2005年10月のアーカイブ

大金持ちの世界一は福井県民です。

大金持ちの世界一は福井県民です。

 ―――福井県世界一すばらしいところ

 「黄金の国ジパング」は13世紀から16世紀にかけて日本が世界一の黄金の産出国だった頃、ヨーロッパの宣教師達が日本を訪れたり、東南アジア諸国の風聞を集めて日本の繁栄を伝えたものです。日本は歴史上ずっと貧富の差が少ない平等社会であり、人口も常に右肩上がりで増加し、中国や欧州のように人口激減の経験がなく、安定した平和で豊かな社会であります。
 日本の国民1人当りのGDPは、ヨーロッパの一、二の小国の例外を除くと世界一です。また国民1人当りの貯蓄残高でも世界一です。その1人当りの貯蓄残高の日本一は福井県です。ということは福井県民は世界一の大金持ちなのです。
 「アリ」と「キリギリス」の話ではありませんが、福井の男性も女性も勤勉です。努力家です。いつもは質素な生活をしていますが、冠婚葬祭や建前(新築普請)など、ここぞという時には思い切って散財します。それが出来る底力を持っているのが福井の人達です。
 大金持ちですが、人情味豊かな福井県民の中で、ゆったりとあなたの人生を送ってみませんか。

福井県人の社長の数は22年間連続日本一。ベンチャー企業の宝庫

福井県人の社長の数は22年間連続日本一。ベンチャー企業の宝庫。

        ――――福井県は世界一すばらしいところ

 日本経済の復活はベンチャー企業の輩出の如何に懸かっていると云われています。福井にはベンチャー企業が多く、福井県人の社長の数は二十二年連続日本一です。社長になるには「人知れない所での努力」「誠実な人間性」「やる気、根気、負けん気」が必要ですが、福井人はこれらの特性を持った人が多いのです。それだけに素地、下地は十分にあるのですから、その能力を伸ばすことが出来れば、福井人の発展の可能性は大きく膨らみます。
 私は、昨年春「高志塾」というベンチャー企業育成の為のインキュベーション機能を持った塾を立ち上げました。「高志塾」は私が毎月一回集中講義を行い、その後質疑応答を活発に行います。そして毎週一時間ずつ、個別面接で相談に乗り、起業の支援をしています。原則無報酬のボランティア活動です。高志塾の中から初年度は2社が起業しました。
 そして次々株式公開企業が生まれる予定です。福井の上場企業、未上場企業への投資は、将来の大きなリターンが期待できる数少ないチャンスです。何卒、「高志塾」の将来にご期待下さい。

中古分譲マンションの再生事業に注力

弊社では、中古マンション再生事業が今後更に活発化することを見込んで、
中古分譲マンションの再生事業に注力しています。
ベーカリープラザふくい工芸舎ヘルシープラザ等で中古ビルを再生し、新しい事業を展開致しました。

環境に配慮した新しいコンセプト

弊社ではハイブリッド発電機が駐車場内の電力の一部をまかないます。
システムパークと名づけ、環境に配慮した新しいコンセプトのコインパーキングを提案しています。

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太陽と風の樹

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光と風の木

ITによる低コストの安心サポート

弊社ではピカトロ24という商品を扱っております。

乗逃げが発生した場合、強烈な光と(音:オプション)で犯人を警告するとともに、常時監 視のネットワークカメラが現場の証拠写真をしっかり記憶。画像を保存しつつ、希望のパソコンや携帯に配信できます。
現地に出向かなくても、パソコンから機械操作が可能。又、入出庫状況管理、金庫管理、売上管理等も操作が可能ですので集金のタイミングも、自宅やオフィスにいながらにして把握できます。

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他社よりもお客様のことを考えています。

自社対応で、あらゆるトラブルに迅速対応と待機体制で安心
同業者の中で唯一、24時間365日、駐車場トラブルに際して自ら出動対応するサポート体制
・パーキングシステムの点検修理・メンテナンスは全面サポート
・お客様からの駐車場トラブル・苦情はフリーダイヤルで、当社コールセンターが24時間サポート体制

24時間365日のメンテナンス

弊社では24時間365日のメンテナンスを行なっています。
・コールセンター
・定期点検
・迅速な出動
を心がけ、お客様に安心感を提供しております。

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24時間365日無休のコールセンター

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コールセンターからの出動指示により現場に急行し、対応します。

