2010年01月のアーカイブ

「岡倉天心」の今日的存在意義

平成22年1月29日
「岡倉天心」の今日的存在意義

日本文化は室町時代に形成されたものが多い。文化の源流は南方や北方を含めて中国や朝鮮そして遠くヨーロッパから流入してきている。
その後、鎖国時代には、長崎の出島、対馬(朝鮮貿易)の2ヶ所が国際交易の窓口となり、出島は清国とオランダのみが交易を許されていた。
但し漂流民よりの情報は多く、幕府はその収集に努力し、世界情勢の把握はすすんでいたようである。
「東洋は西洋から多くのものを学んだが、西洋は東洋から学んでいない」と主張したのは岡倉天心である。1903年にアメリカで出版された「東洋の理想」の書き出しの一句は、「アジアは一つ」である。今にして、まだ新しいこの言葉を、100年以上前に、アメリカで主張したのは天心である。更に続いて翌年の1904年には「東洋の目覚め」を出版した。その命題は、「ヨーロッパの栄光は、アジアの屈辱」である。
天心は「アジアは一つ」の中で、アジアを一つにする基本の考えとして「愛」や「宗教」を念頭においている。決して「武力」ではない。しかし天心は武力をも否定せず、武力は避くべからざる悪で、支配すべきものであり、支配されてはならないと説いている。インドのガンジーやタゴルの考え方に近い。
「西洋は東洋を誤解したままであり、日本が目指している理想境作りを西洋のどの国も理解していない」と嘆いている。
天心は欧米に発信した最初の日本人である。明治日本は世界中から蔑視されていた。その中でアジア文明と、日本文化がいかに輝かしい歴史と伝統と内容を持っているかを西洋に認識させた功績は大である。
天心(岡倉覚三)は1862年(文久2年)横浜で生まれた。父は旧福井藩士で藩命により横浜で貿易商を営む。1880年(明治13年)東大卒。アーネスト・フェノロサの通訳を勤めていた。文部省へ就職し、明治19年9月から1年間フェノロサに同行し、美術教育調査に渡欧。東京芸大設立。明治23年から8年間校長。排斥に遭い退職。日本美術院創設。明治26年中国を歴訪。明治34年インド旅行、タゴールにあう。明治37年からボストン美術館東洋部長を兼務した。明治40年官職に復し、明治44年欧米旅行、ハーバード大よりマスターオブアーツの学位。大正2年1913年赤倉山荘にて病死、享年52歳。天心は日本の驚異的な発展の原動力は、日本人の同化能力、内的な再生産能力の高さであり、発展の真の原因であると指摘している。「知識の蓄積だけでは進歩はない」、「進歩」とは、高められた自己能力の実現であると喝破している。100年前にこれ程の正論を堂々とアメリカで主張した岡倉天心の思想やその系譜が、福井に残されていないのを悲しんでいる。

不確実性

平成22年1月28日     
不確実性

現代は不確実性の時代といわれている。人間にとって未来は不確実である。その不確実な未来を予想し、さも間違いないように主張するのが、経済評論家や競輪競馬のダフ屋である。予測はしばしばはずれる。リーマンブラザーズのショックを1年前に予想した経済評論家は誰もいない。これが現実である。
宇宙開発競争が始まって、月面着陸を予測した人は皆無であった。それが僅か10年で達成され世界中がアメリカの科学力に驚嘆した。その時開発された数々の技術は私達の生活の中に生かされている。
不確実だからあきらめる。或いは不確実だからやらないなどと考えていたら、新しい科学技術の開発や新薬の開発は決して成功しない。不確実性への挑戦が、人類の発展につながってきたのである。
新薬の開発は、テストを繰り返すこと、1試薬に1万回も行うそうである。不確実な結果への、飽くなき挑戦である。果てしない試行錯誤の繰り返しである。
この不況のさなかにあって、不確実性を追求する、新規部門の開発や新商品、新技術、新システムの開発が中止され、企業はその部門を縮小し、本業回復が叫ばれている。生き残りをかけた競争原理が支配する経済活動ではあるが、不確実性への挑戦を怠ると、デフレスパイラルに陥ることは目に見えている。
開発に成功するには、不確実性への挑戦がまず必要であるが、目標の設定とその達成状況の検証が大切である。成功体験を持つ人に聞くと、成功の要因は「カン」や「嗅ぎ分け能力」と同時に、「熱狂」だという。「一念岩をも貫き通す」といわれる「集中力」「執着心」も忘れてはならない。
この不確実性の時代を乗り切る秘訣は、縮小均衡やリストラだけではないことを、肝に銘じておかなければならない。社会のニーズにあっている事業、自社の得意分野に近い事業、科学や習慣、伝統の流れから予測可能な事業などは、成功の確率が高い。


