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2012年11月のアーカイブ
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日銀の金融緩和
11月30日
日銀の金融緩和
日銀も政府も金融緩和政策をとり続けると主張しているが実体はどうか。かつて1980年代都銀等の大手銀行の予貸率は100%をこえていた。地銀や信金も70〜80%であった。
それがバブル崩壊を経て、大手銀行の集約、貸しはがし貸し渋りがはじまり、企業や個人の投資意欲、消費意欲を急速に冷えこませてしまった。1990年からはじまった金融引締めと不動産投資規制のすさまじさは狂気とも思える程の激変をもたらした。その間金融を支えたのは国の金融機関と信用金庫だけであった。
現在はどうか。日銀の3月末の調査によれば全国都道府県の金融機関の預貸率が半分を割っているところが半分以上あるという。福井県は44%と非常に低い。このような状態で金融緩和といって見ても全くの空念仏である。空理空論である。必要とされる資金すら、現在供給できていないことを日銀や金融庁は本当に知らないのであろうか。
投資や消費が行われるか否かはまず先行不安のふっしょくでなくてはならない。そしてその次は融資緩和のシステムを稼働させなくてはならない。それを無視しては、何の変化もおきない。いたずらに1515兆円の個人金融資産は、今迄と同じように毎年積み上っていくばかりである。日本国民のために使われるべき1515兆円を有効に使わせる政治家や金融マンの出現を祈っている。
女性の社会進出
11月29日
女性の社会進出
福井の女性の共稼ぎ率は、常に全国のトップクラスに位置している。
この原因は環境整備が出来ているからだ。まず三世代同居が多く祖父母が幼児の面倒をみてくれる。保育所が手近かにあることも有難い。そして働こうと思えば雇用の受皿がととのっている。中小企業・零細企業が数多くあり、欲をいわなければ仕事はどこにでもある。
車の普及率もトップクラスなので、一家に数台の車を持っている。共稼ぎの女性は殆ど自分用の軽自動車を所有しており、職場が多少遠くてもドアツードアで通勤ができる。
職場でも共稼ぎの女性が多いので、お互いにあうんの呼吸でかばいあっている。だから「女性天国」は福井だと思っていた。
幸福の原点は「平和」と「相互扶助社会」と「三世代同居」である。
福井県は海、山、川に恵まれ、四季の織りなす美しい自然が満ちあふれている。そこに生き生きと働らく女性達がいる。まさに桃源郷である。理想郷である。
ところが北欧の事例を聞いて驚いた。日本の女性は働き者だと思っていた私は、北欧の就労率の高さとダイバーシティ指数の高さに驚いたのである。働く意欲のある女性の80%近くが働いている。そして役職についている女性比率が非常に高い。育児休暇は47週間とってよい、それも男女共に認められている。その間の給与は100%支給されるとのこと。男女差別が殆ど無いことを教えられた。
福井の女性はまだまだ幸福になる可能性が高い。
「福井しあわせ元気国体」
11月28日
「福井しあわせ元気国体」
2018年に国体が福井県で開催される予定だ。あと5年程しかない。準備を着実にすすめていく必要がある。国体名は公募で決定した。応募者数7441件の内から「しあわせ」と「元気」の提案をつないで最終決定となった。「福井しあわせ元気国体」である。あと「5年」を長いと思うか短いと思うかは、人それぞれとり方は異る。しかし準備をはじめなければならないのはハッキリしている。要は何を準備すべきかである。と角ハードにかたよりがちな準備だけでなく、名付けた「しあわせ元気」の名に恥じない内容の濃い中身の充実した国体にしていただきたい。
その為にはソフトにより注力してもらいたい。
全国から集まってくる若者達のスポーツの祭典にふさわしい福井の魅力づくりの準備を今から始めようではないか。
教えられること
11月27日
教えられること
ブータンミュージアムは資金面がぜい弱なので、人を採用することが不可能である。私の会長室の全員が移動して、ブータンミュージアムに毎日出勤している。会議もお客様の応接もすべてこちらでやっている。そのため友人知人を含めて、多くの方々とおあいできる。
