2010年11月のアーカイブ

勲章

平成22年11月29日
勲章

勲章を辞引でひいてみると「国家が勲功ある人に与える記章」とある。福田一先生に親しくご指導いただいたが、晩年に勲章を授与された。福井県前知事の栗田幸雄先生は2650地区のガバナーをされており、殆ど毎月会議等で同行しているが、やはり知事退任後、勲章を授与されている。それぞれ立派な業績を残され、社会に大きく貢献されており深甚の敬意を表したい。
役人の最高位は事務次官だという。その中でも大蔵省の事務次官をトップに上げる人が多い。その元大蔵省事務次官の尾崎護さんから「由利公正」の話を聞いた。大阪在任中に暇を見て、大阪の経済史を勉強し、三岡八郎後の由利公正を知ったとのこと。そして由利公正の伝記ともいうべき名著を発行されている。坂本龍馬は商社を作り、その友人岩崎弥太郎は三菱商事の祖となった。その坂本龍馬が死ぬ数週間前に福井へ来ている。三岡八郎を新政府の要人とするべくリクルートに来たのである。このリクルートが龍馬の最終の仕事となった。その後岩倉具視が、由利公正、横井小楠、木戸孝允三名を明治政府の徴士参与として迎え入れた。龍馬の推薦であった。龍馬も横井小楠も凶刃に倒れたが、由利公正は手腕を発揮し、非力で貧弱であった明治政府の財政基盤を確立する最初の大仕事を成し遂げている。日本で最初に紙幣を発行したのは福井藩である。由利公正は太政官札を発行した。通用13年と限定している。現在の特別会計に相当する。初めて公務員給与を制定。高めに決めて汚職の発生を防いだ。「信なくば立たず」民衆の信用、政府への信頼の大切さを力説している。横井小楠や松平春嶽の思想も勘案し坂本龍馬と三岡八郎が福井で作ったという五箇条の御誓文(慶応4年3月14日)の案文は正に現在でいう新政府のマニフェストである。龍馬も横井小楠もその功績の大きさでは薩長の顕官たちを凌ぐ大勲章ものである。


観光拠点

平成22年11月26日
観光拠点
JR福井駅は観光のゲートウェーである。そして福鉄の福井駅前にエコライフプラザがあり、その一階で福井県下のすべての酒蔵から地酒の提供を受けて「九頭龍・地酒百蔵」という日本酒の小売店を開店した。福井県下のすべての酒蔵をまわって出品を依頼して歩くつもりであったが、時間の制約があり、まだ半分程の蔵元様に面会して、趣旨に賛同いただいた。後は協力者に依頼して、間接的な交渉での賛同となった。一年以内に残りの酒蔵を歩いてお願いをしたいと思っている。
オープンして日が経過すると、観光客の来店が徐々に増えてきた。3分の1位であったものが、最近では半分位になってきた。それに伴い私達の店が観光拠点化してきた。地酒談義から、観光案内の話に発展することが多い。トイレを借りに来るお客も多い。西武百貨店やプリズムの売店、そしてファーレとの連携プレーが大切であり、観光客によい印象を持っていただくことが大事である。
店の壁面に1.8m×3.6mの福井県の地図をかいたディスプレーを作った。そこに37社の地酒蔵の所在がわかるようにスポットしてある。お客様は「永平寺はどこだ」「あわら温泉は」といろいろ質問をされる。それに懇切丁寧に答えるのが、私達の勤めと思い、喜んで説明させてもらっている。裏千家の千玄室さんから「常におもてなしの心を持て」と教えられている。観光客の客単価は地元のお客様のほぼ倍額であり、採算的には決して悪いことはない。逆に福井を好きになっていただくよい機会と考えて、社員には躾教育としておもてなしの心を大切にするよう心がけている。


