが成功している。人はよい事を見つけると自分だけでやりたがる。おいしいものは他人に分け与えずに、自分だけで食べたがる。私はそうはしない。私は他の人に喜んで分けてさしあげる。おいしいものは一緒に食べる。その方がずっとおいしいからだ。

 コインパーキング事業も同じである。一緒に仕事をしているとお互いによい意味での競争意識が生まれる。有名選手の隣には必ずよいライバルがいるという。よいライバルに恵まれないと大成できないという。お互いに相手を意識し、努力を続けることによって大成する。陰の努力は必ず実る。

 まだやり方がよくわからない方々の為に、「コインパーキング魅力の十ヶ条」を作った。講習会ではこれを伝授させてもらっている。来年早々には、宝塚の出口和生オーナーと弁護士と一緒に書いた「コインパーキングのすすめ」という小冊子を発行する。出口和生さんは私達の初期のオーナーのお1人、恩人である。そして私達の会社の大株主のお1人でもある。国際フォーラムでの講習会にもおいで下さるとのことでお会いするのを楽しみにしている。

 人と人を結ぶ赤い糸「縁」に生かされている自分を日々感じている。感謝の毎日である。今回の講習会は30人限定で発表した。参加料はすべて無料。ボランティア活動に精を出す会社は珍しいといわれる。私達はこのやり方で十年余り、ボランティア精神一筋でやり通している。

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配当性向

平成19年10月30日
配当性向

 1株当りの配当を増やす企業が増えている、企業業績の好調が背景にある。更にファンドによるM+A対策のため、株価維持を狙っている。中間配当を出すところも増えてきた。すべてが個人株主の比率を上昇させる対策につながっている。

 私達の会社は創業以来11年が経過し、この7月より第12期に入った。第11期の決算は売上50億円前年比125%、利益3.4億円、前年比175%となった。配当は中間配当、期末配当とも、それぞれ1株当り8,000円、年間配当1.6万円となった。配当性向は40%である。

 外資系の日本の子会社の中には、異常に配当性向の高い会社がある。それを除くと、私達の配当性向40%は悪くはない。配当性向40%を維持しながら、期毎に業績を上げていくことが出来れば、いずれ私達も優良企業として認知される日を迎えることが可能となる。現在4期連続最高益を更新中である。連続増収は創業以来続けている。これは私達がコインパーキング事業に特化していることに大きく依存している。この十数年間「コインパーキング事業」は目覚しい発展を遂げている。まだまだ大きく飛躍する可能性が高い。

 「駐車場革命」と銘打って、効率の悪い月極駐車場を時間貸、無人式のコインパーキングに切り替える運動を進めている。私達が利益を上げるのではなく、地主様、駐車場経営者様、駐車場管理者様、そしてコインパーキングをご利用いただくお客様、周辺のお店の方々、すべての方々に心から喜んでいただくビジネスを展開している。最近では毎日数多くの方々からご相談をいただいている。今月もまた全国で100ヶ所程度のコインパーキングのオープンをさせていただいた。感謝、感謝の毎日である。

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出生率ナンバーワン

平成19年10月15日
出生率ナンバーワン

 福井県は出生率ナンバーワンという。全国で赤ん坊が生まれる確率が一番高いということである。
私の会社はその中でも際立って出生率が高い。パートさんを含めても250人余りの従業員の中で、産休中の人が何人もいる。産休明けの人が挨拶に来たり、産休中の人が生まれたばかりの赤ん坊の顔を見せにくる。

 女性を大切にする職場を作ろうとの初志を貫徹しているのである。日本では女性が長い間差別されてきた。アメリカも「人権の国」と言いながら、内実は未だに女性に対する差別が存在する。

 私の会社の最大の特徴は「差別ナシ」である。男女の差別は勿論、学歴、年齢、経歴、国籍等の差別は一切ない。本人の努力と実績次第で昇給、昇格等が決められる。

 女性は優秀な人がまだ数多く不遇の中にある。その人達に一緒に働く機会を持ってもらおうと考え、他の会社より結婚祝いを多くしたり、出産祝いを多目にさし上げている。社内結婚も多い。女性の役職者も多い。

 出生率ナンバーワンの理由をいろいろ考えてみたが、共働きが多いことと、三世代同居が多いことが原因であろうか。一世帯当りの所得や貯蓄が多いことも有力な原因である。そして何よりも、すばらしい自然環境の中、おいしい食べものを十分味わい乍ら、ストレスを発散しつつ仕事を楽しんでいるこの日常に理由がある。

 楽しい職場づくりと同時に人間らしい生活が送れる環境づくりが最も大切である。

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現地現場

平成19年10月12日
現地現場

 社長巡回や、役員巡回を始めてもう何年もの年月が過ぎた。今から27年前トヨタとお付き合いが始まった時、一番驚いたのが、毎年行われるトヨタの社長や役員によるディーラーまわりの実施であった。当時、約300余りもあった全国のディーラーを社長や副社長が先頭に立ってまわってこられるのである。緊張もするし、働き甲斐も感じた。そしてこの経営方針はぜひ学ばなければと深く心に期した。

 問題は常に現地、現場にある。これは工場内でも販売の第一線でも同じである。本社にいて指図していることが現地では全く違った動きになっていることは多い。現地では「本社は現地の事情が全くわかっていない」と考え、独自の動きをする。本社は「現地は命令をよく守らない」と不満を持つ。ところが現地へ行ってよく見てみると案外簡単に解決策が見つかることが多い。問題も解決策も常に現地現場にあるということだ。

 現場を知らない人間が大きな権限を持つと、そのグループは暴走をはじめることがある。空論空理になったり、独断専行にかたよりがちになるからだ。現場の意見を十分吸い上げ、現場を徹底的に検討して、行動するのがよい。出来れば本社機構と現地現場とをわたり歩く人事交流が望ましい。

 トヨタのTQCを27年前に体験して、それ以来、現地現場の大切さを身にしみて感じた。私達の会社も全国に17支店を数え、管理駐車場も2,000ヶ所を超えた。役員巡回の重要性を初心に帰って今一度強調したいところである。

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不動産の銀行を目指して

平成19年8月15日
不動産の銀行を目指して

 日本の銀行は江戸末期から明治初頭、渋沢栄一の「バンクスピリッツ」の思想より誕生したと言っても過言ではない。渋沢は徳川慶喜の下で、イギリスのバンクをお手本に、「国立第一銀行」の構想を練った。彼の「バンクスピリッツ」は現在の「銀行機能」と「商社機能」を兼ね備えたところからスタートした。

 現在の日本のすべての「銀行」は一般大衆をはじめ企業等から預金を集め、これを貸出すことを業としている。例えば日本最大の三菱UFJフィナンシャルグループの資金量は約165兆円であるが、自己資本は7兆7,000億円、資本金の僅か5%弱である。残りの95%は外部調達である。同様にみずほ87兆円と4兆3,000億円、三井住友75兆円と3兆6,000億円で、5%弱と同じである。即ちメガバンクグループといえども、自己資本での貸出しではなく、外部からの導入によって、貸出しの原資を捻出している。

 私は渋沢栄一の「バンクスピリッツ」にちなんで「日本システムバンク」を創立した。不動産、それも遊休不動産の有効活用を目指す「不動産のバンク」としたいと考えた。日本中の遊休不動産を預かり、それを有効に活用するお客様を捜して、不動産を提供する業務を実行するのである。自己資本は僅かであるが、可能性は無限大に広がっている。いつの日か預かり資産165兆円のメガバンクに並ぶ日が来ることを祈りつつ、今日もまた100円玉を積み上げるコインパーキング事業に精を出している。まず隗から始めよの精神を大切に、一歩を踏み出したのである。

 ちなみに三菱地所の総資産、自己資本、売上、利益を当社と比較してみると、400倍、1000倍、180倍、200倍と大差がついている。しかし、10年も経つといずれかの指標が近付く可能性なきにしてもあらずである。これは戦後倒産の危機に遭遇したトヨタの豊田喜一郎の夢見たその夢にも等しい。私達も零細ではあるが、希望を捨てず、日々努力を続けることが大切である。

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累積経営について

平成19年8月14日
累積経営について

 私は累積経営について再三述べてきた。しかし、本当に私のビジネスモデルを理解している人は少ないように思う。累積経営は究極のビジネスモデルである。そしてこれを主張した経済学者も、経営者も一人もいない。私は59歳で起業した。資本金は僅か1,000万円、37年間働いた虎ノ子の退職金をあてた。そして従業員は家族4人。時はバブル崩壊の失われた10年の1996年。最悪のスタートであった。

 なぜそれが成功したのか。その理由はたった一つ。私の「ビジネスモデル」である。「累積経営」である。稲盛和夫のアメーバー経営も、松下幸之助、出光佐三の経営哲学にもない「累積経営」を実践してきたからである。近江商人道の「三方よし」をより広め、より高め、「十方よし」の極みにまで昇華するところに「累積経営」の妙味がある。

 「累積経営」は後退を知らない経営手法である。哲学といってもよい。このビジネスモデルはあらゆる業界、あらゆる業種、あらゆる業態に転移することが可能である。

 私はこの経営手法を、無料で日本中の希望者に提供してきた。この11年間全国を行脚してこれを伝道してきた。多くの同志を得た。また私のビジネスモデルの模倣者も何人も出現した。私の予想通りである。ドンマイン、ドンマイン。全く気にしていない。喜びの種、幸せの種を蒔くことが私の目的である。これからもどしどし私のビジネスモデルの模倣者が出ることを期待している。大事なのは形よりも心である。心ある友には命がけで私のビジネスモデルを無料で伝授したいと思っている。

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青年重役会

平成19年8月8日
青年重役会

 昭和30年代、当時の大企業で、「青年重役会」という制度を採用して、積極性のある若い社員を幹部候補生として育てようという風潮があった。私も入社10年ほどの時、この制度が取り入れられ、最初の「青年重役会」のメンバーになった。その時選ばれた10人程の社員はその後すべてが幹部となっていった。

 私は創業して間もなく、この「青年重役会」の制度を、社内に作った。その理由は、自分の過去を振り返って、この制度が非常に優れていると感じていたからである。僅か50人程度の社員の中から「青年重役」を任命し、タスクフォースのようなテーマに取り組んでもらった。「青年重役会」ののメンバーから役員に昇格した社員は4名いる。現在の社員数300名余りの中で、役員は12名、その内非常勤重役6名、常勤重役6名のうちの4名である。

 この「青年重役会」が時代をこえて有効であることの証拠である。現在「青年重役」はいないが、若手社員の中から選抜して、また新しいスタイルの「青年重役会」を作ることを考えている。若者は「若い」というだけで「存在価値」がある。未完の大器を磨いていく為に、その能力を磨き上げる場、モチベーションが上る場を用意するのは経営者の責務である。

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青年要员会


19年8月8日
青年要员会

昭和30年代,当时的大企业引进了一个叫做“青年要员会”的制度,形成了挑选有积极性的年轻人作为干部候补重点培养的风气。我所在的公司在我进公司大约10年的时候,也采纳了这一制度,我成了最早的“青年要员会”成员。那时被选进要员会的10名员工,后来全部成了干部。
我在创业不久也在自己公司内部制定了“青年要员会”制度,理由是回顾自己的过去,感觉到这一制度非常优秀。当时从公司仅有的50名员工当中任命了一批“青年要员”,并开始组织他们进行机动部队式的课题训练。后来“青年要员会”中的4名成员得到提升成了董事。现在公司员工总共有300名,董事12名,其中非全勤董事6名,而全勤董事6名当中的4名就是来自青年要员会的成员。
这证明“青年要员会”是一项跨时代的,非常有效的制度。现在虽然暂时没有青年要员,我正在考虑从年轻员工当中选拔人才,组成新的“青年要员会”。年轻人的“年轻”就是“存在价值”。磨练这些未成的大器,为他们准备锻炼能力、加强动力的场所是经营者的责任和义务。

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コインパーキングは毎月好調を持続

平成19年6月29日
コインパーキングは毎月好調を持続

 駐車場の取締りが民間委託された昨年6月以前より、コインパーキングのニーズが高まるとの思いからか、昨年1月以来コインパーキングの新設は好調であった。その後約1年半を経過したが、相変らず、毎月好調を持続している。

 私達の会社では毎月の新規オープンの状況(社内の新設情報であり、他社分は含んでいない)を公表している。首都圏が突出しており、この一年間で613ヶ所がオープンした。全国対比65%である。続いて京阪神が153ヶ所、16%。そして中部地区99ヶ所、11%。九州、北海道69ヶ所8%となっている。

 首都圏は土地の値上りの影響で、コインパーキングの需要は頭打ちになるだろうという見方もあったが、今のところその予測は当っていないようだ。好立地の大型の駐車場が、ビルやマンションになっていく。例えば300台の駐車場(コインパーキング)がビルに変った場合を考えてみると、300台のコインパーキングがなくなり、新たに300台の需要が増えることになる。新しい300+300=600台のニーズが生まれることになる。新しいニーズの為に、駐車場用地をその周辺で捜さなければならない。

 コインパーキングの需要の強さの秘密はここにある。古いビルや古家を取り壊して、新しくコインパーキングにする仕事も忙しい。まちづくりである。地域の皆さんとの共同作業を通して町の活性化、まちづくりも大切な仕事である。百年先を見据えて、慎重にプランを練り乍ら、とりあえずコインパーキングで1〜2年様子を見ようというのも賢明な判断かもしれない。お金儲けだけを考えるのでなく、地域との共存共栄が何より大切である。まわりの皆さんに喜ばれる事業を行うことを理想として、日々感謝の生活を送っている。

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投币式停车场每个月继续保持良好长势头


19年6月29日
投币式停车场每个月继续保持良好长势头

从去年6月份,违法停车取缔实行民间委托制以来,很多人预测到投币式停车场需求会甓叩さ酣1月份以来投币式停车场建设一直保持良好的长势头。并且知道已经过去了大约1年半的今天,这种势头还是保持不变。
我们公司每个月都要公布当月的新建停车场状况(这只是公司内部情报,不包含其他公司的数字)。其中首都圈特别突出,这一年当中开设了613个停车场,占全公司的65%。接下来是京阪神,开设了153个,占全公司的16%。另外中部地区99个,占11%。九州、北海道地区69个,占8%。
也有人认为首都圈受地价上升的影响,投币式停车场需求大概也该到顶了吧。但事实上,这种预测目前还没有表现出来什么迹象。占地比较好的大型停车场,慢慢将变成大楼或公寓。比如说可以容纳300辆车的投币式停车场改建成了大楼,其结果如何呢?答案是固有的300个车位停车场消失,在原来基础上又甓知300个新车位的需要。也就是说会产生300+300=600个车位的需求。为了满足这个新需要,应该在该大楼附近寻找合适的停车场用地。
投币式停车场需求的强势秘密就在于此。同时我们还忙于把旧大楼或旧房子拆掉改建成停车场的工作,这是城市建设工作的一部分。也是我们通过和地区所有人士一起共同作业,达到搞活城市目的的一项重要工作。把目光放在100年后、慎重计划考虑,在考虑周全之前,先建成投币式停车场观察1、2年也许是个聪明的判断。并非只想着赚钱,和所在地区的共存共荣才是最重要的。
我把给周围的所有人带来开心愉悦作为事业的最高理想,每天过着感恩的生活。

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少数は精鋭なり

平成19年6月1日
○少数は精鋭なり

 「人がほしい」「人が足りない」という声をよく聞く。世の中がチョットよくなると必ず出てくる言葉だ。よく聞いてみると、「人が足りないから経営計画が達成できない」という。それでは「人さえ増えれば計画達成できるのか」と質問すると、「優秀な人をまわしてほしい」という。

 自分さえよければいいという考え方である。「優秀な人」を手放す部門や会社は、まずない。「可能性ゼロ」である。それなのに「優秀な人」がほしいという。「無いものねだり」である。子供が他の子が持っている物をほしがる。これを「無いものねだり」という。「優秀な人」をほしがるのはこの「無いものねだり」なのだ。

 人の増員は仕事量が増えて、現在の人員ではとてもやっていけないと判断をした時に、検討すべき問題である。中途採用は毎月行っているが、それは毎月売上が新記録を更新しているからである。しかるに売上が増えないところほど、人がほしいと言ってくる。「少数精鋭」という観念が欠如しているのだ。古来より「少数は精鋭なり」という。これは「少数にすれば、人は必ず全員が精鋭になる」ということである。組織は大きくなれば必ず緩む。権威主義が横行する。組織は小さいほどよい。1チーム5人がベスト。10人までがベターである。それ以上はナンセンスである。

 「コンバット」という古いアメリカ映画がある。テレビでよく放映された。優秀な歩兵小隊長の率いる小隊の物語である。戦場で見せる人間の悲喜こもごもの物語であるが、私はこの古い映画の中に「少数精鋭」の真の姿を読み取っていた。能力の低さをカバーするのは、単なる机上の空論でなく、実戦の場で、身をもって、体験する中で、把みとるものであると。「精鋭の社員」がほしければ「少数にする」ことである。人は必ず育つ。しかし、ぬるま湯の中からは人は育たない。人間の能力、その可能性は無限に高い。それを引き出すかどうかは「働く場」である。「真の働ける場」を提供できれば、人はどこどこまでも成長する。

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19年6月1日
少数则为精锐

经常可以听到“想要人”、“人手不够”的声音。这几乎是只要世上经济状况稍微有所好转,就一定会出来的话。再深入了解一下,他们会说“就因为人手不够,才没有完成经营计划”。 如果继续问:那么“只要甓耽夕蝓そ一定能够完成计划吗”。回答是“希望派优秀的人来”。
实际上这是一种只要自己好就万事大吉的想法。首先,肯把“优秀的人才”放走的部门或公司根本不存在,“可能性为零”。明知如此却还是想要“优秀的人才”。有句话叫做“没有就强求”,小孩子看到别人有的东西自己也想要,就是这种心理。想要“优秀的人才”也是典型的“没有就强求”。
甓耽员应该是工作量甓叩ず现有的人员编制下实在难以完成的情况下讨论的问题。我们每个月都在录用员工,是因为每个月的销售额记录都在更新。但往往是销售额并没有特别甓壇地方说想要人。这就是因为缺乏“少数精锐”的观念了。自古以来就说“少数则为精锐”。这是说“人数少点,所有成员就会全部变成精锐”。组织太大一定会产生松懈,权威主义横行。组织越小越好。1个队伍5个人最好,10个人以内次好,10个人以上就是糟糕了。
有部美国老电影叫《COMBAT》,电视里放过很多次。讲的是一个优秀的步兵小队长所率领的小队的故事,也是战场上展现出来的人间悲喜剧。我从这部老电影当中领会到了“少数精锐”的真髓。要克服能力低下,绝不能靠纸上谈兵,而是要在实际战场上,通过亲身体验,才能够掌握很多技能,不断提高自己。所以想培养“精锐员工”,只要把人员控制在少数就可以了。人一定会成长,但是在温吞水里泡着的人绝对不会。人的能力还有可能性都是无限的。能否使得这种能力和可能性得到发挥要靠“工作环境”。只要提供“真正的可以工作的环境”人就可以无限地成长。

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失敗に学ぶ

平成19年5月31日
○失敗に学ぶ

 若い人の登用、女性の機会均等、高齢者の活用と私達の会社は独特の人事戦略を採用している。また、仕事柄、パートさんの比率も高い。しかし、パートさんもストックオプションの権利を全員持っており社員との差は勤務時間、勤務形態の差が主なものである。資格手当(課長、係長、店長及び国家資格など)も社員と同様に付与し、昇進昇格もある。パートから社員へ、社員からパートへの変更も時によって行う。パートさんと言えども、勤労意欲の高い人は、時給も上り、資格も上る。

 「失敗に学ぶ」というテーマは、私の人生の中の金言である。私の人生は失敗の連続である。大学受験も、就職試験もすべて第一希望を失敗。第二、第三のところへ落着いた。「失敗した」のだ。そこでその失敗に打ちひしがれるのではなく、新天地の中で必死に努力することを覚えた。失敗から何かを確実に学んでいったのだ。

 私は若くして抜擢を受けた。私は会社の為を思って種々と新しい提案をした。今でいうとプロジェクトの立ち上げである。そして結局そのプロジェクトのチーフの役目が私に割当てられた。自分の実力に比較してその役割は重すぎた。当然失敗の連続である。若いということはその「若さ」だけでも価値がある。失敗を成功に変える、前向きの力が沸いてくるからだ。

 「女性の機会均等」がいわれるようになった。私達の会社は創業以来男女差別はまったくない。創業時から男女比50%であり、今でもそれから大きく変ることはない。失敗も多い。よかれと思って抜擢しても女性は産休に入る。半年でカムバックする人もいれば、1年たってもカムバックできない気の毒な人もいる。日本の社会がまだ十分にジェンダーフリー時代に適合するシステムができていないのである。真剣に保育園や授乳施設の併設を検討したことがある。これはまだ実現していない。「ダイバーシティ」の面では私の会社は常に時代の先端を走っている。それを意識した経営を続けてきたからだ。失敗を成功に変える努力は誰でも当然できる。しかし、「失敗をする」ことは並の人間ではできない。

 「高齢者」の活用も人後に落ちることはない。創業時に60歳前後の契約社員(大企業の役員クラス)を2名採用。その後も続いている。今60歳以上の社員の比率も高い。失敗を恐れず、人事の活性化の為に、意識して高齢者の採用を続け、機会均等の場を提供している。若い人の抜擢、女性の活躍、高齢者が嬉々として働く職場、その中でこそ人は育つ。そう信じて、常に「失敗を恐れず」、常に「挑戦を続ける」人間であり続けたい。

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从失败当中学习


19年5月31日
从失败当中学习

录用年轻人、给女性提供平等的机会、积极雇佣老年人,我们公司一直采取独特的人事战略。另外,因为工作特点关系,临时工的比率也比较高。但是临时工也全部拥有股票认购权,跟正式员工的差别主要表现在工作时间、工作形态的区别上。资格补助方面(课长、系长、店长以及国家资格等)也和正式员工相同,也同样可以升值加薪。还可以不时根据情况从临时工转为正式员工或者从正式员工转为临时工。虽然是临时工,但是对于工作热情高的人,我们也会及时加薪和提升。
“从失败当中学习”这个课题,也可以说是我人生的警句。我的人生就是失败的连续。大学考试,就职考试,第一志愿全部落空,最后不得不安于第二,第三志愿。也就是说我都“失败”了。但是我并不是就此被失败打倒,而是学会了在新天地中奋力拼搏。从失败当中我切切实实在不断吸收学习着什么。
我很年轻时就得到公司提拔。当时为了公司的发展我提了各种各样的新方案,拿现在的话来讲就是开发新项目。结果项目带头人的任务自然就派给了我。跟自己的年龄相比,这个责任是太重了,所以当然又是一连串的失败。不过年轻就是资本,因为年轻可以不断涌现出将失败转变为成功,继续前进的动力和斗志。
最近“女性的机会均等”开始成为话题。而我们公司从创业开始就完全不存在男女差别。创业时的男女比是50%,这一比率现在也没有发生太大变化。在女性员工的提拔任用上,我也经常失败。往往是觉得不错提拔了,却该休产假了。她们当中既有半年之后重返工作岗位的,也有比较可怜,过了1年还无法回到工作岗位的。这是因为日本社会还没有形成男女平等的机制。我曾经认认真考虑过在公司附设保育园和哺乳设施,但是还没有实现。“多元化”方面我们公司也一直走在时代的前列。我们也一直坚持高度意识到这一点的经营方针。把失败变为成功的努力谁都可以做到。但是,“勇于失败”却并不是普通人可以做到的。
雇用“高龄”员工方面我们也不甘人后。创业时我们就录用了2名60岁左右的合同工(他们都是大企业的董事会成员级别),之后也一直坚持这一传统。现在公司60岁以上员工的比率也很高。不能畏惧失败,为了搞活人事,我们在有意识地录用高龄员工,为大家提供机会均等的工作环境。年轻人可以得到提拔、女性积极活跃、上年纪的人也可以开心工作,只有在这样的环境当中人才可以成长。我坚信这一点,希望自己继续勇于成为“不怕失败”,“不断挑战”的人。

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不動産買換えのコンサルティング

平成19年5月22日
○不動産買換えのコンサルティング

 不動産が動きだしている。東京の都心はミニバブル、東名阪では下げ止まった地価が上昇に転じてきた。金融機関の不良債券処理も最終段階に入った。長い間地価の下落に戦いていた不動産業界にも陽が当りはじめたようだ。

 私は長い間不動産業界と付き合ってきた。そのきっかけは、1959年に商社へ入り、1962年工場用地購入を担当した時だった。新工場用地の農地を選定し、地主、小作人の方々と約1年間に亘って交渉を行った。約20人の地権者の方々をまとめ上げるのには数多くの方々の支援が必要だった。工場が完成して操業して1年余りで岐阜への転勤が待っていた。岐阜ではガソリンスタンドの用地確保、生コンクリート工場、ブロック工場、分譲マンション等、不動産の確保が、販売という本業と表裏一体の関係にあった。特に第一次オイルショック前後の分譲マンション事業は命がけの大事業となった。当時分譲マンション事業は未だ創成期であった。その後外国をまわり不動産を見る目を養った。トヨタのディーラーの代表を勤め、拠点展開を図ったり、ストックヤードの適地購入にも携わった。最後の仕上げは全国各地に生コンクリート工場の建設を指導した。

 現在の仕事を選び多少共順調に会社が発展できたのも、この長い間の不動産とのお付合いのお蔭である。自社所有ビル、マンション20棟余り、コインパーキング20ヶ所余り、稼動中の賃借・運営・管理コインパーキング約2000ヶ所の土地の選定、資産組替え等についてのノウハウの蓄積は、誰にでも出来るものではない。

 このたび会長に就任したのを機に、今日まで支援いただいた先輩の方々の御恩に報いる為、不動産買換えのコンサルタントとして、インターネット上の無料相談に応じる事にした。悩みを持つ人、迷っている人、将来を考えている人、ぜひ相談下さい。

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不动产转换顾问


19年5月22日
不动产转换顾问

不动产开始动了起来。东京都中心呈微型泡沫倾向、东名阪的地价也停止下跌开始回升。金融机关的不良债权处理也进入了最后阶段。因长时期以来的地价下跌而战战兢兢的不动产界,终于见到了一线曙光。
我长时间跟不动产打交道,缘于1959年进商社工作,1962年开始负责购买工厂用地时。当时选好建工厂用的农地之后,和地主、佃农们进行了为期大约1年的交涉。要协调大约20位拥有土地所有权的人士,自然离不开很多人的支持和帮助。工厂顺利完工并进入投产的1年多之后,等着我的是转调岐阜。同样在岐阜确保加油站、水泥工厂、预制板工厂、分期付款公寓等用地,也和销售这一本职工作有着互为表里、不可分割的关系。特别是第一次石油危机前后的分期付款公寓事业几乎成了事关生死的大工作。当时分期付款公寓事业尚处于开创期。后来,我有机会去海外工作,又大大地培养了鉴定不动产的眼力。担任丰田的销售代表时,我除了积极努力扩大销售据点、还参与了购买仓库用地的工作。最后的工作是指导在全国各地建设水泥工厂。
选择现在的工作,而且公司发展顺利也多少得益于我曾经长期跟不动产打交道。本公司拥有的20多栋楼盘、公寓,20多处投币式停车场,还有租赁、运营、管理的2000多处停车场,所有这些土地的选定、资产重组等等技巧的积累,并不是任何每个人都能做到的。
为了报答一直支持我的前辈们的知遇之恩,我决定以担任会长为契机,作为不动产转换的顾问,免费解答大家的网上咨询。烦恼的你,犹豫不决的你,为将来而考虑的你,请一定前来咨询。