福井県は世界一すばらしいところ

(一)長寿世界一は福井県です
日本人は幸いにして健康で60歳になっても働く意欲を持っています。
働く意欲があるからこそ長寿となります。立派な仕事があり、働く意欲をもった年配者が活き活きと働いているのが福井県です。
 男性も女性も日本第二位の長寿です。ということは平均すると日本一。日本は世界一の長寿国ですから、福井県は世界一の長寿国なのです。長寿の秘訣は健康です。健康の秘訣はスローライフ。地産地消の美味しい食べ物、そしてストレスのない快適生活は、争いのない、治安のよい、豊かで、平等な社会から生まれます。肥沃な福井平野、温暖な若狭海岸。人々はゆったりとした豊かな生活をエンジョイしています。貯蓄残高、日本一がその証拠です。食物繊維の摂取量も日本一、そして病院、医院が多く、お医者さんに名医が多いのも影響している筈です。車の普及率も日本一です。
  一家に二台は常識。三台、四台を保有しTPOを楽しむご家庭も多く、カーライフをエンジョイするのがストレス解消に繋がっています。三十分以内に深山幽谷、また日本海へ、自由自在に自然が楽しめるのですから。
  シルバー産業が育つ環境が整っています。

日本初、世界初を目指して仕事をする

神は人に平等に時間をくれました。あらゆる人に1日24時間を与えてくれたのです。たった1回しかない自分の人生です。これを有効に使うか、無駄に使うかは私達次第なのです。やる以上は人と違うこと、自分しか出来ないこと、を是非やり遂げたいと考えています。分かりやすくいうと、日本初の○○、世界初の○○という仕事をしたいと思います。ナンバーワン商品やオンリーワン商品を創ることであったり、それを世の中に広める仕事であったり、そのお手伝いをすることであったり、選択肢は数限りなくあると思います。
エンジェル税制がベンチャーに適用された時、私はベンチャー企業の経営者として、早速公募増資を行うと同時に、日本初のエンジェル税制適用第1号をとるべく、当時の大阪通産省と北陸財務局へ相談に走りました。結果的には東京で1、2社に先行され、大阪では第1号の栄誉をいただきました。幸か不幸か、当社の株式で損害を受けた方は皆無なため、エンジェル税制適用は「お守り札」の役目をしてもらっているだけです。しかし、注目を集めたのは事実です。また、公募増資をインターネットで行うというのも、おそらく日本初のアイデアであったと思われます。その時は全国から出資希望者が殺到し、予定の3倍近い申込が僅か数日で集まり、直ちに申込を締切りました。うれしい悲鳴です。
 トヨタ自動車の新しい「ビスタ店」のチャネルが出来たのは、今から26年前のことでした。私はその時、代表取締役として、「ビスタ福井」の立上げを5年間担当しました。何らかの指標で日本一になろうと決心し、可能性のある指標を捜しました。車種別のマーケットシェア、利益率等々どれをとっても可能性が低く何を選ぶかに苦労しました。そして、最後に選んだ指標、これが時代の先行きを反映する「パブリシティ活動」という指標です。このパブリシティ活動日本一を、私が担当した5年間(その後続いていると信じます)ビスタチャネルだけでなく、全トヨタディーラーの中でのナンバーワンを獲得したのです。更にまた、ビスタ店にはブリザードというユニークな四輪駆動車がありました。このブリザード月間販売記録、年間販売記録は永遠に私のものです。なぜなら今はもう生産中止になっているからです。
 すべては狙って、工夫し、努力し、沢山の方々の協力を得てなし遂げたものです。感謝、感謝、感謝。感謝からまた新しい挑戦がはじまります。

