2011年03月のアーカイブ

きもの文化

23年3月31日
きもの文化

春の色はピンクである。雪国の人の春を待ちわびる心は強い。ピンク色が一斉に町を彩るのはそのためであろう。日本の民族衣装は着物であるが、春になるとその着物の色や柄もめっきり春めいてくる。ピンク色が多くなる。
GDP(国民総生産)のかわりにGNH(国民総幸福)を追求することを国民の長期的な目標に掲げているブータンから、国王の娘、ケサン・チョゼン・ワンチュク王女が来日した。民族衣装を着ることを奨励し、伝統文化を守ることに大いに努力しているとのことである。
私の母は生涯を女子教育に捧げた。私の父母は「両もらい」という養子夫妻であった。私の母は生まれるとすぐ野坂家へ養女にもらわれてきた。縁続きである。祖父からいうと妹の娘をもらったのである。そして父を養子としてもらい母と結婚した。その時父は滋賀県で初めて設立された第二十三国立銀行の行員であった。母は結婚前から野坂和裁塾の塾頭として多くの子女を預かる身であった。
年に幾度となく京都へ出かけて、和裁の流行を研究していた。私も汽車に乗り、連れていってもらった。デパートをまわり流行を調べていた。何を見ているのかと聞くと、柄やデザインだとういう。デザインは「えり」の形、幅などが違うという。私が結婚した後は私の妻に口ぐせのように「着物をきなはれ」とうるさい程言っていた。母の死後妻の着物姿を見れるのは外国旅行の時や慶弔の時ぐらいである。着物文化が廃れていくのを見るのは真につらいけれど、私の妻でさえこうだから残念ながら他人様に要求できるはずはない。
ブータン王女の来日を機に、民族衣装が国民の精神的支柱となり、平和と幸福を与えているのを知り、改めて「着物文化」の復興と、日本文化の伝承の重要性を実感した。

買い占めの犯人

23年3月30日
買い占めの犯人

第1次オイルショックは1973年10月に起きた。その時、原油価格が急上昇し約4倍になった。オペックによる原油価格の引上げにより、世界中でインフレが起きたのである。まずガソリン、軽油等がなくなり、トイレットペーパーまで店頭から消えた。買い占めが起きたのである。インフレだというので、不要不急のものまで買いあさったのは一般市民であった。今回の東北関東大震災でも、銅線がなくなり、建設用資材特に鉄筋・コンパネが不足している。
非常時だけにとどまらず、他の人と同じ行動をとる習性があるのは日本人の特徴であるが、不要不急のものを買うのはぜひとも思いとどまりたいものである。必要に迫られている人に順番を譲って差し上げるのは日本人の美徳である。今私達の行動は世界中の注目を集めている。そんな時こそ我田引水になったり、他の人と争ってものを買い占めることは止めてほしいものである。乏しい食料を分け合っている被災者の方々を見ていると、涙が出るほどに美しい。私達もそんな人間になりたいものである。

被災地の方々の受入

23年3月29日
被災地の方々の受入

全国各地の公共のアパート等への受入れが始まっている。私達の社団法人でも全国ネットワークでの受入れが徐々にスタートしている。福井県は小さな県であり、大したことは出来ないが、困っている方々を少しでも受入れしたいとの気持ちから受入をすると意思表示した。とりあえず自社物件の空室を提供しようということで家賃、仲介手数料、敷金、礼金等は無償とし、電気水道ガス等は有償という条件である。被災地を遠く離れた福井県への移住を考える人がどのくらいおられるのかは判らないが、福井県には水もお米も野菜も魚もたっぷりあり、災難を癒すには敵地の一つであろう。
災害がひどかった宮城県、岩手県、福島県には各県に社団法人の県支部があり、支部長は日夜災害復旧に懸命の努力をされている。63年前の福井地震を思い原発立地県である私達のなすべきこと、出来ることは一体何だろうと考える毎日である。
未だ連絡のつかない友人の安否を心配している日々が続いている。私達の会社の社員達からも支援金の申出があり、福井新聞へ届けることにした。一日も早く暖かい日が訪れることを祈りたい。

