2016年10月のアーカイブ

福井ぐらし

10月30日
福井ぐらし
東京に住んでいると、生活費に多くのお金が必要だ。特に交通費。そしてストレスが多いので、ストレス解消のための支出が多い。福井では車が必需品となるかわりに「足がわり」として、思い通りの場所へ瞬時に行くことができる。1時間で誰もいない海岸を歩ける。30分で深山幽谷にいる。30分でパウダースノースキー場。30分で森林浴。温泉。収入は結婚して二人の給与を合算すれば、高級サラリーマン時代を超えることも可能。なによりすばらしいのがストレスが少ないことだ。子育てにも最適。小学生、中学生の学力、体力レベルは全国トップクラス。教育ママにとっては願ってもない環境である。現代人は「食べ物」にウルサイ。その食べ物、福井は最高においしい。ご飯、お酒、鮮魚、野菜、肉、果実。白山連峰の伏流水をはじめ各地の地下水が豊富で、水質がすばらしい。森林カバー率が全国トップクラス。その為の保水力があるので水がおいしいのであろうか。自然との共生があたりまえ、それが福井である。

神宮の森

10月29日
神宮の森
明治神宮の森の調査を記録した映像と写真集を養老孟司先生のお宅でいただいた。ブータンミュージアムへ帰ってじっくり観賞して感動した。あの明治神宮の森(皇居の森に次いで都心では第2位の大きさ)が僅か100年前に作られたのを知った。それも荒れ地だったところに、人工で、国民からの献木(約100万本)で作られたとのこと。その誕生の秘話と、その後4回に亘る調査(1924年、1934年、1970年、2016年)の詳細が手にとるようにわかった。設計の理念は「永久に荘厳なる真正の林苑」とし、あらゆる知識を駆使し、人手を加えることなく150年後に完成する常緑の広葉樹林をめざした。設計者は本多静六をチーフとし、本郷高徳、上原敬二の3人。時の首相大隈重信の「伊勢と同じように針葉樹の森にせよ」との意見を排し、明治天皇・皇后をまつる永遠に生きつづける森をつくりたいと「150年後に完成する森をつくる」との意見を通したとのこと。1920年着工1922年11月1日完成。今回の4回目の調査には学者146人が参加し、中島精太郎先生、進士五十八先生、養老孟司先生等がリーダーとして活躍されている。映像はNHKが制作、そのディレクターは伊藤博文初代総理大臣の玄孫伊藤弥寿彦さんがつとめた。森の王者オオタカが生息中で越冬しているとのことで、都心の森としてはまさに奇跡としかいいようがない。人の気骨とその先見性には腰を抜かすほど驚いた。しかも当初の狙いをはるかに越え、150年を待たず、100年後の現在すでに設計した狙い通りの「自然の力にゆだねた人口の森」が完成しているのである。その後に加えた人の力は「落ち葉はすべて森に返せ」をずっと守っているだけとのこと。この本とこの映像は、日本人の宝として、世界に紹介したい。NHK制作ではあるが、三人の知人・友人(養老孟司、進士五十八、伊藤弥寿彦)の力を借りて実現したいと切に願う。それほどの美しい映像であり、美しいストーリーであり、力強いエコロジーの思想である。

絶望感、不安感

10月28日
絶望感、不安感
世の風潮は絶望感、不安感を煽るものが多い。特に日本においてこの傾向が顕著である。例えば年金問題。若い世代に負担を強いる現制度の過度な不安を煽る報道。日本の国家財政の破綻を思わせる報道。いずれも正しい認識に基づかない報道であり、いたづらに心配を書きたてるものである。例えば年金問題は時代にあわせた制度改革を主張すべきであり、若者の不安を助長するものであってはならない。まして国家財政破綻などの報道は全く誤った認識の下に行われており、今少し冷静に財政を、世界の現状の中の日本をしっかり分析したうえで行ってもらいたい。日本の財政は決して危機に瀕してはいない。財務発表の中の負債だけを取り上げてその数字の多寡をいうのは片手落ちである。資産の多さを忘れては困る。社会不安や未来への希望を失わせる報道は厳に謹んでもらいたい。