システマティックセールス

平成22年1月27日
システマティックセールス

私は営業マンとしての人生を送ってきた。「セールス」の中に、私の少年時代を過した近江の風土、近江商人としての商人道を常に追い求めてきた。そしてセールスの王道を極める為の、科学的なアプローチを「システマティックセールス」と呼んだ。その「システマティックセールス」を自分の働いている会社の中で、実行していったのである。当時はコンサルタント契約が流行していて、「長銀総研」のコンサルタントがついていた。「システマティックセールス」とは聞き慣れない名前だから使わない方がよいという指摘である。その中身を批判したのではなく、その呼び名を注意してくれたのである。
「システマティックセールス」の名は、科学実験において多用されていた「システマティックテスト」、いわゆる「システマティック実験」からとった言い方である。「セールス」という非科学的に見える分野に、科学のメスを入れ、誰でも使いこなせる「セールスパワー」を生み出す方法を「システマティックセールス」と呼んだのである。
中身については、化学実験の場合とよく似た道程を示したものである。ことさら新しいことではない。実験の手法、それも最新の、最先端の、他部門でつかわれている手法を、「セールス」という人間と人間の商取引の世界に置き換えたのである。
「システマティックセールス」の導入にとって最も重要なものは、組織内のコンセンサスである。セールスグループだけでなく、全社的な信頼と合意が必要である。私は59歳で創業し、このシステマティックセールスを掲げて日本中を飛び回った。そして15年目を迎えた今、よく考えてみると、少年時代に叩き込まれた「近江商人」としての哲学とあまり変わらないのに驚いている。
理論物理学者は日本人にも多い。彼等が考えた新理論を、実験物理学者が、後を追うように実験を繰り返して実証していく。その二人の関係をよく見ていると、「システマティックセールス」への更なる愛着が生まれてくる。人間が偶然だと考えることが、宇宙や海そしてあらゆる自然界では必然なのである。

中小企業が勝てる?

平成22年1月26日
中小企業が勝てる?

経済は年々グローバル化がすすんでいる。あらゆる分野で規模の大小に関係なく熾烈な競争が繰り広げられている。その中で生き残っていくためには、生半可なやり方や考え方では無理である。必ずひねりつぶされて、生命を断たれてしまう。
勝ち残れる要因をいくつか指摘してみよう。言い古されたことではあるが、まず「選択と集中」である。限られた資本、人材、物資しか調達できない私達の進むべき道、とるべき方法はこれが一番である。
続いて私は「スピード」を上げたい。中小企業は大企業病にかかるともろい、「スピード」の加速、減速、ストップの決断を可及的速やかに実行できるのは、中小企業の強みである。この「スピード」を活用しなければ勝ち残っていけない。
未知の世界への挑戦は、中小企業だからこそ可能である。大きなリスクを伴うけれども、この挑戦を繰り返す勇気と、実力を涵養することを忘れてはならない。ここでも「選択と集中」と「スピード」そして「撤退の勇気」が大切である。
組織のコンパクト化も重要である。文鎮型の組織が理想といわれているが、中間管理職は自ら存在感を大きくしたいと考えるので、十分注意が必要である。組織の肥大化は何ものも生み出してくれない。逆に腐敗の温床になりがちである。
「ブレークスルー」「突破力」も大きな要因である。少数派は、大勢の敵に容易に包囲されてしまう。その閉塞状態を、実力で、一点集中、突き破る力を養うことが大切である。社員の心を一つにまとめ上げる日頃の社風の涵養が求められる。
そして成長指向である。大きくなりたい、よりよいものを作りたい、大企業に追いつき追い越ししたいという思いは、子供が大人になりたいと願う気持によく似ている。その思いが強ければ強いほど勝ち残れる確率は高まる。
社会のニーズにあっているかどうかの検討も常に行う必要がある。隙間産業といわれる超優良中小企業は数多く存在している。彼等はニーズに適合した分野で、研鑽努力を重ねまがら、深い技術力、特殊な手段、能力を発揮しているのである。


足羽山の魅力

平成22年1月25日
足羽山の魅力

岐阜に10年間住んでいた。岐阜青年会議所に入会して自己研鑽に励んでいた頃だ。その間二人の男子が誕生し、子育て真最中で、ちょうど借家が金華山の裏にあり、折を見ては金華山ドライブを家族をつれて楽しんだ。長良川の鵜飼い舟を借りきって、一世一代の散財をしたのもその頃である。岐阜市民にとって、金華山は朝な夕なに仰ぎ見る存在であり、長良川と共に、一対の、生活に密着した貴重なものである。
金沢の兼六園、金沢城跡公園そして浅野川と犀川もまた金沢市の中心にあり背後の卯辰山を含めて山紫水明の地と言っても過言ではない。「山紫水明」は頼山陽が京のことを表現した言葉であるが、岐阜、金沢、倉敷など、まちの中心部に山塊があり、その麓を清流が洗っているところは、京都以上に「山紫水明」の地という表現がふさわしい。
福井に住み出して50年が過ぎようとしている。福井に住んで気がついたのは、この「山紫水明の地」という表現がピッタリのまちは福井なのだということである。福井の中心部に足羽山その背後に八幡山があり、足羽川が流れている。まわりを見渡すと東方遥かに白山山脈、南方は日野山、西方は安居の山塊、そして北方は砂丘が西に向って延々と続いている。人々は春になると、足羽川の河原や足羽山の茶屋で、花見の宴を楽しむのが長年の習慣である。花見を山行きといい、4月の上旬は、山も川原も、花見客で一杯となる。花の宴の後がまた新緑の季節となる。そぞろ歩く人々の華やいだ顔はとても美しく輝いて見える。朝、夕に散歩やジョギングをする人々が多い。そして梅雨時には紫陽花の花ざかりとなる。ドライブを楽しむ人が増えてくる。夏は涼を求める市民の憩いの場を提供してくれる。秋の紅葉もまた見事である。
足羽山の魅力は尽きないが、残念ながらこの魅力を支えるボランティア組織が存在しない。「足羽山を愛する会」「足羽山ファンクラブ」の結成を呼びかけているが、誰か適任者はいないであろうか。昨年末に「夜桜ぼんぼり事業」の突然の中止を聞き、その必要性を喧伝する人々に会い、私も全く同意見である。この事業継続を主張したい。足羽山の魅力は、兼六園を遥かに凌ぐものがある。これ程の宝物を生かす道を考えられないようでは困ったものである。

