2008年09月のアーカイブ

仮説

平成20年9月30日
仮説

 私は学者ではない。ビジネスマンである。だから学問に対する興味は持っているが、研究に費やす十分な時間を持ち合わせていない。しかし子供の頃から不思議に思っていることが数多くある。ニュートンが木から落ちるリンゴを見て重力に気付いたり、コペルニクスが星の観察から地動説を唱えたり、ガラパゴス島から進化論を決定づけたダーウィンなど、現実に対する観察から仮説が作られ、そして証明され定説となる。理論物理と実証物理との関係も同じである。「観察から仮説を立て敷衍していく」この作業が科学の進歩の第一歩である。私は観察の前にまず疑問からスタートする。そして観察する。その観察も比較検討をともなったものを必要とする。

 例を上げてみよう。「蚤と象」の比較である。最初の疑問は重力や磁力の普遍性である。なぜ蚤は自分の身体の何十倍も跳躍できるのか。なぜ象は体重数トンの巨体なのに時速50KM〜60KMものスピードが出せるのか。象の跳躍は体長の1倍も飛べないのはなぜか。

 これは悪いジョークではない。このような比較をともなった疑問をつきつめていくと、重力・磁力の絶対性、普遍性に対する疑いが膨らんでくる。そして新しい仮説が生まれるのである。

 私は世界の大洋を泳ぎまわる回遊魚や、地球を半周する旅を続ける渡り鳥のケースからも、生体の持つエネルギーと重力・磁力の関係を疑っている。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


ベンチャー企業の育成

平成20年9月29日
ベンチャー企業の育成

 日本経済の活性化のためには、ベンチャー企業の育成が何より重要である。これは多くの識者の同意するところである。そして育成のための方策はと問えば、規制緩和と重点的サポートとが上げられよう。
規制緩和については、各省庁での権益がベンチャー企業の成長を阻害することがある。縦割行政をなくすことで効率化がはかれよう。特に希望したいのはベンチャー株式市場の規制緩和である。今やこの市場は瀕死の状態である。この市場が活性化し、株式上場の規制が緩和すれば、ベンチャー企業はまだまだ輩出してくるであろう。

 重点的サポートについては異論もあることと思う。なぜなら、今迄数多くの支援策が打ち出されてきたが、その恩恵に浴した企業の倒産が多い。これは何を意味するのであろうか。護送船団方式への批判はわかる。しかし支援策が単発で、継続性に欠けることが見過ごされている。もっと包括的で継続性のある支援策が必要なのである。

 政府系金融機関の再構築が行われるが、バブル崩壊後に中小企業の支援を継続して行ってきたのは、これ等政府系金融機関と信用金庫である。日本が今なお世界の中で活躍できる理由は、この一事に尽きる。このことを忘れてはならない。

 いよいよ政府系金融機関が新しい姿で再出発する日が近づいてきた。この将来に、大きな期待を寄せているのは私だけではない。日本経済の広く、大きな底辺を形成している「吹けば飛ぶような」中小企業の人々すべてが、その雄姿を待ち望んでいる。日本の経営者はほぼ500万人である。その99.9%が中小企業の経営者と個人経営者である。この人々の希望と夢を守ってほしい。明日の生活を守ってほしい。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


安定成長への道

平成20年9月26日
安定成長への道

 企業経営における安定性の目安は、自己資本比率を筆頭に、流動比率、固定比率、キャッシュフローなどに求められる。これは国家経営においても同じである。
洞爺湖サミットが終わった。エネルギー問題、環境問題等が話し合われたが、議論は少しずつしか進まない。

 ブリックスをはじめ発展途上国の将来と地球環境とのバランスの問題を解決するグッドアイデアがないのである。アメリカは逃げたがる。議長国の日本の責任は重かったが、その責任を果たせたのであろうか。

 世界全体がある程度の調和を保って安定成長の道を歩むためには何が必要であろうか。世界全体がボーダレスになっている。更にI.C.T(情報通信技術)の絶え間ない発達のおかげでボーダレス社会からきめ細かなネットワーク社会へと変ってきている。今や中国でおきていることや、北朝鮮でおきていることだけでなく、グルジアやアフリカの問題も直ちに世界中に影響を与える時代に入ったのである。

 安定成長への道は、「心の道」である。経済発展や軍備拡張、領土拡大や資源の確保に世界中が狂奔しているのが現状である。これはかつての弱肉強食の第1次世界大戦の頃までの話である。自らの過度の欲望を抑え、乏しきをわかちあう心を広く天下に示していかなければならない。

 また太陽光熱エネルギーの活用の道を早く開かねばならない。そしてエネルギー消費をドラスティック(10分の1〜100分の1)へと引き下げる新技術の開発に期待したい。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


日本の借金は

平成20年9月25日
日本の借金は

 日本の金融資産は1,400〜1,500兆円といわれている。総資産は8,600兆円、純資産は2,800兆円。一方、国や地方の長期債務残高は国債が553兆円(2008年度末予想)、地方債が224兆円に達しそうである。GDP(日本の国内総生産額)は約530兆円で、その約1.5倍に近いのが債務残高の777兆円である。金融資産の約半分に相当する。純資産の約28%である(内閣府資料による)。