平成22年11月25日

私の父は養子であった。曽祖父の太右衛門も養子であった。祖父の栄治郎は私の誕生を大層喜んだという。高校へ入学するまで、私は祖父と共に奥座敷に枕を並べて就寝した。父は最初ナンバー銀行行員であったが、祖父や母の意向で軍需産業である地元企業へ転職しそのまま60歳過ぎまで勤務していた。その企業の販売を、親戚筋が一手に引受けていたので、そこで再就職し、発病するまでそこにいた。私の弟が現在その会社の代表を勤めている。
父は銀行員時代に身につけた堅い性格をそのまま生涯続けた。勤務先から帰宅すると、すぐ着物に着替えてリラックスし、寝るのも和服を通した。外での洋服姿と、家での着物姿を完全に切り分けて習慣としていた。
日本酒とタバコをこよなく愛し、死因はタバコの喫いすぎの肺気腫であった。享年75歳。人に好かれるタチで陽気な酒だった。正月には時には家に芸妓を呼んで、親戚の若い連中を集めて歌合戦をやった。毎年必ず私の友人達や、妹の友人達も集められ賑やかな正月を迎えていた。師走になると友人が「来年も正月二日は空けてあるよ」と言ってくれた程である。
陽気な父と気配り満点の母による歓待の宴は、今でも語り草となっている。その長浜の生家は現在無住で、思い出す度に心が傷む。余裕が出来たら大掃除をし、大修理をして、昔の思い出を取り戻したいと念じているが、いつのことやら、自分のことはなかなか手がつけられないものである。
父の名は俊造といったが、野坂家へ養子に入った時、幸司と改名した。戸籍上は俊造のままであった。父の陽気を孫に引き継いでもらいたいと、孫の名を「幸司」とつけた。私が父からもらったものも陽気と日本酒好きそして歌である。私の会社のスローガンは「喜びの種、幸せの種を蒔こう」である。幸を司る意味だ。九頭龍・地酒百蔵という「地酒のバンク」を福井のえきまえにオープンしたのも、亡き父の影響かもしれない。とにかく人に好かれる父であった。

そしてリーマンショックが来た

平成22年11月24日
そしてリーマンショックが来た

今から2年余り前のことである。サンケイ新聞7月15日号にアメリカ政府は、サブプラムローン問題で、政府系住宅金融公社のファニーメイとフレディマックに対する緊急支援声明発表のニュースが報じられた。そして7月19日毎日新聞に、アメリカ政府系住宅金融公社発行の債券を3月末日時点換算で、農林中金の5.5兆円を筆頭に日本の金融機関は約15兆円保有と発表。その後の発表によれば農林中金5.5兆円、三菱UFJフィナンシャルグループ3.3兆円、日本生命2兆円、みずほグループ1.2兆円そして総額で23兆円もの損失をこうむったようである。
これが経済界に与えたショックは大きかった。日本は無傷といわれながらの巨大損失である。勿論アメリカの痛手はその数十倍、中国ですら40兆円の損失を受けたとの報道であった。
そしてリーマンショックが来た。アメリカの投資銀行が軒並みにドミノ倒しに崩壊していったのである。住宅ローン、自動車ローンをはじめとして消費者ローンもクレジットクランチとなっていった。ビッグスリーとして世界に君臨したGMをはじめ、トヨタでさえ赤字転落となり、世界中の巨大企業のトップは顔面蒼白となったのである。株価急落が始まると同時に突然に急激な在庫調整がおき、世界中で生産が縮小、失業者があふれ出したのである。雇用不安はいまだに静まらず、ヨーロッパ諸国のデフォルトの噂が続いている。
あれから2年が経過しているが、年末にかけてのクランチを言う評論家がいる程だ。油断はできない。世界恐慌からちょうど80年程経過したのが現在である。80年サイクル説には注意し、あらゆる可能性を調べて万全の準備をしておきたいと考えている。


