2015年09月のアーカイブ

デザイナー

9月30日
デザイナー
ブータン王国との出会いから、ブータンの男性用衣装ゴが日本のドテラそっくりなのに驚いた。女性用のキラは生地が日本の高級キモノにそっくり。その華麗さには目を見張る。そして日本のキモノに対する私達のあまりの関心の低さに気がついた。ブータンの正装はゴとキラ。日本の正装の紋付羽織袴はどこに行ってしまったのか。それにハタと気付いて私は悩んだ。外務省の外郭団体で世界へのキモノの普及に注力していたのを思い出した。あれはどうなってしまったのか。あまり話を聞かない。伝統文化の維持に真剣に取り組んでいるブータンと比べて、キモノの現状は誠に心細い。そこで長浜のデザイナー野崎文子さんと組んで、長浜のまちおこしの一環としてキモノ更生を行うこととした。まちなかにキモノを復活させるのである。キモノを支える裾野は広い。かつての精彩をとり戻すのは至難の業ではあるが、新しいステージ作りは不可能ではない。その思いを胸にキモノによるまちおこしの大事業に力を貸していきたい。デザイナーの力量とその復活へのシステム作りが求められる。毎日その構想を練っている。

蜜蜂

9月29日
蜜蜂
アインシュタインの発想の柔軟さとユニークさにはいつも驚かされるが、彼の言葉にもう一つ「蜜蜂がいなくなると人類は4年以内に滅亡する」と予言した。またヨーロッパのことわざに「蜜蜂の歴史は人類の歴史」という。
蜜蜂の一生は約1か月。毎日花の蜜を集めに飛ぶ。1日1000個の花を回り、ほんの少しの花の蜜をもらって巣へ運ぶ。蜜を吸う時に花粉が体について受粉の役目を果たしている。植物、食物の半分以上の受粉は蜜蜂によって行われており、人間にとっては勿論、地球上の命あるものすべてにとって非常に重要な役目を果たしてくれている。気がついている人は少ないと思う。地球上のすべての生き物は何らかの必然性を秘めている。絶滅危惧種が増えていることは私達の生活が危うくなっていることに気付かなければならない。

努力

9月27日
努力
NHKの朝ドラで「地道にコツコツ」と盛んにいっている。多少揶揄気味ではあるが。「努力」ほど尊いものはないと私は考えている。とことん考え、寝ても覚めても考え抜いて、そして決断したことは万難を排してもやり抜く。その実行の時に必要となるのが「努力」である。「艱難辛苦は汝を玉にす」という言葉があるが正にその言葉通り、身を粉にして努力すれば必ず道は開けてくる。新しい世界が生まれるのである。

9月26日

夢を追い求める人生を送ってきた。気がつくといつまでたっても夢をつかむことができない。そこで「押しても駄目なら引いてみな」という諺を思い出し、夢中で夢を追いかけることを止めてみた。不思議なことに、今度は夢のほうから私に近付いてくるではないか。誠に人生は面白い。

一筆啓上

9月25日
一筆啓上
福井県の坂井市、丸岡町に公益財団法人丸岡文化財団がある。
大廻政成さんが手塩にかけて作り上げた「日本一短い手紙」を長年かけて全国イベントに育て上げた母体である。「一筆啓上、おせん泣かすな、馬こやせ」の便りを名文中の名文としてお手本にし、まず「母」をテーマにスタートし、今や22年になる。今回旧国宝丸岡城のすぐそばに立派な会館が完成、見学した。10月から3月までのブータンミュージアムの企画展「幸福のかたち」への協力要請を行い、快諾を得た。思いは同じである。若い優秀なスタッフの方々と短い時間ではあったが心の交流ができた。感謝。

スターを求む

9月23日
スターを求む
ユーチューブでのスターのミシェル ファン。彼女はユーチューブのメークアップ動画に300以上出演している。動画再生数は10億回を超えるという。スターは今や実業家となり、その成功物語を作りつつある。私達の動画放送もスターが欲しい。日本の自然の美しさ、日本文化の奥ゆかしさを日本語・英語で表現できるキャラクターを求めている。年齢不問、男女の別も問わない。この人と思ったら是非紹介していただきたい。