長寿社会の可能性

平成22年1月22日
長寿社会の可能性

「団塊の世代」と命名したのは堺屋太一氏である。戦後のベビーブームで生まれた人達を指してそう名付けた。私より約10年ほど年少の人達である。その人達がいま定年を迎えつつある。60歳定年、或いは65歳定年で職場を去っていく。厚生年金や国民年金の管理の問題が大きく報道されたのは、つい昨日のことのようであるが、いま団塊の世代の人達は年金生活者となりつつある。高齢化社会が生まれたのである。世界一の高齢化社会の誕生である。
世間の論調は高齢化社会は高コスト社会であり、社会保障制度に多額の出費が必要になると伝えている。2010年の65歳以上の私達が、日本の全人口に占める割合は23%である。団塊世代がこの65歳の壁をこえてしまう迄、この比率は急速に高まることは間違いない。そしてその後は、団塊第二世代(団塊世代の子供達)が65歳をこえる25〜30年後まで、比率は安定的に少しずつ高まる程度となる。
問題としたいのは、この高齢者と呼ばれる人々の健康度と富裕度である。平均寿命女性85歳、男性79歳の長寿社会にあって、その元気さとその豊かさを忘れてはならない。病気で苦しんでいる人、貧しくて生活保護を受けている人は極く少数である。2900万人の人達の殆どすべては、元気で豊かである。世界でも稀有な「グループ」を形成しつつあるのに気付いている人は少ない。この「グループ」に名前をつけるのも面白い。仮に「ニッポンG」としてみよう。日本のゴールデンエイジのグループという意味である。この「ニッポンG」の金融資産は、概算で約1,200兆円である。そして「ニッポンG」の人数も資産も年々増え続けるのである。1人当り資産は、0.4億円である。世界のどこを捜しても、これ程莫大な富を持ち、可能性に満ちあふれた人々はいない。
困った問題がある。「ニッポンG」の性癖は、過度の貯蓄癖である。年金生活をしながら、貯金を続けるのである。日本は内需拡大経済への転換を世界から要請されて久しいが、未だに実現できていない。その原因はここにある。そこで「ニッポンG」のための新商品、新サービスを開発するのである。「ニッポンG」の性質は、割合よく似ているはずである。そこに大ヒット商品、大ヒットサービスの可能性がある。
私達の会社ではコインパーキングシステムを開発し、これを販売している。いわゆる「お金儲けの道具」を作って売っているのである。今大いに売れている。いつか「ニッポンG」の人達の注目を集めて日本を変える日の来ることを願っている。

足羽山公園の再評価

平成22年1月21日
足羽山公園の再評価

金沢に兼六園がある。金沢城跡公園に隣接し、相乗効果を上げている。福井には足羽山公園がある。福井駅から徒歩圏の、緑豊かな原生林の森をもった公園で、海抜100mを超す眺望のよい公園である。山には古墳群が数知れずあり、足羽山神社、藤島神社、黒龍、虚空蔵寺、自然史博物館、仏舎利塔、橘曙覧記念博物館、茶道美術館、ミニ動物園などがあり、観光客に親しまれている。またジョギングや散歩を楽しんでいる市民も数多い。足羽山は足羽川と一体となり、福井市中心部の心臓ともいうべき重要な憩いと癒しのスポットである。周辺には孝顕寺、運正寺などの古刹、古寺が並び訪れる客も多い。
その足羽山、足羽川を彩る「ふくい春まつり」は毎年4月に挙行される。桜の季節に合わせて開かれる祭りである。日本の桜百選に選ばれた足羽川堤防の桜のトンネルは見事である。足羽山には3,500本もある桜を見る客が昼も夜も数多く訪れてくる。そこに1965年から続いている夜桜見物用の「ぼんぼり事業」がある。約400ヶのぼんぼりを足羽山に300ヶ、足羽川に100ヶ取り付け、夜桜を楽しもうというのである。45年間続いていた。それが今年は不景気で寄付金、協賛金が集まらないので中止となる。
誠に残念なことといわねばならない。45年間続いてきた夜桜見物の風物詩を奏でていた「ぼんぼり」が、不況のために消えるという。予算約400万円。これが集まらないという。残念である。
足羽山、足羽川には冬の12月から2月にかけて、県の花「水仙」が咲き、4月には名物の桜、5月から7月には市の花「紫陽花」が咲きまさに花の山、花の川を演出してくれる。その中心をなすさくらまつりの夜桜見物用のぼんぼりが消えるとは、まさに「灯の消えたような寂しさ」を感じる。
新しい組織を作って、その新組織で運営していったらよかろうと先日の愛宕自治会の新年会で議論が盛り上がった。「足羽山ファンクラブ」を結成し、足羽山の自然を守る活動、周辺の清掃ボランティア活動、花木を植える活動を組織的に継続して行っていけるようにしたいものである。地域の偉人、賢人の顕彰も含めて考える組織が望ましい。


