2007年10月のアーカイブ

近江商人

平成19年10月31日
近江商人

 「三方よし」という商いの哲学がある。先輩が長い年月かかって築き上げた近江商人道である。長浜の名物に「小鮎の飴だき」がある。小鮎を甘味と醤油味でコトコトと煮る。かくし味は山椒である。葉山椒、実山椒、粉山椒といろいろ使い分ける。鮎は川魚の逸品である。しかし、近江では鮎は不思議に大鮎になれない。全国へ稚魚のうちに出荷されていく。栄養分の豊富な全国の河川や湖沼で大きく成長する。
鮎が近江で成長できず、他所へ出て大きく育つことを、近江商人にたとえて話される。全国へ、全世界へ雄飛するのが近江商人だと。小鮎が立派な大鮎に育つように、他国で頑張れと。

 交通手段は、100年前までは殆んど徒歩であった。後は馬か駕籠である。船便もあるが内陸には入り難い。江戸末期鹿児島から長崎まで徒歩6日、江戸までの参勤交替で40日を費やしている。加賀100万石や島津77万石を維持するのは大変なことであった。

 近江商人達も大変である。故郷近江を遠く離れて、彼等は旅商人から、徐々に土着化をしていった。地域に受け入れられていく為には、想像を絶する苦難があったことであろう。

 私は時間軸と空間軸を常に思考の基におく。あらゆる物事を、時間軸上で考えたり、空間軸上で考えたりする。物事の判断は、その際に、反対の結論を出すことがあるからだ。近江商人の時代、交通手段が未成熟な中での彼等の活動のエネルギーを考えると私は恥ずかしくなる。私の現状は何と恵まれていることか。瞬時に情報を受けたり、出したり、短時間で広範囲に活動することも出来る。交通手段、通信手段だけを考えても、私の置かれている立場は、ご先祖様とは比較にならない。有難いことである。

 近江商人のDNA、そして日本人のDNAを子孫にどうして伝えていけばよいのか。それに思案投首の毎日である。「喜びの種、幸せの種を蒔こう」を合言葉に、常に「三方よし」ならぬ「十方よし」を念頭に生きていくことを伝えていきたい。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


近江商人


19年10月31日
近江商人

“三方皆好”的商业哲学,是近江商人的先辈们长年累月建立起来的为商之道。长滨有个特产叫做“酱煮小香鱼”,用甜味调料和酱油慢火蒸煮制成,提味料为花椒,而且讲究分别使用花椒叶、花椒果、花椒粉。香鱼为河鱼中的逸品,只是不可思议的是近江的香鱼怎么也长不大,在幼鱼时期就发往全国,在养分丰富的全国各地的河川或者湖沼里成长。
香鱼在近江无法成长,到了外地却都发育成长的现象,经常被拿来比喻近江商人。近江商人活跃在全国乃至全世界。人们拿小香鱼在外地长成大器的故事激励近江商人不断成长。
100多年前的交通手段,绝大多数是步行,其次是马或者轿子。虽然也有船运,但是很难近入内陆。江户末期从鹿儿岛走到长崎要6天时间,到江户去参拜勤王则要花费40天时间。因而维持加贺100石和岛津77万石是相当困难的事情。
近江的商人们也极其不容易,他们远离故乡近江,在全国各地进行商旅活动,并逐渐在各地固定下来。为了能够被接受,他们一定经历了我们无法想象的苦难。
我习惯于把时间和空间作为思考问题的基轴。对所有的事务都从时间上和空间上进行思考。因为不如此有时候判断事物就会得出相反的结论。想一下近江商人时代,在交通手段一点都不发达的情况下他们所显示出的能量我就会感到惭愧。相比之下我处在多么有利的条件之下啊,瞬时可以收发信息,短时间可以进行大范围的活动。仅从交通手段和通信手段来考虑,我们所处的环境都跟祖先们难以比较,我们是多么地幸运。
我每天都在苦思冥想如何把近江商人的DNA、日本人的DNA传给后世子孙。以“播种幸福的种子、喜悦的种子”为口号,不仅仅限于“三方皆好”,时刻把“十方皆好”放在心头,我要把这样的信念传达给后代子孙。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



配当性向

平成19年10月30日
配当性向

 1株当りの配当を増やす企業が増えている、企業業績の好調が背景にある。更にファンドによるM+A対策のため、株価維持を狙っている。中間配当を出すところも増えてきた。すべてが個人株主の比率を上昇させる対策につながっている。

 私達の会社は創業以来11年が経過し、この7月より第12期に入った。第11期の決算は売上50億円前年比125%、利益3.4億円、前年比175%となった。配当は中間配当、期末配当とも、それぞれ1株当り8,000円、年間配当1.6万円となった。配当性向は40%である。

 外資系の日本の子会社の中には、異常に配当性向の高い会社がある。それを除くと、私達の配当性向40%は悪くはない。配当性向40%を維持しながら、期毎に業績を上げていくことが出来れば、いずれ私達も優良企業として認知される日を迎えることが可能となる。現在4期連続最高益を更新中である。連続増収は創業以来続けている。これは私達がコインパーキング事業に特化していることに大きく依存している。この十数年間「コインパーキング事業」は目覚しい発展を遂げている。まだまだ大きく飛躍する可能性が高い。

 「駐車場革命」と銘打って、効率の悪い月極駐車場を時間貸、無人式のコインパーキングに切り替える運動を進めている。私達が利益を上げるのではなく、地主様、駐車場経営者様、駐車場管理者様、そしてコインパーキングをご利用いただくお客様、周辺のお店の方々、すべての方々に心から喜んでいただくビジネスを展開している。最近では毎日数多くの方々からご相談をいただいている。今月もまた全国で100ヶ所程度のコインパーキングのオープンをさせていただいた。感謝、感謝の毎日である。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


分红指标


19年10月30日
分红指标

甓每股分红的企业正在多起来,这一现象的大背景在于企业业绩的好转。再加上各公司作为防止收购的对策之一,也需要维持股价。同样年中分红的企业也多了起来,这一切都有利于企业促进个人股东比例甓叩
我们公司自创业以来经过了11年,从今年7月份开始进入了第12个年度。第11年度公司决算销售额50亿比上年长125%、纯利润3.4亿元,比上一年长了175%。分红方面中期分红和年末分红分别为每股8000元,年分红16000元,分红指标为40%。
外资系的日本子公司当中也有分红指标非常高的公司,除了这些公司,我们40%的指标并不算差。继续维持这一指标,同时争取每年顺利提高业绩,我们就有可能迎来作为优秀企业被大家认同的那一天。现在我们已经连续4个年度刷新最高利润,自创业以来一直维持连续创收的记录。这一切都依赖于我们重点对投币式停车场事业进行了投入。这十几年来“投币式停车场事业”完成了飞速发展,而且这一事业今后大飞跃的可能性依然很高。
我们打出“停车场革命”的口号,一直在进行把效率低下的包月式停车场转换成按时收费的无人式投币式停车场运动。我们进行的是不仅自己从中受益,地主、停车场经营者、管理者、使用者、周围店铺的人们以及所有的人都欢迎的事业。最近每天都有很多人来找我洽谈。这个月我们又在全国开张了100来个停车场。每天我都充满了感恩的心情。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



とげぬき地蔵

平成19年10月29日
とげぬき地蔵

 東京山手線巣鴨駅を降りると、他の駅とは少し風景が変って見える。高岩寺、とげぬき地蔵尊の門前町である。地蔵通商店街を中心に、巣鴨駅から都電荒川線の庚申塚駅まで約800メートルの間に、店が並んでいる。曹洞宗万頂山高岩寺のご本尊は、「心のトゲ、心のトガ(罪)」を抜いてくれるという延命地蔵尊で拝観は出来ない。

 この「延命地蔵尊」の「御影(おみかげ)」をいただく。和紙に刷り込んである。縦4cm、横1.5cmの和紙である。このとげぬき地蔵へは年間900万人が訪れるという。

 福井の永平寺は、曹洞宗大本山である。しかし年間の参詣者は、残念乍ら約200万人と少ない。いかに「とげぬき地蔵」に人気があるかよくわかる。人気の秘密は対象を「信心深い中高年」に絞ったことにある。巣鴨が「おばあちゃんの原宿」として、戦後人気を集め出した。今では若者の姿も多くなり、オシャレなお店も多い。

 この「とげぬき地蔵」の高岩寺は曹洞宗のお寺である。福井県織田町平等の出身で、福井とは縁が深い。私はこの「とげぬき地蔵」にあやかって、福井のえきまえを活性化したいと考え、えきまえに「生き生き地蔵尊」を招来した。毎月24日の「地蔵まつり」の日に永平寺第一教区大乗院のお坊さんに先導いただき、約1時間の読経とお説教をお願いしている。

 近所の商店街の方々をはじめ県内外からのお参りが多い。参拝者のご先祖供養、ご家族の健康長寿、無病息災を願い、般若心経をはじめ、数々のお経を上げていただいている。お供えのおさがり、粗品進呈もあり、毎月参拝者は増えてきている。柴田神社(通称お市神社)と相まって人気のスポットとなってくれることを期待している。なおこの「生き生き地蔵尊」はビルの中を通れる歴史のみちの路傍に鎮座ましましている。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


