2013年11月のアーカイブ

前年比2ケタ成長

11月30日
前年比2ケタ成長
私の会社の業績も世間の動きと同じように、売上、売上総利益とも好調だ。前年比110%以上となっている。おそらく期末には大幅な増益が期待できそうだ。全国の支店間の傾向値もほぼ同一である。すべての支店が前年を上回る業績を上げている。東京の大企業だけがよいという通説は、決して正しくないことの証明のようだ。素直にこの好業績を喜びたい。そして近い将来の新規事業の研究開発に着手したところである。

過去最高益

11月29日
過去最高益
上場企業の中間決算の発表が相次いでいる。過去最高益の実績の大企業が多い。福井県の上場企業は14社。その内7社が最高益だった。1~2年前から私は証券会社の支店長に福井県の上場企業のファンドの組成を提案していた。残念乍ら実現は出来なかった。出来なかった理由は、福井の上場企業の株式は人気が乏しく、出来高が少ないとのことであった。14社の株式はその後、急上昇し、すべての株式は値上りした。約2倍になっている。惜しい。残念の一言に盡きる。アベノミクスの影響か、それとも海外進出のおかげか、東京の大企業だけでなく、地方の企業にも、消費税増税前の駆け込み需要による好業績の波が押しよせてきている。消費税の3%アップの影響を既に折込ずみになりつつあるように思える。

311を忘れるな

11月27日
311を忘れるな
レイテ島の名を知る人は少ない。多くの日本兵が激戦の中で戦死した島だ。そこに台風が直撃した。30号である。大潮と重なって、東北の大津波と同様の大被害をもたらした。日本の東北大震災の折、フィリピンの人々は、貧しい人々も日本への恩返しをしようと、貧者の一灯をとどけてくれた。今そのフィリピンの人々を大災害が襲った。私は311の折にいただいたフィリピンの人々、レイテ島の人々に恩返しをするべきだと考えた。しかしその声は未だ小さい。私は声を大にしてアピールしたい。「311の時のフィリピンの人々のご恩を忘れるな。今こそ支援に立ち上がる時だ」といいたいのである。支援の窓口が少ない。ブータンミュージアムにとりあえず「支援函」を設置して皆様のご好意の受け皿としたい。

今枝由郎博士を迎えて

11月26日
今枝由郎博士を迎えて
フランスに在住の今枝由郎博士を私達のブータンミュージアムにお迎えした。ダショー西岡京治さんの夫人里子さんのおかげである。福井で2日間に亘り、ダショーカルマ・ウラさんとブータンのGNHと仏教に関する講演をお願いした。そして今回は釈迦の真言といわれる数々の詩(日本語によるもの)を集めた本をご持参いただいた。読んで、目からウロコとは、この事かと驚いた。まさに真言集である。先生は世界的な仏教学者である。フランスからブータンへ研究者として派遣され、10年間国立図書館の顧問として活躍された。チベット語、サンスクリット語、ゾンカ語(ブータンの公用語)を理解され、私達にとってはこれ以上の学者はおられない。今後ともいろんな点でご指導いただきたいと願っている。東大寺、薬師寺や永平寺等、仏教関係の友人が多いけれど、「ダンマパダ」という名の小冊子は是非友人たちに読んでもらい、感想を聞かせてほしいと願うものである。

奇跡

11月24日
奇跡
思いは必ず遂げられる。そう信じて生きてきた。そして今でもそう信じている。ブータンミュージアムの開設一周年記念のイベントを無事終えてまた認識を新たにした。また奇跡が起きていたのである。ブータン王国から盟友ダショーカルマウラを迎え、フランスから今枝由郎博士を迎え、福井県、関西生産性本部、熊本ブータン友好協会、日本GNH学会そしてJICAの皆様の暖かい支援により、すばらしい雰囲気の中、記念イベントが終了した。ささやかに家族との祝杯を上げ、今、眠りにつこうとしている。半年前にブータン王国訪問の帰途、全く偶然に隣に座った貴婦人が前国王ご夫人(前王妃)であることを後で知った。その前王妃の膝に3才の幼児がおり、前国王のお孫さんとのこと。ブータン王国と不思議なご縁でつながっていることが何度も起きた。奇跡の連続である。これからも多くの方々の幸福を願いつつブータンとの更なる交流に微力を盡す覚悟である。