女性は太陽

平成22年1月20日
女性は太陽

平塚らい鳥は「太古女性は太陽であった」と叫んで、女性の権利獲得運動の先頭に立った。岡倉天心の四部作の一つ、「日本の目覚め」という名著がある。その中で「日本の女性は常に自由と尊敬を享受してきた」と書いている。「天皇は太陽女神、天照大神の直系であり、女帝の御世は輝かしい時代であった。神功皇后は自ら兵を率いて朝鮮にわたり、推古女帝は平城京の洗練された文化を開いた。古典文学の世界でも女性優位である。1630年には明正天皇が誕生、やはり女帝である。
女性が強くなると世の中は平和になるという。戦後「女性と靴下」は強くなったといわれたことがある。絹の靴下は、すぐ破れてしまうので、とても高価についた。よほどのお金持でなければ、絹の靴下をはくことは出来なかったのである。それがナイロンの発明により、絹の感触を持っていながら、何度洗っても破れない、ナイロン製の靴下が女性の足をつつむようになった。と同時にナイロン製の靴下を履きこなして、さっそうと歩くハイヒールの女性が続々誕生した。
岡倉天心の父岡倉勘右衛門は福井の越前藩の武士であったが、藩命により商人となり、横浜で貿易商を営んでいた。その子覚三(天心)は幼少より英語を学び、東京大学卒業後、講師をしていたアーネスト・フェノロサの助手となった。「日本の目覚め」を書いたのは、1904年であった。アメリカで英語で出版されたのである。日本の女性について書かれたところは100年以上経った現在でも十分通用する内容である。天心の先見性には驚きを禁じえない。
吉田茂の養父吉田健三も天心の父と同じく、福井の越前藩の武士であったが、横浜へ出て英国商館に勤め、その後独立して巨万の富をなしたといわれている。二人が、同じ横浜を基地とする貿易商であることを思えば、生前にはかなり昵懇であったことと思われる。二人が幕末の横浜で、新しいヨーロッパの思想の影響を受け、「女性解放」に好意的であったのは、この「日本の目覚め」を読んでもよくわかる。吉田茂首相がいつも娘の麻生和子(麻生太郎前首相の母)を帯同し、外国訪問をしていたのを思い出す。ファミニストだったのである。

十月十日

平成22年1月19日
十月十日

日本では妊娠から出産までを十月十日という。学問的には277日という。この277日は一体誰が決めたのであろうか。海のサンゴ礁では満月の夜に、一斉に産卵が始まる。なぜ一斉に始まるのであろうか。例えば人間の赤ん坊は、小学校入学までには、殆ど大人並の言語能力を身につけてしまう。日本で生まれ育った子供は、ひとりでに日本語を話し、アメリカで生まれた子供は、ひとりでに英語を話す。両親が日本語を家の中で話していると、子供は英語も日本語も話せるようになる。思春期といわれる年代になると、初潮があったり、射精がおきる。そして生命の限界は、男性80歳、女性86歳から30年程度プラスした年齢であろうか。
この一連の流れを振り返ってみると、出発点は卵子と精子の結合による受精卵であるが、細胞分裂を繰り返し、277日で母体から誕生し、その後幼児期、小児期、少年少女期、成年期、壮年期、老年期を経て、死亡までの一生を送るのである。その人類すべてに共通の生涯は、一体誰が決めたのであろうか。かげろうの一生、蝉の一生、ホタルの一生など、すべての生きものが、それぞれの種のルールに従って生き、そして死んでいく。これは一体誰が決めたのであろうか。
2006年6月に人間の全遺伝情報が書かれたヒトゲノムの会読が殆ど終ったと発表された。ワトソンの二重螺旋の発見に始まった遺伝子学の研究がいま猛烈なスピードですすんでいる。しかし根本的なもの、「なぜDNAが存在するのか」「その配列の精緻さ」「その発達のスピード」など不可解なものが何一つ解明されていない。
一粒の麦とか一粒の米とかいわれている。一粒の麦や米の中には、遺伝子学から見ると、膨大な情報が入っている。そしてそれが時と共に変化を遂げていく。成長を続けていく。ノーベル賞を受賞した科学者の脳と、私の脳と、あなたの脳は、殆ど同じであるという。DNAも殆ど変わらないという。「ヒトゲノム」と呼ばれる私達の存在の履歴書のようなものが、既に一つの受精卵の中に存在しているという事実を知って、私は「十月十日」の決めごとの存在の重さ、その意味の深さを実感した。「生かされている身」に対する畏敬と感謝を忘れてはなるまい。

越の国三十三番札所案内

平成22月1月18日
越の国三十三番札所案内

福井県は神社、仏閣の数が多い。日本一と言っても過言ではない。但し人口割。そして高僧名僧ゆかりの地である。古くは泰澄大師、道元禅師、蓮如上人をはじめ数多くの名を挙げることができる。しかし泰澄大師は、時代が最も古く、その後の研究が進んでおらず、白山信仰の祖、山獄信仰、修験道の祖、木彫仏師の祖といわれているが、その偉容が詳らかとは言えない。勝山平泉寺白山神社の平泉澄(元東大教授故人)の研究が残されているだけである。しかし県内は勿論、白山周辺、そして京周辺、奈良周辺にその足跡は数多く残されている。
西国三十三番札所巡りや四国八十八ヶ所巡りが有名であるが、これ等はお伊勢まいりや、富士登山、善光寺もうでと同様に、人々が日常生活を一時離脱して、しばし信仰生活にひたるという特長を持った旅である。古寺巡礼の旅は日本だけでなく、世界中にその例は多い。私は四国八十八ヶ所巡りを考案した空海が好きである。お大師さまといわれ、人々に親しまれているが、高野山をつくり、四国各地に巨大な土木事業を残している。私の親しかった友人が一人で四国八十八ヶ所巡りに挑戦し、これを成し遂げた。椿貞雄画伯の愛嬢椿夏子(故人)である。
信仰深い人々が住む福井県で有名無名の寺を巡る旅「古寺巡礼」の福井県版の創作の想を練っていた私であるが、県立図書館で『越の国三十三番札所案内』という小冊子を発見した。再装丁された小冊子で寄贈者は北川弥平氏、昭和51年4月17日と記されている。読んでみると主として泰澄大師ゆかりの々を巡る札所である。誰がいつ作ったものか判明しないとあるが、越前国名跡考によれば「延宝6年、これより後定めたる順とみゆ」と記載あり。古くから親しまれてきたものと思われる。著者は車やバスを使って各地をまわり聞き書きをしたり、市誌、郡誌等と照合して「越の国三十三番札所案内」を完成されてい。退職局長の集りで、勝山市野向町の前の局長、比良野さんの祖父が明治初年頃歩いた書類があると聞いて調べ出したと書かれている。著者は元郵便局長さんのようである。昭和49年5月末日に150部、昭和51年5月末日に200部発行されている。折角の苦心の著書であり、福井県の観光にも、泰澄大師の顕彰にも役立つと思われるので、今年はこの三十三番札所案内に基いて県内各地を巡礼してみたいと思う。北川弥平さんの書いているところによれば、バスや車で巡礼して、3日間はかかるとのことである。初日13ヶ所、二日目10ヶ所、3日目10ヶ所と番外1ヶ所と記されている。まず最初の札所、第一番は「杖立金堂」、元は朝日町杖立にあった御堂であったが、現在は小越知山山頂にある。巡礼は杖と巡礼鈴、そして納経印をいただく朱印帖が必要である。巡礼鈴を鳴らして御詠歌(巡礼歌)を歌いお参りするのである。巡礼歌もすべて残されている。