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喜びの種、幸せの種を蒔くのが仕事

平成19年5月7日
喜びの種、幸せの種を蒔くのが仕事

 自分だけが儲けるのではない。まわりの人に喜んでいただく為に、まわりの人を幸せにする為にお手伝いをする、それが私達の仕事だ。そう言い続けてきて10年余りが経過した。

 世の中にコインパーキングがビジネスとして認知されていなかった11年前、59歳で起業した時のことだ。そして他社が自分の為にコインパーキングを経営している中で、私達は「駐車場革命」と銘打って、バブル崩壊後の不動産不況で放置されていた遊休不動産の有効活用をみなさんと一緒にやりましょうと全国行脚を始めた。効率の悪い月極駐車場を時間貸に切りかえる仕事である。始めてみると大変な仕事であることに気付いた。集金が大変だ、コインは重い、銀行は受付してくれない。清掃が大変だ、多くの客が出入するのでゴミだらけ、秋は落葉で一杯。クレームが多い。機械やシステムがまだ未熟であった。

 この解決方法を考えた時、私は人が嫌がる事はすべて自分がやろうと決心した。集金も清掃もクレーム処理もすべてを自前でやろうという事だ。地主様、お客様に本当に選んでもらえるコインパーキングシステムを提供する。これが私達の願いである。祈りである。それから11年。徒手空拳の私達を選んでいただくお客様が増え続けている。

 健康長寿の時代を迎えた。ウェルネス事業が有望だ。まちの中心市街地は空ビル、空室、空倉庫だらけだ。この利用方法を考え続けて、2年半前「ヘルシープラザ」をオープンした。「ビュートシステム」という30分間女性専用簡易フィットネスクラブである。現在会員500名以上毎月少しずつ増えている。この「ビュートシステム」の全国展開を始めた。

 この4月末日現在21のビュート・スタジオが全国で展開中である。受注残(オープン準備中のスタジオ)が20店ほどある。オープンの為の社員教育、開店準備に2〜3ヶ月が必要だからだ。予防医学が叫ばれ出している。これからは適度の運動を手軽に、楽しく、続けていけるシステムが求められている。それが私達の「ビュートシステム」だ。映像と音楽と楽しい雰囲気、そして独自のビュート水との組み合わせ、それをシステムマティックに継続していけるシステムを提供しているのは私達だけである。

 これからも喜びの種、幸せの種を蒔き続ける企業でありたい。

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播种快乐的种子、幸福的种子是我们的工作


19年5月7日
播种快乐的种子、幸福的种子是我们的工作

不是为了自己牟利,而是为了帮助周围人,使他们快乐,使他们幸福,这就是我们的工作。10多年来我们一直在坚持这一原则。
这一原则开始于投币式停车场还没有被世人作为一种商品认可的11年前,我59岁创业时。其他公司都在为了自己而经营投币式停车场的情况下,我们打出“停车场革命”的口号,走遍全国各地跟大家一起从事泡沫经济解体后,因不动产的不景气而被长期闲置的不动产的有效利用工作,即把效率不高的包月式停车场转变成按时收费停车场的工作。开始做之后才意识到这是一件多么不容易的工作。首先收银不易,硬币太重,银行不愿接受。其次清扫工作不易,很多客人进进出出停车场当然垃圾遍地,秋天则落叶满地。还有客人投诉多,机器、系统等等都还不够成熟。
考虑解决这些问题的方法时,我就下了决心,其他人不愿做的事情自己要全部承担。收银、清扫、投诉处理等等一切都靠自己做。目的是为了给借给我们土地的客户、还有给客户们提供能够发自内心愿意选择的投币式停车场。这是我们的愿望,也是我们的祈祷。那之后11年过去了。选择了赤手空拳的我们的客户在不断地甓叩
我们迎来了健康长寿的时代,安康事业大有希望。城市中心到处都是空楼盘、空房间、空仓库。我一直在思考如何有效利用这些地方,于是2年半前我们的“健康广场”开张营业。这是一种我们命名为“美拓系统”的30分钟女性专用健身俱乐部。现在每个月都有500名以上的会员加入我们的俱乐部。目前我们在向全国推广这种“美拓系统”。
截至今年4月末一共有21个美拓俱乐部在全国各地开张营业。另外已经接到订单目前还在准备中的店铺有20余个,因为开张前的员工培训、开店准备大约需要2〜3个月时间。预防医学开始备受关注,今后人们希望出现可以轻松,愉快,并能够坚持下去的适度运动系统。这就是我们的“美拓系统”。画面、音乐、轻松愉快的氛围、再组合独一无二的美拓水、能够提供这些可持续发展系统的只有我们一家。
今后我们将继续坚持播种快乐的种子、播种幸福的种子的企业路线。

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大言壮語

平成19年4月23日
○大言壮語

 大きい夢、高い志を持とう。夢が大きければ大きい程、あなたの人生は大きくなり、志が高ければ高いほどあなたの人生は崇高になる。と言い続けて11年になる。

 また「有言実行」ということも力説してきた。人間として生を受け、この尊い一日一日を与えられ、生かされている現在を考えれば、大きな夢を持つこと、高い志を抱くこと、その為に目標を設定すること、そしてこれを公表し、協力を仰ぐこと、すべて当然のことである。

 人はそれを大言壮語という。ややもすると非難のニュアンスも入る。実現が遅れるとウソツキ呼ばわりされる危険すらある。

 しかし歴史を紐解いてみてほしい。大事を成し遂げた人の生き様をもう一度比較してみてほしい。アメリカ大陸発見したコロンブス。日本でも織田信長、吉田松陰、橋本左内、渋沢栄一等々枚挙にいとまがない。彼等に共通するのは夢の大きさ、志の高さ、そしてアジテーションいわゆる大言壮語である。

 これ等の力によって、彼等の人生は歴史に残った。私達の会社も社内目標を数値化している。参考までに記すと

 今年  売上50億円  売上総利益16億円  純利益5億円
 来年  〃 70億円   〃     23億円    〃 7億円
 再来年 〃100億円   〃     34億円     〃10億円

 これはあくまで社内目標である。しかしこれを毎年シビアに検討をし続けていくことで企業の発展があり、社員、株主、取引先の皆さんの喜び、幸せにつながっていく。そして売上総利益(社内でこれを付加価値と呼んでいる)により、成果の配分が可能になり、税金が支払え、社会貢献も可能になる。大言壮語のおかげなのである。

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豪言壮语


19年4月23日
豪言壮语

让我们拥有远大的梦想,高远的志向。梦想越远大,人生越伟大,志向越高远,人生越崇高。我坚持这个说法已经有11年。
另外长期以来我一直在强调“言出必行”。我们作为人降生,被赐予了尊贵的每一天,和充分展示生命的机会。如果我们考虑这种现实,那么我们拥有远大的的梦想,高远的志向,并为此而设定目标,向大家公开自己的目标,以得到大家的支持,所有的这一切就是理所当然的。
人们把这种目标称之为“豪言壮语”,这一说法却动辄带有非难的意味。目标实现地晚了,甚至会面临被嗤之以“谎话连篇”的危险。
但是,请大家翻看历史看一看,请大家再次比较一下成就大事的人们的人生。发现美洲大陆的哥伦布,就是我们日本也有织田信长、吉田松荫、桥本左一、涩泽荣一等等,伟人辈出不胜枚举。他们之间的共同点就是拥有远大的梦想,崇高的志向,还有agitation,即所谓的豪言壮语。
因为这一切的力量,他们的人生青史留名。我们也把公司内部目标数字化,作为参考记录如下:

今年 销售额50亿元  销售总利润16亿元  纯利润5亿元
明年 〃 70亿元 〃 23亿元  〃 7亿元
后年 〃 100亿元 〃 34亿元 〃 10亿元

当然以上仅仅只是公司的内部目标。但是每年坚持不懈地严格地讨论这个目标,企业才能发展,并最终使员工、股东、客户们获得满足和幸福。也才有可能从销售总利润(公司内部叫做附加价值)中进行成果分配、缴纳税金,为社会做出贡献。这一切都要归功于豪言壮语。

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よい経営とは、よい企業とは

平成19年4月20日
○よい経営とは、よい企業とは

 社員が明るく元気に生き生きと働いていること。
 企業が生き続け、成長、発展を続けていること。
 社会貢献ができる力を涵養していること。
 株主や取引先が喜んでくれる企業であること。

 これを2500年前に、孔子は次のように述べている。
 「近者説、遠者来」。

 現代語に訳すと「近きものは喜び、遠きものは来る」。これが経営の真髄である。
 人それぞれ天から授った器がある。器とは器量である。この器量は、努力によっていくらでも大きくなる。器量の大きい人のまわりに人は集まる。

 大きい仕事をする為には、大勢の人の協力が必要だ。大勢の人の協力を得る為には、まわりの人に喜んでもらうことが大切だ。自分が喜びや幸せを独占するのでなく、まずまわりの人に喜びや幸せを満喫してもらうことを目指す。

 「喜びの種、幸せの種、愛の種をまこう」、これが私達の会社が掲げる社是である。私達の原点である。

 私達の原点と、孔子のいう「近者説、遠者来」の言葉の中身の、あまりの相似性に、私は感動を禁じ得ない。

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何谓出色经营?何谓优秀企业?


19年4月20日
何谓出色经营?何谓优秀企业?

员工开朗健康富有活力。
企业持续生存、成长、发展。
涵养可以服务于社会的力量。
股东和客户满意的企业。

这一切孔子在2500年前,用以下的话来描述:
“近者说,远者来”。
译成现代的说法就是“近处的人心悦诚服,远方的人自然会纷至沓来”。这正是经营的精髓。

每个人都有上天赐与的“器”,这个“器”就是器量。而且器量可以通过努力不断变大。器量大的人周围才会有人聚集。
做大事需要得到很多人的协助。为了得到大家的协助,使周围的人开心快乐非常重要。不能一个人独占快乐和幸福,首先要努力使周围的人充分享受快乐和幸福。
“播种快乐的种子、幸福的种子、爱的种子”,这是我们公司的经营宗旨,也是我们的原点。
我们的原点和孔子所说的“近者说,远者来”,其实质有着如此多地相似性,令我不胜感激。

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新入社員を迎えて

平成19年4月5日
○新入社員を迎えて

 毎年毎月数人の社員を、新しく共に働く仲間として、会社へ迎えるようになってもう2、3年が経過した。しかし、4月に学校を出て入社する新入社員を迎える時は、また格別の感慨がある。それは入社式というセレモニーのせいかも知れない。

 今年もグループをあわせると4月入社の社員やパートさんの数は20名程になる。300名中の20名が4月入社であるので、単月で7%近い社員が増えることになる。男女6名の大卒社員と共に中途採用社員6名、そして2名の中高年の顧問を迎えることとなった。時を同じくして全国各地の支店で今月も6名を超す人々を採用する。

 特に2名の顧問の内、1名は私の古くからの友人。一橋大学を出て、住友商事を定年で卒業、アタラシで営業本部長を務めた営業の鉄人。首都圏から関西圏に及ぶ広範な営業支援が期待できる。そしてもう1名は地元有名企業のオーナー一族の1人。大阪大学から日立製作所へ入り、技術のトップを数々歴任。技術士であり、工学博士。ノーベル賞も夢ではない学究の人。その後金沢工業大学教授を長く勤められた逸材。当社の開発部、知財戦略部、ビュート事業部の指導育成に力を貸していただくよう期待。

 あらゆる人間はすべて「母」から生まれる。「母」に対する気持は何ものにも比較できない程、深い。また「ふるさと」に対する気持も同じである。「母校」に対する気持もそれに等しい。その母校を卒業して今日入社した社員にとって、日本システムバンクが新しい母であり、ふるさとであり、母校である。私はこの関係を「マイカンパニー」と位置づけている。社員となったからには、その行動、その言動、その姿勢、すべて会社を代表している。会社の代表者は社長である。しかし社長だけが会社を代表しているわけではない。社員の一人一人も会社を代表しているのである。この事実を忘れてはならない。「マイカンパニー」の意味はそこにある。

 不思議な縁で結ばれた約300名の社員は、一つの家族である。お互いに助け合い、支え合い、励まし合って、喜びの種、幸せの種、愛の種をまくのだ。

 激動の21世紀の初頭に私達は立っている。未来は明るい。この「変化」の時代を、絶好な「チャンス」と把え、これに果敢に「挑戦」し続けていこう。

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欢迎新员工


19年4月5日
欢迎新员工

每年每月我们都要迎来几名新员工,成为我们工作的同伴,这种状况已经持续了两三年。但是,每当4月份迎来刚从学校毕业的新员工时,还是会有特别的感慨,也许是因为入社仪式这个特别的欢迎仪式。
今年4月份加入我们集团的正式员工和临时员工加起来大约是20名。全公司300名员工当中,有20名是4月份进公司,按照单月来算这个月甓知讃近7%员工。其中有6名大学毕业生和6名中途采用员工,另外我们还迎来了两名中老年顾问。同时全国各地的分店这个月也将采用超过6名的人员。
2名顾问当中,有1名是我的老朋友。他从一桥大学毕业之后,在住友商事工作到退休,曾经担任株式会社新的营销总部长,是当之无愧的营销铁人。相信他能够给公司首都圈到关系圈的提供广范围的营销支援。另外1名是地方名门企业主家族的成员之一。他从大阪大学毕业之后进入日立制作所,并历任技术带头人的技术专家,工学博士;是连诺贝尔奖都不是梦想的学者型人才;还是后来又长期担任金泽工业大学教授的俊杰。他在指导培养公司的开发部、知识产权部、“beauto”美拓事业部方面值得期待。
所有的人的生命都来自“母亲”,每个人对“母亲”的深厚感情也是任何东西都无法比较的,对“故乡”的感情也一样,对“母校”也怀着同等的感情。今天对从母校毕业加入公司的员工来讲,日本系统银行“Janpan System Bank”就是新的母亲,新的故乡,新的母校。我把这种关系称定位为“我的公司”(my company)。只要成为公司员工,行动、言论、姿态、所有的一切都将代表公司。虽然公司的代表者是社长(老总),但并不是只有社长才代表公司,每一名员工都代表着公司。我们不能忘记这一事实,所谓的“我的公司”的意义也在这里。
神奇的缘分联系在一起的300名员工,我们同属于一个大家庭。让我们互相帮助,互相支持,互相鼓励,一起播种快乐的种子,播种幸福的种子,播种爱的种子。
我们站在风云迭起,千变万化的21世纪初,但是未来是光明的。把握住“变化”的时代这个绝好的机会,勇敢地将“挑战”进行到底。

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「持てる力、持てる能力、持てる知恵を生かせ」

平成19年4月2日
○「持てる力、持てる能力、持てる知恵を生かせ」

 人はないものねだりをする。あれがナイ、これがナイ。あれが欲しい、これが欲しい。欲しいと思っても努力しないから手に入らない。グチになる。

 「足るを知る」という言葉がある。物欲、金欲、権力欲、人は際限のない欲望に駆り立てられて走りまわる。「足る」即ち「現状に満足」することを覚えると、煩悩から解き放たれる。自由自在に生きることが可能になる。

 私達一人一人はみなすばらしい力を持っている。すばらしい能力を持っている。すばらしい知恵を持っている。しかし、それに気付いている人は少ない。

 自分を信じよう。自信を取り戻せ。そして持てる力、能力、知恵を存分に働かせるのだ。私達に与えられた時間は等しい。金持ちも、貧乏人も、大統領も、総理大臣も、先生も、生徒も、老人も、青年も、すべての人が同じ時間しか持てない。その限られた時間を、いかに上手に使うかどうかである。

 折角持っている自分の力を存分に使ってみよう。自分の知恵、人に負けない自分だけの知恵を絞ってみよう。何かが生まれる。新しいことが生まれる。それが本来の自分なのだ。

 私は経営戦略を練る時に、常に考えるのはこの一点である。自分を信じて、自分の事業を信じて、自分の企業の力を信じて、社員の力・能力・知恵を信じて縦横に思慮を重ねていくのである。今あるのは何か、今使えるのは何か、人、物、金、情報を徹底分析し、生かせる戦略を選び、策定していくのだ。

 お金を人に貸すことは出来ないが、知恵を貸すことは出来るといわれる。世の中をよくする為には、みんながありったけの知恵を絞って世の為に働くことである。そして始めるのは今から、今日からである。

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“发挥拥有的力量、能力和智慧”


19年4月2日
“发挥拥有的力量、能力和智慧”

人总是想得到自己没有的东西。这也没有,那也没有。那也想要,这也想要。想要却不努力自然得不到,于是抱怨。
有个词叫做“知足”。物欲、金钱欲、权利欲,人们总是被无限的欲望所驱使四处奔走。如果知道“知足”,即“满足于现状”,就会从烦恼中解放出来,自由自在的生活。
我们每个人都有着非凡的力量,拥有出色的能力,具备超人的智慧。但是意识到这一点的人却很少。
相信自己、重拾自信、充分发挥自己所拥有的力量、能力和智慧。上天赋予我们的时间都是相等的。有钱人、穷人、总统、总理大臣、老师、学生、老人、青年、所有的人都拥有相同的时间。关键是如何更好地利用这有限的时间。
试着充分发挥自己拥有的难得的能力,试着集中自己的智慧、不亚于任何人的自己独特的智慧。一定会有什么奇迹出现,新的事物会出现,那是本来的自己。
我制定经营战略时,经常考虑的就是这一点。即相信自己、相信自己的事业、相信自己企业的力量、相信员工的力量・ 能力 ・智慧,纵横驰骋,反复考虑。现在自己拥有什么,什么可以使用?彻底分析人、物、资金、信息,选择可以发挥这些要素的战略,制定计划。
钱财不能借人,但智慧却可以。为了把世界变得更美好,集中大家的全部智慧努力工作。现在就开始,今天就开始。

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日本一美しい、世界一礼儀正しい会社

平成19年3月27日
日本一美しい、世界一礼儀正しい会社

 創業時目指したものは、ユニーク経営である。誰にも負けない、どこにも負けない経営をしようと心に決めた。しかし先立つものは何もない。そこでこのスローガンを掲げた。「日本一美しい会社」を作ろう。これは先生がいる。このスローガンを実行していた会社がある。宝塚阪急駅ビルの「出口地所」出口和生社長である。私のお客様であり、大株主であり、親友である。近々共著で本を出版する予定である。この「出口地所」が日本一美しい会社である。ここを訪れるたびに、自分の自宅の十畳の応接間と新浦安のアパートを思い起こした。比較するだけヤボである。しかしやろうと思えば「美しく」するのにそんなお金はかからない。そう思うと直ちに行動するのが私のクセ。明くる日の朝礼でこれを宣言。事務所は少しずつ整理整頓が進むようになってきた。道は遠いが社員の自覚は浸透しつつある。今では毎月15日を「Sの日」と決めて整理、整頓、清掃を自発的にやっている。

 お金がなくてもやれること。それを考えると日本民族の持っている礼儀正しさである。世界中で挨拶する時、深々と頭を下げるのは日本人だけである。この姿勢、この相手を敬う心を会社のバックボーンにした。そう考えて私は誰よりも深々と心をこめてお辞儀をすることにした。「稲穂は実れば実るほど頭を垂れる」「人はえらくなればなるほど深々と頭を下げる」「頭を下げる人がすばらしいのだ」を言い続けている。福井本社を初めて訪れるお客様は一瞬驚かれる。全員が仕事の手を止めて立ち上がって迎え、送るからだ。ある人は時間のムダという。本当にムダだろうか。1回毎日実行してみることだ。100人のお客を迎えても失う時間はごく僅かだ。そして得るものははかり知れない程大きい。育つのは社員自らである。そして信用である。お金はいらない。継続することにより人が変り、会社が変り、自分が変る。

 私のユニーク経営の表看板は「日本一美しい会社、世界一礼儀正しい会社」を目指すである。道遠いのを心配したり、悩んではいない。逆に大きな目標に向って挑戦し続けることに誇りを持っている。誰でも、どこでも、いつからでも挑戦できるすばらしい目標である。教育の崩壊、環境破壊など困難な日本の現状を打破する小さな挑戦である。

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日本第一漂亮、世界第一礼仪周到的公司


19年3月27日
日本第一漂亮、世界第一礼仪周到的公司

从创业起我就立足于特色经营。我决心采取绝不输给任何人,不亚于任何公司的经营方式。但是当时可以立即着手做的东西一点都没有,于是打出了这个口号。建设“日本第一漂亮的公司”。这方面我们有师可尊,有一个一直在实践这个口号的公司,它就是位于宝冢阪急站大楼的“出口地所”公司。老总出口和生,既是我的客户,也是我的大股东,还是我的亲密朋友。我们合著的书预计在近期出版。“出口地所”是日本最漂亮的公司。每次访问这里,我都会想起自家的10贴大的会客室和新浦安的公寓,但是仅仅比较也太庸俗,有心实行的话想把公司变漂亮点并花不了多少钱。想到了立即就行动是我的特点,于是第二天我就在早会上向大家宣布了。渐渐地大家开始对办公室进行整理整顿了。虽然这是一条漫漫长路但是员工们的觉悟在慢慢提高。现在大家又把每个月的15号定为“清洁日”自发地进行整理,整顿,清扫工作。
没有钱也可以办得到事情,我很自然就想到了我们日本民族的礼仪。全世界问候别人时把头深深低下去的只有日本人。我想把这种姿态,这种尊敬对方的心情引进来成为公司的基本精神。基于这种考虑我决定鞠躬时比任何人都充满深情。我也一直在跟员工讲“稻穗越成熟头垂地越低”“人越伟大头低地越低”、“低头的人才是优秀的人”。初次来福井总部的客人一时间都会感到惊奇。全体员工都停下手头的工作起立迎客,送客。有人说这是浪费时间,真的是这样吗?请试着每天都这样做做看。即便迎接100个客人,失去的时间也不过一点点。但是的得到的东西却大得难以估量。培养员工的是员工自己,还有公司信用也随之而来,而且不用花一分钱。坚持行动人就会改变,公司就会改变,自己也会改变。
我的特色经营的公开招牌就是朝着“日本第一漂亮的公司、世界第一礼仪周到的公司”而努力。我并不担心这条路太长,或为此烦恼。相反,我对自己能够坚持向着远大的目标挑战感到自豪。这是一个任何人,在任何地方,从任何时候都可以开始挑战的伟大目标。也是为了打破日本当前教育解体、环境破环的现状而进行的小小挑战。

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出生率プラス

平成19年3月26日
出生率プラス

 福井県は日本で唯一の出生率プラスの地である。私が約50年前、福井を初めて訪れた時は、福井県は鳥取、島根と人口ではビリ競いをしていた。最近では人口が少しずつ増えている。いや他の県の人口が減少しているのだ。そして出生率プラスは福井だけになった。

 福井県は女性就労率一位である。働く女性が多く、裕福な家庭の子女や奥さんも、仕事を持っている。働いているから、子供を生む機会が少ないはずである。しかし出生率がプラスである。この理由は、殆んどすべての女性が、職を持っているので、働らき乍ら子育てをするシステムが出来ているのだ。子育てに、実家の両親まで参加している。企業も当然対応せざるを得ない。

 元気な子供が次々と生まれるのは、福井県民の食べものの中身も問題であろう。繊維質の多い、魚介類の多い、穀物の多い食事が中心である。対馬海流(暖流)に乗ってくるカニ、サバ、イワシ、イカ等や、リマン海流(寒流)に乗るニシン、タラ等海の幸は世界有数である。魚介類の動物性蛋白質は、取りすぎても血中のコレステロールを低下させる。EPAを含んでいるからだ。そして頭脳を活性化させるDHAが多い。元気な夫婦は元気な子をつくる。

 私の会社はいつも産休で仕事を休んでいる社員がいる。何人もいる。若い社員が多いせいか職場結婚が多い。突然結婚式の招待状を渡され驚くこともある。二人共社員である。相談に乗ったり、悩みを聞くこともある。私が教えるのは「人の道」であり、彼等の声は「魂の叫び」である。何もしてやれないが、しっかりと二人で歩んでいくことを常に祈るばかりである。

 出生率には水も影響してくる。山地に積る冬の雪が、一年を通して流れ下り、海へ注ぐ。越前、若狭の地形も、名水の里にふさわしい。

 人は自然と共にあるのが最高に幸せだ。海に近く、山に近く自然いっぱいの福井県では、愛を語る場所に事欠かない。

 健康長寿世界一を目指す福井県は、若い人達の夢の国でもある。自然の中で癒され、人間らしい生活を取り戻し、結婚し、子を生む。なんと幸せな人生であることか。

 私の悩みはただ一つ。社員の殆んどが福井県勤務を希望することだ。私の会社は、首都圏比率70%である。福井へUターンできるように、福井での受け皿づくり、仕事づくりに真剣に取り組んでいる毎日なのだ。

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出生率甓


19年3月26日
出生率甓

福井县是日本唯一的出生率甓县。大约50多年前,我第一次来到福井时,福井县正在跟鸟取县、岛根县、争夺人口最后一名。但是最近人口在逐渐甓叩ぜ其他的县人口在减少,出生率甓壇只有福井了。
福井县女性的就业率为第一位。工作的女性很多,富裕家庭的字子女或太太也在工作。因为有工作,生孩子的机会本来应该少的,但是出生率却甓知察B狂彊在于因为几乎所有的女性都是在职人员,所以形成了很好的边工作边照顾孩子的体制。连娘家的父母都参加进来照顾孩子。企业当然也不得不采取对策
健康的孩子得以不断出生,福井县民的饮食生活应该也大有讲究。福井县的饮食以纤维含量高食品、鳞介类,谷物为中心。乘着对马海流(暖流)而来的蟹、鲭鱼、沙丁鱼、墨鱼,乘着里曼海流而来的鲱鱼、大口鱼等等,福井的海鲜在全世界也是屈指可数的。鳞介类含有的动物性蛋白,即便摄取过量,也会降低血液中的胆固醇。这是因为鳞介类富含EPA,另外还含有很多可以强大脑活力的DHA。
健康的夫妇自然会生出健康的孩子。
我的公司总是有员工休产假,而且是好几个。可能是因为年轻人多,同事之间结婚的也很多。有好几次我都是突然接到请帖,大吃一惊,原来两个人都是我的员工。有时候他们也会找我商量,倾诉烦恼。我教给他们的都是“做人之道”,他们的声音是“灵魂的呼唤”。虽然不能给他们做什么,但是我总是祈祷两个人可以坚强地走下去。
水也会影响出生率。福井山地冬天的积雪,一年到头不断流下来,注入大海。越前、若狭的地形也跟名水之乡的名字非常相称。
人与自然同在的时候才最幸福。临海近山的福井县到处都是大自然,当然也少不了谈情说爱的地方。
正在争取成为健康长寿世界第一县的福井县,同时也是年轻人的理想所在,心灵的创伤在大自然中得到治疗,又回到自然的人类生活,结婚,生子。这是多么幸福的人生。
我只有一个烦恼,那就是绝大多数员工都想在福井工作。而我的公司,目前首都圈占70%的比重。为了使大家能够重返福井,我正在认真想办法努力在福井制造更多的工作岗位,为大家创造更多的工作。

