2016年01月のアーカイブ

田舎に移住

1月31日
田舎に移住
少子化による人口減少で地方は存続の危機にあるという触れ込みで、地方創生が叫ばれている。しかし財政面での地方支援は決して十分ではない。大企業は最高益を出すところが多いが、その殆どの本社が東京都に集中し、地方の恩恵は僅かである。地方の生活環境は東京と比較すると雲泥の差で優っている。食は美味しく、緑や景観は素晴らしく、ゆったりと時は流れ、ストレスが程よく、生活費は安い。勤務できる職場は少ないかというとそうでもない。ネット時代だから地方での企業のチャンスは大きい。インターネット社会の成熟が進み、メールやファイル共有システム、そして、スカイプなど地方での仕事をバックアップするツールが次々と誕生している。新規事業は3年を目途とせよといわれるが、3年以内に大きな飛躍につながるものを発信することは決して不可能ではない。1回で成功を勝ち取ることは難しいが、七転び八起きのつもりなら成功はかたい。起業を夢見て田舎への移住計画を立てようではないか。私は受け皿会社を創りたい。田舎でも第3次サービス産業が大きく育つ時代になってきた。更に教育事業への進出をはかっていきたい。教育が第一。教育は国の根幹である。地方発のネットを使った教育システムを是非軌道に乗せたいと願っている。

地方創生は教育から

1月30日
地方創生は教育から
ノーベル賞の大村智さんは地方の大学(山梨大学)を出て、私学の東京理科大学の大学院から、民営の北里研究所に入り、研究に没頭したとのこと。「東大に負けたくないとの気持ちがノーベル賞につながった」といわれ、そして「地方再生は教育から始めなくてはならない」と述べられた。アメリカの超一流大学は殆ど私学である。そして大都会に立地していない。地域に根を下ろして、広く学生や研究者を集めている。地方創生の中心に教育を置くとの大村先生の考えに私は全く同感である。教育とは自ら学び、自ら教えることであり、それを生涯続けることである。福井と長浜の中心部にその拠点をつくり、学び合い、教え合う所としたいと念願している。

新サービス

1月29日
新サービス
スマートフォンを活用する新しいビジネスが誕生しつつある。海外の例ではあるが、スマートフォンを通してタクシーを呼ぶサービスUberである。但し、これは日本では、道路運送法のタクシー参入規制にふれる。また、旅館やホテルの予約システムAirbnbは旅館業法にふれる。これ等の新サービスが次々と生まれようとしている。規制緩和が求められるゆえんである。インバウンドが僅か10年で4倍に急上昇し景気に大きな影響を与えたのは、円安誘導とビザ発給条件の緩和という政策の成功である。正しい適確な政策が次々と行われれば、GDP600兆円も、希望出生率1.8も、介護離職0も達成可能である。

福井は初の積雪

1月27日
福井は初の積雪
積雪の記録をとり出したのは、1961年からとのこと。その間55年の間、今年のような雪のない日が長く続いた年はない。約55年間というより100年200年を溯ってもこんなに雪の少ない年はないのかもしれない。史上初の珍事。そんな気がする。最近の異常気象の多さに気付く人も多いが、史上初の遅い雪はもっと注意すべきことだ。異常な地球からの信号としか思えない。一日も早く省エネ生活を始めようではないか。そして、全知全能をあげて新エネルギー研究に邁進する必要がある。

次世代産業

1月26日
次世代産業
「アメリカを見ておれば経営は安泰」といわれたのは、ペガサスクラブの渥美さんである。アメリカが世界をリードする中で、総合電機がビッグスリーと並んでいた1980年代から、主役はIT産業が抬頭し、今や世界をリードしている。マイクロソフト、アップル、グーグル、フェイスブックなどである。日本は総合電機という日立、東芝、三菱電機、パナソニック、ソニー、三洋電機、シャープ、富士通などが活躍していた。現在では次々と業績悪化に見舞われている。三洋電機は既になく、東芝とシャープは解体の危機の中にいる。日本の次世代のリーダー産業は、自動車と並べるものは何であろうか。日本のIT産業はまだ弱い。国を上げて育て上げる新しいリーダー産業を創り上げていかねばなるまい。