ブータンの輸出品

11月22日
ブータンの輸出品
ブータンは農業、牧畜の国である。輸出品はほとんどないに等しい。主として電気をインドに売っている。水力発電によるもので、水は豊富である。小規模のセメント工場があり、セメントの輸出、雑貨をはじめ農作物のジャガイモやリンゴ・ミカン・マッタケ等の輸出が少々ある。ただ国土の割に高地や人口が少ないので輸出に力を入れると、根こそぎ取り盡してしまうので、資源の枯渇につながりかねない。無限といっていい程あるのは、太陽光と風と水である。これ等のものを近代的な技術により開発をすすめると、輸出はケタチガイに伸びる。しかし一番美しい自然環境を破壊しないように、留意が必要である。観光業も有望である。しかしこれまた適度な抑制をともなうことが重要である。

肯定から入れ、否定から入るな

11月21日
肯定から入れ、否定から入るな
物事に対して、可能性を信じて真正面から取組んでいくことが大切である。否定的に取組んだり、懐疑的になる傾向のある人に、よい仕事は出来ない。いついかなる時でも可能性を信じることだ。私は何事においても、どうしたらこの命題を解決できるのかを考える。どんな問題でもやれる、やれる、やれると自分に言い聞かせ乍ら、あらゆる可能性をチェックしていく。失敗してもあきらめない。3回は全力で挑戦する。大切なのは、始める時のとりくみ方である。そして最後はあきらめないことである。

レイテ島救援作戦

11月19日
レイテ島救援作戦
レイテ島を巨大台風が襲った。風の被害と同時に、高潮の被害が深刻だ。フィリピンはかってスペインの植民地としての歴史を持っていたが、その後アメリカに占領された。そして第二次大戦と同時に日本が占領した。レイテ島は日米激戦地であった。フィリピンは1946年7月に独立を果した。そのレイテ島を大津波に匹敵する高潮が襲ったのである。被害は甚大だ。一日も早く救援の手が及ぶ必要がある。フィリピンの人々は3.11の時に日本への支援に多くの人が立ち上がった。東北へ、貧しい生活の中から支援の手をさしのべてくれたのである。今こそレイテ島をはじめ被災地への支援の手をさしのべる時が来た。日本でも伊豆大島で豪雨による大規模な地すべりが起きた。異常気象のせいである。その原因は私たち人類の無制限な欲望にある。自ら自分達の大切な地球を破壊する愚は何としてもさけねばならない。レイテ島への支援と共に直ちに手を打つ必要がある。

歓迎夕食会

11月17日
歓迎夕食会
ブータンミュージアムの開設の理由についての質問が多い。目的はインドと中国のはざまで、長い間独立を維持してきた、小国ブータンへの愛情と支援そして逆に多くの教訓や示唆を期待したのである。具体的にはまず交流を深めあうことである。ブータン王国から、ダショーカルマウラさんを福井に迎えた。今回2度目である。同時にフランスから、今枝由郎博士をお迎えした。そして歓迎の夕食会を開催し、20名の参加をいただいた。前回ブータンを訪問した6名を筆頭に、地元テレビ会社社長、ブータン友好協会のメンバー、JICASVご夫妻や南アジア研究者などブータンに関心のあるNPOメンバーが集まった。ウラさんも日本食がよいとのことで純粋の日本料理店を会場に選んだ。椅子席のパーティとなった。会話は日本語と英語が入りまじり、通訳も共に一夕を楽しんだ。1人づつ自己紹介をかねてブータン、福井、仏教そして幸福についての話がもり上がり、和気藹々のパーティとなった。結論は、幸福は一人一人の心の中にある。それを地域へ、国へそして世界へと広げていく努力をつづけようということになった。ブータン王国に対する尊敬の念をますます深める一日となったことは、誠に意義深い。

自己資本比率

11月16日
自己資本比率
経営者にとって数字を忘れるわけにはいかない。特に最近のように想定外のことが次々と起きるようになると、経営を安定させる為の目標設定の種類を増す必要が出てくる。最近の傾向は借金を返せということで、借入金の返済がすすんでいる。同時に設備投資をはじめとする投資意欲が減退し、企業の手持資金がふえている。自己資本比率が上昇をはじめているのだ。私達の会社も今中間期末には28%となりそうだ。これは同業の三井不動産25%、三菱地所25%、東京建物22%、スターツ19%、東急不動産15%、住友不動産14%と比較すると、可成りよい数字である。今期末にはこれを30%近くまで引上げて、更に安定度を増したいと考えている。

