2011年07月のアーカイブ

賃貸アパートマンション経営

23年7月29日(金)
賃貸アパートマンション経営

敗戦後は住宅不足が長く続き、官民あげて住宅の建設に努力を続けてきた。その成果は確実に上って、今や住宅は飽和状態を迎えつつある。1人の子を持つ両親が自宅を持っているので、1人っ子同士が結婚すると両親の死後直ちに一軒の家が余ってくる。それが賃貸に出される。今や住宅市場はかつての住宅不足時代から完全に転換し、余剰時代に変わってしまっているのである。
賃貸住宅のオーナー会の福井県支部長をやっているが、最近オーナーからの相談が増えている。家賃の値下げ要求やリフォームの要求が多いとのことである。貸し手有利の時代から、借り手が強い時代に変わったのが実感される。
賃貸更新料が賃料の補充としての性格があり、「更新料」は有効との最高裁の判決が示された。契約時に明記してあれば有効との判断である。アパートマンション経営の厳しい現状を考えると、久しぶりのオーナー有利の判決である。しかし先行き厳しい状況に変化はない。今後は大手業者との競争がますます強まっていくことが懸念される。
今回の被災された方々への緊急用仮設住宅のお粗末さは異状であり、より広範囲に空室になっている優良住宅への移転をすすめる必要があろう。新築住宅も「安かろう」の風潮から脱すべき時代を迎えている事を知らねばならない。

なでしこジャパン

23年7月28日(木)
なでしこジャパン

まさかの金メダルにテレビのまわりも歓声につつまれた。サッカー女子W杯で起きた奇跡である。国際サッカー連盟が主催する大会での日本の世界制覇は男女を通じて史上初の快挙であり、女子W杯では欧米勢以外での優勝はこれまた初めてである。一戦一戦勝ち進むにしたがって、チームプレーに磨きがかかり、ボールが生き物のようにコートを駆け回った。体格でも身長でも劣っている日本チームがなぜ欧米の列強チームにせり勝ったのであろうか。
その理由の第一は、最後まであきらめない「気力」である。そしてその第二は、しばしば起きた「奇跡」である。特に最後の対アメリカ戦では、常に先攻されては追いつく状態が続き、もうだめかと思う場面も多かったが、PK戦では3−1で見事に勝利した。GKの海堀あゆみの足での防衛が光った。通算5ゴールを決めて大会得点王となった沢は、大会の最優秀選手に選ばれた。今回のなでしこジャパンの優勝は、大震災に泣く東北の人々に希望をもたらすと同時に、沈みがちだった私達日本人に自信と勇気を与えてくれた。ありがとう。

働き蜂世代

23年7月27日(水)
働き蜂世代

日本の高度成長期を支えた働き蜂世代といわれる昭和生まれの方々は、戦後の大混乱を知っているだけに、蓄えた資産を使おうとしない傾向が強い。長い老後のことが心配で、蓄えた資産には何としても手を付けたくないようである。例えば昭和12年生まれの75才の人が、平均寿命より10年長く生きると仮定しよう。その人の妻が70才で同じく10年長く生きるとしよう。2人の余命は15年と25年となる。2人で15年生き、妻が一人で更に10年生きることになる。1人当たりの生活費を最低10万円と仮定すると、2人×15年×10万×12ヶ月=3600万円、1人×10年×10万×12ヶ月=1200万円、∴3600万円+1200万円=4800万円が必要となる。厚生年金を20万円/月もらっていると仮定すると(2人分)15年×20万円×12ヶ月=3600万円、(1人分)10年×10万円×12ヶ月=1200万。∴年金は3600万円+1200万円=4800万円となる。即ち年金だけで生涯心配なく生活できるのである。ところが実は貯金1000万円、預金1000万円、不動産2000万円、生命保険1000万円が残っている。∴1000万円+1000万円+2000万円+1000万円=5000万円の金融資産があるのである。この5000万円の金融資産が使えないのである。日本経済だけの特徴である。長い戦争体験と食糧不足が忘れられないという。このトラウマを解消できる良い知恵はないだろうか。日本の内需拡大の最大の要素は、この高齢者層の財布のひもを上手に緩めて消費に使ってもらうことだと思うのだが、良い知恵を思いつかない。生前贈与を無税にする(相続時合算すればよい)とか、ジパング倶楽部の旅企画の充実とか、日赤やNPO、NGO、ロータリークラブや社会奉仕団体への寄付行為の奨励などが考えられるが、その他に高齢者を夢中にさせるようなお金の使い方はないのだろうか。もしあれば是非教えてほしいものである。

