敦賀半島

19年2月26日
○敦賀半島

 敦賀は神話の時代を遡る遥か昔から、大陸や半島との交流があった。リマン海流と親潮の交流する日本海の中央部にあって、漁業と交通の要衝であった。敦賀港は天然の良港として古くより、その重要な役目を果たしていた。敦賀半島は、その基点となる野坂岳(独立峰、914m)から日本海に長く突出している。原子力発電所が完成する迄の長い年月、船便しか通らない別世界であった。

 半島の突端、立石岬の近く浦底に敦賀原子力発電所が建設され、以来敦賀から若狭地方にかけて、次々と原発が建設された。「もんじゅ」が完成し今や世界一の原発地域である。

 半島には西方ヶ岳(海抜764m)を中心に風光明媚な山々と海岸線が続いている。「もんじゅ」のある白木地区はその名の通り、朝鮮半島の新羅(しらぎ)からの渡来の人々の足跡を示すものである。ちなみに日本海沿岸には白木神社は到る所に散在し、過去の交流の歴史を知ることが出来る。

 能登半島の気多神社に対し、敦賀には気比神社があり、海岸線から敦賀半島にかけて、気比の松原が続いている。日本三大松原の一つ、海水浴も楽しめる自然一杯の地域である。

 神功皇后の外征にまつわる歴史や、地域に残っている民話も、大陸や半島との深い関わりを想像させてくれる。今年は越の国から出たといわれる男大迹大王(継体天皇)即位1500年祭が、越の国現在の福井県下の各地で開かれる予定である。

 現在では敦賀半島は車で先端まで行くことが出来る。一年を通してのどかな漁村風景を楽しむドライバーが多い。

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投稿者: jsb 日時: 2007年02月26日 09:00

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