柳生博さん

10月26日
柳生博さん
八ヶ岳倶楽部で有名な柳生博さんと私は奇しくも同年生まれである。八ヶ岳の南側に広がる森の中に八ヶ岳倶楽部を作られたのはもう35年以上も以前であった。トヨタ自動車の工販合併の頃で、私は伊豆半島、箱根、房総半島、鎌倉など別荘を建てる土地を求めて休日はあちこち歩いていた。軽井沢、菅平そして八ヶ岳などを歩いていたとき、八ヶ岳倶楽部を知った。早速訪問し柳生さんの奥さんから種々と教えていただき雑木林やファイアープレイスづくりの苦労話(自慢話)を聞かせていただいた。柳生さんは遠くから見ている丈であったが、NHKの庭番組を担当されていた頃で後光がさしていた。その後幾星霜。長男の真吾さんがNHKの庭番組の司会を引き継がれて、時代の推移を感じたが、その後逝去された由うけたまわり、悲劇に声を失った。先日すぐ近くまで行ったが、残念ながら、時間がなく訪問できず誠に心残りである。もう一度ゆっくり訪れてみたいとしみじみ思う。

次のステージへ

10月25日
次のステージへ
先般の株主総会の時をもって正式に会長を退任し、退社した。
思えば三谷商事株式会社の社員、役員時代の37年間は、第一段階の商社人生であった。37年間勤めてその半分以上は子会社の役員を兼務した商社マンとしての第一の人生であった。退社時のグループ年商は2,500億円(最近のピーク時の年商4,620億円、純利益106億円)と、地元有数の企業で働けたことは誠に幸運。59歳で起業し、その後20年間、退社時の日本システムバンクグループはお蔭様で年商100億円、純利益2.3億円となった。売上や利益を追求するのではなく、売上よりも、利益よりも、付加価値の最大化をめざして努力したのが、第二の人生の20年だった。
そして79歳からの20年、これから第三の人生がはじまる。何を、どうすればよいのか。グローバルか、地域貢献か。伝統産業支援か、新規開発事業か。第三の人生の20年、99歳までを5年ごとに区切って、やるべき仕事を決めていこうと考えている。幸いにも「ブータン王国」との貴いご縁を結んで4年が経過した。同時に法政大学大学院の坂本光司教授等の調査により、福井県が「幸福日本一」という金看板をいただいて5年になる。ブータン、スイス、スウェーデンという私の大好きな国々との交流から世界の国々との平和運動にこの20年を捧げたいと考えているが、まず最初の5年間をどうしたらよいのかが目下の問題。
札幌と那覇に従兄弟がいる。福井、札幌、那覇と全く違った三都市を拠点に、日本をそして世界を定点観察してみようと思う。
実は昨日、観世流の能を楽しむ会に大徳寺の瑞峯院へ行ってきた。隣席の岐阜、各務原の人、三重、津の人と会話がはずみ、二人とも観世流の能、謡曲を習ったり、教えたりしている方である。私も岐阜のみなもと会という素人が素人を教える全国でも稀有な観世会で、50周年の100回記念の会合に先日参加したばかりである。また津は私が福井で開設しているブータンミュージアムと提携している津のブータンラオス館のあるところ、その近所から来られたとのこと。能「鉄輪」久しぶりにその急拍子を共に堪能した。人の縁は大変貴い。これからも一期一会を大切にしていきたい。
その前に天津神社でおみくじを引いたところ「思い事叶う。先を楽しめ。」と出た。先を楽しみに5年間の第三の人生の第一歩をまた踏み出したい。退社というと「ゆっくりできますね。」と言われるが決してそんなつもりはない。当分はまたホテル住まいが続くことと思われる。

森を創る

10月23日
森を創る
里山が荒れている。日本の林業は瀕死の状態にある。かつて山持と言われた山村王は次々と姿を消しつつあり、○○林業、○○材木と言われた老舗の林家が倒産の憂き目を見ている。林家、林業従事者共に年々減少を続け、その高齢化と相まって悲惨な状況になりつつある。農林省の指導方針は長期的な展望に欠けており、国有林3割、民営林7割の日本の森林行政の責務を十分果たせているとは到底考えられないとは林家の人々の意見である。そんな中で、市民により森を再生する運動があちこちで散見されるようになっている。八ヶ岳南麓の柳生博さんの八ヶ岳倶楽部はその「嚆矢」である。そしてそれに追随する小さな運動が京都で、滋賀で、そして福井でもはじまっている。地方創生の大きな可能性を秘めたテーマは「自然回帰」であり、「ルネッサンス」であり、それは「森を創る」運動でもある。地球温暖化阻止、空気・土壌汚染阻止、人間性回復のために森を創り、里山の荒廃から緑を守る運動に是非目を向けていきたいものである。