地酒「サウルコス」誕生

23年7月26日(火)
地酒「サウルコス」誕生

なでしこジャパンの世界W杯優勝は、私達すべてに自信と勇気を与えてくれた。そして粘りや努力の貴さを数えてくれた。「あきらめない」ことがいかに大切かを私達は彼女達に教えてもらったのである。当分サッカー熱はまたフィーバーが続くものと思われる。
それを見越していたわけではないが、今年の春から福井の「サウルコス」というサッカーチームを応援する地酒の販売を開始した。すっきりした味の純米酒である。地酒を飲んでサウルコスを応援しようという趣旨で、売上金の一部をサウルコスチームの支援に寄付させていただいている。遠征試合になると100万円近い経費が必要ということでチームの経営に多少とも役立つよう願っている。選手を一人預かって正社員として活躍してもらっており、チーム「サウルコス」と私達とは親しい関係にある。チームの事務所も私のいるエコライフプラザにあり、毎日監督や事務のボランティアの方々とは親しく声を交している。地元での試合には必ず社員が顔を出し、地酒の販売と応援を行っている。サウルコスの選手権がいつの日か日本代表になり、世界一を争う日を夢みて応援しているのである。

酒蔵めぐり

23年7月25日(月)
酒蔵めぐり

暦の上では「大暑」という日の7月下旬、第3回酒蔵めぐりを挙行した。今回も京福の観光バスに乗り、台風の去った好天気の中、4つの酒蔵を巡った。                    最初の訪問先は足羽川沿いの舞美人の美川酒造である。美川蔵元のお出迎えをいただき、早速酒蔵の心臓部、米の蒸し室からスタートした。当日は福井駅前のマルシェという私達駅前商店街が設営する仮設店舗で、美川蔵元の奥さんが陣頭指揮で販売のお手伝いをいただいている。蔵元の熱のこもった説明が続き、搾りの場所に大きな木製の搾り機(ふねという)があった。完全な木製の搾り機は福井県内で二つだけだという説明に参加者一同頷く。試飲のあと、それぞれ好みの地酒を一杯買い込んだ。昼食用に更に舞美人の吟醸中搾りの逸品を買う。
蔵元の見送りの中、次の毛利酒造へ向かった。安川酒造の前を素通りして越の桂月の毛利酒造に到着。蔵元ご夫妻の温かい出迎えの中、早速蔵見学。地元の東郷の人々と一緒になって米作りから手掛けた独特の酒を味わった。はじめて2年という新しい酒で、熟練の杜氏と蔵元が「二人が納得する酒を造るんだ」という情熱に胸をうたれた。そこから徒歩で5分。先程通り過ぎた安川酒造へ到着。今日は忙しいと言っていた蔵元ご一家の出迎えをいただき、店先で早速説明を聞いて白岳仙を購入。漬物と水出し茶をよばれて一同満足。ここでも昼食用の一升瓶を一本購入。以上の三蔵すべてが足羽川の伏流水を利用した弱アルカリの軟水で作られたスッキリした口当たりの良い地酒である。その中にそれぞれのこだわりと工夫にあふれた酒造りにかける情熱が感じられ、福井県の地酒の未来が明るいのを実感した。
昼食は丸岡町竹田の千古の家。坪川女史(元県議のお嬢さん)の手作りのおろしそば、そばがき、鮎、豆腐、そして山菜盛合せとスイカの歓迎を受けた。現存する日本最古ともいわれる山裾に広がる大庄家の邸内を見学。昼食もいろりを囲んで大車座の宴となった。このそばがきが好きで、いつも「大根おろしとわさび醤油」そして「きな粉」の二種の味を楽しむことにしている。今日もそれでいただいた。参加者は全員福井在住の方々であるが、千古の家が初めての人、そばがきが初めての人がいて、私の方が驚いた。私は何十年も前から毎月通いつめている愛好家である。暑い午後にかかわらず数百年を生きているカヤブキの大屋根の下は涼風が吹き抜けてまさに天国。畳寝をする人もいてみな大満足。
最後の富久駒、久保田酒造へは竹田川沿いを下っていく。酒蔵の前は九頭竜川の用水、後は竹田川の用水という水に恵まれた所にある。ここの蔵開きも有名で、その日には県内外から多くのファンが押し寄せてくる。蔵の宿というマンガのシリーズが有名だが、その蔵の富はここのことで、酒の名前にもなっている。屋敷の中へ竹田川の用水を取り入れておられるが、風情がある。蔵の宿で宴会を楽しむことも出来る。
暑い中ツアーに参加した方々は多く、今回3回目という皆出席者も数人いて、また次回ぜひ来たいという熱心なラブコールの中、無事JR福井駅前へ帰還した。