昨日は80才前後のご婦人が十数名でおいでになった。よくわからないので説明してほしいとのこと、約30分程であったが、館内を歩きながら説明していくと、ブータンミュージアムには説明パネルは数多くあるが、説明員は1人もいないのに気がついた。ボランティアを募集しているので、その人達に「ブータン王国の魅力を説明するガイド役」になってもらうことにしたらどうだろうと気付かされた。
早速次回の内部のミーティング(第21回目)で提案をしてみようと思う。
寄付第1号千円
11月26日
寄付第1号千円
オープンして数日の後、1人の女性が入館された。ブータンミュージアムは入館料を無料としているが、しばらく館内を見てまわられた。「ブータンの本棚」から本をとり読んでおられるようであった。帰りぎわに千円札をとり出し、「寄付します」とおっしゃった。名前を聞いたが何もいわずに笑って帰っていかれたとのこと。この話を聞いて思い出したのは、新島襄がアメリカから日本へ帰国する際の教会でのエピソードである。ある農夫が2ドル寄付をしてくれた。帰りの汽車賃を寄付した農夫は「私は歩いて帰れるから、この2ドルを日本の若者の教育のために使ってほしい」と申し出たそうである。
この2ドルが発端となって同志社の設立につながった。その後札幌農学校を開校したクラーク博士は、アメリカへ帰国する前に同志社に立ちより、新島襄に日本での収入のすべてを寄付したとのことである。何事も、すべては小よりはじまる。友人が数万円の寄付を申し出てくれたのも心強い支えになったが、私にとっては老夫人の無名の千円の寄付ほどうれしかったことはない。
大学が多すぎる
11月22日
大学が多すぎる
日本に大学がいくつあるのだろうか。規制緩和によって大学が急増し国立大80校余、公立大80校余、私立大600校余と現在800校近くになってきた。私が入学した頃は、同年齢の友人で大学へ入ったのは1割もいなかった。最近では大学へ行きたい人の殆んど全員が入学している。そこで問題になるのは大学の質、学生の質、学力等であろう。文科省の指導では大学はコミュニティの中心になれ、地方に根ざした大学になれとのことのようだ。私は大学が、入学してくる学生にとっても、その地域の人々にとっても必要とされる大学、誇りに思える大学になることを願っている。福井県立大学の下谷政弘学長(経済学博士)と懇談する機会があり、そのことを痛切に感じたのである。世はボーダレスの時代である。社会は国際的に活躍できる人材を求めている。単なる成長のためだけでなく、経済発展のためだけでなく、新しい価値観を求めて使命感を持って努力してほしい。競争を是とするのでなく、ブータン王国のように「みんなの幸せ」の為にみんなが協力しあえる国づくりをすすめる新しいリーダーとなれる教育を望みたい。
福井市中央卸売市場
11月21日
福井市中央卸売市場
金沢に近江町市場がある。市民の食を支える市場である。京都に錦市場が同じようにある。両方とも市民を対象とした食の市場であるが、観光客にとっても魅力があり人気が高い。福井の市場は卸市場で一般客の入場は制限されており、しかも郊外にある。この市場をロータリークラブの職場例会で利用し、その活動の詳細を聞いた。年商200億円と聞いて驚いた。おもな取扱品目は魚、野菜、果物、花などで、魚は鮮魚7千t余り、冷凍魚千t近くと大きな比重を占めている。地元への卸売りと同時に首都圏などへの卸売りを積極的に行っている。福井の魚は日本一おいしいとの評判を得ているとのことである。何故福井の魚の味が日本一なのか、不思議に思う人があろうが、その秘密を教えてもらった。暖流と寒流が交差する所であり魚種が多いが、味のよさは魚の鮮度によるとのこと。福井の漁業は海岸線から15km以内の浅瀬での定置網漁が多い。捕獲と同時に水揚げし、市場へ直ちにとどけるのである。朝とれ市場を日本で最初に作り成功しているのも、この一時間でも早くお客様の口へ入れたいという強い思いによっている。今夜の晩酌は日本海の幸と共に楽しみたい。もう越前ガニのシーズンだ。カニを待っている友人が多い。
ブータンの河川
11月20日
ブータンの河川
ブータンの河川の特長はすべてブータンヒマラヤと呼ばれる山脈、山塊に源を発している。チベットから流れてくるものもあるが、ほとんどはブータン北域の山岳地帯の氷河・氷河湖に源がある。
