2014年03月のアーカイブ

建築界のノーベル賞

3月30日
建築界のノーベル賞
米のプリツカー賞を坂茂さん56才が受賞した。日本人としては安藤忠雄さん等につづき7人目である。今回は紙や紙管などを使い、特別に安価なもので施工できる工夫がすばらしいと認められた。エコの時代であることを痛切に感じる今回の受賞である。若い頃に私も建築家にあこがれた。最初に建てた岐阜の家は私自身の設計である。庭も車庫もバルコニーも階段もすべて夜なべ仕事で設計した。それ以来いくつもの建物をつくってきたが、設計の仕事は面白い。油絵と同じように、まっ白いキャンバスに、自由に自分の夢をつくり上げていくのだ。喜寿を過ぎて夢を語りつづける私に、まわりの者はソデを引く。死ぬまで夢を追いかけたい。建築家の友が多い。有難いことである。昨年安藤忠雄さんの講演を聞いた金沢で、北陸建築家協会の総会がある。私に講演をせよとの依頼が来た。荷が重すぎるが、何とか準備をはじめつつある昨日今日である。

特設コーナー

特設コーナー
県立図書館でブータンや幸福に関する本(貸出可)と西川知事がブータン王国訪問時の記念品等を展示するコーナーが開設される。3月11日(火)から4月13日(日)までの約1ヶ月間。写真やポスターの展示も行われるのでぜひ見ていただきたい。ブータンミュージアムにもブータンの本棚がある。内外のブータン関係本、幸福学に関する本、仏教関係の本などを揃えて、来館の方々への便宜をはかっており、説明、解説、相談に無料で応じている。

白駒酒造

白駒酒造
JR北陸本線の敦賀トンネルを米原方面から北へぬけると進行方向左手に白壁に大きく白駒酒造と書かれた酒蔵が見える。今庄宿にある酒蔵の中では、味が少し濃い。いつも女将の高いトーンの笑い声が明るく響いている。南側には愛宕山270mがあり、源平合戦、南北朝時代そして戦国時代と3度の大合戦の時、山頂に燧ヶ城が築かれた。今年の冬は豪雪地帯の今庄も雪が少なく、ほとんど雪がない。仕込み作業も、すべて順調に終わり、酒蔵の中も人気がなく静かである。珍しい酒の試飲をさせていただいた後、ご自慢の深いコクと豊かな味の大吟醸を一本購入して、楽しく帰途についた。不思議にまた訪れたくなる風格のある酒蔵である。

今庄宿

今庄宿
日野川の上流、東、西、南方を山にかこまれた北国街道と北陸道が合流する所が今庄である。幕末には人口1300人余、ハタゴ屋55軒、茶屋15、酒屋15、問屋3軒が並ぶ北陸でも最大の宿場となった。酒蔵は現在今庄宿に4社が残っており、県内最古の「鳴り瓢」は、ほぼ400年の伝統を持つ。味と風味は、さらりとした飲み易い部類に入る。純米酒である。にごり酒と熟成中のものそして純米酒を試飲させていただいた。十四代目の父親の蔵元と十五代目の東京農大卒の子息で作られる銘酒は地元で愛されているのはもちろん、県内各地での人気も高い。国道365号線から今庄宿に入ると、本陣、脇本陣と新羅神社のある仲町の中心部に位置している。新羅神社は出雲の国と同様に、越の国と呼ばれて千数百年以上前から、半島から渡来した方々の信仰の中心であった。新羅神社、白ひげ神社、白木神社は半島の新羅につながっているのである。継体天皇を押す勢力の基地となっていた越の国は、渡来文化が栄えた先進地域であった。

第7回酒蔵めぐり

3月25日
第7回酒蔵めぐり
春のようなすばらしい晴天の中、JR福井駅東口をチャーターバスで出発。一路今立の和紙の里へ。和紙の里は5つの集落から成り立っている。和紙発祥の地として日本最大の和紙産地。その大地主三田村家につながる寿喜娘酒造は大滝集落のほぼ中心にある。創業150年の年にあたる。泰澄大師が開いたと言われる大徳山には、和紙の神を祀る岡太神社の奥の院がある。到着して早速酒蔵の中に入る。既に仕込みを終わった蔵は案内してくれる皆様だけで、森閑と静まりかえっている。外は春の気配だが蔵の中は寒い。酒造りは和紙造りと同様に寒冷地や山間部に適した仕事であったことがよくわかる。寿喜娘酒造の販売方法は独特で、全国の販売店に大型タンクを貸出して、そこへローリーで地酒を供給するシステムである。そのタンクシステムを地酒蔵という。酒を買いに行く時はビンを持参して行ってもよい。そこへ入れてもらえる。エコでもある。日本酒は生きているので最高の状態で飲んでほしいという蔵元の願いが生んだ販売方法である。今日は仕込みがすんだ酒蔵の大型タンクから一口ずつ試飲をさせていただいた。至福の一瞬であった。