拔刺地藏


19年10月29日
拔刺地藏

从东京山手线巢站下车,可以看到跟别的车站不同的风景。即高岩寺、拔刺地藏尊的庙前街风景。以地藏道商业街为中心,从巢鸭车站到都电荒川线的庚申冢站大约800米之间,店铺林立。曹洞宗万岩寺的本尊据说是可以“驱除心灵的恶刺,心灵的罪过”的延年益寿地藏尊,只是难得参拜。
一般只能从寺里得到“延年益寿地藏尊” 印刷在和纸上的“影子”,长4厘米,宽5厘米。据说每年大约有900万人来参拜“拔刺地藏尊”。
福井的永平寺是曹洞宗的大本山,但令人遗憾的是每年的参拜者只有200万人,少地可怜。不难想象东京的这个“拔刺地藏”是多么地有人气。而人气的秘密在于把参拜对象锁定在“虔诚的中老年”这一点。巢鸭战后作为“老奶奶的原宿”开始人气起来。现在年轻人的身影也多了起来,新潮的店铺也很多。
供奉“拔刺地藏”的高岩寺属于曹洞宗寺院。据说来自于福井县织田町平等,因而跟福井有着深厚的渊源。于是我也效仿“拔刺地藏”,为了甓段^聶訌鯵萠蓮で帖叛鹸勃勃地藏尊”请到了福井站前。每个月24号的“地藏节”这一天都请永平寺第一大教区大乘院的高僧为先导,进行一个小时左右的诵经和说法活动。
附近商业街以及很多外县来的人,来参拜的很多。每次活动主要为参拜者们祈愿先祖供养、家人健康长寿、除病消灾,诵读般若心经和其他多种经文。希望这里和柴田神社(俗称阿市神社)相辅相成,成为受欢迎的景点。
顺便说明一下“生机勃勃地藏尊”就镇坐在我们公司大楼一层过道“历史之路”旁边。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



AIC

平成19年10月26日
AIC

 ナイチンゲールは今から約100年前に、看護士の卵達に向ってこう言っています。貴方達が経験したことのない「わが子を失うというような悲しみや苦しみを持った」母親に対して、その悲しみ、苦しみに共感できなければならない。それは感性である。感性のない者は看護士の資格がない。
医は科学である。そして技術である。しかし心の伴わない医は科学や技術であっても価値はない。特に高齢化社会になってくると、終末医療を含め、心のケアの重要性がまして来ている。100年前のナイチンゲールの言葉の重みを感じる今日この頃である。

 コンピューターの世界も面白い。約50年程前からコンピューターとのお付き合いが始まった。はじめはコンピューター用語は、アブリビエーションがあまりに多く、日本人にとっては誠に使いにくいものであった。そして日進月歩、その変化が早い。ミシガン大学短期留学の前後、世界を飛び回っていた頃から、コンピューターへの関心が深まった。トヨタの新車ディーラーの代表者になった頃、トヨタは全国にコンピューターのネットワークの構築を始めた。1980年頃である。

 1990年頃にコンピューター事業本部長の時、本格的にコンピューターを知った。ブラックボックスではあったが、その中身を少しずつ理解し始めた。ナイチンゲールのいう「感性」によって、物体にすぎないと思っていたコンピューターが身近になった。その頃A.I.C即ちアーティフィシャル、インテリジェント、コンピューティングという考え方である。人間の脳の働きを真似た認識方法の採用である。

 私は早速この「アイク」という名をとった子会社を設立した。サラリーローンのアイクが出来た頃である。今でも私のメールアドレス(公式のもの)はaic@syb.co.jpとaicを使っている。コンピューターの世界にも感性を生かしたいと考えているからだ。I.C.Tの最先端企業を目指すという私の夢の看板は、まだ下したわけではない。最先端は常に小さく、するどく尖っている。大きいより小さい方が最先端になり得る。そう考えてAICを追求し続けている。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


AIC


19年10月26日
AIC

南丁格尔在距今100年前,对未来的护士们说:“你们必须能够感觉到从来没有体验过的感觉,比如面对失去自己孩子的母亲要能够感觉到和她相同的痛苦和悲伤”。这就是感性,没有感性的人没有资格做护士。
医疗是科学,也是技术。但是没有任何同情心的医疗即便是科学和技术也毫无价值。特别是伴随着高龄化社会的到来,包括终端医疗在内,心灵的看护在医学方面变得日益重要。我们今天依然可以感觉到100年前南丁格尔的所说的话的分量。
电脑世界也非常有趣。大约50年前我开始和电脑打交道。最初的电脑用语,变化太多,对日本人来讲非常难以使用。而且,日新月异,变化很快。我在密西根大学短期留学前后,也就是在飞奔在全世界各地的时候,加深了对电脑的关注。后来担任丰田新车代理时,丰田正在全国构筑电脑网络,那是1980年左右了。
1990年我担任公司电脑本部部长的时候,开始真正地了解电脑。虽然当时只是个酥∋辧っ∨慢地开始了解她的内容了。靠着南丁格尔所说的“感性”,曾经认为不过是个物体的电脑开始变得越来越近了。也就是当时所认为的AIC即人工智能计算理念。开始采用模仿人脑功能的认识方法。
我很快以“AIC”命名成立了子公司,也是无担保工薪贷款的“AIC”刚开始出现的时候。今天我的官方电子信箱aic@syb.co.jp,仍然在使用aic。因为我想在电脑世界里也发挥感性的作用。我的梦想是力争建设ICT最先段企业,我依旧高举着这一梦想的招牌。最先端的,总是最小而且是最尖锐的。比起大来小能够成为最先端,怀着这样的信念我在不断地追求着AIC。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



分散と統合

平成19年10月25日
分散と統合

 ネットワーク時代といわれる。特にインターネットの世界は、日に日に広がっていっている。携帯の普及が、更にそれに輪をかけている。情報は、コンピューターの小型化、高性能化を伴いつつ、ネットワーク上を飛び交っている。地球上の片隅でおきた小さな事柄が、あっという間にネットワーク上に拡散していく。
世界の中心と思われていた事が、もはや中心たり得ない時代に入っているのだ。私のいるエコライフプラザの2階に「デジタル地球儀」がある。この地球儀は回転軸がない。自由自在に回すことが出来る。この地球儀を回して日本を捜すと、すぐには日本が見つからない。見慣れた日本中心の世界地図とは似ても似つかぬ世界に見えるからだ。

 アメリカで世界地図を買うと、真中に大西洋があり、左側に南北アメリカ大陸。右側にヨーロッパ大陸がある。日本は右上のかなた。殆んど見えない。ヨーロッパで世界地図を買っても同じ。こちらは地中海中心のものが多い。

 デジタル地球儀をまわすとどこが中心かわからない。今、私達はそんな世界にいるのだ。中心のない世界。拡散し続ける世界。それが分散しつつある現代である。ネットワーク時代、携帯時代がそれを象徴している。

 私の会社で約300台のパソコンや約50台のFAXをつないでいる。このネットワーク力は、活用すると強力なスーパーコンピューター以上の能力を発揮する。その活用する力を統合(infegrate)という。統合(infegrate)とは、ラテン語で「完全なものにする」という意味である。

 デジタル地球儀や世界各地の世界地図を見比べて、よくわかる通り、私達の中心は「自分」なのである。自分の地域、自分の国なのである。そこを中心に考え、そこを中心に行動を起こさねばならない。これからも世界は分散と統合を繰り返していく。私達の企業も会社も、常に「統合を念頭においた行動をとっていかなければならない。自分を見失うことのないよう「統合」を重視していってほしい。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


分散和整合


19年10月25日
分散和整合

今天被称为网络时代,特别是网络世界在一天天地扩大。携带电话的普及,更加速了这一趋势。随着电脑的小型化、高性能化,各种各样的信息在网络上飞速交换。地球上任何一个角落发生的小事件都会在一瞬间在网络世界里扩散。
我们进入了曾经被人们认为的世界中心,已经无法成其为中心的时代。我所在的“环保生活广场”2楼里设置有数码地球仪。这个地球仪没有转轴,可以任意转动。转动这个地球仪,很难立即找到日本,展现在眼前的是一个完全不同于我们平时看惯了的从以日本为中心的世界地图中所看到的世界。
美国买的世界地图,正中是大西洋,左侧是南北美洲大陆。右侧是欧洲大陆。日本则在右上方的角落,几乎看不见。在欧洲买世界地图也是一样,大多以地中海为中心。
转动数码地球仪,搞不清楚哪里才是世界中心。现在,我们就生活在这样的世界里,没有中心的世界,不断扩散的世界。现代是个不断分散的时代,网络时代,携带时代是这个时代的象征。
我的公司里有300多台电脑和大约50台传真机连接在一起,如果有效发挥这些力量,就会发挥出远远超出一台超级电脑的能力。有效发挥其作用的这种力量就称之为统合(infegrate),而所谓统合(infegrate)在拉丁语中意为“使之变地完全”。
比较数码地球仪和世界各地的世界地图,不难明白,我们的中心其实是我们自身,还有自己所在的地区,自己的国家。我们必须以他们为中心活动。今后的世界还将不断重复分散合和统合。我们企业或者公司无论采取任何行动,头脑里都要有整合概念。为了不迷失自我,也应该有整合概念。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



世界第二位のジャパンマネー

平成19年10月24日
世界第二位のジャパンマネー

 サブプライムローンの破綻を招いた今回のマネーゲームの震源地はアメリカである。連邦準備制度理事会(FRB)のここ十数年の住宅バブルの演出によって危機はどんどん高まっていた。金利を少しずつ引上げることによって、世界中の資金をアメリカに集め、僅かの投資先をサブプライムローンを組み込んだファンドに集中させた。

 かつて1986年頃から世界第2位の力を誇っていたジャパンマネーは、バブル絶頂期を予言するかのように、世界へ流出していった。N・Y・C、ハワイ、オーストラリア等の不動産投資、そして世界各国の企業買収まで広がっていった。ジャパンマネーによる世界の買い占めである。1987年は長期資本流出は経常収支黒字(記録的高水準)の倍近い金額となった。

