ベンチャーの先駆渋沢栄一(1840〜1931)

平成19年2月19日
○ベンチャーの先駆渋沢栄一(1840〜1931)

 私は社長業をはじめてゆっくりと休日をとったことが少ない。しかし「忙中閑あり」の言葉もあり、永平寺町の家で、一日休むことにした。早朝より暖炉に火を入れて読書と庭いじりを楽しむことにした。暖炉の灰をとり、冬木立の根元に撒いた。シャガが生き生きと緑色を増している。ふきのとうを見つけた。早速「あく」をとって昼食に桜味噌とあえた。更に夕食に鯛とまぜて酒の肴にした。にが味がうれしい。春の香りである。永平寺町に住んで3回目の冬。今年は雪が殆んど降らない。立春を過ぎて本当の春が来たように暖かい。

 今日は私の尊敬する日本のベンチャーの雄、ベンチャーの先駆――渋沢栄一に会いたいと考えている。彼は幕末から明治・大正・昭和までの激動の時代の日本のリーダーとして活躍した稀有の巨人である。生前に起業した数、500社を超え、日本の産業の近代化の父として偉大な足跡を残している。私もそのベンチャーの一人として彼の功績の跡をしたい。一日の糧としたい。

 私が最も尊敬している点は渋沢栄一が、「私利私欲の為の貯財に走らず、他人の為、国家の為に、あらゆる困難に立ち向い、これを粘り強く遂行したこと」、「大衆や友人知己との合弁、合資により事業を起したこと」、「事業を通して多くの雇用を生み、後継者を多数育成したこと」、「アメリカとの関係修復に一生を捧げ、民間外交の先駆となったこと」、「天皇・将軍をはじめ、旧武士や官僚等の身分制度の厳しい差別の中にあって、四民平等の思想を貫いたこと」。

 渋沢は徳川慶喜の弟についてパリの万国博覧会に参加、1年7ヶ月間フランスに留学。「バンク」がまだ銀行という名前がない頃に「バンク」を生涯の仕事にしたいと考えて帰国した。私の会社の名前「日本システムバンク」の名前の由来の一つとなった。

 暖炉の火は暖かい。一日でマキが2束必要である。香りのよい落葉樹のマキを使っているが、家中にマキを燃やす香りが充満し、幼い頃のたき火の記憶がよみがえってくる。

↓ブログランキングへ応援お願いします。クリックお願いします。↓
blog


投稿者: jsb 日時: 2007年02月19日 09:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://119.245.185.34/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/868

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)