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社長とは社員を育てる人

平成19年3月16日
○社長とは社員を育てる人

 創業以来11年近くが過ぎようとしている。家族4人でスタートしたベンチャー企業が役員、社員、パート、契約社員を含めると300名近くに増えた。創立10周年の感謝を込めて仕入先、下請、お客様の代表者の方々を福井へお招きして越前ガニをご賞味いただいた。株主様には記念配当と株主優待制度をスタートさせた。地域への貢献にはまちおこしのしかけづくりを皆さんと共にスタートさせた。毎月のデジタル地球大学での環境セミナー、フェニックス研究会でのまちづくりセミナー、お年寄りの為のいきいき地蔵まつり、そして小学生向の触れる地球による環境学習教室である。また伝統工芸作家を中心に芸術家にまちなかで「発表の場」を提供している。すべて無償の奉仕とさせていただいている。経費はすべて私達の会社の負担と、善意の市民の方々、お取引先のご芳志によっている。59歳で創業し、いくばくかの信用を築き得たことをお支え下さった方々へのご恩返しの一つにしたい。しかし、苦労を共にした役員へのお礼が出来ていない。そこで一年前から常勤役員を対象(時に幹部社員も参加させる)に毎週水曜日早朝から2時間「役員研修会」を開催している。常勤役員会に早変りすることもあるが、殆んどは私が講師になり、約1時間話をする。殆んどは「アフター創業者」の為の心構えや、実戦での戦略、戦術を話す。決算書の見方に始まり、経営分析。それも同業他社との比較を中心に、全役員のコンセンサスを求めてきた。最近ではこの水曜会から「YPP」という夢の駐車場プロジェクトがスタートした。またI・C・T最先端企業を目指して社内ネットワークのグレードアップやホームページの日々の更新、コールセンター運営の改善など、次々と新施策が具体化してきた。

 毎年入社する新卒社員と毎月入社する中途採用社員、そして異なった経歴、ノウハウを持った役員の意識を統一し、すべての従業員一人一人の期待に答える為、私は日夜心を砕いてきた。水曜会もそろそろ終盤に近付いてきた。私も満70歳となる。私の育てたつもりの役員の巣立ちの日が近いことを喜んでいる。社長の仕事は社員を育てることである。大事な、そしてすばらしい仕事をさせていただいてきたことに深く感謝している。

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总裁就是培养员工的人


19年3月16日
总裁就是培养员工的人

创业以来,经过了将近11年。我们一家4口人开始的风险创业公司,如今包括董事会成员、正式员工、临时员工、合同工甓壇了将近300人。为了表达创业10周年的谢意,我们邀请了进货单位、承包单位、以及客户代表们来到福井招待他们品尝了越前蟹。另外我们开始对股东们实施纪念分红和股东优惠制度。地区贡献方面我们开始了和大家共同进行振兴城市的行动。包括每个月通过数码地球大学举行的环境问题研讨会、火凤凰研究会上的振兴城市研讨会、为了老年人举行的健康长寿地藏节、还有以可以触摸的地球为媒介面向小学生们开设的环境问题学习课堂。此外以传统工艺为中心我们还为艺术家们提供了在市中心 “发表作品的场所”。我们进行的所有这些活动都是无偿的。所有的经费都来自我们公司,好心的市民们以及客户们的热心捐助。所有这一切工作的出发点都来自想做点什么报答支持我59岁创业,并给与我信任的人们。可是,对于一起辛苦创业的董事们我却还没能够表示谢意。于是从1年前开始公司决定每个星期三早上为常勤董事们(有时候也让干部员工参加)开设2个小时的“董事研修会”。这个研修会虽然有时候会变成常勤董事会议,但多数时候都是我做讲师,大约进行1个小时的发言。内容讲的绝大多数是有关“后继创业者”的思想准备、实战战略、战术。还有以同行其他公司为中心,从决算表的读法开始到经营分析,让全体董事进行讨论,以取得大家的一致意见。最近我们从这个“星期三会”还开始了一个名为“YPP”的梦想停车场计划。另外以I・C・T最先进企业为目标我们不断升级公司内部的局域网,坚持每天更新公司主页,改善电话传呼中心的运营等等。我们在不断推出新对策并使之具体化。
每年进入公司的新毕业生员工,每个月进入公司的中途采用员工,以及有着不同经历和特长的董事们,如何统一他们的认识,如何才能报答每一位员工的期待,我夜以继日,呕心沥血。“星期三会”也终于要接近尾声了,我也将年满70岁。自己亲手培养的董事们展翅高飞的日子即将来临,对此我感到无比欣慰。总裁的工作就是培养员工,深深感谢大家让我从事如此重要,如此精彩的工作。

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夢の駐車場を創る

平成19年3月15日
○夢の駐車場を創る

 学生時代のことである。北鎌倉に住む高見順のすぐ前の家に、一夏短期間であったが、厄介になったことがある。三菱系の役員宅で、友人の叔母の邸宅であった。数日そこを根城に、鎌倉や東京を探訪して歩いた。三菱銀行鎌倉支店が個人預金残高日本一だと聞いたのもその頃である。京都、奈良と比較し、同じ古都と言い乍ら自然の豊かさ、そしてそのコンパクトな歩き回れる町に強いあこがれと親近感を持った。

 その後商社に就職し、東京駐在役員となり、北鎌倉の台峯の一番奥に住宅を買い求めた。夢の実現であった。ところが、タクシーを呼ぶとなかなか来てくれない。忙しいと言って断られる。殆んどの乗客はタクシーで東京まで往復したり、北鎌倉から大船や鎌倉まで往復するという。私はせいぜい大船までである。どんな人が日本橋の三越百貨店へタクシーで買物に行くのであろうか。昼休みに、日本橋三越本店をのぞいてみた。仕事場から歩いて数分の所である。駐車場を見て驚いた。高級車や大型タクシー・ハイヤーが次々と入ってくるのを制服を着た社員が高級ホテルの玄関と同じように深々とお辞儀をして、恭しくお客様を迎えている。私は気がついた。「このホスピタリティ、このお客様を迎える心」が、北鎌倉からタクシーで買物に来る理由なのだと。

 そして現在、駐車場ビジネスの会社を興し、この三越百貨店のホスピタリティを学ぼうと思い、三越パーキングと親密なお取引をさせていただいている。学ぶ点は多い。なぜなら私の夢は「夢の駐車場を創ること」なのである。そのコンセプトの第一が「お客様にご満足いただける駐車場」である。どこよりもホスピタリティに満ちあふれた駐車場を創りたい。

 いま全国に約2000ヶ所の駐車場の運営管理やメンテナンス業務をやらせていただいている。その90%がコインパーキングである。無人式である。「夢の駐車場(私はYPPと呼んでいる。夢パークプロの略)」は有人でもよい。究極のテーマをホスピタリティに置いているからだ。学生時代の鎌倉での夢物語からスタートしたこのYPPを、ぜひ数年のうちに実現したい。候補地を沖縄、九州、北陸、北海道で捜している。

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建设梦想停车场


19年3月15日
建设梦想停车场

这是我学生时代的事情了。我借住在北镰仓紧挨着高见顺住所前面的家里,虽然只有很短一段时间,着实叨绕了主人一个夏天。那是三菱系要员的家、也是友人的叔母的家。连日来我就以那里为据点,步行探访镰仓或东京。知道三菱银行镰仓支店的个人存款余额日本第一高也是在那个时候。跟京都、奈良相比较,虽说同为古都,但镰仓丰富的大自然和小巧别致、适合步行的城市布局令人充满了向往和亲近感。
后来我就职于商社,成为公司驻东京要员,也在北镰仓台峰的最深处买了房子,可以说是我梦想的实现。但是,从这里叫出租却十有八九叫不来,司机总是说太忙拒绝我。大多数乘客乘出租往返于北镰仓和东京,北镰仓到大船或镰仓也是往返。而我最多只坐到大船而已。是什么人搭出租去日本桥的三越百货购物呢?午休时间,我去日本桥的三越百货本店看了一下。那里离我上班的地方走路只要几分钟。看了三越的停车场,我大吃一惊。高级车、大型出租车、包租汽车鱼贯而入,而身穿制服的工作人员就像高级宾馆的大门接待一样,深深鞠躬,恭恭敬敬地迎接着每一位顾客。我终于意识到“这种隆重的礼仪、这份迎接客人的心意”才是人们乐意搭出租从北镰仓来购物的理由。
现在,我成立了经营停车场的公司,为了学习三越的待客精神,我们跟三越停车场建立了密切的联系。三越值得我们学习的地方确实很多。我的目标是“建设梦想停车场”,梦想停车场的首要概念就是“令顾客满意的停车场”。我要建设的是最能充分体现待客理念的停车场。
现在我们公司承担着全国各地大约2000个停车场的运营管理和维修业务。其中90%为投币式停车场,也是无人式停车场。但是“梦想停车场(我把它叫做YPP、梦想停车场工程的略语)”有人也可以。我们的终极主题是待客精神。我想在数年之内,把这个发端于学生时代镰仓之梦的YPP变为现实。现在我们正在冲绳、九州、北陆、北海道寻找合适的候补地。

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流動資産と固定資産

平成19年3月6日
○流動資産と固定資産

 私は永年商社勤務をしていたので、流動比率には人一倍注意を払う習性が身についている。流動比率とは流動資産と流動負債の比率である。これが100%を超えてはならないというのが私の永年のルールであった。ところが最近この流動比率が100%を超えるようになってきた。しかもそれが定着しつつある。

 問題点は流動資産と固定資産の区分の、曖昧さである。例えば一年以内に処分(売却)する予定の有価証券や不動産は当然流動資産に計上すべきであるが、これがそうは出来ないという。固定資産に計上されてしまう。当然流動比率は悪くなる。

 会計学上の基準で言えば、長期借入金の内、1年以内に返済する予定のものは、固定負債で計上せず、流動負債の短期借入金と同等に扱っている。それと一年以内に売却する予定の有価証券や不動産は、同じことになるはずである。流動比率にこだわる私にとっては、これは大きな問題である。同時に金融機関も帝国データバンクをはじめとする調査機関も、全く同じようにこの流動比率を重要視するので困るのである。

 正確な流動比率でない、不正確な流動比率をどうしたらよいのであろうか。これは一年以内に処分(売却)するルールを明確化することである。それによってより実体に近いバランスシートが出来上る。

 「不動産」の言語の通り、土地や建物、住宅などは動かない資産、売買しにくい資産、売ろうとしても売れない資産といわれてきた。しかし最近は、不動産の証券化により、土地の流動化が進みつつある。流れの変化は、地価に収益還元法が導入されたことで起きた。土地は売り手と買い手のマッチングが困難で、「千に三つ」といわれていた。それが証券化され流動化し、収益目的で売買されるようになった。東京都心の土地の上昇は外国からのファンドによってスタートしたのである。

 土地、建物は不動産。しかしすべて固定資産に計上する時代は終わりつつある。まして不動産会社、開発会社は土地、建物を商品として開発・販売するのである。すべてを固定資産計上する現下の会計制度は、時代の先を見越したものとは言えなくなってきている。

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流动资产和固定资产


19年3月6日
流动资产和固定资产

我常年在商社工作,养成了比一般人要加倍重视流动比率的习惯。流动比率指的是流动资产和流动负债的比率。流动比率不得超过100%是我多年来的原则。但是最近这个比率开始超过100%,而且这一倾向趋于固定化。
问题在于流动资产和固定资产的区分过于模糊。比如说一年之内准备变现的有价证券和不动产本来应该算在流动资产之内,但是却不能这样做。而是计算在固定资产之内。其结果当然是流动比率变差。
从会计学的标准来说,长期借款当中,打算1年之内偿还的不计入固定负债,而是和流动负债的短期借款等同处理。1年内准备变现的有价证券和不动产本来也应该如此。对于看重流动比率的我,这是个大问题。同时金融机关和帝国数据库等调查机关也非常重视流动比率,所以流动比率事关重大。
那么不符合实际、不正确的流动比率该怎么办?答案是明确有关1年之内的变现资产的规定。只有这样才能够得出跟实际相近的收支平衡表。
“不动产”这一词正如其字面意义一样,指的是不流动的土地或建筑物、住宅等资产、难于进行交易的资产、想出手也出不了手的资产。但是,最近,随着不动产的证券化,土地的流动化在不断发展。这一变化因地价开始采用收益还原法而产生。土地因为卖主和买主之间的接触和协调非常困难,向来被称为“一千比三”。但是在证券化之后土地变得流动起来,开始根据收益目的进行买卖。东京都中心的土地价格开始上升就是来自外国基金的投资。
土地、建筑物确实是不动产。但是把所有的土地、建筑物都列入固定资产的时代正在结束。更不用提不动产公司、开发公司已经在把土地、建筑物当作商品在开发和销售了。把所有的土地、建筑物等记入固定资产的目前的会计制度,只能说是没有看到时代发展的潮流,已经不符合时代发展的要求。

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ベンチャーの先駆渋沢栄一(1840〜1931)

平成19年2月19日
○ベンチャーの先駆渋沢栄一(1840〜1931)

 私は社長業をはじめてゆっくりと休日をとったことが少ない。しかし「忙中閑あり」の言葉もあり、永平寺町の家で、一日休むことにした。早朝より暖炉に火を入れて読書と庭いじりを楽しむことにした。暖炉の灰をとり、冬木立の根元に撒いた。シャガが生き生きと緑色を増している。ふきのとうを見つけた。早速「あく」をとって昼食に桜味噌とあえた。更に夕食に鯛とまぜて酒の肴にした。にが味がうれしい。春の香りである。永平寺町に住んで3回目の冬。今年は雪が殆んど降らない。立春を過ぎて本当の春が来たように暖かい。

 今日は私の尊敬する日本のベンチャーの雄、ベンチャーの先駆――渋沢栄一に会いたいと考えている。彼は幕末から明治・大正・昭和までの激動の時代の日本のリーダーとして活躍した稀有の巨人である。生前に起業した数、500社を超え、日本の産業の近代化の父として偉大な足跡を残している。私もそのベンチャーの一人として彼の功績の跡をしたい。一日の糧としたい。

 私が最も尊敬している点は渋沢栄一が、「私利私欲の為の貯財に走らず、他人の為、国家の為に、あらゆる困難に立ち向い、これを粘り強く遂行したこと」、「大衆や友人知己との合弁、合資により事業を起したこと」、「事業を通して多くの雇用を生み、後継者を多数育成したこと」、「アメリカとの関係修復に一生を捧げ、民間外交の先駆となったこと」、「天皇・将軍をはじめ、旧武士や官僚等の身分制度の厳しい差別の中にあって、四民平等の思想を貫いたこと」。

 渋沢は徳川慶喜の弟についてパリの万国博覧会に参加、1年7ヶ月間フランスに留学。「バンク」がまだ銀行という名前がない頃に「バンク」を生涯の仕事にしたいと考えて帰国した。私の会社の名前「日本システムバンク」の名前の由来の一つとなった。

 暖炉の火は暖かい。一日でマキが2束必要である。香りのよい落葉樹のマキを使っているが、家中にマキを燃やす香りが充満し、幼い頃のたき火の記憶がよみがえってくる。

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创业投资的先驱涩泽荣一(1840-1931)


19年2月19日
创业投资的先驱涩泽荣一(1840-1931)

我从事老板这一行以来很少有悠闲的假日。但因为有句话叫做“忙中有闲”,于是临时决定在位于永平寺町的家中休闲一日。早晨起来燃起暖炉读读书,侍弄侍弄院子里的花花草草,把暖炉的灰烬,撒到树丛种去。蝴蝶花越发地生机勃勃,绿意也一天浓似一天了。竟然有幸又找到了很多蜂斗叶的花茎,于是立即除去涩味中午用来拌樱花酱,晚上更就了大头鱼下酒,喜欢那淡淡的苦味,这是春天的味道。这是移居永平寺以来的第三个冬天,几乎没有下雪,立春过后真的就如春天来临般的煦暖了。
今天我要神交的是我所尊敬的日本创业投资英雄、创业投资的先驱者――涩泽荣一先生。先生作为日本的领袖人物活跃于幕府末期到明治、大正、昭和的动荡时代,是一位举世稀有的巨人。生前创业超过500家,作为日本产业的近代化之父留下了伟大的足迹,作为一名创业投资者,先生的足迹就是我今日的精神食粮。
先生值得尊敬的地方有很多。“他从不为私利私欲积累财富奔走,而是为了他人,为了国家,面对任何困难都顽强奋斗到底”。“通过跟大众或朋友、知交合办,合资创业”。“通过创业提供了大量的就业机会,并培养了众多的后继者”。“一生致力于同美国的关系修复,是民间外交的先驱”。“在天皇、将军、旧武士、官僚等身份制度存在严格差别的时代,坚持贯彻四民平等思想”。
先生跟随川庆喜的弟弟参加巴黎的万国博览会,并在法国留学1年零7个月。“bank”还没有变成“银行”这个名字时,先生怀着要把“bank”作为毕生的事业的决心回国。我的公司名字叫“japan system bank”,其中有一个理由也在于此。
暖炉吐着温暖的火苗。1天需要2抱木柴,我用的是发出很好闻的味道的落叶树。木柴燃烧的味道在家里弥漫,唤醒了幼时记忆中的篝火。

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決算書の読み方

平成19年2月13日
○決算書の読み方

 私は大学時代の4年間、税理士事務所でアルバイトをさせてもらった。中学時代から数学が得意だったので経理の勉強はそんなに難しいものとも思わず、その世界に飛び込んだ。そしてすぐ自分の甘さに気付かされた。複式簿記の複雑さとその体系の妙。これは理解するのにてこずるなと悟った。税理士事務所には税理士1人と税理士試験を毎年受けてあと一息という先生が3人いた。そして10人程の女性達。ただ4年間私がアルバイトをしていた期間中には1人も合格者が出ず、卒業後に1人合格と聞いた。仕事をしながら税理士試験をめざすのは当時でも大変のようであった。経済学部を出て、商社に入社し、営業の仕事を始めた。幹部候補の若手を集めて、マネージングサークルという勉強会を社内で開くことになり、その教科書を手作りで作った。まだマネージメントという言葉が珍しい頃のことである。

 その当時から私は決算書の読めない経営者ではダメだと考えていた。税理士事務所での経験がそれを教えてくれた。そこで私の会社では毎月役員を対象に社外講師による「決算書の読み方」の研修会を開いている。毎週の役員会の中で、社長が講師となって同業他社の決算書分析会を開催することもある。「決算書の読めない経営者は会社をつぶす」というのが私の考えである。数字の裏に隠されたものを適確に把みとり、早目、早目に対策を打ち、会社をよい方向に導いていく。それが経営者である。規模の大小は問題ではない。成長性のスピードの早さと安定性のバランスそして健全性が高いこと。社会性への配慮が大きいこと。こういう会社が理想である。その為に常に決算書の中身を精読し、対応を怠らないよう努める。これが私の目指す経営者像である。そういう経営者を育てることが私の仕事と考えている。

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决算表的读法


19年2月13日
决算表的读法

我大学时代的4年一直在税理士事务所打工。本以为自己中学时代就比较擅长数学,所以根本没觉着财务学习有多难就选择了这个工作。结果很快就意识到自己的想法多么简单,复式簿记的复杂程度和体系的精妙远远超过了我的想象。同时也开始明白要完全理解复式簿记还是很需要一番功夫的。我所在的税理士事务所里有1位税理士,还有3位每年都在参加税理士考试但离成功还有一步之遥的准税理士,另外还有10名左右女性事务员。不过在我打工的4年里没有一位先生通过考试,毕业之后听说其中有一个终于考试及格。
边工作边参加税理士考试在当时也是非常不容易的事情。我从经济专业毕业之后,进入商社,开始了营业销售的工作。后来召集公司年轻的干部候补们,在工资内部开设了一个叫做管理学小组的学习班,教材是我亲手做的。当时是个连管理这个词都还很新鲜的时代。
从那时候我就认为看不懂决算表的经营者绝对不是合格的经营者,税理士事务所的打工经验也教给了我这一点。因此现在我的公司每周都从外面请讲师来指导董事会成员们研修“决算表的读法”。每周的例行董事会会议有时候也会变成我这个老板变成老师跟大家一起分析同行业其他公司的决算表。我一向认为“看不懂决算表的经营者会毁掉公司”,准确把握数字背后隐藏的东西,及时发现问题,提早采取对策,才可以引导公司向好的方向发展,才是合格的经营者。公司规模大小不是问题,关键是要保持发展速度与稳定性的高度平衡。同时作为一个公司还应当十分健全,能够极大地照顾到公司的社会性。这样的公司才是理想的公司。经常钻研决算表的内容,及时采取相应的对策,也是我心目中理想的经营者应有的形象。现在我的工作就是培养这样的经营者。

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会社の規模と質

平成19年2月9日
○会社の規模と質

 「会社と屏風は広げすぎると倒れる」という諺がある。アメリカでは「スモール イズ ビューティフル」という。

 私の会社は創業以来10年間、2ケタ成長を続けている。今期も大幅増収、増益である。これは会社の規模が小さいから出来たという事も言える。売上1千億円以上の企業が、景気変動の嵐の中で、2ケタ成長を10年間も続けるのは奇蹟に近い。売上が100億円未満の零細企業だから出来た。今後もこの成長のスピードを維持していく為にはビジネスモデルの再構築が求められる。

 会社は成長を続けることも大切であるが、安定性とのバランスがより重要である。その為に財務体質を強化しておくと同時に、あらゆる時代の変化に即座に対応できるような、臨機応変の身軽さも兼ね備えておくことが大切である。倒産の唯一、最大の原因は「資金繰りの失敗」である。それも中長期的な視野に立っての失敗である。

 更に最近とみに重要性を増してきているのが「社会性」である。「社会性」はCSRと呼ばれているが、法人として社会で存在を続けていく上での責任と義務が十分果されているかどうか。これを常に真剣に検証しなければならない。エンロンに始まった嵐は不二家にまで及んできたが、これからはますます重要な経営のファクターになる。

 会社の規模の大小にかかわらず、会社の質の中身が問われる時代になった。言葉を変えると質のよい、中身のしっかりした会社はアッという間に大企業に成長できるということでもある。明日の発展に大切なのは、今日の誠心誠意の努力である。一日一日を悔いのないよう最善を尽くしたい。

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公司的规模和质量


19年2月9日
公司的规模和质量

俗话说“公司和屏风展开的太大难免倒掉”。美国也有“小就是美”的说法。
我的公司创业10年以来,一直保持着2位数的成长速度。本年度预计也会大幅度痒煎甕廖2聴说这是因为公司规模小才可能做到的事情。营业额1千亿元以上的企业,在景气变动的风浪中,保持10年连续2位数长简直就是奇迹。而我们正因为是营业额不到100亿元的零散企业所以可以做到。今后,要想维持这一成长速度重新构筑我们的商业模式势在必行。
公司持续成长当然重要,但公司的安定和平衡更加重要。为此,在强化财务体系的同时,兼备可以随机应变、及时应对各种时代变化的体制同样重要。破产的唯一、也是最大的原因是“资金周转的失败”,这也是立足于中长期视野上的失败。
另外最近对公司来讲重要性骤然甓壇要素是“社会性”,“社会性”被称作“CSR”。作为法人的企业有没有充分承担得以长期立足于社会的责任和义务,这一点必须时刻认真自我检查。安然公司掀起的狂飙已经波及到不二家,今后企业的社会责任会越来越成为企业经营的重要因素。
当今的时代,不论公司大小,看重的是公司的内涵。换句话说质量好,内容充实的公司很有可能在短期内成长为大企业。为了明天的发展,重要的是今天要诚心诚意地努力。力求每天都不留遗憾,尽善尽美。

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不動産の目利き

平成19年2月1日
不動産の目利き

不動産の価格が長期低落の時代から、都市と地方の二極分化の時代に入ってきた。首都圏の一等地をはじめ、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡の目抜き通りの土地は、入札価格の上と下とでは、2倍以上の差がつくようになってきた。人はそれをバブル?という。
 不動産の価値は収益還元法で決まるといわれて、やっとそれが定着しはじめたところへ、今回の好景気の上げ潮がきた。また一部の不動産の急騰が始まった。銀座の土地の値上りに驚いたのはまだ1年程前のことである。それが都心5区の一等地に広がり、あっという間に全国に広がる勢いである。
 しかし一筋入ると価格は旧態依然のところも多い。土地の価格は一物百価であるが、買い手が沢山つく土地と誰もつかない土地と両極端となる。土地は立地で決まる。一に立地、二に立地、三に立地といわれるのが土地なのである。将来性のある土地や、将来性のある会社の株式は、みんな買いたがる。しかし本物かどうかを見極める目を持っているかどうかで成功、失敗が分かれる。不動産の選定にも「目利き」が要る。
 目利きが選んだ土地は失敗がない。私の土地選定の「ものさし」はコインパーキングの収益である。これが最適な土地の評価の役に立つ。即ち土地を評価する時に、「この土地をコインパーキングとして活用できるかどうか」を考える。次にそこから得られる年間売上を計算する。そしてその為の経費(支払金利、固都税、その他)を差し引いた残りの利益を土地の正当な評価の価格(x)で割算すると5%以上となる時のxの値いを求める。このxの値いを土地購入の上限価格と決めている。現在の私の土地購入の基本的なルールとしている。

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不动产的鉴定


19年2月1日
不动产的鉴定

不动产价格开始从长期低落时代进入都市和地方的两极分化时代。以首都圈的一等地为首,名古屋、京都、大阪、神户、福冈等的繁华地段土地的投标价格上下竟然相差2倍以上。人们谓之是“泡沫”?
一般来讲不动产的价值根据收益还原法决定。这一点刚刚固定下来,就上了好景气的浪潮,一部分不动产的价格开始急速上升。差不多在一年多年前我还在惊讶银座地价的上涨,没想到这种势头很快就扩展到了都心5区,大有顷刻之间席卷全国的气势。
但是另一方面很多路段地价故态依旧。土地可谓一物百价,分成了买家争相购买和全然无人问津两个极端。地价由立地决定,土地就是这样,第一立地,第二立地,第三还是立地。有前途的土地,有前途的公司的股票,大家都想买。所以有没有分辨真假的眼力就成了成功和失败的关键。选择不动产业也要有鉴别力。
有眼光的人选中的土地没有失败的。我选择土地的“标准”就是看投币式停车场的收益。这是最恰当的土地评价标准。也就是说我会首先考虑“这块地能不能用来做投币式停车场”。接着计算它做为停车场一年可以有多少销售额。最后计算除去所需经费(支付利息、固定资产税、其他)之后所得的利益和土地的正统评价价格(X)的比值,并计算这一比值为5%以上时的X值,这个X值就是我购买土地时的上限。这就是我现在购买土地时的基本原则。

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オートバイの駐車場不足について

平成19年1月25日
○オートバイの駐車場不足について

 エコロジー時代の到来と共に「自転車」の活用を見直す機運が高まり、駐輪場のニーズが増えてきた。コインパーキング業界でも数年前から無人式の駐輪場に興味が集まりはじめ、当社も量販モデル(特許申請中)の駐輪システムの開発に向けて注力中である。

 同時に「オートバイ」の無人式駐車システムが注目されるようになった。当社も東京都南青山1丁目の所有ビルの隣地にオートバイ駐車場をオープンした。またコンテナタイプのものをはじめ、ロック方式のもの等豊島区役所や首都圏近郊に次々とオープンさせた。これを更に全国に展開していきたいと考えている。なぜなら、昨年6月1日から路上駐車の取締りが強化され、自動車の駐車違反は大幅に減少しつつある。しかし、オートバイは駐める所がないというので取締る側も、オートバイに乗っている人の側も大変困っている。警察庁の方から、オートバイ用駐車場の確保について、業界へ開設依頼が来ている状態である。

 現在のオートバイ駐車場のシステムは、決して未完成ではない。しかし技術やアイデアは日進月歩である。よりよい、より安い、次世代型のシステムへの研究開発は我々の使命である。