 今回のバブルは日本の異常な低金利を背景に、世界の投資家が円で資金を調達し、それを高金利に沸くアメリカへ投資したものだ。その投資先が年10%にも上るサブプライムローンを組込んだファンドへ向っていった。

 住宅バブルを演出したか、見過ごしたかは別として、FRBの責任は重い。おそらく今回のバブルは日本の1990年代のものより遥かに大きく、遥かに幅広い影響を世界に与えるものと思われる。バブルの後にくるのは十年以上に及ぶリセッションである。信用を補完し、上辺を繕っているがクラッシュが大きくなっていくだけである。クラッシュがいつ起きるのか。そんなに先まで延命させることは難しい。
日本のバブルは1991年にピークアウトした。今迄の世界最大の資本輸出国から突然資本輸入国にかわった。今、世界中の中央銀行の資金の流れをつぶさに観察しておれば「クラッシュ」がはっきりと見えるはずだ。

 現在日本は対外投資による果実の配当が、輸出入バランスの収入を上回っている。クラッシュの後に来るのは、デフレである。短期的には勿論のこと、長期的にも投資は必要最小限それも身近なものに限定しておいた方が賢明である。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


経営戦略

平成19年10月23日
経営戦略

 最近は経営戦略というよりビジネスモデルといったほうがわかり易くなってきた。私が就職した当時はランチェスター戦略戦術がもてはやされていた。私は陸士卒の会社の大先輩から、日本の軍隊の戦略戦術を研究したらというアドバイスをいただき、ランチェスター理論と対比しながら自分独自の経営戦略を構築していった。更に日本の戦国時代から実戦的に使われていた戦術をも学んだ。そして作り上げたのが「システマティック戦略」である。これは当時常識であったランチェスター戦略の弱点を突くものである。薩摩の島津、古くは上杉謙信のとった中央突破戦略に似ている点もある。ランチェスターは強者の理論と弱者の理論とを説いている。常に弱者である私は、強者との戦いを避けなければならない。現実には、そんな甘いことは許されない。真っ先に殺されて終りとなる。

 「システマティック戦略」は現実には避けて通れない強者との戦いの理論である。私の戦略の第一の特徴は戦いをシステム化してしまうことにある。次に中央突破の戦略である。最後に威風堂々の凱旋の方法論である。このビジネスモデルを「システマティック戦略」と呼ぶ。

 このビジネスモデルを考案し、これを「システマティックセールス」という呼び名で使ったところ、ある有名な経営コンサル企業のチーフコンサルタントから苦情が出た。一般的に認められていない呼び名は使われない方がよいとの忠告であった。

 私はこの忠告を聞いて、益々自説に自信を持った。商社マンとしての長い経験から、川上戦略、川下戦略を徹底して学んだだけに自信を持っていたのだ。

 ランチェスターの欠点は、時間軸の欠如である。かつての日本軍敗退の根本的な原因もそこにあった。戦略が正しいか否かは即勝負に直結する。

 現在コインパーキング業界は群雄割拠の状態である。P社が一頭抜け出している。しかし年商は僅かに650億円、二番手のM社の1兆円超と比較すると小さい。三番手のN社の年商は100億円、4番手は当社と一部上場のN社がほぼ互角の50億円余り。全国規模での展開はP社と当社だけであり、ランチェスターが危惧するトップへの挑戦も「システマティック戦略」では十分可能である。今トップのP社と二番手のM社がサバイバルゲームをはじめようとしている。業界は成長一色の時代から、徐々に選別の時代に入りつつある。今こそ商社時代に作り上げた「システマティック戦略」を縦横に駆使して、生き残りをかけた戦いに参加しなければならない。

 ちなみに私のいた商社はグループで年商5千億円。当時既にセメント業界、生コン業界で日本一の地位にあった。最近ではコンクリートパイル業界でもトップをうかがっている。石油業界でも、コンピューター業界でもレベルアップが著しい。誠に同慶にたえない次第である。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


艱難辛苦を乗り越えて

平成19年10月22日
艱難辛苦を乗り越えて

 藤沢周平という作家がいた。若い頃から辛酸をなめた。実家の二度の破産。苦学して師範学校を出て教師になって僅かに三年。肺結核にかかり闘病生活が続いた。結婚して、死産で子をなくし、藤沢生まれの最初の妻をガンでなくした。45歳で、直木賞をとって、作家としてやっとデビュー。
その間世の中の不幸を1人で背負ったような厳しい人生であった。艱難辛苦を乗り越えて、藤沢周平独特の深みのある、透徹した、厳しい世界が生まれ出た。

 何という優しさであろうか。苦労した人しかわからない人生の機微を見事に描き出している。特に数少ない女性の表現がよい。今はもう存在しない、かつての日本女性、それも理想の女性像を表わして、玄妙である。

 私も人生の大半を、失敗の連続の中で過してきた。だからなお藤沢周平への思いが強い。失敗は誰でもする。失敗を怖れたら、何も出来ない。ただの一歩ですら踏み出せない。失敗すればよい。失敗することで多くのものを手に入れることが出来る。

 不幸も同じである。不幸を怖れては前へ出ることが出来なくなる。不幸はすべての人に平等に訪れる。それを是として受け入れるかどうかで、先が決まってしまう。不幸を受け入れることは、克服することにつながる。不幸の受入れを、不平不満で、拒否していると、状況をますます悪くしてしまう。

 不幸はチャンスと思い、次の発展に向って、努力をしていくことが大切である。不幸や苦しみは、考えようによっては、幸せであり、喜びである。感謝して、その不幸や苦悩を甘受し、新たな気持で挑戦を続けることが肝要である。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


超越艰难辛苦


19年10月22日
超越艰难辛苦

有位叫做藤泽周平的作家,年轻时候饱尝辛酸。家里两次破产,自己苦学多年从师范学校毕业好不容易当上老师,仅仅三年却患上了肺结核不得不开始跟疾病作斗争的生活。结婚之后,因为是死产所以失去了孩子,藤泽出身的第一任妻子也因为癌症去世,45岁才获得直木奖,开始了作家之路。
他的人生就像一个人背负了世上所有的不幸一样严峻。但也正是因为超越了这些艰难辛苦,才产生了藤泽周平有着独特深厚韵味的,透彻而又严峻的文学世界。
这是何等的柔情?他传神地描绘出了只有受过苦的才明白的人生的细微之处。特别是为数不多的女性描写十分出色。写出了如今已经不存在,而曾经存在过的理想的女性形象,玄妙无比。
我人生的一大半也在不断失败中度过,所以对藤泽周平有着深厚的感情。谁都会失败,害怕失败,将一事无成,连一步都迈不出去。失败就失败了,其实通过失败我们可以得到很多东西。
不幸也一样。害怕遭遇不幸也会难以前进。不幸会平等地拜访每个人。能不能接受这一事实决定前方的道路。接受不幸才能够克服不幸,如果不平衡不满意,拒绝接受不幸,只会进一步恶化状况。
把不幸当作机会,向着下一步发展而努力非常重要。不幸和痛苦因看法不同也会变成幸福和喜悦。感谢,甘心接受不幸和痛苦,以全新的心情不断接受挑战才是关键。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



知恵の勝負

平成19年10月19日
知恵の勝負

 人間の可能性は無限だ。優秀な人も、優秀でない人も、全く同じように可能性は無限だ。私は優秀な人が大好きだ。同じように優秀でないと思っている人も好きだ。自分は優秀でないと思っている人は多い。でも本当に優秀ではないのか。実は本当はそう思っている人も優秀なのである。自分の思い込み、まわりの勘違い、誤解、偏見が生み出した幻想にすぎない。

 人間は等しく平等に優秀である。ミケランジェロもアインシュタインもエジソンもあなたと同じである。私と同じである。人間に多少の差があるとすれば、それは「意欲の差」である。「やる気の差」である。例えば足の速い人鈍足の人は同じスピードで走れない。しかし10年後も同じかというとわからない。野球選手でも王貞治、イチロウなどは「才能の人」というよりは「努力の人」である。常人の考え及ばない程の努力の積み重ねが差になって表われてくるのだ。

 特に頭脳に差はない。脳細胞は加齢と共にドンドン死んでいくといわれた。間違いだ。脳細胞も新しく作られ続けているのだ。アルツハイマーで脳が傷つくことはある。また年齢が進むと頭蓋骨の形が変ってくる。しかし、脳力や能力は努力と訓練、環境によって改善される。

 ソニーの創業者井深大氏は「三つ子の魂だ。三歳までの間に、子供の脳細胞から出る触手のからみあいによって脳力が決まる。胎教を含めた幼児期の母親の努力が、子供の将来を決める」と考え、彼は晩年に全国の青年会議所をまわって幼児の父であった私達に幼児教育の大切さを力説した。

 私はそれを否定するつもりはない。しかし3歳児までというのはあまりにこだわり過ぎである。例えば四国に「いろどり」という老人ばかりの会社がある。平均年齢70歳。190人。全員がパソコン・ファックス・無線を駆使している。若い頃から使えたわけではない。「もみじビジネス、葉っぱビジネス」を始めた時に学び出したのだ。平均70歳以上のお年寄りが、心機一転やる気になって、新しいことに取り組んだのである。そして見事にやり遂げた。

 知恵の泉は決して涸れない。こんこんと湧いてくる。使えば使うほどますます湧き上がってくる。これからの日本の得意分野とすべき所はサービス分野である。そこで要求されるのは「知恵」である。体力ではなく知力を求められる。常に時代の先を見て、知恵を絞り、新しい第一歩を踏み出していきたい。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