自画自賛

23年7月22日(金)
自画自賛

毎月「キラリ会」を開催し、早や4年が経過した。滋賀県長浜出身の私と石川県金沢出身の多田伸君が、福井の転勤族の方々を支援すると同時に、転勤族の知恵を拝借し、新しい福井を考える会を作ろうとしたのが、このキラリ会である。人から人へ私達の考え方に賛同する人が集まり、とても楽しい会になっている。福井の中心部に勤務地を持っている私達にとって、中心市街地の活性化はとても他人事とは思えない。そんな気持から、シティホテルであるフジタホテルと西武百貨店の活性化についても種々と提案を行ってきた。またメンバーは福井チョンガの方々が多いので、福井の名所旧跡を紹介したり、福井の穴場を教えあうことで、メンバー相互の懇親を深めている。
昨日は県の新しい観光営業部長伊藤恵造さんの就任の挨拶と東京海上日動火災の岡田支店長の離任の挨拶があった。そして福井テレビの福田布貴子アナの福井への思い入れのこもった軽快なトークに、出席者からの質疑が重なり、明るい笑い声に沸いた。最後に福井の魅力、福井の宝物についての意見が福井人、米、水、地酒、そば、焼さばなどに集中したが、自然のすばらしさ、そして何よりこのキラリ会が最高という自画自賛があり、有終の美を飾った。

五嶽樓

23年7月21日(木)
五嶽樓

足羽山の中腹、愛宕坂を登り出してすぐの左側の所に「五嶽樓」という名の料亭があった。「五嶽樓」の2階の座敷から眺める東方の山並みは誠に見事なものであった。現在は市立橘曙覧記念館となっているが、かつて福井藩主であった松平春嶽公が養子の茂昭(巽嶽)を連れてこの料亭に来て、東方遥かに白雪に輝く白山御前峰2702m(白嶽)と南方に浮かぶ白椿山720m(椿嶽)と目前の吉野ヶ岳547m(芳嶽)の三嶽と自分の春嶽、養子の巽嶽を合わせて五嶽とし、この料亭に「五嶽樓」の名を許したとの言い伝えがある。私は以前に女将から直に聞いていたが、記念館にもその旨が記されている。松平春嶽公の評価はまだ正しく定まっているとはいえず、何とか再度顕彰をする機会を作りたいと秘かに熱望している。明治維新という現代に続く時代のドラマの主人公として、幕末の日本の新しい国家像を作り上げた偉人であり、明治維新の本当の主役であったと考えているからである。福井城から歩いて30分足らず、万葉仮名を使った歌人の橘曙覧の草庵を訪ねたり、五嶽樓で休んだり、足羽三山の中での狩をしたりと春嶽公の忙中閑ありの生活や隠とん生活が目に浮かぶようである。桜の時期も山は花で一杯になる。次に新緑が萌え出してくる。そして雨季のあじさい、花しょうぶ、深緑の次は秋の紅葉、冬の雪景色も乙なものである。足羽山を楽しもうということで茶屋の「大久保茶屋」、創作料理の「離世」、そば処の「はれひより」の皆さんと語らって、「足羽山ソメイの会」を結成した。春嶽公にあやかって足羽山を満喫したいものである。尚、ロータリークラブ活動の一環として、足羽山自然塾、足羽山植物園のおもり、そして観光客へのPRなどの地道な運動を続けている。