脚下照顧

23年3月28日
脚下照顧

身近かなことにも気をつける必要がある。遠い目標、高い志が最も重要であるが、自分の足元にも注意を怠るなという言葉である。浮ついた心をいさめ、足元の安定を欠いてはダメだという注意である。足元をしっかり見つめて、次の前進を確かなものにせねばならない。自分のまわりを見ると、直ちにやらなければならないことがありながら、何か理由をつけて、手をつけていないことが多い。その理由たるや、単なるこじつけや意味のないことのほうが多い。やりたくないのである。そんなことは「直ちにやろうと」の精神で次々と片付けてしまうのが何よりである。
「脚下照顧」は禅寺のトイレには必ず書かれている。足元を汚すなという意味と、日ごろからトイレの中だけでなく、自分の足元によく注意をして仕事や生活をせよという意味である。
例えば今の自分の足元をみても、直ちに手をつけるべき緊急事が二、三あるのにすぐ気付く。この二、三の問題解決に努力するのが私のつとめである。使命である。与えられた使命を喜んで果たしていきたいと考えている。足下を見ても、まわりを見てもやる必要があることがなくなればそれは極楽往生の時が来たのであろう。いつも二つ、三つの与えられた仕事を必死に追いかけているのが私の生甲斐である。

長寿食

3月25日
長寿食
健康と長寿の源は食にある。私は長寿の先輩に会うと必ず健康法を聞くことにしているが、「特に何もしていない」といわれるケースが多い。食べ物についても片寄った食事をしている人は少ない。そこで長寿についての書物を次々と読破して、長寿の原因を探していった。そして「食」が長寿に大きくかかわっているという説にたどりついた。その食を分類してみると

1.水、お茶
2.黄緑野菜、果物(芋、しそ、セリ、ブロッコリー、トマト、スイカ、りんご、バナナ、ブルベリー、ぶどう、みかん)
3.玄米、雑穀(特にソバ、粟)
4.海産物、海草(特に根昆布)、魚、貝
5.きのこ
6.大豆、ごま(特に黒大豆)
7.ヨーグルト、発酵食
これ等をよくよく見ると私達日本人がいつも常食としているものばかりである。これ等をバランスよくいただいておればまず間違いがない。ただ気付くのは若者が好む肉類については皆無である。肉食は長寿に合わないということか。脂分をゆでこぼしで、外に出すとか、やき鳥など串焼きにして脂分をとってしまう食べ方をすすめている本もある。いずれにしても肉食をすすめる本は皆無である。

職業に仕事に貴賎はない

3月24日
職業に仕事に貴賎はない

中学生の頃、職業という授業があった。「読み、書き、ソロバン」の過去の流れの中で、中学卒業と同時に就職する友人が多かった頃である。その授業の中で、先生が何度も教えられたのがこの言葉「職業に貴賎はない」であった。「末は博士か大臣か」といわれた戦前から思うと、この言葉は私には非常に魅力的であった。
私の家は八幡神社に近く、神社の森は私達の遊び場であり、通学路であり、地蔵盆の場所でもあった。そして西田天香という「お掃除哲学」を説いて世界中を歩いた「一燈園」の主催者の生まれ育った所である。今でも西田天香の遺跡が数多く残っている。天香は「天香はん」といわれ「太閣はん」という秀吉同様に長浜の人々に親しまれている。天香はんの哲学は西田幾太郎と違って実践哲学である。「人の為に生きる」「お掃除に徹する」「そこから生甲斐を見付けよう」としている。私の子供の頃に一灯園の方々がたびたび私の家を訪問され、トイレの掃除をさせてくれと頼まれる。喜んでどうぞどうぞという母に、私は何度かそのトイレ掃除のいわれを質問した。
そして職業に貴賎がないのと同じように、人のする仕事にも貴賎がないことに気付かされた。いやそれ以上にトイレ掃除などの仕事こそ貴い仕事であると確信をした。それ以来私はゴミを拾ったり、トイレの床の掃除を心がけるようにしている。それが終って手を洗っていると不思議に心が安らぎ、笑顔が戻ってくるのである。