母の和裁塾から学んだこと

幼少の頃から、わが家は日曜日以外、毎日たくさんの女性達であふれかえっていました。母が和裁塾を自宅で開いていたのです。母屋の6間は殆んど満室で、塾生の少ない時だけ奥の間が私達の居場所となるだけで、通常は隠居という離れの2間で生活しておりました。祖父母は死ぬまで農業を営み、父は若い時は銀行員、戦争が激しくなって軍需工場に転職し、私と妹と弟は家事の手伝い以外は祖父母の農業の手伝いに追われていたものです。でも、戸外での遊びが、近所の子供達との遊びが、生活の中心だったかもしれません。
 年と共に、毎日通ってくる塾生達を、少しずつ意識するようになり、母の天職としての和裁に目がいくようになりました。当時は嫁入り修業として和裁を身につける人が多く、お見合いも私の家でよく行われておりました。朝は一人一人正座して母に向って「先生おはようございます。」と丁寧に挨拶をし、夕方帰る時にも同様に「ありがとうございました。帰らせていただきます。」と全員が挨拶をされていました。行儀作法も裁縫の道と母の考えだったように思います。死の直前まで和裁塾を閉じることに同意せず、私達子供3人も母の説得が出来ず、思い通りの生涯現役をつらぬきました。和服への思いは強く、私の妻にも「着物をきなはれ」と言い続けておりました。呉服業界の低迷を思う時、母の和裁塾から学んだ事のあまりの多さに気付くと同時に、世界に誇れる民族衣装を、何とか昔日の光りと輝きを取り戻す為にも、何かを為すべきではないかを考える毎日です。京都市では、着物を着て買物をすると割引があるとか、長浜市では「着物デー」に全国から若い女性が着物を着て集まるとか、工夫をされているようです。私はいつの日か、和裁博物館を作り、思い出の作品を集めて展示し、広く沢山の方々に和服に対する興味を持っていただくと同時に、自分達のルーツである和服をもう一度見直すキッカケにしてほしいと、夢を夢見ております。

私の人生は失敗の連続

私の人生は失敗の連続、でもへこたれたことはありません。失敗することを恐れていると何事も出来ません。新しいこと、興味あること、よいと思うことにどんどん挑戦する為には、失敗を恐れず、まず第一歩を踏み出す、実行することが肝心です。
 時代はものすごいスピードで変化しつづけています。その時代の変化に対応していく為には、何もしないというのは死を待っているのと同じなのです。何かをして、それに対応するのが必要なのです。何をするのが正しいのか本当は誰にも分かりません。私は失敗を恐れず自分の信ずる道を歩む、自分のやりたい事を果敢に行う、勇気をもって可能性に挑戦するのが人生だと思っています。だから私の人生は失敗の連続なのです。
私の中学、高校時代の恩師は殆んど京都大学出身の方々でした。私の生まれた滋賀県では京都大学へ入学するのがみんなの夢でした。先生もそう言い、私もそう思い、そして受験の年齢を迎えました。結果は京都大学へ入れず?入らず?同志社大学へ入学し、一生をかけて新島襄先生の理想とされた「良心の全身に充満したる凡人」の一人として、世の為、人の為に生きることに価値を見出すことが出来ました。
 商社にあこがれていた私は三菱商事へ入れず?入らず?三谷商事へ入社し、37年間のサラリーマン生活を、充実した仕事人生を送らせていただきました。三菱商事へ入っていたら下積みの人生だったかも知れませんが、三谷商事へ入社したお蔭で、世界中を歩き、日本の財界を代表する方々とも親しくお付き合いをいただく幸せも体験できました。
 大学受験も、就職も、それからのいろんな局面でも、私のスタートは失敗からはじまっているのです。でも、失敗の次に来るものは、それが「ナニクソ」の「負けじ魂」です。失敗したからこそ、その次の手が必勝の手が打てるのです。
 失敗を恐れていては何もできません。
 まず第一歩を踏み出して見ると、まわりの景色が変ります。まわりを見る自分の視界が変るのです。そして私を見るまわりの目も変ります。変化が変化を呼ぶのです。ただ待っているだけでは「幸せの青い鳥」は手に入りません。
 幸せ捜しの旅に出発しようではありませんか。嵐が来るかも知れません。でも、その後できっとすばらしい景色を見、すばらしい人に会い、生きていてよかったと思えるはずです。
 さあ、第一歩をいま踏み出しましょう。