健康長寿を世界に発信

平成22年1月15日
健康長寿を世界に発信

健康長寿は人類の夢である。見果てぬ夢である。ところがその夢を実現しつつある国がある。日本である。福井である。日本の女性は長寿世界一をずっと更新中である。男女平均でも世界一の長寿国である。夢の島、不老長寿の楽園、それが日本である。世界中の心ある人々から、憧れの国といわれている日本。しかし私達はどう思っているのであろうか。本当に幸せなのであろうか。否、否、否。私達は日々の生活に追われ、健康長寿を寿ぐ心の余裕を失っている。場合によっては、少子高齢化社会を心よく思っていないことが多い。日航の再建の足伽になっている年金問題、老々介護に代表される介護の問題、個社会から孤独社会へと来てしまった家族制度や隣組制度の崩壊、上げればキリがない程多い心配の種。
日本人の心配性は困ったものである。敗戦後の焼野原の中から先に何の保証も、何の希望も見出せない困難の中から、黙々と必死の覚悟で働き続けてきた先輩達の姿を、私は決して忘れない。いや忘れられないのだ。希望は夢は自分で作るものである。自分で生み出すものである。決して与えられるものではない。
現在の私達は世界が理想の国と思っている国に住んでいる。世界指折りの財産と自然環境、社会環境、水と食の安全そして医療技術、施設、ボランティア精神、そして何よりの健康長寿。世界中の苦しんでいる人々から見れば、天国にも見えるはずである。
 ビジットジャパン、観光立国が打ち出されているが、私は「健康長寿国ニッポン」がその看板たりうると考えている。売り出すもの、発信するものは、豊かで質朴な生活、夢と希望に満ちた、生活、安全な国ニッポン、おいしい水や新鮮な食の国ニッポン、医療技術や医療施設、老人施設の整った国ニッポン、そんな陽の面を強調した国としての「ニッポン」である。
それ等を発信することで世界中から人々が訪れることであろう。「黄金の島ジパング」「不老長寿の島扶桑国、蓬莱国」「健康長寿の国ニッポン」は魅力的なキャッチフレーズとなりうると考える。そして「日本」を「福井」に置き換えると福井県の観光政策が浮かび上ってくる。直ちに実行してよいことばかりである。

あじさいは福井市の花

平成22年1月14日
あじさいは福井市の花

福井市は日本海に面した福井平野の中心にある。日本海側の気候の特長である「湿度が高い」まちである。「湿度が高い」というのは、雨や雪が多く降る。私が生まれて初めて福井を訪れたのは今から50年前、就職試験のために訪問した。その時代には「弁当忘れても傘忘れるな」といわれていた。最近は温暖化の影響で雨や雪が少なくなってきている。
湿度が多いことは、そこにいる植物や動物にも影響を与える。湿度の多いところを好む植物が多い。平泉寺の苔庭は有名である。永平寺の大杉など、福井には杉の大木も多い。あじさいも雨の花である。「紫陽花」と書くが、この字であじさいと読める人は少なくなった。この「あじさい」が福井市の花である。地域ブランドが云々されるようになったが、「あじさい」はまだ人々の人口に膾炙するところに到っていない。というよりも忘れ去られているようだ。こんな美しい「紫陽花」「あじさい」「アジサイ」を持ちながら、忘れ去られているのは、誠に勿体ない。地域ブランドとしてもっともっと活用していきたいものである。
北鎌倉に数年住んだことがある。あじさい寺として有名な「明月院」のあるところである。北鎌倉駅の細長いプラットホームに降りたった人々の群は、ラッシュアワーの新宿駅のようで、殆ど身動きが出来ない。少しずつ前へ前へと動いていく。改札を人波に押されて出たところが長谷寺の門前である。そのまま人の流れは明月院を目指して前へ動いていく。しばらくするとあじさい寺、明月院へ導かれていく。人の波、傘の波の間から「あじさい」を観察する。これが梅雨どきの北鎌倉風景である。明月院以外でも、鎌倉にはあじさい名所はいろいろあるが、東京から横須賀線で約1時間の距離である。不思議な人気が何十年も続き、毎年繰り返されている。お客は中高年の女性客が圧倒的に多い。
この「あじさい」を福井で何十年も植え続けている人がいる。植える場所は年々変わるけれど、毎年続けていくのは大変なことである。はじめてからもう何十年にもなる。主として足羽山や足羽川原が多い。また足羽山周辺の古寺の庭や墓地のあちこちにも植えられている。明月院のあじさいと比較しても、この足羽山周辺のあじさいロードは全く遜色がない。いや明月院の数倍すばらしく、魅力的である。私はあじさいを植え続けている男「前波亨哉」さんといつも「あじさいロード」の建設やあじさいブランドの確立の夢を共に語りあっている。いつの日か作るのだと・・・。