同志社大学リユニオン

11月15日
同志社大学リユニオン
OB、OGの集うリユニオンが今年も行われた。小雨の中を大勢の人が同志社の栄光館に全国から集まった。同志社英学校創立から丁度138年になる。日本初のキリスト教主義による学校で、英語による教育が行われた。校祖新島襄はその妻八重とその兄山本覚馬そして宣教師デービスと共に、古い因習が残る京都で、英学校を開校した。明治8年である。日本初の私立大学設立の夢を果せず病に倒れたが、同志社が立派な大学になるには二百年かかると、愛弟子徳富蘇峰にいい残している。百年といわず、二百年といった新島襄のスケールの大きさに驚かされる。国禁をおかして海外へ雄飛した彼は、日本人としてはじめて外国の大学を正式に卒業した。そして帰国後、明治の教育界に大きな影響を与えたのである。今も京都御所の北隣に赤レンガの校舎が林立し、明治の面影を感じることが出来る。総長室でしばし大谷實総長と談笑し、二百年に向けての夢を語りあった。大谷総長は私達の日本ブータン幸福学会の発起人のお一人である。事務局員は同志社大学院、南カリフォルニア大学院のマスターの野阪宣正が勤めている。

グローバル時代

11月14日
グローバル時代
21世紀に入ってグローバル時代の兆候はますます顕著となってきた。関税はゼロに近づき、国境はなくなりつつある。その中で武力は「テロ」という陰湿な姿に変わり、大国といえども、専制国家といえども油断できないことになった。平和を招来する道は何処にありやと日々考えているが、妙案は出てこない。小さな善意の輪が広がっていくしか道はないであろう。その為に今日も遠来の客にブータンの幸福、福井の幸福を説いている。まず世界を知る必要がある。小さな国、バルト3国を知る人は少ない。バルト海に面し、海の向こうは北欧のフィンランド、スウエーデンと世界でもトップクラスの豊かな国である。陸続きにはロシア、ベラルーシ、ポーランドと大国に面している。日本の6分の1〜8分の1の小国であるがそれぞれの独自の言葉がある。3国の首都は高速道路で結ばれており、交流は活発であるが、北に位置するエストニアが人口は130万人と少なく、次のラトビアが200万人、南のリトアニアが300万人と最も多くの人が住んでいる。1人当りのGNIは逆に北のエストリアが1.6万$/年と最も多い。1番少ないリトアニアはロシアとほぼ同じ1.25万$/年。ポーランドともほぼ同じ。ベラルーシの0.6万$/年以下よりは遙かに上位になっている。第2次大戦中にドイツ、ポーランドから6,000人のユダヤ人が逃げてきた。リトアニアの領事代理であった杉原千畝さんが、本国の訓令を無視し、敦賀港への通過ビザを発給した。止むに止まれぬ人類愛から救出したエピソードは有名だ。ポーランド、ベラルーシは第2次大戦の激戦地である。多くの独露将兵が死亡し、民間人が巻き添えになった悲劇の国である。

スイス

11月12日
スイス
スイスはブータン王国と同じく、山岳国家である。海なし国である。国中いたる所が景勝地で、観光スポットに事欠かない。スイスはその景勝地が数百年に亘るヨーロッパ各地からの観光客によって磨き上げられている。一方ブータン王国はその意味では研磨前の宝石のようにまだ光は鈍い。上手に磨いていけばスイスのように世界の指折りの観光地となる可能性を秘めている。ただ最も注意すべき所は、ブータン王国の人口が74万人と少ないことである。事を急ぎすぎると折角の独特の文化や景観や生物多様性が失われることになる。ゆめゆめ急がないよう努めてもらいたい。スイスとブータンの関係は、日本同様農業協力からスタートした。ダショー西岡京治さんと同じようにスイス人親子のチョルテンが建立されている。私はブータンを知るまではスイスにあこがれていた。「永世中立の思想」にあこがれた。そして度々スイスを訪れ、多くの友を持ち、スイスに惚れこんでいった。今、ブータンに魅せられ、はからずもブータンミュージアムを運営することとなった。スイス、ブータンそして福井をつなぐネットワーク構築にむけていよいよ始動の時期を迎えようとしている。

秋の叙勲

11月10日
秋の叙勲
叙勲の時期になった。何人かの友人知人が叙勲の栄に浴した。誠にめでたい。豊田佐吉翁が叙勲後ほどなく亡くなられたことを思い出す。日本人にとって天皇陛下から顕彰されることは特別のものであろう。ただいつもの事ながら、政官にかたよったもので、一般の人々の常識からは程遠い。今少し天下をしっかりと見極めた制度にしてもらいたいものである。