智慧的决战


19年10月19日
智慧的决战

人类的可能性是无限的,无论是优秀的人还是不优秀的人都存在完全相同的无限可能性。我非常欣赏优秀的人,同时也喜欢那些自认为不够优秀的人。认为自己不够优秀的人很多,他们真的就不够优秀吗?实际上他们也是优秀的人,只不过是自己考虑得太多、再加上周围人的误解、偏见产生的幻觉而已。
每个人都是平等的优秀的。不管是米开朗基罗还是爱因斯坦抑或爱迪生都和你一样,和我一样。如果说人和人之间多少存在差别的话,那也是“意愿”的差别,是“干劲”的差别。例如走路快的人和走路慢的人不可能以统一速度奔跑。但是10年以后这种差别还照样存在就很难说了。棒球选手中王贞治、一郎等人与其说是“有才能的人”,不如说他们都是“努力的人”。常人无法想象的、努力的不断积累会变成差别显示出来。
我们的头脑并不存在特别的差异。曾经认为脑细胞会随着年龄的甓檀埣濃猖粥ぢ实这是错误的。新的脑细胞同时也会不断制造出来。大脑有可能因为老年痴呆症受到损伤,另外随着年龄的甓头盖骨的形状会改变。但是脑力或者能力可以通过训练或者环境得到改善。
索尼的创业者认为“三岁看到老,,三岁为止,孩子的脑细胞触手之间的结合状态决定一个人的脑力。包括胎教在内的幼儿期的母亲的努力,决定孩子的将来”。他晚年巡回于全国各地的青年会议所之间努力给我们这些年轻的父亲灌输幼儿教育的重要性。
这里我并不打算否定他的观点,但是我觉得他有点太局限于3岁的孩子了。四国有个叫做“彩色”的公司,员工全部都是老年人,平均年龄70岁,共190人。全体员工都可以熟练操作电脑、传真,无线设备。而且他们并不是从年轻时候就会,而是从“红叶商务、绿叶商务”开始时才进行学习的。平均70岁以上的老人,心里一横拿出干劲,致力于学习新东西,而且出色地完成了学习。
智慧之泉绝对不会干涸,会源源不断汩汩喷涌而出,而且越使用喷地越多。今后日本擅长的领域和应该做的是服务领域。这就要求要有“智慧”,不是体力而是要求拥有知识和智慧。对于我们而言重要的是要看清时代的方向,集中智慧,迈出新的第一步。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



プロシューマー

平成19年10月18日
プロシューマー

 時代は変る。どんどん変っていく。物が不足していた戦後は、生産者が価格の決定権を持っていた。物が豊富に出回るようになると、「消費者は王様だ」ということになり、市場は消費者優位で進みだした。

 そして今、消費者が生産者になる「プロシューマー」の時代を迎えた。「プロシューマー」とは究極の「地産地消」であり、また同時に「販売チャネルの最短化」であり、「川上と川下の合流」である。消費者のニーズを適確に把握し、それに速やかに対応した商品を作り出すことが、当然になってきたのである。

 インターネットの世界的な普及は、この「プロシューマー」の誕生に大きな力を貸した。I・Tといわれる情報システム技術から、I・C・Tといわれる情報通信システム技術の大変革が始まっている。北海道の夕張メロンを沖縄の人が、一番おいしい時期を選んで、簡単に手に入れることが出来る。沖縄にいながら、インターネットを使って、あたかも自分が作っているように、北海道の夕張メロンの成熟状況を手にとるように見ることが出来る。そして収穫時を指示することすら可能となる。

 福井市に本社がある「セーレン」という会社がある。ここで早くから「ビスコテックス」というシステムを開発している。これは世界中のユーザーが直接自分のデザイン、カラー等の洋服を注文することが出来るシステムである。プロデューサー、作り手が、コンシューマー、買い手に限りなく近付いていっている。また買い手の好みや流行は、瞬時に、売り手作り手側にデーターとして、蓄積されていく。セブンイレブンのポスが世界のコンビニを変えたように、僅かの期間で世界の覇者は変ってしまう可能性がある。それがプロシューマー時代だ。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


生产消费合二为一


19年10月18日
生产消费合二为一

生产消费合二为一
时代总在变化,并且将不断变化下去。在物质匮乏的战后,生产者才拥有决定价格的权利,而市场上流通的东西丰富起来之后,“消费者才是上帝”,消费者开始在市场中占据优势地位。
今天,我们迎来了消费者同时也是生产者的“生产消费合二为一的时代。“生产消费和二为一”其极致在于“地产地消”(哪里生产哪里消费),同时也在于“销售渠道的最短化”,在于“上游和下游的合流”。准确把握消费者的需求,并对此快速应对制造出消费者满意的商品,已经变成了理所当然的事情。
网络在全世界的普及,对“生产消费一体化”的诞生产生了巨大的助力。I•T即情报系统技术开始了向I•C•T(情报通信系统技术)的大变革。北海道的夕张香瓜,冲绳人可以选择最可口的时间,很轻松就买到。身在冲绳,通过网络,可以清楚地看到北海道夕张香瓜的成长状况,就好像自己种的一样。甚至可以对收获时间作出指示。
本公司设在福井的公司有个叫做“精炼”的,很早就开发了一种叫做“Viscotecs”(Visual Communication Technology System)的系统。通过这个系统全世界的消费者都可以直接定购自己设计、以及自己喜欢的颜色的服装。生产消费和二为一,制造者无限接近消费者,购买者。同时购买者的喜好和流行,也可以瞬时作为销售商、制造商的数据得以保存。正如“SevenEleven”的老板改变了全世界的便利店一样,世界霸主在极短的时间之内发生改变大有可能。这就是“生产消费和二为一的时代”。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



味覚

平成19年10月17日
味覚

 ヨーロッパ大陸の人は、イギリス人の味覚を信じない。イギリス料理は味がないという。即ちイギリス人は味覚が不足しているというのだ。大体において味が薄いのは確かである。私は味が薄い方が食べ易いので、嫌いではない。フランス料理の濃厚な味を毎日いただくよりは、イギリスの薄味は悪くはない。

 中国人の味覚はフランス人に似ている。味の濃厚さでは中華料理とフランス料理は世界でも双璧である。その反対に位置する薄味の代表格が、イギリス料理と日本料理である。共通するのは共に島国。海に囲まれた僻地。そして薄味である。ただし料理の種類では圧倒的な差がある。それがイギリス人の味覚云々を有名にしたのであろう。片や隣国に世界一有名なフランスと中国が位置するのも似ている。その影響は無視できないが、海がその影響を永年に亘ってさえぎってきたのも無視できない。

 日本人の味覚は世界一敏感だという。しかしイギリス人はその正反対のことがいわれている。「味覚の文化」だと思う。イギリスは19世紀から20世紀にかけて世界を征服した覇権の国であった。世界中の富を集めた。その間に世界を旅したイギリス人は、世界中の料理を味わったはずである。何故それが集大成されなかったのか。これでは、イギリス人の味覚を疑わざるを得ないことになる。

 日本人の味覚は敏感である。今、日本料理は健康食として世界でももてはやされている。その薄味の中に「かくし味」が数多いのも、徐々に認められていくであろう。日本人が永年に亘り築き上げてきた文化、日本料理の味について世界が気づきつつあるように思う。フランス料理や中華料理の豪華さとは違う。わびさびの世界に近い薄味文化は貴重な存在である。

 私の友人の一人、あるオーナーシェフはミックスステーキという変ったメニューを30年前から売り出している。牛肉と豚肉ととり肉が同じプレートに並べて出てくる。こんな料理を考えるのも日本人ならではである。味はそれぞれ好みがあるが、とり肉のおいしさを気づかせてくれ逸品である。こんな芸当が出来るのも好奇心旺盛な日本人独特の性格のせいであろうか。秋の食はすすむという。いよいよその秋が目の前にきている。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


味觉


19年10月17日
味觉

欧洲大陆的人不相信英国人的味觉,说英国菜没味道,认为英国人缺乏味觉。英国菜大多比较清淡这确是事实,而我觉得味道清淡点容易入口,所以并不讨厌。与其每天吃味道浓烈的法国菜,清淡的英国菜味道还更好点。
中国人的味觉很法国人相似,就味道的浓厚而言,中国菜和法国菜可以说是世界上的双璧。跟它们互为对角线的代表菜系就是英国菜和日本菜了。两国相通的地方在于同为岛国,都是被大海包围的偏僻之地,菜的味道都很清淡。不同的是饭菜种类的多少有着天壤之别。这可能就是英国人的味觉云云得以出名的原因吧。另一方面邻国分别是世界上最有名的法国和中国这点也很相似。来自邻国的影响不可忽视,同样这种影响长期以来被大海阻隔也不可忽视。
据说日本人的味觉世界第一敏感,但是英国人却正好相反。这就是所谓的“味觉文化”吧。
英国是个从19世纪到20世纪征服世界的霸权国,集中了全世界的财富。这期间足迹遍及世界的英国人应该品尝过全世界的料理,为什么就没能够对之集大成呢?难怪人们要怀疑英国人的味觉。
日本人的味觉就很敏感。今天,日本料理作为健康食品在全世界大为流行。清淡的味道背后隐藏的“提味”数量之多,也将慢慢得到承认。全世界正在逐渐意识到日本人长年累月形成的饮食文化以及日本料理的味道。跟法国和中国料理的奢华相比,接近清寂世界的清淡饮食文化的存在显得弥足珍贵。
我有一位料理师朋友,他从30年开始就创制出了一种味道奇特的混合肉排。牛肉、猪肉和鸡肉出现在同一个盘子里,也只有日本人能够想出这道菜。虽然牛肉、猪肉、鸡肉味道各不相同,但这绝对是一道让人吃出鸡肉的美味的逸品。能够学会这道手艺也缘于日本人好奇心旺盛的性格。秋天是个食欲旺盛的季节,这样的季节已经近在眼前。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