鎌倉ハイキングクラブ

1月24日
鎌倉ハイキングクラブ
北鎌倉に住んでいた頃、休日となると鎌倉の山野を歩きまわった。その後、勤務先が海浜幕張になり、新浦安に住居を移した。ところが、鎌倉の緑と新浦安の緑では、緑の量と質が全く違うことに気付き、欲求不満に陥った。もう一度鎌倉の緑を取り戻したい。そう考えた私は早速行動を起こした。新浦安から京葉線で東京駅へ、そして横須賀線に乗り換えて北鎌倉へ、歩いて鎌倉へ。鎌倉駅からまた帰ってくる一日コースである。同志を募って「鎌倉ハイキングクラブ」と命名。メンバーは新浦安周辺の方々が多かった。遠く新宿から参加のレギュラーメンバーもいた。私達が事前にコースを決めて、当日は雨天決行の楽しいハイキングである。昼食は和食中心にお膳立てをした。会費ゼロ。交通費、食事代、ビール代などすべて自前。会則は事故を含めて自己責任とした。年間12回開催するので、北鎌倉から鎌倉へのコースを12つくるのは大変だったが、今思い出すと楽しかった。雨の日の町歩きはあまりパッとしないが、豪雨の時は別として、山へ入ると雨が気にならない。逆に緑の色が濃くなる。天山ハイキングコースの山の茶屋の皆さんとはすぐ親しくなった。メンバーの方からアメリカに住む息子さんのビジネス「ブルーベリー」の輸入販売を手伝ってほしいと頼まれ、しばらくお手伝いをした。定年退職1年前に仕事を止め、自分の会社を新たに創立した頃のことである。カナダ国境の自生種のブルーベリーとのことで、アントシアニン含有量が多く、目に良いとの触れ込みである。友人知人にサンプルを配付し、私達も食べた。目によく効くというのはブルーベリーと共に沖縄の紅芋や鹿児島の紫芋も同じである。加齢と共に小さな字が読みづらくなってきたので、目に効くブルーベリーを思い出した。鎌倉ハイキングクラブの懐かしい記憶と共にブルーベリーの紫色が目に浮かぶ。

バブル崩壊

1月23日
バブル崩壊
1990年初日本経済は年初よりの株価下落に見舞われた。底ナシの泥沼だった。日経平均4万円かと言われた1989年末のピーク38,915円から2003年の7,608円まで13年かかった。さらにその5年後のリーマンショック安の6,974円を経て約20年間失われた時を過ごしてきた。安倍首相の就任以来株式市場は急速に回復しあっという間に2万円の大台をこえた。その株価が急に不安定になり、年初以来暴落と言った方がよいほどの下落をはじめた。原因は何と言っても中国経済だ。中国のバブル崩壊の予兆だろうか。日本のバブルは金融の超緩和により土地(不動産)が暴騰し、同時に株価が暴騰した。土地ころがしという土地投機や株式の短期回転売買が打ち出された。地価は本来それほど大きな変動が起きないはずであるが、この未曽有の規制により暴落に拍車がかかった。経済の先行指標である株価も当然暴落となっていったのである、今年の年初の株式市場は過去20年見たことのない異常を示している。中国経済の先行きに対して明らかに暗い見通しが示されたものと思われる。厳重な注意を払う必要がある。なぜなら日本のバブル崩壊で最も大きな影響を受けたのは銀行である。中国の銀行に注意していきたい。

まちづくりガイドライン

1月22日
まちづくりガイドライン
昨年末に福井市からJR福井駅周辺のまちづくりガイドラインに関して、意見交換会の案内が来た。戦後70年が経過し、三重苦(戦災・震災・水害)で何度もまちは壊滅し、そこから立ち直ってきた福井のまちは、あれから70年近くが過ぎて老朽化が激しくなっている。住民達は郊外へ移り、空屋と空きビルが増えている。ビルの2階以上は殆ど空いている。小さなビル、小さな家が多く再開発などの共同方式でなければ再建は難しい。私も最後のご奉公のつもりでこのまちづくりに取り組んでいるが、更にスピードアップをする為には優秀なスタッフと支援者が必要である。コンサルティング業務に精通した方を募集する必要があり、今年早々からはじめたい。誰かが率先して動かなければ、まちは変わらない。コンセンサスを得ながらまちの復興を成し遂げるつもりで頑張りたい。