目先の利益を捨てる

平成22年11月22日
目先の利益を捨てる

適正マージンとは何だろうか。商品やサービスの提供時に価格決定がされる。その時マージンが決まる。そのマージンが適正かどうか、その判断によってそのビジネスの成長に大きな差が出来てしまう。適正マージンを決めること、引いては価格決定はマーケティングの重要ポイントである。
私は新規の事業やサービス提供をする際に、進出するかどうか、採用するかどうかを決定する必要条件の1つに、この「価格決定権」があるかどうかを上げている。この権利を持てる商品、サービスかどうかにこだわるのだ。そして価格を決定し、マージンを決める時に、この目先の利益にこだわり過ぎて失敗したことが多かった苦い経験があるからだ。「目先の利益」にこだわって価格を上げすぎることは、新商品、新サービスの普及にブレーキをかけてしまう。目先の利益にこだわりすぎては新しい事業は失敗する。
新しい事業だけでなく、既存のものでも同様である。「損して得とれ」は先人の教えである。目先の利益にこだわらず、長い目で見て適正マージンがとれる方法を考えることが肝要である。目先の利益を捨てることにより、数多くの新しい発見ができる。それが成長への道に続いている。目先の利益を捨てる勇気を持ちたいものだ。


変化を好む

平成22年11月19日
変化を好む

停滞は後退につながる。腐敗の温床だ。私は変えるべきか、変えざるべきかの選択の時、決定に迷いが生じた時、意見が分かれた時、変えることに同意している。変えることは勇気を必要とする。エネルギーが必要だ。常人は変えない方を選ぶ。それはその方がラクだからだ。変えることには困難が伴う。危険が多い。だから止めようという理屈である。私は反対にだからやろう、だから変えようという。
変化は自分を成長させ、組織に緊張感を与え、内部をひきしめ、団結心を生む。変化することで新しいエネルギーが沸いてくるのである。
日本は問題先送りを多く選ぶようになった。何もしないということは、後退を意味する。問題を先送りすることにより、日本の活力はどんどん削がれていくのである。
「勇気をもって可能性に挑戦しよう」という言葉が好きだ。この言葉は、豊田章一郎氏がトヨタの工販合併時に、新生トヨタの社長に就任された時のスローガンである。変化を選ぶには大きな勇気が必要だ。その勇気が原動力となり変化を生み、挑戦を生み、新しい世界を創り出してくれる。変化こそ何よりの宝である。変化を好む心意気を常に持ちつつ、小さなことから着実に実行しようではないか。さあはじめよう。


仮のニーズ

平成22年11月18日
仮のニーズ

市場万能主義のアメリカでは、市場が求めるニーズを把握し、そのニーズを供給することが、経済原則になっている。その為に市場調査が異常なほどに発達し、真のニーズの追求が急である。
日本では生産者の原理が強く働くケースが多く、よいものを作れば売れるはずだと考える経営者が多い。よいものを作るという時に大切なことは「よい商品は、顧客にとってよい商品かどうか」という視点を持つことである。作る側の視点でなく、買う側の視点で見てよいものでなければならない。
「ニーズ」は顧客が買って初めてニーズになる。「買うはずだ、買われるはずだ」という商品は仮のニーズである。真のニーズを作り出す為に、マーケットリサーチがあり、マーチャンダイジングがあり、セールスプロモーションがある。しかし最も大切なものは「セールス」そのものの質であり、量である。
セールスは営業マンの資質だけでなく、企業のイメージ、商品のある環境など、営業マンをとりまくあらゆるものごとに影響される。お客様の仮のニーズを真のニーズに転換できるかどうかは「セールス」にかかっている。このセールスの質量を高めて、真のニーズの実現は売上が出来代金決済が終了できることが必要である。真のニーズは、売上入金した時にはじめて現実のものとなる。「お客様がほしがっている」とか「その商品はあるか」と言っている内はそれは仮のニーズである。真のニーズではない。購入していただいて初めて真のニーズとなるのである。市場分析で判るニーズは当然仮のニーズに過ぎない。それを信じ過ぎる事は大変危険である。時代の先を見る目も大切であるが、実証的な営業思想を堅持していくこともより大切なことである。