日本はまた変る

3月23日
日本はまた変る

建築家安藤忠雄に会った。金沢で建築家協会の北陸支部の主催で「地方に明日はあるか」というテーマの講演会である。私より4歳年下であるが、その迫力はすごい。
彼の書いた本は何冊か読んでおり、強い興味を持っていたが、「地方に明日はあるか」というテーマになおそそられた。安藤氏のことだから「地方に明日はない」という結論を用意して、そこから話をはじめるのではないかなどと想像をしていたのだ。
しかし、10日前の東北関東大震災のため、そのスタートは「へこたれるな日本!もう一度作りなおそう」から始まった。「世界中が真剣に日本を応援している。大災害の中、日本人は秩序ある行動をとり、助け合って苦難を必死に乗り越えようとしている。日本中で被災者を助けよう」2時間に及ぶ講演の中で彼の言葉は私のいつもの主張と、あまりに「ウリふたつ」なので驚いた。
「地方に明日はあるか」というよりも「大阪は最も落ち込んでいる町だ、その大阪を変えようとして取り組んできた。その心は今自分がやれることはなんだ。自分にやれることをすぐやろう。勇気を出せ。夢に挑戦せよ」と全く同感の言葉が飛び出した。「言いたいことを言っておくと、その内に何か返事が返ってくる。意見はちゃんと言っておくべきだ。もっと人を使え、失敗は成功のもとだ。失敗を恐れることは無意味である」「文化勲章をもらい、日経新聞に「私の履歴書」を書くとそれで人生終わりとなるが、私は100歳まで闘い続ける」との熱い言葉を聞いた。『建築家安藤忠雄」という本に光の教会のイメージをサインしてもらって別れたが、よい1日であった。直接会って話してみると意外とやさしいところがある紳士で、本から想像していた安藤氏とは別人の感を受けた。100歳まで共に活躍をしたいと思わせる人である。

G7の10年ぶりの協調介入

23年3月22日
G7の10年ぶりの協調介入
円安かと思われた円ドル相場は、あっという間に76.25円まで急上昇した。これは日本が自国の経済危機のため、海外資産を慌てて処理するのではなかあろうかという、欧米の投機筋の思惑による円高である。仕掛けられた相場の操縦である。日本は単独介入も辞さないという強固な意思表示によってG7の協調介入が実現した。介入した途端に81円まで下った。今回の日本が受けた大災害は、自然によるもので、日本経済が麻痺したり、崩壊したのではない。そして社会全体で復興の機運が一気に高まっている。先行きに不安はない。ただ復興の為には5年、10年という期間が必要なだけである。
アメリカやEUのように純債務国ではない日本。世界一の純債権国である日本経済を危機に陥らせるような悪質な投機筋の円高投機を防ぐのは、当然である。世界全体の経済を混乱に陥れるような行為は、直ちに排除されるべきである。
G7の共同声明の内容がそのことを如実に示している。「日本との連帯意識を持ち、どんな協力も提供する。日本経済の強さを信頼している。米、英、カナダ、EUは協調介入を行う。」
この声明は世界経済における日本の影響力を示すものであり、共通した連帯感に心から敬意を表したい。

