2009年01月のアーカイブ

防災都市ふくい

平成21年1月30日
防災都市ふくい

私は福井市の生まれではない。縁あって今から50年前に福井市に本社がある商事会社の入社試験を受けにきた。生まれて初めて福井市の土を踏んだ。それ以来50年がたつ。福井生まれではないが、福井への執着心が人一倍強い。50年も深い関係が続いているとそれも当然である。福井を離れていた期間は、大阪に半年、岐阜に十年、東京周辺に5年、貿易部長として外国を歩いていた期間(留学を含めて)5年である。その間20年程であるが、毎月数回は福井本社への出張の打合せがあり、片時も福井を忘れたことがない。いやそれ以上に外部から福井を見る目を養うことができた。これは貴重な経験であった。
福井は63年前に戦災で焦土と化した。そして60年前また福井地震により2度目の壊滅の時を迎えた。更にその後の九頭竜川の洪水で全財産を消失した市民が多かった。その3重苦の中から立ち直り、復興に努力した先輩達の苦労は並大抵のものではなかったであろう。私が初めて福井を訪れた50年前はそんな復興が進んでいた頃である。熊谷太三郎市長の頃である。私は社内報の編集をまかされ、福井市中心部のビルの紹介を書いた記憶がある。福井人絹会館、福井放送会館、三谷商事ビル、国鉄福井駅ビル(民衆駅といわれた)だるまや百貨店、三上百貨店をはじめ、徐々にビルが立ち並びだした頃である。
その頃、冷暖房設備の販売施工の仕事を会社でスタートさせており、建築事務所をはじめ、建設関連の方々と話し合ったのは、火事や地震に強い防災都市の建設であった。ビルのオーナー(建設予定の方々)に強くすすめたのはこの「防災建築」の一点であった。あれから50年近く経過した今日、私達の夢はどの程度達成されたのであろうか。現状をつぶさに見てみると、残念乍ら夢とは程遠いことがわかる。
坂川前市長(県議当時から)の賛同も得て福井のまちを考える会「フェニックス研究会」を設立したのはもう4年以上前のことである。その研究会で、世界中の事例、日本中の事例を何度も何度も学習した。現地へも訪問した。そこから体験者も招待した。そして今えきまえを中心に福井市を防災都市に作りかえるお手伝いの仕事を始めている。
まず最初の事業は空地の活用であった。えきまえから片町周辺にかけて数十ヶ所の空地が低利用の状況におかれていた。この活性化に取り組んだ。「片町は面白い」というテーマを掲げて先頭に立って地主の方々の説得にあたった。
2年間の努力のあと、これを福井のえきまえにまで広げて「えきまえは面白い」というスローガンを掲げて各種のイベントを企画したり、ビルの改修、あるいは解体整備等を実施している。「アオッサ」の駐車場や「県営地下駐車場(愛称チカチュー)」を活用したえきまえ活性化の仕事である。
私達の小さな一歩と共に、福井駅前商店街の方々の活性化への取組が徐々に進んでいるように思われる。アーケードが斬新になり、路面が色舗装された。オブジェが置かれ、所々に長椅子がある。よく見ると少しずつ理想に近づいている。
再開発の事業、新幹線の工事が少しずつ進みつつあるのは誠に有難いことである。これからはいよいよ本番の当初の夢であった「防災都市」への回帰を始める必要がある。地震や火災にビクともしない安全安心都市の建設である。
今年こそ期待していたこれ等の永年の福井市民の夢が実現に近づくよう祈りたい。

信仰心

平成21年1月29日
信仰心

豊田三郎画伯と話していると「生きた哲人」を思う。芸術家であり、哲学者であり、かつまた信仰心を持っておられる。「宇宙や自然、神仏は一体であり、形を持たず、無限大である」「すべてを創り出したし、又今後も創り続ける超大能力である」「この超大能力に誠心誠意を込めて頼めば、無限大に、無尽蔵に力を与えていただけることを知っているか」「信仰心の感じられない作品は作る必要がない」「絵は静かな感動を表現するものである」。
このような至言が次々と飛び出してくる。その言葉を胸に刻んで帰宅し、いただいた画集「寿楽無窮」をひもといてみた。そこに心にとめた至言の数々がかかれているのを発見した。
画集に掲載されている「芽吹く河岸」は、2004年の春の作である。先生が96歳の時の戸外での作品である。春になって、森羅万象が目覚め、芽吹きの頃、母なる川、足羽川の川面を渡る暖かい風を感じる。やわらかい芽吹きの新緑がほのぼのとした画面を作り上げている。削ぎ落とし、省略し尽くした画面からは、描かれていない周囲の山々は勿論、川上も、川下も見せてくれる。春の陽射しの暖かさ、優しさをも感じさせてくれる。
先生の言葉に、「絵をかく時は、かこうとする自然にお辞儀をする。一礼をする。そして対象と会話をしながら描いていく。すると対象が次から次へと美を教えてくれる。作品が出品作へ行くとか、自分の手から去っていく時は、作品を積んだ車が見えなくなるまで見送って、頭を下げる。作品は精魂を尽くして育てたわが子と同じだから」
現代人は信仰心の篤い人が少ない。でも先生と話していると、現代人の失いつつある大切なものがよく見えてくる。「信仰心」はその最たるものである。人間の智恵は無限であり、無尽蔵である。しかし人間を作ったのは、人間ではない。あらゆる生物は「超大能力」や「天」や「創造主」や「神」や「仏」という人間以外のものによって作られた。DNAというミクロの世界まで整然と作られている。また宇宙への広がりもとても人間の知恵の及ぶところではない。
敬虔な信仰心を持っていれば戦争はなくなり、争いがなくなり地球はもっともっと住みやすくなるであろう。