三方よし

平成22年1月13日
三方よし

近江商人の基本のあきない哲学に「三方よし」がある。「売り手よし、買い手よし、
世間よし」という。近江商人は「近江(滋賀県)に本宅を持ち、各地への行商で信用を得て、江戸や大阪、京に出店を出した商人である。江戸、大阪、京以外にも、全国各地に進出し、その地に土着した近江商人も数多い。
なぜ近江商人が、それ程までに広範囲なところで、信用を得たのであろうか。それはこの「三方よし」の精神に原因がある。行商人は「旅の恥はかき捨て」ということで、自己の利益を優先し、相手のことを考えず、暴利を貪ったり、粗悪品を売りつけたりする者が多かった。近江商人はそのようなことを厳に戒めている。買い手即ちお客様にとっても、世間の人々即ち地域社会にとっても最もよいことは何かを常に考え、自分の利益との正しい配分を考えるのである。
私は創業以来、この考えを会社の基本精神である「社是」とした。そして「三方」だけでなく、社員や下請さん、仕入先、お客様の先にいる最終ユーザー、また産官学連携の人々、資金を出していただいている株主様や金融機関の方々と、私達を支えて下さる方々は数多いことに気付かされる。そこで「三方」を「十方」に置きかえて、「十方よし」の精神という表現とした。
最近のデフレ傾向の激しさはこの「十方よし」の精神とは程遠いものである。買い手の意向だけにとらわれて、価格競争に巻き込まれ、本来の売り手や世間の思惑を完全に無視してしまっている。しかも「買い手」に迎合しているのは、価格面だけが強調されている。本当にその商品、その価格が「買い手」のためになっているのかの検証が忘れられている。2枚、3枚まとめ買いを強要する商法は「物不足」の時代なら許されるが、現在のような「物余り」「資源不足」「環境重視」の時代では、許すことができない。邪道と言ったほうがよい。現代のあるべき売り手の姿は、価格破壊の方向ではなく、真に必要なもの、よい品質のものを、買い手の要求に合わせて適正価格で提供することが求められる。それが正しい商人道である。
デフレ経済の先は、破滅しか残されない。デフレスパイラルに陥らないためにも、近江商人の「三方よし」、私の主義である「十方よし」を今こそ声を大にして主張したい。消費者に迎合するだけでは、真の商人にはなれない。低価格から生まれる付加価値は小さい。その為量販に走ってしまう。それが資源の無駄づかいになっていく。その道は地獄への道である。その道は通ってはならない悪の道である。日本を代表する大企業の経営者が地獄道、悪の道をひた走っているのは見るに忍びない。あえて苦言を呈したい。
これからの日本で必要なものは、買い手の1人1人にとって大切な商品である。良いもの恩师を少量ずつ提供し、それによってみんなが満足できる付加価値を生み出す商品である。それは何かを真剣に考え、実行していくのが「三方よし、十方よし」の精神である。

なぜ上らない日本の株価

平成22年1月12日
なぜ上らない日本の株価

昨年の世界の株価の上昇率は、世界平均で約26%となったそうである。10年前のITバブル928%上昇以来の高い伸長率である。ところが日本は、主要20市場の最低レベルに止まっている。
一昨年はサブプライムローン、リーマンショックの影響で、世界平均で約40%ダウンとなったので、世界全体では3年前の水準にはまだ戻っていない。特に日経平均は昨年比18%上昇に止まっている。日、米、欧の主要市場の回復が遅れているのである。
日本の日経平均が低水準に止まっているのは、なぜであろうか。まず急速に進んだ円高に原因がある。そして新政権への移行のための空白期間を嫌ったり、新政権の経済政策の不透明感によるところが大きい。また大企業の資本増強、大型増資により、株式価値の希薄化を嫌気したことも影響している。全体的には雇用不安の拡大によって、株式投資にブレーキがかかったことも大きかったように思われる。
昨年は各国による協調政策が強力に打ち出されてきたので、年末にかけて大きく値を戻す市場も多くなってきた。経済の影響力の範囲が日米やヨーロッパの域内貿易中心から、アジア、インド、ブラジル等へ変質しつつあることを忘れてはならない。2010年はアジアの年となりそうである。
中国の上海・香港・インドやロシアの株式市場は、既に今回の値戻しの先端を走っている。これからもこの傾向は続くであろう。世界的な経済危機対策がほぼ同時に実施されたことによって、効果が鮮明になってきた。自動車や家電販売の落込みをカバーする補助金制度が各国で採用され、期待どおりの効果が現れた。
財政出動は金融緩和を生み、過剰流動性を心配する声もアメリカではあるようであるが、日本では金融の迫感は相変わらず強い。このことも日経平均が低い水準に止まっている一原因かもしれない。この点は今年の株式市場を占うポイントでもある。
株式市場の動向が国民経済に与える心理的影響が非常に大きいことを認識する必要がある。
昨年末のクリスマス商戦が盛り上がらなかったのは、消費者心理の冷え込みが最大の原因である。消費者は常に懐疑的である。