千年一度の災害

23年3月18日
千年一度の災害

日々テレビ、新聞等を通じて災害の報道がなされている。春を思わせていた気候が、千年に一度という災害を境に急変し、寒風の中で震えている被害者の方々の姿は誠に痛ましく、心身の疲労は如何ばかりかと拝察している。一日も早い救援の手が届くことを願っている。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げたい。そして避難しておられる方々の日々の生活を何とかしなければと真剣に考えている。原発立地県である福井県は同じ立場の福島県の方々を心底心配している。震災、津波そして原発の三重苦をかかえておられる方々に、せめて私達に何かできることはないのであろうか。岩手、宮城、福島の三県で、何十万人もの方々が寒風下に立ち竦んでいる。同じ日本人として、同じ人間として、私達に何かできることはないのであろうか。お見舞の募金をあちこちでしているが、それ以上の何かを為す必要がないのであろうか。着るものも、食べものも、住む家もない方々に、それを提供するのが、私達のつとめのように思う。何とか協力する方法を必死で考えている。

ボーダレスの時代

平成23年3月17日(木)
ボーダレスの時代

今から37年前、私は社命で海外留学を命ぜられ、水さかづきで家族と別れてミシガン大学へ留学した。その当時は日本人の海外駐在、居住者約10万人、海外旅行者約10万人といわれていた。第1次オイルショック直後の頃であった。日本人は積極的に海外進出をしだした頃である。日本にとっては国境を超えるボーダレス時代の幕明けといえよう。大手商社に頼っていた貿易業務を大手メーカー自身が自前でやり始めていた。海外生産拠点の構築に、工場の生産ラインの責任者が、現地へ派遣され、海外の従業員教育を行う必要があった時代である。私は商社の一員として、海外ビジネスをより積極化する為の海外留学生の第1号であった。
それ以来、世界各国をまわって実感したのは、国境を超えて動きまわる、人、もの、お金のパワーのすごさである。特にそれ以来注目をしているのは「お金」である。マネーは今や完全にボーダレスで動いている。そしてビバリッジを効かした投機マネーは実体経済の数十倍の量で動きまわっている。前回のサブプライムローン問題やリーマンショック問題を分析してみるとその実体がよくわかる。2009年3月の銀行予算を見てみると、全銀行の半分以上が赤字決算であった。黒字の銀行も平年を大きく下回る決算であった。この事は堅実経営の銀行でさえ、世界的な金融ショックの影響を大きく受ける体質になっていることに気付く必要がある。投機マネーを規制する手段を持たないと、世界恐慌は必ず起きるといわれだしているが、未だに有効な手が打たれていない。
N・Yの原油先物相場に、福井のガソリンスタンドのガソリン小売価格が直ちに反応する時代である。世界を動き回っているマネーの動向に注意を払う時代になっていることを忘れてはならない。

 

ひとりの思い

23年3月16日(水)
ひとりの思い

コロンブスの卵も、孔子も、釈迦も、キリストも、すべてはひとりの強い思いからはじまった。ケネディもオバマも同じである。他の人の想像を超えた時空から物事を判断し勇気をもって可能性に挑戦したから人類の歴史に残ったのである。
私達はそんな強い思い、自分だけの思い込みを持っているだろうか。それを持っていると、あらゆる物事が、その思いを中心にまわり出す。思いがけない支援や協力の申出が出てくるのである。方向を明確にし、内外に自分一人の思いを語る時、私達は一歩先人達に近づくことになる。困難な茨の道であることは最初から判っている。しかし自分ひとりの熱い思いを実現する為に自分の貴重な人生の一刻一刻を費やすことは夢の実現であり、使命でもある。他人の評判を気にする必要は全くない。ただ努力あるのみである。すべてはひとりの思いからはじまることを信じて、自分の思いを昇華させていきたいものである。私の思いは「喜びの種、幸せの種を蒔こう」の一言である。今その為の種蒔く人の原画を考案中である。

