2013年03月のアーカイブ

桜並木

3月31日
桜並木
福井の国際交流会館からNHK前を通り、ブータンミュージアムへのさくら通りの桜が、いよいよ満開を迎えようとしている。福井の桜の開花の順番は、まず初めが桜通り、次が足羽川の堤防、そして最後が足羽山の桜が咲く。最近の傾向はその差が縮まってきている。一時に咲くことが多い。同じように電車通りのケヤキ並木も新芽がふき出す。春の到来を告げる日々である。春になればやりたいことがいろいろある。永平寺の住いを整理整頓しはじめた。借り手を捜そうという意見もある。庭の桜も4月の中旬には美しい花を咲かせてくれることであろう。四季のうつろいを楽しむのが福井流の住み方の醍醐味である。

喫煙は悪

3月30日
喫煙は悪
がんは1981年以後ずっと死因の第1位を占めている。死んだ人の2人の内1人ががんを患っている。そこでタバコの害悪をとり除く為に、喫煙率の引下げの数値目標が決定した。2022年度までに成人喫煙率を12%以下にするというのである。受動喫煙は行政機関・医療機関内は0%、家庭で3%、飲食店で15%の目標となった。更に2020年には全職場での喫煙が禁止となる。私はJT株の少数株主であるが、単純に考えるとJTの未来は暗い。食品業界への更なる進出を望みたい。

新島襄と福井県

3月29日
新島襄と福井県
幕末に函館から脱国した新島襄はアメリカのアーモスト大学を卒業後、岩倉使節団の通訳兼案内人として、アメリカを本格的に理解する為の支援を行った。脱国してから一転新政府の最重要官僚達の指南役になったのである。1873年キリシタン禁制高札撤去、1874年帰国後、明治8年(1875年)同志社英学校、同志社女学校設立。
その7年後の1882年同志社大学設立運動を開始している。第2次の大学設立運動を再開したのは1887年で、同志社病院と看護学院を設立したがまたも病に倒れ1890年日本初の私立大学設立の夢かなわず逝去。同志社と福井ゆかりの横井小楠との関係は深い。横井小楠と森有礼の二人は、キリスト教徒と目されて暗殺された。日本近代史上稀な人物となった。その後明治時代を通じて、キリスト教は、文明開化のかけ声と共に盛んになった。日本の上流階級の子女達が、アメリカ留学を果している。
同志社英学校設立の立役者は新島襄と妻の八重そしてその兄山本覚馬、アメリカンボードのディビスであるが、会津藩、熊本藩、福井藩などの果した役割も重い。特に熊本は熊本バンドといわれる熊本英学校の生徒35名が入学。横井小楠ゆかりの人々でありその後同志社の総長を何人もがつとめている。小楠の長男の時雄が3代目、長女の夫海老名弾正が
8代目総長をつとめている。小楠の高弟徳富一敬の子、徳富蘇峰と徳富蘆花は同志社に入学、その後東京開成学校(後の東京大学)へ転校したが横井時雄等3名が復学している。東京開成学校の知育偏重を嫌ったとのことである。小楠は甥2人(横井左平太、太平)をアメリカに留学させている。会津藩との関係は山本覚馬、八重兄妹の縁である。明治維新後に薩長から朝敵とされた会津藩は、新島襄と共に宮城英学校を創立。1887年開校、校長新島襄、副校長を同志社より出した。富田鉄之助日銀副総裁(新島の生涯の友、後に総裁)と知事、理事長松平正直が東華学校と改称したが、5年後廃校となった。富田は杉田玄白の子孫杉田成郷の娘縫と結婚。これまた福井人である。

井深大さんの思い出

3月28日
井深大さんの思い出
小さかったソニーを世界の大舞台に引き上げたのは井深大(まさる)さんである。私は岐阜に住んでいた頃親しく話をする機会をいただいた。そして今でもしっかりと覚えているのは二つの忠告である。その1つは「人は少数になれば、精鋭になる」という言葉だ。必要にせまられたら、人は何倍もの能力を発揮する。大切な会議は大勢でやるな、多いと必ず失敗する。少い方が真剣になる。この教訓がその後どれ程私を助けてくれたか判らない。次の1つが「リーダーは朝令暮改を恐れるな」だった。この言葉は私の直属の部長からも、言葉を替えていわれたので更に印象深い。部長は「情況の変化にいつでも即応できるように。手の平をかえしてもよい」と教えてくれた。人はつい自分の言葉に自分が縛られるケースが多いが、そんな事にとらわれる必要はない。「臨機応変」は戦場の常だとの教訓である。
井深大さんは90才まで生きられた。晩年に全国を歩かれての指導であったが、その言葉は未だに含蓄が深く、私の胸を去来してやまない。