福井は日本一、世界一のふるさとです

私は昨年秋に、自社ビルの2階でギャラリーふくい工芸舎をオープンし、福井県の伝統工芸作家の皆さんの発表の場、展示即売の場を提供する仕事をはじめました。
 学生時代から京都の油絵研究会の「クラマ画会」のメンバーとして、私も油絵で身をたてようかと考えた時期もありました。その影響もあり、生活の苦しい中、作品を生み出す為の命がけの仕事をされている作家の方達を思うと、地元にいる者として、出来る事から手をつけようとギャラリーをオープンしたのです。約1年の間に越前和紙、越前漆器、越前焼(陶器が中心)、越前打刀物といった伝統工芸をはじめ、染、織、七宝、ガラス、土木等々の先生方の作品の展示、即売を続けて参りました。その間感じたことは、やはり芸術品を販売することの難しさです。作家の努力に対して、経済的にバックアップする体制を整えることに腐心致しましたが、まだ殆んど効果が表われず、自分の微力に泣く毎日であります。例えば越前は1500年にも亘る世界一の和紙の産地であります。日本の和紙の里は、殆んどすべて越前和紙から学んでいるのがまぎれもない事実です。そして世界中の版画家や書家の方々が越前和紙の上に、その貴重な絵や書を制作中であります。しかし、伝統工芸作家の生活は決して楽ではありません。もっともっと恵まれた環境に中で伝統工芸を次世代に継承していってほしいと念じ、その環境づくりの為の秘策を練っている毎日です。メセナ会員の募集もやりました。チャリティもやりました。作家の仕事場を歴訪していろいろ知恵も貸していただきました。
 しかし、まだ1年。稔りはまだ期待できません。事業は石の上にも三年と申しますが、IT時代でそんな悠長なことは言っておられません。「ふくい工芸舎」のホームページを立ち上げ、ネット販売をはじめましたので、また興味のある方は見て下さい。伝統工芸を世界にひろめるよい知恵を持っている人、意見を聞かせて下さい。

私の禁煙歴

 学生時代よりヘビースモーカーであった私は、長男誕生の夜、あるゼネコンの新年会に出席しておりました。万歳三唱が終った直後に、病院よりの電話で「おめでとうございます。男のお子様で、母子共お元気です」と告げられました。早速病院へかけつける道すがら、「何かよい事をする必要がある。タバコを止めようか」と一緒に病院へ走っていってくれたゼネコンの役員にいったところ、「君のような意志の弱い人間にタバコが止められるはずがない」と笑われてしまいました。しかし男子たるもの、そこまでいわれて止めないわけにはいかぬと決心し、とりあえず3ヶ月の禁煙宣言を致しました。それから1週間、禁断症状に苦しみました。それが約30日続き、だんだん楽になりました。3ヶ月の禁煙を達成し、その役員の方と岐阜のあるキャバレーで、3ヶ月ぶりの紙巻タバコを吸った時の感想は「なぜこんな煙臭いものを吸っていたのかなぁ」でした。しかし、2、3日経過すると、何の違和感もなく、またタバコを吸っていました。

 2回目の禁煙は、過労で自宅療養を1週間程した時のことです。「今度は1年止めてやろう」と決心し、内外に公表しました。2回目は、そんなに苦労せずに、1年目の禁煙日を迎え、また十二分に健康を回復していたので、また吸いはじめました。

 3回目の禁煙は今までと違って、自分の意志ではなく、他人に頼まれて仕方なく禁煙を実行したのです。直属の部下が仕事がハードすぎて心筋梗塞を起こし、お医者さんから「タバコは絶対ダメ、命がなくなるぞ」といわれたとのこと。「やめなければならないので、誰か一緒に付き合ってほしい」と社員が集まった所で頼まれたのです。この悲痛な御願いにみんな下を向いたり、横を向いたり、誰も「分かった」という人はおりません。私は大切な部下の命を見捨てるわけにはいかない、との強い信念で「分かった、付き合おう」と宣言致しました。その時から、約25年間1本のタバコも吸っておりません。彼との約束を破るわけにいかないからです。でもよく考えてみると、彼を助ける為に禁煙したことが、私の健康に大いにプラスし、今日も元気に働いておられるのも彼のお蔭なのだと気付き感謝しています。一昨日の新聞に「日本循環器学会等」の発表によれば「喫煙は習慣病、依存症による病気だ」との記事を見ました。私の信念は「喫煙が悪いと分かっていながら止められないのは、よほど意志が弱いか、そんな単純明快なことが分からないのは、よほど頭が悪いかどちらかだ」です。これを主張し続けて25年がたちました。やっと私の家族全員、喫煙者がいなくなり、私も一安心の毎日です。

禁煙にチャレンジすれば、きっとすばらしい人生が開けてきます。私がそれを保証致します。

コインパーキング概要

常に新しい価値観の創造を提案するビジネスです。
都市部においては今、慢性的な駐車場不足が深刻化する一方で、眠ったままの土地がそのまま置き去りにされています。低コストで狭い土地を有効に活用できるこのシステムは、効率的なビジネスモデルとして全国で熱い注目を集めています。
コインパーキングは先進性と可能性に満ちたニュービジネスです!!

日本システムバンク株式会社

日本システムバンク株式会社のブログを開設しました。
今後、内容を充実させていきますので宜しくお願い致します。
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