 日本の財政の特徴は、国や地方の借金(長期債務)の借入先が国民からということである。このことが国の債務が多い他の国々と違うところである。

 国の一般会計の規模が2008年度83兆円余り、特別会計が約400兆円程度(推計)で了両会計の重複控除をした後の国家財政の2008年度歳出額は約200兆円程度(推計)となる。
債務残高777兆円は約4年分である。金融資産の50%、GDP の1.5倍、純資産の28%、歳出額の4年分の長期債務残高を多いと見るか、少ないと見るかが今問われようとしている。

 世界は、昭和初頭の大恐慌の再来を思わせる危機に直面している。2011年のプライマリーバランス(赤字国債発行をゼロにする)の時期の先送りがいわれだした。私は2011年を先送りすることは当然と考えている。増税した政府は必ずつぶれるというが、政府をつぶしでも増減税を断行する必要がある。

 国民の税負担率(潜在的)は43.5%と世界では低い方である。アメリカの38%は論外としても、イギリス48%、フランス62%、ドイツ52%、スウェーデン71%と諸外国は日本よりずっと高い。

 政府の説明責任が果たされているとは、とても思えない。勇気を持って財政出動を行い、減税を行い、十分説明した上で増税に踏み切る時であると考えるが、どうでろうか。国民を救うのは政治である。温情あふれる政治を望んでいる。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


命について

平成20年9月24日
命について

 「越前陶芸村」という陶芸の里がある。日本六古窯の一つ越前焼のふるさとである。そこに数多くの陶芸家が住みながら作家活動を続けている。住いと工房と窯場と展示場が一緒になっている。まさに土の香りのする陶芸村という感じがする。まわりを低い山々に囲まれ、緑に満ちあふれた盆地状になっている。陶芸館や日本庭園そして茶室や茶邸がある。いつでもお抹茶を所望できる。

 私は越前おろしそばが大好きでよくそばを食べにいく。懐石料理店もある。作家のところを訪ねて普段づかいの湯呑みや小鉢を求めるのが、楽しみである。

 一夕、その湯呑みにコーヒーを入れて家でくつろぐのもまた楽しい。両手に抹茶茶碗をかかえて、陶器の手ざわりを楽しむこともある。

 そんな些細な日常の中に命のありがたさ、生きていることのうれしさを思う。生かされていることに対する感謝の念がふつふつと沸いてくる。

 気に入った陶器は、自分で洗うことにしているが、大切に洗い終わって、湯呑みや茶碗の底を見るとなお更その感を深くする。人の手すさびの温もりを感じるのである。作り手が吹きこんだ命を感じるのである。

 命とは誠にはかない。しかし、その命をかけて作られるものの美しさ、尊さは、まさにはかり知れない。陶芸というこわれ易い危うさをはらんだ作品の中に命を見るのは私だけであろうか。「人生は短く、芸術は永い」と古来よりいわれているが、私にとって芸術も仕事も同じである。生涯現役という理想を掲げて、命をかける仕事に今日もまた出かけよう。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


同志社創立200周年に向けて

平成20年9月22日
同志社創立200周年に向けて

 新島襄が同志社英学校を京都に創立したのは明治8年(1875年)のことである。その創立時の新島襄の言葉は、忘れてはならない。「同志社が基盤を確立するには200年が必要である」と宣言している。常識でいえば、200年でなく100年というのが通りがいい。しかしあえて「200年」といったところに新島襄の遠大な構想がはっきりと浮び上ってくる。

 私達は創立100周年記念をはるか前に既に祝った。今は200年に向かって学校と法人と校友がともに力を合わせていく時である。新島襄の生涯を振り返ってみると、日本中を、世界中を、同志社の基盤強化のために歩きまわっていることがよくわかる。「旅にあけくれた人生」と見ることができる。それは松尾芭蕉の奥の細道のように、「一切の名利を捨てて、旅に出た」のではなく明確な目的を持った旅であった。「伝道と同志社」のための旅であった。

 松尾芭蕉を例に出したのは、芭蕉の旅の不思議さにいつも気をとられているからである。「奥の細道」は「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」の有名な言葉で始まる。その旅程、およそ150日、約2,400kmに及ぶ長旅である。その旅の記録が、直筆で「奥の細道」として書かれている。芭蕉の句50首と、その弟子曽良の句11首、その他2首、すべて63首を含んだ紀行文である。そして63首の句碑がその地、その地に建てられている。新しいものもあれば、古い句碑もある。芭蕉は西行法師を尊敬しており、西行の旅をあと追いしているところもある。私が気をとられるのは芭蕉の句碑である。各地に作られて芭蕉を思い、旅を思うよすがとなっている。