 当社は早速、新しいオートバイ用駐車場のモデルを社内公募することに踏み切った。いずれこれを一般公募に拡充していきたいと考えている。三人寄れば文殊の知恵というが、人間の脳の可能性は、ものすごく大きいといわれている。生きている内に使わなければ何の益にもならない。すばらしいオートバイ用の駐車場を一日も早く完成して、ご利用の方々に喜んでいただきたいものである。

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关于摩托车停车场不足


19年1月25日
关于摩托车停车场不足

随着节能环保时代的到来,“自行车”时来运转,其价值被重新认识,自行车停车场的需求也甓知察E币式停车场行业也从数年前开始青睐于无人式自行车停车场系统,我们公司也正在积极投入力量研究开发可以量化成产的自行车停车场系统(此系统专利也在申请中)。
同时“摩托车”的无人停车场也开始受到关注。我们公司也在位于东京都南青山1丁目的公司所属大楼的旁边设有摩托车停车场。另外我们还在丰岛区政府和首都圈近郊等地开设了集装箱式、锁定式等不同形式的摩托车停车场,今后将把这一产品进一步推广到全国去。从去年6月1号开始政府开始加强取缔路边违规停车之后汽车的违规停车现象大幅减少。但是摩托车本来就没有自己的停车场,所以取缔方和摩托车主都很为难。以至警察署上门来请求我们确保摩托车的停车位、今后多加开设摩托车停车场。
当前的摩托车停车系统虽然已经成型。但是技术和设想等等还在日新月异地变化。研究开发更好,更廉价,面向下一代型的系统正是我们的使命。
我们公司已经决定在全公司范围内公开募集摩托车停车场方案。最终打算将征集范围扩大到全社会。“三个臭皮匠,塞得过诸葛亮”人的大脑充满了可能性,在有生之年不加以利用却不会带来任何益处。我们要尽快推出全新的摩托车停车场,让顾客们早日受益。

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継続は力なり

平成18年12月25日
継続は力なり

 継続することは私達にとって最も大切なことの一つである。古来より「継続は力なり」という。

 徳川幕府は約300年。日本の皇室は継体天皇即位以来1500年。老舗の企業で創業100年を超すものも散見される。それぞれ血のにじむような歴代の方々の努力の賜物である。心からの敬意を表したい。

 「継続」の中に、ただ単に「続く」という場合と、「続ける」という場合の違いについて考えてみたい。「続く」という言葉の響きは、決して悪くはないが、この場合は他動的で、私達の意志が感じられない。「継続は力なり」という場合の「継続」は「続く」ということより、「続ける」ということの方に重きをおいているのだ。

 「新しい事業」をはじめた時に、友人が言った。「3年たってみないとよかったのかどうか解らない」「アメリカ人は1年で判断する」「ユダヤ人は3ヶ月で決める」「日本人は石の上にも3年だ」この言葉は私にとって非常に重い言葉になった。「3年続ける」ことの大切さを教えてくれた。

 私達の会社は創業10年半。最初の3年間は、地面をはいづりまわっていた。4年目にやっと利益らしい利益を出すことができた。このことはお客様にも強く申し上げている。「新しい事業、コインパーキング事業を始めるのであれば、この石の上で3年辛抱するつもりでやってほしい」と。「3年たったら、3年辛抱して努力したら、成功はあなたのものです」と。「保証してもいい。この保証は私の保証などではなく、神仏の保証なのですよ」と。

 「継続の力」「努力」は無限の富、無限の幸せや喜びを生み出す力なのです。

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坚持就是力量


18年12月25日
坚持就是力量

“继续”对于我们而言是最重要的一件事情。自古以来就有“继续就是力量”的说法。
川幕府延续大约300年、日本的皇室自继体天皇即位已过了1500年、老字号的企业创业超过100年的也随处可见。一切都是历代先人不懈努力的结果,我对他们从心里表示敬意。
在这里我想就“继续”这个词所包含的意义,即单纯地“持续”还是“坚持”之间的区别做一思考。“持续”听起来感觉也不是个坏词。但是这种情况下的“继续”是被动的,并感觉不到我们的意志。而“继续就是力量”的“继续”比起“持续”应该是重点放在“坚持”方面的。
我刚开始着手开展新工作时,朋友对我讲“不过3年不会明白到底好或不好”“美国人1年就下判断”“犹太人3个月便作决定”“日本人就是石头上也要坐3年”。这些话对于我成了最重珍贵的话,教给我“坚持3年”的重要性。
我们公司创业10年半。最初的3年简直是在爬行前进。到了第4个年头才创造出可观的利益。我把这些经过也告诉给我的客户。对他们说“要开始新的工作、要开始投币式停车场工作希望您在这块石头上坐上3年”。“只要过了3年,只要您忍耐3年,成功就是您的了”。“我可以担保。当然这担保并不是来自我的,而是来自神灵的”。
“坚持的力量”,“努力”正是创造无限财富,无限幸福和喜悦的力量。

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「朝食会」

平成18年12月20日
○「朝食会」

 毎週水曜日に、常勤役員全員が参加する朝食会を開催している。最初のうちはNTT系列のテレビ会議であったが、IP電話と小型高性能カメラが使えるようになり、今では無料で、全国にいる役員と生の会話が出来る。想定していた通り、通信費は極端に安くなった。世界一高かった電話代が、世界一安くなったのだから有難いことだ。私の会社のようにタコ足経営のところは特にメリットが大きい。

 私は少し高血圧気味で、毎日医師のすすめで1錠ずつ降圧剤を飲んでいる。起床時が一番高くなるという。毎朝4時起床、すぐ机に向い、一日の計を立てる。朝の思索は最も効率がいい。

 朝食会は朝7時から8時30分まで、パンとコーヒーを私のポケットマネーで用意して行う。朝食を食べ乍らのミーティングは、頭の回転をよくし、これまた効率がいい。全員が最低2回は発言してくれる。活発な意見交換をし乍ら、重要な懸案事項が次々と決定していく。ただ残念なことに、取締役経理部長が育児の為、出勤時間が10時からとなっており不参加が続いている。勿論役員会の内容は詳細に伝えている。しかし、辛口の意見をいつもいう彼女の欠席は、画龍点睛を欠く。授乳期間が終るのを全員が待っている。

 日本の勤務時間の平均は正社員で2,268時間といわれている。私の会社は約1,900時間である。この点では一流企業並になりつつある。更に育児施設、託児施設を設けて、優秀な女性社員が安心して、安全な子育てをし乍ら、元気に明るく働ける職場を作り上げていきたい。朝食会でも「育児施設」はまだ同意を得られるところまで煮詰まっていない。しかし結婚し、出産し、産休を取る社員が増えてきている。来年こそ、手近で安全な「育児施設」を完成させたい。

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早餐会议


18年12月20日
早餐会议

每个礼拜三,我们都要开一个常勤董事全部出席的早餐会议。一开始我们采用了NTT电视会议系列。现在则用IP电话和小型高性能相机,无需任何花费就可以和全国各地的董事们交谈。而且正如我们设想的一样,通信费用也大大降低。世界上最贵的电话费变成了最便宜的。真是难得。特别对于我们这样展开全国经营的公司尤其有利。
我的血压有点高,每天都遵照医师的建议服用1锭降压剂,起床时血压最高。我每天4点起床,然后马上坐到桌子跟前,制定这一天的计划。早上的思考最有效率。
  早餐会议从早上7点至8点30分,面包和咖啡是我掏自己的腰包为大家准备。边吃早餐边开会,促进大脑运动,效率也很高。交换意见重要的议案事项也就一件接一件决定了。遗憾的是董事成员财务部长因为照顾孩子的关系,上班时间从10点钟开始,所以很长时间没有参加早餐会议了。当然每次开会的内容都会详细地转达给她。但会议上缺少了她一针见血的意见总感觉像是画龙没有点睛一样。大家都盼着她早点结束哺乳期,回到早餐会议中来
在日本正式员工的平均工作时间为2,268小时,我的公司为1,900小时。这一点已经逐渐接近一流企业水平。下一步我还想建设育儿设施,托儿所。为优秀的女性提供安心、舒适,可以一边安全地照顾孩子,同时心情开朗地工作的环境。虽然设“育儿设施”的提议还没有在早餐会议上得到同意。但是结婚,生孩子,休产假的员工在甓叩ぬ税一定要争取建一个便捷安全的“育儿设施”。

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「中間決算を目前にして」

平成18年12月19日
○「中間決算を目前にして」

 最近の企業の業績発表は、四半期毎に行うようになってきた。そして昨日、今日は3月決算会社の中間決算の報告書が次々と送られてくる。中間配当がついている会社が多い。少しずつではあるが、企業の姿勢が「株主優先」の方向に変ってきたようだ。個人株主は、年1回の配当よりも、年2回や4回に分けて配当を受取ることを喜ぶ。また法人株主も個人株主も機関投資家も、配当は多い方を歓迎する。

 ところが日本では長い間内部保留を重視するのがよい経営者だいう偏見が一般化していた。株主軽視の風潮が続いていたのだ。それが今、解消しつつあるのは誠に喜ばしい。内部保留を厚くするのは結構であるが、配当せずして内部保留に回すのは、経営者として恥ずかしいことである。

 私の会社は6月決算であるので、12月末日に中間決算を迎える。今は最後の追い込みの毎日である。売上で前年比130%以上、純利益で400%以上を達成できそうである。この業績好調の原因は、社員の努力の賜物である。創業11年目のスタートを美しく飾ろうというみんなの意気込みに感謝している。 

 同時にまた業界を取り巻く環境もよい。新規参入の企業や個人も多く、活気に満ちている。当分はこの状況は続くものと想定している。同業者の株式上場も盛んである。業績もよいが株価もよい。将来性を買っているのであろう。

 地主様への感謝を忘れてはならない。貴重な土地を貸していただいているご恩恵に常に報いる努力を続けることが大切だ。私達は創業10周年記念事業の一環として社会への感謝、株主様への感謝、お取引先への感謝、社員への感謝、そして地主様への感謝の気持を表明する事業を計画し、実行中である。

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中间决算近在眼前


18年12月20日
中间决算近在眼前

最近的企业都开始进行各季度业绩发表。这两天很多3月份进行年度结算的公司的中间决算报告也相继出炉。其中中间结算分红的公司也很多。企业的态度是一点点朝着“股东优先”转变了。个人股东比起1年1次,更喜欢1年2次或4次分到红利。不管是法人股东、个人股东还是机关投资家当然都是分红越多越好。
日本长期以来存在一种偏见认为重视内部保留的经营者才是好的经营者。轻视股东的风气也持续了很长时间。这一点也在逐渐消失,实在是一件值得欣慰的事情。重视内部保留固然是好事情,但不分红甚至把分红也转为内部保留,对经营者来说却是可耻的行为。
我的公司每年6月份进行年度结算,12月末将迎来中间决算,现在正是最后的冲刺时刻。预计销售额有望比去年长130%以上,纯利润可达400%以上。业绩看好的理由当然是员工们努力的结果。大家都想在创业第11年之际开个好头,我心里非常感谢大家的这种干劲。
同时整个行业所处的大环境也不错。不断有新的企业和个人参与进来,充满活力。估计这种情况还会持续一段时间。同行公司的股份也纷纷上市。业绩好股价也不错。大家买的是这个行业的将来性。
我们也不能忘记对地主的感谢,我们应该牢记他们借给我们土地的恩惠,为了报答这种恩惠而不断努力。作为创业10周年纪念事业的一环为了表明对社会,对股东,对客户,对员工,还有对地主的谢意,我们正在计划并实际做着一系列的工作。

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創業以来11期間増収を続ける

平成18年12月1日
○創業以来11期間増収を続ける

 創業以来10年が過ぎて、もう半年近くとなった。当然のこと乍ら、この10年間、数多くの方々に助けられ、手を引かれて、売上を少しずつではあるが、順調に伸ばしてきた。今期も例年通り、2ケタを上回る増収となる。私は会社設立以来「ユニーク経営」を常に念頭に置いてきた。人間の顔やかたちがみなそれぞれ違うように、会社も違って当たり前である。特長のある会社でなければ存在価値がない。「喜びの種、幸せの種をまこう」を合言葉として、「十方よし」の経営を行うにはどうすればよいのか。これが私達の会社の永遠のテーマである。

 日本人は、農耕民族だったのと、地理的条件によって島国根性といわれる保守性を持ち、まわりへの依存心が強く、不和雷同の気が強い。好運なことに私は、外国の大学で短期間ではあるが、世界各国の留学生と交わり、その後5年間世界中をまわった。行商の旅であった。そこから得たものは、自主自立の精神と、衆に埋没しない自我の確立であった。

 「自分の創った会社をどのようにしたいのか」これは、創業以来10年間の私のテーゼであり続けている。「顧客第一主義」は殆んどの会社のスローガンである。しかし本当にそれを実現しようとしているのか、検証してみると、正反対の現実に気付く。

 「お客様第一主義」と「十方よし」は同じ方向を目指している。お客様に奉仕することが満足に出来れば、会社の存在価値はある。

 わかり易くいうと、お客様から、「あなたの会社は何をする会社ですか」と問われて、正確に答えられる「解」を持っているかどうかである。お客様のニーズに合致する「解」が出せるかどうかである。私達の「解」は「遊休不動産の有効活用が私達の仕事である」「お役に立たせて下さい」と胸を張って答えている。

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创业以来连续11期痒


18年12月1日
○创业以来连续11期痒

创业10年周过去,已将近半年。10年来,我们有幸得到很多人的眷顾和指引,销售额虽然为数不多,但长顺利。本期预计也会跟往年一样,痒青过两位数。我从组建公司以来一直本着“特色经营”的理念,正如每个人的脸和体形各不相同,我认为不同企业的存在也是理所当然的。没有特色的企业没有存在价值。高举“播种喜悦的种子,幸福的种子”的旗帜,如何做到“我为人人,人人为我”式的经营是我们公司永远的课题。
我们日本人身上有很强的保守性。这来自祖先的农耕民族,还有所谓的因所处的地理条件产生的岛国根性。因此对周围有很强的依附性,附和雷同,人云亦云的倾向也很严重。幸运的是我有过短期在国外大学留学,与来自世界各国的留学生交流的经历,之后5年又足迹遍布世界各地经商旅行。这些经历给了我自主自立的精神,使我确立了不埋没与大众的自我。
“自己组建的公司最终将走向何方”这是我创业10年来的课题。大多数企业都在标榜“顾客至上”。可是是不是所有的公司都在为实现这一目标而努力?稍加验证就会发现,事实正好相反。
“客户至上”和“我为人人,人人为我”所追求的方向是一致的。能够为客户提供满意的服务,这个公司就有存在的价值。
举个简单的例子,比如你被客户问及“你们公司是做什么的”,对这个问题你有没有正确的答案。你是否拿得出跟顾客需要一致的答案。我们对这一问题的答案是胸有成竹的。即“我们的工作就是闲置不动产的有效利用”“愿意为您效劳”。

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キャッシュフロー経営

平成18年11月29日
○キャッシュフロー経営

 京都である不動産に関係する集いがあった。その時メンバーの1人から最近の東京を中心とする不動産取引の異常な状況について、注意を喚起する発言があった。「バブル崩壊の時、痛い思いをした人が多いと思うが、所によってはバブルの状態と同じように市場が熱い。よく注意して状況判断を誤らないように」という親切な注意であった。あの時は地価も株価も急騰し、金融機関は莫大な負債を作ってしまった。みんなで飲んだ花見酒である。

 バブル崩壊の後、政府、日銀は恐しい程の金利の引上げを矢継ぎ早やに打ち出した。そして、悪名高い「総量規制」という不動産への融資を実質的に不可能にする施策を取った。その他税制面でもあらゆる手段を駆使して、不動産への投資を止めた。この時、土地も株式も死んだ。最も大きな痛手を受けたのは皮肉なことに国民の財産を預かる金融機関であった。 そしてこの終戦処理の対応に10年の歳月を要した。今やっとその処理が終ろうとしている。

 近江商人は「金の無いのは、首のないのと同じだ」と言う。土地も株式もあり乍ら、その価値があっという間に1/2、1/3になってしまった。当然営業キャッシュフローは赤字である。あらゆるお金持ち、個人も企業もお金持ちが丸裸になった。準備していた大量の手持資金も、高金利の下、すぐ底をついた。売るに売れない土地、塩漬けとなった株式だけが残った。多くの金融機関が姿を消した。長期信用金融機関は全滅し、銀行の銀行といわれた興銀だけが勧銀、富士と合併し命をつないだ。生保、損保、証券業界も同様である。倒産、合併が相次いだ。

 会計制度にB/S、P/Lだけでなく、キャッシュフロー計算書が義務付けられるようになったのは、その後である。59歳で創業した私が、最も意を注ぎ、力を入れているのは「キャッシュフロー経営」である。創業以来手形は発行していない。キャッシュポジションは決して高くはないが、いつでもキャッシュに換える資産を常に準備してきた。これからもこの方針は変えない。いや変えられない。同業他社や類似企業との比較も「キャッシュフロー」を中心に行う。不動産関連の企業はかなりキャッシュポジションが高い。反面資金効率が悪い。これは宿命ではあるが、キャッシュフロー経営を続けていけば、この宿命を避ける事が可能となる。一つ一つのケースで常に、キャッシュフローを最重点に検証していくことにより、「キャッシュリッチ企業」への道をあきらめなくてもよくなるのだ。

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现金流动经营


18年11月29日
现金流动经营
在京都的一个不动产相关集会上,一位会员对最近以东京为中心的不动产交易的异常状况,发言要人们提高警Α“泡沫经济解体的时候,很多人有过惨痛的经历,现在有些地方和当年泡沫时代一样市场过热。一定要注意千万不要做出错误判断。”他的一番话是出于好心。泡沫经济时代不论地价还是股票都一路飙升,金融机构债台高筑,最终一切消失在大家喝的赏花酒里。
泡沫经济解体之后,政府还有日银立即推出大幅提高利息的政策。而另外一项恶名昭著的“总量限制”措施,实际上使不动产融资成为不可能。其他税制方面也采取了各种手段阻止对不动产的投资。这时,土地和股票都死了。富有讽刺意味的是受伤最重的却正是这些管理国民财产的金融机构。这一场战争的战后处理整整花去了10年的岁月。现在终于接近尾声。
近江商人常说“没钱,如同没脑袋”。手上明明握有土地和股票,价值却一眨眼变成了二分之一,三分之一。营业方面现金流动自然也成了赤字。所有的有钱人,个人,企业都变得一无所有。手头准备的大量资金,也在高息政策之下,很快见了底。只剩下脱不了手的土地,还有咸菜缸底的盐渍似的股票。大批金融机构消声匿迹,长期信用金融机构更是全军覆没,只有素有银行中的银行之誉的兴业银行和劝业银行,富士银行合并得以保全性命。生命保险,损失灾害保险,证券业也一样接二连三破产合并。
那之后会计制度不仅B/S(资产负债表),P/L(损益决算表),现金流动表也成为义务。我59岁创业,最注意并全力以赴做的就是坚持“现金流动经营”。从创业到现在没有开过支票。我们的现金位绝对不算高,但常备随时可以转换成现金的资产。这个方针今后不会变,也不能变。我们跟同行其他公司还有类似企业比较,也以“现金流动”为中心进行。不动产相关企业的现金位相当高,相反却存在资金利用率不高的缺点。这也是宿命,但我相信只要坚持现金流动经营,避开这一宿命也是有可能的。任何情形都把现金经营放在最重要的检验标准,通向“现金充裕企业”之路一定会水到渠成。

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なぜ終身雇用か

平成18年11月28日
○なぜ終身雇用か

 1980年代に日本がアメリカを抜いてあらゆる意味で世界一となったことがある。「ジャパンアズナンバーワン」という本まで出版された。アメリカの経営トップは相次いで訪日し、日本経営のよい点を学んだ。そのよい点の第一に挙げられたのが「終身雇用制度」であった。その他には「年功序列」や「系列」そして官民一体になった「護送船団方式」があった。

 アメリカのGMは、日本経営の基本といわれた「終身雇用制度」を既にその頃から採用していた。理由は日本と同じ考え方である。「安心して一生勤勉に働き、スキルをアップしていく事が、ローリングストーンより有効かつ有利である」との考え方である。

 キャノンの御手洗会長も大企業のトップとしては珍しく、最近でも「終身雇用」の重要性、優位性を盛んに内外で主張されている。アメリカでの熾烈なビジネス社会での経験を通してなお、この「終身雇用」の利点を述べられているのは注目に値する。

 私達の会社は、社員僅かに200名余り。しかし創業時から終身雇用の看板を掲げている。監査法人はGMの例を取り、退職引当金倒産の危険に、早目に対応していくように言ってくる。私の信念は逆だ。出来ることなら現在の65歳定年制を70歳まで延長したいと考えている。団塊の世代の大量定年時代をいよいよ迎える。その時、喜んで働き続けることが出来る場を用意するのは、経営者の責務である。

 アンケートによると、彼等は、定年後に「創業起業したい」と考えている人は少ないようだ。これは、現代人の保守性による。これは、日本人の特性による。変化を嫌がる人間の本能なのかも知れない。殆んどの人々が、同じ職場で、働き続けたいと考えているのだ。これに報いる為には、定年延長制度の採用と、終身雇用制度への回帰である。それが最適の対策なのである。

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为什么有必要终身雇用


11月28日
○为什么有必要终身雇用

上世纪80年代日本超越美国在各个领域成为世界第一,以至《 Japan as Number One 》一书出版发行,美国的经营高层接踵而至来到日本,学习日本企业经营的优点。其中“终身雇用制”被列为第一大优点。其他还有“年功序列”(论资排辈)、“系列”和官民一体的“护送船团方式”(此处是指日本20世纪后期大藏省对银行业所采取的金融安定化和产业保护政策)。
从那时起美国的宝马集团就采用了被称之为日本经营基础的“终身雇用制”。其理由与日本相同。即员工“可以安心勤奋工作一生,不断提高技能,这比不断换工作更有效和有利”。
佳能的御手洗会长做为大企业的高层,最近还在各种场合大力推崇“终身雇用制”的优越性和重要性,实属稀罕。何况他曾经多年在美国炽热的商业化社会打拼,却依然提倡“终身雇用制”的好处,不能不引人注目。
  我们公司现在虽然只有200多名员工,但从创业时起就打出了“终身雇用”的招牌。监察法人以宝马因大量的退休充足金而面临破产危机的例子,劝我早早制定对策。我的信念却正好相反,可能的话我想把现在的65岁退休制延长为70岁。我们马上要迎来“团块世代”(日本战后人口出生高峰期出生的人们)大批退休的时代。为他们提供可以继续工作的场所也是经营者的职责。
  问卷调查表明“团块世代”们,退休之后“想创业”的并不多。这源于现代人的保守性,也是日本人的特性。讨厌变化也许是人的本能。大多数人希望在同一地方继续工作。顺应这一趋势采用延长退休年龄制和回归“终身雇用制”才是最好的对策。

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使命感で熱い人生が送れる

平成18年10月23日
○使命感で熱い人生が送れる

 百歳を超えて生き抜いた日本彫刻界の雄、平櫛田中の色紙を、元三越百貨店理事、当社社外取締役の越田久康さんにいただいた。

    いまやらねば いつできる
    わしがやらねば たれがやる

 白寿の色紙と二枚いただいたので、九十八歳の老年の筆になるものと思う。筆勢がすばらしい。「使命感」に燃えている。熱い思いが伝わってくる。 

 「使命感」を持っているかどうかで、人間は変ると、私は考えている。「使命感」を持って生きている人は強い。そして究極の勝者となる。「使命感」が人の能力を何倍にも、何十倍にもしてくれるからだ。「使命感」を持っている人は魅力的だ。そして美しい。なぜなら、物事に熱中している人を見ることは、励みにもなり、強く引き付けられる。物事に一心不乱に取組むことで人は大きく成長する。

 「まちおこし」の運動を始めて、あっという間に早や10年が過ぎた。コインパーキングを普及させ、駅前や繁華街の一等地にあった「月極駐車場」を、誰でも、何時でも、安く、安全に、安心して利用できる「無人の、時間貸駐車場」に切りかえる「駐車場革命」を標榜して、「使命感」を持って走ってきた。そして駐車場だけでは不足だと気が付いた。魅力あふれる個店が必要であり、商店街の連携が必要である。いま取組もうとしているのは、全国の地方都市の中心市街地の活性化である。コンパクトシティの実現である。都心居住の推進である。まだまだやるべきことが多い。

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失敗学

平成18年10月18日
○失敗学

 成功する為の本が、書店やインタネット上にあふれている。反対に「失敗学」についての本も、チラホラ見かけるようになってきた。「失敗学」とは、失敗について研究する学問である。人生七転び八起きというが、失敗を研究していくと、最後に成功することが出来るという単純なものではない。もっと本質的なものである。失敗することによって成功の可能性が生まれるといった方が正しい。失敗を怖れて、実行しない人が多い。それを機会損失という。失敗を恐がってはならない。失敗してもいいじゃないか。失敗してみよう。そんな気持でやりたい事に全力投球すると、不思議にすんなり成功するものである。

 私の人生は失敗の連続であった。それは黒く苦しい人生ではなく、逆にスリルと興奮に満ちた、すばらしい日々であった。失敗を繰り返すうちに、不撓不屈の負けじ魂を鍛える事が出来た。失敗の原因を考えるうちに、時代の流れを見る眼を養うことが出来た。そして大切なことは、自分の人生の目標が見えてきたことだ。一心不乱に取り組むことが出来る仕事がはっきりしてきたことだ。人は失敗を繰り返すことで、強くなれる。偉人といわれる人、政治家、実業家、教育者、学者、あらゆる成功者は、すべて大きな挫折を経験し、それを乗り越えて成長してきている。失敗の中から得ることが出来るものは非常に多い。反対に成功から学べるものは予想以上に少ない。

 たった一度しかない自分の人生を悔いのない、すばらしいものにするのは、自分の意志次第である。失敗を怖れず勇気を出して挑戦するところに進歩があり、幸せがあり、喜びがある。

 中高年になって失敗は許されないとよくいわれる。本当にそうだろうか。私は59歳で創業した。小さな会社だから数々の試練にほんろうされた。しかし、その課程でも、悔いのない、喜びの日々、感謝の日々を送ってこられた。失敗することも多かった。これからもまだまだ続く失敗の道である。しかし決して怯んではいない。

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道路交通法改正の影響

平成18年10月13日
○道路交通法改正の影響

 本年6月1日に道交法の改正によって駐車場ビジネスの業界に大きな影響が出るとの観測が早くから流されていた。この影響が少しずつ実感されるようになったのは、本年1月頃より、他業界からの新規参入が始まったことによる。また既存のお客様よりの受注も月を追って増えてきた。ピークは6月であった。

 お客様の情報によれば6月1日以降の駐車場の売上高は、都心部において10〜20%増であるのに対し、郊外や住宅地では殆んど変化がないとのこと。仮に都心部の売上比率の高いお客様の場合(都心比率50%とした場合)には売上高は5〜10%上昇していることになる。また仮に都心部の売上比率の低いお客様の場合(都心比率10%として場合)には、売上高の上昇は僅か1〜2%に過ぎないことになる。

 しかし、日本経済が本格回復を迎える前夜にある中で、売上高の10〜20%上昇や1〜2%の上昇は決して小さい数字ではない。何故なら売上高の上昇は殆んど純利益の上昇となるからである。 