芋平

1月20日
芋平
長浜の町の中心部に芋を加工した六方焼の店がある。よく流行っている。2号店ができたがここも人気店である。芋は庶民の珍味である。焼き芋屋が京都の住宅街を流してくると学生や主婦が呼びとめていた。寒い時のホカホカの芋はまた格別だ。この芋は食物繊維が多く、特に便秘に悩む女性に人気がある。子供の頃、落ち葉を燃やした焚火の中へ薩摩芋を放り込んで、焼ける匂いを確かめつつ取り出しふうふういいながら食べたのを思い出す。品種によって栗のような高級感のあるもの、少しねばり気のあるもの、表皮の色の濃淡、特にそれが紅いものなどいろいろだ。この薩摩芋が目によい。ブルーベリーと同等以上の効果があり、アントシアニンの含有量が多いという。大野にこの芋平の六方焼を更に珍味として磨き上げ売っている老舗がある。ここも毎日午前中に売り切れてしまう繁盛店であるが、福井駅前に出店をぜひお願いしたい大野の超一流の銘菓店である。

さつま芋

1月19日
さつま芋
福井県の大野市七間通りに御菓子処順和堂がある。「いもきんつば」が有名だ。9月から翌4月までの8か月間限定製造販売の六方焼きである。一度食べたら忘れられない味で、半日で売り切れる。大野を訪れるたびに買いに行くが、それでも待ちきれず大野から通勤してくる社員に頼んで買ってきてもらう。
長浜の黒壁スクエアの近くに芋平というよく似た菓子店がある。ここは九州の菓子司と提携してオープン。行列の出来る店である。
さつま芋は中国から沖縄を経由して渡来した準完全食品である。戦後の食糧難の時代、私達は琵琶湖岸の砂浜を国から割り当てられてさつま芋を全市上げて栽培した。芋は美味、葉もおいしく、茎(つる)は少し堅かったがすべて頂いた。戦後5年が過ぎて食糧事情が良くなってからもその湖岸の砂地の畠でさつま芋を作る人が多くいた。厳しい時代だった。
アフリカの飢餓の問題がよくユネスコ等で取り上げられるが、砂漠の周辺でさつま芋栽培を教えたらいかがであろうか。日本での栽培はピークアウトしてきたが、今またその成分が「健康に良い」と見直されている。花粉症やアレルギーに効くとのこと。視力の回復に効果あり、更に免疫力アップにつながるとのことで少し時間をかけて「さつま芋」の研究をはじめている。正月休暇中はそれに関する文献を読破した。今週は鹿児島へ行って、現地調査する予定。

ビルゲイツ

1月17日
ビルゲイツ
彼にはじめて会ったのは海浜幕張の講演会場だった。インテルやアップルコンピューターそしてマイクロソフトなどの新しい変革の波が日本へ押し寄せてきた頃である。彼の講演が終わるや否や全員がスタンディングオベーションで拍手がなりやまなかった。
 先日朝日新聞で彼の大写しの顔写真を見て記事を読んだ。内容はゲイツ財団(ビルアンドメリンダ・ゲイツ財団)のシアトル本部を訪れた訪問記事である。ロータリークラブとの協働事業、ポリオプラスをはじめ感染症への医療支援はけた違いに大きい。世紀の起業家ビルゲイツが軽井沢に別荘を建てているというので現地を訪れたが建設中で入れなかった。山全体を取り込んだ大施設でありその用途が気になった。記事の中味は特に問題はないが地球上の5歳未満の子供たちが毎年600万人も死亡しているという。これを半減するのが目標とのこと。身体のグローバルヘルス活動を推進中とのことであるが、私は心の健康面により重点を置いてほしいと思っている。今世界中を不安定にしているのは不健康な心の持主である。精神病や不健全、不健康な心が引き起こすテロや戦争が問題だ。個々の自殺や殺人も問題だ。グローバルヘルスと同様に、私はグローバルマインドヘルスの追求を進めたい。それがブータンミュージアムを運営する私達のNPOの目的でもある。