23年7月20日(水)

全身に爽やかな風をあびて、至福の時を感じたことがある。もう20年程前のことである。芦原ゴルフ場でプレーした後、ゴルフ場の大浴場に入った。そして身体の疲れをほぐした後、脱衣場の入口に立った時だ。少し強めの風が全身をつつんだ。ほんの一瞬のようでもあったが、とても長く感じた。私の身体を吹き抜けていくような風であった。あの時の印象は今なお鮮明に思い出す。
私の現在住んでいるマンションの中の廊下部分であの時の幸福の瞬間を最近経験し、「あっ、あの時と全く同じだ」と感じ、とても驚いた。丁度20年前と同じように仕事で疲れて帰宅し、一風呂あびて薄着で廊下を歩いていた時のことである。風が吹き抜けていく感じなのだ。しかも強さも長さもあの時と同じである。この発見に私はうれしくなった。毎日この至福の時を経験し続けることが可能だと気付いたのである。その後何度もやり直して、風呂上りでなくても薄着で廊下から居間に入る瞬間、又はベランダからの風を窓辺で身体全体に受けていると、同じ気分を味わえるのを見つけた。人間にとって風ほど心地よいものはない。自然を大切にして、緑風や爽風を子々孫々にまで伝えていきたいものである。

魅力とは

23年7月19日(火)
魅力とは

人間の魅力というものは不思議なもので、その最たるものは一目惚れである。逢った瞬間に「この人こそ」と思ってしまうようである。わが身に置きかえてみるとよくわかる。
お店の魅力もそれによく似ている。私は毎日昼は外食である。夜も時々外食する。なぜ同じ店に行くのか、自問自答してみることがある。近いこと、客あしらいがよいこと、おいしいこと、健康によいことなど行く理由はいろいろであるが、何となく足が向いてしまう店が多い。これが「店の魅力」であろう。                                                      私の事務所は福井駅前にあるので、その周辺500m程度の中に数えてみると約10店のなじみの店がある。そば屋、すし屋、日本料理、西洋料理、中華料理、韓国料理とバラエティに富んだお店である。意識してバランスをとっていることもあるが、同じ店に毎日行くことはない。それぞれの店の魅力をじっくり味わって楽しみたいからだ。
中心市街地活性化、コンパクトシティ推進に取り組みはじめて早や数年が経過したが、この個店の魅力を高める努力が非常に大切だとつくづく思うようになった。その為に何を、どうすればよいのか、これはまちおこしの永遠のテーマである。補助金も結構ありがたいし、私のテナントさんにもすすめているが、自助努力がより重要である。利益が残らなければ長続きしないので、利益を残す方法をアドバイスしていこうと考えている。利益を残す方法はシステム化である。商業者だけでなく金融、行政、地域住民が一体となって新しいシステム化の構築が必要だ。東北特区がいわれているが、駅前特区でも中央1丁目特区でもよい。先進の社会実験をはじめる絶好のチャンスである。

