士農工商

平成19年2月16日
○士農工商

 明治時代に入り、士農工商といわれた身分制度が廃止され、大名も武士も町民も百姓もすべて同じ身分といわれた。しかし華族制度が導入され、公家や大名が爵位についた。薩長土州の武士達は明治新政府の重職を独占し、その後明治17年(1884年)に爵位を受けた。公爵に長州の山県有朋、伊藤博文、薩摩の松方正義、侯爵に長州の木戸孝允、薩摩の大久保利通の子、西郷隆盛の子、肥前佐賀の大隅重信そして伯爵に土州の後藤象二郎、土方久元と続く。子爵に長州の大村益次郎の養子。財閥も男爵を授けられた。三井の八郎右衛門、三菱の岩崎弥太郎、住友友純、鴻池善右衛門、大倉喜八郎等である。明治の政官界はまだ武士階級が中心を占め、平民といわれる農工商の庶民は対等に話をすることも難しい時代が続いた。

 福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」の言葉は、明言ではあったが、現実のものとなるのは敗戦後になってからである。しかし敗戦後もなおその風潮が残っているのは誠に不思議である。農民から武士になり、その後明治政府に入り、また野に下り、日本の金融・産業の近代化の父といわれた渋沢栄一は、明治33年に男爵に列し、その後子爵となった。最後の将軍、徳川慶喜は明治35年にはじめて公爵となった。慶喜に臣従した渋沢栄一は、生前500余りの企業を起し、今でいうところのベンチャーの雄であるが、官民格差、商工業蔑視の風潮に常に反論している。アメリカとの民間外交でもいち早く大きな成果を上げている。これも日本における身分制度の完全撤廃のために、アメリカの実情を広く日本人に知らしめたいとの気持から出たのであろう。

 世界には未だに権力や財力による差別、身分制度による差別が存在するのは誠に哀しいことである。

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投稿者: jsb 日時: 2007年02月16日 09:00

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