西のアモ・チュウはブータンとシッキム(現在はインド)の間のチュンビ谷の奥のチベットより流れてくる。その東方の川はウォン・チュウ。ハ・チュウやパロ・チュウを合し下流でライダク川と呼ばれる。その東側にモ・チュウがある。下流へいくとスンコシ川となる。更にその東方にトンサ・チュウ。次にブムタン・チュウ。そして更にクル・チュウがある。このクル・チュウの上流がチベットでありヒマヤラを抜けてくる。この大河に東ブータンの各川が合流してきている。ブータンの河川は国土の標高差が示すとおり、北が高く、南が低い。その為、川(チュウという)は主として北から南へ流れ下ると考えるとわかり易い。数億年にわたる造山活動と河川の浸食により、峠(ラという)は高く、谷は深い。その為に町を結ぶ東西の交通は難しく、各町や村は孤立して存在せざるを得なかったと考えられる。現在ブータンには20の県(ゾンダ)があり、県庁はゾンの中にある。そして高僧と裁判官(ティンペン)と知事がいる。ゾンは川の流れの幾分ゆるやかな平地や丘の上に建っている。その周辺には農地がよく耕されており美しい風景をかたちづくっている。その風景の中に浮かんでいるのが、各地にあるゾンとそれを取りかこんでいる民家の数々である。重要なゾンはハ、パロ、ティンプー、プナカ、ウォンデポタン、トンサ、ブムタン(ジャガゾン)、クルテ、シェミガン、ヤンチー、モンガル、タシガン等である。
ブータンは美しい山と清らかな川がおりなす桃源郷である。日本と同じように四季があり、人々は生活をエンジョイしている。
自給自足経済を長く保ってきたので自立心が強く、また他人を思いやる暖かい心の持主が多い。私達が昔に持っていた家族愛、地域への愛着心が残っており、なんともいえない懐しさを感じることが出来る。
円高基調
11月19日
円高基調
輸出企業を中心に円高対策が声高に主張されている。私の幼少の頃は日本は貿易立国だった。世界の工場だった。輸出が花形だった。だから当時は円安誘導が必要で、それは国策でもあった。しかし今は違う。世界第3位のGDPの日本は、輸出で第4位、輸入でも第4位だが、輸出入のバランスは赤字になりつつある。2011年は2兆64億円の赤字。これは1980年以来31年ぶりの赤字である。そして大事な点は日本は世界有数の内需国になってきたのである。G20の中で内需第4位となった。第1位のアメリカの輸出依存度は約9%、次はブラジルの約10%第3位はインドの13%そして日本は14%である。16位の中国27%、19位韓国46%最高のサウジアラビア約58%。日本の安定度は抜群である。
円高に右往左往する必要は全くない。輸入品の円高益を直ちに国民に還元することを望みたい。それが輸出品のコストを引下げ、国民生活にも大きなプラスをもたらすのである。円高を恐れるな。これが常識中の常識、歴史が証明している事実である。
Something great
11月16日
Something great
世界中の科学者が集まっても1ケの細胞の命の解明ができないという。人間の身体を構成する細胞は60兆個ある。そして1個の細胞の中には、百科辞典3000冊分の遺伝子情報が書きこまれている。そしてその中には死もすべてプロミングされている。人間の生命の誕生の確率はどのくらいあるのだろうか。私はかって卵子と精子の出会う確率というので数億分の1ぐらいの確率と計算したが、科学者の説によると遥かに小さい確率だという。そうなると私達の生命の貴重さに気付かざるを得ない。自分の生命をより大切に思うようになる。同時に、隣の人、仲間達或いは地上の生命すべてを愛するようになる。そこにサムスィンググレートの存在を信じたくなる。
「人知を超える」という言葉がある。1人の人間の身体の細胞は60兆個だが、これが互いに協力し、見事に調和しながら機能している。
生きているという事は奇跡に近い。いや奇跡だ。そう考える時は、他人の命を尊いと心から思えるようになる。
日本ブータン幸福学会設立について
11月15日
日本ブータン幸福学会設立について
2011年11月のワンチュク現国王(第5代)夫妻来日を契機に、広く日本国民に注目されたブータン王国は、ヒマラヤの秘境、世界のシャングリラ(桃源郷)としてつとに名高い。中国のチベツト自治区とインドとの間にある小国である。前国王(第4代)以降、国民が等しく幸福になる国をめざすという国家目標を立て、GNPでなくGNH(Gross National Happiness)を目指している。