 都心部の土地の価格の上昇が、今コインパーキングの地代の上昇を引き起しつつある。この地代上昇の影響は今後この業界にとってマイナス要素になることと思われる。

 またマンションやビルへの転用が駅前などの一等地から徐々に進みつつあることも気になる現象である。道交法改正の影響は、決して一過性のものではなく、ボデーブローのように徐々に浸透してくると思われる。私達が使命感に燃えて積極的に進めてきた「駐車場革命」=月極を時間貸に=有人を無人にという運動が、今まさに脚光を浴びつつある。この喜びの種、この幸せの種をまき続けていきたい。

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高志塾について

平成18年10月6日
○高志塾について

 ベンチャー企業として、高い志を持ち、大きな夢を持ってスタートした私達が、ある程度の基盤が固まり、安定成長軌道に乗ったと判断したのは、創業8年目を迎えた今から約2年半ほど前の2004年の春の頃であった。

 その当時の風潮は失われた10年を取り戻し、閉塞状態の日本経済に風穴を開け、ブレイクスルー出来るのは、創業起業家の輩出であるという空気が流れていた。

 そこで私達は、拙い経験が少しでも社会のお役に立てばと考え、「高志塾」を開塾した。そして数多くの出会いをいただき、いくつかの実績を上げることが出来た。最近では公共をはじめ、商工会議所や各学校、金融機関等でも同様の趣旨で種々の講座が開かれだした。私達が当初目指した一応の目的は、ほぼ達成出来たものと判断するのは、少し早計でろうか。

 これからは団塊世代の大量退職の時代を迎える。受皿はもう十二分に育ってきている。そこでこの団塊世代の方々に対するプレゼントとして、評論家鶴蒔靖夫さんに「日本システムバンク」のことについて本を書いていただいた。まだ題名は決まっていないが、『59歳からの挑戦』であろうか。先に発刊されている月刊うらら編集室の『夢への挑戦』と併せて読んでいただくと、勇気が湧いてくると思う。

 「21世紀は環境の時代」である。このテーマを常に念頭に進む必要がある。福井という一地方都市から、日本全国へ、そして世界中へ、種々の情報を発信し続ける為に、今迄の高志塾を衣替えしたい。そして「環境についての研究の基地」として「デジタル地球大学」を開講する。テーマは「地球環境」、京都造型芸術大学の竹村真一教授が発明された「デジタル地球儀」を使って講義を行う予定。講師は地球に関する日本有数の学者を招きたい。場所は福井駅前の「エコライフプラザ2Fのキッズグローブ」。毎月1回、約2時間の講演と討論を今迄通り行いたい。乞ご期待。

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日曜日の社長室

平成18年10月5日
○日曜日の社長室

 私の日課は朝4時起床。それから約2時間頭の体操をして、7時半出勤。始業までの1時間社長室で一人でゆっくり考える時間を持つ。この社長室での朝の1時間が貴重である。しかし、日曜日に社長室へ入ると不思議に孤独を感じる。誰もいない、静かな社長室周辺の雰囲気は、毎朝の早朝と何ら変らないが、日曜日に社長室へ入ると自分の無力を知らされるようだ。

 社長は会社の代表だ。社長の能力と努力で会社は変るとよくいわれる。しかし日曜日、静かなオフィス街で、一人社長室に座っていると、その言葉は決して正しくないということがよくわかる。僅か200名足らずの小企業ではあるが、社長が会社を代表してはいるが、本当の代表は誰かを考えてみると、それは社員であることにすぐ気付く。社員が会社を代表している。社員が会社の代表者である。

 私は社員の一人一人の顔を思い浮かべて、密かに労いの言葉をかける。よくやっているね。ありがとう。

 近江商人の金言に「三方よし」がある。仏教の世界で「十方世界」という。「三方よし」は売り手よし、買手よし、世間よしである。「十方世界」とはあらゆる空間を意味する。私の事業のすすめ方は「三方よし」から「十方よし」に進化させている。即ちあらゆる空間を意味する「十方」とあらゆる時間をも含めた「十方」、過去、現在、未来を含めた「十方」がすべてよいやり方で仕事をしようと考えているのだ。

 私を支えてくれる社員、育ててくれたお客様、お取引先、株主、地主、金融機関、地域社会のすべての人々によかれというやり方で仕事をしていきたい。「十方よし」を具現化するのが私の一生の仕事である。

 日曜日の社長室は社員の大切さを思い起こさせる。そして未来への挑戦の意欲を与えてくれる。感謝。

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自動車関連ビジネス

平成18年10月3日
○自動車関連ビジネス

 トヨタとの関係は学生時代に溯る。ゼミの小野高治先生がアメリカのイェール大学へ博士留学をされる時、私達に残された言葉の一つに「アメリカのビッグビジネスは、自動車メーカーだ。ビッグスリーというGM、フォード、クライスラーという巨大企業である。日本もいずれ自動車の時代が来る。君達の就職の面倒は、アメリカからでは見てあげられないが、時代の先を見て就職を決めよ。そして選んだ職業を天職として努力せよ」とあった。

 私は小野教授の言葉通りトヨタ自動車工業を受験した。10月1日にすべての一流企業が全社一斉に就職試験を行った頃だ。当時自動車産業は、マイナーな時代で、車を運転する人も少なく、自動車学校はすべて外車の中古で教習を行っていた。しかし昭和33年10月はナベ底景気といわれた、ドン底の状態であった。マイナーといわれるその頃のトヨタへも、大阪の試験場だけでも750人もの学生が押しかけた。当然入社は出来ず、片思いの恋は破れた。

 次のチャンスは20年後に巡ってきた。トヨタが新しい販売チャンネル「ビスタ店」を立ち上げるというニュースだ。これに立候補することになり、パートナーの運送会社の社長と一緒に何度も何度もトヨタ自販の名古屋本社へ通った。そして獲得した「トヨタビスタ福井」の初代の代表を5年間勤めさせていただいた。初恋の相手と結ばれた記念すべき1980年4月のことである。

 それ以来車ビジネスとは深い因縁で結ばれている。コインパーキング事業の会社を設立した1996年7月も、車ビジネスなら大丈夫、特に駐車場のニーズは大きいとの確信があったからだ。また車のリサイクル法の制定前に、この仕事は誰かが命がけてやらなければならないとの使命感の下に、全国のトヨタ系ディーラーの経営するリサイクルの別会社を歴訪し、種々指導を仰ぐことが出来た。そして福井県で車のリサイクル事業に着手した。日本初の手分解による車の解体業のスタートである。

 時代の先を見る、時代の声を聞く。よく見ること、よく聞くことが何より大切である。車関連ビジネスはまだまだ発展する。自動車関連部門へ多くのベンチャーの参入を期待している。

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「十方よし」「三方よし」

平成18年10月2日
○「十方よし」「三方よし」

 近江商人の基本的な考え方として「三方よし」がよく指摘される。身分制度が厳しかった時代には、自由に他の地方へ出て歩くことは出来なかった。また土地に縛り付けられていたので、なお更他郷をまわることは難しかった。近江商人がどこへ出稼ぎに行っても、どこへ定着しようとしてもまず自分を受入れてもらうことが何よりの前提であった。その為に生まれた思想が「三方よし」という考え方である。商売の道標と言ってもよい。三方とは「売り手」と「買い手」と「世間」である。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の商法を確立することが、見知らぬ土地で成功する秘訣となっていった。

 私は59歳で創業し、全く新しい、全く経験のないビジネスをスタートするに当り、この近江商人の「三方よし」の考え方を分析した。物を売買する場合は、売り手と買い手とそれを取り囲む世間の三つがある。しかし私の場合は、小さいけれど、会社を興すので、社員がいる、株主がいる、下請がいる、金融機関も、地域社会も存在する。国民としての国家への義務を考えると同時に、創業を支援してくれる家族や友人のことも考えなければならない。また競争相手、同業者のことも考える必要がある。お客様には私の提供するサービスに満足してもらうことが大切だ。土地を貸してくれる地主さんには今迄より多い地代を提供したい。

 新しい事業を興すのであるから、私の存在が、誰にとっても邪魔にならないものにすることは出来ないのだろうか。すべての人に利益を与える方法はないのだろうか。まわりの誰にも損をさせないビジネスとは何かを考えた。

 そして「駐車場革命」を確立していった。「勿体ない思想」を具現化していった。「十方よし」を作り上げていった。「三方よし」を基本としているが、自分の利益を度外視するところからスタートしたのだ。自分以外のすべての人々に「喜びと幸せ」を受け取ってもらえることを目指した。まわりすべての人々を「十方」と呼ぶのである。「まわり」即ち「十方」「あらゆる方向」の人々すべてが喜ぶこと。それを「十方よし」と私は呼んでいる。私のビジネスの根底にある考え方である。

 「十方」とは、社員であり、株主であり、土地を貸していただく地主であり、その土地の管理をしている賃貸業者であり、資金を貸してくれる金融機関であり、仕入先の各企業、部品やサービスを提供してくれる各企業、地方税を支払う先であると同時に支援してくれる先でもある県や市、国税を支払う先であると同時に私達を守ってくれる先でもある日本国。そして私達の家族。友人知人。報道機関。

 仏教で「十方世界」と呼ぶその「十方」のことである。その「十方」すべての人々が喜んでいただける道を捜し出して、一歩一歩、ヨロヨロと歩いている。歩みはヨロヨロと見えようとも、志は固く、信念は強く、希望に満ちあふれている。
 「十方よし」を高く掲げて歩み続けたい。

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我に三策あり

平成18年9月14日
○我に三策あり

 ベンチャー企業を立ち上げて、十年が経過した。何人もの方々から「創業して一番苦労された事は何ですか」という質問を受けた。殆んど同じ質問である。「苦労した事」は多い。でもそれ以上に「楽しかった事」「面白かった事」が多かった。それを聞いてくれる人は誰もいない。

 一番苦労したのは、勿論、「資金繰り」である。中小企業の社長の仕事の大半は、残念乍らこの「資金繰り」に尽きる。この難問題を解決する為には、新しい仕組作りが必要であるが、今日は私が過去に資金繰りの為に採用した独自の方法を公開しよう。

 まず資金繰りを正常に行う為には毎月の資金繰表作りが欠かせない。次に早目、早目の資金の手当である。この早目の資金手当が「云うは易く、行うは難し」の難事である。そこでこの難事を解決する方法を事前に三つ、三つの方策を用意することとした。

 第一の方策は、金融機関からの借入れである。次の方策は資産の売却である。第三の方策は増資による自己資本の増強策である。

 中小企業白書を見ると、中小企業向の貸出し傾向が金融機関別に毎年発表されている。バブル崩壊後、中小企業の資金繰りを支えたのは政府系金融機関である。私はこの政府系金融機関に助けを求めた。最初は国民金融公庫、次に中小企業金融公庫である。制度融資制度は私達のような零細業者にとっては神のように有難かった。今は商工中金との取引が始まっている。

 バブル崩壊後、民間金融機関で最も中小企業に貸出しを強めていたのは信用金庫であった。日本の中小企業の恩人と言ってもよい程、信金は安定的に私達を支援していただいた、

 第二の方策は資産の売却である。私達は常に資金繰りのバックアップ体制の中心に、この資産売却を準備している。資産とは株式、土地、在庫等を含むもので、簡単に現金化しにくいものが多いが、常時準備しておくことで換金性についての考察にもつながっている。

 第三は増資による自己資本増強策である。創業以来数回にわたり増資に踏み切ってきた。現在の資本金1億8560万円、自己資本8億3000万円がその結果である。

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カネボウについて

平成18年9月11日
○カネボウについて

 滋賀県長浜市、琵琶湖畔に、カネボウの大きな工場があった。戦後の繊維ブームの頃には、女工さん達が大勢働いていた。工場の中に定時制の高校もあり、その規模の大きさには、子供乍ら興味を持っていた。

 その後同志社大学を卒業し、福井の三谷商事へ入社。入社と同時に大阪勤務となった。梅新。大阪駅前で、国道1号線の終る所、そして国道2号線の始まる所。その交差点ほど近くに大阪営業所があった。一階が事務所、二階が社員寮となっていた。大阪駅前は当時、第一生命ビルが新築されたばかりで、梅田ビル、阪神百貨店、阪急百貨店など僅かなビルがあるだけであった。後は闇市場のようなバラックに近い商店街が並んでいた。この闇市場が、次々と再開発されていった。再開発第一ビル、第二ビルと続いた。福井本社に勤務となって、大分年月が経過していたが、分譲となった第二ビルに、三谷商事が入居した。元の建物のすぐ目の前のビルだからだ。第三、第四ビルが完成し、梅田新道も大きく変貌した。

 その同じ第二ビルにカネボウシルクエレガンスが入居していた。社長は山崎達夫氏。三谷商事の役員であった私は、幼い頃からのカネボウへの憧憬の念、禁じ難く、カネボウへ石油の売込に行ったのだ。当時カネボウの天然繊維は、中国へのシフトが始まっていたが、残存の日本の工場へ、次々と石油納入をお願いしていった。その後山崎氏はカネボウ繊維の社長、そして本体の常務、専務と昇進された。

 カネボウの長浜工場売却の報を新聞で知り、長浜駅に近い工場立地を知っていたので、真剣に、買収を検討したが、福井のセーレンが買い取られた。KBセーレンとして操業中である。

 この度ご縁のあった山崎達夫氏を当社の社外監査役としてお迎えすることとなった。大所高所からのご指導ご叱正を心から期待致している。同時に、人の縁の不思議さに驚くと共に、常に謙虚に、感謝の生活を送りたいと念願している。

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コインパーキング魅力の十ヶ条 付2

9月1日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
付2. 二十一世紀は環境の時代

 今求められているのは、地球環境の保全に注力し、ロハスな生活や企業活動を標榜する企業です。企業のメセナ活動が求められたのは既に過去の時代。今は企業が自主的に社会に奉仕することで満足するなま優しい時代でなく、社会的な義務と責任として「環境保全」に取り組むことが求められているのです。

 私達は数々のエコロジーの運動を推進している。今年5年目を迎えた「エコフェスティバル」の主催。これは毎年1回エコロジーに関する講師を招いて講演会やパネルディスカッションを行い、同時にリサイクル商品やエコに関する展示会を同時開催、次世代の子供等を招いてエコの啓蒙運動を行っている。また自動車の100%資源回収を実現する為、廃車の手作業分別事業を実施、全国数十企業とのアライアンス事業に取り組む関連企業を設立し、既に3年目を迎えている。

 そして「太陽と風と緑のエコパーク○R」と銘打って、太陽光と風力発電を行うハイブリッド発電機を設置したコインパーキングを、全国に展開しつつある(5年目)。緑は芝生等の緑化の意味である。
また今年10月より、すべての小学生を対象に、地球の未来を考える課外学習施設「キッズグローブ○R」を開設し、地球環境保全に対する興味を喚起したいと考えている。

 「太陽と風と緑のエコパーク○R」の設置は僅かな費用で、微々たる負担で、あなたの企業イメージを大きく変えるチャンスを与えてくる。得るものは、とてつもない大きいもの、失うものは殆んどない。そんなすばらしい事業である。社会から有意義な存在価値を認められるような事業に進出し、評価される企業にぜひなっていただくことを勧めたい。
 
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コインパーキング魅力の十ヶ条 付1

8月31日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
付1.広告宣伝費が要りません

 新しい事業はすべて広告宣伝費が必要である。しかも莫大な費用がかかる。宣伝費をかければかける程、売上が伸び、事業は大きくなる。しかしコインパーキングは、宣伝費が要らない。「看板」が稼いでくるのである。「100円駐車場」という小さな看板が、大きな収益を生んでくれる。

 コインパーキングは利便性を売るサービス業である。入り易く、出易い。僅か100円で安心できる。100円払えば安全である。この利便性を徹底的に追求したサービス業が、コインパーキングビジネスである。「看板」が自己主張をしているのだ。私達は創業以来、広告宣伝費を、その意味で使ったことはない。しかし毎年、大きい2ケタ成長を、10年余りずっと続けてきている。ただの一度も、このペースを崩したことがない。看板が稼いでくれているのだ。夜中も、土曜日曜も、お盆もお正月も、休みなく、何の不平不満も言わず、働いてくれるコインパーキング。その主役は、小さな「100円駐車場」という看板である。

 最大のコスト、人件費が要らず、3Kといわれる広告宣伝費、交際費、交通費が要らないビジネス。そして、果てしなく伸長し続けるビジネス。それがコインパーキング事業なのだ。

 2006年6月より、駐車違反の取締り業務が、全国的に、一斉に、民間委託された。これに前後して地方都市も含めてコインパーキングに参入する企業も増えてきた。過当競争を心配する人もいるけれど、コインパーキングビジネスは「利便性を売るサービス業」であることを忘れないでほしい。過当競争の起りようのない性質のビジネス。コストのかからないビジネス。最大のコスト人件費、3Kのゼロのビジネス。採算は地代と収入のバランスだけである。広告宣伝費をかけなくて、利益を確保できるビジネスが、他にあるであろうか。

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コインパーキング魅力の十ヶ条

平成18年8月30日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
その十―――不況に強い

 シリコンサイクルとか、コンドラチェフの波とか、経済の動向には一定の好調、不調の波がある。好調の時にはすべての人々が好景気を喜ぶことが出来る。しかし、不調の時には殆んどの人々が不景気に苦しむことになる。ここが大切な問題点になる。不景気になってもその悪影響を出来るだけ受けないようになれば、好、不況にかかわらず安定した生活が送れるようになる。そうだ。不況に強い事業、不況に強い商品を捜すことによって、私達は安定できる。

 古くから、食べものを扱っていると、好、不況に関係がないといわれてきた。着るものや、住宅などの高級品は不況になるとすぐ買い控えがおこって、売上が減少する。しかし、食べものは不況だからといって買い控えするわけにはいかない。消費の動向を示す経済指数の中で、極立って振幅が小さいのは食費である。

 これと同じようにコインパーキングは1回100円という手軽さが魅力で、不況になっても売上が減少することがない。私達の会社が創業以来毎年2ケタ成長を10年間続けてきたのが、何よりの証拠である。今年もまたそして来年も、再来年も2ケタ成長を続けるはずである。同業のパーク24の、上場以来の売上の推移を見ても、全く同じことがいえる。

 この成長の理由は、「時流に乗っている事業」なのだということである。車の保有台数が、過去40年間、1回も前年を下回っていないという事実を、直視する必要がある。同時に100円の手軽さ、入庫出庫に時間がかからないという便利さもある。

 不況になっても安心して事業を継続し、発展させていける仕事、これ程すばらしいことはない。

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コインパーキング魅力の十ヶ条 その九

平成18年8月28日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
その九―――累積経営

 私の拙い、数少ない経験でも、すぐ気付くことがあった。それは殆んどのビジネスが、毎年「ゼロ」から再出発をしているという事である。天下のトヨタでも、松下、ソニーでも、新日鉄でも、期初はゼロから立ち上げていくのである。これは百貨店、スーパー、コンビニ、レストラン、ホテル等殆んどすべての業種、業態で行われている。毎年4月1日には、官公庁も含めて、ゼロからスタートするのが、日本の常識である。

 ところがコインパーキングは根本的に違う。私達はゼロからスタートした年はただの一度もない。常に前年実績を基礎として、そこに新しく積み上げていくのである。私達の前年の実績は40.22億円。私達は今年はこの上に5億円以上を積み上げたいと考えている。即ち普通の会社であれば45億円の年間売上高を計上しようとすると0から45億円を立ち上げていくのだが、コインパーキングは40億円という基盤の上に、5億円という新しい城を築くことと同じなのだ。これを私達は累積経営と呼んでいる。丸の内の大家さん、三菱地所が、堅固な過去の財産を基に、安定した業績を永年上げ続けていることと同じことになる。三菱地所は毎年安定した賃貸ビル収入が確保されており、新年度もその基盤の数字の上に、新規の案件をプラスしていけばよいのである。

 コインパーキングは、累積経営なので、毎年の目標設定の通り業績が上っていくと、知らず知らずの間に大きな収益を生み出す財産に育っていく。

 これ程魅力のある事業は、他にあまり聞いたことがありません。

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艱難辛苦

平成18年8月25日
○艱難辛苦

 「若い頃の苦労は、買ってでもせい」という言葉はもう死んでしまったのであろうか。この言葉ほど尊い、この言葉ほど若者を励ます言葉を私は知らない。

 人は間違いを犯して、その罪を知るという。苦労を知らずして、真の成功はありえない。苦労をせず、楽をして、よい結果を得ようとする風潮がとみに強くなってきた。そんな事が出来るはずがないのに、さもやれるように、親も子も、先生も生徒も、上司も部下も、誤解してしまっている。

 今、話題を集めている白洲次郎の言葉に有名な「ジープウェイ」がある。アメリカの進駐軍(日本が戦争に敗けて、アメリカが日本を占領し、アメリカ軍が進駐してきて全権を掌握していた)と日本の新憲法を作る時に彼が言った言葉である。目標に向って進む時、その進み方に二つの方法がある。一つはあらゆる障害を無視して目標に到達する方法(これを白洲は「スカイウェイ」と言った)と障害を避け乍らくねくね曲る道をジープ(軍隊用の四輪駆動車、現在の幌付RV)に乗って目標に到達する方法「ジープウェイ」がある。日本人のやり方、進め方は常に「ジープウェイ」なのだ。時間がかかると言いたかったのだろう。

 私はこの「ジープウェイ」こそが日本の真の姿であると考えている。「スカイウェイ」は、ベトナムやイランの問題解決の時のように、失敗する確率が高い。指導者の判断ミスが、甚大な悪影響を、世界にもたらせかねないからだ。「ジープウェイ」は、問題を一つ一つ解決し乍ら、紆余曲折を経て、進めていくので、時間はかかるが、極端な間違いが起きにくい。小さな間違いが繰り返し乍ら、少しづつ正しい方向を目指して進んでいく、ここにこそ私達の未来がある。障害を、苦労を避けずにこれに果敢に挑戦していくことが若者の特権である。

 「艱難辛苦を我に与えよ」この言葉は、私が四面楚歌の時、逆に自分を励ます時に使っている。もっともっと苦しい事があっても私はくじけない。もっと大きな困難を私に与えてほしい。どんな事にもそれに耐え抜いて、必ず新しい道を見つけるぞという覚悟の言葉である。是非使ってみることをお勧めする。

 「艱難辛苦を我に与えよ」と祈り願うのです。

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「大事なことは三回云え」

平成18年8月22日
○「大事なことは三回云え」

 教育や躾の基本は「くりかえし」である。「門前の小僧習わぬ経を読む」は、そのわかり易い例である。くり返し聴いているから、特別に習わなくても、お経が立派に読めるようになったのだ。外国語の勉強も同じ。くり返し聴いていると、話せるようになる。私が留学したアナーバーのミシガン大学には「ミシガンメソッド」という外国の学生に英語を習得させる学習方法が早くから確立していた。授業時間以外もすべて英語づけで、朝から晩まで英語を聞くのである。まずレンタルテレビをドミトリーの自分の部屋に借りてきて、一日中これを聞く。ランゲッジラボへ行くと大量のレコード盤(現在はDVD?)があり、自由に借りて聞くことが出来る。私はケネディ大統領の就任演説を何十回も聞いた。夜間の無料授業もある。ここでも、ヒヤリングがまず中心となる。

 教える側からは、相手に理解してもらう為に、耳にタコが出来るほど「繰り返し云うこと」が大事である。教えられる側からは、何度でも「くり返し聞き」理解を深めることが大切だ。

 私は、大事な事は、三回云うことにしている。新入社員が中途採用等で入社してくる。四半期毎に入社一年未満の社員をIP会議で集めて、経営方針伝達式を行っている。経営方針だから、毎回変わるはずがない。頭がよい?社員は、社長の話はいつも同じだとすぐ気がつく。基本の基本だから、何回も同じ趣旨の話をしているのだ。

 自分の意見を通したい時も、同じ事を云い方、見方、時間や日をかえて、主張しつづける。3回やれば大体は通る。「くり返し」の力をあなどってはならない。社員の稟議にも同じように対応する。3回も同じことを主張しつづけるのなら、本物だと考えられるからだ。

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教えるということ

平成18年8月21日
○教えるということ

 「教育」とは、人が持つ能力を見極め、それを引出し、伸ばすことである。

 「学ぶ」とは、古今東西からの知識をまねることである。

 「教える」こととと「学ぶ」ことは表裏一体であるが、その本質を知ることが望まれる。少子高齢化時代の急速な到来は、大学の定員割れを惹起する。更に新設大学や学部の増設は、この傾向に拍車をかける。首都圏の私立大学はまだよい。地方は定員割れの四年制大学は、中四国地方、約65%、北陸地方は約60%と苦しい状況だ。

 地方の時代が来たといわれるが、教育界ではまだまだ地方の時代は遠い。魅力的な講座、魅力的な教師が求められている。

 「魅力的な」とは「時代の先を見た・・・」こと。

 「魅力的な」とは「その土地にふさわしい・・・」こと。

 「魅力的な」とは「ユニークで差別化できる・・・」こと。

 企業においても社員教育は永遠のテーマである。社員が業務知識やノウハウを身につけると同時に、人間的に成長してくれる。

 社員教育は何かを常に真剣に考えている。教育は社長の最大の仕事だ。

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コインパーキング魅力の十ヶ条 その八

平成18年8月18日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
――その八 転用が即、可能。

 土地は固定資産といわれ、「土地神話」はバブル崩壊の時までは、絶対的な信頼を得ていた。最も安全な資産として。しかし政府は総量規制、高金利政策等ありとあらゆる手段を講じて、土地の価値を否定する急激で無茶苦茶な政策を取ることによって、土地は死んだ。いや殺されたと言っても過言ではない。

 被害者はお金持であり、地主であり、金融機関であり、最終的には私達国民であった。

 バブル崩壊後、数多くの金融機関が倒産した。「昔の名前が残っているのは「住友信託銀行」だけですね」と私はその銀行員をほめる。しかしそこでさえ国の出資を受入れざるを得なかったのだ。唯一出資を拒否しようとした東京三菱銀行ですら、政府の懇請止むなしと受入れさせられ、その後合併へと進んでいった。

 土地は一度上物を建てるともう取り返しはきかない。少なくとも自分の生きている間は他への転用は不可能だ。ビルを建てたらビル。マンションを建てたらマンション。商業施設なら商業施設と運命付けられてしまう。再開発の計画が出てきても今更それに乗るわけにもいかない。即ち用途に縛られて「土地が死ぬ」と考えた方がよい。

 ところがコインパーキングはいつでも用途変更は自由である。撤去工事も一日で終了するくらい簡単に出来る。コインパーキングに利用している間は「土地は生き続けている」ことになる。ビルにしようか、マンションがいいか、商業施設か、再開発の話もありそうだ。そんな時は転用が即、可能なコインパーキングにして時間を稼がれることを勧めたい。貸してみると、驚くほどの高収益になり、喜んでいただくことが多い。

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メセナからC・S・Rへ

平成18年8月17日
○メセナからC・S・Rへ

 先日、社会福祉センターで、社会福祉に貢献されている企業の担当責任者の方々を対象に、講演をする機会を与えられた。テーマは「社会貢献、社会福祉のためのまちづくり」であった。

 時代の流れと共に、人の生き方、考え方も変る。メセナ全盛の頃は、企業の自主的な意志によって奉仕活動が行われるのが常であった。メセナを唱える企業は、優良企業としての金看板をいただけた。

 それから10年、20年の間に、企業の社会における立場は益々重要になってきた。社会福祉や社会貢献が任意の奉仕ではなく、企業の仕事の一部、それも重要な一部分を占めることとなった。

