2016年05月のアーカイブ

正社員・正職員

5月31日
正社員・正職員
経産省が2005年と2013年を比較し、第3次産業の中で成長著しい分野と、低落傾向にある分野を発表した資料がある。最も伸びているのが、情報通信業、金融業、医療福祉である。逆に悪いのが、卸売業、物品賃貸業、生活関連サービス業、娯楽業、学習支援業、複合サービス事業などである。10%〜20%落ち込んでいる。また、業種によって正社員、正職員の比率が大きく変わるという。伸びている業種は正社員の比率が高く、よくない業種は正社員の比率が極端に低い。非正規雇用といわれるものである。これが若年層や母子家庭の貧困の原因となっている。そして自営業といわれる小規模な企業が、新技術新分野の領域だけでなくあらゆる分野に広がっている。新しい時代が開かれようとしているのだ。福井県は社長の数が日本一多い。その影響か有効求人倍率や失業率はいずれも国内トップ水準である。願わくば給与水準が維持され、若者や女性が自然環境を楽しむように、福井での仕事に生き甲斐を見出すことを期待したい。

人情

5月29日
人情
飢餓で苦しんだ終戦後の混乱を知る人は少なくなった。食べるものがないというのはどんなにつらく苦しいことか、経験した者でないと分からない。しかし日本中が食糧難に苦しみ、みんなガリガリに痩せた。栄養失調(食糧不足)で死んだ人が多かった。教師が配給の食糧だけで栄養が十分なはずだと強く主張し闇で流通した闇米を買わずに死んだという新聞記事に驚いた。町内の人々も、親戚の人々も、貧しい中をみんなで分かち合って生きのびた時代である。私の家は前庭や少し離れた所の畑で野菜をつくっていた。祖父はその野菜を家の前の小川で洗い近所の家々へ無償で配るのである。そして「あげるというな、もらってくださいと言って置いてこい」と教えられた。下町の人情話であるが、町内全員の家々の内情までみんなが知っていた。町内全員が琵琶湖の湖岸でさつま芋を植えたり、道路の両端に大豆を植えた。食べられる草かどうかを小学校で教えられた。そんな厳しい時代であったが他人を思う温かい人情は生きていた。しかし親しい友が死んだときはみんなで泣いた。つらい思い出である。

時間の使い方

5月28日
時間の使い方
ブータンと親しいお付き合いを始めて5年目に入った。素晴らしい人たちであるが、最大の特徴は、私たち日本人と異なった時間軸を持っていることだ。私達は正確な時間を守ろうとするが、ブータンの友人達は時間の中身を重視する。形態にとらわれる日本人に対してブータン人は時間の本質に迫る。例えば「仕事」と「家族」を並べてみよう。私達は家族を幸福にする為に、多少家族との時間を減らしてでも残業をすることが多い。ブータン人は5時になったら仕事はそのまま中断してさようならする。聞いてみると家族との時間を大切にしたいからという。「仕事よりも家庭か」と聞くと「そうだ」という。逡巡は一切ない。私の友人には転勤族が多い。短い人で2年、長くても5年で次々と次の任地へ転勤していく。殆どが単身赴任である。はたして彼らは幸福な人生を送っているのか疑問に思う。特にブータン人と付き合うようになってからなおそれが疑問となってきた。たった一回きりの人生において生涯伴侶である妻子と離れて暮らす日本のエリート達を見ていると心から「これでよいのか」という疑問が沸いてくる。

幸・不幸

5月27日
幸・不幸
時計の振子をよく見ていると不思議な感動を覚える。振子は正確に右から左へ、また左から右へと動き続けている。電磁波も音波も正確な上下動を繰り返しながら進んでいく。人間の幸・不幸も「あざなえる縄の如し」といわれ、幸福の次にはいずれ必ず不幸が訪れると言っている。不幸に押しつぶされないように助け合うことが大切である。リスクをヘッジする為に、リスクファンドが1990年代に開発され、日本政府にも採用された。バブル崩壊時の株式市場安定の為の株式対策である。このストックは5〜10年後に市場で売却され、政府に利益をもたらした。アベノミクスで株式対策が云々されているが、今のところ口先介入だけで効果は少ない。20年前の政府による株式購入の効果を検証してみるとよい。5〜10年の長期保有により、株式市場は底上げして安定、その後徐々に売却していけば国家財政にもプラスとなり、大巾で不安定な株価変動を修正することになろう。幸・不幸についても同じような対応が出来ないものかと真剣に考えている。