月を思う

平成19年10月16日
月を思う

 朝4時。いつもの通り起床。東天に明星あり。雲が薄くかかっている中で他の星はほとんど見えない。気になって外へ出てみる。西の空には満月が明々と輝いている。他の星はあまり見えない。月の色はいつもの白でなく、少し赤味がかった黄色がかった不思議な色である。

 日本から月探査ロケットが打ち上げられた。成功とのニュースが入って、もう大分過ぎた。まだ次のニュースが入ってこない。月の質量やその内部の組成など、未だに謎が多い。

 人類の月への思いは強い。文学や絵画あるいは詩歌、俳諧にいたるまで私達の月への思いは強く、深くそして歴史と共に続いている。

 月は地球の衛星といわれる。地球のまわりをまわっている人工衛星は地球の直径を約1mとすると、地上から約3センチ〜5センチの宇宙空間をまわっている。月は約35m離れたところをまわっている。人工衛星と言いながら本当の衛星である月と比較すると、人工衛星はジェット機とあまり変わらない。ジェット機は地上から約1ミリの所を飛んでいる。月は近いようで遠い天体である。

 潮の干満や生命の誕生に月が大きな影響を与えているという。太陽暦を世界中で使うようになったが、太陽暦(月の満ち欠け)の方が私達日本人の感性には遥かにふさわしいと思う。月との対話、自然との対話から、季節を感じることが出来る。思えば現代人の私は「月」を殆んど知らない。恥ずかしいことだ。

 私は「忘れかけた英語やドイツ語の勉強がしたい」と妻に言ったところ、彼女は「絶対に宇宙研究だ」という。永遠の謎といわれる「宇宙」をもう一度考えてみるのも面白い。満月を見ながらそんなことを考えた。
5時。まだ東天に明星あり。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


望月遐思


19年10月16日
望月遐思

清晨4点钟,我和平时一样起床。东方天空有一颗明星在闪烁。罩着一层薄薄的云雾的天空,几乎看不到其他的星星。心里觉得很是不可思议,出门一看,只见一轮满月挂在西方天空熠熠生辉。怪不得其他的星星几乎看不到。月亮的颜色也不是经常看到的白色,而是一种不可思议的偏红或者说有点偏黄的颜色。
日本的探月火箭发射成功的消息传来已经很久了,却迟迟听不到下一个消息。有关月球的质量以及其内部组成等等,依然存在很多未解之谜。
人类对月亮有着强烈的感情。从文学、绘画到诗歌、俳谐,我们对月亮强烈又深厚的感情无处不在,这种感情一直伴随着我们人类的发展历史。
月球被称为地球的卫星,如果地球直接只有1米左右,那么围绕在地球周围的人造卫星不过在距离地面3到5厘米的宇宙空间转动,月亮则在35米开外的地方运转。跟真正的卫星—
月球相比,人造卫星和喷气式飞机没有多大差别。喷气式飞机不过在距离地面大约1厘米的地方飞行而已。所以月球是个离我们既近切又遥远的天体。
月亮对潮汐的涨落、生命的诞生都会产生很大影响。今天,虽然全世界都开始使用太阳历,但是我总觉得太阴历(月缺月圆)更加符合我们日本人的感觉。通过和月亮对话、和大自然对话,我们能够感觉到季节的变化。仔细想想,作为现代人的我几乎对“月亮”一无所知,实在惭愧。我对妻子说“我想把忘得差不多的英语或语重新捡起来”,而妻子则说“绝对比不了宇宙研究”。重新思考永远的谜团——“宇宙”也是一件有趣的事情。一边看着月亮我一边这样想。
凌晨5点,东方天空明星在望。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



出生率ナンバーワン

平成19年10月15日
出生率ナンバーワン

 福井県は出生率ナンバーワンという。全国で赤ん坊が生まれる確率が一番高いということである。
私の会社はその中でも際立って出生率が高い。パートさんを含めても250人余りの従業員の中で、産休中の人が何人もいる。産休明けの人が挨拶に来たり、産休中の人が生まれたばかりの赤ん坊の顔を見せにくる。

 女性を大切にする職場を作ろうとの初志を貫徹しているのである。日本では女性が長い間差別されてきた。アメリカも「人権の国」と言いながら、内実は未だに女性に対する差別が存在する。

 私の会社の最大の特徴は「差別ナシ」である。男女の差別は勿論、学歴、年齢、経歴、国籍等の差別は一切ない。本人の努力と実績次第で昇給、昇格等が決められる。

 女性は優秀な人がまだ数多く不遇の中にある。その人達に一緒に働く機会を持ってもらおうと考え、他の会社より結婚祝いを多くしたり、出産祝いを多目にさし上げている。社内結婚も多い。女性の役職者も多い。

 出生率ナンバーワンの理由をいろいろ考えてみたが、共働きが多いことと、三世代同居が多いことが原因であろうか。一世帯当りの所得や貯蓄が多いことも有力な原因である。そして何よりも、すばらしい自然環境の中、おいしい食べものを十分味わい乍ら、ストレスを発散しつつ仕事を楽しんでいるこの日常に理由がある。

 楽しい職場づくりと同時に人間らしい生活が送れる環境づくりが最も大切である。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


出生率第一


19年10月15日
出生率第一

据说福井县出生率第一,也就是说福井县新生婴儿出生率最高。
其中我们公司的新生婴儿出生率更是高。全公司包括临时员工在内的250多名员工当中,总有好几个人在休产假。她们有的产假之后复工到我这里来打招呼,也有休假中带着刚刚出生的孩子给我看的。
我一直在贯彻执行公司成立之初的想法,创造重视女性的工作环境。日本长期以来对女性实行差别对待。美国虽然也标榜是“人权的国家”,实际上仍然存在对女性的歧视。
我们公司最大的特点是没有差别。男女差别自不用说,学历、年龄、经历、国籍等差别也一概不存在。一直根据本人的努力和实际工作业绩给与加薪升职。
现在仍然有很多优秀的女性得不到应得的重用。为了得到和她们共同工作的机会,我们比别的公司给员工奖励更多的结婚或生子贺礼。公司内部员工之间结婚的很多,女性担任要职的也很多。
关于出生率第一的理由,我想了很多。首先可能是因为夫妻双方都工作,还有三代同堂的比较多呢。还有每家每户的收入和储蓄多也是有力原因。另外比这些更重要的理由恐怕在于福井的人们得以在美丽的自然环境之中,充分品味着美味的食品,一边释放压力,一边享受工作这样的日常生活吧。
看来创造快乐的工作环境的同时创造适合人类生活的环境才是最重要的。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



現地現場

平成19年10月12日
現地現場

 社長巡回や、役員巡回を始めてもう何年もの年月が過ぎた。今から27年前トヨタとお付き合いが始まった時、一番驚いたのが、毎年行われるトヨタの社長や役員によるディーラーまわりの実施であった。当時、約300余りもあった全国のディーラーを社長や副社長が先頭に立ってまわってこられるのである。緊張もするし、働き甲斐も感じた。そしてこの経営方針はぜひ学ばなければと深く心に期した。

 問題は常に現地、現場にある。これは工場内でも販売の第一線でも同じである。本社にいて指図していることが現地では全く違った動きになっていることは多い。現地では「本社は現地の事情が全くわかっていない」と考え、独自の動きをする。本社は「現地は命令をよく守らない」と不満を持つ。ところが現地へ行ってよく見てみると案外簡単に解決策が見つかることが多い。問題も解決策も常に現地現場にあるということだ。

 現場を知らない人間が大きな権限を持つと、そのグループは暴走をはじめることがある。空論空理になったり、独断専行にかたよりがちになるからだ。現場の意見を十分吸い上げ、現場を徹底的に検討して、行動するのがよい。出来れば本社機構と現地現場とをわたり歩く人事交流が望ましい。

 トヨタのTQCを27年前に体験して、それ以来、現地現場の大切さを身にしみて感じた。私達の会社も全国に17支店を数え、管理駐車場も2,000ヶ所を超えた。役員巡回の重要性を初心に帰って今一度強調したいところである。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


实地现场


19年10月12日
实地现场

公司开始实行社长巡回、要员巡回制度已经过了好几年。27年前刚开始和丰田打交道时我最吃惊的是,每年丰田都由社长或要员实施代理商巡访。丰田的社长和副社率先巡视全国大约300多家代理商。作为代理商紧张的同时,又感到自己劳动的价值。当是我就从内心深处决定一定要学习这种经营方针。
问题总是在实地,现场,这一点不论是工厂还是销售第一线都一样。在公司本部指示的事情现场行动却完全相反的情况比比皆是。现场认为“本部根本不明白实地情况”,而采取独自行动。而本部不满“现场不遵守命令”。但是实际去现场看一看,往往很简单就可以找到解决方案。也就是说不管是问题还是解决方案都存在于实地现场。
不了解现场的人一旦手中有了权限,这个集团就会暴走。不是空谈理论,就是容易独断专行。所以最好充分吸收现场意见,彻底讨论现场问题,最后付诸行动。可能的话最好实行来往于本部职能和实地现场之间的人事交流。
27年前体验了丰田的TQC之后,我就切身感到实地现场的重要性。我们公司如今全国支店达到了17个,管理的停车场数也超过了2000个。正是有必要再次回到原点重新强调要员巡回的时候。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



富の偏在

平成19年10月11日
富の偏在

 アメリカは世界一豊かな国といわれている。それを疑う人は世界でも稀である。ビルゲイツの年間所得(個人)は世界の半分以上の国々の国家予算を超えている。世界の富豪の半分近くはアメリカ人だ。GDPでも断然のトップである。