 社会への奉仕を行わない企業は存在が危くなりつつある。会社は誰のものかという議論がある。社長のものか、社員のものか、株主のものか。私は会社は社会の公器と考える。会社は社会のものだ。だからこそ社会の為に働くことが会社経営の目的となる。会社の使命は「雇用の確保」、働く場所の提供である。そして「納税」、利益を上げて税金を納め、社会へ還元すること。更に仕事を通じて社会に奉仕し、次世代を育て、国際的な支援を行うことである。まず身近かな事から始めよう。
わかり易くいうと、私は「まずお掃除から」始めている。ゴミを拾うこと。掃除している人に感謝の言葉をかけることである。やろうと思えば、今からすぐやれる。これがC・S・Rである。

 若い頃から私は古い壊れかけた家や倉庫を見ると、何とかならないかと考える習慣があった。美しいまちなみを作る為にどうすればよいかを、常に空想の中で、イメージを膨らませていたのである。まちづくりこそが、今、私がやらなければならない事となりつつある。力量不足を考えると不安ではあるが、協力していただける方々の現われるのを信じて、私の道を歩き続けていきたい。社会貢献は、今や企業の義務である。

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コインパーキング魅力の十ヶ条

平成18年8月14日
コインパーキング魅力の十ヶ条
――その七 有効活用のニーズが高い

 金融機関の不良債権問題はいよいよ最終段階に入った。業績の大幅回復を受けて、見込み簿の債権の処分に動く銀行も多くなった。大都市の地価上昇に反して、地方ではまだ13年連続という長期低落の地価がある。銀行にも不良債権処分のニーズがある。

 地主にとっても高止まりしている固定資産税、都市計画税の支払いは頭が痛い。この固都税分ぐらいは何とかならないものか。地主にも有効活用のニーズがある。

 シャッター通りといわれる繁華街の商店の中で、店を必死に守っている人達がいることを忘れてはなるまい。空店舗や古家を取り壊して何とか底地を駐車場に貸してくれないものか。商店街にもニーズがある。

 これ等の切実なニーズを汲み上げて実行に移していくのは、さほど難しいことではありません。社会のニーズに合った事業は絶対に失敗しません。心配な場合は私が代わりにそのリスクを背負うことも可能です。うまくいけばまた変わって背負って下さい。

 勇気をもって可能性に挑戦してこそ、新しい道が開け、新しい人生が始まるのです。

 駅前通りの一画や、繁華街の一等地でも、古い家、小さな空地が遊んでいます。これを放置しておくことは、地主、金融機関、商店街の方々の損失であると同時に、社会の損失、国家の損失なのです。

 みんなの為に、大切な日本の財産を有効活用することを、お勧め致します。

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木を植えて三十年。人を植えて二百年

平成18年8月4日
○木を植えて三十年。人を植えて二百年。

 事業を完成させるのには、長い苦難の道程が必要だ。一代で大企業を築くには、大きな困難の壁がある。三代の間、企業を維持するのは、至難の業だ。企業生命三十年説が信憑性を帯びてくる。

 日本の国土は狭い。中央に急峻な山脈がある。高温多湿の風土は雨が多い。山間に降る雨は一気に山を下り、海に注ぐ。

 緑化率は高い。トップクラスではないが、世界有数である。杉の植林が多いとか、国有林の管理状態を云々するものがいるが、日本の国土の美しさは、世界に比類がない。山や河川や田園風景が美しいからだ。そして何より、緑に覆われている。

 木を植えると三十年かかる。百年かけて育てた樹木は百年使っても大丈夫だという。五百年の大木は更に五百年の命をまっとうするという。

 新島襄は日本で最初のキリスト教主義に基いた大学を旧蝋の巣 京都の地で明治初期に開いた。創業の苦しみの中で「同志社の基礎が固まるのに二百が必要」と喝破した。

 人を育てるのが教育者の天命である。また経営者も人を育てる使命を帯びている。「社長の仕事は教育」これが私の拙い経営者として辿り着いた結論である。創業十年を過ぎて、道遠きを嘆かず、喜々としてこの道を歩き続けていきたい。

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夢多き人生

平成18年8月3日
○夢多き人生

 59歳で創業した私に対して、何人もの先輩や友人が言ってくれた言葉を、私は一生忘れない。「何を今更」ではない。「やりたいようにやれ」である。22歳で卒業し、37年間勤めた会社をやめた時、私の目の前に広がっていたのは、暗闇の中に渦巻く荒海であった。それは希望の海であると同時に、死の海でもあった。

 漕ぎ出した小舟一艘。積んでいるのは「夢」だけの舟出であった。人生59年を生き抜いて、還暦を迎える年であった。あれから10年。

 今、団塊の世代の大量退職の年を迎えようとしている。

 来年、最初に、先陣を切る人達は、当時の私と同じ59歳である。先輩の一人として、団塊の世代の諸君に贈りたい言葉を考えてみた。

 「あと20年残っている」自分の人生だ。悔いのない一生を送る為に、これからは一日一日を大切に生きよう。

 「自分の夢を持とう」その夢を追いかけるのだ。ワクワクドキドキ楽しい毎日が待っているぞ。

 若い日に抱いた夢を、もう一度追ってみよう。20年も残っている。何度失敗しいてもやり直せるぞ。

 「勇気を持って、可能性に挑戦しよう」出来ることなら、世の為、人の為になる夢であってほしい。お金を追うな、お金は追うと逃げる。

 「感謝せよ。すべてに感謝せよ。」感謝していると大きなおつりが返ってくる。感謝の笑顔ほど輝いて見えるものは他にない。

 「努力せよ。継続して努力せよ。」努力する姿ほど美しいものはこの世にない。幸せを把んで下さい。

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コインパーキング魅力の十ヶ条 その六

平成18年8月2日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
―――その六 抜群の成長性

 日本の自動車の保有台数は7000万台を突破し、今だに増え続けている。過去40年間、国土交通省がデータを取り出して以来、一度も前年を下回ったことはない。毎年確実に増え続けているのがこの車ビジネスである。車庫証明書が必要なものは1台であるが、実際には車はあちこちに移動し、そして駐車する。駐車スペースのニーズは7000万台×X倍となる。Xは2となるか3となるか5となるかは別として、膨大なスペースを必要としている。

 車の増加と同時に、全国各地、特に都市中心部においてのコインパーキングの需要はとどまるところを知らない。

 車が道路を占領しそうになってきて、今年の6月1日から駐車違反の取締りの一部民間委託がスタートした。駐車違反に対する世間の目は、少しづつ厳しくなってきている。

 いざなぎ景気をこえて、今年は全国的に景気が回復してきている。株式の価格も反騰をはじめたようだし、地価も下げ止まりとなってきた。

 今迄空地だったのでコインパーキングとして利用してきた優良土地が、ビルやマンションにかわりはじめた。好立地、大型物件が動き出している。

 コインパーキングであったものが、他の用途に変ると、新しいニーズは2〜3倍になる。なぜならコインパーキングはなくなり、新しいビルやマンションの駐車場ニーズが増えるからだ。国交省の想定では道路新設ニーズは2030年まで増え続けるといっている。コインパーキングを中心とする時間貸駐車場のニーズは、2030年を更にこえた、高い成長が期待できる。

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自分をせめよ、他人をせめるな

平成18年7月31日
○自分をせめよ、他人をせめるな

 福井商業高校の野球部にカリスマ監督がいる。北野尚文さんである。全国準優勝、ベストエイト等輝かしい福商野球部の歴史を作った人だ。「選手をどう育てるか」というテーマで話を聞いた。社長の私にとっては「社員教育」という最も大事な根っ子のテーマである。とても気になるいくつかの言葉があった。それを上げてみよう。

 1、「選手に一言」を上手にいえるようになる。
 2、精神レベルが高いと、運がついてくる。
 3、「ふくれっ面をする選手」をしかるな。言い方を変えよ。
 4、可愛がれ。やる気が出てくる。
 5、目標を自覚させよ。野球で、勉強で、生活面で。7days goal を作らせる。
 6、「役立ち欄」をメールに作り、他人の為にどんな役に立ったかを書かせる。
 7、信賞必罰、野球を通じて人生を教える。
 8、競争させる事により、選手は強くなる。
 9、優れた一人の選手がいると、チーム全体がどんどんレベルアップしていく。まず一人を育てることから始める。
 10、敗戦は自分が原因。選手をせめるな。自分をせめよ。そして自からを反省し、明日に備えよ。

 その言葉の一つ一つが反省の材料となる。他人をせめる言葉の多すぎた自分を深く反省している。今日からは他人をせめず、自分に厳しく生きていこうと強く思う。

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コインパーキング魅力の十ヶ条 その五

平成18年7月25日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
――――その五 抜群の利益率

 コインパーキングとは、誰でも、どこでも、何時でも100円あれば自由に駐車できる。とても便利なものである。そして安い。利用するお客様から見ると「僅か100円で買える利便性」が魅力である。設置し、経営する側から見ると、「コストが安いので、利益率が高い魅力的なビジネス」となる。

 コインパーキングは無人式なので、最大のコストは地主様へ支払う「地代」である。その他には機器工事費等のリース料。そしてメンテナンス料。例えば10台分の月極駐車場をコインパーキングに切換えると(月極駐車場2万円/月)次のようになる。

 地代        10台×2万=20万円  20万円×1.3倍=26万円
 リース料 概算   10万円
 メンテナンス料    3万円
 売上予想      20万円×3倍=60万円/月
 コスト予想     26万円+10万円+3万円=39万円/月
 利益予想      60万円−39万円=21万円/月
 利益率       21万円÷60万円=35%

 オープン6ヶ月後に上記のような売上、利益が期待できる。僅かに21万円/月と思われるが、塵も積もれば山となる。10ヶ所作れば210万円/月。年間2,520万円の収入になる。こんなに利益率の高いビジネスは少ない。

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自転車について

平成18年7月24日
○自転車について

 東京の都心をリュックを背負い、ヘルメットをかぶり、自転車に乗って走りまわる若者達がいる。車と車の間をスイスイと走り抜けていく。「宅急便」という「車」で急ぎの書類を配達する新しい仕事が誕生したのは、まだそんなに昔の話ではない。都心の渋滞の為に「速達便」として、「車」での配達は問題がある。そこで、「オートバイ」が「車」にかわって採用されはじめた。それが「オートバイ便」であるが、最近では更に「オートバイ」が「自転車」になり、「自転車便」となってきた。「自転車便」の特長は、「オートバイ便」よりも、スピードでは少し劣るが、ガソリンを使わないので、静かなこと、空気を汚さずエコロジカルであること等。また駐車違反の心配が、全くない。自転車をとめる所はどこにでもある。

 そう考えると「自転車便」の東京都心における成功の可能性が非常に高いことがわかる。

 コインパーキングシステムが誕生した時、あまりにニッチなビジネスなので、誰も今日の隆盛を予測できなかった。宅急便もまた然り。クロネコヤマトが日通をおびやかすことや郵便局に脅威を与えることなど誰も予測できなかった。0123の引越し便も同じである。
時代の流れに乗り、ニーズを適確に把めば、道はおのずから開かれる。自転車関連ビジネスを侮ってはならない。大きな可能性を信じて、今、私は駐輪システムの開発に力を入れている。

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皆様のお蔭で迎える十周年

平成18年7月21日
○皆様のお蔭で迎える十周年

 この7月10日は創業十周年の記念日であった。社員、株主、お客様に心から深甚の感謝を申し述べたい。59歳でゼロからの再出発であった。夢だけは大きく、理想だけは高く掲げた船出であった。同志は4人、妻と妻の母と長男と私。全くの家族企業。事務所は自宅の応接間。電話は1本。コピー機もFAXもない。まさに「ナイナイ尽し」である。退職金で、資本金1000万円としたが、これもすぐ底をついた。個人の資産を次々と売り払い乍ら、少しづつ基礎を固めていった。創業以来多くの社員が入社し、多くの社員が辞めていった。社員の辞表の入った白封筒を見る度に、私は自分の不明を詫び、秘かに涙した。誠につらい悲しい別れが幾十度あったことか。最近になって社員の結婚式に招かれて、かつて別れた若い元社員と再会し、無事を喜び合っている。株主になって頂いた旧友も、いろんな理由で、株主でなくなった。この別れも社員の退社以上に私を苦しめた。友の期待に答えられなかった責任を痛感している。お客様も同様に、創業以来ずっとお付合いして頂いている恩人の方々も多い。しかし、理由の如何を問わず、途中で、取引が中断したお客様もおられる。十周年の記念すべき日に、ふり返って見ると「生きているのではない、生かされているのだ」とつくづく実感できる。この思いを胸に、次の二十周年に向けて懸命の努力を続けていきたい。命題は「喜びの種、幸せの種をまこう」である。

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十周年の記念事業

平成18年7月20日
○十周年の記念事業

 福井市に本社を置く日本システムバンクは、7月10日に創業十周年を迎えることが出来た。パートさんを含めた社員総数(単体)は160名。全国11拠点で働いている。社員への感謝ということで、「社員旅行」を今年は特別なアイデアで実行する。実行委員5名は全員若い女性社員。予算も、行き先も、時期も、日数もすべて一任。社長である私も何も知らない。完全に一任した。最近は、社員旅行の人気が今一つだ。アンケートをとったら約3割の人が行かない、行けないという。これを解決する為にも若い女性の気配りに期待している。株主様への感謝は勿論増配である。中間配当2500円、期末配当は更に上積みする予定をしている。また年2回、当社が日本各地の名水の中から厳選した「おいしい飲む温泉水」を送らせていただく。お客様への感謝の行事は、今年から来年にかけて順次実施していきたい。

 社会への感謝は、福井市中心街の活性化の一助として、西武百貨店、ロフトに隣接する旧三上百貨店の社屋を改装しエコライフプラザとして、10月1日グランドオープンしたい。

 4階建の延坪600坪、約2000屬療絞泙任△襦その2階に竹村健一氏の長男 竹村真一教授(京都造型芸術大学)が考案された「触れる地球」(地球ロマンと呼びたい)を展示する。福井県内の全小学生に、順次来てもらいたい。私達の地球がいかに小さく、いかに壊れ易いか。海はいかに浅いか、空はいかに薄っぺらかを実際に見て、手で触って、実地に学んでほしい。この施設を設置運営する為の基金を提供したい。多くの方々のご協力をいただき乍ら、これ等の一つ一つを、この一年、誠心誠意実行していく覚悟である。

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コインパーキング事業魅力の十ヶ条 その四

平成18年7月19日
○コインパーキング事業魅力の十ヶ条
――――その四 少ない資金で開業できる

開業する時に最も大切なことは、自分の夢を実現する為に必要な資金の大きさである。自分の退職金をすべて投入しても足りない事が多い。私のある友人は、元銀行員であったが、銀行を退職して創業した。ソフト会社である。長い間銀行に勤務していて、銀行の体質を十二分に理解しているので、銀行から借金するのは嫌だという。「晴れた日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」から嫌だという。私はそれも一理あると思う。そしてコインパーキング事業をもう一度見直してみた。まず土地が必要である。これを買うと膨大な資金が必要である。そこで土地はすべて借りることにした。土地を借りる為の仲介手数料、先払地代等併せて地代の3ヶ月分で十分やっていける。機械や工事費は6年リースで契約した。約500万円の資金はリースで調達すると前払リース料約8万円を先払いするだけでよい。後は半年間の創業赤字を埋める生活費を工面するだけでよい。これで約10台分のコインパーキングのオーナー経営者になれる。必要資金は生活費を除くと、僅か100万円以下である。半年間辛抱すれば20万円/月の利益は確保出来る。団塊の世代がいよいよ来年から退職時期を迎えるが、私が「59歳で創業した」と言う事実を知ってもらえば、大きな勇気、再挑戦への勇気が湧き上ってくると信ずる。
少ない資金で開業可能なコインパーキング事業を、共に始める人を支援している。

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水について

平成18年7月18日
○水について

 地球は「水の惑星」といわれる。人間の身体の半分以上は「水」である。私達は水なくして、命を保つことは出来ない。誕生したばかりの赤ん坊は80%が水といわれる。小学生は70%、だんだん年をとるにつれて、身体の水分は減少していく。定年を迎える頃には、もう50%程度に減ってしまう。言い換えると人間は、身体の水分が減っていくことが老化につながることになる。身体の水分を保つ工夫をすることで「健康と長寿」が期待できる。

 日本の長寿地域といわれる、福井県、長野県、沖縄県、静岡県は名水が多い。私は友人が水に関係する仕事をしていたので、若い頃に水に関心を持った。定年を迎えたら「水ビジネス」に取り組みたいと彼は言った。もう30年程以前の話である。それ以来水に興味を持った。私の生家は小川に面している。その川のそばに父が井戸を掘った。水道のない頃である。鉄分を含んだ水ではあったが、地下深くから自噴してくる水は夏は冷たく、冬は暖かく感ずる。

 日本全国を仕事で訪問するたびに、その土地の水を検証するのが習慣になった。そして遂に「飲める温泉水」を発見した。早速大学や試験場、研究機関と協力してこの温泉水の効能についての研究を開始した。クラスターの小さいこと。アルカリ性であること。脂肪や油を溶かす乳化作用のあること。酸化を遅らせる能力を持っていること等々いろんな発見があった。更にこれを実証し、科学的なデータを長期間に亘って収集する為の実験に入ることとした。

 「水」は不思議なものだ。私達はもっともっと「水」について知らねばならない。「生涯の最後の仕事として水ビジネスをやりたい」と言った友の言葉をもう一度反芻している。

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コインパーキング魅力の十ヶ条 その三

平成18年7月12日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
―――その三 現金ビジネス

 コインパーキング事業は、無人で出来る事業である。しかし、集金、清掃、メンテナンス、クレーム処理には莫大な人手がかかる。このデメリットを私達はお客様に代って、奉仕させていただいている。クレーム処理は、私達のコールセンターが24時間、365日間休みなく行っている。トラブル発生の時も、メンテナンス業務も、全国に配置した支店の要員が即座に対応している。集金、清掃も依頼される事が多い。すべて有料であるが、誠心誠意お客様の為に働くという私達の基本姿勢が、低料金を実現した。コインパーキングの特長は「現金ビジネス」である。掛売ではない。朝晩集金して歩けば毎日の売上げは、即現金で入ってくる。「現金ビジネス」の魅力は、はかり知れない程大きい。

 私が学校を卒業して就職した頃、日本の景気は悪く、「ナベ底景気」といわれた。ナベの底のように下ったまま、なかなか上昇しないことを表現した言葉である。そしてあるところでこんな言葉を聞いた。「地獄帳」である。焦げついた売掛金の元帳を「地獄帳」と呼んでおられたのだ。現在でも倒産の多い業種に「建設業」がある。建設業は請負い業ともいわれ、ある一定の金額で仕事を請負うのである。かつて請負い業は、「男の仕事」といわれて、一代で巨万の富を築いた人達が数多くいた。その裏で一夜にして大失敗をし、倒産の浮き目を見る人達も多かった。建材店を営んでおられたその店の主人は、倒産して入金できない人達の名前と金額を「地獄帳」に記帳して、「冥福を祈っている」との言葉であった。

 コインパーキング事業には焦げつきはない。僅かな100円玉を回収して歩くのは、誠に重労働ではあるが、コツコツと積み上げていく喜びがある。100円玉を侮ってはいけない。100円玉を集めて歩くと、それが私達の場合約50億円となる。同業のパーク24の場合は約500億円である。100円玉がいかに大切かがよくわかる。

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コインパーキング魅力の十ヶ条 その二

平成18年7月11日
○コインパーキング魅力の十ヶ条
――――その二 「土地は要りません」

 「所有せず、利用する」という新しい考え方が、バブル崩壊後に一般的になってきた。「所有」した方がよいのか、「所有」せずに借りて利用した方がよいのか、これを比較するのである。

 土地神話が生きていたバブル崩壊前には、この比較することすらナンセンスであった。土地は可能な限り「所有すべきもの」であったのだ。しかし、地価の下落は、「土地を保有すること」は「リスクである」と今迄と正反対の理論を生んだ。会計法でも「減損会計」が導入された。金融機関をはじめ、「お金持」といわれたかつての優良企業に、これは塗炭の苦しみを与えるものとなった。

 土地は所有せずに借りて利用した方が、遥かに安全である。「所有せず、利用する」ことがビジネスモデルになったのである。遊休土地は、全国津々浦々にあふれかえっている。これを活用することは焦眉の急である。何に使えばよいのか。今、最も不足しているものは何か。そこで駐車場の不足に気付き、コインパーキングを開設する為にこの遊休土地を貸していただき、利用することになった。「所有せず、利用する」ことで、新しくビジネスチャンスが生まれたのだ。私の会社では全国1300ヶ所のコインパーキングのうち、土地も自社で所有しているのは2%にも満たない。「土地は所有するものでなく、利用するものである」これが私の信念である。

 そしてもう一つ。土地を所有する為には莫大な資金が必要だ。その為の資金調達に東奔西走していて悟ったことがある。土地を所有することは、資金調達能力が限界になる。私達が三井不動産や三菱地所に勝てる筈がない。しかし、土地を借りる事には限界がない。借りた土地を有効に活用し、世の為人の為に生かす事が出来たら、地主さんの協力を得る事も難しくはない。この瞬間に「土地は要りません」というコインパーキング事業の基本姿勢が固まった。「土地を持たない人」でもこの事業で成功する事が出来る。「バラ色の人生」を手に入れる為にまわりの人々を幸せにし、喜んでいただく「コインパーキング」の基本構想が出来てきたのだった。

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コインパーキング魅力の十ヵ条 その一

平成18年7月10日
○コインパーキング魅力の十ヵ条
   ――――その一 「人件費が要りません」

 現代の経営資源の中で一番コストの高いものは、「人件費」であるといわれている。ロボットや機械を導入すべきか、人を増員すべきかの目安となる金額は、500万円/年間/人といわれ出して久しい。韓国・台湾・中国をはじめ、東南アジア諸国の人件費は、日本と比較にならない程安い。しかし日本での経済活動に、彼等の力を活用するのは至難の技である。留学生制度や研修生制度を利用して、人件費の低減をはかる企業、業界は増えつつあるが、誰でもこれを利用できるわけではない。

 そこで無人式ビジネスが活況を呈し出している。無人であることで、大きなメリットを享受できる。人件費の節減がそのメリットの第一。そして、無人でもお客様に迷惑をかけないシステムを考え出して構築するメリット。それによる新規顧客の獲得が可能となるのだ。

 例えば、無人式ビジネスの典型は、「自動販売機」である。世界で一番人件費の高くなってしまった日本は、自動販売機が急速に普及し、自動販売機の設置台数はダントツの世界一になった。高速道路のETC、JRの自動改札等、無人式ビジネスは人件費の節約だけに止まらず、「効率の上昇」、「スピードアップ」というすばらしい副産物を生み出している。

 対面販売から無人販売への流れは、若者を中心に共感を呼び、何の抵抗もなく受け入れられている。無人式ビジネスの繁栄も時代の潮流なのである。

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『チャチャチャの日本システムバンク』

平成18年6月26日
○『チャチャチャの日本システムバンク』

 現在は明治維新、敗戦に次ぐ「最大の変化」が起きている時である。即ち世界的にはアメリカ一極集中から、日本、中国、インドを含む「アジアの時代」が来つつある。また国内ではいざなぎ景気を超える長期安定的な拡大が長く続きつつある。「新世紀景気」と呼んでもいいだろう。今迄とは可成り様相の違う景気拡大となっている。この変化を「change の CHA」即ちチャと呼ぶことにしている。

 そしてこの変化の時代は何ものにも換え難い、絶好の好機の到来である。この好機を逃す手はない。即ち発展のための「chance の CHA」これもチャである。

 更にこの「最大の変化」の時に好機到来とばかりにこの「機会」に全力投球して勇気をもって可能性に挑戦するための「challenge の CHA」のチャである。

 チャ、チャ、チャは日本システムバンクのこれからの十年を決定づけるスローガンでもある。そしてその言葉の響きは、三々七拍子のチャッ、チャッ、チャに似ている。景気よくドンドン進んでいく私達の将来を暗示する明るい響きを持った言葉である。

 また「CHA」の「C」は21世紀の「Century」の「C」であり、「Clean」の「C」である。「CHA」の「H」は幸福の「Happy」の「H」であり、健康の「Healthy」の「H」である。最後の「CHA」の「A」はラテン語のナンバーワン「Alpha」の「A」であり、何ものにも屈しない「Anti―」の「A」である。

 大切なことは、発展に「正義」があるかどうかを厳しく検証し続けていかなければならない。社会にとり、地球の将来にとって、大きなマイナスが予想されるような変化や発展はしてはならない。利潤の追求は付加価値の向上につながるものである。付加価値の向上は、私達の存在の証拠である。しかし、それが真に「喜びの種、幸せの種」なのかどうか、本当に「世の為、人の為」なのかを、常に謙虚に自問自答し、厳しく自からを律していきたいものである。

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『ユニーク経営について』

平成18年6月22日
○『ユニーク経営について』

 中小企業が、一流の競合先と対等にわたりあっていく為には、どうしても数多くの「負けない為の戦略」即ち「勝つ為の戦略」を練り上げていくことが必要である。それが「勝ちに不可思議あり、負けに不可思議なし」の「不可思議」である。私はそれを「ユニーク経営」と呼んでいる。「オリジナリティ」と言ったり、「オンリーワン」と言ったりその表現方法は異なるが、方向は同じだ。

 その「不可思議」の第一は「スピード」である。新商品の開発のスピード、成長のスピード、意志決定のスピードなど「スピード」を要することは多いが、特に経営判断を伴う社長の意志決定のスピードを重視している。

 第二のポイントはパブリシティ活動である。小は大と違って資力も人材も物量もすべて劣勢である。しかし世間を味方につけると、その立場は対等に近づく。場合によっては立場が逆転することもある。それが戦略である。有効なパブリシティ活動を継続していくことによって市場の占有率を上げていくことが可能である。

 第三のポイントは一心不乱になって会社をまとめていくことである。火の玉集団には必ず奇跡が起こるといわれている。ぬるま湯につかっている相手に勝つ為には、少人数と言えども知恵を使い必死の努力をする集団に作り上げることだ。一極集中という手法も有効である

 第四の点はリーダーの資質、情熱である。リーダーの意欲が乏しくなったら即座に退任した方がよい。あらゆる先人の足跡をたどっても、これが最も大切であることが容易に認識できる。日夜研鑽努力を積まなければならない。

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コインパーキング好調

平成18年6月20日
○コインパーキング好調

 遊休土地の有効活用としてのコインパーキング事業が年々急増中である。効率の悪い月極駐車場を時間貸のコインパーキングに切換える運動を、「駐車場革命」と呼んで10年前にスタートした。私は北は札幌から南は九州まで、各地のオーナー様や管理業者の社長様のところを「駐車場革命」を一緒にやりましょうと声をからして歩きまわっていた。まるで昨日のように思い起している。お蔭様でご指導下さった福井工業大学の金井兼造元理事長、総長(故人)をはじめ数多くの皆さんのご協力をいただき、毎年順調に業績を伸ばしています。心から感謝している今日此の頃です。

 最近は「月極から時間貸へ」の動きと同時に、古い住宅や古いビルを取壊して、コインパーキングに作りかえる仕事がどんどん増えてきております。解体技術の進歩と同時に街の再開発の機運が高まってきているのが、その大きな原因です。また一時上昇気味だった解体コストも、需要の増大と共に安定し、低コストでの解体が可能となってきた。

 使い勝手の悪い変形の土地をコインパーキングにしたり、地上げで残された土地をコインパーキングにするのが、首都圏を中心に進められてきたが、それもそろそろ一服の状態となってきた。今後の方向は私達が自信を持って押し進めている「駐車場革命」即ち「時間貸へ」の動きと、もう一つ「町おこし、再開発」に伴う「新しい駐車場建設」である。

