2015年12月のアーカイブ

日本史と世界史

12月29日
日本史と世界史
戦後の教育の大混乱の中で、小学、中学を過ごした私達であった。そして「歴史」の勉強がはじまった。まず不思議に感じたのは「歴史」の勉強の異常さである。当時の歴史では人類の起源は数万年前であった。そして僅か数ページで日本史の場合は平安時代に入ってしまう。それから年代の経過のスピードはどんどん遅くなり、江戸時代から明治に入ると遅々として進まない。大正・昭和時代は年々の記載がゆっくりと進む。平安時代の記述と大正・昭和時代の記述のスピードの差を不思議に感じたのは私だけであろうか。日本史と世界史の学び方、教え方の差も気になった。世界史は、日本史と中国の歴史とヨーロッパの歴史との比較を時系列で列記しただけのように感じて物足りなかった。それが世界をこの目で見てみたいという青雲の志につながっていったように思われる。

奈良の観光客

12月25日
奈良の観光客
奈良は古都といわれている。仏教のメッカであり、観光面でも抜群の知名度を誇っている。さぞや観光収入が多かろうと思ったが、これが極端に少ない。宿泊比率は全国一低い。昼間の観光客が多く、逆に宿泊客は殆どない。この原因について、奈良のロータリーメンバーと話し合ったことがある。「歩きまわれる町」にする必要があるという意見、宿泊施設の少なさを嘆く声、いろいろ聞いたが納得できる答えは出てこなかった。京都の吸引力が強すぎるとか日帰り圏内にあるので自宅へ帰ってしまうとかの声もあった。最近になってこの解決策に気付かされた。「夜のイベントは宿泊客を増やす」という考え方である。なるほど、夜遅くまで楽しんでいるとついつい泊まりたくなる。地方の夜の祭は、数多くの宿泊客で年1回の大繁忙期を迎える。この「夜のイベント」を効果的に次々と開催するアイデアを見つければ、奈良は京都をしのぐ一大観光都市に復帰できる。これは奈良に限らず、長浜でも、福井でも同じである。観光事業のつらいところ、泣きどころはもう一つ繁閑期の落差にある。この落差の解消策についても「魅力的なユニークな夜のイベント」を閑期に開催する方法を見つけることで解決できそうだ。さてどんなイベントがあるのだろう。とことん考えてみたいテーマである。

文科省を福井県へ

12月23日
文科省を福井県へ
福井県の現状と未来につて議論をしていたところ、あるメンバーから「文科省を福井へ持ってこい」という意見が出た。文化庁とか出先機関でなく、本体の文科省を誘致しようとの意見。それ以来、この意見は私を捉えて離さない。中央官庁が首都圏に集中しているのは、東京一極集中の最大の原因である。この解決をはかり地方創生を成功させるにはと考えるとこの意見の素晴らしさがわかる。福井県は小中学生の知力、体力ナンバーワンである。全国の先生が数多く研修に来ており、教育のモデル県である。教育基本法の問題点を洗い出し、教育理念の再構築を模索する場として、継体天皇以来歴史と伝統を大切にしてきた福井県に教育の中心である文科省を置くというのは素晴らしい着想である。東大京大などの旧帝大のない日本海側に文科省を持ってくれば、政策転換の大きな契機になり、日本の教育を変える出発点になるであろう。

電気料金

12月22日
電気料金
各種の調査によると、北陸3県は幸福度が日本のトップクラスに位置づけられる。家庭用の電気料金のデータがあり、それを見ると、10電力の中で、北陸電力がずば抜けて安い。一番高い電力会社は北電より3割以上高い。安い原因は水力発電比率が全国トップという点と石炭火力の比率が高いことによる。
北陸の豊かな水資源を上手に活用しているのだ。先人の知恵である。オール電化マンションの普及が進んでいる。安全で安い電気料金に守られている福井県民としては、この豊かな水に感謝する。水は森林を潤し、田畑を守り、人々の生活を豊かにしてくれる。食物がおいしいのも、空気が澄んでいるのもみな水のおかげである。

豊田三郎画伯

12月20日
豊田三郎画伯
画伯の訃報を聞いた。107歳の大往生。先生が100歳の時から親しくお付き合いをし、何度も長い時間お話を伺った。いつもエネルギッシュな話し方で、120歳までは大丈夫と思える程にお元気であった。ただ、先般お会いした時、初めて弱気な発言を聞き心配していたが、その勘が当たってしまった。「この年になると身体の前で重いものを抱いているようで辛い。」と別れ際に言われたのだ。その言葉を何度も思い出しながら心配していたが、それが最後の言葉となった。しかし、私の脳裏には、「107歳の現役洋画家」の雄姿がある。そしてインターネット放送局genjapanには24時間、365日その雄姿を見ることが出来るのだ。