日本人のふるさと

23年7月14日(木)
日本人のふるさと

福井県の西川一誠知事の発案で「ふるさと納税制度」が新しく発足し、福井県の名前が久しぶりに全国区になった。福井県は越前と若狭の二国を含み、歴史的には大国の部類に入るが、明治維新以後人口の減少が続き、現在82万人と全国でも下から5番目の人口となっている。
ふるさとの定義は難しいが、通常は、出生地又は先祖の地、第2の故郷という名の長く居住している所、或いは忘れられない地などである。転勤族の方々と意識して親しいお付き合いをお願いしているのは、福井をふるさととして認識してもらう為のささやかな努力である。
四季の移り変わりがはっきりしており、水・米・お酒がおいしく、山海の珍味にあふれた福井県は「日本人のふるさと」としての価値のある所と愚考している。人口28万人の県都福井市には総合病院が4つある。日赤、済生会病院、福井大学附属病院、県立病院が市内に点在し、中小の病院、医院の数も多く、年配の人にとっても、子育て中の人にとっても、福井に居住することは安全、安心につながるのである。特に自然が身近にあるので、思い出づくりに苦労はしない。幼い頃、慣れ親しんだ田園や川や山や海がすぐ手のとどくところにある。こんなに「故郷」のイメージを色濃く残している所は少ない。和紙の紙すき、陶器づくり、木工、染色、機織り、何でも教えてくれる所が身近にある。福井は「日本人の心のふるさと」と私がいう所以がそこにある。

コインパーキングシステム

23年7月15日(金)
コインパーキングシステム

コインパーキングシステムを考案したのは15年前のことである。当時の福井工業大学の金井兼造総長から「大学で特許を持っているコインパーキングの販売とメンテナンスをやってくれないかとの依頼があり、市場調査の結果、その将来性を確信して引受けることにした。競合メーカーは日本信号、オムロン、三菱電機、アマノと殆どすべてが東証一部上場企業であっただけに最初の3年間は悪戦苦闘の連続であった。失敗が続くとひとりでに知恵を使うようになる。4年目からは戦略を変えた。自分だけが市場を独占するのでなく、お客様がシェアを伸ばしていただくことで私達も共に伸びていこうと考えたのである。それと同時に全国の主要都市でコインパーキングの講習会を開いて、新しい顧客を1人づつ広げていった。10社獲得するまではその都市に居を構えて、お客様を育てていき、20社ぐらいで支店を開設していった。沖縄は電車がないところなので、沖縄はゼロからのスタートで支店を開設したが大失敗をして、2年で一時撤退となってしまった。時間貸駐車場・100円パーキングというコンセプトで広げていったのだが、あらゆる意味で、ICTの導入が必要となった。セールスへの携帯やPHS、モバイルパソコンの導入にはじまり、精算機への通信システムの導入、盗難防止のためのITC投資、そしてコールセンターの開設と私達のコインパーキングはICTの最先端技術によって支えられている。
エコについても太陽光発電や風力発電、更にはハイブリッド発電システムの導入など常に業界初のシステムを創り出してきたと自負している。
今後は省エネ投資が私達の業界でも進むと思われるが、もっと新しい分散型省エネシステムの可能性を予感している。いずれ近々中にそのシステムを世に問いたいと考えている。

レアアース

23年7月13日(水)
レアアース

レアアースは今迄あまり問題にならなかった資源である。世界一の産出量を誇ったアメリカが数年前に採掘を止めたのは、安い価格で供給してくれる中国産の出荷がはじまったからだ。そして世界各地のレアアース産地が生産規模を縮小し、今や中国が9割を供給する状態になってしまった。2005年以後、中国は輸出規制を強めてきており、価格急騰を招いている。
私は以前レアアースを政治面で利用することについて心配をしていたが、太平洋にレアアースを含む泥があることを発見というニュースが発表された。ハワイ周辺とタヒチ周辺の海からの泥にレアアースが多量に含まれているという。
地磁気の研究やメタンハイドレートや国際深海掘削計画などで既に採取されている78地点(水深3500〜6000m)の泥の分析を行って発見したとの新聞発表である。過去にはレアアースに興味を持つ学者もおらず、またニーズもなかったので、レアアースの分析そのものが除外されていた。今回はレアアース探しからはじまったので成功した。元日本海洋研究所長で東京大学海洋研の所長を兼務していた平啓介氏に聞いたところ、7年前から沖縄周辺の調査をやっていたがレアアースについてはここ最近のことで、当初からは調査の対象外だったとのこと。火山活動による熱水の関係なのか、単なる沈澱によるものなのか判然とはしないが、広く深海底に堆積していることは間違いない。これを吸引して精製分離するのはさほど難しいことではない。日本の近海での調査を心待ちにしたい。