自社株買い

10月22日
自社株買い
景気浮上のため、政府は新たな設備投資を企業に求めているが、先行きの不透明感を思うと、思い切った投資が行えない。そんな状況が続いている。グローバル化の中で、過剰設備を抱える世界各地の状況を思うと、言われるままに国内への設備投資に踏み切る企業があるのだろうか。大きな流れを作るのは難しい。そんな中で企業の内部留保はどんどん積み上がっている。この内部留保を活用する景気刺激策をすすめたい。それは、企業の自社株買い、そして増配、そして従業員優遇策(昇給)の三つである。まず増配で株主に広く分配する。これは大企業のように数多くの株主をかかえる場合の効果は大きい。株主優遇策も大いに結構。特に最低賃金はあまりに低すぎる。早急にそして大幅に引き上げていくことを望みたい。この引き上げは焦眉の急である。そして自社株買いは株価対策としても一石二鳥。アメリカの株価が新高値を付ける中で、好調な日本の株価が低迷しているのは異状である。特に日本の金融機関の株価の低さは、日本経済そのものを不安定にしかねない危ういものと言わねばなるまい。

NPO法人幸福の国ブータンミュージアム

10月21日
NPO法人幸福の国ブータンミュージアム
開館4周年記念日を迎え、2016年11月21日に記念講演会を福井県国際交流会館地下ホールで開催することとした。講師はブータン王国訪問の旅から帰られたばかりの養老孟司先生、そして地元の福井県立大学の進士五十八学長、伊藤博文初代総理大臣の玄孫伊藤弥寿彦さん(映像プロデューサー)そして福井大学教授月原敏博(NPO法人幸福の国副理事長)の方々をお迎えする。私は満80才を迎えんとしており、後進に道を譲りたいと考えており、これを機に初代理事長を退任する。但し一会員として今後とも活動には積極的に参加していく所存である。また活動資金については微力乍ら協力を惜しまないつもりである。世界を覆う不幸の雲を吹き払うための「新しい幸福の風」をこの福井県から、この「ブータンミュージアムイン福井」から巻き起こしたいとの待望を捨てるわけにはいかない。その為の出陣式のつもりである。

文藝春秋

10月19日
文藝春秋
ブータンミュージアムは、マスコミ関係者の訪問が多い。文藝春秋の記者秋月康さんに何度も来てもらったが不幸にしてゆっくり話をする機会を失っていた。そして先日文春10月号が彼より送られてきた。福井県のシティプロモーション企画号である。彼はここ一年程、福井へ来るたびに寄ってくれた。その彼からの手紙である。先般の来館の折もあえなくて残念だった。というのは文藝春秋は私が長い間愛読している数少ない雑誌であり、いつの日か何らかのつながりを持ちたいと願っていたからだ。文春の愛読者層は知的レベルが高い。ゼネラリストにとっては最高の情報提供誌である。その意味で文春に我々の活動、我々の考え方を伝えたいとの思いが強い。これからの自分の生き方を模索する中で、文春とのかかわり方にひどく拘泥している日々である。

肯定から入る人生

10月18日
肯定から入る人生
最近の世相は正に地獄。各地で神の名を騙るテロが発生。大国を自称する国々が自国の理屈で周辺の国々を侵略。そして代理戦争や権力闘争により何の罪もない市民が生活を、生命を奪われている。片や先進国をはじめ一部の国々では物質的に豊かな生活を満喫しながらも、貧富の格差の拡大や精神的な貧困の中で苦しんでいる。はたして地球は、人類はどうなるのか。こんな問いかけが多くなってきている。一見すると間違いのない問いかけのようではあるが、歴史をひもといてみるとそんな事は日常茶飯事のように起きている。大切なのは現状を否定し悲観的に考えるのではなく、常に現状はどうあろうとも未来を肯定的に創造していく努力をすることである。否定から入るのではなく、肯定から入る人生こそがすばらしい。