一方、福井県は平成21年から今年度までの予定で、東京大学社会科学研究所と共同で夢や希望の調査研究を進めている。そうした折、昨年11月、法政大学大学院の坂本光司教授等は都道府県別の幸福度の調査結果として、日本一の幸福な県は福井県であると公表した。多くの県民は大変驚くと同時に、半信半疑ながらも大変嬉しく思っています。
そこで、世界一の幸福の実現をめざすブータン王国と日本一幸福だといわれてもなお実感の伴わない福井県に注目し、「真の幸福とは何か。また真の幸福を実現するにはどうすべきか」を研究するため、ここに「日本ブータン幸福学会」を発足することとした。幸い、県内には、ブータン王国での国際協力活動経験者、ブータンに関心を寄せる研究者や一般県民などもおられ、また、ふるさと希望指数(LHI:Local Happiness Index)の向上を目指す行政(福井県)の取り組みなども見られる。
20世紀は経済力や軍事力を前面に押し立てた覇権を競う時代であったが、21世紀は環境保護、省資源・省エネ、自然との共生、対話と協調などを優先した、真の平和と幸福を追求する時代になるべきであると強く確信し、幸福学会の設立を準備中である。
老人とは
11月14日
老人とは
百寿者という言葉がある。百才以上の超高齢者を呼ぶ名である。その百寿者が日本全国で5万人を突破した。日本の総人口の0.4%である。1912年以前に誕生した方々である。1923年の関東大震災の時は11才以上、第一次第二次の世界大戦争を経験し日本各都市が焼土と化したアメリカのB29による空爆を体験された。1956年の南極越冬隊の時は44才以上で、貧しいけれども、世界の一流国に負けない気概を持っておられた。1964年の東京オリンピックの時は52才以上、この時新幹線は東京、新大阪間が開通している。
2012年現在の65才以上の人口は3000万人を突破し、日本の総人口の4分の1に近付いている。75才以上の人口は1500万人をこえて12%以上となっている。高齢社会である。生涯現役を願っている私にとって高齢社会での生き方に、大きな興味を持っている。後期高齢者といわれる我が身にひきかえて、百寿者(sentenarian)の方々は心強い味方である。その百寿者の特徴は、家族に囲まれている、地域に貢献している、自分の役割を持っている、オシャレである、ストレスを大らかに受け流している、などなど。私達も参考にして元気に生きていきたいものである。
ブータンミュージアム
11月13日
ブータンミュージアム
オープンまでのカウントダウンがはじまっている。1日1日が大切だということが実感できる。今日も何人かの友人が、準備に忙殺されている私をたづねて来てくれた。ミュージアムの前を通りがかり「11月17日オープン」とかいてあるのを見て、訪れてくれたのだ。今日から招待状の発送をはじめた。そしてポスターの掲示は一昨日からすでにはじめられている。2日間オープンセレモニーを挙行するのは、福井県民の「初もの好き」を思ってのことだ。珍しいものに興味を持ち、必ず見にきてくれる。セレモニーを1日でなく、2日間に引き延したのは来館のチャンスを倍にしたかったからでもある。その為に経費も倍になり、準備のエネルギーも倍増する必要がある。それもこれも「ブータン王国の魅力」を知ってもらいたいからである。「ブータン王国」には、私達日本人が失いつつある家族愛がある。地域の絆がある。強い信仰心がある。そして明るい笑顔が満ちあふれている。
友人達やマスコミの皆さんは私に問いかける。「なぜブータンか」「なぜお前がやるのか」「いつまで続けるのか」「その目的は」質問に対する私の答はいつも同じである。「とに角、オープン時に来て下さい。答はすぐわかります」プレオープンイベントの「みんなで幸福をかこう」というテーマで来館された数多くの方々が、口々に残された言葉は、「癒されますね」「ホットします」「ぜひブータンへ行きたい」「ツアーをくんでくれませんか」「なつかしい感じがします」「昔の子供の頃を思い出します」などなどあった。オープンセレモニーでは、もっともっとそれを感じてもらえるようにと努力している。
ブータンの首都
11月12日
ブータンの首都
ブータン王国の最初の首都は、トンサ出身の初代国王が創ったブムタンである。二代目国王が首都をトンサに戻し、三代国王は23才で即位し首都をティンプーへ移し、夏の宮殿とした。冬の宮殿は低地にあるプナカゾンである。この王妃ケサンワンチュクは英国で教育を受け、日本へも何度も訪れている。桑原武夫や京都大学との関係をとり結んだのはこの元王妃、パロ谷の盟主と呼ばれる。ケニアのナイロビで夫君三代国王ジグミドルジワンチュクが急死、3日後子息のジグミシンワンチュクが王位を継承。2人の姉と2人の妹がある。