映画「禅」

平成21年1月28日
映画「禅」

毎月24日は「地蔵まつり」の日である。福井えきまえの歴史の道の中に福井県の織田町平等出身の東京巣鴨の「とげぬき地蔵」にちなんで、「健康長寿の生き生き地蔵」を招来し、毎月24日午後1時から大乗院の大谷方丈の導きで商店街活性化と参拝者の健康長寿を祈っていただいている。今月24日は2009年正月の初地蔵まつりである。
福井県は浄土真宗の盛んな土地である。そして道元禅師の開かれた曹洞宗大本山永平寺のお膝元である。「とげぬき地蔵」も「生き生き地蔵」も勿論曹洞宗のお寺からお参りをいただいるが、今年は開祖道元禅師をめぐる「禅」という名の映画が上映された。1月10日より全国一斉封切りとなり、毎週入場者ランキングが急上昇中である。昨年末永平寺の監院さんにおあいした時、この映画「禅」の話が出た。ポスターもいただいた。道元は空海と異なり、中国から帰国の後は各地を遍歴することなく(京から福井へ、鎌倉へそして福井から京への旅を除く)、福井を聖地として死の直前まで永平寺にこもり、座禅一筋の道を歩かれた。その教えは、その後幾多の困難な時代を乗り越えて、脈々と今日まで伝えられている。映画の主人公として「道元の魅力」を表現することは、至難のわざであり、それをどう成功させるのか楽しみにしていた。
映画は2時間余り、息もつかせぬ感動の連続であった。特に私は寂円に以前から興味を持っていた。その寂円を、道元の弟子であると同時に心の友として撮っていた。道元の歿後、懐弉と義介の後、永平寺の法灯を延々と引継いだのは、大野の山中で宝慶寺を建てた寂円の弟子達である。映画では寂円と公暁を一人二役で演じさせていて、一際注目を集めさせていた。この映画を見てますます寂円の魅力が増した。少い文戯の中から、中国よりの留学僧「寂円」の根跡をたずね、彼の90歳余の生涯に光りを当てたいと思う。映画では道元は身一つで帰国したことになっている。しかし宝慶寺の寺宝は永平寺をも超える重要な遺物ばかりである。映画は道元の死と共に終っているが、日本語の字幕が必要な程曹洞宗の教義の言葉が出てくるが、漢文調なのでわかり難い。しかし感動で涙がとまらないすばらしい内容であった。もっともっと多くの人々に見ていただきたい名画である。

足し算と引き算

平成21年1月27日
足し算と引き算

企業経営は足し算と引き算である。掛け算や割り算を導入すると間違うことが多い。しかし多くの経営者がこの過ちを犯してしまう。
今回の世界的な金融不安の元は、「金融工学」という数学の常識を無視した理論を作り上げ、この悪用によってもたらされたものである。
日本人は思想的には「引き算」が得意な民族である。難解な哲学や思想を簡略化してしまう異能を持った数少ない民族である。片仮名や平仮名の由来を考えてもよくわかる。また俳句などは17字の中に宇宙を表わすという世界唯一の文学である。禅問答に「只管打座」がある。道元の正法眼蔵の真髄である。この至言を何百年も一途に守り通すことは日本人の精神構造の中でしか考えられない。日本人が思考や生活の中で常に引き算を重視しているから続くのである。
「還暦を迎えたから」とか「満70歳を迎えたから」とか言って、生活を縮小したり、仕事を整理したりする友人が多い。精神的にも肉体的にも若い頃と同じようなことは無理である。それは当然それなりの対応をせざるを得ない。しかし年齢を重ねたからこそ出来ることがあるのを忘れては困る。それを見つけ、そしてその為に残りの人生を有意義に過すことが肝要である。引き算ばかりでは駄目だ。足し算も時には必要だ。場合によっては、足し算こそが熟年になって出来る「社会貢献」なのかもしれない。
偉人伝を毎日読んでいると、偉人といわれる人々の「最後の十年」は、引き算に終っていることは皆無である。何かをこの世に残した人々は、最後の十年もコツコツと足し算を繰り返し、この世に恩返しをしていっている。
今年の経営者の頭にあるのは「コスト削減」ばかりのようである。引き算を必死に考えている。果たしてその考えは正しいのであろうか。信用収縮はそれで解消するのであろうか。私は反対の意見を持っている。この困難な時こそ、お互いが信じ合い、明るい日本を作り上げる絶好のチャンスなのである。何をどのように「足し算」することが出来るのか、智恵を絞ろう。そこにこそ私達の未来がある。