財政危機

23年7月12日(火)
財政危機

EUの財政危機が顕在化しつつあるが、日本も金額の点では世界一の赤字をかかえている。この財政危機を乗り切る方法が消費税の値上げだといわれているが本当にそうだろうか。財政危機の原因は国民の老齢化であり、その為の年金支給の増加と医療費負担の急増である。また働かない高齢者を支える若者が少なくなっている事が、社会不安や年金制度の不信の原因となっている。
その解決策はたった一つ存在する。これは寿命と健康寿命の差を縮めることである。即ち生涯現役を貫いた私達の父母や祖父母と同じように、死ぬ間際まで世の中の為になることをする社会、そんな社会をみんなで奨励していきたい。また健康長寿社会礼讃の思想を普及させ、啓蒙していきたい。医療行為も現在の治療中心でなく、予防医学への転換をはかり、医は仁術といわれた社会に戻していきたい。そして高齢者が楽しく働ける職場づくりが最も重要である。就業意欲を奨励するような年金制度、課税制度への転換を望みたい。
私の友人達は殆どすべて年金生活者であるが、働いている人は少ない。毎日何をしているのかと聞いてみると、ゴルフや旅行が多い。貴重な人生の最終章をそんな事で過ごすというのはあまりに悲しいと思うのは私だけであろうか。有意義な生き生きとした毎日を送る為にはもう一度社会復帰をして、税金を多少なりとも払うことではなかろうか。

これからの戦略

23年7月11日(月)
これからの戦略

21世紀はアジアの時代といわれてきた。そしてそれが現実のものとなりつつある。日本はボーダレス時代を迎えて、日本の持っているインフラ技術の輸出、原子力や自然エネルギーを中心とした低炭素脱炭素エネルギー技術の輸出、そして日本への投資や観光旅行等の勧誘を促進する戦略をとろうとしてきた。それが3.11の大震災、福島原発の事故によって完全に見直さざるを得ない状態になった。これからの世界はどのような変化をし、私達はどう対処すればよいのだろうか。
昨年秋、世銀総裁がイギリスのフィナンシャルタイム紙へ投稿している。もはや米ドルだけが国際通貨として機能する時代は終わった。これからはユーロ、ポンド、円、元などを含めてお互いが支えあう時代となると述べている。アメリカの財政危機は日本と比較して決して安泰ではない。アメリカ国債を買っているのは日本、中国をはじめ世界中の先進国であり、それ等の国々が米ドルを買い支えているのである。日本の国債を格付企業が種々評価をしているが、彼等はサブプライムローンを含んだデリバティブ債権にスリーAをつけた張本人である。あまり信用できるものではない。EUについてもギリシアをはじめアイルランド、ポルトガル、スペインなど危機にある国々が多い。デフォルトの可能性を云々する声が出はじめているが、もしそうなればユーロやドルの暴落は現実味を帯びてくる。日本の役割は可成り重要になってこよう。日本に期待する外国も増えてきている。それは日本への信頼と日本円への信頼に裏打ちされた期待である。ただ現在の電力不足、法人税減税の先送り、政治の無策が重なれば企業はどんどん海外に出て行ってしまう。日本国内への投資が必要な今日である。投資をする意欲のある企業を優遇する政策が何としても必要である。
私達は中小企業ではあるが志だけは常に高く持っている。創業時から掲げている「最先端のICT企業をめざす」という大きな夢に向かって新しい歩みをまた始めている。