九頭龍・地酒百蔵」のお客様

平成22年11月17日
九頭龍・地酒百蔵」のお客様
10月22日にオープンして、早や1ヶ月が経とうとしている。この1ヶ月間出来るだけ、店頭に立って、福井県の地酒をPRしようと努力している。観光客が半分程度来てほしいと思っていたが、まだそこまではいっていない。京阪神が中心だが、東京も多い。酒蔵ツアーに東京からの観光客が飛び入りの申込をして参加してくれた。若い美女でスタッフのテンションも上がった。
店頭に立つとお客様の意向がよくわかる。地酒へのこだわり、愛着は予想より大きく、安心だ。それを口に出して人々に伝えていただきたいと切にお願いしているが、福井人は恥かしがり屋さんが多く、無口の人が多いように思う。もう少し地酒のすばらしさを大きな声で主張してほしいものだ。
観光客のための街歩きマップや関電さん制作の「越前・若狭」の美しい小冊子を用意しているが、県民のお客様にも好評で、いくら用意してもすぐなくなってしまう。人気のある銘柄のお酒と同じである。銘柄指名でこられるお客も時々あるが、超吟、石田屋、白岳仙、早瀬浦などはまだ入ってきていない。
私達の目的は、福井県は米どころ、酒どころであり、地産地消のかけ声だけでなく、このすばらしい地酒という、世界に誇れる宝を世に出す活動を開始すべきだとの熱い思いでの開店である。どのお酒がおいしいか、どの酒がよいのかはお客様に決めていただきたいと考えている。毎月ベストセラーを発表するつもりであるが、それはお客様が選んだベストテンであることを事前に伝えておきたいと思っている。しかしご来店のお客様の半分近くの方が「どのお酒がおすすめなの」と聞かれる。その質問には誠に困ってしまい、お客様の声をお伝えすることにしている。
私の経験では福井の地酒はどの銘柄を選んでも遜色はない。淡麗好みか芳醇好みか、新酒か古酒か、試飲していただいて決めている。
地酒は健康によい。健康長寿の妙薬であることを忘れている人が多いのは困ったことである。

秋の酒蔵めぐりツアー

平成22年11月15日
秋の酒蔵めぐりツアー

福井県の奥越の酒蔵4つをまわるツアーを企画し、先日28名の方々の参加をいただき開催した。観光バスのツアーである。秋晴れの福井駅東口に集い、9時過ぎに出発。永平寺町の白龍へ。吉田蔵元の暖かい出迎えを受け、ビデオ班と蔵見学の2班に分かれて約1時間余りの見学研修となった。全員が日本酒造りの大変さに驚き、伝統の技の継承、地域との濃密な関係へのこだわりに深く感動した。私は以前より白龍大吟醸生貯の愛飲家で、その清爽な味に魅せられて久しいので再度感激。ホームページの充実ぶりは県下でも指折り。ぜひ見習いたい。皆さん試飲の後、好みの小瓶を購入。次は勝山の一本義へ、さすが県下一の大きな酒蔵だけに規模に驚く。工場のようだという参加者の声あり、当然工場なのである。一同試飲の時、大吟醸の一朋に殺到。一升瓶がたちまち空になる。おいしいの連呼あり。全員がおみやげに大吟醸ワンカップを頂戴し大感激。
 秋の紅葉を楽しみつつ、バスは最終目的地大野へ。昼食に「梅林」へ入る。ここでは予約の特別料理を食べる。白龍さんよりの差入れの地酒で乾杯。日本料理にふさわしいのは、やっぱり日本酒だと皆さん大いに盛り上がった。そして梅林の親方の見送りを受けて七間の花垣へ。蔵の横にバス到着。福井県酒造組合理事長をつとめる南部さんの蔵である。旧酒蔵の二階で説明を聞く班と蔵見学の班に分かれる。一本義さんと同じように、この蔵も温度管理が厳しく、酒蔵は寒い。試飲の花垣の古酒がおいしい。5年もの、10年ものに舌つづみを打つ。ぐい呑みとやわらぎ水をみやげに頂き、次の源平酒造へ。久保蔵元ご夫妻のお迎えを受けて早速見学会と試飲会を。奥さま手作りの大野里芋の煮ころがしを堪能。大きなお鉢に山盛りの里芋をペロリといただき、おみやげにまた頂戴した。大吟醸の香り高い味わいに感激。さすがに4軒目とあって皆さん多少お疲れの様子。源平酒蔵の立派な工場の前で蔵元ご夫妻の見送りに感謝しつつ、帰路についた。バスの中で1人ずつ感想を述べていただいたが、新しい発見、よい体験が出来たとの言葉についつい感激。福井県の地酒の更なる発展のため微力を尽くしたい。県内37蔵すべてを1軒ずつまわるツアーを3年ごしに続けたい。これがその第一歩となった。