季節

11月9日
季節
福井の四季の移り変わりは、非常にはっきりしている。夏は暑く、冬は寒い。しかし冬の気温は、東京ほど冷え込まない。夏の気温も、東京ほど上がらない。
春や秋は快適で、自然の中での生活が謳歌できる。今年の夏は、全国的に猛暑となった。10月になってからも台風が次々と日本列島を襲った。その都度、豪雨に悩まされた。台風一過、秋が深まり、気がつけば街路樹は色づき、朝晩は肌寒い。早朝東の空を見ていると、太陽が山なみから顔を出す。6時半だ。日の出の時間は大分遅くなって、ずっと南の方角から出る。夏の盛りにははるか北方からの日の出だったが、季節の移ろいの早さに驚く。
四季を存分に楽しめる福井での暮らしは、日本一幸福な県の評価の通り、自然の変化を実感できる。ワクワク、ドキドキの毎日である。

やりたい事

11月8日
やりたい事
長浜の森建司さんと対談の機会を持った。お互いに人生の終盤に入っていることを自覚し、「やりたい事」をやろうという点で完全に一致した。「やりたい事」とは当然「やるべき事」でもある。「やるべき事」は何かというのは、私達にとって、人生の命題である。「やりたい事」は好きな事でもある。好きな事やりたい事がやるべき事とつながれば、これは人生至上の喜びとなる。
森建司さんは環境問題という切り口から生甲斐を見つけられた。私は人間の幸福とは何かという切り口から、ブータン王国の幸福論を知り、現在ブータンミュージアムを開設し、「幸福とは何か」を自問自答している。毎日遠方からの来館者をお迎えし、充実した一日を過ごさせていただいている。外国からのメールが多くなり、対応する人間を増やさざるを得なくなり、ただでさえ火の車のNPO経営がますます苦しくなっている。しかし、それに反して仕事に対する充実感は強くなっていく。「幸福学」という学際学の新しい分野の学問の扉を開けるお手伝いが出来ればと念ずる日々である。

GNH学会

11月7日
GNH学会
ブータン王国を研究している内に日本GNH学会があることを知った。私がブータンの幸福と福井県の幸福そして普遍的な幸福論を現代的に研究する日本ブータン幸福学会を立上げようとした後である。全国の知人によびかけたところ、GNH学会を教えられ、緒方会長にあった。その後東京でメンバーの方々におあいしたが、先日ブータンミュージアムへ常任理事の松下和夫さんが訪ねて来てくれた。思いは同じである。日本縦断GNH講演会に賛同してくれた仲間である。丁重におもてなしをすべきところ、私の留守中の訪問だった。ぜひ交流を深めていきたいと心から願っている。「幸福」を研究することはあまりに抽象的で、あまりに広範囲に亘る分野で、あまりに大きすぎるので周囲の賛同を得るのが大変である。私は「幸福」を追求することにより「世界平和」をかちとりたいと願っている。ブータン王国のGNHと全く同じとはいわないが同種の発想であり、仏教の十方世界安寧の思想や、ガンジーの無抵抗主義にも一脈相通ずる幸福なのではなかろうか。

至誠天に通ず

11月6日
至誠天に通ず
開館一周年の記念イベントを企画しだしたのは、約半年余り前からだった。ブータン王国の農業の父といわれる西岡京治さんの夫人西岡里子さんがブータンミュージアムへ来てくれた。そこでブータンにつき、京治さんにつき語りあった。その時私は一周年記念日には開館の直接のキッカケとなったダジョーカルマウラをぜひ呼んで、福井県との絆を深めようと心に決めた。そして周囲の方々を口説いていった。福井での講演会の開催に賛同してくれたのは福井県、だが国は福井の為だけには支援できないとのこと。友人知人に語りかけ東京京都での同時開催を呼びかけた。最終的に決定したのは福井での3日間を中心に、東京、大阪そして熊本での開催となった。日本縦断のGNH講演会となった。ご協力いただいたJICA、辻名誉領事、西岡里子さん、GNH学会の方々そして福井県、経済同友会、福井経済クラブの皆様に心から感謝したい。西岡里子さんに講演をお願いしたところ辞退され今枝由郎さんを紹介された。NHKを通して今枝さんに連絡し、快諾いただいた。世界一のブータン研究家のお二人による豪華版の講演会となった。私達の日頃の思いが天に通じたように感じた。毎日その準備作業に追われているが、気がつくと、目の前にその日がせまっている。すべてに感謝。