高野マキ

5月25日
高野マキ
早朝より風が強い。先日ブータン王国より京都ブータン交流協会が預託された国樹イトスギを高野山奥の院に植樹されるにつき、植樹祭にお招きをいただき出席した。無事植樹を終え、帰福の折り、折角植樹をさせていただいた記念に高野山の高野マキを2本購入した。マンションのベランダに植えて毎日眺めている。今日は強風にゆすぶられているので心配になり、覗き込んでみた。既に若芽があちこち顔を覗かせており安心した。隣のライラックの鉢は満開で薄紫の花を咲かせている。常緑の高野マキは繁栄のしるし、ライラックの薄紫は幸福の印であろうか。小さな庭にも小さな幸せがある。今夜は家族11人が全員集まる夕食会。高野マキの苗木を眺めながら一家団欒を楽しみたい。

人脈づくり

5月24日
人脈づくり
ある経営セミナーで人脈作りの大切さを教えられた。パソコンの普及する前の頃だから、もらった名刺の管理、分類の方法を考えたものだ。名刺を分類してみると自分の交際の範囲、その特長そして交際の今後の在り方などがはっきりしてくる。その今でいうところのデータベース化によって人脈形成に大いに役立った。そしてNHKのど自慢の名司会者宮田輝さんと知り合って「尊縁」という色紙をもらった。「縁を大切に」と考えていたので、彼の許可を得てその色紙を増刷させてもらい、有縁の方々に差し上げることにした。あれから30年近くが経過し人脈づくりは日々の生活と共に増殖をつづけている。友は友を呼ぶ。良友と誠心誠意付き合うことにより人脈はどんどん広がっていく。

収蔵品

5月22日
収蔵品
第6次のブータン訪問の時を迎えて新しく追加する収蔵品を検討している。仏事に舞う踊手が付ける仮面数点とテーブルの制作を依頼しているがいまだに完成していない。あとは漆器と竹製品の追加そしてシルク布地の新しい柄の作品を捜すつもりだ。先日ブータンの有名な画家(故人)の作品を預託したいと相談があった。素晴らしい作品で早速検討しお引き受けすることとした。年々収蔵品が増えていくので収納庫も増やしている。小学生から老人、そして素人から研究者の方々にも満足してもらえるように日々努力し研鑽を積んでいる。

湖北

5月21日
湖北
滋賀県はびわ湖が真ん中に位置し、湖西、湖南、湖東とつづき北は湖北といわれる。びわ湖は盆地の中心で、全ての川はびわ湖に注ぎこんでいる。一本の例外が近畿へ流れ出し、水道の源となっている。このびわ湖や気候のせいで早くから養蚕が盛んで、全県下に亘って桑畑が広がり、生糸の生産は滋賀県の人々を潤してきた。繊維産業のメッカである。その後生糸の生産は中国やインド等へ移り、桑畑は姿を消していった。ところが山間地では人口減少や住民の高齢化により、桑畑がそのまま残っているケースが多い。長浜市木之本町の山路酒造では昔ながらの桑酒を醸している。健康に良いという。桑茶や桑の葉サプリメントの効用を活かすバイオ研究を提案したい。考えてみれば、かつて日本で今も中国やインドなどで一匹の蚕が桑の葉だけで丸々と太り、急成長を遂げ、そして自分の身体を包む繭玉をつくるのである。桑の葉に秘められた薬効はバイオマス分析により新しい薬効を発見できるものと確信する。幸いなことに長浜市にバイオ大学がある。