ブータンは女性が財産を継承する風習が残っており、女性が大らかでいきいきとしているのはそれが原因であろうか。男性の民族衣裳ゴの地味さに比較して、女性の衣裳キラの華やかさは格別だ。この点は日本の和服の男女と非常によく似ている点である。今月オープンするブータンミュージアムの展示品の中で、この女性衣裳、数点のキラは圧巻である。天蚕の繭から織られた絹のキラを最高とするが、毛のキラも十分美しい。綿のキラは、首都の各地で見られ、ブータン独特の雰囲気を醸し出している。
ブータンヒマラヤ
11月9日
ブータンヒマラヤ
ブータン王国はヒマラヤの東南に展開する山岳国家である。丁度中央部にトンサの町がある。その東北にインナーヒマラヤと呼ばれるガンケルブンツク(7541m)がそびえている。その南はブラックマウンテンと呼ばれる大山塊がある。
山は高く、谷は深いので東西の交流を阻害している。
このトンサのペンロップ(知事)のウダン、ワンチュクが地方を統一して首都を東ブータンのブムタンとした。ブータン王国の誕生である。この時期イギリスの侵略は、インドからチベットまで及んだ。その後ブータンは中国の圧力を排除する為に、イギリスの支援を受けて、統一国家を樹立したのである。
中央部のトンサの西は標高2000m〜4000m山岳地帯が続いている。ブラックマウンテンの東は、高度が低くなり、東ブータンと呼ぶインドのアッサムとの交流があり、西ブータンとは異る言語や文化がある。
ブータンヒマラヤで最も有名なのが、盟主といわれるチョモラリ(7314m)である。ブータンへ入る観光客が必ず賛美する山容は正に絵にかいたように美しい。私と同乗していたアメリカ婦人がエヤバスの窓から雲海の中に浮かぶチョモラリを見て「ピクチャーラテイク」と呼んだ声が今も耳に残っている。
ブータンは三つの文化を持つヒマラヤの国である。三つの文化とはインドのアッサム亜熱帯文化と、チベットの高地文化・遊牧文化と、東方よりもたらされた照葉樹林文化・稲作農耕である。この三大文化の融合が現在のブータン王国を築き上げてきた。
私達日本人がブータン王国に親近感を持つ理由は、人種的な同根だけでなく、融合文化を持っていることと、自然宗教や仏教が人々の生活に深く浸透しているからである
陰徳、積善、節倹
11月8日
陰徳、積善、節倹
二宮尊徳(1787〜1856)を知っている若者は少い。終戦までは小学校(当時は国民学校)の校門の脇にその石像があった。薪を背に、本を読み乍ら歩く姿が印象的だ。孫が通っている啓蒙小学校の校門に今もその石像が残っているのはうれしい。
尊徳は数多くの至言を残しているが、「陰徳、積善、節倹」という言葉ほど現代に必要なものはない。三つとも消えかけていたものだが、最近省エネで「節倹」がよみがえりつつある。「積善」は言うのは易く、行うのは難しい生活態度である。
子孫に美田を残すなといわれているが、最高の遺産は陰徳や積善の生活をしている、親の姿を子や孫に見せておくことであろう。
特に「陰徳」ほどすばらしい行為はない。尊徳の生涯を貫く偉大さは、他人の為に心血を注いで難事に立ち向い、信念を貫きとおして、「実行」しつづけたことである。
「実行」なくして成果なしを証明した人生であった。村を窮乏から助たのが605回もあったと記されている。
福井城跡
11月7日
福井城跡
福井城跡の真中に県庁舎・県会議事堂・県警本部のビルがどんと建っているのに驚く人が多い。そんな例はあまりない。佐賀県庁がこれに近い。そして「残っているのは城の石垣だけだ」という人も多い。私にいわせると余りに否定的な意見に聞こえる。立派な石垣と見事なお堀が残っており、堂々とした天守台の石垣も残っている。貴重な国民の資産である。金沢城跡の中で毎朝散歩していたのは7、8年前であった。金沢城跡にはそれ以降莫大な投資が続いている。次々と古い城郭が復元されつつある。しかも創建当時の純粋な木造りである。福井城の場合も周辺の整備を併せて行えば、日本でも数少い貴重な旧城下町を再現できるであろう。
経営破綻
11月6日
経営破綻