 新島襄の旅に戻ろう。彼の旅はその日記や書簡集、旅の記録など数多くの記録に残されている。船旅あり、汽車の旅あり。しかし、その殆んどは芭蕉と同じ歩く旅であった。各地の情景描写や信徒への言葉、神への祈り、同志社人への願いがこめられた記録である。私はこの新島襄の足跡を一つ一つ石碑として残す運動を提唱している。200年までにあと残り約70年。全国各地で有志が足跡記念の碑を作っていけば、いずれ壮大な「新島襄の道」が完成するはずである。200年までに200基の碑が、各地に建てられていく夢を見ているのである。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


福井のえきまえ

平成20年9月19日
福井のえきまえ

 今から50年前に、私は生まれて初めて福井の地を訪れた。しっとりとしたすばらしい街であった。戦後初の民衆駅といわれた駅舎もしゃれていた。特にえきまえは金沢駅や富山駅とは比較にならない程整備されていた。福井地震後の復興の賜物であったと思われる。

 あれから50年。今また福井のえきまえは大きく変わりつつある。先を走る金沢や富山とはまた一味違う賑わいが戻りつつある。

 昨年に福井駅前に県営地下駐車場がオープンし、地元商店街と共同でこの運営管理に当っているが、えきまえに人の波が戻ってきつつある手答えを感じている。賑わいが戻りつつあるのだ。

 昨年末と今年7月末に行ったアンケート結果を比較しながら検討してみよう。
 利用したことのない人   前回9割→今回7割
 よい点ばかりを上げる人  前回8割→今回8割
 利用頻度上っている人   前回0割→今回8割 
(月2回以上利用の人、74%。その内2~5回が62%)
利用の理由  近くに利用したい施設や店舗がある 8割
        通勤  1割
割引サービスを知っている人  前回0割→今回5割
       (西武百貨店・商店街・プリズム・ユアーズホテル等のサービス券あり)
身体障害者は半額となることを知らない人  前回1割→今回8割

 また、昨年10月オープン以来の1日平均の入庫台数は順調に増加傾向にあり、特に毎月行われるイベント効果が大きい。スタート後2ヶ月は1日300台余りであったが、3ヶ月目以降は400台以上を常にキープしている。特に春の桜シーズン3月と4月そして8月の夏祭りは500台/日と好調である。当初目標の600台/日が達成できるよう共同指定管理者の駅前商店街と協力して知恵を出していきたい。チカチュー(県営地下駐車場の愛称)の評判はよい。アンケートによると、特によい点は、「駐車しやすい」「広い」「きれい」「屋内駐車場なのでよい」「立地条件がよい」などである。「また利用したい人」は前回8割だったが、今回9割と増えている。人通りも心なしか増えつつあるように思える。先日県外からのお客様が開口一番、「福井のえきまえは賑やかですね」といわれて、大変嬉しかった。魅力ある個店の勧誘と、働く場所としての受皿づくり、そして人々が喜ぶイベントの定例開催が行われるようになれば賑わいはおのずと生まれてくる。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


奇跡をおこした人

平成20年9月18日
奇跡をおこした人

 動物園は子供達に人気が高い。私は名古屋の東山動物園や京都の円山動物園へ子供の頃何回か連れていってもらった。印象に残る数々の思い出がある。今この動物園の世界で奇跡を起こしている男がいる。北海道大学獣医学部を卒業後、旭山動物園に就職。旭山動物園は旭川市の市営動物園である。1994年新市長に就任した菅原功一市長は動物園の存続で悩んだという。その時「動物園改造」を主張したのは、奇跡の人、小菅正夫園長である。赤字で閉園の危機を乗り切った瞬間であった。それ以来旭山動物園は変わり出した。小菅正夫氏の奇跡の快進撃が始まったのである。「動物の生態をそのまま見せる」という動物園本来の姿に立ち帰ったのである。入園者数は1996年度26万人から2005年度207万人、2006年度304万人と急増。今や動物園のトップを走る上野動物園の340万人を抜き去るのも時間の問題となってきた。2008年度の入園者数は、おそらく、全レジャー施設のベストテン入りが確実となろう。

 旭川市は北海道の道央にあって大雪山の西に広がる平野にあり、冬期の気温マイナス20度を越す、日本で最も厳しい寒さの土地である。新千歳空港から車で約3時間、この時間距離を短いと見るかどうかである。

 台湾よりのチャーター便が旭川空港に入ってきている。2000年度に5便だったのが2003年度167便、2007年度323便と急増している。台湾の人にとって、避暑地としての魅力を含めてこの動物園が提供する不思議な魅力が大きいことがよくわかる。台湾だけではない。香港がトップであり、台湾、シンガポール、韓国と続くのである。中国・インドを含めアジア諸国からの観光客の可能性の大きさを考えると、北海道のビジネスの将来は決して暗くない。旭山動物園の投資の歴史を見てみると面白い。

 1997年こども牧場にはじまる新路線は毎年新しい館をオープンさせている。 もうじゅう館、さる山、ぺんぎん館、チンパンジーの森、レッサーパンダの吊り橋、そして今年オオカミの森がオープンした。

 東京ディズニーランドを観察してきた私は、その投資スタンスが旭山動物園とディズニーとよく似ていることに気付いた。そしてターゲットも全く同じである。まず宣伝効率の高い、狭い地域で集中して宣伝し、口コミを活用して魅力を知ってもらう。毎年、目先を変えた投資を継続的に行い、10年たったら日本一というパターンである。ちなみにディズニーの年間入園者数は2,500万人、ダントツの日本一である。旭山動物園はディズニーを抜く可能性を持つ唯一の施設かもしれない。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


景気後退局面入り?