原油価格の暴騰と暴落

平成21年1月26日
原油価格の暴騰と暴落

原油価格の状態は2003年の1バレル当りUS$29から毎年20%前後の上昇を続けていた。それが2007年、急激な投機資金の流入によるものか、暴騰を始めた。2008年早々に過去経験したことのない1バレル100$を突破し、年央147.5$の気狂いじみた価格をつけた。そして急激な需要の縮小をまねき、暴騰の後の暴落が始まった。2008年末には1バレル50$を割ってしまった。2005年の水準以下である。
更に日本においては円ドル相場を考慮しながら、この原油価格の暴騰と暴落を慎重に検証しなければならない。2007年のドル相場は123円であった。2008年は100円となった。20%の円高である。更に2009年早々には90円となった。更に10%の円高である。
ドルの信託が問題になっている昨今の現状を考え合わせると、円の強含みを否定するのは難しい。となると1バレル40$の石油相場の先行きとドルの先物相場を考慮すると、日本のガソリン価格は急落すると考えざるを得ない。末端表示価格は毎週低下し続けており、リッター当り100を割るところまで来た。
暴騰によって、自動車の稼働率が大きく落込み、更に新車、中古車の販売にも大打撃を与えてしまった。世界中の自動車産業に甚大な影響を及ぼしている。しかしその元凶である原油の暴騰は昨年央に終っているのである。そしてその後半年以上にわたって暴落し続けているのである。
「価格の上昇は徐々に起きるが、価格の下落は早い」というのが経済学の常識である。暴落は半年足らずの間に、3年分以上の上昇を奪ってしまった。2003年頃の1バレル$30程度になるのはそんなに先のことではない。
コインパーキング業界では車の稼働率の低下は売上、利益の低下に直結する。2007年から業績への影響が現れ始め、2008年はコインパーキングへメーカー、事業者共大きな影響を受けた。誕生から十数年、拡大の一途をたどってきた業界に、はじめて起きた試練である。しかし、よく考えてみると、その背景にある原油暴騰は、既に昨年央に終っている。逆に現在は暴落中である。円高を併せ考えてみると、業績回復の期待は大きい。
昨年末の状況は、その予想の通り、業績は底を打ち、反転した。下落を続けた車の稼働率が上昇に転じたのである。私はガソリン価格が100円を切ると、心理的な壁が崩れて、稼働率が上昇すると見ていたが、年末という特殊な原因も重なって反転した。
自動車の販売は毎年3月に大きなピークを迎える。今年は世界中の自動車メーカーが減産に入っているので、場合によっては、あちこちで新車不足が起きるかもしれない。
省エネ意識の浸透は予想以上に早く進んでいる。省エネカーへのニーズの変化はもっともっと大きくなるのは間違いない。不思議としかいえない乱脈な金融工学の膨張や、需要を大きく上回る自動車生産能力の増強は当然見直さざるを得ない。しかし実需はなくなる訳ではない。仮需が消え去るだけである。実需は必ず残る。世界恐慌を心配する空気が強い中、敢えて私は今年の先行きは、日本経済の先行きは、暗くないと愚考している。