健康長寿世界一

平成22年1月8日
健康長寿世界一

秦の始皇帝が、方士の徐福に命じて、東方の蓬莱国日本にあるという不老長寿の薬草を捜させたという伝説がある。そして二度の失敗をも許し、三度目もまた自ら海岸まで見送りに同行したという。その徐福伝説は、朝鮮半島、そして日本の各地に数え切れない程の足跡を現代にまで伝えている。
徐福は、数多くの大船団と、童児男女数千人と、工人達と、莫大な財宝を積み込んで出帆している。おそらくどこへ到着しても大歓迎を受けたであろう。その頃の朝鮮も日本も、武力はもちろん文化や技術、宗教など殆どの面で、徐福船団のレベルに遠く及ばなかったであろう。秦が大陸の統一を成し遂げ、周辺の富や財宝をすべて集め、栄耀栄華を誇ったその頂点での遠征である。
その後徐福が帰国したという史実はない。日本のどこかで、その一族達は、手に入れた不老長寿の薬草と共に、今日まで生き続けているのであろう。「方士」とは呪術や天文に通じ、王に代って天と通話し、天の意向を伝える特殊な職業であった。後世の仏教の僧や、日本の神官や巫女に近いものと思われる。
秦の時代に、日本は不老長寿の国と思われていたのである。そして現在も、世界一の長寿国である。当時の人々にとって、長寿国とは、夢の楽園である。天国である。今、私達はその天国に住んでいる。夢の楽園に住んでいる。こんな幸福なことはないはずである。 しかし「私は幸福だ」と思っている日本人が、どれ程いるのであろうか。世界中の人々が あこがれている「健康長寿世界一」を達成し続けている日本人は、幸福の絶頂にいるはずである。ところがその実感がない。その幸福感がない。その達成感がない。何故であろうか。何かが間違っている。それは一体何であろうか。

宣伝べたは福井県民性

平成22年1月7日
宣伝べたは福井県民性

福井県ほど、数多くの魅力のあるところは少ない。福井といえば、永平寺と東尋坊が有名であるが、それに優るとも劣らない名所旧跡が多い。そして私が推奨する越前若狭の魅力の数々がある。一番の魅力は人情の豊かさ、こまやかさである。どこへ行っても、親身になって面倒を見てくれる。ドライブをしていても安心である。カーナビが目的地へ案内してくれる時代になったが、いざ目的地周辺に来ると「目的地周辺に来ました」と案内を放棄してしまう。ご近所の人に詳しく聞かなければならない時がしばしばある。そんな時でも親切に、丁寧に教えてくれる。誠に有難いことである。また新年会シーズンであるが、福井では自治会という名の町内会活動が活発で、ご近所同士が「親戚以上のお付き合いを続けている。都会では考えられないことである。「ご近所の底力」をまざまざと見せつけられる美風といえよう。
地域ブランドが普及し出している。地産地消の名の下に「宮崎の地鳥」は東国原知事のお蔭ですっかり定着した。福井では「永平寺のごま豆腐」をはじめ「大野の上庄いも」「越前ガニ」「若狭ガレイ」など枚挙にいとまがない程、多くの名産品がある。
お寺も国宝級の寺院が県内各地にある。禅宗寺院と浄土真宗の寺院が最も多いが、道元や蓮如が、都塵を避けて福井を布教の元としたことによる。それより以前の泰澄大師建立の十一面観音などの仏像を本尊とする泰澄ゆかりの観音信仰も多い。
白山信仰の祖、泰澄大師は、白山神社、平泉寺を建立。今なお隠れた人気が続いている。泰澄は、自ら十一面観音像を彫り、全国各地に尊像が多く残されている、謎の多い傑僧である。福井で生まれ、福井で没している。その足跡は、京周辺に数多い。特に福井県内には数十ヶ所の伝説を伝える寺や滝、仏像がある。檀家の人々が各種行事を相つとめて守り育ててきているのである。
神社も多い。古来の神道と共に、渡来系の人々の作った神社も日本海沿岸に数多く存在する。神功皇后の三韓征伐につながる伝説の敦賀気比神宮がある。越前和紙伝説の祖、川上御前ゆかりの大滝神社は継体天皇伝説とも関係が深い。お宮の数も、村の鎮守を併せると、全国トップクラスとなる。そして地域社会の人々に守られて、連綿と続いてきている。田楽を今に伝える神楽舞も多い。神社を中心に残っている「太鼓」は最近特に人気が上り、「太鼓」の競演が盛んになってきている。子供達にも人気が高く、「全国太鼓競演会」が開催される機運があるほどである。
魅力は数えても、数えてもいくらでも出てくる。そんな魅力一杯の福井県であるが、宣伝がへたである。「永平寺」や「東尋坊」を知っている人が多いが、「福井県は知らない」という。「行ったことがない」という。しかし「永平寺は行った」「東尋坊は見た」という。福井の印象が薄いのである。同じ日本海側の「鳥取砂丘」は鳥取県にあるので誰でも知っている。県の名がついている。鳥取砂丘に匹敵する福井三国にまたがる大砂丘があるが、「福井砂丘」とは言わない。名のない砂丘である。
どうしたら「福井」を全国に発信できるのかを考えているが、なかなかよい考えが浮かばない。キーワード「恐竜大国」「越前そば」「継体天皇」「信仰のまち」「禅の世界道場」「泰澄大師」「日本海叙情」「越の国三十三番札所めぐり」「御食国の若狭」「羽二重の里」「めがね産地」「日本六大古窯」「越前和紙」などなど多い。これをつなぎ合わせる名案はないものか。思案投首の日々である。まず「隈よりはじめよ」の例えの通り、一つずつ着手していく方法を捜している。今年は、四国のお遍路さんを生んだ空海より古いと思われる、「越の国三十三番札所めぐり」に、スポットライトを当ててみようと思う。

