2015年07月のアーカイブ

岐阜

7月31日
岐阜
青春時代に岐阜に10年住んだ。2人の息子は岐阜で生まれたが、本籍地は父祖の地である長浜にした。岐阜は斉藤道三とその娘婿の織田信長の影響が残る町である。岐阜の旧友から何十年ぶりの電話が入り、下呂温泉で謡曲の会を開くので出席しないかとの誘いを受けた。岐阜ロータリークラブと岐阜青年会議所のメンバーでつくった謡の会「みなもと会」の百回記念の集いである。出席の返事をし、再会を約した。不思議なことに、同じ日に岐阜から同志社大学の後輩の訪問を受けた。みやげに手作りの岐阜うちわをもらった。「水うちわ」といい、透明な薄い雁皮紙に水中をおよぐ鮎5匹が生き生きと描かれている見事なものだ。久しぶりに長良川に浮かぶ鵜飼船を思い出し、しばし四五十年前の若い日に思いをはせた。

天からのメッセージ

7月29日
天からのメッセージ
病気になって喜ぶ人はいない。事故にあって喜ぶ人もいない。不幸や貧乏を悲しむ人はいても、喜ぶ人はいない。でもそれは本当に悲しむべき事なのだろうか。私はそれを「天が与えてくれた試練」と考える。それこそ「喜ぶべきことであり、感謝するべきこと」なのである。試練が与えられたとき、それが天からのメッセージと気付き、そのために何を、どうすればよいのかを真剣に考える。くよくよ悩んでいる暇などまったくない。必死に一歩を踏み出す道を考え出すのだ。試練が与えられた時は「それきた、待っていたぞ」と喜ぶぐらいでありたいものだ。

鶴見俊輔さん

7月28日
鶴見俊輔さん
15歳で渡米し、ハーバード大学を19歳で卒業、日米開戦を機に帰国、海軍に招集された。その後同志社大学の教授に就任されたが、私の卒業とすれ違いで直接の面識はなかった。哲学者。私は彼の祖父後藤新平の政治家としてのケタはずれの能力を常日頃から尊敬していたので、その孫の俊輔さんの思想には、以前から注目していた。大学への警官隊導入に対する教授会での議論の末、同志社大学を退任されたのはかえすがえすも残念なことであった。その後の思想界での活躍を考えると、今少し若者達への指導を続けてほしかったと思う。今回93才での死亡の報せを聞き、平和を愛し、戦争を否定する人間の一人として、その死を惜しむ者である。そしてその遺志をつぎ反戦の声を高めると共に、平和への道を築く努力を続けたい。

大切なお客様

7月26日
大切なお客様
ブータンミュージアムへの来館者は、純粋にミュージアムの展示や所蔵書籍に対する興味や研究のために来られる方々と、私のお客様と、大別すると二つに分かれる。ミュージアムは福井市の中心街、フェニックス通り・けやき並木通りと桜通りの交差点にある。目の前が福井裁判所なのでバス停も電停も至近距離。JR福井駅や福鉄、えち鉄の福井駅からも徒歩10分以内。だから来客が多い。毎日必ず数組のお客様を迎えている。いろんな方と親しく語り合えるのは人生至福の時である。ビジネスオンリーの頃と違って、ミュージアムを尋ねてくる人の話は千差万別、誠に面白い。ゆっくり語り合いたいときには3階の私の部屋に移動する。ピアノやギターを弾いたり、歌を歌いたい人は2階へ案内する。近所には和菓子、そば、寿司、レストランなどが並びお好みに直ちに応じられる。都心にいる楽しみを満喫する毎日だ。駐車場はビルの後ろに付属駐車場があるが、少ないという人のために歩いて5分の所2ヶ所に十数台ずつのコインパーキングを新設した。これからも増設を予定している。オープン当初より入場料は無料としているが、福井を訪れる方々に良い印象をと思い、「熱く語る」「真心を込めて」を常に心がけている。それと「癒しの場」を提供することである。