ノーベル賞

10月16日
ノーベル賞
ノーベル賞を今年もまた日本人が受賞した。各分野で地道な努力を続けてきた学者を称えるもの。誠にすばらしい賞である。毎年ノーベル賞の発表の時期になると、世界の耳目は北方の小国スウェーデンに集まる。そしてその受賞者の選定、発表に多くのマスコミが右往左往する。ものすごい情報発信パワーである。情報発信力がいつも弱いと心配している私達の「福井県」を思う時、このノーベル賞が浮かんでくる。稲盛和夫さんの「京都賞」を連想するのであるが、幸福日本一の福井県が「幸福賞」を制定し、幸福学の学者、研究者の顕彰を行ってはいかがであろうか。幸福学は最も古い学問の一つであるが、経済発展重視の世界の風潮を反省し、年々勢いづいてきている。昨年11月にブータン王国のパロ市で開催されたGNH国際会議には世界中から500名を超す学者研究者が集った。幸福学会、GNH学会の可能性を表わす一指標である。

エコロジー

10月15日
エコロジー
私が使っていた自分の名刺は、20年前に59才で創業した時の会社カタログの表紙の写真がベースとなっていた。宇宙に浮かぶ地球のイメージである。「水の地球」「美しい地球」「母なる地球」の思いを込めている。そのデザインをそのまま自分の名刺に使ったのだ。そしてロゴは「2050マイナス80」である。このロゴの意味を問われることが多いので、さらに、このロゴの下に、「この手で地球を守ろう」と入れた。日本システムバンクを退社し自分の名刺は今のところ「ブータンミュージアム NPO法人幸福の国の理事長」であるが、20年間使ってきたエコロジー活動の象徴である「地球」のデザインを使わないのはもったいない。今後の自分の生き方を再考する中で「名刺社会の日本」を思うとなおさらに勿体ない。新しい使い方を考えたい。

東京から人を呼ぶ

10月14日
東京から人を呼ぶ
地方は文化的に劣っていると考える人が多いようだ。大きな間違いである。本当の文化は田舎にある。魅力を感じた人物、話を聞きたい人物がいたら「呼べばいい」「東京から呼んじゃう」のである。先日寺島実郎氏の話を聞いた。福井の高校生たち50人程と共に我々年配者が20人ほどいたであろうか。福井県の幸福日本一の話である。とても魅力のあるテーマで、「幸福の追求」を生涯のテーマと決めている私にとって聞き漏らせない内容であった。講演の後、名刺交換をし、しばらく話し合った。福井の文化度の高さと福井人の質実剛健な生活態度についてである。福井の図書館施設の充実とその利用の活発なことも知らせたかった。私のまわりに図書施設が非常に多い。そして常に一杯である。ブータンミュージアムの図書室も、私の会社の図書室も利用者が多い。私は一日一冊以上の読書を楽しんでいる。これは私だけでなく多くの福井県民の姿である。「東京から人を呼ぶ」ことについて、時事通信社や経済同友会、商工会議所、ロータリークラブその他いろんなルートがある。ブータンミュージアムでも経済クラブでも、必要なテーマであればいつでも呼べばよい。そういう時代である。本当の文化は地方にあることを忘れてもらっては困る。

北前船

10月12日
北前船
北海道の昆布やニシンそしてニシンの魚油を絞ったカスなどの魚肥を日本海から敦賀経由で琵琶湖を通り、京都へ届けたのが北前船と近江商人である。京の料理の粋「昆布ダシ」の原点といえよう。千石船を中心に一枚帆を上げて、港々で売買を続けながら航海した。1600年代にはじまり、明治時代まで続く交易の道である。松前の商権を握っていたのは近江商人の両浜組だった。
今、北前船を日本文化遺産に申請しようという動きがある。北海道から東北、そして越前町や敦賀港など11市町が提携して行うとのこと。福井はコンブロードの中継地として重要な役割を果たしており、主要メンバーとして参加している。北前船が現代によみがえろうとしているのを見るにつけ、昆布のダシ文化をもう一段スケールアップして、新しい健康食品として全国に世界にアピールしていきたいものである。

年長者

10月11日
年長者
ロータリークラブでも、経済界の集まりでも、ご近所の集まりでも、段々年長者の部類に入るようになり、乾杯の音頭や閉会の挨拶をさせられる機会がふえた。昨年も1000年近い寺歴を持つ名門のお寺の住職から、息子に住職を譲ろうと思うとの連絡があった。理由は健康不安。平成天皇のご譲位のご意向は、私達の同年輩の者にとっては誠によく分かる。物事には区切りが大切だ。人生もまた然り。私が会長を務めている日本システムバンクの株主総会通知書が郵送されてきた。私の退任が明記されている。59才で起業して社長10年、会長10年を終えていよいよ退任する。思えば三谷商事での37年間を第一の人生とすれば、日本システムバンクの20年間は私の第二の人生といえよう。ならばこれからは何年続くか分からないが第三の人生の門出を迎えたことになる。さあ何をしようかと考え、とりあえず一冊のノートを開き「第三の人生」と表題をつけた。年長者として恥じない日々を送るための新しい人生の門出を思うとワクワクドキドキと期待がもり上がってくる。さあはじめよう。