まち歩きの楽しみ

3月26日
まち歩きの楽しみ
銀座を歩くのを銀ブラといった。心斎橋は心ブラである。まちをブラブラ歩くのは楽しい。商店街を単に商業の場とするだけでなく賑いを楽しむところに育てていく事が大切である。着飾って歩くまち、少し胸をはって歩くまち、日曜日や祭日に歩いてみたいまち、夜のまちなど、それぞれが顔を持っている。ヨーロッパの広場にあたるものが、日本の商店街である。駅前商店街は駅前プラザなのだ。一体化すると同時に、そのつながりを楽しめる工夫が必要になってくる。日本の商店街が苦しんでいるが、考えようによっては、可能性がドンドン広がっているともいえる。日本唯一のブータンミュージアムを作ったのが、この通りを歩くとケヤキ並木の美しさに気付く。熱による融雪装置がついているので冬の雪の日も楽しく歩けた。歩いてみるといろんな新しい発見があり、近所の方々と挨拶をする楽しみもまた格別である。まち歩きの魅力の一つとして「ブータンミュージアム」を活用してほしいと切に願っている。

中国の環境汚染

3月24日
中国の環境汚染
PM2.5という微小粒子状物質が中国の国土の4分の1を汚染中とのことである。この原因は暖房用石炭の使用増加と車の排気ガス、工場の煤煙だという。特に上海や北京の汚染がひどい。これは肺ガンやぜんそくの原因になるので注意が必要だ。私は花粉症ではなかったが、今年は杉花粉とPM2.5の二重苦で、目がショボショボ、鼻水が多い。日本各地でPM2.5の測定器が設置され出した。日本の対応は早いので被害は少ないが、肝心の中国はどうだろうかと心配だ。軍事力の増強よりも、環境問題に力を入れなければ、中国大陸は人の住めない国になりかねない。浙江省の幹部でもあった習近平氏の国家首席就任を祝うと同時に、日中友好を長い間つづけてきた両国民が大勢いることを忘れないでほしい。

議会軽視

3月23日
議会軽視
日本は行政が議会に対して、可也り神経を使うことが多い。軽視しては困るが、それ以上に大切な事がある。それは双方共、自分達の職責をしっかり果すことである。特に国会議員からの質問に答えるために、重要な外交が犠牲になっている場合が多い。国交を第一と考えれば、国会の質問に答えるのは本人以外でも十分対応可能である。日本の民主主義は最近成熟度を増してきた。国会の質疑応答が、国民の眼前で行われ変な質問や野次が激減した。議員は余程勉強をしておらないと、国民にすぐ見破られてしまう。議員定数大巾減がいわれ出しているが、国民の声を正しく伝えるには、数ではない、質が問われなければならないはずだ。

ブータンよりの研修生

3月22日
ブータンよりの研修生
国際協力機構より、今年度のブータン王国の青年研修(地方行政)受入れ先に、ブータンミュージアムNPO法人幸福の国が決定したと正式通知をいただいた。地方行政にたづさわっているブータン王国の青年達に、「地方行政視察研修」を行う為の受け皿を私達が引受けることになったのだ。今秋13日間に亘って、11名の団員の研修を行う。今後の研修プログラムを早急に詰めると共に、提携を打診し了解を事前にいただいている各方面との打合せに入る必要がある。
ブータン王国とは、双方向の交流を、毎年数回づつ行うことにより、相互理解を深め、ブータン王国の発展の支援をさせていただきたいと考えている。
日本唯一の「ブータンミュージアム」の中身の充実について、内務文化省をはじめ、ブータン研究所のアドバイスを受けながら、徐々に拡充していきたい。この5月中旬からの訪問団を皮切りに、交流がますます進むことを期待している。