右脳を使え

23年3月15日(火)
右脳を使え

右脳は芸術を司るといわれている。私は幼少より絵が好きであったが、絵画、彫刻、音楽などすべてに共通するのは、イメージの定着である。妻は作曲は数学だというが、門外漢の私には原始よりの自然との共鳴のように思われる。
音楽は左耳で聞けといわれる。左耳で聞き乍ら、身体全体で空気を振動させて伝わってくる音楽を体感するのだといわれる。ジャズの演奏会で最前列に座って実験してみた。なるほど納得する程によい演奏に思えた。右脳で聞いていたのである。
私は経営分析でも常にグラフや絵を多用する。例えば私の会社の総資産を分析すると、半分以上が有利子負債の他人資本である。自己資本は3分の1以下である。それをグラフ化する。そして10年後の姿をイメージする。有利子負債をゼロにし、自己資本3分の2以上にするグラフを描くのである。その現在の姿と10年後の姿を円グラフにして見ると会社の進むべき方向、そして毎年打つべき手が少しずつ明確化してくる。資産リストラが必要なことがよくわかる。これが右脳経営である。
私の会社は遊休不動産の有効活用を企業の使命としている。単なる資産リストラではなく、有効活用の役目を十分果たした上で、収益還元法に則ってこれを売却し、購入していただいた方々に喜んでもらえるようにしなければならない。

福井梅「紅(べに)映(さし)」

23年3月14日(月)
福井梅「紅(べに)映(さし)」

「名物に旨いものなし」といわれたのは昔の話だ。大相撲の優勝者に福井県知事が贈る「梅の大カップ」は有名であるが、福井梅は知る人ぞ知る幻の梅なのだ。名を「紅映」という。日本の梅の代表は「南高梅」で全国で6.8万tも生産されている。日本全体の梅の生産量は約12万tなので、半分以上が南高梅なのである。南高梅(和歌山県産が多い)の名前だけで喜んでいてはダメなのだ。梅は和歌山の名の通り、和歌山県のシェアはダントツの1位で半分以上を占めている(約7万t)。第2位は群馬県8,300t、第3位は奈良県3,000tである。福井はベストテンに入るかどうかといった位置にある。
福井の「紅映」の特長は、種が小さく肉が多いので、梅干しにしても、梅シロップにしても、おいしいというので人気が高い。欠点は収穫量が少ないことである。そこで福井県や若狭町では紅映の3倍の収量が期待できる新品種「福太夫」などへの切り替えをすすめている。これが成功すれば福井県産の梅は全国第3位に躍り出る。
梅の里会館(若狭町成出)を訪れると、梅商品のオンパレードでビックリする。梅は健康長寿の源である。桃源境化作戦を展開する為、梅林のまわりに桃や桜の苗木を植える計画を持っているとのこと。舞鶴若狭自動車道の安全開通が2014年度に決定しているので、全線開通までにやっておくべき事柄が山積みしている。「梅」に関する新商品の開発の可能性は大きい。今庄の畠山酒造では大吟醸酒で梅をつけていたが、とても美味で、いただいた梅はすぐなくなってしまった。梅肉の練りものは広く料理に使われているが、梅肉の乾燥粉を捜しているが、まだお目にかかっていない。健康食として大変面白いと思うので、一度若狭町の森下裕町長に提案してみたいと考えている。

北陸の日本酒

23年3月11日(金)
北陸の日本酒

日本海側の県は平均して日本酒党が多い。成人1人当りの飲酒量の第1位は新潟県である。全国平均の2.5倍を飲んでいる。次が秋田、そして富山、石川と続き、福井県は第9位で1人当り8.4ℓ/年を飲んでいる。(金沢国税局.H.20年度)
ただ驚いたことに、日本酒の販売量は毎年減少をつづけている。北陸でも例外ではなく、H.11年からH.16年の間に約30%減少し、H.16年からH.21年の間に約20%減少している。10年間では45%の減少である。ただビールや発泡酒も同じような傾向にあり、過度の飲酒の自粛や、飲酒運転の禁止、若者のアルコール離れによると推測されている。酒造業界の監督官庁が財務省であることから、製造業のあるべき姿、特にマーケティングに対する指導育成が弱かったとも考えられる。
日本酒は神代の頃から日本人と共に歩んできた最古の製造業である。福井県では200年を超えるエノキアン(長寿200年以上の企業)が15社もある。全県下で37の酒造が、規模は大きくないが独自の工夫をこらしながら地域密着型の堅実経営をつづけている。
外国への売込みや、流通経路の短縮、高品質高価格政策への転換など、各蔵で独自の努力をつづける姿は誠に頼もしい。私達もこの尊い日本酒文化を次世代にしっかり引継いでいく為に種々の努力をつづけている。福井を訪れる観光客においしい地酒をPRし、ファンづくりに精を出したり、地域の方々に地酒の良さを友人知人に吹聴してもらうよう努めている。
日本料理と日本酒がペアになって世界中で愛される日が来ることを夢見ているのである。