水仙まつり

平成21年1月23日
水仙まつり

越前海岸の冬の風物詩として有名なのは「水仙の花」と「波の花」である。1月中旬水仙の咲き揃う頃は、日本海は少し荒れ気味となる。詩人や小説家がよく使うのは「荒々しい海」や「暗い海」という表現である。海岸に打ち寄せる強い波の力で「白い気泡」が空に舞う。それが「波の花」である。北風の強い日は、風に舞う「波の花」を存分に楽しむことが出来る。あまり他の海岸では見ることの少ない光景である。複雑な断層海岸で、山塊が岸辺まで迫っているところへ、シベリアからの寒風がこの「波の花」を舞い上がらせてくれる。
もう一つの「水仙の花」は、福井県の県花である。急峻な山肌にびっしりと水仙の花が咲き揃う。一本一本の水仙は清楚な乙女、可憐な少女の面影を宿すといわれ、地味な小さな花である。しかし山肌一面に緑の茎と白い花、黄色い花芯のコントラストが美しく、晴れた日は輝くような美しさになる。また曇天でも寒風の中にしっかりと根をおろして力強い。粉雪の中で咲く水仙は圧巻である。越前海岸の水仙は、房総、淡路島と並ぶ日本三大自生地であり、多くの観光客が訪れる。水仙の爽やかな香りは冬の香りの代表である。私は毎年玄関の花瓶に水仙の花を生けるのを常としている。仕事に疲れて家に帰り着き、玄関のドアを開けると水仙の花の香りが私を迎えてくれる。切花であるが、つぼみから生けておくと1ヶ月は花と香りを楽しめる。庭の花壇にも植えているが、多年草なので、毎年、花も香りも楽しませてくれる。福井という土地にぴったりあった花である。一束千円も買えば家中水仙の花瓶で一杯になる。私の最も好きな花の一つである。

CHA

平成21年1月22日
CHA

創業は12年半前である。59歳からの出発であった。その時社是を考え、会社経営の根幹にすえた。「喜びの種、幸せの種を蒔こう」という一言を冒頭に掲げた「社是」を作った。そして豊田章一郎氏がトヨタ自動車(工販合併時)の社長就任時に掲げられたスローガン「三つのC」(クリエーション(creation)、チャレンジ(chaenllge)、カリージ(courage)」の中から「勇気を持って可能性に挑戦する」というスローガンを作った。更に当時の日本電気の関本社長の「変化する時こそチャンスである」との言葉を玩味し、「変化する時こそ絶好のチャンス、その時に挑戦する」というスローガンを作った。
この変化CHANGE、チャンスCHANCE、挑戦CHALLENGEの三つの言葉の頭に「CHA」がつく。そこで「CHA」を私達の心に刻む意味で、いろんな所で使っている。
福井市の新しい副都心、開発(かいほつ)で「タワーグランデCHA」という分譲マンションを作っている。この「CHA」の意味するところは前記の通りである。そして何にどう挑戦するのか、挑戦して何を作るのかを述べたい。それは古いものを壊して新しいものを作る、即ち「創造」を成し遂げる仕事である。豊田章一郎氏のいわれたCreation、創造こそ私達が全力で挑戦していることである。それを4つ目の「C」と呼びたい。破壊(Clash)し、創造する(Create)という大きな仕事に挑戦しているのである。
旧来のマンションと同じものでは創造とはいえない。そこで次々と新しいアイデアを採用している。それは免震装置、すべてにペアガラスT2級、タンクレストイレ、床暖房、内廊下内階段、17人乗緊急エレベーター、ハイサッシュ2.3m高、眺望・陽あたり・風通し抜群のトライアングル型設計、デザイナーズマンション、池と滝・緑と花園癒し空間、十分なトランクルーム・駐車場などのハード面は勿論、ソフト面でも他のマンションと峻別するサービスを準備した。創造の名に恥じないものと思う。それはミールサービスや見守りサービス、健康相談などのコンシェルジュ対応である。24時間365日のきめ細かなサービスを提供する。また自転車の無料提供、自動車の有料提供などのカーシェアリング、コミュニティルームの共同利用(各種イベント、各種教室、健康づくり等)を準備している。ホテルのコンシェルジュは日本では十分利用されていないが、タワーグランデCHAのコンシェルジュは私達が心血を注いで作りつつある新しいサービスとなる。「21世紀型サービス」と自負している。住む人が安心して、明るく楽しく幸せに暮せる喜びに満ち溢れた安全な住まい、そんな理想の住まいを作り上げたいと考えている。