平成20年9月17日
景気後退局面入り?

 2002年2月からはじまったという今度の景気を好景気と見る論調が多いが、その間の世界景気の動向を見ると景気低迷という表現の方が正しいと私は思う。日本の平均実質成長率は1.8%、名目成長率は0.6%と殆んど成長していない。アメリカはその間2.6%と5.3%であった。世界平均は5%以上であり、ブリックスは10%近い成長を続けている。日本だけが成長できずに6年間を過してきたのである。

 1954年12月からの神武景気、1958年7月からの岩戸景気、1965年11月からのいざなぎ景気、1986年12月からのバブル景気、など大きな高揚感をともなって、2ケタ前後の高い成長を成し遂げた。
 それに対して今度の景気は、政府や日銀の言葉とはウラハラに、私達には実感の乏しいものであった。そして今回景気後退局面入りが言われだした。

 今回の震源地はアメリカである。サブプライムローン問題からインターバンクの信用不安が起き、それがデフォルトまでいった。世界の中央銀行はデフォルト防止の為にマーケットに資金をドンドン放出しだした。その資金が原油、金、資源、食料の商品市場へ流入し先物相場を異常に高騰させた。資金は資源国に流入し、またヘッジファンドやデリバティブ等へ還流していったのである。

 これ等の投機資金が世界の物価を上昇させている。実需はそんなに強くないに関わらず、先物高につられて価格が上っているのだ。現在の高値では石油も食料も買えない人々が出てくるのは間違いない。当然現在は買い控えがおきている。

 アメリカの消費ブーム(住宅中心)の影響で、日本も中国も潤っていた状態から、突然アメリカは、金融不安やドル信頼性の揺らぎと消費減少という大きなマイナスを見せてきた。

 私達も今後の1〜2年は、非常に厳しい局面を迎えることになることを覚悟しておかなければならない。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


お客様を守る

平成20年9月16日
お客様を守る

 今年5月よりのガソリン価格の暴騰により、「便利な車」に対する考え方が大きく変化しだした。生活防衛の為には「便利な車」も、使用方法や、所有の仕方、車種の選択を再検討しなければならなくなってきた。車は「スティタス」で持つものから「便利さ」で持つものに変り、更に燃費の良し悪しが云々されるようになってきた。

 世界も日本も同じ動きを始めている。車のユーザーが生活防衛の為に車の使用頻度を引き下げ出した。ガソリンを節約し、外出を少くし、購入量、購入金額を少くし出した。ガソリンから食料に、そしてあらゆる商品に波及しはじめている。

 駐車場のオーナーの苦悩も始まった。稼働率の低下が大問題となっている。一昨年以来の他業界からの駐車場ビジネスへの進出の影響で、地代が上がった。また、中心部の地価の上昇に連動して地代が上った。更に同業者の借上げ競争により、地代が上がった。駐車場の最大のコストは、地代である。この上りすぎた地代を見直さなければならない。私達のお客様は、地主様であり、駐車場オーナーであり、車のユーザーである。すべてのお客様を守る道は、適正な地代での駐車場経営である。昨年来、中堅駐車場経営企業の身売りが、散見されるようになってきた。地代の見直しを急ぐ必要がある。

 ニューヨークの原油先物市場の価格が、変調を示し出した。7月11日の最高価格1バレル147ドルから、114ドルに下ってきた。約22%の下落である。投機の流れが変った。ガソリンの実需の急激な減少により、価格は大きく下回っていくことも考慮に入れて対処していかなければならない。

 「お客様の為に働く」という姿勢を忘れなければ、何事も恐れることはない。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


デザインの力

平成20年9月12日
デザインの力

 物の価値を決める要素はいろいろある。それは素材であったり、機能であったり、品質であったりする。更にはブランドであったり、産地であったり、デザインであることも多い。

 福井はメガネの世界的な産地の一つである。かつては世界一の産地として自他共に認められていた。それが最近中国へ生産拠点の転出が相次ぎ、年々出荷高、メーカー数、就労者数が減少している。誠に残念な状況といわねばならない。

 アメリカ共和党副大統領候補に選ばれたアラスカ州知事のペイリンさんのメガネが注目されている。バリバリの保守派といわれるペイリンさんは、その話し方、態度そして何よりも彼女を目立たせるメガネと際立った特徴がある。特に「メガネ」が普通でない。ペイリンさんのメガネは福井出身の工業デザイナー川崎和男さん(阪大大学院教授)がデザインした。そして福井市の増永眼鏡が製造している。