目標の設定

11月3日
目標の設定
福井のまちづくりを指向しだして早や十数年が経過した。年月の経過の早さに今更ながら驚いている。東京オリンピックまであと七年、福井国体まであと5年、福井駅西再開発ビル竣工まであと2年半、北陸新幹線金沢開業まであと1年半。それぞれが一つの物差しになる。その時までに私達に何が出来るかである。目標の設定が必要になる。例えば、東京オリンピックまでに北陸新幹線を敦賀まで開通するとか、米原までつなぐとか、福井駅前105haの再開発で浜町プロジェクトを完成するとか、新栄商店街の再構築プロジェクトを完成するとかそれぞれ目標をしっかり設定する必要がある。福井の各商店街も自分達のこととして動き出してきた。自分達のまちを自分達がデザインし、次世代の為に再構築していく必要がある。その気運がやっと動き出そうとしている。すばらしいことである。

貿易赤字と経常収支

11月2日
貿易赤字と経常収支
世界の工場を目指したかつての日本。貿易立国として現在の日本の繁栄をつくり上げたこの戦後の60年。その形が今どんどん崩れつつある。輸出は2011年に入ってから前年比マイナスに転じているのに対し、輸入は2010年以降2ケタで伸びが続いている。2011年からは、貿易は赤字になった。311の大震災の大津波の影響で、福島原発が大きな被害を受け、慌てふためいた当時の菅政権は、すべての原発停止という愚挙に出た。貿易赤字は一挙に大きくなった。化石燃料(特に天然ガス)の輸入急増が主因である。日本が世界の工場といわれた時代は過去のものとなり、企業は中国をはじめアジア全域、ブラジルにまで海外工場を増やしている。貿易赤字は恒常化しつつある。それが経常収支の赤字につながり、世界一強固であった日本の経済基盤が崩壊に向かう可能性が高くなる。幸い省エネ意識はますます高くなっている。無駄を省く努力、貧しい中でも分かち合う互助精神も健在だ。しかし原発停止だけは再熟慮が必要だ。30%を超えていたエネルギー源の原発を停止し続けることは自殺行為である。原発を稼働させても、停止させてもそのコストは同じである。しかし停止させることによる代替エネルギーの輸入だけがオンされる。これが日本の国力の根幹を蝕んでいることに気付かなければならない。経常収支が赤字になる日は遠くない。その時800兆円もの発行残高の日本国債が暴落の危機にさらされる。企業の資金は、国外脱出している。個人の資金が国外脱出をはじめない保証はどこにもない。

仁愛大学

11月1日
仁愛大学
年に数回講演の依頼がブータンミュージアムに来るようになった。今回は仁愛大学から3回生を対象に「社会で求められる人物像について」の講演依頼である。対象学生300名とのことであったが、当日は150名が集まった。実は私は仁愛大学での講演は3回目である。テーマも同じ。場所も同じ。でも今年の学生が一番熱心に聞いてくれた。仁愛大学の正門を入るとオリンピックの聖火台によく似たメモリアルアートがある。聖徳太子像があり、六方世界を照らすという教えが刻まれている。私の創業の社是が、近江商人の三方よしと仏教の十方世界から借りてきた「十方よし」である。三方と六方と十方の差は大きく見えるが、言わんとする所は大差ない。仁愛大学の皆さんに言ったことは、「学校創立の志を忘れず、自分の大学に誇りを持て。」「アインシュタインとピカソ、ガンジーは世界一の能力を持っていたといわれているが、彼等と私達に大差はない。同じDNAを持った人間だ。やろうと思えば同じことができる。自分に自信を持とう。」「恩師を大切にしよう。私達を必死に育ててくれている。一生を通じて長いお付き合いが始まる。恩師に便りを欠かすな。」「私達を生んでくれた両親や祖父母に感謝しよう。今日の私達が生きているのはそのおかげである。親孝行は親が生きている間しか出来ない。」「友を大切にしよう。親友と呼べる友は人生の宝である。心を許しあえる友を作れ。」「その為にまわりの人に愛される人になれ。人に愛されるには人を愛することだ。ライバルでも敵でも嫌いな上司でも愛することだ。」「自分だけの人生と考えるな。まわりの人達と和気藹藹と暮らすのが人生であり。仕事である。」「失敗を恐れるな。失敗しなかった偉人は誰一人いない。みんな失敗し、その中から立ち上がってきた。私の人生も失敗の連続だった。失敗から学んだ事は多いが、成功から学んだ事は少ない。失敗を恐れず、まず動け。とに角実行するのだ。」・・・
こんな話をしているうちに時間が過ぎていった。仁愛大学の在校生は約1,200名、北陸自動車道の武生インターのすぐ近く、静かな山の麓に立ち並ぶ立派な校舎である。恵まれた教育環境で、訪れるたびに感心する。学校創業者の禿すみさんは同志社英学校が設立された頃、初期の女学校で学ばれていた。新島襄や八重から直々に薫陶を受けられた。私にとっても大先輩である。