五百万石大名会

平成22年11月10日
五百万石大名会

金沢は加賀百万石という。福井は徳川幕府の二男、結城秀康が入城し、福井藩68万石を領した。尾張、紀州、水戸のご三家よりも高い格式の家柄として、松平家筆頭に上げられ、参勤交代免除、江戸での上屋敷は江戸城二の丸であった。正に別格の扱いを受けていた。
福井でとれる酒造好適米の五百万石は、北陸地区では最高の評価を受けている。そして地酒を醸し出す水は、雪や雨に恵まれた山脈から数百年もの長い年月をかけて地下に貯えられる伏流水である。福の水といわれる福井の水の恩恵を受けた米、山菜、野菜、淡水魚、そして暖流と寒流の織り成す日本海の海の幸を使った日本料理の数々を、福井県下37蔵の銘酒と共に楽しむ大名会を発足する。同好の方々をお誘い合わせて、五百万石の大々名になったつもりで参加していただきたい。
福井県の代表的な料亭、ホテル等の料理と料理長の講釈、その上地酒の蔵元が親しく膝を交えて語る酒談義を予定している。豪華な一夕を友と共に至福の時を過していただきたい。酒を楽しむ秘訣は「一席、二友、三酒」といわれてきた。酒を心から楽しむには席、即ち場所が大切であり、次に共に酒を楽しむ友が大切であり、三番目に酒を選ばねばならないと教えられてきた。その三つを用意しての会合である。同好の士の集いとなることを願っている。詳細はHP又はエコライフプラザ1階の九頭龍・地酒百蔵へ問い合わせていただきたい。

広域連合

平成22年11月8日
広域連合

道州制の議論が始まる中で、関西広域連合が10月27日大阪府議会を通り、参加の7府県すべての議決が出揃った。総務相の設立許可を受けて、年内発足の予定とのこと。この広域連合は地方自治法で決められた「特別地方公共団体の広域連合」である。広域連合の中に、広域連合長、広域連合委員会、広域連合委員会などで構成される。今回の関西広域連合は大阪、京都、兵庫、滋賀、和歌山、鳥取、徳島の7府県であり、福井、三重はオブザバーとして加わる。奈良は「必要性を感じない」として参加せず。また政令市の大阪、堺、京都、神戸の4市もオブザーバーとして参加する。目的は国の出先機関の廃止にともなう、業務の受け皿となることを目指すとしているが、道州制への移行のステップになることへの警戒感は強く、先行きに明確なイメージも描ききれていないようにも感じられる。
江戸時代の藩幕体制から考えると現在の都道府県の制度はかなり整備されてきており、地方の人口減少、老齢化の進展を食い止めて、東京一極集中の弊害を防止することはそんなに難しいことではない。地方への権限移譲、資金配分を更に進めていくと、おのずから解決していくのは間違いない。世界には500万人以下の国が多数あり、それぞれ立派に運営されている。地方の独立を促す為の知恵を出してほしいと念じている。
滋賀県の知事が、中部広域連合が出来たら、そちらへも参加したいと発言していたのが、印象に残った。東京一極集中と官僚主導の日本を変えるのは地方連合である。継体天皇の大和入りや、明治維新の時と同様に、福井県が起爆剤、震源地の役割を果す可能性を期待している。


新車販売激減のショック

平成22年11月5日
新車販売激減のショック

新車販売に対する国の補助金が、9月中に底をつき、9月中旬から支給されないこととなった。そのため購買意欲が極端に落ち込み、10月新車販売は歴史的なマイナスを記録した。除軽登録台数は前年同月比70.9%となった。軽自動車は補助金が少なかったせいもあり、節約ムードの中、前年同月比77.2%となった。(北陸3県)
自動車産業のすそ野は広い。新車販売の急ブレーキは景気全体に大きな悪影響を及ぼすものと覚悟しなければならない。新車の受注は8月下旬から悪化し出していた。9月は受注残の消化が大半となり、10月は受注残もほぼ底をついた状態である。
福井県の除軽市場は更に悪く、前年同月比61.6%に終った。この厳しい傾向は、来年春ぐらいまで続くだろうとの見方が多い。景気対策が次々と打たれて、それなりの効果を生んでいるが、対策の終了と同時に、また元の黙阿弥では困ったものである。効果が少なくとも数年先まで継続することが望まれる。持続的な経済波及効果を上げてくれるのは、インフラ投資であり、設備投資である。新しい産業創造の為の投資が行われることを祈りたい。