カルマウラさんへのメール

3月19日
カルマウラさんへのメール
ブータン王国のダショーカルマウラさんへメールを出した。ブータンへの団体旅行を企画しているのでその質疑応答のメールである。ブータンへの連絡は仲々難しい。お互に忙しいこともその理由ではあろうが、根本的には「ブータン時間」は私達の時間より可成りゆっくり流れているようだ。3月20日の「世界幸福デー」にあわせて、日本政府の招きで来日してくれることとなった。その折に是非面談したいと考えている。
彼はブータン研究所の所長であると同時に国王や政府の要人のアドバイザー的存在で、ダショーという貴族の称号をもらっている。若いけれど国王をはじめ王族の皆様の信頼が篤いと聞いている。私達にとってはかけがえのない友人である。

新島襄の本

3月17日
新島襄の本
NHK「八重の桜」を毎週楽しみに見ている。私は同志社大学を卒業して早や五十数年となった。青春時代を過した京都の地への想いと同時に同志社で学んだ四年間を忘れることは出来ない。本井康博氏著の維新の元勲・先覚者たちとの交遊を描いた本は誠にすばらしい内容だ。私の知らない事実を次々と教えられた。福井藩で多くの弟子を育てた横井小楠(明治新政府の参事)と近い親族縁者が数多く同志社に入学したり、旧会津藩士、旧熊本藩士たちが入学していることを知った。また新島襄の留学先のアーモスト大学や姉妹校のマサチューセッツ農業大学関係の後輩達、アメリカ・ヨーロッパ視察に同道した維新の元勲たちとの濃密な交遊を知り驚いた。正に一期一会を地でいく出会いであった。
「新島襄」と書いた本を持ち歩いていた時、声をかけられた。「何故その本を持っているのか」との問に、思わず私は同志社出身だと答えた。質問してきた人も当然私の後輩であることがわかり、しばし「八重の桜」について話がはずんだ。縁は尊ぶべきである。人に助けられるのが人生の醍醐味だということをしみじみ自覚した一日となった。

ブータンハウス

3月16日
ブータンハウス
ブータンミュージアムを福井でオープンして早や4ケ月が経過しようとしている。ブータン王国と日本との交流について、多くの方々を訪問しご意見を聞き、多くの示唆を頂いた。また数多くの文献を調査して同じく研究させていただいた。そして西岡京治・里子ご夫妻の長年に亘るブータン王国への貢献を知った。西岡京治さんはブータンにて客死され、ブータンで誠に盛大なご葬儀が、前国王はじめ関係者によってとり行われたと聞いていた。里子さんが西宮市に元気にお住いとのことであったので先日訪ねて参り、貴重な体験談をお聞かせいただいた。当時の外務省におられた東郷文彦・いせご夫妻に大変厄介になったとの懐旧談を時のたつのも忘れてお聞きした。インドの旅から帰国されたばかりの日であったがご親切に指導いただき、深い感動を覚えつつ感謝し、福井のブータンミュージアムでの再会を約して辞去した次第である。

アメリカ株式市場

3月15日
アメリカ株式市場
史上最高値を更新したダウ平均。世界的な金融緩和を背景に世界各地の株式市場はすべてが上昇局面を迎えている。その中でもニューヨーク市場は史上最高値をつけた。日本の日経平均は1989年末の最高値約3.9万円に遠く及ばない乍ら、1.2万円突破した。株式市場は、有力な景気判断材料であり、先行指標として重要な役割を果している。その株式市場が遅ればせ乍ら上り出したのである。景気の先行きに明るい兆しが見えてきた。幸い私達のコインパーキング業界もリーマンショックや東京電力の輪番停電という大きなショックを乗りこえて順調に拡大をつづけている。付加価値の向上が続いているのは誠に心強い。金融緩和が末端にまで浸透してくれば日本経済が安定的な成長路線に戻るのは間違いない。