生活スタイルを変える

23年7月8日(金)
生活スタイルを変える

「がんばろう日本」というコピーをあちこちで見るようになった。東日本の震災への支援と同時に福島原発事故がもたらした電力危機を契機として、今迄と違った生活への転換が求められている。生活のスタイルを変える必要が出てきたのである。今迄はより豊かな生活を、より快適な生活を、より便利な生活を求めてきた。その為に多量の電気を使ったのだ。これからの生活スタイルは今迄の反省の上に立って、よりシンプルで、より自然で、よりゆっくりとしたものにしていく必要があろう。
省エネの最たるものはクーラーを使わないことだそうである。私のマンションは高層階にあるので30℃以下の場合はクーラーなしで生活できる。夜間電力の契約をしているので、洗濯機や乾燥機の使用は午後10時以後になる。ベランダの植木鉢への撒水は毎日欠かさないようにしている。出来るだけ家族が集まって生活すると照明が少なくてすむ。わが家でも扇風機を出してきて真夏に備えている。うちわや扇子もしっかり準備して、真夏の到来を今か今かと待ち受けている。今年の夏の暑さは格別だと予測されるだけに、出来ることはすべてやろうと考えている。

LED照明とバス停

23年7月7日(木)
LED照明とバス停

LED照明の普及がすすんでいる。大手が最近量産に乗り出してきて、末端価格が下り、それが普及に拍車をかけている。中小企業では大手の進出の前に、次々と新製品を開発していく必要がある。金沢のファブレス企業でLEDをバス停の照明に使っているところがある。東京都からクリーンエネルギーを使ったバス停のモデル事業として受注したとのこと。バス停の屋根に太陽光発電と小型風力発電とバス停のイスの下に電池を配してシステム化している。夜間の照明や電光掲示板にLEDを使っている。このシステムは私達がハイブリッド発電システムとして、5年前に開発したものと全く同じ発想である。私達はコインパーキング場に設置していったが、それをバス停に使うと発想を変えた。私はいつも発想の転換をうるさく云っている。柔軟な考え方であらゆるものをシステム化することで、ローテクでもすばらしい新商品を生むことが出来る。バス停に特化したLEDシステムはとても魅力的である。と同時に他への応用の可能性が大きい。

デフォルト

23年7月6日(水)
デフォルト

アイスランドの銀行のデフォルト問題は相変わらず政治問題化し、2度に亘る国民投票の結果、いずれも国による救済案に国民はノーをつきつけている。国際裁判所の判決をイギリス・オランダは期待しているようだが、EU全体の信用不安の発火点だっただけに、解決の遅れが心配である。いまやヨーロッパの経済の弱体化が心配されているが、先日オバマ大統領がUSAのデフォルトの可能性に言及した。アメリカの歴代大統領の中ではじめての発言であり、注目する必要がある。ガイトナー財務長官やグールズビー経済諮問委員会の委員長が辞任の意志を表明しており、ドルの先行き不安に注意しなければならない。輸出には円や元での決済、輸入にはユーロ、米ドル決済を心がけておくと安全であろう。原発問題に端を発するエネルギーの将来、100年に亘って世界をコントロールしてきたアメリカ中心の金融コングロマリットの弱体化等を考えると、先の不透明感はますます増すばかりである。繁栄の入り口に立っているのか、恐慌の門口なのか、それすら判然としない。留意すべきは、内需拡大の努力を官民すべてがもっと真剣に行うべきである。そこに安全性を高める秘訣がある。投資先は国土軸の再構築であり、東北と全国を結ぶ新しいインフラの構築である。