木漏れ日の小径を

3月23日
木漏れ日の小径を
彼岸をすぎ、春を思わせる陽気に誘われて、福井中央公園を散策した。紅梅の香りを楽しみ、木漏れ日の小径を歩く。心静かに今日のこの一日の幸せをかみしめる。顔を上げると福井城址の天守台が見える。江戸時代の初期に徳川宗家に次ぐ68万石の大々名として徳川一門の筆頭の地位を得ていた頃の天守閣の幻が浮かぶ。大火により炎上して後、再建されることなく今日を迎える天守台である。存在しない天守閣だけに思いが広がる。中央公園は、私のいるブータンミュージアムから歩いて5分とかからない。福井城のお濠に面して、戦災や震災の後に整備され、木々は大きく育っている。私にとっては大切な散歩道である。そぞろ歩くと次々と新しい夢が浮かんでくる。希望の小径である。

ブータンより帰国

3月23日
ブータンより帰国
ブータンの大学生を迎えるちょうどその前々日に、ブータン王国や周辺を訪問、調査していた副理事長が帰福。収蔵品や販売用のブータン特産品を持ち帰ってくれた。早速整理し、展示のための準備に入ることとした。またブータンからは船便で、収蔵品の数々を発送するとの連絡が入った。到着が待ち遠しい。今秋の第4次ブータン訪問団の募集を3月下旬からはじめるつもりでいたが既に予約が入りつつある。30名の定員が早目に一杯になるかも知れない。そんな予感がする。

英語のスピーチ

3月22日
英語のスピーチ
ブータンから大学生一行25名が福井県へ研修に来た。引率の関係者、マスコミの報道陣をあわせると30名余の方々である。その式で歓迎の挨拶、ブータンミュージアムがなぜ東京でなく、福井にあるのかその理由、そしてブータンミュージアムの内容説明等を、英語で話してほしいとの要請を受けた。持ち時間は約30分。そんな長い時間、英語で話すのは36年ぶりである。折角の来福のブータン大学生を失望させるわけにはいかない。忙しい時間をさいて準備した。ブータンの十大学から1名ないし4名が選抜されてきている。母語はゾンカ語が6割以上ではあるがシャチョップ語も多く、その他の母語も1割強もいる。だから英語が共通の言語となっているのだ。日本の英語教育は、英文法と英文和訳、和文英訳に主力を置いてきたので、英会話力が極端に弱くなってしまった。これが今年から会話力に力点を置くことになった。遅すぎるとの意見もあるが、何はともあれ大きな第一歩である。外国からのお客様が、昨年はじめて1千万人をこえたという。観光立国を掲げようとすれば、言葉の壁をのりこえることは当然である。お・も・て・な・しは日本人の本質を表す言葉であるが、英会話力の強化も必要である。私は日本語を世界に広める為にも、私達自身が英語をはじめ他の外国語を使えるように努力すべきであると考えている。

ブータン大学生

3月21日
ブータン大学生
ブータンの大学生等25名が過日ブータンミュージアムを訪問。約1時間のレクチャーの後、1階、2階の展示室を見学した。未だに英文の説明文、カタログが完成していないので、役員が総出で英会話で説明に当たった。ワンデュポダンゾンの大火災の復旧を願って募金活動をやっているのに感動し、ブータンのお金で3千ヌルタム(日本円に直すと約6千円)の寄付を全員の感謝の気持とのことでいただいた。ブータンの国家公務員の月給の5分の1に相当する大金である。有難く頂戴した。去年は2千USドルを寄付して感謝状をいただいたが、今年もまた9月の第4次訪ブ団の折ブータン政府へ寄付を予定している。今月末から10日間の予定で訪ブするが今回はタラヤナ財団へ電子ピアノを昨年に引き続き寄付する予定である。