日本ブータン友好協会

3月12日
日本ブータン友好協会
東京、市ケ谷のJICA地球ひろばでブータン友好協会の第33回通常総会が開催され、出席した。現在会員数247名、出席者40名委任状117名。昨年は24名の新入会員を迎えて、久しぶりの黒字決算とのこと。
1. ワンデュ・ポダン・ゾン再建募金は77名の方から78.25万円が集まったがまだ送っていない。期限はないが今年中に送りたい由。
2. 国王ご夫妻の訪日のおかげで、協会へのマスコミ取材多く、協力行事も各地で行われた。11月17日には福井市で「ブータンミュージアム」開会式に栗田靖之前副会長が協会を代表して挨拶した。
ブータンでお世話になった仁田知樹ブータンJICA所長が今年早々より駒ヶ根青年海外協力隊訓練所の所長をされていて、総会後の講師をつとめるとの案内をいただいていて、面会できた。テーマは「民主制移行から変貌するブータン」で任期3年半の激動のブータン王国の魅力的な講話を聞いた。榎会長、森副会長、渡辺事務局長、山本けいこさん、若林郁子さん、元インド大使夫人野田さん等の方々とお会いできた。また藤原整、平山雄大の新幹事、HP作成中の高橋洋幹事にも面談。
今年度は外部への情報発信、会員同志のコミュニケーション(HP一新)、若い幹事登用による活性化(シンポ等他団体への協力)に協力する方針を確認した。活発な意見交換が出来た。中でも野田、若林両夫人から協力のお話しを聞けたこと、大変うれしかった。

これからは「K」の時代

3月10日
これからは「K」の時代
これからの有望市場は何だろうという話になった。ある人が、それは頭文字の「K」だというのである。「K」とは何かを皆んなで話しあった。「K」の第一番目は高令者、後期高令者マーケットのK。次は健康市場の「K」更に観光の「K」、その次は海外市場の「K」、子育ての「K」、介護の「K」、家族の絆の「K」そして感動の「K」、そして外国語の言葉の「K」改修解体の「K」、そして幸福の「K」。考えてみると不思議に「K」が多い。ブータン王国も福井県も私の会社も、すべてが「幸福」をまわりの方々に実感していただけるよう祈ってこの言葉「K」を追求しているのである。

銀行はどこへ貸しているのか

3月9日
銀行はどこへ貸しているのか
2011年末の国内銀行貸出し先をチェックしてみた。貸出総額416兆円GDPの1年分を少し下まわった金額である。誰に貸しているのかを聞いてみるとまず個人向が28%でダントツの多さである。2位が不動産業の14%と個人向の半分。3位が製造業の13%。ものづくり大国といわれて久しいが、今や製造業は海外工場への投資にシフトしてしまっていることがよくわかる。アベノミクスの金看板超金融緩和と、成長戦略による新しい投資の喚起をどうして達成するのか注視する必要がある。

航空機の便数

3月8日
航空機の便数
日本の航空機の中心は羽田空港である。羽田からどこへ一番多く飛んでいるのかを調べて見た。乗客数で比較すると、年間利用客数の一位は札幌883万人、次が福岡737万人、三位が大阪と那覇513万人、鹿児島212万人、広島193万人と続く。近い所の名古屋や仙台が少いのが気になるが、大阪は別として遠くの札幌、福岡、那覇、鹿児島が上位に入っているのは、日本経済の均一化という点からも喜ばしいことである。

失われた20年は本当か?

3月7日
失われた20年は本当か?
データを分析すると巷間いわれている常識が怪しいことに気付く。例えば日本から外国へ出入国する人数は、経済状況ピークといわれた1990年が1447万人、2010年が2622万人と20年で1.8倍以上に増加している。貨物(海と空)の数量も832万tから20年後は1047万tと1.3倍近くも伸びている。私達はいつも物事をひかえ目に見たり、慎重を期しすぎる傾向があるようだ。失われた20年といわれた間に私達の金融資産はどんどん積み上ってしまった。個人金融資産の1500兆円は世界のどの国も手のとどかない巨額の資産である。そして毎年ふえつづけている。この使い道を考えるのが政治でなければなるまい。