人間力

平成21年1月21日
人間力

人類の誕生の起源をどこにおくのかが論議の的となり、少しずつ遡って行きつつある。ネアンデルタール人のDNAがホモサピュエンスとの混血により、現代人のDNAの中に組みこまれているとの説もある。となるとかつて数万年前頃といわれていたご先祖様の誕生はどんどん古くなっていく。北京原人等をも含めてDNA鑑定がすすんでいくとその可能性は大きくなる。縄文時代の定義も、期間的にはここ100年足らずの間に遡っていっている。
人類というこの神秘な生命体の誕生は、今問題になっている地球環境と比較してみると、これはまたあまりに真新しい。進化論に従っても、それ程遡ることが難しい。
私達の誕生の確率を計算した人がいる。堀場製作所の堀場雅人氏である。彼の計算では、今、生きている私達は、約1兆倍の競争を勝ち抜いてきたラッキーな、運の強い、強い力を持ったものばかりであるという。その計算根拠はここで紹介するのは省くけれど、私はこの計算を何度も繰り返した。そしてその度に、自分がこの世に生まれてきた僥倖の不思議さに気付いた。なぜ自分が、自分だけがこの猛烈な競争を勝ち抜いてここに立っているのか、その理由は何だろうか。これを突き詰めていくと自分と同様に、まわりにいるすべての人達が私と同じように約1兆分の1の確率でこの世に生を受けた人であることに気付かされる。
そしてまた誕生から三歳児までの成長の早さ、知能の発達というよりDNAの中にすりこまれた人間力の覚醒の早さに驚かされる。三歳児からの成長もまた驚異の連続である。これ程の猛烈な競争を経てこの世に生を受けた私達は、もう少しお互いを尊重しあう必要がある。もう少し労りあう必要がある。もう少し愛しあう必要がある。自らのエゴの為に殺しあう戦争など言語道断である。無駄な競争も避けた方がいい。英知を働かせて共存共栄の道を捜すことが肝要である。
私は人間力を堅く信じている。人間というこの不思議な、神秘的と表現した方がふさわしい生命体が持つ力を信じている。今度の経済的な世界的な不況も、百年に一度といわれるが、英知を集め、人間力をふりしぼれば必ず克服できると信じている。その為の一歩が、その第一歩が大切である。しっかりと今というこの一瞬の一歩を踏み出す勇気を持ちたいものである。

オバマ大統領

21年1月20日
オバマ大統領

20世紀の世界をリードしたアメリカ合衆国が誕生したのは僅か233年前のことである。イギリスとの独立戦争の後であり、フランスから自由の女神像をお祝いにもらっている。初代大統領ジョージ・ワシントン。ワシントンDCに大きな座像がある。彼の独立宣言は有名である。
また歴代大統領の中で最も人気が高いのがジョン・ケネディ大統領である。任期中に凶弾に倒れた悲劇の人である。彼の大統領就任演説も有名である。私は彼の就任演説のレコードを何回も聞いた。世紀の演説といわれる程、格調の高いものである。何回聞いても感激を新たにした。
オバマ大統領の演説はまだであるが、選挙戦の中で彼が常に言い続けてきた「変化」「チェンジ」という言葉が、大きなウェイトをもって使われることと思う。
三人の大統領に共通するのはこの「変化」である。大統領就任の背景に流れるこの「変化」が人々の共感を呼んだのである。ワシントン大統領をとりまく変化は「独立」という熱狂の中にあっての当然の大きなうねりの表れであった。新しい建国の意欲のもり上りに支えられていた。
ケネディ大統領はWAPS以外の層からの初の大統領であり、幅広い支持をあつめた。若さと夫人の美貌も併せて人気の的となった。就任演説もワシントン大統領と同様に「国のために何が出来るかを考えて、行動すること」を求めている。アメリカが政治的にも経済的にも、軍事的にも世界トップに就いた時代であった。
オバマ大統領も「変化」を掲げている。選挙運動中に金融面での困難な状態が次々と現れ、深刻化している。当初の「変化」の意味が変容し、中身がより変質しているが、「変化の嵐」の中にいるのは前の二人の大統領と同じである。しかも彼は被差別人種といわれていた黒人系である。前途には多くの困難が待っていることであろう。若さと英知に期待したい。三人に共通するのは「変化」を背景に、「国民が変化を求める姿勢」である。そして「国家への忠誠心」を強く求めている。オバマ大統領がアメリカの救世主的な役割を果たすことを信じて止まない。またそれを日本の麻生首相にも求めたいと思う。