1人暮しが標準家庭

23年7月5日(火)
1人暮しが標準家庭

2010年10月に実施された国勢調査によると、日本の標準家庭といわれてきた「夫婦と子」の家庭よりも、1人暮しの人が上回り、総世帯数5092.8万世帯に対して、1人暮しは1588.5万世帯となった。1995年には1人暮しの比率は25.6%、5年後の2000年には27.6%、2005年には29.5%となり、遂に2010年には31.2%となった。急増という言葉がピッタリの増え方である。
老人の孤独死が時々新聞紙上を賑わすことがあるが、誠に悲惨な状況である。高齢者の1人暮しは危険だと思った方がよい。私達の分譲マンションは隣人祭りを年2回開催し、相互の助け合いを奨励している。更にワイン会やジャズのフェスティバル等を開いて、孤独にならないように住民すべてが見張り役を務めている。
1人暮しが急増しているので、日本の総世帯数は年々増加を続けている。これが原因で、日本の経済や文化に及ぼす影響は大きいことを知らねばならない。新商品の誕生につながるものも期待できよう。新様式の生活スタイルによる変化から、次々と変革の萌芽が表われるであろう。1人暮しの急増は、悪いことばかりではない。新しい可能性を生み出してくれることも多いのである。何を見付けるかは私達の努力次第である。自分の仕事に関連づけてじっくりと考えてみたい。

風車について

23年7月4日(月)
風車について

戦争中の話になるが、B29というアメリカの爆撃機が日本の各都市を絨毯爆撃していた。日本の零戦(ゼロセン)という攻撃機の性能が優秀だったことと、飛行士の技能のレベルが高かったので、太平洋戦争の中盤までは大きな成果を上げていた。それが終戦が近付くにつれて、1万mの上空から急降下して爆撃するB29や護衛機に、零戦は次々と打ち落とされていった。1944年頃からは、B29は無敵の編体を組んでいた。私達は子供ながらに「見えない飛行機」や「四発機」などの開発を待ち望んでいたのである。
戦後になってジェットエンジンの形を見るにつけ、二枚羽の単発エンジンに始まった飛行機の形が、双発になり、究極のジェットエンジンとなってきたのに驚く。
私達も風力発電機の2枚羽や特殊な形の羽根を作ってきたが、先日九州大学の教授が羽根のまわりにジェットエンジンのカバーのような形の輪っぱをつけて、風力を3倍に増やす実験をしているのをテレビで見て、風力発電の可能性の余地が残されているのを感じた。羽根の形だけでも可能性が潜んでいる。落雷や津波、台風への対処法、メンテナンスの方法の開発もこれからである。日本の技術はナノテクといわれているが、微細なところの開発にまで秘密の花園が残されているような気がしてならない。

洋上の風力発電

23年7月1日(金)
洋上の風力発電

茨城県の太平洋上に建設されていた風力発電所が大津波や大地震の影響を全く受けずに、以前と変りなく、東京電力へ電力を供給しているとの報道を知っている人は決して多くはない。しかしこれは事実である。日本の風力発電はJパワーをはじめ急激な投資が全国で行われている為に、シェアが大きくなっているが、洋上の風力発電所の建設はいま始まったばかりである。
日本の近海は、太平洋、日本海のいずれも、水深200m以下の浅瀬に取り囲まれている。このことは洋上風力発電所建設の適地が日本列島のあちこちに数多く存在することを示している。特に日本海側は大津波の発生頻度が低いので立地としては有望である。私は数年前に能登半島の門前町やその周辺で風力発電所を作ろうとの誘いがあり、再三に亘って現地調査を行った。その後Jパワーが入ってきたので撤退を余儀なくされたが、その時は北陸電力の役員にも問合せたのを覚えている。その直後に能登半島での地震があり、未着工だったこともあり、何の被害も受けなかった。
風力発電との出会いは更に数年を遡って、ハイブリッドカーが話題に上った頃、太陽光発電と風力発電を一本の風車にビルトインして、駐車場に設置することを考案し特許申請をしたことから始まった。未だに気に入ったものは未完成であるが、あきらめたわけではない。洋上発電と同じように可能性はいくらでもある。小型原発、小型水力発電などと同様に「地産地消電力」という意味でのハイブリッドの発電機にも出番が来ると思っている。