 フォローの風を受けて、順調にコインパーキング事業に邁進していきたい。

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コインパーキングのすすめ

平成18年6月14日
○コインパーキングのすすめ

 コインパーキングシステムの生みの親である福井工業大学の前総長の故金井兼造氏より、コインパーキング事業への参入をすすめられた。会社を設立したのは、今から丁度10年前のことである。

 この事業の将来性を確信し、全国の不動産管理業者の方々を歴訪する旅がはじまった。非力の私達ではとても出来ないが、数多くの同志が集まれば必ず成功すると信じての全国行脚であった。スローガンは『駐車場革命』。そして高く掲げた私達の社是は、「喜びの種、幸せの種をまこう」であった。

 月極駐車場を1日中じっと観察していると、朝は殆んど満車に近くなるが、10時頃になると半分以上が空車となる。また夕方には帰って来る車が増えるが、満車になることは決してない。夜8時頃になると殆んどが空いてしまう。こんな駐車場が多い。また反対に夕方から満車に近くなる駐車場がある。その場合は、昼間がガラガラのケースが多い。

 月極駐車場は特定の車が、特定の場所を専属使用するので、空いている時間が多い。私達はこの空いている時間に一般の方々に、安く、自由に、安心してご利用いただける「時間貸の駐車場」を作る運動を始めたのだ。これを「100円駐車場」「コインパーキング」と呼ぶようになった。

 利用者に喜ばれ、近所の商店主に喜ばれ、地主に喜ばれ、管理業者に喜ばれるすばらしいビジネスである。こんな良い仕事はない。こんなに儲かる仕事はない。こんなにリスクの少ない仕事はないという事に気付いて、この仕事を全国の心ある方々に知ってもらい、一緒にやってくれる人を求めて、伝道の旅に出たのである。幸い、数多くのすばらしい同志に逢い、お互いにウインウインの関係を結び、ご縁の尊さを喜んでいる。

 自動車の保有台数はまだまだ伸び続ける事が予想される。コインパーキングビジネスの将来は明るい。遊休不動産の有効活用にとって、このコインパーキングは最高の方法である。なぜなら状況の変化に応じて、いつでも転用が出来る。そして何よりうれしいのは高効率、高回転のビジネスであり、焦げつきの心配の全くない現金ビジネスなのだ。

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『最悪からのスタート』

平成18年6月13日
○『最悪からのスタート』

 1996年7月。今から10年前、私は59歳で起業した。バブル崩壊から5年。土地も株も大暴落した後の資産デフレのまっただ中であった。福井市の自宅の応接間と、浦安市のアパートの一室を使って、長男と、妻と、妻の母と4人での創業であった。荒海に乗り出す小舟一艘。誠に心細い、危うい舟出に見えたことであろう。

 最悪の時に、新しいものごとを始めるのは、決して間違ってはいない。背水の陣だからだ。絶対に負けることの出来ない勝負であるからだ。一心不乱に努力する者に、勝てる者など決していない。そう確信してのスタートであった。長年商社に勤務して、いくつかのコネクションもなくはなかったが、私は敢えてそれを避けて、全く新しいコネクションの構築に取りかかった。全国を歩き、新しい顧客を一軒一軒開拓していったのだ。いま顧客リストを見ると、その一社一社の社長の顔がハッキリと浮び上ってくる。何ものにもかえられない私の宝である、生涯の恩人の方々である。

 車社会の成熟化の中で、駐車場ビジネスは急成長を遂げてきた。これからもコインパーキング業界はまだまだ伸び続けるであろう。時代の流れの先をしっかりと見ること。そして本当のニーズは何なのかを見極めて、そこに全力を投入すること。それが成功への第一歩であると気付いたのは創業間もない頃であった。

 変化する者、変化できる者だけが生き残れる。この至言を忘れず「喜びの種、幸せの種をまこう」を胸に、今期最後の月を、また新記録で飾りたい。

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コインパーキングとCSR

平成18年5月30日
○コインパーキングとCSR

 CSR(企業の社会的責任)がいわれるようになった。社会に対する貢献がだんだん義務化しつつある。 敗戦後、外国の戦地から引揚げてくる元社員達の働く場を提供する為に、出光興産の創業者 出光佐三氏は、必死になって受け皿作りをし、無条件で職のない社員を雇用していったとご本人から聞いた。物資がない戦災で焼けただれた工場跡を整備する仕事からスタートしたとのことであった。感動で身体が震えたことを覚えている。今から数十年前のことであるが、昨日のことのようだ。すばらしい先輩は無数にいたのだ。厳しい環境の中、食うや食わずの生活の中、社員の生きる場を提供したのは正に今日のCSRの鏡である。

 私の提案している「駐車場革命」もこのCSRにピッタリだと自負している。地主に喜ばれ、利用者に喜ばれ、管理業者に喜ばれ、周辺の住民の方々にも喜ばれる稀有の事業である。やり方は簡単。月極駐車場を時間貸駐車場に切り替えるだけでよい。僅かのコストで、これ程数多くの人々に喜ばれる事業は、まずない。

 こんなすばらしい仕事についている事が出来る幸せを日々感謝する毎日である。

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コインパーキングのすすめ

平成18年5月24日
○コインパーキングのすすめ

 駐車場に関心を持つようになってから、早や25年余りが経過しようとしている。新車ディーラーの経営者として、トヨタ車を販売することに情熱を燃やしていた頃であった。戦後、自動車業界が驚異的な発展を見る中で、車の保有台数は確実に増大の一途をたどっていた。しかし駐車場に対するニーズの高まりと反して、駐車場不足に対する世間の関心は薄く、首都高速道路の混雑を笑って、首都高は駐車場かなどと揶揄されていた。その頃、福井工業大学では、その数年前にコインパーキングシステムの特許をとっており、諸官庁をはじめ公共施設への設置が始まった頃である。

 あれから25年。今やコインパーキング業界は、快進撃を続けている。6月よりの駐車違反取締りの民間委託のスタートと共に、駐車禁止区域は大幅にカットされる。しかし繁華街や中心市街地では、取締りが強化されるであろう。その区域内では、コインパーキングの新設、増車は採算的にも有利となる。車の保有台数が増え続けること。大型駐車場がマンション、ビル用地に転用されていること。コインパーキングビジネスの可能性はふくらむばかりである。特に首都圏の土地の値上りが急なため、駐車場用地の確保が難しくなってきている。これはピンチだと受取る人が多いが、私は逆にこれはチャンスだと確信している。

 コツコツと努力を続ける者が必ず生き残る。変化に適確に、素早く対応する者のみが勝ち残るのである。しっかりと時代の流れを読み、目を見開いて一歩一歩着実な歩みを踏み出したい。

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喜びの種、幸せの種をまこう

平成18年5月15日
○喜びの種、幸せの種をまこう
 ミレーの「種まく人」や「晩鐘」の絵のコピーを見て、幼少時代を過した私は、知らず知らずの裡に「種をまく」という言葉に意味を覚えるようになってきた。聖書の一節の言葉、「一粒の麦、地に落ちて」と同じく、「一粒の麦」をまく農夫の姿から、「人の道」「人倫の道」を感じるようになった。59歳という遅い創業であったが、数々の人々のご恩を受けて、小さな企業をスタートした。その時の「社是」を決める時に、ひとりでに浮かんできた言葉が、この「喜びの種、幸せの種をまこう」であった。

 先日他界された元大阪セメント社長、現在の住友大阪セメント合併の立役者濱田G群靈佑らは「隠退する年齢で創業するとは大変だね」とのお言葉を頂いた。多くの先輩からの温かい助言の数々に対して、私は深く心に期すものがあった。それが「喜びの種をまこう、幸せの種をまこう」である。この世に生を受け、多くの方々の愛情に育まれた私の、残された人生に出来ることは、これしかないとの決意の表明である。

 10年前にはまだ50歳、55歳定年(停年ともいった)が通り相場の時代に、59歳創業は確かに異状であったかも知れない。しかし私の心中には、「報恩感謝」や「世の為、人の為」という両親や祖父母の幼い頃からの教えが生きている。そう考えた私には、何の迷いもなかった。社是の冒頭にこの言葉を選び、そして私の以前からの経営理念を続けて今の社是を決めた。今年は創業十周年の年。あと2ヶ月足らずでその創業の日を迎える。また新しい目標に向って力強い挑戦を続けていこう。

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バーチャルコーポレーションの実現

平成18年4月26日
○バーチャルコーポレーションの実現

 人の世はネットワークで成り立っている。官僚社会はタテ型ネットワークの典型。インターネットはヨコ型ネットワークの典型。アメリカのペンタゴンが核攻撃を受けた場合を想定し、一部のネットワークが壊れても稼動し続けるシステムとして、「インターネット」を作り上げた。インターネットを企業内に取り入れた企業を「バーチャルコーポレーション」という。企業内にイントラネットを構築し、ヨコ型ネットワークのよさとタテ型ネットワークのよさを共存させ、コアコンピタンス(中核的な競争力)を温存しつつ、オープン戦略が取れる企業。それこそがバーチャルコーポレーションである。

 マイクロソフトやインテルを考えてみよう。彼等はかつてIBM傘下の下請企業であった。零細企業であった。当時誰も今日の姿を想像できる者はいなかった。彼等がどうしてIBMを凌駕し、グローバル企業に成長できたのか。その秘密は彼等の戦略にある。コアコンピタンスをしっかりと持ち、知的所有権の確保に徹底的にこだわり、業界標準の地位を手にしつつ、オープン戦略を取っていったからである。そこにあるのはヨコ型ネットワークを使った「バーチャルコーポレーション」の姿である。

 ヨコ型ネットワークではなだれ現象がおき易い。そしてもう一つの特長は、小が大に勝てる機会が非常に多い。その原因は唯一つ、ネットワーク上で市場を制覇するキーワード――「スピード」なのだ。時空を超えたバーチャル環境の中を、いかにスピードに乗って、情報を駆使して、戦っていくか。そこに重要な戦略を見出すことが出来る。

 私の小さな会社でも、全社員にパソコンとPHSを配付している。電子決裁は48時間以内。PHSは社長へも直結。私の所へは毎日200通を超えるメールが殺到する。IP電話会議は日常茶飯事に各部門で実施。毎朝の社長訓話(約10分間)はその日に、全社員のパソコンに音声で配付。毎週一度は幹部社員が3名(社長を含む)IP電話での朝礼(音声映像付)を全社員向に行っている。今後の課題は、「バーチャルコーポレーション」となる為の社内スタンダードの確立と、リスクマネージメント、特にセキュリティシステムに注力していくことだ。

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企業の社会的責任(CSR)について

平成18年4月19日
○企業の社会的責任(CSR)について

 バブル前には、企業が果すべき責任は、利益を上げることにとどまらず「メセナ」が大切だといわれた。

 「メセナ」のニュアンスは、企業の社会的責任をいうよりも、企業活動をしながら、まわりの芸術家や福祉に携わっている人々を支援することであった。いわゆる「お助けマン」であったり「ボランティア活動」であった。

 最近の傾向は、より深く踏み込んで、「企業の社会的責任」という。企業は経済活動を行うと同時に、それを通して社会に果すべき重大な責務を担っているという。

 経済同友会の全国大会が2日間に亘って広島市で開催され、妻と二人で参加した。「経済人に今求められるもの」というテーマの中で「CSR」の重要性について議論が集中した。法令等の遵守や環境問題にどうとり組むか、地域貢献への企業の果すべき役割や、信頼される企業のあるべき姿などについてであった。

 私は企業のCSRの第一は、古典的ではあるが、「利潤の追求」であり、その結果の「納税」であると思う。仕事を通じて国や地域社会に等しく貢献できているかどうか。最もわかり易い目安である。

 二つ目は「雇用の確保」である。リストラが猛烈に吹き荒れた時にも、雇用の確保に努力した経営者は多い。「雇用の確保」は、これまた非常にハッキリした指標である。

 三つ目は「奉仕活動」である。利潤を伴わないから経済活動ではないが、企業として地域や国に対して、当然行うべき「奉仕活動」があるはずである。その中身は広く、そして深い。私は「ダウンタウンの活性化」にここ数年とり組んでいる。地域の有志の方々と毎月定期的に研究会を持ち、活性化の実行プランの理論づけを行い、微力ではあるが、出来ることから実施に移していっている。

 四つ目は「環境浄化活動」である。「お掃除」にはじまり、リサイクル、リユース、リフォーム等の活動を通して、究極は地球環境を美しく保つ為のささやかな運動を実行することと思っている。
広島での経済同友会での議論によって、私のCSRへの取組みがますます強固になり、私の信念は更に固くなることと思う。

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『失敗の連続から』

平成18年4月18日
○『失敗の連続から』

 私の人生は失敗の連続である。好奇心の旺盛な私は、性格は臆病なところ、慎重なところも十分あり乍ら、何事もやってみなければわからないという信念の下、失敗をくり返してきた。常に失敗を恐れず、実行に移すのである。勿論ある程度の事前調査を行い、少ない知識をかき集めて、その成否を検討して成算ありと決断し、手をつけるのである。その時「山勘」に頼る確率は高い。時代はものすごいスピードで変化している。周囲の環境、条件も決断した時点からどんどん変っていく。気がついたら「今度も失敗か」という事態になっている。

 好奇心が旺盛であるかどうかで、経営者の資質は大きく左右される。私の友人を見渡してみると、好奇心の旺盛な人ほど、何事にも耳目をそばだて、時代の変化に敏感である。年齢に関係なく、考え方は柔軟であり、判断は積極的であり、行動は素早い。他者のよい所を、常に見ており、それを自分にとりこむことに躊躇しない。

 私が「山勘」と呼ぶ、「勘」が鋭い人がいる。理論的には出てこない結論であるが、何となく成功の確率が高いという事がわかる感覚である。「勘」は五感に続く六番目の感覚という。成功している経営者に、この六番目の感覚が鋭い人が多い。

 失敗するか、失敗しないかは、あまり重要なことではない。失敗しない方がよいと人は思うようであるが、それは間違いである。失敗を恐れると、気持が畏縮する。気持が畏縮すると、行動に俊敏さが欠けてくる。どんなすばらしい案件でも、パスしてしまって、絶好球でさえ、見送って三振する。大切なことは、まず失敗を恐れないことである。失敗を恐れず、その対応策を二重、三重に準備しておくことが必要である。失敗する事よりも、失敗した後のことを事前に考えておくことによって、人は非常に強い力を手にすることが出来る。

 そしてもっと重要なことは、失敗にめげない精神を養うことである。私はその精神、根性を「ナニクソマケルカ」の負けじ魂と呼んでいる。この根性を養うには、何度も何度も負け続けて、そこから立ち直ってくる修業を積む必要がある。歴史に残る偉人の事蹟を調べてみると、彼等の殆んどすべてが、幾度もの挫折を乗りこえてきた事がわかる。

 失敗はチャンスである。大成功に続くチャンスである。失敗から学べる事は多い。成功から学べることは誠に少ない。失敗を恐れず、挑戦し、失敗してもメゲずに立ち直り、更に前進を続けることにより、人生の大道が見えてくる。

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『新入社員を迎えて』

平成18年4月3日
○『新入社員を迎えて』

 北陸路の春は、花が一斉に咲きそろう。そろそろ、その時期となった。新入社員を迎える「入社式」の日である。常勤役員が全国から集まり、福井本社の会議室で厳粛に執り行われた。若人5名の入社式である。 

 若人には橋本左内先生の「稚心を去れ」をはじめとして「大きな夢、高い志を持て」、「一心不乱に仕事に打ちこめ」、「時代と共に常に変化し続けよ」、「実行なくして夢の実現なし」等の話をした。彼等にとっては、今日は新しい第一歩を踏み出す、意義深い日となった。

 一期一会というが、人と人の出会いほど不思議なものはない。その縁を大切にするかどうかで、お互いのそれからの人生が変るのだ。

 これからも「喜びの種、幸せの種をまこう」を合言葉に、時代の先をしっかり見つめ乍ら、一歩一歩着実な歩みを続けていきたい。

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『勇気』

平成18年3月28日
○『勇気』

 小さな第一歩を踏み出すには、蛮勇を振るうという程の大きな勇気が必要である。

 今、私達のまわりを見てみると、その小さな第一歩を踏み出す勇気を持っていない例が非常に多いことに驚く。例えば「これはよいことだ。ぜひやるとよい」と100人の人が思い、信じることでも、実際にそれを実行する人は殆んどいない。失敗を恐れる気持ちが強く、踏み出す勇気が湧いてこないのだ。

 世界を変える一大変革は、誰でもよい、先ず1人が、小さな第一歩を、勇気をもって踏み出すことに始まる。その第一歩が人々の共感を呼び、やがて大きな変革のうねりが起き、新しい社会が生まれてくるのだ。

 今、日本では自営業がどんどん減少している。これはリスクティクな若者が減り、安逸な生活を求める社会の風潮に遠因がある。

 起業が廃業を上回るペースで進むことが、社会の活性化をもたらし、経済成長を下支えしてくれる。この為の施策が必要であり、同時に起業家を守るシステム作りが重要となる。起業資金の提供や、補助金支給、インキュベーター施設提供、優遇税制、コンサルティングの無償提供等、新しい社会の実現のためには、ぜひ整備すべきものである。

 そして最も重要なものは、その為の精神的な教育とスキル教育の同時実施である。アメリカのビジネススクールでは、40年位前からフィージビリティスタディが主流になりつつある。即ち実行の可能性を徹底的に追求するビジネスゲームである。

 失敗をくり返す事を学んで、密かに勇気を身につける鍛錬とでもいえようか。日本でも、男子は「まさかの時の覚悟」を学ぶことが道徳の基本であった。いま「覚悟」の意味を理解する若者のいない事を悲しむ。

 失敗を怖れていては何も出来ない。全国に覇を遂げた各時代の人々も誰一人失敗せずに成功の美酒を飲んだ者はいない。成功したすべての人々が、生死をかけた戦いに何度も負け、その後、その失敗を乗り超えて、辛勝を手にし、そして時代の風に押されて大成功を手に入れたのである。
失敗を怖れてはならない。失敗しても、くじけてはならない。大切なことは何度失敗しても、成功への夢を捨てず、戦い抜く勇気を持ち続けることである。

 私は毎月1回、高志塾という名の中高年齢者や若者達を対象の、創業塾を開いている。そこで、自分の拙い経験を語り、共に時代の先を考え、新しい仕事を作り出す夢への挑戦を実行することを目標としている。

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『晴天の霹靂』

平成18年3月22日
『晴天の霹靂』

 信じられない事が起きた時に使われる言葉である。あまりよい意味には使われない。むしろ悪い意味にばかり使われる言葉だと言った方が正しい。

 どんな困難にも常に前向きに取組んでいく私にも、無鉄砲なだけになおのこと、「晴天の霹靂」に打ちのめされる事が多い。その度に深く、深く反省する。その原因、そして間違っていた方法論、人間関係、段取り等々。

 1つの事を実行するのに、順序を逆にしていて失敗した経験が多くある。日本では、段取りを間違うと、必ずぶち壊しになってしまう。物事を報告する場合にも、どちらの上司に先に報告するかで悩むことが多かった。この選択を逆にして、大失敗となったことも数多い。晴天に霹靂が鳴動する如く、私の失敗をとがめる神の意志であろうか。晴天の霹靂に打たれた事は2度や3度ではない。

 しかし、大切なことは、それに打たれて失神し、ギブアップしてしまってはならないということである。リベンジをせねばならない。立ち直り、力を蓄え、再挑戦をするのだ。「もう失敗はくり返さないぞ」という強い信念を以って、再挑戦していくと成功の確率がどんどん上っていく。「晴天の霹靂」に打たれることは非常にラッキーなのかも知れない。そう思うと、もう何も怖いものがなくなって、前方には光輝にあふれたすばらしい未来の道が広がっていく。

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『生きるということ』

平成18年3月17日
○『生きるということ』

 「健康長寿のふくい」というテーマで、「ヘルシープラザ」という、健康を促進し、癒しを提供するショップを経営している。いろんなプロの人々の協力を得て、実現した集合店舗である。ヨガの先生、マッサージ師、整体師などの方々が働いており、それを各種機器がとりまいている。お客様は会員を中心に約500名。そのお客様はそれぞれの都合で、毎日来たり、一週間に1〜2回、或いは月に2〜3回の人もいる。

 いずれにしても毎日200名前後の人がお店に出入りするので、街の賑わいの創出には、多大の効果がある。時代は健康ブーム真っ盛りである。

 生きるということの中身が変りつつある。戦後しばらくは、食べて生きることに必死だった。そして次には、生活をエンジョイする生き方に変った。今は健康で元気で長生きする時代である。私達は何億分の一の確率で、この世に生を受け、幾多の奇跡を潜り抜けて、今日生きている。生かされている。生きていることだけで最高の喜びのはずである。不平不満のあろう筈はない。力いっぱい生き続けていることこそ何よりの幸せの筈である。

 私のモットーは「生涯現役」。働き続けて死ぬこと。これを理想としている。まわりを見渡し、気がついてみると、私と同じように70歳、80歳、90歳になっても働き続けておられるすばらしい先輩がいる。生き生きと生きている先輩達だ。私もそんな先輩にあやかって働き続けていきたい。自分の為に生きるのでなく、他人の為に生きていきたい。そんな人生が私の夢だ。今日は私の69歳の誕生日である。

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1560年桶狭間の勝因は

平成18年3月8日
○『1560年桶狭間の勝因は』

 織田信長の命運を左右したのは、桶狭間での今川義元との合戦における大勝利といわれている。その勝因は「スピード」である。駿河、遠江、三河の太守今川義元は120万石の日本一の大大名。甲斐の武田、相模の北条とも婚姻による三国同盟が既に出来ていた。織田信長は尾張の20万石。今川義元の上洛軍は40,000人、迎え撃つ信長軍は2,500人。物量では大差がある。誰もが信長の敗北を確信していた。

 そこで信長は敵将一人を討ち取るスピード作戦を考案する。40,000人と2,500人を戦わせるのでなく、長く伸びた今川軍の隊列を横手から急襲し、500人対500人の戦いに持ち込んだ。敵の将軍が来る前に、今川義元の首をとった。戦いは僅か一刻(約2時間)で終わっている。織田信長の戦後の恩賞の第一は「今川義元の本陣が桶狭間山に向う、中島砦より攻めよう」との情報を提供し、進言した梁田政綱。次は今川義元に初太刀を入れた服部小平太、次は首級を上げた毛利新介。いかに信長が情報を重視し、今川義元一人に的を絞っていたかが分かる。

 その前に一つの前提がある。知多の村木砦を今川義元が築いて、織田方の水野信之の緒川城を孤立させた。桶狭間合戦の6年前のことである。1553年に信長が家督を継いだ翌年である。信長は兵力の劣勢を補う為に、隣国美濃より1,000人の将軍を義父斉藤道三に依頼し、居城を空にして全兵力を挙げて村木砦を急襲。僅か9時間の猛攻で勝利。翌日那古野へとって返した。そして美濃よりの将軍に戦勝報告し、すぐに美濃へ引き取らせている。その間、出陣より5日間の早業である。周囲が信長の留守を狙っていたが、誰も動くことが出来なかった。勝ち目少ない村木砦に辛勝した信長について「信長公記」は涙を流したと言っている。スピードによる勝利である。

 その次にもう一つの前提がある。桶狭間合戦の前年1559年のことである。今川義元出陣準備の進む中、信長は僅か80人の供を連れて上洛している。足利将軍義輝から尾張守護駐を授けられた。今川を迎え撃つ為の尾張内の統一を狙ったと考えられる。この時も80人という小勢ながら、半月余りも尾張を空にし、京を往復している。信長の最初の上洛であった。この行動の自由、スピード、実行力が桶狭間での勝利につながっている。電撃作戦が勝利につながるという確信を持ち続けた信長らしい戦略である。「時間を制する者が時代を制する」という新しい戦略に、私は非常な魅力を感じている。私の会社の社是にも「スピード」を重視することが、経営の真髄であると述べている。

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女性の時代

平成18年2月28日
○『女性の時代』

 戦後女性解放が叫ばれ、女性の権利が次々と確立していった。女性の選挙権、参政権が認められ、国会議員に数多くの当選者を出した。職場への女性の進出も進み、福井県では女性就労率全国一である。女性の衆議院議員も誕生した。

 私の妻は一緒の職場で働いている。創業者の一人である。仕事が忙しいので、朝、昼、夕食の大半が外食となる。そこで目にするのが、外食しているレストラン、料理店等での女性客の多さである。私は男女比を常にチェックすることにしているので、各店で必ず男女比を数えている。女性客は殆んどが80%である。男性客は20%である。そして、高級な店になる程男性が少なくなる傾向がある。ヘルシープラザの中に、ヨガ教室を開いている。この会員の男性比率は5%以下である。町中の喫茶店でも、郊外の喫茶店でもこの傾向は変らない。

 これは何を意味するのか。女性客は若い女性だけではない、年配の女性も含まれている。まさに「女性の時代」に突入したとしか言いようがない。「男は外で働き、女は家を守る。」という感覚を卒業したのは、大分過去のことになってしまった。今は女性が持つ可処分所得が、男性のそれを遥かに凌駕しているからだ。「アメリカの国家の富の80%は女性が握っている。」と言われている。日本の女性の平均寿命は85歳と世界一であり、男性より5歳も長寿である。夫婦の年齢差の平均を5年とすると、妻は夫の死後10年を1人で生きる。日本の相続税は妻が半分相続すると税額はゼロとなる。どれ程高額の財産であろうとゼロである。日本も国富の殆んどが、女性のものになってしまっているのであろうか。病院でも、老人ホームでも、あらゆる場所で元気な女性の高齢者を見るにつけ、女性を十分意識して、ビジネスモデルを構築することの重要性を痛感している。

 「健康長寿のふくい」は西川福井県知事のスローガンであると同時に、私の会社のスローガンでもある。そして「女性の時代」をともなった「健康長寿時代」が目の前に現出していることを、しっかり認識しておく必要がある。私は今、女性をターゲットとするニュービジネスを考案中である。

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クレームという名の宝物

平成18年2月23日
○「クレームという名の宝物」

 創業の頃は、お客様のクレームに即刻対応する為に枕元に電話を置いていた。夜寝ていてもクレームの電話に飛びおきて、どんな遠くへでも出かけていった。電話は勿論、携帯であり、PHSであった。

 その後社員がドンドン増えていっても、このやり方は継続していった。「1人3役」という私の会社の基本方針は、必要に迫られて実行してきた苦肉の策である。営業がメンテをやり、業務をやり、経理をやる。何もない、誰もいない中では、当然1人3役でやらざるを得ない。しかしそれだけではない。外国ではメイドでも1人1役しかやらないところが多い。即ちメイドを雇うと子守り役とお掃除役と料理役と留守番役(ガードマン)と沢山のメイドが必要になる。日本ならどんな大金持でも、1人のメイドを雇うだけですべてをやってくれる。どちらが合理的か、考えるまでもない。私は1人3役を基本方針とした。

 全社員が「クレーム」を受ける為の携帯やPHSを持ち歩いている。これが今、私の会社の財産に育ってきた。「クレーム」は単純な「領収書切れ」、「釣銭切れ」から機器類のトラブルまで100項目ほどに分類できる。この「クレーム」の内容を分析することで私達は誰にも真似の出来ない、宝物を捜し出すチャンスを把んでいる。機器の改良は勿論のこと、システム全体の改善、時代の流れ等をお客様の口を通して教えていただけるのだ。