植樹祭

21年1月19日
植樹祭
今年6月7日に福井県下各地で全国植樹祭が挙行される。天皇・皇后両陛下を迎えての一大プロジェクトである。全国持ち回りのまさに国家の大事業である。日本は国土の3分の2が森林地帯であり、これは世界で見ても、かなり高い比率である。ただ木材の自給率は20%にとどまっており、食料の自給率40%と共に大きな問題をかかえている。
輸入してくるのは、1位カナダ11%、2位オーストラリア10%、3位旧ソビエト9%、4位アメリカ8%。その後はマレーシア、ヨーロッパ、チリ、インドネシア、中国、ニュージーランドと続く。殆ど世界中から輸入しているのである。
日本の森林率67%に対し、中国は17%である。そして中国から毎年約300万立方米の木材を輸入している。この非常識も地球環境を考えれば直ちに是正しなければならない。日本海側の黄砂被害は年々激しくなってきており、この遠因になっている。
旧ソビエト(シベリア、沿海州)からの輸入が多いことも、ツンドラ地帯の破壊につながり、凍土の溶解による温暖化がすすみつつある。日本は工業製品の生産能力が高かったことで、木材や食料の輸入により収支バランスをとってきた。しかし輸送コストの高騰やエネルギーのムダを排除する必要が高まってきた昨今、木材の自給率を早急に引上げることが求められている。
「日本一多くの木を植えた男」という宮脇昭さん(植物社会学者)についての本を読んだ。私より9歳年長で日本中、世界中で木を植え歩いている。そして日本に残っている「鎮守の森」を世界に広めようとの運動をすすめている。面白いのは「モッタイナイ」と同様に「チンジュノモリ」が世界語になっているのだという。森の精をおそれ、森の神を敬う心が数百年、数千年の森を残してきた。鎮守の森は自然林であると同時に、その土地に最もふさわしい木が生き残っているという。「鎮守の森」は日本人の宝物である。
私達福井市民の宝物「足羽山公園」が今年は完成100周年にあたる。これを機に足羽山の眺望のよい所3ヶ所に眺望台が作られている。足羽山公園は、越前三川のうち、中心を流れる川、足羽川と一体となって福井市の中心部の景観を形づくっている。100年前に公園として手を入れられて以来、数多くの人々が植林・植樹に努力してきた。自然林の宝庫である。足羽山にも今回植樹が予定されている。
メイン会場は朝倉氏の旧跡である「一乗谷朝倉氏遺跡」に設けられる。戦国時代、幕府や朝廷の貴紳たちが、都を逃れて朝倉氏を頼ってここをおとずれたといわれた中世の遺構が奇跡的に残っている。当時は小京都といわれていた。このメイン会場を中心に、県下各会場を結んで植樹祭が挙行される。
「日本一多くの木を植えた男」といわれる宮脇昭さんの世界中の実績を聞いて驚いた。まず万里の長城沿いで、イオングループの後援で、日本人のボランティア1,400人と、中国人1,200人が彼の号令で僅か1時間で4万5千本の木を植えたという。1人約20本である。これを3年続けた。同様のプロジェクトを上海でもスタートしている。植えられた木は、中国の土地に昔からあった木、「モウコナラ」である。
同様の巨大プロジェクトをアマゾン、ボルネオ、南アフリカ等々世界中で実行し続けている。まさに偉人である。彼のような人こそ「ノーベル賞」がふさわしいと思うのは私だけであろうか。

サッカーチーム

平成21年1月15日
サッカーチーム
 
地方の活性化の一助ということで全国各地にサッカーチームが作られるようになってきた。私の少年時代には実業団の野球が盛んで、中学校の軟式野球を見慣れた私達には格段に立派に見えたものだ。
福井のサッカーチームの名前は一般公募して「サウルコス」と決定し、チーム発足以来3年目を迎える。「サウルコス」の名は、福井県の勝山市周辺の山間部から、恐竜化石が次々と発見されることから、「恐竜」のイメージでつけられた。イメージキャラクターも恐竜の形をした「サウルコス君」である。勝山市には世界三大恐竜館の一つ、福井県立恐竜博物館があり、人気を集めている。
サウルコスの発足と同時に有力選手を福井に招聘し、福井で働いてもらうために県内企業が協力することになり、私達の会社もFWの中村真也君を預かることにした。彼の昨年の得点はチーム内で三番目、早く得点王になってもらいたいと願っている。FWとしてレギュラー出場しているが、会社での仕事はスポーツマンらしく、キビキビした動作・仕事ぶりも好感をもって迎えられている。日焼けした顔をほころばせて白い歯を見せ笑う姿にはついつい笑顔で対応させられる。
観客の動員数を聞いて見ると、予想以上に少ない。地方の活性化の一助であるならば、福井県民こぞって支援してこその「サウルコス」である。まずみんながサッカーを見て、サッカーを楽しむことが望ましい。その為中村君には、福井で開催される「サウルコス」の試合を社内発表し、同時にお客様にもお伝えするよう頼んだ。昨今スポーツチームからの企業の撤退がいわれているが、スポーツチームも高コスト体質を再検討すると同時に、チーム結成時の初心に帰って、みんなで盛り上げ、みんなで楽しみ、みんなで育てる郷土の誇りにしたいものである。あとで知ったことだが、中村真也君は同志社大学の経済学部卒である。私の後輩である。不思議なご縁に驚いている。福井のために活躍し、大きく飛躍してくれることを切に祈っている。