激流を上る

5月20日
激流を上る
長い間水の流れに逆らって激流の中を必死になって上ってきた。我々はそんな人生を送ってきた。ある先輩の言葉である。ところがCOP21を迎えて地球温暖化はまさに後戻りできない限界に近付いている。中国のPM2.5は朝鮮半島や日本列島にまで降り注ぎ毎日車のフロントガラスやカーボディに茶色の粉が付着している。ひどい日には深いもやがかかったようになる。正確にその影響を日本、韓国でも分析し、中国をはじめ国連でこの実情を公表したらどうであろうか。こんな時代に、今迄と同じように、我々も拡大路線やGDP競争にうつつを抜かしているわけにはいかない。一日も早く激流に身を任せ、下流に向かって流れていくことも大切ではなかろうか。これもまた重要な一つの選択肢であり、上るよりもむしろ下る方が21世紀型のビジネスモデルかも知れない。

京都より

5月18日
京都より
今日もまた遠来の友が訪ねてきた。糸杉の植樹の打合せである。ブータンから糸杉の苗木が日本各地のブータンゆかりの地、そして災難に苦しむ人への慰問、慰霊のためにブータン国王から送られてきた。既に京都、二条城、高野山奥の院、兵庫県、そして福井県へと植樹はつづいている。次は福島県をはじめ東北地方、熊本県大分県へと続くことと思われる。ブータンの人々の祈りが日本各地の人々を元気づけることを信じたい。

旗を立てている人

5月17日
旗を立てている人
我ここにありと旗を立てたのは戦国武将であるが、私達も毎日生活している中で「旗を立てている人」に出会うことがある。自分のアイデンティティを明確に主張している方である。女性の経済学者同志社大学教授の浜のりこさん、評論家の櫻井よしこさんお二人とも勇気ある発言で目立つ方である。ノーベル平和賞をもらったマララユスフザイさんもその一人。三重苦のヘレンケラーも、青踏の平塚らいちょうも旗を立てていた人達である。名を上げていて気付いたのがみんな女性である。女性だけに勇気のある発言ができるのだろうかと疑問に思う。男女のことはさておき、今日旗を立てている人が少なくなってきたように思う。私も女性達に負けないよう旗色を鮮明にした私の旗を立てていようと日々思う。

わが友

5月15日
わが友
福井の財界の先輩たちが鬼籍に次々と入っていく中で残っているのはと指折り数えてみる。現在も輝いている方々が本当に少なくなってきた。先日80才以上の方々の名前を友人と二人で上げてみたが十指どころか五指がやっとである。世界一の長寿国日本でさえそうだから世界全体ではなおのこと80才以上で活躍している先輩は少ないのであろう。二人でそう言いあってお互いの日々の努力を称えあった。もう少し、ゆっくりと、大地を踏みしめて歩こうと誓いあった。

朗読

5月14日
朗読
音楽は人の心を解き放つ。原始の昔から人が人となる根源を形作ってきたものである。そして言葉が生まれ、文字が出来てきた。今、私は「朗読」や「声明」、或いは「御詠歌」に興味を抱いている。目から入る読書でなく、耳から入る朗読は音楽的な要素をも兼ね備えて私の心の琴線に響く。読書とは二味も三味も違う感動を呼び起こしてくれる。大学のOB会で下条英子さんの「朗読はこんなに楽しい」を聞いた。人前で話す機会が多いにかかわらず、その話し方に十分の工夫が不足していたのを気付かされた。少し声に出して本を読み、「朗読」の訓練を始めてみようかと考えている、そういえば祖父は毎朝、新聞を声に出して読んでいた。米寿まで元気に生きた姿がダブってくる。

ルーザーズ

5月13日
ルーザーズ
ゆるやかな連携をあらわす造語である。「LOOSERS」と名付けて、福井大学の教授(美術)を中心に約30人のメンバーが集っている。一つの目的に絞り込むのではなく、ゆるやかな絆でつながり、何かを模索する集いだという。メンバーは種々雑多というが、クリエーター系の人が目立つ。「仕事」をテーマにするのではなく、「あそび」をテーマとしているのではと思えるほど自由。夜遅くまで集まっているのでよい意味でも悪い意味でも目立つ。こんな集いがまちなかに生まれてきたのも時代なのか。使命感を持ってもらいたいと思う私は時代遅れなのだろうか。