千客万来

7月25日
千客万来
スウェーデンに住んでいるスコット君が友人のブータンミュージアム会員の藤田侑平君と共に、また来てくれた。彼の名刺を作ってあげたので、それを受け取りに来たのである。同時に2人の夢、国際バカロレアの学校を創る話を続けたいとのこと。スコット君の両親はスコットランド人とフランス人でスウェーデンの古都に住み、東京で仕事をしている。福井で英語教育をやろうという私達の夢に彼等の夢を重ねようと再訪してきた。1時間の約束が3時間に及ぶ激論となり、結論はまず学校の校舎の予定をしているビルを見学してもらうこととなった。若者達の夢はすばらしい。可能性に満ちているからだ。彼等の夢の実現に微力ではあるが力をかしたい。私は東京でなく、地方から直接世界との交流をはじめている。人は何故「福井から」といぶかしげに聞いてくる。私は「都市への集中」は今や必然化しつつあるが、これは人類滅亡につながる危険が大きいと考えている。人間の尊厳を維持し、平和な社会を築き上げる為には、若者の地方への移住の必要性を強く感じている。今日もまた遠来の客、若い友人を迎えて私は幸せだ。

共に生きる

7月24日
共に生きる
同じ会社で働いている人々、同じ町内で暮らしている人々、同じ地域、同じ国の人々を、一緒に暮らしている「仲間」だと意識しているであろうか。同じ会社の場合はまず問題ない。町内や校区となると少し薄くなる。日本国民となるとサッカーチームやオリンピックの時に意識が強くなるが、いつもではない。まして地球、人類がみな兄弟、仲間だと考えている人は少ない。しかし本当は人類はみな仲間なのだ。それに気付かねばならない。その為、今年からインターネット放送局を開局した。地球から争いをなくすために「和の心、和の文化を」バイリンガルで発信している。「genjapan」で見ることが出来る。私は今この「genjapan」の伝道師である。

人は人を呼ぶ

7月22日
人は人を呼ぶ
願い事を持っている人は幸せだ。希望のない人生は闇である。夢を夢見ることを軽蔑する人がいるが、私はそうは思わない。夢は夢を呼び、人は人を呼ぶ。理想を高く掲げた人の元にはその理想に共鳴する人が集まる。
フリースクールを経営している若者が訪ねてきた。不登校の子供達の指導をしているという。イギリスの大学院を出て、現在翻訳の仕事をしているという。ブータンミュージアムを活用して、不登校の子供達を指導することに強くひかれたようで、私も大賛成。心の傷は癒し難い。心を解き放つところが必要だ。このミュージアムにはその雰囲気がある。手作りではあるが、それなりの静寂さと気配りを用意しているつもりだ。それに気付いてくれた若者達に感謝。そして夕刻に彼から早速メールをもらい、喜びは倍加した。

中国の減速

7月21日
中国の減速
中国の過大と思われる住宅やインフラへの投資のツケがまわってきている。私達が1990年以降に経験したバブル崩壊の悪夢を思い出させる。異常な急成長が続いた後は、必ずその反動が来る。波の動きと同じように上昇巾が大きければ大きいほどその反動で下落巾が大きくなる。心しなければならない。当分中国の景気動向、中国の株式市場動向に、十分注意する必要がある。

インターナショナルスクール

7月19日
インターナショナルスクール
全国で各種学校として認可されているものが多いが、英語で教育しているものは少ない。私はインターネットでの英語教育(英語に親しんでもらう機会をふやす)を今年1月からスタートさせた。これはバイリンガルで日本語の普及をも目的としている。そしてテーマを日本文化を中心に国内外に発信をしている。1年以上前からこのインターナショナルスクールの開校を相談されてきた。種々に調査の結果、これを福井でスタートさせようとの結論に向かいつつある。まず、小学生を対象に夕方から2時間のクラスをスタートさせたいと考えている。1クラス5人、3クラスでスタートの予定だ。新島襄が同志社を創設したのと丁度同じ規模であるが、同志社は既に京都でインターナショナルスクールを開校している。提携を持ち掛ける相手としては大きすぎるが、ブータンのペルキルスクール等を含め、世界中の数校との連携を模索していきたい。

ジャパンウェア

7月18日
ジャパンウェア
チャイナウェアといえば磁器を指す。1000年以上の歴史を持つ中国製が有名で、日本へは九州・日本海側へ早くから入ってきた。それに対してジャパンウェアと呼ばれる漆器がある。漆器は漆の木の生えているところ即ちモンスーン地帯の西端ネパールからブータンそして沖縄、日本列島までつづく照葉樹林帯が浮かび上がる。そのベルトラインを調べてみると漆の木があると同時に照葉樹林帯文化がいきづいている。漆の木から採取する漆を、固い木から作る椀や皿や膳や箱に塗って磨き、塗って磨く。この工程を数回、十数回繰りかえし、堅牢な下地を作り上げる。それに沈金や蒔絵などの加飾を行い完成させる。この工程は熟練した職人達によって創り出される。まさに日本人の得意な手仕事の世界である。福井県の河和田地区にこの漆に特化した村がある。ジャパンウェアの村といってよい。全国一の出荷量と就業人員をかかえ、日本漆器協同組合連合会に加盟する18団体の中でもトップクラスの産地である。福井県と石川県の県境にある山中塗とこの河和田塗を併せると全国で断トツの漆器の産地となる。能登の輪島塗を併せるとかつて越前の国といわれた3地区の漆器産地が一つの国の3工場を形成していた観がある。今でもこの3地区は生地の提供、技術の交流などを行っている。この3地区での世界文化遺産の獲得こそ焦眉の急と考えている。そして全国漆産地工組の理事長は河和田塗工組理事長の土田直さんである。土田理事長の長年の苦労話を福井県立大学で聞いた。伝統工芸の衰退の中で孤軍奮闘する土田直さんと、かつて漆がジャパンウェアとして全世界にもてはやされた時代の再来のため協力しあうことを提案した。漆産地は世界的に低迷中である。産地を中心に福井県そして日本政府の支援の輪を広げていかねばならない。早速ストーリー作りにとりかかろう。

橘曙覧(たちばな あけみ)

7月17日
橘曙覧(たちばな あけみ)
正岡子規に万葉以来の歌人と絶賛された橘曙覧を知る人は少ない。天皇皇后両陛下がアメリカを公式訪問された時、クリントン大統領が歓迎の言葉の中で、橘曙覧の独楽吟の一首をとり上げて以来急に有名になった。福井城主松平春嶽公の愛顧を受けていた橘曙覧を顕賞する文学館を福井市は、足羽川の畔、足羽山の愛宕坂の中腹に建設した。「楽しみは・・・」で始まる万葉仮名の和歌であり、私達がブータン王国との交流の中で追求しようとしている幸福論のエッセンスともいうべき名歌集である。その英訳をしてくれた人が福井にいる。その英文も併せて今年は独楽吟52首をブータンミュージアムに展示解説したいと考えている。

駅前に若者を

7月15日
駅前に若者を
福井県には5つの大学と2つの短大がある。福井大学、福井工業大学、仁愛大学、仁愛女子短期大学、福井県立大学、福井医療短期大学、敦賀市立看護大学。残念ながら全校が郊外型で、福井市の中心部には大学生は殆どいない。他の都市と比較すると福井はこの傾向が特に顕著である。まちを活性化するには、若者を呼ぶことが求められる。福井県には大学コンソーシアム構想があり、その対象地として中央1丁目を地元としては希望している。来春4月1日開校に向けて準備を始めるようであるが、地元の意向に沿う形でのスタートを希望したい。来春はハピリン(駅西再開発ビル)のオープンと時を同じくする大きなインパクトのある企画である。

台湾の客

7月14日
台湾の客
久しぶりにブータンミュージアムへ台湾から5人の観光客を迎えた。日本人の方だとばかり思って「どちらからいらっしゃいました?」と声をかけたところ、日本語で「台湾からです。」と中年の女性が答えてくれた。「ブータン王国も福井県も幸福度が高いですね。」といわれてうれしくなった。前日には京都から学生がわざわざ訪ねてくれたが、今日はまた外国の客を迎えてスタッフ一同大いに喜んで盛り上がった。日本語が通じるのでなお嬉しくなったのかもしれない。明日はスウェーデン人を知人が連れてくるとのこと。楽しみだ。

長浜の創世記

7月12日
長浜の創世記
日本の都市のルーツは近世の城下町づくりにある。約450年以前から全国各地で作られた数多くの城は町づくりの基本的な思考を十分に検討された計画的なものであった。その為現在の日本の都市は第2次世界大戦の爆撃などで破壊されたがその城下町の空間構成を基本的に生かしながら再建されていった。現代の日本の都市は近世の城下町の連続性の上に成り立っている。その根本思想を平城といい羽柴秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城、そして織田信長の安土城にその源を求めることが出来る。そしてその完成型が豊臣秀吉の大阪城、徳川家康の江戸城へと連なっていく。天正元年(1573.9.1)小谷城落城。羽柴秀吉に浅井家の所領湖北3郡が与えられ、一国一城の主となり、小谷城入城。お市と3姉妹は信長の居城岐阜へ。天正2年(1574年)秀吉長浜城築城開始。まず城域の中心にあった長浜八幡宮(当時坂田郡八幡別宮)を東側に強制移転させた(1666年の江卅湖東八幡並びに祭礼の由来による)。現在の大手町小山仁(仁右衛門と称した)の場所である。この小山仁が広大な神域の中心にあり、それを秀吉の一声で東へ移転させることで旧権威の否定と新しい時代を告げることとなった。長浜城は多重の堀で防御すると同時に、交通、通商の水路として町の中心部まで物資を運送することが出来た。長浜の町は、船町、加治屋町、魚屋町、呉服町、紺屋町、金屋町、鉄砲町、鞴町、田町等職業別の町民や農民の住む町としてつくられた。また小谷城下の町民も町ごとにまとめて移住させた。そしてその町屋の形が間口が狭く奥行きの長いものに統一されていた。この形はその後日本の城下町大阪・京都・伏見等の秀吉の町づくりの基本をなしていく。即ち城に向かって縦型に並ぶ街並みを形成していったのである。

講演会

7月11日
講演会
幸福の国ブータンについての講演依頼が増えてきた。先月は国際交流関係団体からの依頼であったが、今月は婦人団体からの依頼、そして来月はお隣の長浜市からの依頼である。福井県への観光の一助になればとはじめたグータン王国とのお付き合いが早や丸3年が過ぎて4年目に入っている。NPOメンバーの中には10年以上の交流や支援の経歴を持っている方々がおり、頼もしい限り。「幸福」について考える時間を共有できるチャンスに恵まれている毎日。大いにエンジョイしている。

人づくり、組織づくり

7月10日
人づくり、組織づくり
航空業界初の女性役員としてANAの役員を歴任された山内純子さんの講演を聞いた。1970年ANAに入社し20年余りスチュワーデスとして現場の第一線で働いたが、入社時がANAの経営危機のピークの時代。イラク問題、サーズ問題で国際線のお客が激減、コストカット、給与カットで倒産まで想像された時代であった。それがキッカケとなり、社長の強力なリーダーシップの下、CSへの本格的取組みが始まり「選択と集中」により外部の目、お客様の目、自分達の目で現状を徹底して見直した。CSは第一印象で決まることに気付いた。それも最初の15秒で決まる。視覚よりが83%、これは身だしなみ、姿勢、態度などによる。聴覚よりは11%、これは言葉遣い、声のトーン、話すスピードなどによる。注意すべきは私達は最初にあった僅か15秒で相手に対する固定観念を持ってしまうということだ。毎日の生活や人づくり、組織づくりの基本的な前提条件として認識すべきところであると教えられた。挨拶にはじまり、笑顔、暖かい言葉、優しい態度、身だしなみなど注意する点を教えられた。CS(顧客満足)経営の基本なのである。「勝負は最初の15秒で決まる」ことに気付いた大切な1日となった。

縁につながって

7月8日
縁につながって
縁は異なもの味なものというが、人と人を結ぶ縁ほど不思議なものはない。先日、長浜からお二人がブータンミュージアムへ来館された。知人の紹介だという。話が弾んで、近々中に長浜で講演会を計画しているとのこと。講師の依頼である。テーマは「ブータンの幸福」についてである。講演のあと、パネルディスカッションも予定しているようだ。快諾した。その後、長浜で打ち合わせをし、更に詳細を詰めていったが、前滋賀県知事や長浜市長もパネラーに考えているようで、段々と話が大きくなりそうだ。紹介者という人を尋ねて長浜の山里へ車を進めていったが、その人は前市会議員で私の知人の親戚とのこと。二重三重と人脈がつながっているのを知り驚いた。ブータンは持続可能な社会の建設を国是とするが、それが琵琶湖の湖北地方に住む人々の共感を呼んでいるようだ。そして、MOH通信を発行している森建司先輩の思想に近い。みんなが別々に活動しているが、根がつながっている感じがする。長浜を舞台に今年の後半はまた新しい事業を始める予感がする。「長浜伝統産業館」を長浜曳山博物館の隣地につくりたい。毎週長浜へ通う生活が始まりそうである。

第5次ブータン訪問団募集

7月7日
第5次ブータン訪問団募集
10月30日出発のブータン訪問団の募集を開始した。早速、福井県山岳連盟の会長以下3名の山男から参加の申込みをいただいた。チョモラリ山へのトレッキングを希望とのこと。私達はティンプーで開催される世界GNH会議への参加と、ティンプーRCが企画しているチューブ温泉の療養施設の支援を目的に訪問する。10月から11月上旬のブータンは朝晩は少し寒いが、視界が良く遠方のヒマラヤ連峰の眺望がすばらしい。きっと楽しい旅となると今から期待しつつ、訪問団への参加を募っている。

日本の大学を世界のトップレベルへ

7月5日
日本の大学を世界のトップレベルへ
世界の大学のランキングの中で日本の大学はベスト100に入るところが皆無に等しい。特に問題なのは各大学の年間予算の低さである。そしてその問題の根底にあるのは大学経営の基礎となる自己資本(基金)のぜい弱性にある。最近の大学経営の最大の問題点は日本の若年労働者の貧困と同様に、大学での授業の中で大きな部分を占めている講師陣の薄給にある。給与制度と雇用形態にある。この改善は直ちに手を打たなければ日本の将来は危うい。どうすればよいのか。打つ手はないのか。それにはまず文科省の桎梏から大学(国公立も私立もすべて)をとき放つ必要がある。文科省よりの助成金によって大学の経営が左右されている現状は誠に肌寒い。大学は自主自立でなければならない。私立大学においておやである。その解決方法はある。それは大学で基金を創設することである。例えば同志社大学は2025年創立150周年を迎える。大学の中でも最古の一つに入る長い歴史と伝統を持ち、アメリカの大学を日本人として最初に正式に卒業した新島襄という校祖を持つ。この150周年を記念する基金(1000億円)を積立てることにより、学校経営を盤石のものとする。そして新島襄が200年かかると言った50年後にこの基金を増加させ1兆円を永久基金として世界一の経営基盤を確立させる。同志社が率先して行えば、東大も京大も慶応も早稲田もなだれをうって同じ路線を走り出すであろう。そこで初めて日本の大学はハーバードやイエール、スタンフォード、ケンブリッジに伍して世界的な人材を輩出することが出来るようになる。新しい日本の時代の幕開けである。その為にOBOGの衆知をあつめ、150周年基金開設と日本の税制改革(寄付行為、免税措置、個人法人を問わず)の実現に全力を集中しようではないか。

立憲君主制

7月4日
立憲君主制
ブータンは最近まで王国であった。それを四代国王ジグメ・センゲ・ワンチュクが自ら全権を国会と内閣そして各省庁に渡し、しかも生前譲位をされた。驚いたのは国民で、やめてほしいと嘆願したが、聞き入れられず、長男に譲って退位された。この日からブータンは立憲君主制となった。憲法についてもずっと以前から世界中の憲法を研究された。特に日本憲法について十分な研究が行われ、数多くの類似点を持っている。ブータン王室と日本皇室との関係は親密な交流が続けられている。国連においても日本支持の旗色が鮮明な国であり、すべての日本提出案件に賛同している唯一の国である。

東北からの光

7月3日
東北からの光
私のマンションのベランダに立つと東北の方向に新幹線の予定地の道路が見える。少しカーブしながら私のマンションに近づいてくる。その東北の空が二日続けて明るい。東の空は雲が濃い。東北の空が明るいのだ。まるで太陽が東北から昇るかのように、東北の空が明るい。驚いて暦をめくってみる。まだ夏至の筈がない。夏至の旭日はかなり東北側から昇る。今年の夏至は6月22日だ。まだ1カ月近くも早い。地球の傾きがおきているのかと心配する程の異常な明るさであった。まるで新幹線が金沢から福井へやってくるかのようなそんな予感がする。3年後に近付いたが、もうそこまで来ているのに気付かない私に神が示してくれた暗示なのであろうか。午前5時。まだ東北の空が赤く輝いている。

(このブログは、5月に書かれたもので、季節がずれて載せたこと申し訳ありません)