リーダーの顔

平成21年1月14日
リーダーの顔

日本は顔のない国といわれて久しい。アメリカの大統領の任期は4年。2期8年。世界中のリーダーの顔は割合安定している。ところが日本の首脳はよく変る。あまりに早く変りすぎる。
国を代表するリーダーの顔や名前が、コロコロ変ることに世界中が驚いている。経済的にも、安全面でもトップレベルでありながら、政治的に不安定なのであろうか。それも的を得た理由とは思えない。小泉元首相以来、長い間自民党政府が続いているのである。今少し国民の目線に立った政治、世界を俯瞰する政治を切に望みたい。
企業においてもリーダーの顔は大切である。自動車産業の頂点に立つトヨタ自動車の渡辺社長から豊田章男副社長へ5月に変ると発表があった。渡辺社長は就任以来、次々と新しい手を打って、国内市場が成熟している中、成長を続けてこられた。その間5年余り。世界に燦然と輝いていたアメリカのビックスリーの凋落と異なり、着々と世界一への道程を歩んでこられたのは、正に偉業である。トヨタという超優良企業のリーダーとして誠に見事な采配ぶりといえよう。
中小企業のリーダーは更に責任の比重が深刻になる。殆ど生涯、この重責を負うことになる。それだけに「リーダーの顔」が大事である。殆どすべての経済評論家の言葉は「企業の盛衰は、リーダー次第」という。リーダーに魅力がなければ企業は成長できない。リーダーに迫力がなければ人はついてこない。リーダーに誠意がなければ社会は認めない。リーダーは孤独であるが、その孤独に耐え社会への貢献を果たしていく必要がある。風雪はリーダーの顔を作っていく。アメリカ大統領は4年ないし8年、日本の首相も同じくらいの重責を年月になっていく覚悟がほしい。私は約11年代表取締役を勤めたが、せめて10年間は重責を担う気迫と根性を持っていただきたいものである。

経済対策緊急

平成21年1月13日
経済対策緊急

国会で審議中の緊急経済対策の内容を見ると日米の類似点の多さに驚く。この類似点の多さは、日米欧の対応の足並みが揃いつつあることの一つの証左である。今回の経済危機はサブプライムローン問題に端を発し、それが世界でもトップクラスの影響力を維持してきた自動車産業に波及し、今、重大な局面を迎えつつある。この試練を乗り越えることにより、日本の産業界の実力がますます強固になることは疑いない。
コインパーキング業界に関係のある施策をひろい上げてみよう。まず第一は低燃費車・重量税の取得税の減免である。これは低燃費車需要を急激に盛り上げる特効薬となる。かつてアメリカで排気ガス規制が実施され、日本メーカーがいち早くこの規制をクリヤし、その後の日本車時代到来の幕をあけた。ビックスリーの凋落はあの時に決定づけられていたのである。今度の減税策はこれをまた活用する「文殊の智恵」であり、大賛成だ。
第二は高速道路通行料の引下げである。日本の高速道路料金は高すぎる。アメリカなど世界はフリーウェー全盛である。土曜日曜上限1,000円、首都高700円→引下げ。通常日3割引も大歓迎だ。
第三は土地譲渡についての差益1,000万円を控除。過去バブル崩壊以後18年間続いている日本の地価下落に歯止めをかける最善の景気刺激策である。小口の土地の流動化が大きくすすむものと考えられる。コインパーキング適地の流動化が期待できる。
第四は雇用保険料の税率引下げである。これも今迄が高すぎた。今回3分の1が引き下げられる。この影響は全企業に及ぶ。そして金額も大きい。雇用維持への支援策の一つと思われるが、社員数の多いところ、雇用を必死で維持しようとしている善良な企業にとって有効な政策である。
第五は住宅ローン減税600万円、50年ローン新設、金利引き下げ等の住宅対策である。その他セーフティネット関連の中小企業金融支援を含めて今回の政策は、誠に頼もしい、今迄とは違う力強さを感ずる。一日も早く実施されることを期待したい。

101才の健康法

平成21年1月9日
101才の健康法

福井市の山間部にあたる美山町に在住の洋画家豊田三郎画伯の自宅を訪問し、101歳という高齢にもかかわらず、今なお創作意欲を失わない秘訣を教えていただいた。
まず声の大きいこと、身ぶり手ぶりの大きいことに驚かされた。顔の色つやといい、話の内容も全く年齢を感じさせない迫力に満ちている。しばらく芸術談義に花を咲かせた後、101歳になってもこれ程の元気を維持している「101歳の健康法」をたずねてみた。そして大変参考になる、興味深い内容であったのでここに記しておくことにした。
 「101歳の健康法」
1.起床後の自己流の柔軟体操をずっと続けている。
2.血流をよくする為のマッサージや指圧をずっと続けている。
3.食事は1日2回。酒・タバコはやらない。
4.何でも自分でやる。
5.絵の道一筋に生きている。
地元の新聞社の記者が帰ったあと、1時間以上の長いあいだ熱弁を聞いて、圧倒される思いであった。帰りには足が多少不自由な中を玄関を出て外まで見送っていただいた。私は72歳になろうとしているが、30歳もの年齢差を全く感じない力強さである。一芸に秀でた人、一芸を極めた人は、私達凡人とは違うことを気付かされた一日となった。101歳まで30年もあると思うと、これからまだまだ新ししことに挑戦できると意を強くした。健康に感謝しつつ、更に一歩を踏み出す勇気を失いたくないものである。