敵をつくるな

平成22年11月2日
敵をつくるな

生きているということは、「敵をつくる」機会が多くなる。真剣に生きて、真剣に仕事をすると、敵が出来る。敵が出来てしまうとこの敵に勝たなければ、自分が負けてしまう。殺されてしまう。そこで争いが起きる。
敵をつくらないという生き方が出来ないだろうか。私は自分の人生の中で、このことを考え続けてきた。幸い近江商人研究をしている数々の先達、友人の方々から「三方よし」の近江商人の哲学を教えられた。またインド革命の父、ガンジーからは無抵抗主義の偉大さを学んだ。法然、親鸞の浄土宗の大先達からは、迫害の中で真理を見出し、それを身をもって示したその人生から多くのことを教えられた。そして「敵を作らない」という至難の技が、心の持ちようで可能であることを知ったのである。知らされたのである。
その秘訣は「敵を作らない」のでなく、「味方を増やす」ことに気持ちを切り替えるのである。私は常に自分に言い聞かせている。「敵を作るな、味方をふやせ」と。
味方を増やしていると、敵と思えた人も、気がつけば味方に変わっている。いや本当は最初から敵などいない。自分が勝手に敵と決め付けていただけなのである。だから敵を意識せず、常に味方を増やす為に最大の努力をするのである。このビジネスの手法を私は「十方よし」と呼んで、社員に心してこれを日々実行するように指導している。
ある時、「ブルーオーシャン戦略」という競争しないセールス戦略の講演を聞いた。「競争しないセールス」だという。私のいう「十方よし」の営業戦略と瓜二つのものであるので驚いた。しかし真理は一つ、正しいものは当然同じでなければならない。
味方を増やす方法を考えることは楽しい。なぜならそれが正しいことであるからである。


日本酒を制覇する

平成22年11月1日
日本酒を制覇する

月桂酒が日本一の日本酒のメーカーである。年産約50万石を産する。日本酒の原料は米である。うるち米の一種で、酒造好適米と呼ばれ、約100種が指定されている。日本の米の全生産量の1%であるが、価格は国際米相場の約20倍である。山田錦や五百万石、美山錦などが有名。かつては神力が一世を風靡していた。
日本酒のもう一つの原料は水である。水は米の約50倍の量が必要である。米は他地域から輸送してもさほど苦にならないが、水の必要量は膨大で、他からの輸送は困難である。水は酒造好適水の湧き出る所、汚染のおそれのない所が絶対条件になる。伏見の酒は女酒、灘の酒は男酒といわれるが、これは両所の水質の影響である。軟度の差である。伏見の水が軟らかい。しかし灘の水も中軟水といわれ、世界的なレベルからいえば軟水に属する。日本には本当の硬水は殆どない。だから日本酒の製造に適した土地なのである。但し鉄分とマンガンを極端に嫌うので、その点注意が必要。
おいしい水の産地が日本酒製造の最適地だ。おいしい水が豊富な福井県の九頭竜川水系に、古来より銘酒蔵が多数存在し、現在まで歴史と伝統と文化を引き継いでいるのは偶然ではない。おいしい水、酒造好適水こそが、日本酒製造の母なる地なのである。
福井県は多雪、多雨の地である。地下水が豊富であると同時に米どころでもある。酒造好適米の4割を産する米の王国でもある。この日本酒づくりに恵まれた福井県が、日本酒業界において、日本一世界一になるチャンスはまことに大きい。いやそうならない方が不思議である。日本酒を制覇する夢を、ひそかに持ちながら、福井のえきまえに九頭龍・地酒百蔵という専門店を開設した。福井の地酒にとことんこだわった小売店である。地酒のファンの店となるよう余生を捧げる覚悟である。