311被災者復興支援の遅れ

3月5日
311被災者復興支援の遅れ
誰が見ても、311災害の被災地復興が進んでいないことに不信感を抱いている。世界中、日本中から支援が即座に集まり、民主党も直ちに予算措置をとったにかかわらず現状は誠に心細い状態がつづいている。一日も早く対策を実行してほしいと切望する。
福井気象台の鬼頭博尚気象台の台長の講話を聞いた。近頃不思議に思う低温と少雪の因果関係に話が及ぶかと考えていたら、経済人に聞かせるには311大震災の経済への影響の方がテーマとしてふさわしかろうというので、311の話になった。今回の311の死者は約2万人で殆ど津波による犠牲者である。阪神大震災は約7千人、倒壊家屋の下敷による犠牲者が多かった。関東大震災は10.5万人の死者が出た。この原因は火災によるものであった。
今後は南海トラフが危険との予測。また火山噴火がここ3年の間に起きる確率が非常に高いと教えられた。もし首都圏直下型の東京湾北部でM7.3以上の地震がおきると経済被害の想定112億円、700万人が被災するとの予測と聞いた。前から私が予測しているように日本海側の地震の確率は可也り低いとのことで、しかも津波の被害は、日本海の構造から考えて、それ程大きなものは想定しにくいとの予測であった。

個人金融資産

3月3日
個人金融資産
1500兆円の個人金融資産は毎年ドンドン積み上っている。これを動かす方法を考えてほしい。財務省か経産省か、農水省か、国交省か、日銀か、やはり首相のリーダーシップに期待したい。考えてみると日本ほど貯蓄好きの国民は少い。世界中の金融資産(想定元本)は約1京2千兆円といわれている。日本の個人が、世界の10%以上の金融資産を保有しているのだ。
日本人はなぜ貯めすぎるのだろうか。「お金は汚い」と考えるあまり、金銭に無頓着な人が多い。また財テクや投資にも失敗して、預貯金に放置している人も多い。しかし最も多いのは、先行きに不安を感じているから使えないという意見だ。この不安をとり除いて、ムダな貯蓄から投資へ資金を移してもらうことを教えなければダメだ。個人の死蔵する資金を、有望企業へまわす必要があるのである。1500兆円の内、毎年1%の15兆円づつ、これを実現すれば、日本経済はあっという間に世界中から賞賛される成長が出来る。僅か1%の投資意欲を継続的に喚起するだけでよいのである。

中国の課題

3月2日
中国の課題
新しい国家元首が選ばれた中国で大きな問題が次々と起こっている。内容を検討してみると、政治面での問題が一番多く、しかも深刻である。
まず年間10万件といわれる暴動の多さ。ワイロ、汚職が常態化している。増えつづける軍事予算による国家財政不安。外国との紛争が多い。少数民族対策の遅れ。人口急減リスク大。そして軍依存路線は内部崩壊の危険あり。経済面では、まず不動産価格の暴落の可能性高まる。賃上げ圧力大、スト多発。高度な技術力の蓄積乏しい。資源のムダ使いがとまらない。生活面では、まず貧富の差の拡大つづく。CO2排出世界一で生活環境悪化。種々の環境汚染がすすむ。隣国である中国の動向には十分注意をはらう必要があることを忘れてはならない。

節電

3月1日
節電
原発事故以来自発的に電気の節約を心がけている。人がよいと云うことは殆ど実行した。節電の目標を過去1年間の実績の半分とした。そして確実に達成することが出来た。
まずカーテンがレースだけだったものを内側に完全な遮光性といわれるぶ厚いカーテンをつけた。そしてコタツ(イス式)を購入し愛用している。じゅうたんの上にアルミの薄紙を敷きその上に2帖大のマットを敷き、その上にコタツを置いている。これが主暖房具である。エアコンはあまり使わず、もっぱら赤外線式電気ヒーター(700W+800W)を使う。シャンデリアは一切使わず蛍光灯とLED照明を使う。湯タンポを試したが温度を低くした足温式電気毛布でもよい結果が出た。夜間電力を使って風呂、洗濯を行っている。衣服は部屋着も寝間着もアクリルポリエステルの起毛したものを愛用している。貫頭衣の部屋着があたたかで手ばなせない。靴下も同材料の厚手がよい。スリッパを愛用し頭寒足熱を心がけている。夫婦が同じ部屋で過すので暖房は常に1部屋だけになるようにしている。足元灯を家の中の各所につけているので照明をつけなくても家の中で簡単に移動ができて便利だ。夜に本を読む時も寝室の蛍光灯やLED灯で読むようにしている。夜間電力契約をしているので半分以下にするのにあまり長くはかからなかった。冬の電気代が半分になったのでその効果がとても大きかった。やろうと思えば半滅は可能だ。しかし8割減のためには個人的な節電ではムリ。社会全体での節約システム化が必要になる。