ハッピーデー

3月19日
ハッピーデー
3月20日のハッピーデーにちなんで「幸福」を共有し、日本全体が現状に感謝しお互いが支えあう社会の実現を目指したいと願っている。そのため3月20日のハッピーデー、その後のハッピーウィーク、ハッピーマンスの普及浸透をはかる運動をはじめた。現在趣旨に賛同いただくお店、企業、施設が60を超えた。来年には1000ヶ所のご賛同をいただけるよう続けて努力していきたい。ハッピーデーはブータン王国が提唱し、国連が一昨年制定し、昨年の3月20日から実施されている。ブータンでは国民祝祭日になった。日本もそうなるよう働きかけていくつもりだ。世界全体で「幸福で平和な日」として手をつなぐ運動が広がることを望んでいる。

乾杯条令

3月18日
乾杯条令
日本の風習では、鏡開きといって、乾杯は酒樽を開いて日本酒で乾杯をするのを常とした。ところがいつの頃からか、ビールでの乾杯が普通になってしまった。これに危機感を抱いた京都伏見の酒造組合の皆さんが一念発起し、「日本酒での乾杯」を京都市へ働きかけた。そして京都市では、「乾杯は日本酒で」が条令となった。先般京都で同志社のOBOG全国大会が開かれ、そこで全員が日本酒で乾杯した。総勢2千数百名の校友が声高らかに「乾杯」を行った。福井県では大野市がこれに追随する動きを見せている。大野は酒米どころ。名水どころである。4蔵が競い合って銘酒づくりに励んでおられるので、「日本酒での乾杯条令」が実現することを私も期待している。

世界が日本株を買っている

3月16日
世界が日本株を買っている
世界最大級の政府系ファンドであるノルウェー政府年金基金は2013年末に約3兆7千億円の日本株を保有した。1年間で倍増したのである。日本国債も約2兆4千億円保有している。世界中の政府系ファンドの資産規模は約600兆円と大きい。ヘッジファンドが話題に上ることが多いが、ヘッジファンドの資産規模は約200兆円である。政府系ファンドの動向にもっと注意を払う必要がある。アジアや中東の政府系ファンドも大きく日本株を買い増ししたとのことで、日本株は将来が楽しみだ。

小松空港

3月15日
小松空港
北陸新幹線金沢駅開業があと1年後にせまってきた。金沢周辺の人は、今まで小松空港を利用して東京へ往復していた。それが来年度以降は新幹線利用にシフトする。その影響はもろに小松空港にくる。今までは金沢を向いていた小松空港の姿勢は、福井方面へ変更せざるを得ない。小松空港は、来年からは、福井県を中心に経営することになる。展示、販売用の商品も変わる。今までは石川県産品が8割、福井県産品はいくら強く依頼しても2割が上限であった。福井県の地酒の取扱いを見てもよくわかる。福井県の地酒38銘柄の内、展示販売しているのは僅かに梵、黒龍、一本義だけである。今後は福井県として小松空港側へ強力に働きかけて、福井県産品のウェイトを高めていく必要がある。羽田、小松便の減少が云々されている中で、「私達の小松空港」としての活用方法を徹底的に議論し、対応を急ぎたい。

酒造り

3月14日
酒造り
地酒の寒づくりのシーズンである。今年の福井は異常な少雪である。市街地は積雪が殆どなく、過ごし易い冬である。寒づくり中の酒蔵の蔵元の気持ちはどうかと気がかりだ。今月酒蔵めぐりツアーを行う。第七回目で、県内の主要な蔵は網羅した。福井県は酒どころである。福井県の嶺北地区は九頭竜川、日野川、足羽川、竹田川とすべての河川が三国湾へ集まっている。その伏流水は、嶺北を取り囲む山々の積雪により、年中絶えることがない。その為に米がおいしい。そのおいしい水とおいしい米から醸しだされる福井の地酒は天下一品ばかりである。生き残った38社の酒蔵のうち、35社が100年以上の長寿企業であり、現在もおいしい地酒を提供いただいている。感謝、感謝、感謝。和食が世界遺産に指定されたが、その主役の一つが日本酒であることを忘れてはなるまい。ワインに負けずに世界中に広めたい日本文化の粋である。