キラリ会

9月22日
キラリ会
転勤族の集いを開催しはじめて9年目を迎えている。メンバーは約50人余りである。忙しい人ばかりなので、毎回20人前後が集いスピーカーの話を聞いたり、福井県下の情報に耳を傾ける。転勤の早い人は、1年以内から長くても5年。だからメンバーの顔ぶれはいつも変わり、意見の交換も活発だ。最近特に目立つのは「食べ物がおいしい」との声が多い。勿論地酒称賛の声も多い。御食国(みけつくに)若狭だけでなく、越前も含めて福井県の食文化を大々的に売り出したらどうだろう。よそ者の声に真摯に耳を傾けてもらいたい。現代人の食に対する興味は年々高まっている。「おいしいまちづくり」は賢明なチョイスたり得ると思う。それから小・中学生の体力、学力日本一への驚きの声も多い。福井県の人口減少が全国平均より悪化しているのにみな納得のいかない顔をする。「子育て」に最もふさわしい所であると自信をもって内外に発信することも大切であろう。

ブータン定例会

9月20日
ブータン定例会
毎月定例の会議を行っている。今日はその日だ。企画展「幸福のかたち」のオープンを来月にひかえて、その最終段階での会議である。併せて第5次訪ブ団の結成が近い。「幸福のかたち」については、福井県下の博物館とのコラボに期待し、準備をすすめてきた。「日本一短い手紙プロジェクト」を長年に亘り行っている丸岡町の博物館、橘曙覧記念文学館、そしてすぐ近くの福井市郷土歴史博物館である。福井県の幸福についてのいろいろな事例の収集と福井県人、日本人としての幸福論を展開したい。ブータン人の幸福論との比較までもっていければ成功だ。予算の乏しいNPOのこと。またまた手作りの企画展で、中心メンバーの皆さんの協力には頭がさがる。しかし、内容のレベルの高さには我ながらいつも感心させられている。

さようならフランス

9月19日
さようならフランス
今枝由郎さんからメールが届いた。23年間住み慣れたフランスの自宅を友人に売却し、フランスを離れるとのこと。46年前に日本を去り、フランスへ留学した時を思い出して「あの時と同じようにスーツケース一つで旅立ちます」とのメール入る。お互いに思いがけないことが多発し、思い通りの人生を送ることは難しいが健闘を祈りたい。今枝博士には福井のブータンミュージアムへ何度かおいでいただき、講演会や懇談会で親しく語り合った。独自の仏教学を深く研究されており、尊敬している。また11月にはブータン王国のどこかでお会いするのを楽しみにしたい。

地球儀

9月18日
地球儀
グローバル時代である。ギリシャや中国で起きる問題が、直接にしかも瞬時に世界経済に大きな影響を与える。安倍首相が「世界を俯瞰する平和主義」と発言したが、正にグローバル時代を適確に表現した言葉である。グローバル時代を地球儀を眺めるように観察する習慣を持つ人がいるだろうか。そのように世界を見渡してみると目からうろこということがあまりに多いのに気がつく。まず日本は海の国である。これは誰でも知っている。しかし日本の隣国はどこかという質問に正確に答えられる日本人は少ない。日本は、海でつながっている隣国が世界中に数限りなくある。また東経、西経がつながる180度は日付変更線で、日本はロシア、ニュージーランドそしてオーストラリア東部に続いて早く朝を迎える国である。地球儀を見ていると、いかに地球が小さいかということに気づかされ、それは平和への希求につながっていく。ゆっくりと地球儀と対峙することを勧めたい。

税金を納めない会社

9月16日
税金を納めない会社
日本の上場企業は約5,000社。未上場の大企業を併せても1万社はない。ところが中小企業は100万社以上あり、その7割は税金をほとんど納めていない。国家財政が厳しい中でなぜ中小企業は税金を納めないのか。これは長い間の節税や脱税が慢性化したこともあるが、経営者の向上意欲の問題又はそれを指導するべき経理税理事務所の怠慢もある。また法人会が友好クラブ化している点もあろう。日本の7割の企業が心を入れ替えて利益の向上、付加価値アップ、納税意欲に燃えてくれれば日本の財政赤字は数年で改善に向かうはずである。それと忘れてはならないのが巨大企業の節税である。これにもメスを入れる必要がある。税金を納めない企業をなくすことで日本はゆるぎない繁栄の基礎を築き上げ、世界経済の安定とひいては世界の平和に貢献することが出来る。

アインシュタインの涙

9月15日
アインシュタインの涙
70年前に終戦を迎え、日本は食糧難におちいった。戦後の暗く厳しい時代がはじまったのである。戦争に負けた日本人の心に明るい灯をともしてくれたのは湯川秀樹博士のノーベル賞受賞のニュースである。日本中が沸いた。わが事のように驚喜した。日本人が自信を取り戻すキッカケになったのである。その湯川秀樹博士ご夫妻がアインシュタインを訪ねたとき、彼はご夫妻に自分が作ってしまった3個の原爆が、2個も広島長崎に落とされ多くの日本人の命を奪ってしまった、申し訳ないと涙を流して詫びたとのことであった。この事実はもっと広く日本中に世界中に知らせる必要があると思う。私は「アインシュタインの涙」としてこの事実をずっと喧伝していくつもりである。平和のために、そして原水爆兵器の禁止のためにつづけていきたい。

朝日新聞

9月13日
朝日新聞
若い新聞記者の突然の取材を受けた。ブータンミュージアム設立以来のいきさつや、3年間の実績についての取材である。オープン直後に同じ朝日新聞のベテラン記者の取材を受けたことを思い出して、ついその話に移っていった。彼は社からブータン行きを命ぜられ、その事前勉強をかねてミュージアムを訪れ、記事をかいてくれた。それから数カ月10回にもわたるブータンからの紹介記事が紙面を飾った。内容が特によかった。先輩記者をほめることに終始したが、若い彼は今一度の取材を依頼して帰社した。若い人には未来がある。未来を大切に生きてほしい。

安野光雅

9月12日
安野光雅
毎年、日記帳に行動記録やメモを書く習慣を続けている。先日その日記帳の出版社からプレゼントが届いた。安野光雅のオリジナルダイヤリーより「アイルランド」の絵はがきセット5枚である。ロンドンデリーなどのスケッチやゴールウェイや北アイルランド地方の町などの水彩画を絵はがきにしている。気の利いたプレゼントに驚くと同時に、この絵はがきを誰に出そうかと考えている。私は外房の別荘を手離して、少し海が恋しくなっていたが、日本とよく似たアイルランドの風景を見ていると、旅への思いが募ってくる。軽井沢の近く安中市で今月末140周年記念フェアが行われる。新島襄の生誕地である。軽井沢で宿をとって、しばし避暑を満喫したいと考えている。同志社大学の教授であった有島武郎の終焉の地である。有島一家や川端康成、芥川龍之介、堀辰雄など数多くの文学者や文化人ゆかりの地であり、私の好きなまちでもある。

京都の大学

9月11日
京都の大学
京都は大学が集中している。その密度はおそらく世界一であろう。京都市の人口145万人に対して、28大学の学生数15万人という。全住民の1割以上が大学生である。アメリカではボストン市が学生比率が最も高いとされているが、京都には及ばない。京都にあこがれて全国から学生が集まってくる。例えば同志社大学の学生達の出身高校を調べてみると全国各都道府県から来ている。この傾向は140年の長い伝統の中で、地方隅々まで名前が知られてきたからであろう。全国各地の校友会活動そして世界各地にOB会が結成され、母校へのノスタルジーの影響もあろう。親兄弟が同志社人という、同志社ファミリーも多い。学問するに適した京都という環境も大きく貢献していると思われる。
学ぶとは学校や図書館や研究室に閉じこもってするだけでなく、社会との接触、自然とのふれあいの中から掴み取っていくものである。京都ではどこへ行っても、どこの大学生でもみんな「学生さん」と敬称をつけて呼んでくれる。東京では「学生!」と呼ばれて、その対応の差に唖然とした経験がある。京都はまさに学生のためのまちである。

軽井沢新聞社

9月9日
軽井沢新聞社
吉村祐美著「文学者たちの軽井沢」を手にして読んだ。軽井沢に住んだ文学者が、小説やエッセイでとりあげた『軽井沢』を集めたものでなかなか面白い。有島武郎「信濃日記」、川端康成「軽井沢だより」、堀辰雄「美しい村」、芥川龍之介「軽井沢日記」などを紹介している。出版社が軽井沢新聞社となっていたので、吉村さんが編集委員かと思い訪ねてみた。ところが出てきたのが雑誌「軽井沢ヴィネット」の編集長広川美愛さん。著者の吉村さんは部外の方とのこと。広川さんによれば「母が36年前に雑誌をはじめたのがスタート」とのことで新聞は15年前からはじめ、別の編集長がいる由。印刷を外注する以外すべて内部で編集、レイアウト、製作、広告営業(アドエイド)を行っているとのことで、そのタフネスぶりに驚く。話がボランティア活動に及ぶと、母上が「軽井沢ベセア」という名でNPOの軽井沢の緑や森を守る運動をされており、弟さんが株式会社軽井沢総合研究所を通して、1900年ウィリアム宣教師の父と来日したエロイーズ・カニングハムの別荘を管理している。彼女は毎夏を軽井沢で過ごし、戦後は子供達のために毎月コンサートを開いていたそうだ。その弟さんをハーモニーハウスに訪ねた。エロイーズ・カニングハムさんが所有し101才で西麻布の自宅で亡くなられたので、ハーモニーハウスの横の建物を改装し、エロイーズカフェとしてオープン。若い感性と積極的な行動で、カフェも付属の貸別荘もオープン1年で見事に軌道に乗っている。弟さんからは多くの示唆を逆にいただいた。すべての建物(敷地は谷川沿いの深い森の中にあり1000坪)はレイモンドの弟子の吉村順三が1983年に設計。元の型がほぼ原型通り残されており、レイモンドの思想が残る貴重な別荘である。建築家の友人と再び訪れて、じっくりと細部を学びとりたい欲求を覚えながら再会を約した。エロイーズカフェで食べた三笠ホテル風ブラックカレーは絶品であった。

ビルゲイツと軽井沢

9月8日
ビルゲイツと軽井沢
軽井沢へ来るたびに感ずるのは、このまちの変化の激しさである。まちは繁栄に向かっているとか、逆に衰退しつつあるとかでなく、よく見ると変化を続けているのに気付く。閉店していた店が、改装をはじめているかと思うと、空地がふえている。車の台数が増えているのと観光客は増えている。売上はそんなに好調ではないという。あと1ケ月もすると軽井沢は冬支度をはじめる。そんな中でビルゲイツの中軽井沢の別荘は着々と完成に向かっている。ほぼ80%が出来たようだ。周辺の土地の買収は続いているとのこと。来年の夏にはビル夫妻の姿が軽井沢で見られるかもしれない。世界トップクラスの大富豪のウォーレン・バフェットが99%の資産を寄付すると申出た先は、ビル+メリンダのゲイツ財団である。ビルは日本で何をするつもりか私は大いに興味があり、彼の動きを見守っている。

創立140周年の同志社

9月6日
創立140周年の同志社
同志社は今年創立140年を迎えた。創立者新島襄の生家のある安中市の新島学園で140周年のお祝いの会が開催された。新島襄は日本人としてはじめて大学を正式に卒業した人物であった。国禁を犯して函館から脱国し、艱難辛苦を乗り越えて、アモースト大学を卒業、アメリカンボードの支援を受けて仏教王国の京都の地で官許英学校を創立した。日本で最初である。設立の目的は「良心」と「自由」の精神を尊ぶ若人を育てること。キリスト教が未だ邪教として排斥されている中での開学は勇気のいる行為で、新島襄の使命感の強さが偲ばれる。世界の私学が大学のトップレベルを独占しているのに比して、日本では未だに後進国並みに国立大学が巾をきかせている。文科省の方針も問題であるが、今少し私学の奮起を期待したい。

9月5日

叔父が中国の各地で貿易の仕事をしていた。子供心にも外地で活躍する近江商人の姿を思い浮かべ、いずれ自分もと夢見ていた。父母に連れられて年に1,2回汽車で京都へ行った。各駅停車で、黙々と煙を吐いて走る汽車である。長浜、京都間が3時間以上かかるので、早朝に家を出て、帰り着くのは夜遅くになった。窓枠にしがみつくようにして、外の景色を見つづけていた。好奇心のかたまりのようなものであった。大学に入り古美研の友と京都の山野をスケッチブックを持って歩きまわった。夏季休暇と春期休暇は税理士事務所でアルバイトをしていたので、自由な旅は冬期休暇中だけである。信州の菅平高原、野沢温泉そして東京などを歩いた。商社に入り全国の観光地や世界の街を訪れる機会が増え、先進国はほとんど全部訪れた。旅愁を楽しみ、地場の料理を満喫し、多くの友が出来た。旅は人を育てる。私は旅に育てられた。今でもさあ出かけるぞというと妻はどこへまたという。日帰りの旅だと安心するようだ。

長浜

9月4日
長浜
18歳まで長浜で育ち、その後60年が経過した。最近意識して長浜を訪れている。幼なじみが数人いる。妹と弟も住んでいる。生家は先年より「まちづくり会社」へ貸しており、既に他人が住んでいる。私はホテルへ泊まらざるを得ない。ホテルの一室で琵琶湖を眺めていると子供の頃の記憶が浮かぶ。長浜城博物館や曳山博物館を訪問し、館長と話していると不思議な縁で結ばれることが多い。まちを歩き挨拶をかわすと、つい知人の話になる。狭い世の中に気付く。しかし懐かしさに変わりはない。成駒屋という老舗の料理店へ入り蒲焼をいただく。美味。あまりにおいしいので翌日もまた蒲焼。ふるさとの味は格別である。

時価総額過去最高を更新

9月2日
時価総額過去最高を更新
東証1部の時価総額が1989年12月の過去最高を今年に入って更新する状態が続いている。8月7日は政府保有分を合わせて612兆円に近付いた。企業の保有株式は、時価評価が要求されるので、株価の上昇は企業業績に直結する。そしてそれは納税につながり、国庫収入は増える。株式を保有しているのは企業だけではない。個人も諸団体も株式を保有しているのですべての指標がよくなる。日本経済が上昇基調にある原因の多くが株価上昇によるものだ。先行きについては、中国経済の急減速とその不透明感に注目している。株式市場への影響は決して小さくない。十分な留意が必要である。

発信力

9月1日
発信力
福井県民は宣伝ベタといわれている。私はトヨタのディーラーの代表者を5年間勤めたが、オールトヨタで日本一になる機会がないかと種々調査をし、ボランティア活動とPR活動の二つの分別で日本一を狙う道を選んだ。ボランティア活動では、YFU協会と提携して毎年日本人の高校生を一年間アメリカ人のボランティアのお宅で面倒を見てもらうこと、またアメリカの高校生を数人、日本人のボランティアに約1ヶ月面倒を見てもらうことのお世話役を引き受けた。約10年間継続したが、十分なお世話が出来なかったことが残念だ。ところが、PR活動では5年間300社あまりのディーラーの中でトップを独占できた。やれば出来ると自信を持った5年間であった。そして車種別販売台数月間・年間のトップを取るおまけまでついた。狙えば出来ることの証明である。福井県は人口80万人程の小さな県であるが目標を立て、努力を続ければ不可能と思われることが可能となる好例である。福井県の宣伝ベタを宣伝上手に変えるのは不可能ではない。