 反対にハリケーンが襲ったニューオリンズの惨状が世界に伝えられた。逃げるに逃げられない人々が多い。その理由が「車がない」「お金がない」のナイナイ尽くしである。

 今年サブライムローン問題で世界中が驚かされた。住宅を持てない最下層の人達に特別低い住宅ローンを組んで住宅を与えたという。そして3年以降その低い利率のローンは10%近い高率の金利を支払わなければならないという。十分な事前説明もなく、このサブプライムローンを使ってどんどん住宅を売ったという。この資金を集める為にこれ等の債権を証券化して、全世界へ売った。当然こんな高率でまわる投資先はない。世界中の資金はアメリカへ集まった。二重、三重に証券化された債権はバブル状態となってしまっている。

 マルリリンチ証券の発表によれば、2006年に100万US$以上を保有するお金持ち(個人)は、世界中で950万人いるという。前年より8%以上増えた。その保有資産総額は37.2兆US$。前年より11%以上増えた。

 お金持ちの人口の伸びは1位シンガポールの21%、2位インド20%、ロシア15%、ブラジル10%そして中国7%。日本は5%であるが、147万人もいる。世界経済は好調というが、ここ数年、一貫して富の偏在が進んでいる。富の偏在が進むと、お金は少数の人の所に死蔵されてしまう。消費が増えなくなる。消費は最も大きな支出ファクターである。これにブレーキがかかると急激な景気後退が起きる。富の偏在は危険である。格差の拡大に目を瞑ってはならない。石油の異常な値上がり、その反対に世界各地で起きているサブプライムローン破綻による株価の急落。これ等の異常シグナルに注目する必要がある。私はサブプライムローン問題は、世界経済全体に今後ますます大きな影響を与えることになると心配している。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


财富的失衡


19年10月11日
财富的失衡

美国是当今世界上最富有的国家,全世界怀疑这一点的人没有几个。比尔盖茨的个人年收入超过了世界上一半以上国家的国家预算。世界富豪中美国人接近一半。GDP也独占鳌头。
另一方面,遭受飓风袭击的新奥尔良的惨状也传到了全世界,逃也逃不掉的人大有人在。理由是“没有车”,“没有钱”一无所有。
今年全世界都为次级房贷震惊。为没有住房的人们提供利息特别地的住房贷款给他们房子住,3年以后低息贷款就变成大约10%的高利率。没有充分的事情说明,利用这项贷款不断售房。为了集资把这些债权证券化,卖给全世界。当然哪里都不会有这么高利率的投资。结果全世界的资金向美国集中,而二重、三重证券化之后的债权变成了泡沫状态。
据马鲁里林奇证券的发表,2006年全世界拥有100万美金以上的有钱人(个人)有950万人。比前年甓知8%以上。其保有的资产总额为37.2兆美金,比前年甓知11%以上。
有钱人人口比率长最快的国家中,第一位是新家坡的21%,第二位是印度20%,第三位俄国15%,接着是巴西10%,中国7%,日本只有5%,但这个数目是147万人口。世界经济发展势头良好,但是最近几年,财富的失衡状态一直在发展。这种状态发展下去,金钱就会被少数人死守,消费将停止甓叩消费是最大的支出因素。如果给消费刹车,就会引起景气急速后退。所以财富失衡是危险的,不能对差距的扩大视而不见。我们有必要关注这些异常信号:石油的异常价格上涨和相反的世界各地因次级贷款破绽而引起的股票狂落。我担心今后次级贷款会越来越对世界经济全体产生巨大影响。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



逆転の発想 なぜ地方は高い

平成19年10月10日
逆転の発想 なぜ地方は高い

 物価のことではない。JRの料金制度である。都市周辺では利用客が多いので料金は安い。特急料金ナシで快速に乗れる。都市周辺は便利で安い。

 ところが地方ではJRの乗客は高い料金を支払わされる。そして不便である。これでは地方はたまらない。

 例を上げてみよう。私は今、外房の上総興津にいる。東京までは116辧特急で約1時間半。料金は往復7,200円である。鎌倉にいた時は東京まで50辧普通で約1時間余、料金は往復1,640円であった。

 千葉県は首都圏といわれる。かつて房総半島は関東のチベットといわれた。いわゆる僻地という意味であろう。道路も内房側は少し整備されつつあるが、外房はあまりよくない。JRは内・外ともに四国や北海道並である。

 利用客の立場に立って考えると、料金は前記のように高い。なぜ高いのであろうか。安くならないのか。

 私は滋賀県長浜市の生まれだ。長浜は京都、大阪から近いけれど直通の快速(普通料金での特急並)が通っていなかった。まちはドンドンさびれていった。町衆が立ち上がった。米原まで来ている快速を長浜まで延伸してもらおう。結果は上々。長浜のまちは息を吹き返した。乗降客は湖北一市三郡の中心といわれた頃より以上に増えた。その殆んどは観光客である。

 私は外房の現状を見て上総一の宮から千葉へ朝夕でている快速にあわせて、鴨川発京葉線経由の快速を走らせることを提案したい。快速が走り出すと観光客は数倍に増加し、通勤客は増える。誰でも豊かな自然の中で住みたい。そしてそこから都心へ通勤、通学したい。切実な人々の願いである。逆転の発想だ。客が少なくて採算があわないから料金を高くするのではない。だからこそ料金を安くするのだ。安くし、速くすることにより人は集まり、まちは繁栄する。JRも当然利益が出る。

 JRの利用客の1人である私は、最近JRの経営姿勢に大いに賛同する。ぜひ関東のチベットといわれる房総を見直していただきたい。JRにとって房総は残された宝庫である。未開の沃野である。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


逆向思维 地方为什么贵


19年10月10日
逆向思维 地方为什么贵

我要说的不是物价问题,而是JR火车的票价制度。大城市周围因为乘客多所以票价便宜,不用支付特急费就可以坐快车,既方便又便宜。
而地方呢,火车乘客不仅要支付昂贵的费用,而且还不方便。长此以往地方如何能够承受得了。
举个例子,我现在在外房的上总兴津,距离东京116公里,特急大约一个半小时。往返车票7200元。如果在镰仓,离东京50公里,作普快大约1个小时多点,往返票价只有1640元。
千叶县也属于首都圈。房总半岛曾经被称为关东的西藏,也就是偏僻之地的意思。道路也一样,内房在逐渐整备,而外房情形还不太好。无论内房还是外房铁路都和四国和北海道不相上下。
从乘客角度来考虑,正如上面所说票价太贵。为什么会这么贵,能不能便宜点?
我出生于滋贺县长滨市。长滨虽然离京都和大阪都很近却没有直达的快车(普快票价的特快)。城市越来越萧条。后来市民们行动起来,要求达米原的快速延伸到长滨,结果效果十分明显,长滨又恢复了生机。上下车乘客比起湖北一市三郡中心时代甓知三貲椣幣紂而且大部分是观光客。
从外房现状出发,我提议配合早晚从上总一之宫到千叶的快速、新开从鸭川发车经由京叶线的快速。快速开通之后观光客就会甓耽倍,通勤乘客也会甓叩0为大家都想住在自然环境丰富的地方,从那里出发去市中心上班,上学。这是大家切切实实的心愿。来个逆向思维,不是因为乘客少而提高票价,相反正因为乘客少所以降低票价。通过降低票价、加快车速,集中人口,使城市繁荣起来。这样铁路公司当然也会得利。
作为乘客之一,我对近来JR的经营姿态大家赞同。希望他们重新考虑关东的西藏——外房。对JR来讲,外房是残留下来的宝库,是未开发的沃野。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



ワインの会

平成19年10月9日
ワインの会

 いよいよぶどうの収穫が始まった。新酒ボジョレヌーボーは11月中旬に口に入るようであるが、その前に「オペラや映画に登場するワインのシーン」を鑑賞しながら、ワインを楽しむ会を開いた。当日の先導役は、元ヤスブン社長末定直三氏と、北陸でも有数のシニアソムリエ秋山宣子さんにお願いした。オペラ、ビゼーの「カルメン」この曲の中にスペインのアンダルシア地方で作られる「マンサニーリャ」のワインが登場する。また「椿姫」の第一幕「乾杯の歌」は誰でも知っている。シャンパンを注ぎながら歌っている。スクリーンに、映画やオペラの「ワインのシーン」を映しながら、参加者約50名が魅了された一夜となった。

 ワインはヤスブンが世界中のワインの中から厳選したものだけを提供。大好評を博した。またフランス料理のレストラン葵のオーナーシェフ坂野誠さんもスタッフ多数を連れて参加。見事な味のステーキと芳醸なワインを満喫した。坂野シェフとは彼の父や祖父の頃からのおつきあいである。戦後未だ西洋料理が珍しかった頃から福井のえきまえでフランス料理一筋のレストランであった。福井人絹会館地下のCR食堂と、洋館木造二階建のグリル葵はレストランの双璧であった。

 話を「ワイン会」に戻したい。当日は福井を代表する紳士淑女においでいただいて恐縮するやら、感謝するやら。とてもよかったので「もう一回やれ」との有難いお言葉を賜った。再度の挑戦ができるかどうか、末定、坂野の両氏に相談してみたい。それにしても「ワインの歌」は陽気である。日本酒の歌も、もう少し明るくならないものか。明るいこと、元気なことが大好きな私はそんなことを思う。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