ブランド

5月11日
ブランド
戦後の日本のブランドで華々しく耳目を集めたのは「ソニー」である。アメリカで成功しあれよあれよと思う間に急成長を遂げた。息子を意味するSONと太陽のSUNの発音をダブらせてイメージさせそこにYを加えて好感を呼びSONYが完成した。素晴らしいネーミングである。ソフトバンクも素晴らしい。私がおつきあいを始めたころは日本ソフトバンクという社名で、これまた国内で急成長していた。海外へ進出するにつき、日本という冠名が邪魔になると言ってこれを外し「ソフトバンク」とし世界へ羽ばたいた。今や世界企業に成長した。ユニーク経営の企業であるがフランス語の「エーデルワイス」という名の洋菓子メーカーがある。この会社はすべてフランス語で7つのブランドを使い分けている。シャルマン眼鏡というメガネメーカーが福井にある。軽くて丈夫なチタン製の眼鏡枠を開発し、国内ではベストセラーをつづけている。私も家内も軽くて丈夫でファッション性に優れたシャルマンを愛用している。ブランドは企業を育てる。企業はブランドを育てなければならない。ブランドとはわかりやすくいうと「信用」につながる。「信用そのもの」がブランドである。

ツーリズム

5月10日
ツーリズム
地方創生が喧しいが力の弱い地方都市に最もふさわしいのがツーリズム即ち観光業である。福井市郊外に中世の遺跡「一乗谷朝倉遺跡」がある。朝倉家一族が越前を支配していた中世、京都は乱世で、乱れに乱れていた。そして公家や室町将軍らは朝倉家をたより、福井市の山中は小京都の文化の華が開いていた。そして織田信長によって蹂躙され一夜にして灰燼に帰したが、その遺跡がそのまま残っている。奇跡である。これがツーリズムの脚光を浴びつつある。「何もない」が売りである。この仕掛け人が私の友人でセンスがいい。ツーリズムは地方創生の本命である。コストはほぼゼロに近い。なぜなら「何もない」が売りにできる世界である。そして情報発信はかつてのように莫大なコストをかけなくてもよくなった。ブータン王国を訪れるたびに政府高官やJICAの現地幹部にアドバイスしている。ツーリズムがブータンに一番ふさわしい産業だと。これは福井県をはじめ苦しんでいる地方の人々にも同じアドバイスができることにつながる。地方には稀に見るコンテンツがいっぱいある。それを発信するだけで地方は救われる。これから都市への人口集中に悩む必要はないのだ。田舎のすばらしさを教えてあげるだけでよい。そんな時代が今はじまろうとしている。

触覚

5月8日
触覚
五感、六感というが一番最初に発達するのは触覚だとのこと。先日耳が聞こえない音楽家の演奏を聞いた。目と目で合図し、合奏するので驚いた。尋ねてみると音楽とは聴覚だけでなく、全身で聞くもので触覚の芸術なのだと教えられた。味覚も味蕾で感じる触覚となり、香りも鼻の粘膜で微分子を感ずる触覚だという。母の体内にいる間も触覚は最も早く発達するので、触覚が人間にとっては非常に重要なものだという。私は木のぬくもりを愛しているが、机の木肌や椅子の肘掛をなでると気持ちが落ち着く。香も好きでハーブを家族みんなで栽培しハーブ料理に舌鼓を打ったこともある。女性が着物を着て袂に香袋を入れているとその人柄がしのばれる。聞香も触覚のうちとは驚いたが人間の根っこのところで感じているのかもしれない。