長寿企業

3月12日
長寿企業
日本には世界一という宝物がいくつもあるが、ダントツの一位は長寿企業である。100年以上つづいてきた長寿企業は正確なデータによるものだけでも2.7万社ある。通説では4万社ともいわれている。最古の企業はAC578年創業の金剛組(建設業)で世界最古である。業種別に見ると第一位は酒造酒販業で2.7万社中約1800社ある。酒造業だけに絞ると全国で763社、福井県下酒造業は35社。約5%が福井県下にある。人口割では日本一であり、勿論世界一である。業種別長寿企業の第二位は建設業で約4.4%。福井県は土建王国といわれ、継体天皇の頃から治山治水が広く行われていたのでこれまた全国有数である。第三位はホテル、旅館、貸事務所等の貸家業で約4.3%。不動産の有効活用は長寿企業の安定経営に適していることがよく分かる。各県別の100年以上の長寿企業は、福井県が断トツの一位572社である。酒造業をはじめ各業種での生き残りが多い。その長寿の秘密は……検証するに値する重要な経済学の研究テーマである。

休耕田

3月11日
休耕田
日本全体の休耕田が年々増加しているとのこと。今では滋賀県全域とほぼ同面積の休耕田が存在する。食糧輸入が増え、貿易赤字が史上ピークに達するのに、莫大な面積が遊んでいる。私達の子供の頃は琵琶湖岸の砂場にさつまいもを植えたり、道路(無舗装)の両側に豆を植えていた。まさに飢えとの戦いに日夜あけくれていた。食べられる草を教えられ、それを取って帰った。さつまいもの葉、茎はごちそうだった。いなごはカルシウムの補給源というので、全校そろっていなごとりを何度も行った。魚釣りも趣味なんかでなく、生き残る為の戦いだった。もし祖父が生きていたら、この休耕田農政には猛反対すること間違いない。祖父は晩年農業を営んでいたが、食糧不足の中、農作物は常にご近所におすそわけし、残った作物は近くの八百屋へ卸していた。「勿体ないことをするな」「ものを大切にせよ」というのが口グセだった。休耕田の有効活用を政府、農水省がなぜ考えないのか私には分からない。遊休不動産の有効活用を企業目的に掲げている私達に、ぜひ休耕田の活用をまかせて欲しいものである。

不動産投資

3月9日
不動産投資
中国経済の先行きを不安視する報道が多い。リーマンショック後の中国政府による4兆元の緊急投資が不動産に向かい、その不動産が未だに有効活用されていない。それにつけても思い出すのは1980年代の日本の高度成長とそれを支えた株式市場、不動産市場の活況である。そしてその後1990年をピークとしてはじまった「失われた20年」の悪夢のような思い出である。私もその時代の辛酸を身をもって経験した一人。過剰流動性は株式と不動産に流れ込んだのである。株式と不動産は、投資対象として、資金を最も安易に受け入れることが可能である。そしてバブルがはじけた。金融引き締めが急に行われ、総量規制という無謀な政策が突如としてあらわれ、株式や不動産投資に対する優遇策はすべて解消された。そして暴落現象が起きた。中国経済が日本の失敗に学び、軟着陸への配慮を行うことを他所事乍ら祈りたい。日本の株式市場と不動産市場は長い20年の眠りから覚醒し、徐々に上昇に転じつつあるのは好ましいことである。

北海道

3月8日
北海道
「観光がブータン王国の主要産業になる」というのは私見であるが、松下幸之助は60年前に「日本の観光立国論」を主張した。北海道の観光収入が昨年大きく増加した。外国人観光客が100万人を突破したとのこと。その波及効果は、公共投資によるものか、3分の2に当たる1兆円に上るとの報道である。北陸新幹線の金沢駅開通の日が近付いている。「北陸」という名前が人々のくちにのぼる日が近いのだ。心して準備しておきたい。現在のものづくり(製造業)はGDPの16%にすぎない。サービス業が最重要産業になっている。その中でも観光業の可能性は非常に大きい。福井も観光業にもっと力点を置くべきであろう。