葡萄酒会


19年10月9日
葡萄酒会

又到了葡萄收获的季节,Beaujolais Nouveau薄若莱新酒大概要到11月中旬才上市。我们在此之前开了个葡萄酒会,一边品酒,一边欣赏“歌剧或电影中出现的葡萄酒镜头”。酒会当天的司仪是元安文公司社长未定直三先生,同时我们还邀请了北陆地区屈指可数的侍酒师秋山宣子女士。比才的歌剧《卡门》中有西班牙安达鲁西亚地方生产的Manzanilla曼赞尼拉出场。《茶花女》的第一幕《干杯之歌》,边倒香槟边唱的一幕无人不晓,。这一晚,电影、歌剧中的“葡萄酒”镜头一幕幕在大屏幕上映,迷倒了50多位出席酒会的人们。
这次酒会我们只提供安文公司从世界各地严加挑选的葡萄酒,得到了大家的好评。此外法国料理店葵的主厨坂野诚先生也带来数名工作人员参加酒会。我们充分享受到了美味的牛排和香醇的葡萄酒。我跟野坂主厨的交情自他父辈和祖父辈就开始了。战后西洋料理还非常稀缺的时候他们就一心一意在福井车站前经营法国料理。福井人丝绸会馆地下的钢筋混凝土(CR)食堂和2层木造洋楼西洋料理葵是当时的饭店双璧。
还是再回到葡萄酒会吧。当天代表福井的绅士淑女们光临酒会,令我又是惶恐,又是感谢。后来得到了大家难能可贵的鼓励说“非常不错,再举行一次吧”。能否再挑战一次,还是未知数,有待于和未定和坂野两位先生商量。这些暂且不提,“葡萄酒祝酒歌”真的非常阳光。日本酒的祝酒歌能不能也稍微明快点呢?喜欢欢快明朗,朝气蓬勃的我,不由这么想。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



米山記念奨学金

19年10月5日
米山記念奨学金

 新幹線三島駅の近くに米山梅吉翁が創設した米山奨学会と梅吉翁の記念館がある。小さなひなびた建物である。東京でロータリークラブの活動を開始した梅吉翁は、その生涯を社会福祉事業に捧げた。特にアジア洲からの留学生を支援することに力を入れたのである。

 その米山梅吉翁の功績をたたえて、東京ロータリークラブは冠名の米山記念奨学会を設立。今や海外よりの留学生に対する日本最大の奨学会にまで育ってきた。

 私も過去何人かの奨学生と知り合ったが、その留学生の数といい、その出身国といい、その奨学金の額といい、すべてが抜群の理想的な奨学制度である。今年度で累計169ヶ国から13,902名の奨学生を迎え支援されてきた。

 拠出したのは日本のロータリアンだけである。これも累計で20万人ほどのメンバーからの芳志である。世界中のロータリアンの拠出するロータリー財団の奨学生と併せると更に大きな広がりを見せる。

 しかし米山記念奨学会の主たる対象国はアジアである。累計13,902名中13,315名、約96%がアジアである。アジア諸国は17世紀末から20世紀までヨーロッパ諸国の植民地として辛酸をなめ、その後日本の占領を経て戦争の中で多難な生活を強いられてきたことから、特にアジアの学生を招いた為である。中国28%、韓国27%、台湾24%と三国の比率が圧倒的に多い。博士号取得者は約3,000名を数え、日本をはじめそれぞれの国で活躍をしている。すべての奨学生の消息は定かではないが、若い日に日本で学んだ体験は忘れられない生涯の思い出となっていることであろう。「世界は一つ」の21世紀を迎え
て、彼等の活躍を期待し、世界平和の実現を願っている。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


米山纪念奖学金


19年10月5日
米山纪念奖学金

新干线三岛站附近有米山梅吉翁创设的米山奖学会和梅吉翁的纪念馆。这是一个小而僻静的建筑物。在东京开始扶轮社活动的梅吉翁,把自己的一生都献给了社会福利事业。特别是致力于帮助来自亚洲的留学生。
为了把米山梅吉翁的功绩发扬光大,东京扶轮社设立了以他的名字命名的米山纪念奖学会。今天这个奖学会已经发展成为日本最大的面向海外留学生的奖学金组织。
我在过去几年里也认识过几个获得奖学金的学生。无论是留学生人数还是出身国或者奖学金数额,米山奖学会都是优秀的理想的奖学金制度。本年度为止累计迎来了来自169个国家的13902名奖学生给他们提供了帮助和支持。
米山奖学会的出资人仅限于日本的扶轮社志愿者,完全来自大约20万人的志愿行为。如果再加上全世界扶轮社成员出资的扶轮社财团奖学生涉及的人员就更广了。
米山纪念奖学会的主要对象国是亚洲各国。上述的13902名奖学金获得者当中有13315名,即大约96%来自亚洲各国。亚洲诸国从17世纪末开始到20世纪为止作为欧洲各国的殖民地饱尝辛酸,之后又经过日本军占领,在战争中过着多灾多难的生活,因此米山奖学金主要颁发给亚洲学生。其中中国28%、韩国27%、台湾24%,这三个国家和地区占有压倒性优势。取得博士学位的奖学生大约有3000名,他们都活跃在日本或者各自的祖国。虽然并不清楚所有奖学生的确切消息,但是我想对他们而言青年时代在日本学习的体验一定会成为终生难忘的记忆吧。今天我们迎来了“世界大同”的21世纪,我期待他们施展所能,祈祷世界实现和平。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



世の中を変える人

平成19年10月4日
世の中を変える人

 「変革のリーダー」と呼んでもよい。「世の中を変える力を持っている人」と呼んでもいい。世の中を変えた人々を歴史上で捜してみると、その能力を理解しやすい。「変革力」というか「時代を見抜く力」というか。とに角「異能」と見られる特別の力である。

 古くは聖徳太子であり、源頼朝であり、織田信長、徳川家康であった。私は政治というより、自分に近い経済の分野に親しいので、それを坂本竜馬や渋沢栄一、そして近江商人の先達に求めることが多い。そしてこれ等の人々から学ぶことは多い。

 日本の金融界の一方の旗頭、日本銀行設立前に銀行を作った人、安田財閥の祖、安田善次郎(1921年83歳没)に、学んでみたい。彼は露店の両替商よりスタートした。文字通りの徒手空拳である。28歳で両替商(安田商店1866年)を作った。そして1876年、38歳で第三国立銀行創立。1880年安田銀行。1882年日銀理事となっている。同時代の渋沢栄一が表舞台を歩いたのと比較すると、安田善次郎は好対照である。彼の言葉からいくつかの名言金言を拾ってみた。

 「目的をはっきりする」「進取」を説いている。時代の先を見て、何を行うのかをしっかり明確にする事としている。

 次に「心に誓いを立てる」「立志」と言っている。目的完遂の為に必達を念じている。

 更に「実行」の重要さを説いている。「克己」と「堅守」が大切という。実行なくして何もない。また実行するには右顧左眄せず努力を継続することを重んじている。熟慮断行である。

 安田財閥を作った彼の業績は、どちらかというと金融関係が中心で、1920年には銀行20行、保険4社を数え、その他の企業15社をあわせてコンツェルンを形成。

 彼が今日あるのは、「徹底した合理主義」そして「発想のすばらしさ」と慎重さと果断さをあわせもった「実行力」にあるといえよう。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


改变世界的人


19年10月4日
改变世界的人

你可以称他们为“变革之领袖”,也可以称他们为“拥有改变世界的力量的人”。试着寻找一下历史上改变了世界的人们,我们不难理解这种能力。称之为“变革力”也好,称之为“时代穿透力”也好,总之这是一种被视之为“异能”的特别力量。
拥有这种力量的古有圣太子、源頼朝、织田信长、川家康等人。不过同政治相比我对离自己较近的经济领域感觉更亲切点,因此往往从坂本龙马、涩泽荣一、还有近江商人的先贤们身上寻求这种力量,从他们身上我学到了很多东西。
首先我求教于安田善次郎(没于1921年,享年83岁)——日本金融界的一面旗帜,日本银行设立之前创建了银行的人。他从露天兑换商起家,名副其实徒手空拳闯天下。1866年,28岁开设了兑换商店(安田商店)。1876年,38岁,创立第三国立银行。1880年,创立安田银行。1882年担任日本银行理事。跟同时代走在正面大舞台的涩泽荣一相比,安田善次郎正是绝好的对照。从他的话语当中我选择了几个至理名言。
首先,他强调“明确目标”和“进取”。看清时代发展的方向,明确自己应该采取什么行动。
再次他主张“誓言存我心”即“立志”。即为了完成目标而具备的必死的决心。
另外他还强调“实行”的重要性,认为“克己”和“坚守”非常重要,没有行动就没有一切。同时行动时他重视的不是左顾右盼而是持续不断的努力,即深思熟虑,彻底行动。
他一手打造了安田财阀,其主要功绩,主要在于同金融有关的企业。1920年时他拥有银行20家,4个保险公司,另外加上15家其他企业形成了金融寡头。
可以说安田之所以有今天的成果,是因为他“彻底的合理主义”和“超群的思维能力”,再加上慎重又不乏果断的“实行力”。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



変 化

平成19年10月3日
変 化

 人生は旅。人は一生をかけて時間と空間を旅する旅人である。万葉歌人をはじめ旅で詠んだ歌や句そして絵も多い。西行は言うに及ばず、芭蕉、北斎など旅は彼等の作風に影響を与えた。彼等の人生に大きな影響を与えた。

 旅は変化を伴う。非日常の世界である。変化することで、人は心を解き放つ。旅は人を自由にする自由になることで思索が深くなる。

 作家や画家が行きづきまして、ものがかけなくなることがある。その時彼等は旅に出る。時間やお金に余裕のない時は散歩でもよい。歩きながら新しい何かを把む。一歩を歩き出すことで、変化が生まれ、壁を乗り越えるよすとなる。