商店街の活性化

5月7日
商店街の活性化
日本の各地の商店街は壊滅状態に近い。郊外に出来た大型店に客を奪われ、後継者に店を継がせられない所にきてしまっている。また郊外の店にテナントとして出店しても利益の出ない状態がつづいているという。その解決策はないのだろうか。「商店街の活性化は店主店員の教育にあり」という人がいる。地方創生の掛け声に呼応して改装する人、起業して出店する人もいるにはいる。彼らが成功するためには店主店員教育がよいのだろうか。それで十分だろうか。毎日必死で考えているテーマである。

三惚れ

5月6日
三惚れ
私の座右の銘の一つがこの「三惚れ」である。人生で最も身近で、わかり易く真理をついている言葉だと思う。まず第一は、「仕事に惚れよ」である。男は仕事が好きでなければダメ。男女同権の現代では女も一緒である。次が「土地に惚れよ」である。地域といってもよい。自分のまちといってもよい。とに角、今住んでいる所に惚れなければ人生はつまらなくなってしまう。そして最後は、「女房に惚れよ」である。結婚して年が経過するとついつい若い頃のことを忘れてしまって女房をないがしろにする傾向がある。人生の伴侶は唯一人、女房である。女房に惚れずしてなんの人生かというべきである。女性にとっては「女房のところが夫」にかわる。「夫に惚れよ」である。偕老同穴が素晴らしい人生を送る秘訣である。

ブータン文化と樹木

5月4日
ブータン文化と樹木
ブータン王国の国土を覆う緑はマツ、ヒノキ、モミ、カシ、クルミ、カバなどが密生している太古の森である。ブータン人は緑の森と共生し森の恵みを享受している。儀式やしきたりにも木が使われるケースが多い。例えば賓客を迎えるときは松葉を敷き詰めその周りに松の若木を立てる。子どもが生まれたときも門松のように玄関先に若木を立てる。家の敷地の入り口近くサンタブと呼ぶ屋外香炉で燃やすのも松葉やヒノキの葉。牛や豚舎の敷ワラにも枯松葉等を使う。また大きな松笠はかまどやストーブの火付けにもってこいだ。とても便利で火付きも火持ちもよい。火葬の薪にもこだわりがある。ビャクダン(サンダルウッド)やヒノキ(ジェニバー)を使う。経文の版木にも松が使われ、経文旗ダルシンの支柱も皮をむいた松を使う。そして古い旗を燃やすのも香りのよい松の葉を使う。ブータン国王から京都ブータン交流協会を通して「糸スギ」の苗が送られてきた。「糸スギ」は国樹で「ツェンデン」という。成長すると幹まわり約2〜3m高さ30mにもなる巨木。福井県あわら青年の家の北方湖畔の小高い丘の上で植樹祭を行った。清浄の気が周りを満たすように、そして日本とブータンの交流が今まで以上にすすむことを祈った。幸福を求める両国民の祈りの証である、多くの若者が将来この巨木の下で世界平和実現をめざして集うことを夢見ている。

ギブアンドテイク

5月3日
ギブアンドテイク
アダムグラントの本を読んだ。ペンシルベニア大学のウォートン校の教授である。この主題は哲学の古くも新しいものである。ロータリークラブの綱領にものったことがある。仏教でも無私の奉仕を理想としている。グラントは同大学史上最年少で終身教授に就任したという英才である。彼の説はギバーとテイカーともう一つマッチャーと名付けるバランスをとる中間の人をつくる。この三タイプに分類して、成功不成功、損得、有意義かどうかを考察している。欧米ではギバーのパフォーマンスが最悪だと思われているようだが日本ではギバーは人間の理想の姿として既に常識の域に入っている。「幸福の形」というブータンミュージアムでの企画展でも触れているが、ブータンでも日本でもギバー(与えつづける人)が最も幸福だと教えている。堅固な信念を持ってギバーとして生きていきたいものである。

燕飛ぶ

5月1日
燕飛ぶ
今朝は晴れ。窓の外を燕が元気に飛び回っている。巣立ったヒナと共々、親が一緒に飛ぶ。ヒナは羽ばたきが激しい。親はスイスイと殆どはばたかない。旅立ちの日が近付いている。今日も元気に出かけよう。大型連休がいよいよはじまった。