美術館の写真撮影

22年1月6日
美術館の写真撮影
世界を歩いている時、まず私は美術館や博物館を訪れる。その国を理解するのに最適であるからである。ニューヨークのメトロポリタン美術館や、パリのルーブル美術館、オルセー美術館、ロンドンの大英博物館、ワシントンのスミソニアン博物館と世界中の美術館や博物館を見て歩いた。
どこへ行っても写真撮影が認められている。美術館では名作の前で模写している人もいる。見物客が談笑していることも多い。収蔵品をみんなで共有し、楽しむ雰囲気が旺盛である。自由が感じられる。
日本の場合と比較してみると観賞の仕方に大差がある。まず「写真撮影」は絶対にダメである。その理由を聞かせてほしい。ある経験をした。自殺した画友の大回顧展が京都で開かれたので、生前の姿を偲びながら大作に見入っていた。その時遠くに住む後輩が会場に来ていて声をかけられた。お互いに亡き友を讃え合っていた。その時美術館の人間が走り寄ってきて声が大きすぎると注意するのである。私は日本人の文化度の低さと、ルールの異常さに腹立たしい思いを禁じ得なかった。
日本の美術館や博物館の建物は立派である。収蔵品も世界一流である。しかし声が響き過ぎる弊害は、日本の殆どの美術館、博物館が持つ欠陥である。直ちに全国的に見直すべき欠陥である。そして写真撮影の禁止もやめるべきである。開かれた美術館、博物館をつくっていくにはどうしたらよいのかを、根本に立ち返って考え直していただきたい。公共の場所である美術館や博物館は、人々が談笑し、自由に、愉快に楽しむ空間であるべきである。そんな楽しい場所が増えることを期待している。

発受電電力量16ヶ月連続マイナス

平成21年1月5日  
発受電電力量16ヶ月連続マイナス
電気事業連合会の発表によれば、電力量は16ヶ月連続マイナスが続いているという。10月はマイナス5.0%の前年同月比に対して、11月は2.8%(前年同月比)のマイナスとなった。16ヶ月連続というと昨年8月以来マイナスが続いていることになる。電力消費量は景気の一致指数である。昨年8月以来景気は落込み、最悪といわれる程の低空飛行が続いているのである。
政府、日銀の金融政策が次々と打ち出され、財政出動による景気対策が打たれているにもかかわらず、16ヶ月連続での前年比マイナスとは「厳しい」の一言に尽きる。
私達も自社流の経済動向分析を続けながら、景気の先行きに注目しているが、社会全体を覆っている不安感が重くのしかかり、明るさの見えない状態である。
地方経済の現況も悪い。地元商店街、郊外型スーパーマーケット、地方百貨店の売上や客単価の低下は、デフレ到来を実感させるものがある。対前年比(昨年11月はリーマンショックの影響大のはず)でプラスのところは殆どない。
コインパーキングを経営しているお客様から質問されることがある。「どんな業種が景気がよいのか」「どの会社が業績がよいのか」などである。業種、業態でよいとか悪いとかの時代でなく、今は企業努力によって大きな差が出るのである。衣料小売は最悪といわれていたが、ユニクロは衣料小売の雄であり、業績は抜きん出てよい。円高によって輸出業界が業績の下方修正を行ったところが多いが、これまた上方修正の企業もある。
中国と関わりを持っている企業が、全体がよくない中で、業績を維持しているのが散見される。福井では新型電池の陽極材料の田中化学研究所が好調である。電気自動車、ハイブリッドカーの急速な販売増に対応する電池需要の急増がその背景にある。エコカー制度やエコポイント制度によるプラス効果も大きく、それによって恩恵を受けるところが広がっている。しかし制度の終了後についての需要動向には各社とも慎重な見方をしている。やはり今年も、出だしは慎重に、経営にあたっていかなければならない。


一期一会

平成22年1月4日
一期一会

2010年の新春を、元気に迎えられたことにまず感謝したい。今年はどんな年になるのであろうか。環境は厳しさを増しているが、今年、私に出来ることは何であろうか。生涯現役をモットーに、1959年以来仕事をして既に50年が経過した。過去を振り返る余裕はないが、今までに仕事で出合った方々には唯々感謝あるのみである。仕事を通しての出会いが、私の人生を作り上げてくれたからである。
一期一会の気持で、出会いを大切にすることを、常に心がけてきた。人生模様は、人と人とで作り上げていくものである。人と人の触れあいの中から、それぞれの人生が生まれてくる。今年はどんな新しい出会いが待っているのだろうか。それを思うと期待に胸が膨らむ。ワクワク、ドキドキ、感動の出会いであってほしいものである。
昨年は思いがけない大事件が起きた。世界一の大企業、超優良企業のトップに長い間君臨していたGWの倒産。そしてもう一つはエコカー(ハイブリッドカー)の大躍進であった。世界の変化の激しさ、早さを嫌という程実感させられた大事件である。
2010年度の国家予算は、史上最高、最大であるが、国債依存の赤字財政が続く。これをマイナスと見るか、プラス思考でチャンスととらえるか、人によってその対応は大きく変ってくる。私はこれをチャンスととらえたい。史上最高、最大の国家予算は、大きな官需をもたらすのは間違いない。その官需を私達がどう活用し、自分の仕事に結びつけていくかが大切なところである。幸いにも贈与税の無税枠の倍増、住宅ローン補助1%、エコポイント対象商品の拡大など、住宅投資促進の景気対策が次々と打ち出されてきた。冷え切った投資意欲が、今年は少しよくなりそうである。古い住宅、狭い住宅、地震に弱い住宅から、新しいマンションへの需要の流れを期待したい。
人生の喜びや満足は、一期一会によるすばらしい人との出会いにある。そしてまたすばらしい住いとの新しい出会いによって、毎日がより楽しく、より心豊かな、より安全なものとなるのである。
今年を「感動の年」とするため、夢への挑戦を続けていきたい。