 チタンを主材料としている。縁なしである。四角いレンズである。レンズの固定にネジを使っていない。いろいろ特徴を持っているが、同じような特徴を持つメガネはいくらでもある。違っているのは「デザイン」である。ペイリンさんを極立たせているのは、川崎和男教授のデザイン力である。

 私は30年余り以前に約5年間に亘り、メガネの仕事で世界中を駆け回ったことがある。そしてファッション、建築、景観などを比較検討し、東西文化の違いを目のあたりにした。その時最も注目したのがこの「デザイン力」である。何とか福井に「デザイン力」を根付かせたいと願い、懸命の努力をした。未だに育っていないと嘆いていたがペイリンさんのメガネに救われた。増永眼鏡は福井のメガネの生みの親である。今また産地再生の起爆力となろうとしている。誠に頼もしい限りで、心からの讃辞を送りたい。そして増永眼鏡や川崎和男に続く若い人達に大きな期待をしている。

 「デザインの力」を最もわかり易くしているのが「ネクタイ」である。シルクのネクタイを比較してみよう。デザイナーブランドが1万円する。ノーブランドは1千円である。この差が「デザインの力」である。「デザインの力」とはデザイナーの能力とそれをブランドにまで高めていく「ブランド戦略」が必要である。メガネ産地をもう一度世界一の産地にするにはこの「ブランド戦略」をともなった「デザイナー養成」が急がれる。私は成功の可能性は非常に大きいと思っている。ペイリンさんのメガネを見て、更に意を強くした。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


ジャパンセンター

平成20年9月11日
ジャパンセンター

 インターネット社会での用語は現在英語である。世界中で最も多く使われている。しかし通常の社会で使われている言語は第1位が北京語、第2位が広東語、第3位が英語である。日本語はインターネット社会では世界で第4位。通常の社会では第10位ぐらいであろうか。言語は文化の最たるものである。日本語が世界中で使われるようになれば、日本への理解も深まっていく。インターネット社会を通じて、日本語がどんどん使われることを期待したい。

 私はサラリーマンをしていた時、会社の命令でアメリカの大学への短期留学を命じられた。好きな大学を選べといわれ、日本人の少ないミシガン大学を選んだ。アナーバー市にある。年末に行ったので、厳寒の地であった。そこにジャパンセンターがあった。片言の日本語を話す教授やアメリカ人の学生がいた。日本の文化の研究をしていたのである。

 その後世界各国をビジネスの旅で歩いた。そして各地に日本文化を研究するジャパンセンターがあるのを発見した。彼等の興味は「源氏物語」であったり、「万葉集」であったり、「能・謡曲・歌舞伎」や「書道」「三味線、尺八、琴」など様々である。しかし驚いたことに彼等がより興味を持っているのは「明治維新以来の日本の発展」である。この飛躍の理由である。そして敗戦後の復興であり、その理由である。彼等は日本のことを奇跡の復興を成し遂げた世界で唯一の国という。

 私達日本人は、この質問に確信を持って、答えられるであろうか。日本人の知識のレベルは高い。平均レベルはおそらく世界一であろう。しかし、私達は自分の国のことを本当に知っているのであろうか。どこの大学にも、彼等の質問を満足させる講座はない。日本文化と日本の歴史を適確に教えている所を私は知らない。日本を世界中に知ってもらう必要が迫っている現在、私達はこの大切な仕事を忘れる訳にはいかない。

 私は毎日ブログを書いている。日本語で書いている。そして中国語でも遅れてはいるが発表している。日本人である私の考え方、生き方を世界に人に知って頂くよすがとしたいからである。私は日本の各地に、各大学にジャパンセンター、日本文化センターを設立すべきだと考えているのである。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


信仰の里

平成20年9月10日
信仰の里

 北陸は真宗王国と言われている。蓮如上人が北潟湖畔に居住し北陸一帯に布教、真宗王国を確立したといわれている。越前・加賀・能登・越中にまたがる広大な地域である。日本で真宗王国が誕生したのは北陸だけである。当時の日本ではあらゆる既成の権力が打倒された。金沢城は真宗王国の中心となった。

 親鸞・蓮如の教えは、歎異抄の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」といわれているが、「教行信証」を忘れてはならない。「還相廻向」である。「念仏を唱えれば極楽浄土へ行けるが、再びこの世に戻り、まだ救われない人を救わねばならない」と説いている。「利他の心」である。この「利他の心」が困窮の極みにいた北陸の人々の心に深く浸み込んだのである。そして「教行信証」の核心である「正信偈」が門徒衆といわれる北陸の人々の生活の中で生き続けている。

 福井は神社仏閣の数が、おそらく日本一(人口比)であろう。小さな村落を訪れてもお寺が1つ2つと、お宮が1つある。人々の生活の中心を形成している。県内は大本山永平寺があり、曹洞宗が盛んであるが、真宗系すべて含むと、真宗系のお寺や門徒衆が最も多くなる。