 これはコールセンター員にとってだけでなく、私達グループ全員にとって「お客様第一主義」を現実に教えてくれている。「お客様の言葉は100パーセント正しい」というのが私達のモットーである。「クレーム」はこのモットーをもう一度よみがえらせ、私達の考え方を更に厳しく問い直してくる。「クレーム」が私達の人生の師となる瞬間である。

 「クレームは宝物である」という事実を認識することによって、私達はもう一段上の人間性を手に入れ、そして業績向上というすばらしい果実を手に入れることが出来るのだ。

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日に新た、日々に新た

平成18年2月21日
○『日に新た、日々に新た』

 トヨタの「改善」カイゼンについて考えてみたい。トヨタがGMを抜いて自動車業界で世界一になった原因は、「カイゼン」にある。

 「カイゼン」は現状に満足せず、よりよいものを求める姿勢である。私の会社の社是にも、「よりよいものを、より早く、より安く提供します」という言葉があるが、トヨタの「カイゼン」はそれを一言で言い表わしている。現状を否定し、日々に新たな高みを求めて、努力する企業の姿勢は、恐ろしいまでに厳しい。

 そして「カイゼン」は全役員、全社員参加の一大事業である。それは企業体質にまでなっている。工場の現場からスタートしたTQCが、企業全体を覆いつくし、グループ企業をまきこみ、下請、販社はおろか、日本の他業種にまで大きな影響を及ぼしている。現状を否定し、新しい境地を求めることが、隅々まで浸透していることは、並大抵では出来ない。それを「カイゼン」が現実化してくれる。

 人間は弱い。人間の作る組織も決して強くはない。しかしどんなに優れた人間も、組織も、企業も、変化しなければ、必ず退化していく。「変化すること」を本能的に避けようとする怠惰な心が生まれると退化し、腐敗することが始まる。「カイゼン」は小さな変化の第一歩であるが、常に前へ進むという「不退転の挑戦」なのである。

 どうにもならない過去にとらわれるのではなく、過去に感謝し、現状の問題点を常に捜しながら(これが現状否定である)、新しい明日を築く為の挑戦を続けるすばらしいお手本を、身近に見ることが出来る幸せに感謝したい。そして日に新た、日々に新たに力強い前進を続けていこう。

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失敗は成功のもと

平成18年2月15日
○『失敗は成功のもと』

 友人のA君は事業に失敗して、公認会計士になるんだといって、1年間ものすごい集中力で努力して受験した。そう簡単に合格できない。更にもう1年挑戦したが、やはりダメであった。それを見ていたまわりの人達から声がかかり「事業を手伝ってくれ」といわれて入社し、数年後社長になった。今では立派な会社に成長し、地域に貢献をしている。

 友人のB君は大学卒業後、一流企業に入社し、ある程度の地位についたが、何となく「ぬるま湯」につかっているような気がして、脱サラをして、弁護士の資格に挑戦した。彼も同じように懸命の努力をしたが、最初に悲鳴をあげたのが彼の奥さん。「年だからもう止めたほうがよい」とのこと。新しい人生を踏み出す予定であったが、方向転換をし、今は老人介護施設の重要な仕事をしている。

 私の経験でも、失敗した例は、枚挙にいとまがない。京都の自動車学校で免許を取ろうと1ヶ月程通ったが、当時は切符制で、お金が続かず、運転の実技試験が受けられず、就職してから免許をとった。また駐車場を作るつもりで土地を買ったが、両隣りの地主から承諾が得られず、1年余り着工が遅れたこともある。また、日本橋2丁目の土地約60嵳召蠅鯒磴辰藤隠桶建のマンションを建てようとしたが基礎工事の重機が入らないということで10階までしか建てられないという。未だに4台のコインパーキングで細々と一等地をムダに使っている。10階建を建ててしまうと採算的に今一つ面白くないのだ。土地の入札の失敗も、PFIの入札の失敗も、数多く経験している。私の息子は二人共、岐阜で生まれた。斉藤道三、織田信長の金華山頂上に輝く岐阜城を毎日見て、幼少時代を過した。その岐阜の中心地で土地の売りものが出た。どんな手段を講じてでも買い取るべきであったが、残念乍ら、決断がにぶって思いきった値段が出せず、このチャンス、千載一遇のチャンスをものにできなかった。岐阜へのこだわりが私の思考に逆効果の作用をしたのだろうか。

 どの失敗例を見ても、失敗の原因は、いろいろある。しかし失敗を恐れず、挑戦をしたのでその後の展開が広がり、新しい人生がつかめたのである。失敗をくり返すことにより、心は強靭になり、いかなる困難にも負けない力を身につける事が出来る。また挑戦する姿がまわりの人々の共感を呼ぶ。なぜなら勇気をふるって可能性にたち向っている人は英雄に見えるのだ。「惰眠をむさぼる」という言葉がある。何もしない人を他の人は決して認めはしない。失敗の連続でもよいではないか。失敗から学ぶことは驚くほど多いことを知るべきだ。  

 「失敗は成功のもと」はまさに至言である。

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『京都支店』について

2006年2月8日
○『京都支店』について

 昨年、私の会社の設立当初からのお客様である宝塚駅前の出口地所オーナー社長の出口和生様から入会のお誘いを受け、慶応大学・関西大学・同志社大学OBで構成するリアルエステート会へ入会させていただいた。入会早々に同じ同志社大学出身のトライアンドアンクル株式会社 増田隆社長より京都駅前の土地の紹介を受けて、2005年12月8日契約、2006年1月23日決済した。京都支店開設以来、各方面で探していた土地がふとした縁で手に入った。おそらく近い将来、当社のコインパーキング事業の中でも指折りの優良物件に育ってくれることを期待している。1959年卒業以来、母校より陰に陽に多大な恩恵を受けてきたが、こんなにはっきりとした目に見える賜物は初めてである。京都は学生生活の4年間を過した青春の思い出の地であるが、子供の頃から両親に連れられて十三参りとか、春秋のお祭りには汽車に乗ってよく出かけていった。金閣寺・銀閣寺・北野天満宮・平野神社・天津神社など洛北の地は更のほか思い出深い。天津神社では神官の見習いをさせていただき、一時は信徒総代の大役をもおおせつかったこともある。未だに月に一回は激務の中をやりくりして参詣を欠かさない。学生時代の最初の下宿は大谷大学南側の叔母の家、続いて下鴨膳部町内2ヶ所、最後は金閣寺門前のアパートと4ヶ所を住みついだ。その間、クラマ画会に席をおいて、休日には毎週スケッチブックを片手に、洛北・洛西・洛東あらゆる古寺を巡礼した。しかし、油絵として残ったのは一枚もないのは誠に不思議である。私の記憶にとどめて、それで満足していたのかも知れない。しかし、事業はそれでは駄目だ。しっかり成果を残すべく今年も精進を続けていきたい。

 今後は、せめて月に2、3日は当社の京都支店(烏丸六角下ル)に逼留し、京都でのコインパーキング事業を積極的に展開していきたい。京都支店は、私の長男(花園大学出身、現在日本エコカ工業株式会社社長)が家族と共に京都に住んで、開拓を進めたのが始まりで、現在、市中心部に約50ヶ所のコインパーキングの管理を行っている。年内に、せめて80ヶ所程度に拡大したいと考えているので、リアルエステート会のメンバーの更なる支援を期待している。

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『立派な本社ビル』について

18年1月24日
○立派な本社ビルについて

 今から26年前にトヨタ自動車販売のビスタチャンネルがスタートをした年、私は、トヨタに「日本中で最も参考になる新車ディーラーを紹介してほしい」と要請した。そして案内してもらったのが「トヨタカローラ八戸」であった。ディーラーの経営の経験が全くなかった私が毎月の他社の動向を検証し乍ら、自分達の進む方向を必死に模索をしていた時期である。担当員は宮田穣課長であった。彼はその後、本職のコンピューターシステム開発部門へ転進され、トヨタの販売管理システム構築に多大の貢献をされた。

 青森県の八戸市に、数店舗の新車ショールームを構える「トヨタカローラ八戸」の本社は、当時お世辞にも「立派な本社」とはいえない粗末な建物であった。暗い急な木造の階段を上ると、そこが社長室。机は「創業時から使ってる」との全く古い机とイス。新しく、華やかで、美しいショールームとは正反対に、本社や社長室の何と質素なことか。私はその後全国各地のトヨタの新車ディーラーを訪問させていただく機会があったが、この時ほど強烈な印象を受けたことはない。「創業時の苦しみ、そして初心を忘れないため」との社長の言葉の重さは測りしれない「金言」であった。

 中小企業、時には大企業でさえ、「立派な本社ビルを建てた時は、その会社は危ない」といわれる。付加価値を生み出さない「本社ビル」への投資が、金利、償却、維持費が経営の足をひっぱるからだ。また、それ以上に危険なのが社長や社員の気のゆるみ、増上慢である。心しなければならない経営の根幹である。

 もう一つ教えていただいたのが、「地元地銀の株式を、毎年買い続けている」との言葉である。これはその時の株価が高い安いに関係なく、地元経済界と緊密に影響しあう地銀とディーラーとの関係を強化し、自社の財産形成につながり、地銀の信頼を確保できると一石二鳥、三鳥の効果を生む経営手法の一端をご披露くださった。

 その言葉の一部でも守りたいと私もビスタ創業時に使った古い机を今なお使い、現在の会社を創業した時はその机を自宅の応接間(そこが本社であった)に置いて、社員の増加に従って衣を脱ぎ捨てるように建物を買いかえてきたが、創業の初心は決して忘れてはいない。地元の地銀の株式を買い続ける余裕はまだないが、いずれ近い将来、是非実行したい私の願いである。それは八戸で私が学んできた「社会への奉仕の心」であり、「安定経営のかなめ」である。

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看板、のれん、ブランドについて

平成18年1月18日
○看板、のれん、ブランドについて

 会社の「看板」とは何だろうか。それは「社名」であり、「社是」である。またそれは会社の「信用」である。のれんを守って 百年という「しにせ」も少くなったが、歴史のある会社は、その存在価値を社会から公認されている証拠である。

 コインパーキングを主事業としている私の会社は、看板を数多く作っている。それは1ヶ所で少なくとも2ヶの看板が必要となる。毎月全国で40〜50ヶ所のコインパーキングをオープンしていると、毎月100枚以上の看板を作っていることになる。この看板の表示も、簡単なようで難しい。顧問弁護士の石本理先生には再々注意を受けて、修正改善を行っている。

 同業他社は、この看板に自社のブランドを入れている所が多いが、当社ではお客様の名前を入れているケースが殆んどである。コールセンターでクレーム処理をすべてお引受している関係で、看板の最後に小さく連絡先として書いている程度なのだ。

 ブランド戦略が云々される昨今であるが、本当にお客様のことを考えると、自分のブランドを押しつけることが正しいのかどうか、よく検証しなければならない。ブランドの維持には多大なコストを伴うものもある。

 自己主張がまかり通る現代社会を見ていると謙譲の美徳はどこへ行ってしまったのかと悲しくなる。看板は守るもの、ブランドは守るものである。押しつけるものでは決してないことに気付かなければならない。

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駐車場ビジネス

平成18年1月12日
○「駐車場ビジネス」

 コインパーキングを事業の柱として、日本システムバンクという会社を興して、今年は早や十年となる。最近、駐車場ビジネスに特化する企業の株式上場が相次いでいる。そしてその人気がケタ違いに高いのに驚いている。参考までに調べてみると以下の通り。軒並みに時価総額(バリュエーション)が高くなっている。最高3,000億円、最低140億円、平均1,050億円、PERは平均で70倍近くと高く、IT最先端企業でもこれ程の評価を受けている会社は少ない。また利益が順調に計上され、将来性ありとの傾向がハッキリしている。

詳細はこちら

 これは私達が全国に亘って「駐車場革命」をおしすすめてきた成果が、業界全体に表われてきた、一つの証拠と見ることが出来る。また今年も更に、業界上げて、「今年のベストセラー商品は駐車場です」と胸をはって言えることになりそうである。

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駐車違反取締りとコインパーキング

12月29日
○駐車違反取締りとコインパーキング

 2006年6月から、駐車違反取締りの方法が、大きく変る。警察が行ってきた業務を、全国一斉に民間に、全面的に、委託することになった。これは警察本来の治安維持という重要な業務への集中、回帰の為の施策であり、同時に「民間でやれるものは民間へ」という「官から民へ」の大きな流れに象徴される好事例である。私の会社は、現在全国の各都道府県に12拠点を開設しているが、まず第1号の認定証を先週福井県公安委員会からいただいた。

 全国12拠点にいる社員の中で「駐車場監視員資格認定試験」の合格者が今日現在10名いる。順次各都道府県より認定いただけるものと期待している。
 現在管理駐車台数(コインパーキングのみ)12,000台の各オーナー様にもこの新ビジネスへの参入をおすすめしており、コインパーキング業界全体にとって、違法駐車で悩まされてきただけに、よい機会と思われる。

 時代の流れの先を見据えて、着実に次の一手を打っていくことが経営者にとって最も大切な仕事である。

 さて2006年の次の一手は何であろうか、楽しみな1年になりそうな予感を覚えているのは、私だけであろうか。

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『コインパーキング事業の魅力』について

12月22日
○『コインパーキング事業の魅力』について

 来春に『コインパーキング事業の魅力』について小冊子を発刊する予定をしている。もう何年も前から、全国各地で『コインパーキングのすすめ』という演題や『駐車場革命』というテーマで、主として賃貸管理業者や地主の方々を対象に講演をくり返して来た。それをまとめて出版しようと考えている。

 コインパーキング事業は今から約40年近く前に、福井工業大学の前総長 金井兼造氏によってはじめられた特許商品である。茲来、全国各地の大学、病院、駅、市役所等主として官公庁をはじめ公共施設で採用されたいった。当時を偲んで、大学の先生達は、創業の苦しみの話を聞かせてくれた。飛行機を雇い、空中からコインパーキング(既設)を撮影し、それを16mmフィルムにして、映写機を肩に全国の見込客に見せて歩いた苦労話である。当時はまだ特許が有効で、現在のように数十社のメーカーが参入している状態ではなかったので、採用されれば、あとは地元の電気屋さんにメンテナンスを教えて緊急対応をさせ、福井から4カ月点検に年に3回出動するというパターンであったとのこと。
しかし私達が金井兼造先生の要請により、この事業をスタートさせた時は、既に大手の数社が独自の機械を作って販売しており、無風状態の時代はとうに終っていた。ただ年々生産される自動車の数に対して、駐車場の建設が追いつかず、私達の生き残る道は十分あった。全国賃宅住宅新聞社(亀岡太郎社主)の編集長 加賀光次郎氏の来福時に金井兼造氏と会い、このコインパーキング事業について詳細な取材を行っていただいた。開業当時は「製造はFKK、販売とメンテナンスは日本システムバンク」でスタートしたのである。私はこの事業をはじめる時に心に決めたことは唯一つ、「世の為、人の為になる事業に育て上げる」。それが「駐車場革命」という当社の重要課題であり、「喜びの種、幸せの種をまこう」の精神に続く道なのである。

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『夢への挑戦』の発刊によせて

12月21日
○『夢への挑戦』の発刊によせて

 このたび月刊ウララという情報誌の編集室より、『夢への挑戦』という題名で、福井発ベンチャー日本システムバンクの軌跡について、小冊子が発刊の運びとなった。当社創立10周年を目前にして、誠に意義深いことと、全社員を代表して、今迄陰に陽にご支援賜わった方々に深く感謝の意を表したいと思う。『苦節10年』、まさにその言葉の通り、来る日も来る日も難問題が山積する中を、信頼する社員に助けられ、お客様に教えられ、お取引先に支援していただいて、今日まで命をながらえて来ることが出来た。すべては縁につながる方々のご協力のお蔭である。『皆様のお蔭で迎える10周年』この一言に、私のすべての気持をこめて、この1年を過していくつもりである。発行者の株式会社エーアンドエス 社長 三田村浩實氏は、永年の友であるが、今回の小冊子の編集発行について、短期間に、完璧な作業を成し遂げていただき、感謝に絶えない。全社員とともに『夢への挑戦』を、末永く続けていけるよう、更に精進していきたい。僅かに10年ではあるが、その1年1年の裏にある歴史の意味を感じとり、時代の変化の中で、常に一歩先を見据えて、堅実な経営を貫いていきたい。21世紀に活躍する若人達よ来れ、共に夢の実現に向けて、勇気をふるって、可能性に挑戦しようではないか。

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『ものの見方、考え方の違い』について

12月5日
○『ものの見方、考え方の違い』について

人が十人十色で顔かたちが違うように、ものを見る見方、或いはものを考える考え方も、その立場や環境によって大きく異ることを痛感している。
例えば私は油絵をかくことを趣味としている。殆んど描く暇はないが、りんごの絵をかいたことがあった。その絵を見ていろんな意見が出た。下手、上手、好き、嫌いはとも角、絵を見て連想をしたり、物語を感じてくれる感受性の強い人もいる。私は四つのりんごを自分の家族になぞらえて、その心境を写しとりたいと願ってかいたものである。
仕事においても一人の講演者の話を聞いて帰って、みんなでその件について議論をすると、先ず講演者の話の内容の受けとり方が、一人一人大きく異ることに驚かされる。ましてそれに対する意見などは正反対の場合が多い。聖徳太子は7人の人の話を同時に聞いて適確な解答をそれぞれにしたとのことであるが、そのような能力はよほど特異なものであろうか。
ともあれ、ものの見方、考え方は人によって大きく違うという事を胆に銘じて、しっかりと相手の言う事、言いたい事を把握し、適切に対処していかなければならない。
師走に入って思いがけない事が次々と起こってくる。来年こそ飛躍の年、発展の年と覚悟を決め、作戦を慎重に練っている今日この頃である。


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『時代の流れを見る三つの目』について

12月1日
○『時代の流れを見る三つの目』について

 世の中の動きはめまぐるしくて、その変化を正確に把えることは至難の技である。また見方によってはその動きが緩慢に見えて動いていないかのような錯覚におちいる。私は時代を見通す為に、「三つの目」を持つことにしている。

 その一つ目は時間軸にそって、物事をはかる見方である。自動車の保有台数を過去40年間遡ってみると、「くるま」ビジネスがいかに他と違うかが、一目瞭然である。過去40年間たった一度も前年を割り込んだ事はない。常に右肩上りの常勝軍である。この事実を知っている人は、日本でも世界でも少ないことと思う。長期的な視点に立つ人間だけが、この恐ろしい程の冷徹な現実の前に、謙虚になれるのである。車関連ビジネスである「駐車場ビジネス」に特化している私の会社の何よりの幸運である。

 二つ目は空間を広げて見る見方である。日本地図を広げたり、世界地図を広げたり、地球全体から考えたり、宇宙から考えるものの見方である。
三つ目は緻密な微視的な見方である。図面でいうと住宅地図であったり、間取り図であったり、詳細図である。

 二つ目の世界から「駐車場ビジネス」を考えて見ると、車の「生産」はまだ4分の1世紀は需要が増えつづけることと思われる。「生産基地」は中国やインド等への移設も一部想定され、動力源もガソリンから他への変化も予想されるものの、車の走行台数は増えつづけるであろう。

 三つ目の微視的な見方、考え方で「車ビジネス」を見ると、また全く違った姿が現れてくる。それはまた次の機会に譲ろう。今日は40年以上の超ロングセラーを続ける「車関連ビジネス」にかかわっている幸せをかみしめて、ゆっくりと眠りたい。

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高志塾と水ビジネスについて

11月17日
◎高志塾と水ビジネスについて

 昨年春報道機関にリリースして入塾者を募りスタートした高志塾は、ほぼ1年半を経過して、すでに2社の会社設立を成果として塾生15名のそれぞれが、目標を定めて研鑽中である。

 FBC福井放送のテレビ番組30分間の「創業起業支援」に出演し、清華大学の招聘教授紺野大介氏と対談したので、そのDVDをFBCよりもらった。北京にある清華大学は、中国のすべての国立大学予算のほぼ半分近くを割当される、断トツのナンバーワン大学とのことで、広い中国から俊英が集まってくる世界屈指の大学である。紺野教授は北京へ頻繁に講義に出かけると同時に、NPO法人のETT「創業支援機構」の理事長として、日本でも多忙な日々を送っておられる。このETTには、日本でも一流の研究者が約800名登録されていて、希望すれば、「創業起業に値する技術・ノウハウかどうか」を検証してくれる。私も早くから水ビジネスに興味を持っており、現在もヘルシープラザやベーカリープラザでゲルマニウム温泉水を販売しているが、この水ビジネスのビジネスモデルの可能性を検証していただいている。

 世界中で、空気や水で苦しんでいる人々が数限りなく存在している。日本で空気や水のありがたさを理解している人は、ごく少数である。しかし、その日本でさえ、中近東の各国で原油として採掘され、はるばる送られて、日本で高価な高度な精製装置で生産され、高額の税金が与付されたガソリン1邃唐フ価格(現在約130円)とペットボトル入の水1邃当

日本初、世界初を目指して仕事をする

神は人に平等に時間をくれました。あらゆる人に1日24時間を与えてくれたのです。たった1回しかない自分の人生です。これを有効に使うか、無駄に使うかは私達次第なのです。やる以上は人と違うこと、自分しか出来ないこと、を是非やり遂げたいと考えています。分かりやすくいうと、日本初の○○、世界初の○○という仕事をしたいと思います。ナンバーワン商品やオンリーワン商品を創ることであったり、それを世の中に広める仕事であったり、そのお手伝いをすることであったり、選択肢は数限りなくあると思います。
エンジェル税制がベンチャーに適用された時、私はベンチャー企業の経営者として、早速公募増資を行うと同時に、日本初のエンジェル税制適用第1号をとるべく、当時の大阪通産省と北陸財務局へ相談に走りました。結果的には東京で1、2社に先行され、大阪では第1号の栄誉をいただきました。幸か不幸か、当社の株式で損害を受けた方は皆無なため、エンジェル税制適用は「お守り札」の役目をしてもらっているだけです。しかし、注目を集めたのは事実です。また、公募増資をインターネットで行うというのも、おそらく日本初のアイデアであったと思われます。その時は全国から出資希望者が殺到し、予定の3倍近い申込が僅か数日で集まり、直ちに申込を締切りました。うれしい悲鳴です。
 トヨタ自動車の新しい「ビスタ店」のチャネルが出来たのは、今から26年前のことでした。私はその時、代表取締役として、「ビスタ福井」の立上げを5年間担当しました。何らかの指標で日本一になろうと決心し、可能性のある指標を捜しました。車種別のマーケットシェア、利益率等々どれをとっても可能性が低く何を選ぶかに苦労しました。そして、最後に選んだ指標、これが時代の先行きを反映する「パブリシティ活動」という指標です。このパブリシティ活動日本一を、私が担当した5年間(その後続いていると信じます)ビスタチャネルだけでなく、全トヨタディーラーの中でのナンバーワンを獲得したのです。更にまた、ビスタ店にはブリザードというユニークな四輪駆動車がありました。このブリザード月間販売記録、年間販売記録は永遠に私のものです。なぜなら今はもう生産中止になっているからです。
 すべては狙って、工夫し、努力し、沢山の方々の協力を得てなし遂げたものです。感謝、感謝、感謝。感謝からまた新しい挑戦がはじまります。

私の人生は失敗の連続

私の人生は失敗の連続、でもへこたれたことはありません。失敗することを恐れていると何事も出来ません。新しいこと、興味あること、よいと思うことにどんどん挑戦する為には、失敗を恐れず、まず第一歩を踏み出す、実行することが肝心です。
 時代はものすごいスピードで変化しつづけています。その時代の変化に対応していく為には、何もしないというのは死を待っているのと同じなのです。何かをして、それに対応するのが必要なのです。何をするのが正しいのか本当は誰にも分かりません。私は失敗を恐れず自分の信ずる道を歩む、自分のやりたい事を果敢に行う、勇気をもって可能性に挑戦するのが人生だと思っています。だから私の人生は失敗の連続なのです。
私の中学、高校時代の恩師は殆んど京都大学出身の方々でした。私の生まれた滋賀県では京都大学へ入学するのがみんなの夢でした。先生もそう言い、私もそう思い、そして受験の年齢を迎えました。結果は京都大学へ入れず?入らず?同志社大学へ入学し、一生をかけて新島襄先生の理想とされた「良心の全身に充満したる凡人」の一人として、世の為、人の為に生きることに価値を見出すことが出来ました。
 商社にあこがれていた私は三菱商事へ入れず?入らず?三谷商事へ入社し、37年間のサラリーマン生活を、充実した仕事人生を送らせていただきました。三菱商事へ入っていたら下積みの人生だったかも知れませんが、三谷商事へ入社したお蔭で、世界中を歩き、日本の財界を代表する方々とも親しくお付き合いをいただく幸せも体験できました。
 大学受験も、就職も、それからのいろんな局面でも、私のスタートは失敗からはじまっているのです。でも、失敗の次に来るものは、それが「ナニクソ」の「負けじ魂」です。失敗したからこそ、その次の手が必勝の手が打てるのです。
 失敗を恐れていては何もできません。
 まず第一歩を踏み出して見ると、まわりの景色が変ります。まわりを見る自分の視界が変るのです。そして私を見るまわりの目も変ります。変化が変化を呼ぶのです。ただ待っているだけでは「幸せの青い鳥」は手に入りません。
 幸せ捜しの旅に出発しようではありませんか。嵐が来るかも知れません。でも、その後できっとすばらしい景色を見、すばらしい人に会い、生きていてよかったと思えるはずです。
 さあ、第一歩をいま踏み出しましょう。

福井は日本一、世界一のふるさとです

私は昨年秋に、自社ビルの2階でギャラリーふくい工芸舎をオープンし、福井県の伝統工芸作家の皆さんの発表の場、展示即売の場を提供する仕事をはじめました。
 学生時代から京都の油絵研究会の「クラマ画会」のメンバーとして、私も油絵で身をたてようかと考えた時期もありました。その影響もあり、生活の苦しい中、作品を生み出す為の命がけの仕事をされている作家の方達を思うと、地元にいる者として、出来る事から手をつけようとギャラリーをオープンしたのです。約1年の間に越前和紙、越前漆器、越前焼(陶器が中心)、越前打刀物といった伝統工芸をはじめ、染、織、七宝、ガラス、土木等々の先生方の作品の展示、即売を続けて参りました。その間感じたことは、やはり芸術品を販売することの難しさです。作家の努力に対して、経済的にバックアップする体制を整えることに腐心致しましたが、まだ殆んど効果が表われず、自分の微力に泣く毎日であります。例えば越前は1500年にも亘る世界一の和紙の産地であります。日本の和紙の里は、殆んどすべて越前和紙から学んでいるのがまぎれもない事実です。そして世界中の版画家や書家の方々が越前和紙の上に、その貴重な絵や書を制作中であります。しかし、伝統工芸作家の生活は決して楽ではありません。もっともっと恵まれた環境に中で伝統工芸を次世代に継承していってほしいと念じ、その環境づくりの為の秘策を練っている毎日です。メセナ会員の募集もやりました。チャリティもやりました。作家の仕事場を歴訪していろいろ知恵も貸していただきました。
 しかし、まだ1年。稔りはまだ期待できません。事業は石の上にも三年と申しますが、IT時代でそんな悠長なことは言っておられません。「ふくい工芸舎」のホームページを立ち上げ、ネット販売をはじめましたので、また興味のある方は見て下さい。伝統工芸を世界にひろめるよい知恵を持っている人、意見を聞かせて下さい。