徐福伝説

10月10日
徐福伝説
秦の始皇帝は不老長寿の妙薬を司っていた徐福に新薬発見の旅を命じた。幼童幼女数百人を船に乗せ東海へ漕ぎ出したとの事である。中国の史書には種々この件にふれているが、日本の史書には当時全く記述がない。ところが全国各地に徐福伝説が伝わっている。一つ一つ拾って歩くとどれもが面白い。中国や朝鮮とは数千年に亘って人々との交流があったのである。日本海側に特に多いが徐福伝説については太平洋側にも多くの伝説がある。私は彼等が求めた不老不死の薬が何だったのかに大きな興味を持っている。日本特産、特に北海道や東北でとれる昆布に注目している。昆布はその後北前船によって、日本海を通り、敦賀から京に入ると同時に敦賀から更に南へ運ばれ、福岡、長崎、鹿児島から沖縄を経て中国へ大量に持ち込まれていた。徐福は斉の方士(不老長生術士)であったが秦の始皇帝に雇われて不老不死の妙薬「天台鳥薬の根」を求める旅に出た。「史記」や「秦始皇本紀」によると「東海上に蓬莱、方丈、瀉州という三つの島があり、仙人が住んでいる、そこへ行くといって出発」その三つの島が九州、四国、本州なのか富士、熊野、熱田なのかそれとも白山、立山、富士の三霊山なのか、皆目見当がつかない。謎である。だがその頃からコンブの霊力は広く信じられていたようである。

百寿者

10月8日
百寿者
100歳以上の人が増えている。昨年より4124人増えて65,692人となった。調査がはじまったのは1963年。その時の百寿者は153人。53年間に430倍になった。46年連続増。10万人のうち51人の人が長寿者である。最高は島根の96人、高知の88人鳥取の85人と過疎化が進む地方が長寿者比率が高くなる。島根で1000人の集会があるとその内1人は百寿者である。全国でも2000人が集まると1人は長寿者となる。福井県は69人と全国中位で出生率が高いことが影響しているが百寿者の数は多い。百寿者のもう一つのきわだった特徴は、完全に女性が強いことだ。全国では長寿者の88%が女性である。福井県でも全く同じ88%。女性の生命力の強さを如実に示す数字である。世界中で女性のリーダーが次々と生まれつつあるが、女性の本来持っている可能性が表に出てきだしたのであろうか。女性礼賛大いに結構。

森に入ろう

10月7日
森に入ろう
福井大学附属病院の東側に人工の森がある。福井県民であれば一度は子供連れかアベックで森に入った経験を持っていることと思う。森は心を癒してくれる絶好のスポットである。10月号のVoiceの巻頭言で養老孟司さんの「永遠の杜」を読んだ。養老さんとはブータン王国につながるご縁とお父上が大野出身、そして友人が越前市の田中保さんということで特に興味を持って読んだ。今月また久しぶりにブータンを訪問するとのことでブータンミュージアムで種々事前に勉強したいとの連絡をいただいていた。その矢先の「永遠の杜」のテーマである。明治神宮の杜について書かれている。全国から10万本の樹木が献木されたとのこと。その規模の雄大さ、そして国民の草もうの志に感動させられた。私は県立大学長進士五十八博士と語らって福井県に新たに「幸福の森」を建設する運動を起こそうと思っていた。そこで急遽養老孟司博士にもご協力願ってこの運動をすすめたいと思う。今年5月ブータン国王から頂戴した糸杉の苗木を福井県の芦原青年会館の湖畔の高台に植樹したのを思い出す。新しい人工森の土地の選定は誰かにまかせるとして、まず「幸福の森」を提案しつづけていきたい。