 信仰心のある人は逆境に強いといわれる。逆境によく耐えるといわれる。どんな困難にも負けないといわれる。北陸人の精神力の強さは気候風土のせいだといわれる。雪との戦いのせいだといわれる。私は「信仰心の強さ」が、北陸の人々の心の強さの原因だと考えている。最も中心をなすのが「利他の心」である。この美風を次世代に引き継ぐことが私達の使命である。北陸人の誇りである。私は近江、長浜の生まれで北国街道のほとりで生まれた。いわゆる湖北地方という湖北一市三郡の中心、長浜である。気候も信仰心も北陸と全く同じものを感じている。そして「利他の心」が私の思考や行動の規範の中心にいつもある。「喜びの種、幸せの種」を蒔き続けるのが私のミッションなのである。それが私の生き甲斐なのである。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


支援を受けた恩

平成20年9月9日
支援を受けた恩

 福井大地震は60年前に起きた。突然起きた。多くの甚大な被害が出た。敗戦後僅かに3年。福井市民は戦後復興の気概に燃えていた。戦災で焦土と化した福井市に、バラックが次々と建ちだして生気がよみがえっていたその時、大地震が起きた。死者約4,000名、負傷者約22,000名、全倒壊、焼失戸数約35,000戸余の大惨事である。死亡率で最大の被害であった。

 この福井地震のニュースは日本中、そして世界中に伝わった。当時の日本はアメリカ進駐軍の支配下にあった。数多くのアメリカ人が福井の惨状を伝えた。沢山の写真が撮影されそれがライフ誌に取り上げられた。

 救援物資は全国から届いた。世界中からも届けられた。地元の福井新聞社が地震で倒壊し、新聞が出せないことになった。石川県で印刷して地震の数日後より報道をはじめる有様であった。

 今、地震体験者が、老齢化により少なくなりつつある。福井市ではボランティアを募り、小学校で地震体験者がその貴重な経験を話す授業を始めた。地震の惨状を生々しく伝えることもよい。またその悲惨な状況の中、お互いに助け合い、支えあったことも伝えてほしい。更に私は希望したい。それは支援を受けた恩に対する感謝を忘れないことである。そして全国から寄せられた暖かい支援の輪、そして名も知れぬ世界各地から寄せられた数々の支援に対する感謝である。人が困っている時、人が苦しんでいる時、お互いが助けあう「互助精神」「愛の心」である。子供達是非伝えていただきたい。いや伝えなければならない最も大切な体験であるはずである。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


都市鉱山

平成20年9月8日
都市鉱山

 現在のインフレは、エネルギーや原材料などの資源分野で起きている。これは第二次世界大戦が始まる前の状況に酷似している。国際連盟の無力化が起きたのもよく似ている。強大国のエゴが、より弱い国に圧力をかけた構図である。ちょっとした油断が第三次世界大戦を引き起こす。十分注意をして見守っていく必要があろう。日本は唯一の原爆の被爆国であることを忘れてはならない。抑止力になり得る発言力を強めなければならない。

 私達は、エネルギーも、鉄鉱石などの資源も、第二次世界大戦前と全く同じように、保有していない。すべて輸入に頼っている。ただ戦前と変わっていることがいくつかある。それは都市鉱山といわれる日本国内市場にあふれる製品商品である。そしてそれをリサイクルするノウハウ、テクニックである。静脈産業といわれるリサイクル産業が育ってきている。

 車をはじめ情報機器、家電製品、紙パルプなどの消費大国である日本は、都市鉱山と呼びうる資源を国内に保有している。そしてこれ等のリサイクルを繰り返すことにより、省エネ、省資源国家を作り上げることが出来る。日本の省エネ技術は世界一である。世界平均の三倍の効率といわれている。これを世界に提供することにより、CO2等削減は直ちに実現できる。原油もあらゆる資源も、「リサイクル技術」によって、その寿命を5倍も10倍も延すことが可能になる。

 日本の原発技術を忘れてはならない。電気自動車の燃費はガソリン車の10分の1といわれる(夜間電力使用時)。軽い電気自動車の実現は、地球を救う「平和の使徒」になるであろう。石炭から石油への燃転を約50年前に、身をもって体験した私は石油から原子力そして太陽光熱への燃転の道が、ハッキリと見えている。実現の日は近い。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


自衛手段

平成20年9月5日     
自衛手段

 「攻撃は最大の防御なり」とはいうが、今回のガソリン価格の暴騰には「守りの強化」しかないようだ。ここ1年ほどの価格上昇が、5月1日より大幅となり、急激に節約ムードが生まれてきた。まず郊外型のショッピングセンターがガラガラになり出した。高速道路も空いている。1家に2台あった車を1台売却して、残りの1台で乗りまわしている家族。外出の機会を減らした人、距離を走らなくした人。電車通勤に変えた人など、殆んどの人が「車の使用方法」について、従来のやり方を変更しだしている。

