越前陶磁を探ねて

平成18年12月5日
○越前陶磁を探ねて

 地方都市の中心市街地活性化について研究を続けてきた私は、福井市の中央3丁目にある古いビルを3年前にRCCがらみの外資ファンドより購入した。リニューアルに購入価格を上回る資金を投入。そして前年にオープンした長野市の善光寺門前の表参道のリニューアルビル「リプロ表参道」と同じようにまちの賑いを創出の拠点にしようと考えた。そしてこのビルの二階に、福井県の伝統工芸作家の展示スペースを用意し、「ふくい工芸舎」と名付けた。第1回展は、日展作家を中心に、陶芸家をはじめ各分野の伝統工芸士の方々の展覧会とした。

 私と陶芸、特に「越前焼」といわれる日本六古窯の一つとは、30年来のお付合いになる。越前の丹南地方、福井市より南の地域にあり、武生から越前海岸へ抜ける山間部にある。その一帯を丹生郡と言った。可成り広範囲に亘って数多くの古窯跡があり、今なお山間部の土の中から陶片を見付ける事は難しくない。その谷間に陶芸家の窯が点在する。天気のよい時にドライブを兼ねて窯を訪ねることは誠に楽しい。仕事を思わず忘れる一瞬である。

 縄文時代から人が住み、須恵器、土師器にはじまり、継体天皇の頃には産地の形を成しつつあったと推察している。しかし史実はない。ただ丹生という地名、赤土の山々、陶磁器生産に欠かせない土(粘土や硅砂)の分布を考え合わせると私の想像もあながち的はずれではない。発掘が進めば必ず大発見があると信じている。

 私の学生時代の先輩の子息から、先日「越前伝統工芸道しるべ」発刊の打診があった。「越前焼・窯之案内」を一緒に作ろうとの誘いである。加賀、美濃、信楽、備前、唐津などの他の産地と比較して「越前焼」の知名度は、あまりに低い。低すぎる。また陶芸の道に生涯をかける陶芸家が数多くおり乍ら、その知名度も今一つだ。まして無名に近い若い作家達の生活は大変だ、何とか出来ないものか。行政はどうだろう。支援者はいないのか。

 この二年間、「ふくい工芸舎」を細々と運営しながら、伝統工芸の灯を守り続けることの難しさを身にしみて感じている。しかし、何千年もの永い間受け継がれてきた「越前焼」をよりよい形で、後世に伝えることが私達の使命ではないだろうか。そう思うとまた勇気が湧いてくる。

 「福井陶芸村」は日本でも数少ない、すばらしい雰囲気の陶芸の夢の里である。秋の一日ここを訪れると、一遍に陶芸のとりこになること受け合いである。また陶芸家を訪ね歩く「窯巡りコース」を作ることも面白い。古窯跡の保存もぜひやりたいものだ。そして今始まっている陶器と漆のコラボレーション。和紙とのドッキングなど考え出すとキリがない。

 セラミックスに進出した村田製作所は、日本を代表する大企業となった。製瓦業で成功している企業も多い。みんなの力を集めることが出来れば、夢を実現するのは決して不可能ではない。何とか年内に衆知を集めてバックアップ体制を作っていきたい。今、窯の数は50あまり。作家の数は100人を超える。陶芸の学校もある。私はまた未来への夢を更に大きく膨らませている。

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投稿者: jsb 日時: 2006年12月05日 09:00

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