永平寺に住む

平成18年12月21日
○永平寺に住む

 道元が都の喧騒を避けて、自らの信念に基づき新しい禅宗(曹洞宗)の修行のための殿堂を越前の地に求めたのは、今から800年近くを溯る鎌倉時代のことである。既に浄土宗の法然、臨済宗の栄西、浄土真宗の親鸞が出た、仏教興隆の時代の中であった。道元は都やその周辺では世俗にまみれて、真の仏教の理想境が作れないと考えた。そして、永平寺を開き、天下に曹洞禅の道場としての本山を創建した。仏教は宗派により考え方に多少の開きがある。大乗仏教、小乗仏教から、天台宗、真言宗そして前に記した鎌倉時代には、新宗派が次々と誕生している。私としては、禅宗の自力本願も、浄土宗、浄土真宗の他力本願も理解できるが、個人的な好みからいうと自力本願が好きだ。そして共感を持つところが多い。そして、縁あって永平寺町の山あいに寓居を構えることになった。永平寺を「永久平和の寺」と読み替えて日々感謝の生活を送っている。戦争嫌いの私は終戦を経て「永久平和」にこだわり続けた生涯を送っている。福井市の中心市街地を活性化する為の勉強会「フェニックス研究会」を手弁当 で始めて、早2年余りが過ぎた。その講師の一人の足立基浩助教授(和歌山大学)の曽祖父は、太平洋戦争を昭和天皇とともに終わらせた鈴木貫太郎首相(元連合艦隊司会長官、元侍従長、元海軍大将)である。その鈴木貫太郎氏の臨終の言葉は「永久平和、永久平和」の一言であった。すべての私財を戦災で焼かれ身一つで戦火の中から生還した彼が、日本を破滅の危険の中から昭和天皇と心を一つにして手にした「平和」である。その平和を見届けて、昭和23年春、「永久平和」の言葉を残して逝った。享年82才。正に大往生であった。平和の有難さを知らない人達に、私は鈴木貫太郎の生涯をたどることをすすめたい。

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投稿者: jsb 日時: 2006年12月21日 09:00

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