花粉症

3月7日
花粉症
また杉花粉が飛び始めた。花粉症は日本の国民病になりつつある。春の訪れを待つ喜びが半減されてしまう。杉は戦後日本各地に植林された。現在の杉林の面積は448万haに及び、日本国土の12%を占めている。杉の学名はクリプトメリア・ジャポニカという。その正しい意味は「隠された日本の財産」である。杉は日本列島にだけ生育する固有種である。常緑の針葉樹で1種1属である。成長は早く日本の環境によく適応し、CO2の吸収力も大きい。杉花粉の悪いイメージによって杉は本来の素晴らしい木材としての価値を見失われているが、よく考えてみるとこれ程の宝物は少ない。もう一度杉を見直してみようと真剣に考えている。幼少の頃祖父と枕を並べて奥座敷で寝ていた時、天井の木目の美しさにいつも感心していた。柾目が美しい。また新しい杉板の香りは素晴らしい。杉板の床を歩いた時のやわらかい足のウラの感触が忘れられない。年月がたつとやわらかい所がなくなり、年輪の筋が浮き出してくる。これまた他の材木にはない不思議な魅力である。この隠れた宝物の杉を有効に活用する道を考えてみようと思う。

まちなか拠点

3月5日
まちなか拠点
観光客が福井駅前を散歩する途中、立ち寄るところを作ろうと市でも種々と考えてくれている。まちなかに魅力のスポットを作ろうというのである。私達の「ブータンミュージアム」もそのひとつ。お隣の和菓子洋菓子の森八大名閣も有名なお立寄りスポット。時にはお茶のサービスにありつけることもある。ホテルフジタ福井のロビーも静かで待ち合わせ場所に使う人が多い。高橋楽器店には貸室があり、音楽の練習に使われている。繊協ビルの地下にはレストラン、喫茶店が並んでおり休憩にはもってこいのところ。もう一つ文化の香りのするスポットが欲しいと先日市長に提案した。白川静記念館を造ってくれとの要望だ。世界に誇れる文学者、文字学の大家である。漢字の成り立ちに溯っての研究は世界でも類がない。刻苦勉励努力され、長寿に恵まれ文化勲章までいただかれた人である。ノーベル賞をあげるべき人であった。この白川博士の記念館を生家近くの空店舗を活用して作って下さいとのお願いである。年内のオープンを目指して努力したい。

珍客

3月4日
珍客
2014年ブータン国際マラソンが2月23日の日曜日にブータン王国の古都プナカで開催された。これはブータンオリンピック委員会の主催で、ブータン政府観光局の後援で行われた。プナカの郊外、標高1,350mのあたり(ブータン国内では温暖なところ)で、フルマラソン、ハーフマラソンの正式コースである。日本から4名が参加したが、その1人が福井人である。その方が来訪されたので、ブータンの気温その他の情報を提供した。
ブータンミュージアム通信を差し上げて、約1時間歓談したが、初めての地でのフルマラソンにこちらの方が心配した。ご本人は悠揚迫らず「大丈夫です」とのこと。御年70歳。ご健闘を祈った次第。まだ結果は聞かせていただいていない。

官兵衛

3月2日
官兵衛
歴史の中でくり返し取り上げられているテーマは、戦国時代末期から徳川時代初期の頃である。天下を争った約100年足らずの間のことである。場所は愛知、岐阜、滋賀、福井そして京都である。私は滋賀で生まれ、京都で学生時代を過ごし、岐阜に十年いる間に長男次男が生まれた。そして福井に就職試験を受けに来てから数えると、福井中心の生活は56年にも及ぶ。勿論その間海外中心の生活5年、東京駐在役員時代5年が含まれているが、その間も福井との往復にあけくれた生活であった。NHK大河ドラマの今年のテーマは「黒田官兵衛」である。姫路の官兵衛として描かれているようであるが長浜の地元では黒田家の先祖は長浜、米原との説が有力。また古戦場の陣取りなども再現してNHKのドラマを機に観光客を呼びこむ努力は見事である。福井でも長浜の機敏な観光への動きを注視し、福井への誘致に動く必要がある。

相手を立てる

3月1日
相手を立てる
「尊縁」という言葉が好きだ。それは「一期一会」につながる。一生にたった一回しか会えない相手に、今会っていると考えれば、その出会いの尊さに気付くはずだ。そして会話の中でも、自分の意見だけを言いつのるのではなく、相手の意見を十分に聞いたうえで、相手を立てることが重要である。最近の日中、日韓の竹島・尖閣列島を巡る論争でも、最も重要な「相手を立てる」配慮に欠けることが多い。明治維新前後においても、国際法に準拠した論争がしっかりと行われていたことを忘れてはならない。国際間では意見の食い違いはしばしば生起する。それを次々解決していくのが外交である。「相手を立てる」ことを忘れなければ、解決の糸口を見つけることができよう。