十方よし経営

平成21年1月7日
十方よし経営

近江商人の商道に、「三方よし」がある。売り手よし、買い手よし、世間よしと三方にいる人すべてが喜ぶ商売をせよとの教えである。私は幼少の頃より祖父母や両親、そして親戚、その他周りの人々からこの「三方よし」を具体的に、その都度、その都度、徹底的に教えこまれた。大学を出て商社へ入ってもこの幼少の頃から教えられたことは私の血肉となって流れ続けている。
13年前に会社を設立した時も、社是にこの精神を標榜することに躊躇はなかった。ただしステークホルダーを三者とするよりは、あらゆる周囲の方々という意味で、「三方」を「十方」に置きかえて「十方よし」の経営を目指すとした。仏教の「十方世界」の「十方」は「じっぽう」と発音する。だから「じっぽうよし」の経営である。
もう少しわかり易くいうと、十方よしの経営は、「敵をつくらず、味方をふやす」経営なのである。商品の売り手と買い手、サービスの出し手と受け手、お金の貸し手と借り手、すべて利害は逆転することになる。これでは「三方よし」も「十方よし」も出てこない。しかし工夫すればこれが出来るから不思議である。
それを可能にするのは「譲歩」の前の徹底討論である。本当に相手のことを考え、相手に喜びや幸せを提供するという考え方があれば、難しいことは何一つない。相手のことを優先すると利益がなくなるという人がいるが、実際やってみるとそんな事はない。利益は多少減っても、その次の受注につながっていく。トータルでは逆に大きく利益をいただくことになる。この大不況下における「十方よし経営」を目指して明るく元気に努力していきたい。

日本の課題

平成21年1月6日
日本の課題


世界中が萎縮し、目に見えない不況におびえている。不況に強い業種はないのか、不況でも生き残れる仕事はないのかとよく質問を受ける。あまりに急激な経済全体の状況の悪化に対して、自分の仕事に対して自信を失っているのであろうか。
80年前の世界恐慌をのり切った時の政策は、アメリカのルーズベルトのニューディールであった。世界貿易を政策的に急減し、域内貿易に縮小し、危機の連鎖をくい止めたのである。アメリカに追随して各地域で同様の対策が立てられて徐々に恐慌は終焉に向った。
今回はオバマ新大統領の「変化」という提案が、どのような中身をともなうのであろうか。比較してみると麻生首相の政策と非常によく似ているのに驚く。金融緩和、ゼロ金利(日本は0.2%いずれ0%?)国庫による金融支援、内需拡大策、戻し減税6兆円(日本は給付金2兆円)、雇用対策etc.。
アメリカと日本の差はUS$と日本円の立場の差である。今ドルは世界の基軸通貨でありながら、中身が悪くなり信用不安の状態にある。それに対して日本円はユーロ、元と共に安定度を増している。日本に対するドル買い支えの要求はこれから益々強くなることであろう。
日本のとるべき方向は、日本にとっても、アメリカにとっても、世界にとっても望ましいものでなければならない。それは内需拡大である。日本で不足している社会資本は何か、これは明白である。日本で最も貧弱なのは日本の住宅である。住宅への投資を促進するのは何か、これは住宅投資減税である。この減税を呼び水に、日本の内需は大きな膨らみを見せるであろう。この不況の中で、消費全体を押し上げる政策を見つけることは難しい。しかし、最も大きな影響力を発揮する消費は「住宅」に関連するものである。即ち「住宅」を作りかえたり、「住宅」への投資を促進することが消費拡大の唯一の道である。過去2年間その住宅投資に急ブレーキがかかってしまった。この誤ちを解消する為に、住宅への投資を呼び戻す必要がある。日本を救うのは住宅減税である。
更にインフラ整備も遅れている。空港、港湾、道路、新幹線あらゆるインフラは太平洋側にばかり片寄っている。日本海側はおそまつの一言に尽きる。日本海側への投資の可能性は誠に大きい。そしてその効果も抜群である。即効性もある。反対運動は絶対起きないからである。
 今世紀はアジアの時代といわれる。日本にとっては日本海時代と把えるべきである。「住宅減税」と「日本海ベルト地帯投資」が日本を救い世界を救う唯一のものと思っている。