 私は旅が好きだ。変化が好きだ。居場所が変ると考えが変る。社員に少し重めの仕事を任せてみる。うまくいった時、その社員は大きく成長している。仕事が人を育てる。地位が人を育てるという。まさに至言である。

 私は自己の成長を期待して大きな仕事に挑戦することが多い。変化は必ず困難を伴うものであるが、その困難の先に大きな成果があり、喜びがある。

 変化を意識して求めるのである。言葉を変えれば安定に満足しない為に自からを変化の境地へ動かすのである。時代の変化を待つのもよい。しかし時代を変えるのは人である。

 人生は旅。私は私の旅を今日も旅する。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


变化


19年10月3日
变化

人生如同旅行,人是穷尽一生进行时空旅行的旅客。从万叶歌人开始在旅途中吟诵的诗篇还有绘画都为数众多。西行自不待言,旅行不仅对芭蕉、北斋等人的创作风格产生了影响,对他们的人生也产生了极大的影响。
旅行总伴随着变化,它是非日常的世界。人的心灵因为变化而得到解放。旅行使人变地自由,而因为自由人的思索开始变得深邃。
作家或者画家有时候会思路枯竭,写不出东西来,这时候他们就会去旅行。在时间和金钱不充裕的时候散步也是好的。他们会一边走路一边抓住某种新的力量。只要踏出去一步,就会产生变化,超越壁垒的机缘也因此成就。
我喜欢旅行,喜欢变化。改变所在的场所思想就会发生改变。尝试把责任重大的工作交给员工,在进行顺利的情况下,这名员工会得到极大的成长。工作可以培养人,地位可以培养人,这句话简直是至理名言。
我期待自己能够成长时一般会挑战大型工的作。虽然变化必然伴随着困难,但是我相信困难的前方是巨大的成果,是收获的喜悦。
我一直在有意识地追求变化。换言之就是为了不满足于安定状态我总是采取主动走向变化的境地。虽然坐待时代的变化也不失为良策,但是不要忘记改变时代的也是人。
人生就是旅行,今天我也要进行属于我的人生之旅。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



思い上り

平成19年10月2日
思い上り

 ある程度勉強し、少しわかってくると、人はすぐ増長慢になる。多少の知識をひけらかしたくなる。理論と現実の事象との正確な対比を怠って、誤った判断、誤った結論を導き出してしまう。それを「思い上り」という。

 私はこの「思い上り」の苦い経験を数限りなくした。最初は小学校2年の絵の時間。恥かしい程先生に褒められて舞い上った。中学校2年の数学の時間、学年400人中1、2位といわれた時。高等学校2年の英文法の時間。いずれも先生が褒めすぎて、私はつい我を忘れ、思い上がった。結果は明白、努力を怠りその後漸次成績は下降線を辿った。慢心ほど恐ろしいものはない。思い上りの記憶ほど恥かしいものはない。

 逆に謙譲の精神は人を成長させてくれる。これは自分の我執を捨てることである。自分の意見を主張する前に、まず相手の意見を謙虚に聞く姿勢が大切である。謙譲の美徳という。凡人の私達には到底達することの出来ない境地である。しかし、努力すれば近付くことは出来る。

 日本人で偉人といわれる人達は殆んどが謙譲の美徳を身につけていた。なぜだろう。躾なのか、教育なのか。家庭環境か、よき師とめぐりあえたからか。

 自からを主張する前に、相手の考えを聞く。それも謙虚に真剣に聞く、そこからすべては出発しているように思う。「雄弁は銀、沈黙は金」という諺は日本のものではない。まず相手の考えを十分に聞いた上で、自分の主張を述べる。何人かの人との討論でも同様である。まわりの人の意見を引き出す糸口を云うのはよい。しかし、浅薄な自分の考えを声高にいいつのるのは、後悔先に立たずとなる。後で恥かしい思いがする。思い上りを常に戒めてはいるが最近はついつい声を上げたくなる事が多い。思い上りなのだろうか。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


自满


19年10月2日
自满

学习到一定程度、稍微有点明白,人的进步就慢下来了,一心想卖弄卖弄自己那一点点知识。到头来懒于对理论和实际现象进行正确的比较,导致得出错误的判断、错误的结论。这就叫做“满招损”。
我就有过无数次“满招损”的苦涩经历。第一次是小学2年级的绘画课,被老师表扬地有点惭愧之后开始洋洋自得。后来是中学2年级的数学课,当时全学年400人当中我的成绩数一数二。再后来是高中2年级的英语语法课。哪一次都是被老师大加表扬之后,我就开始忘乎所以,志得意满。结果呢非常简单,之后我就开始逐渐疏于努力,成绩一路下滑。所以我觉地没有比自满更可怕,没有比“满招损”的记忆更令人惭愧的了。
相反谦让精神则使人成长,这是舍弃我执的表现。强调自己的意见之前,首先学会谦虚地听取别人的意见,这一姿态难能可贵。这就是人们所说的谦虚美,也是我们这些凡人难以达到的境界,但是只要我们努力接近这种境界是有可能的。
日本被称为伟人的人们大多具有谦让的美。何以如此,是修养还是教育?抑或得益于良好的家庭环境或者有幸遇到了优秀的师长。
进行自我主张之前,首先听取别人的看法,而且要谦虚地认真地听。这是一切事物的出发点。“沉默是金,雄辩是银”并非日本的谚语。充分听取别人的意见之后再叙述自己的主张。同很多人讨论问题时也该如此。抛砖引玉引导周围人发表意见的话则是值得提倡的。但是,大谈特谈自己那点浅薄的看法,是迟早要后悔的,日后回想起来也只会惭愧,所以我一直告诫自己千万不要自满。最近不知不觉就开始高谈阔论的现象时有发生,是不是自满又开始作崇了?

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog



ブランド力とCSR

平成19年10月1日
ブランド力とCSR

 フランスはヨーロッパでも特別に変った国である。20世紀から世界のパリとして、ファッションのメッカとなっている。しかし中身は、イタリーのデザイナーを取り込んで巧みにフランス化している。芸術の都パリといわれて久しい。これまた芸術家を世界各地から集めてきたのだ。いや集めたというより集まる素地を作り上げたといった方が正しい。

 フランスの国家戦略はブランド価値を高めることにある。これを文化力という。外交も文化外交を目指して、これを長年に亘って実行してきている。企業も同じ路線を歩んでいる。

 ものづくりはヨーロッパから、日本を中心とする台湾、韓国に20世紀半ばに移った。最近では中国に移りつつある。しかし、ブランド力は未だヨーロッパ特にフランス系が圧倒的に強い。これはフランスが国家戦略として早くからメセナ活動、特に企業メセナ活動を推進してきたことによる。1979年フランスは企業メセナ協会「ADMICAL」を設立している。最近「CSR」として日本でも大きく取り上げられている社会貢献を、フランスは30年も前から国家戦略として実行しているのだ。

 その反対に、製造原価は労賃の差に大きく影響されるので、ものづくり地域は世界中安い賃金を求めて移動して歩く。売値に占めるコストの割合はブランド力の比ではない。例えばグッチのカバンの価値(売値)は仮に10万円/個とするとブランド力は90%、真のコストは10%である。ブランド力の巨大さを知らねばならない。

 更にこのブランド力を養成するのは、品質管理の徹底や新商品開発の継続的な努力だけでは完全ではない。それはCSR活動が欠かせない。これがポイントである。CSR活動はまず企業に対する好意度獲得に大きく寄与する。そしてその継続的な努力により、企業イメージが高まる。それが企業の主力商品のブランドイメージ向上となる。CSR活動はブランド力を高める大きな要因である。しかし、それだけではない。CSR活動は本来より企業の義務・責任であり、個人の集団に課せられた崇高な目的でもある。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


品牌的力量和CSR(企业社会贡献)


19年10月1日
品牌的力量和CSR(企业社会贡献)

法国在欧洲也是个与众不同的国家,自20世纪开始巴黎就作为世界之都,成了时尚的发源地。虽然实际上,她只不过引进了意大利的设计师再将其法国化而已。除此之外,巴黎被称为艺术之都也由来已久,这也是因为巴黎集中了世界各地的艺术家。或者与其说她集中了世界各地的艺术家不如说她为艺术家们聚集于此创造了良好的条件。
法国的国家占略就在于提高品牌价值,这称之为文化的力量。法国外交也以文化外交为目标、并常年坚持实现着这一目标。企业走的也是相同的路线。
制造业从欧洲开始到20世纪中叶为止逐渐转移到以日本为中心的台湾、韩国,最近则在一步步向中国转移。但是品牌的力量还是欧洲特别是法国系占据着压倒性的优势。这些都要归功于法国从很早开始就作为国家战略进行文艺活动,特别是企业也在积极推进企业文化活动。早在1979年法国就成立了企业文化协会“ADMICAL”。也就是说日本作为“CSR”最近也在大力提倡的企业社会贡献活动,法国早在30年前就开始作为国家战略实行了。
相反,生产成本受劳动力差价的影响,制造业区域在全世界追逐着廉价劳力在移动。在售价当中成本所占的比例远远比不过品牌的力量。比如假设Gucci(古驰)的皮包售价为10万元一个的话,其中品牌价值占90%、而真正的成本则只有10%,可见品牌的力量不容忽视。
培养品牌的力量,并不完全依靠品质管理的彻底性和新商品开发的持续性,CSR活动也不可或缺,这才是关键。CSR活动首先为企业赢得好感大凑其功,而且通过持续的努力可以提升企业形象,最终有助于提高企业主打商品的印象。因此说CSR活动是提高品牌力量的主要原因。但是,一切还不仅仅如此,CSR活动本来就应该是企业的义务、责任,也是企业作为个人集团被赋予的崇高目标。

↓点击这里,参与人气博客排行榜活动!↓
blog