 ガソリンの値上げに続いて、輸入品も上り出した。特に食料品の値上りや、プラスチックを使用した商品の値上り幅が大きい。鉄筋も鉄骨も大幅上昇となった。インフレになってきたのだ。

 福井市でマンションを建設中であるが、私の場合は1棟がほぼ完成、残り2棟が発注して半年以上が経過している。同業他社でマンションの分譲を計画していたところは、建設資材の高騰で、次々と事業の延期や土地の売却を始めている。建設資材の値上りは鉄筋や鉄骨などはほぼ3割アップ人件費以外はすべて上っていると見た方がよい。

 ただし商品先物は乱高下の可能性を常に秘めている。石油の実需を無視した価格高騰は暴落の危険を大きくはらみつつある。自衛手段ははっきりしている。買わないこと。使わないこと。消費を控えることである。

この傾向が世界的に広がっていくと、インフレ下の不景気即ちスタグフレーションとなる。これを避ける方法は、施策は何があるのであろうか。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


老人の定義

平成20年9月4日
老人の定義

 私は十、年をとって61歳となった。1937年の早生まれである。第1次オイルショックの時、丁度私の現在の年齢の半分36歳であった。世界を歩いていた。その時私は自分はヤングだというと、殆んどの外人は首をかしげて「スティルヤングね」と言ってくれた。ヤングの意味が少し違っていたのである。

 老人の定義もはっきりしない。シカゴ大学の人類発達学の教授ベルニース・ニューガートン博士は、75歳未満の老人をヤングオールドと呼ぶように主張している。オールドは75歳以上の老人だけである。最近後期高齢者という聞き慣れない日本語が使われ出したが、75歳以上を老人といえばよいのである。私達71歳はヤングオールドである。

 生涯現役を主張し続けている私の理論によれば、75歳未満の人達は肉体的、精神的な能力で若い人と比較して決して遜色がない。だからヤングオールドを現役社会に呼び戻すことを主張したい。
 現在のオールド人口(75歳以上)は1,280万人、総人口の10%である。ヤングオールド人口(65歳〜75歳未満)は、1,470万人、12%である。その内、誠に要支援・要介護の人々は270万人に過ぎない。残りの90%の人々は健常者である。日本の社会の健全さを見出し、喜ばしい限りといえよう。
 生涯現役、オールドになるまで働く社会を作れば、老人問題、福祉問題、年金問題、健保問題すべてがたちどころに解決できる。これが政治である。

 豊かな高齢者を忘れてはならない。日本の高齢者の平均貯蓄は2,700万円。年収1,000万円を超える高齢者が5%近くいる。持ち家率は90%となっている。そして問題なのはその財産が死蔵されていることである。アメリカと対比するとよくわかる。日本人の現預金は60%に対しアメリカは12%、有価証券投資13%対55%と大差がついている。アメリカのお金は投資にまわっているが、日本は現預金特に貯金という形で滞留し、それが自由経済活動の洗礼を受けずにいるという点である。

 ヤングオールド年代の活用と、現預金の活用によって、日本は間違いなく、再び陽ののぼる国となる。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


自殺について

平成20年9月3日
自殺について

 日本は正常な国家であろうか。私は学生の頃から、数字を比較検討し、分析する傾向が強かった。その為数字から何かを読みとるクセがある。いつも気にしている事がある。それは日本では常に見過ごされているいくつかの重要な数字である。その一つが自殺に関するものである。これを分析すると日本は他の国々と比較して異常と言えるほど冷たい国であることがよくわかる。

 まず自殺者の総数が異常に多い。ここ数年ほぼ3万人の人々が自ら命を絶っている。交通事故死が問題になり、シートベルトの着用が車の後部座席にまで義務付けされようとしているが、交通事故死の約5倍の自殺者への対策はゼロに等しい。政治家も官公庁も病院も、何ら有効な対策を立てていないように思う。

 恐ろしい数字を見てみよう。10歳〜14歳の少年少女の自殺は、死亡原因第3位、15歳〜19歳は第2位、20歳〜39歳の青年層は第1位、40歳〜49歳で第2位、50歳〜54歳は第3位である。即ち10歳〜54歳の殆んどの年代の死亡原因は自殺といっても過言ではない。これ程異常な国が、地球上に他にあるとはとても思えない。

 幸い55歳以上の人々の自殺者は減っていく。その人々の死亡原因は、ガン、心疾患、脳血管疾患である。特に問題とすべき点が3つある。その1つが10歳〜19歳の少年少女がなぜ自殺するかということ。躾と教育の問題である。その2つ目は20歳〜39歳の青年層の自殺原因第1位。これは豊かな社会といわれる物質的繁栄の陰で悩んでいる青年像が見えてくる。弱者救済の道を作らねばならない。3つ目は40歳〜54歳の壮年層の自殺である。中小企業経営者が自殺に追い込まれるケースが多い。リベンジできる再生可能な社会を作り上げなければならない。