23年3月10日(木)

23年3月10日(木)
一次産業は消えるのか

かつて福井県の鯖江市役所に畜産課があった。課長以下数人の課員がいた。鯖江市の産業の中心は繊維とメガネであるが、繊維課も眼鏡課もなかった。市民の不平不満の声が大きくなり、育産課の代りに眼鏡課が作られた。殆どゼロに近い家畜の為の課があり、主産業である眼鏡を担当する課がないのが日本のタテ割行政の問題点である。
最近15年程の間で、農業人口の減少は37%(1990〜2007年)水産人口の減少は35%(1993〜2009年)、林業人口の減少は56%(1990〜2005年)と想像を絶するものとなった。このままでは日本の一次産業は消えてしまうのだろうか。農業人口は24万人、水産業人口は20万人、林業人口は5万人である。全部合わせても265万人に過ぎない。総就業者数6,282万人の4.2%で、年を追うごとに、高齢化により減少を続けている。特に憂慮すべき問題である。林業は治山治水の根幹にかかわる重要なものであるにかかわらず、無為無策の内に数十年が過ぎてしまっている。林業家はみな泣いている。林業関係者の倒産も多い。日本の国土を守っているのは森林資源である。この重要な産業に従事する人々が安心して暮していける政策を何としてもとらなければならない。水産業も同様である。世界の海を制覇した日本の漁船は、今や昔日の面影はない。農業をとっても同じである。すべてが世界中から安い外国品が入りこみ、産業の根幹を脅かされている。一次産業をどうするのか、国をあげて議論する必要がある。政争をテレビで見ていると、日本の政治がいかに幼稚であるかに愕然とする。日本の将来を憂慮する議論を切に期待している。

人を生かす

23年3月7日
人を生かす

福井ゆかりの偉人岡倉天心の銅像が市の中心部中央公園にある。転進はお雇い外国人のフェノロサに学び、彼の日本各地歴訪の旅を共にし、東京芸大の全身、東京美術学校を創立、校長を務めた。その後日本美術院を創り、多くの日本画家を育てた。今なお「院展」として、日本画界の主流を形づくっている。
フェノロサがボストンに帰り、ボストン美術館の設立に携わるにつき、岡倉天心の類にまれな才能を、東洋美術部の部長として迎え、縦横に発揮させた。建国僅か200年のアメリカに、世界一を誇る東洋美術の殿堂が完成したのである。岡倉天心なくして絶対にできなかったことである。
もし仮にフェノロサと岡倉天心が東洋美術館を日本に、いや福井に作ってくれていたら世界に誇れる「東洋美術コレクション」が福井に残っていたであろう。ボストン美術館はウィリアムモースをはじめ数多くの民間人の寄付で完成した。ものごとを「為すか為さざるか」は人間の意志による。フェノロサが岡倉天心を生かし、数名のアメリカ人がフェノロサを生かしたのである。そして時代がボストン美術館設立という大事業を為さしめたのである。私は学生時代京都市美術館に出入りしグループ展をしたり、いろんな展覧会を観賞したりしていた。そしてボストン美術館へも何度も行っている。その規模の大きさと、福井県立美術館や福井市美術館を比較すると、落胆せざるを得ない。
福井は和紙、漆器、陶芸、鉄器、織物の産地として1500年の伝統を持っている。東洋美術館を福井に設立するために第2のフェノロサ、岡倉天心の出現を夢見ている。