天皇陛下

12月19日
天皇陛下
昭和12年3月に生まれた私の幼い頃は、神、仏と同時に天皇皇后両陛下の御真影に礼拝する毎日であった。現人神としてあがめられていたのである。そして敗戦となり、天皇は自ら神格を否定し、憲法の第1章第1条に「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である。」と規定された。幼い私達は、「象徴」という言葉は一体何を意味するのかを真剣に考えたが、理解できたのはずっと後のことである。敗戦70年、平成天皇の世が始まって27年になる。その間天皇は常に国民と共にあり、日本の歴史伝統慣習を継承され、災害時には万難を排して現地を訪れ、国民の目線に立つ姿を見せられた。「被災地への旅」である。その他に天皇の旅で印象的なのは「慰霊の旅」である。戦後遺骨収集が遺族や引揚軍人達によって繰り返された。その後を追うように天皇の「慰霊の旅」が始まった。日本は瑞穂の国といわれるように、米の生産を中心とする、農業を主とする国である。天皇の行事に田植えや新嘗祭、神嘗祭など農業に関する行事が多い。また伝統文化の継承者として宮中行事には古い慣習によるものが多く、そこには既に民間では失われてしまいそうな技術や知識が守られている。和の文化が世界的に見直されている中で、着物文化の衰退があまりに激しいことを懸念しているが、和装の復活に向けて天皇家のリードを頂く機会はないものかと思案している昨今である。

師走

12月18日
師走
今年も早や師走となりその半ばともなれば、ますますせわしくなる。ユネスコや日赤の募金活動がはじまったが、私達のNPOもご多分に漏れず活動資金や各地への寄付の基金を求めて、浄財の喜捨をお願いしている。おかげさまで毎日多くの方々のご協力を頂き、人の情けの有難さに気付かされる。
福井県が県内で「幸福を感じるスポット」の募集を始めた。幸福度日本一の福井県を県民が実感できる場所が数多くあるはずだとの思いであろう。私も県内各地の各所旧蹟や景勝地、○○百選などを列記してみた。しかし「幸福を感じるスポット」ではないことに気付かされた。逆に例えば、千古の家の檜の大木の下に立った時など、千年の時を越えて立つ木を見上げながら、竹田の里の平安をしみじみ感じることが出来た。幸福とは心の問題である。ブータン王国と福井県の幸福について、今「幸せのかたち」という企画展を行っている。私達のブータンミュージアムが、このスポットに選ばれないかと期待している。

由利公正

12月16日
由利公正
NHK大河ドラマに決定するとそれに関係する土地には大きな観光客増のメリットがある。そこで全国からのラブコールがおきてくる。福井県は由利公正を押すとのことである。明治維新を陰から支えた男、福井藩を救い、明治新政府を救い、東京府を救った男、由利公正は財政家である。財務省や日銀を味方につけてアピールをつづければ決定に至る可能性が高い。それと味方を増やす意味で、幕末四賢候の愛媛県、高知県、鹿児島県や春嶽公や横井小楠につながる熊本県、東京都も仲間に引き入れたいものだ。「敵をつくるな、味方をふやせ」の作戦で是非確定してほしいと願っている。

着物の復活

12月15日
着物の復活
ブータン王国を訪れるたびに、ブータンの美しい民族衣装に感動する。男も女もゴとキラをきちんと着ていて、清楚であり民族の誇りを感じさせる。それにひきかえ日本の着物はどこへ行ってしまったのか。新幹線に乗っても和風姿はほとんど見かけない。年配の女性に聞いてみると、みな口をそろえて「勿体ないが、ほとんど着る機会がなくなった。」といわれる。ハレの日、ケの日以外で着物を着るのは、成人式、七五三ぐらいだろうか。今、和装文化が消えかかっている。着物を着ないと帯も草履もいらない。それらを作る職人もいらない。織機もいらない。織機メーカーも、部品メーカーもいらない。当然後継者もいらない。気がつけば日本の伝統の着物文化は滅亡する。今はその危機の真っ直中にいる。伝統文化が滅びるということは、民族の誇りが無くなることである。和の文化の中心、着物の復活を声高らかに呼び掛けていきたいと念願している。

若者の4割が非正規雇用

12月13日
若者の4割が非正規雇用
こんな社会に誰がした。人類の未来をになう若者の4割が非正規雇用となっているという。世界トップクラスの豊かな国といわれる日本の現状である。これは根本から変革せねばならない基本的な人権の侵害だ。なぜこんな事がまかり通っているのか。周囲を見回してみると、役所の中、銀行の中、一流企業の工場の中に数多くの派遣社員がいる。知の塊のような開発部門にまで派遣社員が入り込んでいる。理由を聞いてみると需給関係にあるという。ニーズのあるところに供給が生まれるという。海外への生産シフトを防ぐために必要だという。果してそんな事でよいのだろうか。経営者としての倫理はどこに行ってしまったのか。私達の未来を創る大切な若者を、安く使い捨てにしている経営者の良心に問う。若者に夢を、希望を与えるのが私達の役目ではなかったのか。この異常社会を直ちに改善することを最優先していきたい。

幼少の頃

12月12日
幼少の頃
生まれ育った街を歩くのは、まことに懐かしい。瞬時に幼い頃にタイムスリップが出来てしまう。長浜の町はあまり変わっていない。特に八幡宮の森や小川、そして露地ウラを歩くとその感が強い。住宅地図を開くと幼少の頃の自分の世界があまりに小さく、狭いのに驚く。そしてその小さく狭い地域の中で育った数多くの友の顔が浮かんでくる。既に鬼籍に入った友もあるが、記憶の中では今もともに生きつづけている。そんな故郷であるが昔日の面影を追い求めつつ、今地域おこしに一役買うことになりそうだ。月に数回出かけている。長浜でも福井と同じように地方創生のお手伝いをさせていただいている。

寄る年波

12月11日
寄る年波
忙しい毎日を送っている。次々と仕事が舞い込んでくる。後期高齢者に仲間入りして以来、仕事を減らすことを心がけているが、残念ながら減るどころか増え続けている。「急ぐ仕事は忙しい人に頼め」と昔から言われていたが、気がつくと自分がその頼まれる側に立ってしまっているようだ。「少しは年齢を考えて下さいよ」と家内には言われるが、確かに「寄る年波」には勝てず処理能力は年々おとろえてくる。そろそろ潮時と考えているが、果たして順調に仕事を減らせるかどうか自信がない。コツコツと地道にわが道をゆくほかあるまいと思う今日この頃である。

アメリカの比較文化

12月9日
アメリカの比較文化
アメリカに社費で短期留学をさせていただいたときに、何を学んで帰ろうかと考えた。そして美術館博物館図書館を歴訪し、日本とアメリカでは文化の質の差が大きいことにすぐ気がついた。歴史を勉強するとよくわかるが、アメリカ文化の特長は「比較すること」に力点を置く。アメリカの歴史の異常さは、かつて新大陸と呼ばれたように、僅か数百年という短いものである。その為、ヨーロッパをはじめ他の国々の比較を行うことにより、学問も文化も独自の発展をしてきたようだ。日本では比較をすることを慎む文化がある。日本文化の特長は「極めること」にあり、「比較すること」とは異質であった。現代の世界の潮流は文化も経済も政治もマスコミも学問ですらアメリカ流の「比較すること」により人は欲求不満に陥る。欲望を際限なく広げてしまう。それが争いを生み泥沼となる。「比較しない」「比較を慎む」と心の平安は保たれるのである。

4Kカメラ

12月8日
4Kカメラ
カメラの進歩が著しい。駐車場の防犯カメラの研究をはじめた20年前には、カメラの位置を固定し、これを遠隔操作で首ふり動作をさせたり、この映像をビデオに収録したりすることに苦心した。僅か1、2年後にビデオテープからメモリーに変わった。そして、カメラは1方向から180度まで広範囲に写せるようになり、首ふりは不必要になった。ピカトロの特許をとった頃である。それが街中に防犯カメラが設置され、今では防犯防止の重要なツールとなった。今回4Kカメラ、アクションカメラが登場し、またまた新世界が生まれそうである。日進月歩というが新技術はまた新しい需要を生む。新しい需要はまた次の新技術、新開発につながり、更に新商品を生み出していく。日本の技術革新の未来は明るい。私も4Kカメラ、アクションカメラを使いこなしてみたいと考えている。

下呂温泉

12月6日
下呂温泉
久しぶりに下呂へ出かけた。初冬の厳しい寒さを思い厚着をして出発した。水明館の能舞台で「みなもと会50周年記念第100回素謡会」が開かれたからだ。岐阜RCと岐阜JCの観世流の勉強会で、素人同士が教えあう会である。おそらく全国でも唯一無二のものと思われる。発会は50年前、私の28歳の時。その頃会の名前はまだなくて、若いものが相談して3人の先生、杉山先生、三品先生、岡本先生の了承を得て「みなもと会」と命名した。当初は杉山先生の経営する岐阜女子大学の前身の校舎の一室で開かれた。春秋の発表会はホテルパークみなと館で行ったので「みなと」と女面の褌にちなんで「みなもと会」と名付けた。水明館の能舞台、よしのや依緑苑の能舞台と遠方での素謡会も企画した。その後発会10年程で私はミシガン大学へ短期留学し、会を卒業させていただいた。みなもと会も海外遠征が続いたそうであるが、残念ながら私は参加のチャンスはなかった。山岡常男先輩、野村貞彦先輩が今年秋に相次いで逝去されたことを聞き、青春時代の思い出に浸る一夕となった。
岐阜の金華山のふもと稲葉神社に献額を奉納するとの報に接し、その額に私の名前も加えていただく名誉を与えられた。そして今回50周年の会である。演目は番組表外「江口」にはじまり、菊慈童、橋弁慶、吉野天人、小督、土蜘蛛、高砂、班女、邯鄲、景清、猩々と11曲に及んだ。延々5時間以上に亘る大発表会であった。メンバー30名に加えて、私達夫婦ともう一人の元会員、それに岐阜から芸妓3人が参加した。40年ぶりにみんなの素謡を聞いて、そのあまりの上達ぶりに驚いた。岡本先生の「あなたもやりあ」とのお誘いに、「聞くだけで満足です」とお断りをした。ついつい本を見ながら聞いていると拍子をとりたくなる程の熱演であった。今回限りで引退される三品喜嗣先生と40年ぶりにお会い出来たのもうれしかった。
みなもと会の益々の発展と共に、RCとJCの合同による世代を引き継いでゆく集いに心から賛辞を送りたい。

浅井修工房

12月5日
浅井修工房
89歳のビロード工房は、田園の中にある。奥さんと二人で2台のビロード織機を並べて作業をされている。晩秋の一日工房を訪ねた。もう新しい注文がなく、ほとんど開店休業中とのこと。数か月前にMOH通信の辻村編集長に紹介したところ、早速取材され、記事になった。その取材の文章の見事さに魅せられ、私も今日浅井修工房を訪れた。十年程以前に私の弟の会社の創業80周年記念としてビロード織機で織った変わり織りのネクタイを作っていただいたのを思い出した。丁度行き違いで本人とは会えず、奥さんと話し合った。50年以上も前には、ビロードがもてはやされ、婦人コートや肩掛けが全国へ出荷され、正に長浜を浜ちりめんと共に支えたビロード業界であった。長浜伝統士に指名され、手仕事の他の人々と共にビデオや小冊子にも取り上げられた名人である。益々健康に留意され、貴重な技術の伝承を続けられるよう祈りたい。

福井の魅力度

12月4日
福井の魅力度
全国の調査で各地域の魅力度を調査したものがある。福井県の魅力度は全国都道府県47の内、前年は42位だったものが昨年は29位と躍進した。伸び率で1位となった。観光の意欲度も42位から36位と上がった。子育て・教育がしやすいの項目では8位から1位と上昇。教育県としては、まさに我が意を得たりとなった。人の評判を気にする必要はないとはいうもののやはり気になる数字である。

ワイン会

12月2日
ワイン会
久々にワインの会に出席。奥さん方の参加が多くなっていることに驚く。私の家内は痛風でワインも濃厚な料理もダメで欠席。ボジョレーヌーボーの話から入り、クリュ・ボジョレーの十地区の話となる。乾杯はラングドックのジ・ロレンスのクレマンドリムー・グレムス。赤は長熟タイプのムーラン・ナ・ヴァンのヴィエイユ・ヴィーニュの100年以上の樹会のブドウを使用した2008年もの。深みのある味わいである。同じく長期熟成タイプのモルゴンのコートドピイ2012を飲む。手摘みガメイ種100%を木樽発酵とオーク樽で12ヶ月熟成させた逸品。個性的な赤紫色調の赤ワイン。2025年ころまで保存がきくとのことでワインセラーの主となれそうだ。今回はメンバー提供の貴重なワイン、そして地元の白山ワインも提供され、飲み比べて楽しんだ。今夜の会場は私達の本社ビル一階のココット。本社の裏に完成したばかりのグリフィス記念館があり、私達夫婦で植樹した桜の記念樹を仰ぎながら歓談が続いた。toccoのオーナーがソムリエ試験に通り近々中にその披露のワイン会を開くとのこと。誠におめでたい。

「実行」こそすべての源

12月1日
「実行」こそすべての源
熟慮断行という言葉がある。考えることはとても大切だ。しかし考えれば考えるほど不安も大きくなる。実行することが怖くなる。何もしないことが身のためだとなる。待ちの姿勢に終始する。これでは何の変化も起きない。変化に対応するには行動しなければならない。ぬるま湯につかって、ゆで蛙になってしまってはいけない。要は「実行」である。ダーウィンの言葉にもあるように「変化する者が生き残る」のである。私は常に変化の道を歩むことを心がけている。実行することにより、新しい世界が広がり新しい可能性が広がる。「実行」こそがすべての源である。