あかつき、はやぶさの失敗

1月16日
あかつき、はやぶさの失敗
失敗から立ち直る「七転び八起き」が有名だが、日本が打ち上げた2個の衛星「あかつき」と「はやぶさ」の失敗と再チャレンジ、そして劇的な成功の知らせに国民は沸いた。科学技術の進歩は、私達の想像を遥かに超えてきた。しかし、失敗も多い。失敗は成功のもとである。私達は日々失敗を繰り返しているが、失敗を恐れてはならない。成功する日を信じて努力を続けたいものである。

Anti−Access Area−Denial

1月15日
Anti−Access Area−Denial
中国が構築中の対米戦略である。A2ADという。戦力で劣る現在の中国が考えた対米戦略。その中心戦力が対艦弾道弾とHypersonic武器と潜水艦である。中近距離弾道弾、巡航ミサイル、特殊部隊も続く。そして上陸作戦。更に人工衛星破壊、サイバー攻撃、通信ネットワーク破壊と続く。中国が「戦わずして勝つ」戦略を考えたとの説があるが、戦争への抑止力は正に「戦わずして勝つ」ことが大切である。完全な戦略はあるはずがない。対艦弾道弾・Hypersonic武器・潜水艦などへの対策はその能力を喪失させる戦略を考えればよい。例えば、潜水艦基地の公表などは効果的である。いかに能力があろうとも帰るべき母港を失う危険があれば手は出せない。サイバー攻撃も同様に防御可能である。しかし、戦争の最大の抑止力は世界平和を願う人々の祈りである。私はその祈りの列に加わりたい。世界全体の幸福を願い、平和を愛する人々のネットワークが出来ることを切に願いたい。

まちづくり

1月13日
まちづくり
地方創生が叫ばれている。地方都市の中心市街地は軒並み寂れている。大都市への過度な人口集中のおかげで、地方はどんどん過疎化が進んでいる。少子化の影響が過疎化を倍に速めている。まちの再構築を考えているが、前途は誠に厳しいものがある。この一年福井駅前のビル用途について福井大学院の教授、院生達と十数回に亘り、検討を繰り返した。その成果発表会を行ったが、この発表会が、どのような広がりを見せるかに期待をかけている。院生達の意見を生かす道を真剣に考えたい。

VW問題

1月12日
VW問題
ディーゼル車の排ガス不正問題で大きく信用を失墜したVWは、ディーゼル車に対する信頼をも失わせることになった。現在の大気汚染をチェックする規則はアメリカのカリフォルニア大気資源ボード(CARB)がリードしているが、2018年モデル以降は、ゼロエミッションビークル(ZEV)即ち排出ガスを一切出さない車の比率を徐々に高めていくことを決定している。2025年には22%以上まで数値目標を上げる必要がある。これからは電気自動車(EV)の時代が来るのは間違いない。なぜならZEVとして認められるのは、EVと燃料電池自動車(FCV)とPHEVである。但し、PHEVは当分の間であろうから、これからはEV中心、そして水素で走る車に変わることは火を見るよりも明らかだ。そしてカリフォルニア州規制は既に連邦政府の承認の下、10州に広がっているという。私は早くからこの傾向を見通し、電気自動車の充電装置の設置に力を入れてきた。豊田自動織機と提携しながら現在の国内市場のトップを走っているが、更にこれを加速させていきたい。これからの車はEVとFCVになる。PHEVは幕間つなぎであるが、当分の間はこれがトヨタの主力となるかもしれない。いずれにしてもFCVの時代までは、EV系が世界市場を席捲する。充電スタンド増設は、その文化度にも影響を与える重要な指標となりそうだ。

5年で変えよう

1月10日
5年で変えよう
中小企業にとって一番大切な経営方針は、まず何より「スピード」である。人、物、金全てに亘って大企業より見劣りがする私達は、若し勝つチャンスがあるとすれば、それは「素早い経営判断」であり、急成長のスピードである。金沢までの新幹線開業によって福井はこれから大きく変わることと思われる。まちを変えるのは私達である。自信をもってその第一歩を踏み出そう。福井しあわせ元気国体の開催、北陸新幹線福井延伸を契機に、県都福井の駅前の環境を私達の手で変えたいものだ。タイムリミットは2020年の東京オリンピック、パラリンピックまでの5年間である。

地方への移住

1月9日
地方への移住
「Iターン」や「Uターン」は聞いたことがあるが「孫ターン」を聞いたのは初めてだ。都会に住んでいる両親の下から、田舎に住む祖父母の下へ移住することをいう。幼い頃、両親が年1、2回里帰りするのについていった時の思い出をたよりに、都会に希望を失った孫が祖父母の下へ移住するのである。
都会への人口集中は世界的な傾向であるが、逆に地方は人口減少に見舞われ過疎化に悩んでいる。人口減少に対する対策は正に焦眉の急である。魅力的な職場をつくると同時に、地方に住むコストの安さ、地方の生活の楽しさ、生甲斐を都会の人々に伝える努力を続けなければならない。本当の幸福は、人間らしい生活が出来る地方にこそある。自然の中でのんびり暮らす。そして、周りには親切な人がいる。地方は物質的な豊かさだけでなく、心の豊かさが一杯の世界なのだ。

暖かい正月

1月8日
暖かい正月
記録的な暖冬を迎えた。各地で2ヶ月も早く開花した椿など話題はつきない。史上初の正月第1週積雪ナシの福井である。温暖化が進んでいる証拠の一つであろう。温暖化ストップの世界的な合意が昨年末なされたが、その実行はこれからである。等しくすべての国々の人々が省エネを考え、実行しなければならない。その為、遊んでいた原発の稼働がはじまったのは朗報である。核のゴミ廃棄の議論も一日も早くはじめていただきたい。私は「勿体ない思想」の普及に残りの人生をかけるつもりだ。悔いのない日々を送りたい。

国家戦略特別区域(特区制度)

1月6日
国家戦略特別区域(特区制度)
アベノミクスの成長戦略で頼りとなりそうなのが、特区制度である。岩盤といわれる既得権益に穴をあける知恵である。成功すれば特区だけの政策にとどまらず、全国に波及させる算段である。それだけに思い切ったことが出来る。「農地の売買」をはじめとする企業の農業参入の例が増えてきている。更に「医療」の問題の特区である。特区は限定された地域だけだと考えがちであるが、成功事例を重ねていけば成功への大きな流れとなる。また官業の民営化も進むことと思われる。官業の民間解放政策(Concession方式)の効果は大きい。これは国家財政再建の切り札であり、諸外国と同様にどんどん進めていけば、国や地方の赤字はたちどころに半減する。地方創生の切り札は「国家戦略特別区域会議」である。国と地方と民間企業が対等に話し合い、新しいプロジェクトを実行することが出来るもので、その会議の開催が望まれる。地方創生は地方のニーズと地方発の戦略に基づいて行われるべきものである。2016年は楽しみな年にしたいものである。

民族衣装

1月5日
民族衣装
着物は民族衣装である。私の子供の頃は洋服姿が少なく、着物姿の方が多かった。洋服を着ていたのは学校の先生、警官(巡査といった)、そして退役軍人ぐらいであった。父は仕事から帰るとすぐ着物に着替えていた。祖父の野良着も二部式着物だった。母や祖母は一年中着物。母が死ぬまでやめなかった和裁塾へ通ってくる生徒は、すべて着物姿。だから私の記憶の中の女性達は和装のイメージが強い。最近になって毎年1〜2回ブータン王国を訪れている。そこは私の幼い頃と同じように和服に近い男女、子供達であふれている。男は日本の丹前(ドテラ)そっくりの「ゴ」、女性は「キラ」を着ている。キラは一枚の布を身体に巻きつけて肩のところで二つのコマで留め、その上に小羽織の短いような上衣を着ている。特長は袖口の白い折り返しが印象に残る。普段着であり、制服でもあるゴやキラを見ていると民族の誇りを感ずる。特にブータン国王夫妻が並んで写真を撮った姿を見るとその感じを強くする。日本の着物姿を見ることが本当に少なくなった。料理屋や旅館の女将さんや仲居さん、そして芸妓、舞妓などのごくごく少数の女性達ぐらいしか着物を着ていない。一般に着物姿が見られるのはお正月、初詣、成人式、七五三、結婚式、お葬式ぐらいであろうか。お祭りの正式衣裳は、当然紋付羽織、袴である。民族衣装の衰退を嘆いているだけでは駄目だ。着物を着る機会を増やす方法を考えていきたい。