同志社大学おのが会

平成22年2月17日
同志社大学おのが会

同志社に「おのが会」という名の会がある。故小野高治教授のゼミナールの卒業生の会で、56年間続いている。会の名称が「おのが会」になったのは私が卒業した後の1960年代のことと記憶しているが、年代を問わず機会あるごとに、小野先生と奥さんの鈴子様をお招きして、会合を重ねてきた。先生は昭和18年同志社へ入学、兵役等を経て昭和23年経済学部を卒業と同時に、助手として母校に残られ、昭和28年助教授、昭和34年教授、学校法人理事、評議員、名誉教授として私達の指導育成に尽力を賜った。ゼミは昭和28年卒の第1回生を皮切りに、昭和64年(平成元年)の卒業生まで、全37クラス、1,000名に達する「おのが会」の会員の活躍は、誠に目覚しいものがある。
去る昨年末の12月23日、天に召されて85年の生涯を終えられ、2月14日京都にて偲ぶ会が催され、先生との最後の別れに涙した一日となった。全国から150名余の会員参加と、数多くの会員の芳志を集め、小野家の鈴子令室、恵子令嬢、慎一郎令息のご参加をいただき、しめやかな中にも和気藹々の偲ぶ会となった。恵子令嬢は夫君と共に東京から、慎一郎君は任地フィリッピンのマニラからの参加となった。
小野先生の残された業績の中で、私達が最も強く印象づけられていることは、「師弟愛」である。ゼミの学生一人一人に格別の愛情を傾けていただいた。先生の神を信じ、同志社を愛し、教会を大切に思う心は疑うべくもないが、それ以上に私達学生を愛し、その行末を心配して下さったことは、忘れられない思い出となっている。その尊いお姿は、校祖新島襄先生にあまりによく似ていることに今更のごとく驚いている。
在校中に絵を描くことに熱中し、ゼミをさぼった日に、先生が私の下宿を訪れられ、何も言わずに「碁を打とうか」言って無言の指導をいただいた事もあった。岐阜でおのが会を開いたところ、出席者が3人であったが、それなりに印象に残ったこと。先生から突然電話があり、福井へ行くといわれ、一夜歓談したこと。ミシガン大学への留学の是非を相談に行った時、すべてを天に委ねて前へ進めと諭されたこと。人生の節目に、数々の温かい配慮を賜ったことに感謝し、先生のご遺志をついて母校同志社のため、世の為、人の為に残された人生を捧げたい。28年卒の木本勝造先輩の「このまま朽ち果てたくないなあ○○君」の言葉どおり、「無為無策のままに、人生をムダに過すこと」は許されない。先生が作られた二つとない「おのが会」である。更に続けることにより「おのが会」は小野高治先生と共に永遠不滅であるといい続けたい。

投稿者: jsb 日時: 2010年02月17日 09:55

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コメント: 同志社大学おのが会

大学時代に、病気で実験ができなかった私に、
ずっとつきっきりで実験を手伝ってくれた恩師のことを思い出し心が温まりました。

ありがとうございました。

投稿者 自分を変える進化の法則@上田 | 2010年02月18日 13:29

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