 交通事故死の死者の数が、多くの方々の努力によってドラスティックに年々減少していったことを思い起こしている。どうしたら自殺者の数を、せめて交通事故死並に、引き下げることが出来るのであろうか。特に若い方々の為の対策が求められている。救命ポスト(警察等への相談電話)のような組織が、学校や職場、病院に設けられるとよいと思うが、いかがであろうか。勿論その為のシステムの裏付けが必要である。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


免震構造セミナー

平成20年9月2日
免震構造セミナー

 あれから60年。福井地震発生の時より60年が経過する。地震の周期説の最短は、60年といわれるが、日本列島で今年は大地震が多い。中国の四川省の惨状は見るに忍びない。しかし、死亡率の最大のものは、福井地震である。3,728人の人々が瞬時に亡くなられた。家屋の全倒壊・焼失率もおそらく最大であろう。35,382戸が全倒壊又は焼失してしまった。負傷率も同様である。21,750人の負傷者(重傷の人が多かったと聞く)が出た。

 しかし、60年経った現在も、あの時とあまり変化がない。免震・制震・耐震の技術はどんどん進歩している。東京をはじめ他の都市では免震構造の建造物が数多く建てられている。残念ながら福井県は、原発や官公庁の建物以外ではあまり施工事例がない。この現状を憂い、(社)日本地震学会、日本地震工学会、日本免震構造協会の後援を仰ぎ、(社)福井県建築士に主催をお願いして「火山列島の上に住む−−生命と財産を守る」というテーマを掲げて免震構造セミナーを開催したい。

 私達は今、福井市開発地籍で免震構造の分譲マンション「タワーグランデCHA」を建築中である。この現場と既に完成した「県立病院」、「大本山永平寺宝物殿」の免震装置の見学会を同時に行う予定である。免震マンションがまさかの時に一棟だけ助かって残っても何もならない。街全体を救うには、免震建造物が街のあちこちに建ち並ぶ必要がある。その為の啓蒙活動を行いたいと考えている。対象は建築士会メンバーだけに留まらず、建設関連業に携わる人々、不動産関連業に携わる人々、大学、短大、工専等の若い人々、そして年配の方々、広く県民の人々に参加を促したい。

 街が変わるには30年、50年が必要である。福井の街は福井地震以来60年が経った。今、変わる時が来ている。個人の住宅も含めて、これからの建築のあり方を問うセミナーになることを祈っている。福井県下の小、中学校の耐震工事が着々と進みつつあるのを大変嬉しく見守っている。中国四川省のあの子供達の悲惨な運命を、日本では決してくり返させてはならない。その為にもこのセミナーを是非成功させたい。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


情報発信のしかた

平成20年9月1日
情報発信のしかた

 地方に住んでいると、情報発信の仕方がなかなか見つからない。ある友人が別荘地に住んで、電話とFAXとパソコンさえあれば大丈夫だと言っていた。しかし1年も経過すると、「やはり東京だ」と言って帰っていった。人間は支えあって生きている。お互いに競いあって生きている。影響しあって生きている。そんな環境が必要なのである。

 NHKのテレビで、「ちりとてちん」という落語家を中心に若狭地方の塗箸をとりあげた番組が放映された。そのとたん、若狭塗のメーカーに大量の注文が舞いこんだ。

 民放テレビでも、ある特定の和菓子などをとり上げてもらうと、一年間はその商品でやっていけるという。テレビの影響力は本当に大きい。NHKの連ドラ「篤姫」によって鹿児島は今年は観光客が増えること間違いなしである。竹村健一氏も常にテレビの効用を正当に評価されている。

 私は何回か全国紙の全国版に掲載してもらったことがある。そしてその都度、同じ経験をした。一日中電話がなりっぱなしになるのである。全国版の偉力の大きさに驚いた。しかもその記事はそんな大きくはない。小さな記事なのである。

 今はインターネットの時代である。ネットショップで大繁昌のお店もあるようだ。でも間違ってはいけない。ネットショップで成功している確率は決して大きくはない。厳しい競争にさらされることを覚悟せねばならない。そえはお客との真心のふれあいの少ない難しい商法なのである。

 情報発信で最も大切なものは「ユニークさ」である。日本に一つ、世界に一つというものがあれば、これをPRするのは、さほど難しくはない。どこにでもあるもの、平凡なものを発信しようとしても成功するはずがない。人々が求めているものを提供できるかどうか、それが勝負である。

 具体的な例をいくつか上げてみよう。福井空港をプライベート機の観光空港にし、世界一の越前ガニ、芦原温泉、禅の道場永平寺、恐竜博物館、世界一の越前和紙、ジャパンウエアの漆の里、越前陶芸村などの観光コースを作り上げるのはいかがであろうか。また九頭竜川、足羽川、日野川の三川の釣や近海の釣も面白い。「福井空港」という使われておらない空港を活用するところがミソである。世界中のセレブの興味をひくことであろう。その為少々の投資は必要である。
↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog