2010年12月のアーカイブ

ニュートン時間とベルグソン時間

平成22年12月28日
ニュートン時間とベルグソン時間

あらゆるものに与えられるのは同じニュートン時間である。特に人間にとっては、金持ちも貧乏人も、老人も赤ん坊も同じ時間の中を生きている。この1日24時間をどのように過ごすのかで、個人差が出てくる。努力家は人より早く起きて働くか、人より遅くまで頑張るか、遊びや休息の時間を削って働くか、睡眠時間を削って頑張るか、そこに個人差の生まれる原因がある。二宮尊徳がマキを背に本を読みながら歩いている姿を、私は小学校の校門で毎日見ていた。しかし、このニュートン時間においては、個人差はどんなに努力しても大差は生まれない。せいぜい2倍程度に過ぎない。それに対してベルグソン時間による個人差は10倍、100倍、1,000倍、一説では10,000の可能性を秘めた概念である。新しい発想で、ニュートン時間での生き方から、ベルグソン時間での生き方に変えることによって、私達の人生の質は大きく変る。かつて偉人、聖人といわれた人々は、すべてこのベルグソン時間の中で活躍していたのである。
 では、ベルグソン時間とは何か。これはニュートン時間が物理的時間であるのに対し、質的時間と呼んだ方がよい。「火事場のバカ力」という信じられない力が出るのは、興奮状態にある人が異状な力を発揮できるからである。それは脳の中で分泌されるホルモンの力即ちアドレナリン、ノルアドレナリン、ドンパミンの内、興奮時に出るドンパミン(快楽ホルモンともいう)の力による。好きなことに夢中になっている時には、このドンパミンの分泌が多くなるとのことである。この方法を日常の生活に生かしていくとベルグソン時間での生き方を手に入れることができる。まずイメージをふくらませて、イメージの中へ入っていくのである。知的興奮状態に入ると同時にニュートン時間の束縛から逃れて、夢中になる。そして「火事場のバカ力」をわがものにすることができる。それは精神の高揚による処理能力の向上を伴う。それは可能性の肯定による、潜在能力を生かした力の発揮である。そこには数十倍、数百倍の能力が存在する。「イメージ」が大切である。絵画、音楽、図形など瞬間的に把握できるものを手がかりに、ベルグソン時間に入っていくのである。成功体験を積み重ねていくと、そのうちに自由自在にベルグソン時間への没入が可能になる。新しい人生への扉が開くのである。

あるがまま

22年12月27日(月)
あるがまま

現状を否定することはたやすい。ダメという人が多い。現状を否定するから改革ができる。ダメというから次が出てくる。この論理は間違いではないが、現実の世界ではひていが単なる否定だけで終わり、次への発展がない場合が多い。ダメダメと否定する人に限って、次の行動が伴わない。否定することで、変化を拒否しているのである。変化することから逃げ続けていけば、必ず衰退の運命となる。私達は変化し続けることで発展していけるのである。
「あるがまま」に受け入れることが大事である。否定の反対は肯定である。目の前の現実、現象、変化を肯定し、それを「あるがまま」に受け入れるのである。そしてすばやく対応対処しなければならない。
ある人は「福井の駅前はシャッター通りである。地元の人の自助努力が足りない」という。本当にそうなのか一度来てみてほしい。全国の地方都市の中心街と比較して、福井のえきまえがシャッター通りなのかどうか。私はそうは思わない。えきまえを歩く人は1役日約2万人いる。そして若者の比率が高い。老人も多いが、2割にも満ちない。観光客も多い。西部百貨店は西武そごうグループ26店舗中で、常に売上も利益もベストテンに入っている。人口僅か27万人の地方都市の百貨店がグループ内とはいえ、ベストテンに入っているのは、店長以下社員の方々の努力の賜物であると同時に、福井中心街での購買力が十分あるのである。えきまえを侮ってはならない。コンパクトシティ推進の施策が徐々に実を結びつつある。私は「あるがまま」を素直に受入れ、それをどう改善していこうかと常に考えている。利他の心に立ち返り、戦略を練り、勇気を持って挑戦していきたい。


福井の女性

平成22年12月24日
福井の女性

福井県の特長は「女性」にある。福井の女性は極だった特長を持っている。まず目鼻立ちのハッキリした美人が多い。肌がキレイであり、色白が多く、肌のツヤがよい。健康長寿で、働きものが多い。結婚するなら福井県へ来るとよい。結婚相手を捜すのなら福井の女性が一番だ。県も市も婚活に力を入れており、協力体制は整っている。
若者も老人も福井へ来て住んでみると福井のよさが一番よくわかる。その福井の特長は
住みやすさ日本一 
女性就労率日本一(社会進出)
社長輩出率日本一
救急告知病院日本一
1世帯平均人数日本一
貯蓄残高 3位    1位の東京と殆ど変らない
住居の広さ2位   1位の富山と殆ど変らない
ボランティア活動 4位  1〜3位と殆ど変らない
気候は四季がはっきりしており、季節の変化を楽しむことができる。平均気温15℃程度で、真冬でも0℃以下になることは稀である。雪や雨は降るが、地下に浸透し、伏流水となって田畑を潤し、水、米、酒、野菜、魚貝類がおいしくなり女性の肌の美しさの元になっている。JR福井駅から私の事務所(エコライフプラザ4F)まで歩いて約3分であるが、東京や名古屋、京阪神からのお客様がしばしば訪れてくる。開口一番、「女性がキレイですね」「美人が多いですね」とおっしゃる。
福井に住んでいると気付かないが、福井の女性は働き者で、美しい。働いている人がイキイキとしていて美しいのである。福井県は女性が活躍している県である。是非来て見てほしい。おみやげは福井の地酒が天下一品である。

インターネット時代

平成22年12月22日
インターネット時代

世界はインターネット時代に突入している。情報はインターネットを通じて一瞬の内に世界中に拡散していく。かつて情報をコントロールしていた通信社、新聞社、テレビ局、雑誌社はじりじりと苦境に立たされつつある。情報をめぐる覇権が奪われて、大衆化し、個人化し、20世紀とは大きな価値的変化を遂げているのだ。
日本でも2000年に政府は「IT基本戦略」を発表し、翌年「IT基本法」を制定した。そして「e‐Japan戦略」をすすめつつある。2010年には日本の全所帯に光ケーブルを敷設し、ブロードバンド化し、安価な情報通信網を完成させようというものであった。その目的は多少の遅れはあるがほぼ達成されつつある。
私の会社は1996年7月創業の時から、会社の定款に「電子商取引」をビジネスの中心に取り入れることを宣言し、創業時から営業マンに携帯用のパームコンピューター端末を持たせ、お客様の面前で本社のコンピューターと連動して、プレゼンができるような営業姿態をとってきた。現在ではパソコンになっているが、これも直ちに新型に変更せざるを得ない。モバイルについて私達はケイタイの大普及の前にPHSを全社員に持たせた戦略も、現在3,500ヵ所に設置している端末の中に、PHSボードを組みこむことスタートした。これまた業界初であった。
しかしインターネット社会となった現在では、半歩、一歩先へ出ても直ちに真似をされ、追いつかれる時代となった。ナンバーワンでなくオンリーワンの企業へ変身しるためには、独自のユニークな発想が求められると同時に、その発想を勇気を持って果敢に実行していくことが大切である。改革し続けることが大切なのである。
もう一度創業の原点に帰り、ブロードバンド時代の覇者の仲間入りを果たす為の、新しい戦略を練り直す必要がある。

日本酒を世界に

平成22年12月21日
日本酒を世界に

エコライフプラザの1階で10月22日に「九頭龍・地酒百蔵」という酒の小売店を開設した。酒販店が儲かると思ったからではない。逆に、日本酒の業界やその歴史的な変遷を調べていて、余りに私のビジネス感覚と違うことに驚いたのである。福井県下に日本酒を作っている酒蔵は37社ある。全国を見渡して、人口割でいくと新潟や広島、東北各県と比較しても、その数では決して遜色がない。そして37蔵中35蔵が100年以上の歴史を酒造を業歴を持っておられるのである。200年以上の業歴を持つ有力企業ばかり集めた協会がパリにある。日本から5社が加入しているが、その一つ月桂冠酒造(京都)があるが、福井県の200年以上の歴史を持つ酒蔵は15社もある。正に奇跡である。そしてその中で隆々と活躍中の酒蔵がある反面、家業としてすばらしい酒を造り続けている酒蔵、又需要の低迷の中で苦悩されている酒蔵もある。これ程の歴史と伝統を持つ福井県の酒造業界の中身を知るにつけ地域に密着して飲酒人口の減少の中で奮闘されている方々にスポットライトを当て、日本全国へ、或いは世界への目を向けていただくことはできないだろうかと考えたのである。
幸いスシや日本料理が世界中でブームになっている。健康長寿を願う人々は日本への興味を持ちだした。スシや日本料理と共に、日本酒を世界へ売り出すチャンスである。
福井県立大学に地域経済研究所がある。昨年の研究発表の中に福井県消防学校の和田校長の書かれた論文がある。そのテーマが、「ある小規模醸造所を中心とした福井県の清酒製造業の研究」で、福井の白龍を造っている吉田酒造を中心に取り上げてその可能性を追求したすばらしい論文である。私は先日福井県の酒造業界全体を取り上げ「日本酒の地域戦略」をテーマとして取り上げてもらうよう下谷学長と吉田理事長に懇願した。新しい展望を示唆してもらい、明るい未来を、日本酒造に取り組んでいる若い世代の後継者達に確信していただきたいからである。

日本酒のシーズン

平成22年12月20日
日本酒のシーズン

師走も半ばすぎ、いよいよお正月が近付いてきた。九頭龍・地酒百蔵ではお正月用のおいしいお酒を準備している。やはりお正月は日本酒に限る。売れ筋は少し高価な「ハレの酒」である。いつもはワインやビール、焼酎に流れていた人もお正月はやはり日本酒がよいとおっしゃる。習慣とは誠に有難いものである。
かつてお祝い事や大規模なパーティでは鏡開きと言って、壇上でこもかぶりの酒樽のフタを木槌でたたいて割り、マス酒を参加者に配って乾杯をしたものであるが、最近の乾杯は殆どがビールに変ってしまった。痛風の人以外はみなビールで乾杯の世の中である。せめて身内の会合だけでも日本酒で乾杯したいと思っているが、一度習慣がついてしまったものを元に戻すのは正に難事である。しかし「日本酒で乾杯を」と主張し続けている。
福井では新そば、新米、越前ガニのシーズンに入り、観光客が急増しているが、日本酒の仕込みシーズンでもある。新しく「搾りたて」とか「蔵囲い」「生酛」という名で、各蔵からこのシーズン冬期限定の酒が出荷されてくる。これがまたおいしい。福井は「水どころ、米どころ、酒どころ」である。新潟や広島そして伏見や灘の量にはとても及ばないが、質の高さ、おいしさでは決して負けないと自負している。今日も店を訪れてくれる観光客に日本酒のおいしさを、健康長寿の日本酒のよさをPRしていきたい。

エコライフプラザ

22年12月17日
エコライフプラザ

福井のえきまえの古ビルを購入して、早や四年目を迎えた。ある百貨店が廃業するというので、頼まれてコインパーキングにするつもりで、このビルを購入した。福井県下で最も地価の高い場所にあり、地上4階建で築50年のビルである。
ところが福井市や近所の商店街の人々から、駐車場を作られるとせっかくの商店街の真ん中に穴があくので、何とかビルを再生してくれとの要望が出た。よくよく考えてみると、自分の事業の為に、周囲の方に迷惑をかけることになりそうだ。そこで長野の善光寺通りで行ったビル再生プロジェクトと同様のやり方でやることにした。これは長野市の中心部の「リプロ表参道」というビル再生事業である。地元の北野建設とKURAという雑誌社、そして信州大学の院生等と組んで行った「まちおこし事業」を福井のえきまえでやろうと決心したのである。そのプロジェクトの中心に「フェニックス研究会」というまちおこし研究を継続して行う勉強会を開設した。それと「キッズグローブ」と呼ぶ地球の1千万分の1のサイズの地球儀を設置し、子供向の環境教育を行う施設を、多くの方々のご芳志を頂き、不足分は自社で補充して作った。大人向には「デジタル地球大学」という講座を開設した。そしてビル全体をエコロジーに関係する店舗として安い賃料で貸す「エコライフプラザ」を開設したのである。
ところが驚いたことに、入店者の殆どが店舗売りよりもインターネット上の売買の方が多いというのである。女性経営者も高齢者もパソコンをたたいて売買をしている。インターネット時代に完全に突入している現実に私は目をみはった。
今、創業したい人やNPOなどの方々に、インキュベーター施設としてエコライフプラザを安い家賃で提供しているが、その方々のビジネスから逆に教えられることが多い。

陸橋

平成22年12月16日
陸橋

JR北陸線をまたぐ陸橋が、福井市にはまだいくつか残っている。この陸橋から見る景観は、東や西を見渡す絶好のビューポイントとなっている。東には東山、吉野ヶ岳があり右方に大仏寺山左手には冠岳、浄法寺山が並ぶ。西側には正面に大芝山そして右方に国見岳、左手には金比羅山が並んでいる。不思議なことに地元の人々も山の名を正確に言えないことが多い。それほど人々の生活と里山との関係が深いということなのだろうか。陸橋の上から見る山々の景色は圧巻である。春は新緑に萌え、夏は深緑、秋は紅葉、冬は冠雪と誠に見事な変化を見せてくれる。特に陸橋の上からは、山が近く見える。東へ行っても、西へ行っても里山の山麓までは車で15分余りである。毎日山が見えると、常に自然の中にいるようで、癒し効果は抜群である。
四季の移り変わりを毎日楽しみ乍ら、それぞれの人生を送ることができるのは、福井県民の何よりの幸せである。しかしそれを自覚している人の少ないのはどうしたことか。隣の芝生はキレイに見えるが、自分の庭の芝生は粗く見え不満が募るといわれる。私の友人も金沢のよい所を羨んでばかりいる人が多い。冷静になって金沢と福井を比較してみると、そんなに遜色はないことに気付く。
そのよさの最たるものの一つが陸橋から眺める山々の輝きである。是非一度福井へ来て味わってもらいたい眺望である。但し運転中を忘れては困る。よく注意して楽しんでほしい。

有機栽培米

平成22年12月15日
有機栽培米

日本人はお米を食べなくなった。特に若い人達のお米離れが顕著である。1965年頃までは、日本人は1人当たり年間1石(2俵半)150kgのお米を食べていた。ところが現在は1人当り年間50kgぐらいしか食べていないようである。お米を常食にしている民族は健康に恵まれ、感情が安定し、穏やかな人が多いといわれている。最近のパン食やインスタント食品の常食により、すぐキレる若者が増える傾向にある。
私はJR福井駅のえきまえで九頭龍という「地酒とお米とおいしい水」を販売する店舗をオープンした。福井の特産品のトップブランドの3点セットを販売し、観光客に福井県のよさを知ってもらいたいと考えたからである。おかげさまで来店客の約半数は、県外の方である。福井のおいしいお酒やお米や水が他県の人々に認めていただける日が一日も早く来ることを願っている。
お米は有機栽培米だけを取り扱っている。今はまだ大野の、日本百名山の一つ、荒島岳のふもと、九頭竜川の上流の棚田でとれた有機JAS認定米、「味じまん」だけを取り扱っている。この棚田は昼と夜の温度差の大きい中山間地域にあり、そこでとれる「こしひかり」の新米である。一度口にするとやめられない。子供や孫にぜひ食べさせたい化学肥料を使わないお米である。日本の有機栽培米はまだ全生産量の1%程度であるが、近い将来10倍ぐらいに増えると同時に減農薬米にすべて変ることを願っている。

小からはじめよう

平成22年12月14日
小からはじめよう

すべての物事の始まりは極小である。細胞分裂もビッグバンもミクロの世界からスタートした。「小さく生んで、大きく育てよう」は育児の秘訣だと聞いたことがある。大小を論ずる議論は、過去から非常に多く残されているが、常識から考えると大は常に小に勝つはずである。ところがそれが逆なのである。小は常に大に勝っている。一体何故そんなことが起きるのか。
 福井県は人口82万人の小さな県である。道州制の議論が始まっているが、どのケースでも福井県が州都になる案がない。それは東京一極集中と同じように「大が小を呑みこむ」という考え方に基づいている。大が小に勝つ理論である。もう一度歴史を紐解いてみよう。福井県は徳川幕府の親藩であった。越前、若狭ともそうである。大野藩主土井利忠公は山間の小藩主でありながら幕末の疾風怒涛の時代に、全国に雄飛し、大野屋という藩営の出先機関37店舗を開設していった。そして西洋式帆船を購入し遠く樺太に屯田地を拝領する程の大活躍をしたのである。これ程の躍進をした大名は他にない。他の藩が政争にあけくれている間に、世界雄飛の次の時代の夢を、小藩の土井利忠公は既にわがものとされていたのである。
福井県は西川一誠知事が二期目を終ろうとしている。小さな県ではあるが「偉大な知事」を持った私達は幸せである。ネット時代の現代は、常に他府県のよい所を取り入れることが可能であるが、福井は恐竜博物館やこども歴史博物館への注力、健康長寿のふるさとづくり、原子力研究開発拠点の整備、私鉄網の第三セクター化などハード面だけに片寄らないソフトも重視した県政を展開されている。ふるさと納税はそのアイデアの最もたるものである。
県都福井市の駅西再開発が発案以来10年も経過して未だに着工ができない中で、「県都再構築」の提案が知事自ら出されてきた。有難いことである。ものごとは小より始まるという。古事に「まず隗よりはじめよ」との教えもある。小さく見えることを、精一杯の努力を傾注し新しくはじめようではないか。それが世の中を変える大きな潮流を生む源になることを信じて。

農業問題と援農隊

平成22年12月13日
農業問題と援農隊

かつて中国は穀物、石油、木材の輸出国であった。それが、アッという間に、すべて輸入国に変わってしまった。理由は13億人の消費がすすんだからである。
これからの一番の問題は、食料不足である。これは国家間の争いになることが多い。アフリカの食料不足があちこちへ広がりつつある。いずれ中国がこの影響を受ける。そしてインドも。ロシアも気候変動次第では安心できない。日本は食料を海外に依存する率が多すぎる。中国、インド、ロシアの各国は核保有国である。国家間の食料トラブルは民衆の力を暴発させる傾向がある。世界平和の為にも、世界第一位の穀物輸入国(年間2,600万トン)の日本が、徐々に輸入を減らしていく生活を選ばなければならない。
同時にまた食料自給策にもっともっと工夫が必要である。農は国の根本である。それを忘れて国家はないに等しい。経産省と農水省、経団連とJAの意見の対立は悲しい現実であるが、前向きの真剣な討議が必要である。GDPの大きさに比較すると農業生産額は小さくなってしまった。農林水産業の就労人口も比率が下がってしまった。一次産業の六次産業化への新しい政策の導入と同時に、農への回帰を考える若者を育てる必要がある。ローマはなぜ滅びたか。もう一度思い返してみてほしい。ローマ破滅の理由は、国境警備を傭兵にまかせ、市民権を持って快楽にふけり、食料を自給せず、飽食にあけくれ、食べ残しても気にせず、人間としての尊厳を忘れたことにある。2200年続いたローマ帝国(東ローマ)は、550年前にオスマン帝国に征服されて消えた。現在の私達によく似た状況であった。
若者を帰農させる妙案はないのであろうか。前の福井県副知事の山本さんは、私に「農援バンク」を作ったらどうかとすすめられた。農業に「ボランティア活動」から入っていくのも一つの方法である。余命を考えなさいと家族からは引止められている。誰か、「援農隊」を組織する若者は、出てこないのだろうか。


仏舎利塔

平成22年12月10日
仏舎利塔

金沢の兼六園は有名だ。雪づりと琴柱灯篭は兼六園の象徴であり、誰でも知っている。兼六園のポスターはいつもこの二つのテーマを使っているからだ。兼六園の人工美と比較すると、福井の足羽山三山の魅力は桁違いに大きい。足羽川の流れるそばに足羽山、八幡山、おさごえ山が連なっている。特に中心の足羽山は自然林かと見紛う程の大木が鬱蒼と繁り、原生林を作り出している。開園百年といわれる市民公園であるが、古くは縄文時代以来の古墳群の上に市民総出で作り上げたものである。
春には桜、梅雨にはあじさい、秋の紅葉、冬の雪景色と市民や観光客をあきさせない。山上には茶屋も多く、酒や食事を楽しむことが可能である。
しかし残念なことに足羽山三山には顔がない。名所旧跡はいやというほどありながら、兼六園の「雪づり」や「琴柱灯篭」が印象に残るのは残念でならない。これは私達の怠慢である。何とかして顔をつくりたい。そう考えて思案したり、みんなと意見の交換をし、一つの結論に達した。「継体天皇像」と「仏舎利塔」である。「継体天皇像」は地元産の有名なしゃく谷石で作られ、天皇家の祖先と崇められて1,500年が経っている。「仏舎利塔」は1954年インドのネール首相から親善の印として贈られてきた。1945年の大空襲により数多くの焼死者を出したアメリカ空軍B29による焼夷弾投下事件。そして1948年福井大震災といわれ、過去初めて体験したとして「烈震」として後で認定された。この時の死者は阪神淡路大震災までは過去最高であった。この二つの大災害の後を無残にも大水害が発生し、市民は全財産流出という悲運に泣いた。平和と安全、安心の為の仏舎利がこのようにしてインドから贈られてきた。それ以来62年が経過した。
福井とインドとの友好の意味もある。福井のポスターに永平寺や東尋坊だけでなく、「継体天皇」や「仏舎利塔」をぜひ使ってほしい。

空洞化の恐怖

22年12月9日
空洞化の恐怖

11月の新車販売の発表によれば、国内は26%減、トヨタ34%、ホンダ37%、マツダ37%と主力メーカーの落込みが大きい。それに反して外国での新車販売状況は、トヨタの中国での販売が前年比17%増、スズキのインド国内での販売は34%増と日本国内とは正反対の活況を呈している。新興国の名にふさわしく最近の新車販売状況は中国やインドが好調で、日本、EUが悪い。
大企業の海外流出を止める為には、法人税の大幅減税や中小企業への根本的な支援体制が求められるが、大幅減税を主張する声は、どんどん小さくなり、今や風前の灯となった。連日新聞紙上では海外生産の拡大が報じられており、この動きは円高基調もあって、当分やみそうにない。
内需拡大により、日本経済の安定化を図らなければ、日本は明日はない。内需拡大は建設国債発行による公共工事の増大であり、減税による法人需要の喚起であり、それが昇給や賞与の上昇を招き、雇用の増大につながり、最終的に消費拡大となって景気回復を実現する。
例えば企業が新規の設備投資を計画し、実行するのは、即効性を直ちに期待してのことではない。少なくとも2年、3年先の利益を想定し、5年10年の長期計画の中で決断していくのである。減税の議論を聞いていると、法人税減税の財源を、直ちに他の増税でバランスする、しないと言っているように聞こえてくる。これでは減税による景気刺激策には全く該当しない。少なくとも数年先の自然増を期待しての減税でなければならない。
空洞化の恐怖の高まりを実感しているのは私だけではあるまい。今少しこの心配をみんなで共有し、対応策を共に考えていこうではないか。

インド哲学と佛教

平成22年12月8日
インド哲学と佛教
今から25年前の日経新聞私の履歴書欄に中村元氏の履歴が載った。その最初のページに、「東京大学インド哲学学科を卒業時に、宇井伯寿先生から、若いうちにインド思想の勉強をしておくようにとの指導を受けた」と記されていた。その恩師の一言が中村元氏を東洋思想学の巨人に育て上げたのである。東大で30年に亘り、さらに定年後は「東方学院」という私塾で、インド哲学思想の講義を続け、日本を代表する「インド哲学者(この言葉は日本にしかないとのこと)」になられた。仏教の源流から学べとの教えである。
私は長浜北高校の出身であるが、同級生にインド哲学をやりたいという親友がいた。浄土真宗のお寺の長男で、いずれ寺を継ぐ運命にあるが、いつもクラスでトップを中学から続けていた。希望通り京都大学の文学部へ入り、その後神戸大学の教授や大谷大学で大学院開設に尽力された。今は神戸大学名誉教授で文学博士、私の会社の取締役をお願いしている。
インド哲学は蜂屋良彦博士のご縁で、私も若い頃から興味を持ち、聞きかじり、読みかじりで学んだが、東洋思想の源流を垣間見る思いがする。蜂屋博士のお説教はしばしば聞くことができて至福の時を味わっているが、ゆっくり中村元氏の著書を読破したいと考えている。
蜂屋博士のお寺の庭でしばしば遊んだ中学生の頃の思い出は私にとって誠に貴い人生経験の一コマである。インド哲学や佛教の話題になるといつもその原点となるのは蜂屋博士である。彼の父君は私の町の観音堂にいつも月参りにおいで下さり、お経を聞かせていただいていた。更に昔の私の幼い頃の体験である。

図書館

平成22年12月7日
図書館

明治初年 全国に10ケ所の公立の図書館が設けられた。名を「書籍縦覧所(しょじゃくしょうらんじょ)」と呼んだ。半分の5ヵ所が武蔵国にあり、その他が全国に散在した。その1つ出雲国松江にある。越前松平家の流れである。福井でも大野でも、それ以前から書物に対する愛蔵の念が深かった。古文書を所蔵している旧家も多い。
福井県下に図書館は63館ある。人口82万人の福井としては数が多い。ところが2009年度の入場者数はなんと日本一多い。貸出冊数で第2位。蔵書の冊数で第3位である(日本図書館協会調べ)。
小学生、中学生ともに学力は日本一であり、常にトップクラスを維持している。福井県の子供や学生が図書館を利用することが多くなるのは当然である。私は毎日一冊ずつの読書を心がけているので図書館通いは習慣化している。特に県立図書館は蔵書の数も多く(約80万冊)私が最も多く利用する。展示方法もキメ細やかで福井ゆかりの作家とか、エコ関係書籍とか、蔵書を数多く集めると探し出すのに苦労するが、ここでは即座に探している本に到達する。司書の女性たちの訓練、教育には頭が下がる思いである。教育レベルの高い福井県の理由は、この図書館の魅力にあるのかもしれない。そういえば今日も、図書館のあちこちで、生徒や学生達が熱心に本とにらめっこをしている。美しい光景である。

北陸の農業

平成22年12月6日
北陸の農業
新潟、富山、石川、福井の4県を北陸と呼ぶ。かつての越のくにである。この地方の農業は異常なほどに「米づくり」への傾斜が激しい。農業産出額の64%が米である。越のくには太古の昔から稲作の先進国であった。第2位の東北地方の米の比率は37%、そして全国平均は23%もない。北陸だけが突出して多い。それは日本海と、海岸線近くに連なっている山脈の間の狭い耕地が、米作り、水稲栽培に適しているのだ。北陸は積雪地帯で、モンスーン帯の最東端の土地である。自然の恵みが世界一豊かな土地である。そこで作られる米が世界一おいしいのは当然なのである。魚沼産のこしひかりだけがおいしいのではない。水源地に近い山間部の僻地といわれる棚田でとれる米は、最高においしい。化学農業の汚染が少ない。生物多様性が残っている田園は栄養分が十分あり地力にあふれている。この自然の恵みが第一条件である。
第二には、大都会から遠く、野菜や果実の需要が乏しいことも原因している。第三には若者が大都会へ流出し、農業人口の高齢化により、手間ヒマのかかる農業への転換が進んでいないという理由もある。
時代が変わり、新しい農業、第6次産業の芽が各地に出てきた。米づくりを重視しながらも、米の自由化を含む農業全体の自由化が早晩来ると考えて、対策をうつ必要があろう。それが農産物の輸出であり、農業技術の輸出であり、高付加価値化への転換である。バイオ技術の先端にいる県農業試験場や、県立大学を含む「学」との連携が望まれる。世界一おいしい米は、世界中の人々にとっても、魅力的な貴重な珍品である。やるべきことは沢山ある。米のくに、北陸の農業の明日は誠に明るいことを知らねばならない。
 

福井県歳時記

平成22年12月3日
福井県歳時記
観光立県を目指しているところが多くなってきた。観光は産業創造や企業誘致、技術開発などと違って、資金のニーズがケタ違いに少なくすむ。観光はありのままの姿を、日本中に、世界中に知らせるだけでよいのである。日本が、福井県が持っている自然の美しさ、食べ物のおいしさ、人情の細やかさ、おもてなしの心、そして何よりも治安のよさ、安全性をそっくり知ってもらうだけで、世界の人々は、日本に来たい、福井県へ来たいと思うのである。そして現在では、告知のためのコストも大きく引き下げてきている。
インターネットは世界へつながっている。このインターネットのサイトを福井県で作るのである。楽天やグーグルなどと同じレベルの新しいサイトを新たに創設するのである。そのコストたるや100億円もかかるはずがない。私はフランチャイズビジネスをやっている友に「フランチャジーになるな、どうせやるならフランチャイザーになれ」と言っている。
インターネットの世界も、フランチャイズビジネスの世界も同じである。胴元になるにはそれ相応の能力と資金が必要であるが、その成果の差はあまりに大きい。インターネットの福井県版のネットショップを含む新しいサイト経営を提案したい。
そこで登場してくるのが福井県の歳時記である。県内各地で行われている行事を年間スケジュール化し、これをデータベース化し、これを動画化し、そして新しいサイトで運営していくのである。
福井県は各地に様々な魅力的な祭りや神事、仏事、イベントが多い。そしていずれもユニークである。福井県民でも知らない人が多い。周年行事も含めてそんなものが満載された本が出版されれば福井県でのベストセラーになり、観光ガイドになり、福井出身者、転勤族へのプレゼントにもなると思われる。福井県歳時記の出現を期待している。

地酒のアテ

平成22年12月2日
地酒のアテ

酒にあう「アテ」は何だろう。いわゆる「ツマミ」だ。かつては珍味ともいった。東京のそば屋へ入ってビックリしたことがある。そば屋の客の何割かがビールや地酒を注文するのである。福井の「おろしそば」(福井名物)と地酒があうかどうか試すことにした。勤務中はムリだから休日の昼間に試したのだ。やってみるとこれがまたうまい。これはいけると思い、いつも食べているそば屋へすすめてみたさてどうなることかこれから楽しみだ。観光客の多いそば屋では「地酒」が定着するかも知れない。福井の地酒を全国に広めたいと考えている私にとってこの試みは真剣そのものである。
福井を代表するものはそばの他に「越前ガニ」「越前ウニ」「甘えび」「若狭がれい」「若さグジ」「若狭フグ」「上庄里芋」「ゴマ豆腐」「厚アゲ」「精進料理」などなど枚挙にいとまがない程数が多い。これ等の名物との合性をたずね、探っていくことが大切である。源平酒造の宇野蔵元ご夫妻の手作りのおもてなし「上庄いもの煮ころがし」と地酒源平大吟醸の合性は抜群であった。珍味屋はかつて「乾きもの」であったが、保存方法(真空パック等)が発達した現代ではこの「酒のアテ」市場の可能性は大きい。福井の料理がおいしいという自慢もよいが、それを全国の人々に、世界の人々に食べさせる知恵を出そう。福井のおいしい水、おいしいお米、おいしい地酒、そしてとびっきりおいしい「酒のアテ」を第6次産業として育てる工夫がほしい。
福井県に駐在している大企業の工場長、支店長は今忙しい時を迎えている。それは「越前ガニ」を食べに来る上司、同僚が、かつての部下をはじめ、家族からの引き合いである。私達は「越前ガニ」という無二のブランドを持っている。「酒のアテ」として前に上げた珍品類をブランド化していくことは決して難しくはない。

納豆大好き

平成22年12月1日
納豆大好き

世界中で寿司人気が出てきている。日本食が健康長寿食として認められているからである。子供の頃父が持って帰ってくる箱寿司を弟や妹と一緒に食べたことが思い出される。母が祭礼や法事などの時、まぜご飯を作ってくれた。熱いご飯に、別に煮た野菜や油揚げを入れ、少しの砂糖と多目の酢をふりかけて、しゃもじでまぜるのである。入れものは木の大きな浅い桶である。私達はうちわで扇ぎながら手伝ったものである。就職して食べた握り寿司はおいしかった。大阪駅前のドヤ街の一皿50円の寿司である。それから福井や岐阜へ転勤して一人前の寿司好き人間になったようである。
マグロやトロ、ウニ等を好んで食べていたが、ある時納豆を食べてウニよりおいしく感じた。納豆は発酵食品の代表である。納豆1g中に約50億ヶの納豆菌がいる。1食分が45g入なので、1回の食事で225億ヶの納豆菌を食べることになる。地球の人口の3倍以上の数を1食で食べるのである。単細胞菌ではあるが、三つの主要な酵素を持っている。ナットウキナーゼとウロキナーゼとアンギオテンシン変換阻害酵素である。その機能は血液の凝固を防ぐ働きと血圧の上昇を抑える働きがある。
納豆菌の繁殖力は非常に大きいのも特長で、将来の食料危機には最有効食品の一つである。
私の納豆好きは家族内では有名であるが、その影響であろうか、孫達も納豆大好きが多い。有難いことである。