福井県内オリジンの企業としては最大の倒産で、負債総額370億円との発表。メインの福井銀行約180億円、北陸銀行約120億円と地元金融機関の受けるダメージも大きい。代表の小野光太郎氏は会議所の副会頭を勤められ、面識があっただけに大変驚き、その心中を思う時誠に残念至極である。同じ商社出身の経営者として、ヨーロッパ市場でおあいしたり、ドイツのメッセで同じグループになった過去の事を思い出している。
かってはアルミホイールの製造からスタートされワシマイヤーがアルミから軽合金鍜造ホイールへ転換され、高級車やスポーツタイプの車の愛好家の支持を得て、発展されていったのを、好感をもって眺めていた。
また眼鏡レンズの製造販売は、私が以前勤務していた会社で取扱っていたCRレンズから、スタートされ品質管理が非常に難しい製品だけに、その成功を喜んでいた。
福井県という小さな世界の中での大型倒産だけに、周囲に及ぼす影響が心配だ。従業員300名を是非守ってやってほしい。そして中核の日本マイヤー以下の企業の生き残りを祈りたい。
ブータンの音楽
11月5日
ブータンの音楽
芸術大学のような伎芸学校を訪問した。その中で大きな歌声が聞こえてきた。そちらに行って見ると、キラを着た女性達が手をつないでから歌をうたい、踊りをおどっている。日本の盆踊りのような素朴な踊りと歌だが力強い。フォークダンス調である。
ヤンチェンという4本の弦が7段ありそれが左右にある独得の楽器がある。それを竹箸か茶杓のような竹の先にゴムのようなものがついているので、叩くのである。胴が空洞になっているので可恋な音色がする。三味線のような七絃のものを、ダムニェンと呼ぶ。頭の部分に龍頭を飾りにつけている。中国の二胡そっくりのピュアンは二胡奏者の方々がよく似ているという。日本のしの笛そっくりのリマは日本のしの笛と比べると手作りの笛に近い。
マスクタダンスは特別のお客をもてなす為のものである。普通は年に2回の国家的な行事が行われる際に、ゾンの中で多勢の市民の前で繰り広げられる。明るい色調のハカマをはいて、仮面をつけて踊る。手には刀や金棒や太鼓を持って、ドラと太鼓のリズムにあわせて踊る。太鼓は大小あるがこれをたたくのは曲った金のバチだ。スイスのホルンのような長い笛がなると踊りがはじまる。テンポは緩急に豊み、勇壮である。空気の薄い高地であり乍ら飛んだりはねたり大変だ。ゆっくりと重々しく踊る時と、はげしく早く動きまわる時とがある。
みんなで歌う民謡のような曲は、松林の中に静かに消えていく。哀調を帯びた曲が多い。また求愛や挨拶代りの明るい曲もあり、かけあいの歌い方もあり、大らかな自然児同志の豊かな感情の高ぶりを感じさせる場面も多かった。
ブータンミュージアム
11月2日
ブータンミュージアム
桜通りとフエニックス通りの交差点、福井裁判所すじ向い、森八大名閣の隣りに「ブータンミュージアム」をオープンする。11月17日(土)と18日(日)の二日間に亘って、ブータン楽器を使った演奏会や、ブータン王国の幸福についてGNHの研究や福井県の希望学や幸福についての講演会を開催する。すべて入館料、会館使用料は無料とし、広く福井県内外の方々に解放したいと考えている。「ホッとするところ」「とっても癒される空間」「本当の幸福って何だろうと考えちゃう」「好きなものが一杯」「楽しめるところ」そんな場所を作り上げていこうと、沢山の友人の協力のおかげでオープンする。ボランティアの方々の支援もうれしい。みんなで支えあえる場所にしたいと念じている。
福井駅前
11月1日
福井駅前
福井駅前は、ピアやベル等の郊外立地のショッピングセンターが出来る迄は、唯一の商業集積地として県内随一の賑わいを呈していた。そして居住人口も多く、街は活気にあふれていた。飲み屋街が、駅西南から、片町通りへ徐々に移っていったのは、郊外型の町への移行と時を同じくして起きた。駅前商店主達の子や孫が郊外へ居住していったのも同時である。かくして駅前はシャッター街と変じ、駅前の商店だけを死守してきた商店主は、苦しい経営に追い込まれていった。
問題はどこにあったのか。日本一の郊外立地を許した行政の責任は大きいが、駅前商店主が郊外立地のスーパーマーケット内への出店を加速したのも一因である。駅前よりも郊外店舗を優先せざるを得なかったのである。そして今、コンパクトシティ推進の時代に入り、駅前再投資のチャンスがやってきた。どこで、誰が、何をするのか。皆が注目している。県都福井市の駅前をどのようなデザインで改造していくのか、その姿が求められている。