配当

10月5日
配当
株価の低迷により配当率が上昇してきている。今は預貯金を引き出してその銀行の株式を購入した方が利子収入(殆ど0)よりもはるかに有利である。有力銀行は軒並みに高配当となっている。例えば税引で三井住友フィナンシャル、りそなは約3.5%、ゆうちょが約3.3%、三菱UFJフィナンシャルが約2.8%と高い配当。地銀でもほくほくフィナンシャルが2.4%強、千葉が2.0%強、北國、群馬など2%を超えている。優良企業が地元の地銀株式を保有し続けているケースを知っているが、地域経済発展のためにはとても有効な手段である。無借金経営の企業のPLを見ると営業外収入が営業外支出よりも多い。これは受取利息が多いためである。経営の安定化をはかるには、地銀株を買っておくこともよい方法であろう。マイナス金利政策により、日本の銀行株は異常に安価な位置にある。

大人の遊び場

10月4日
大人の遊び場
JR福井駅の駅前のビル(エコライフプラザ)に大人の遊び場ができた。毎日たくさんのお年寄りが集まってくる。曜日によって、時間によって、集まってくる人は変わる。テーマも変わる。誠にユニークな大人の遊び場である。遊びの中身は、レコード鑑賞、囲碁、麻雀、将棋、ダンス教室、よろず相談会、討論会、映画鑑賞会、歴史を楽しむ会、科学技術の話の会で日曜日以外は毎日午後行われている。最近はお年寄り同士が集まるのが流行っているようだ。毎月24日はお地蔵さんの日ということで、禅宗のお坊さんが一階で有難いお経を上げてくれる。一人一人の名前を挙げて健康長寿、家庭円満を祈ってもらえる。また駅前商店街の発展、商売繁盛のお経が続く。その後辻説法があり、お茶とおさがりをいただき解散となる。巣鴨のとげぬき地蔵(禅宗)にあやかろうと、もう5年も以前から毎年毎月つづくイベントである。越前市や近隣の市町からのお参りで賑わっている。これまたユニークな駅前行事と言えよう。

観光地を創る

10月2日
観光地を創る
何もないところに観光地を新たに創ることは出来るか。そのテーマに取り組んできたのが福井県である。人類発祥よりもはるかに昔から、恐竜の骨は地中に埋まっていた。これを地域の宝として「恐竜博物館」をオープン。今や毎年100万人の入館者を迎えようとする人気スポットに成長した。織田信長に攻められ滅亡した朝倉家の遺跡が地中深く埋まっていたのを掘り起こし、「何もない」という「キャッチコピー」で中世の城郭・武家屋敷・民家をそっくりそのまま見せている「一乗谷朝倉遺跡」も全く今までなかった発想による観光地である。これまた年間100万人を迎えることであろう。また「池田町」がオープンさせた「ツリーピクニックアドベンチャーIKEDA」これまた4月のオープン以来、好調な滑り出しとのこと。この三つの新しい「観光地」に共通するのは、発想のユニークさである。恐竜の骨も、一乗谷の遺跡も、池田町の森林も、スポットライトを当てなければ只の物である。何の変哲もない。それをアイデアを練り、資本を投下し、上手に宣伝をつづけたことでフィーバーが起きた。この三つの新しい観光地は、今迄の福井県の観光スポットである永平寺、東尋坊、あわら温泉をしのぐ可能性を秘めている。そして第四、第五の観光地を創る機運が福井県下に横溢することを期待したい。

民藝運動

10月1日
民藝運動
明治から大正そして昭和にかけて白樺派と呼ばれた学者、文人、画家が柳宗悦を中心に「民藝」という新しい美のコンセプトを確立した。日本各地の失われつつある手仕事を発掘し、その民藝の貴さを顕彰していったのである。それが東京の日本民芸館となり、各地の民芸協会となり、銀座の「こうげい」「たくみ」となっていった。現在の伝統工芸と言われるものの衰退箱の民芸運動を主導した先達が死亡したり高齢化し、担い手を失ったことによる。この民芸運動の再興を行うことにより、伝統工芸の衰退をくい止められよう。民芸第二世代と言われる京都民芸の西邨辰三郎のご遺族から柳宗理、西邨辰三郎ら20名でブータン王国の民芸発掘旅行でのコレクション寄贈の申し出を受けた。早速ブータンミュージアムの2階ホールの一画に「西邨辰三郎民芸コレクションコーナー」を設けたい。4周年記念展に間に合わせるつもりだ。これがまた福井県の伝統工芸作家達の励みになることを願っている。