思い上り

平成19年10月2日
思い上り

 ある程度勉強し、少しわかってくると、人はすぐ増長慢になる。多少の知識をひけらかしたくなる。理論と現実の事象との正確な対比を怠って、誤った判断、誤った結論を導き出してしまう。それを「思い上り」という。

 私はこの「思い上り」の苦い経験を数限りなくした。最初は小学校2年の絵の時間。恥かしい程先生に褒められて舞い上った。中学校2年の数学の時間、学年400人中1、2位といわれた時。高等学校2年の英文法の時間。いずれも先生が褒めすぎて、私はつい我を忘れ、思い上がった。結果は明白、努力を怠りその後漸次成績は下降線を辿った。慢心ほど恐ろしいものはない。思い上りの記憶ほど恥かしいものはない。

 逆に謙譲の精神は人を成長させてくれる。これは自分の我執を捨てることである。自分の意見を主張する前に、まず相手の意見を謙虚に聞く姿勢が大切である。謙譲の美徳という。凡人の私達には到底達することの出来ない境地である。しかし、努力すれば近付くことは出来る。

 日本人で偉人といわれる人達は殆んどが謙譲の美徳を身につけていた。なぜだろう。躾なのか、教育なのか。家庭環境か、よき師とめぐりあえたからか。

 自からを主張する前に、相手の考えを聞く。それも謙虚に真剣に聞く、そこからすべては出発しているように思う。「雄弁は銀、沈黙は金」という諺は日本のものではない。まず相手の考えを十分に聞いた上で、自分の主張を述べる。何人かの人との討論でも同様である。まわりの人の意見を引き出す糸口を云うのはよい。しかし、浅薄な自分の考えを声高にいいつのるのは、後悔先に立たずとなる。後で恥かしい思いがする。思い上りを常に戒めてはいるが最近はついつい声を上げたくなる事が多い。思い上りなのだろうか。

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投稿者: jsb 日時: 2007年10月02日 09:00

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