旦那さん

平成19年11月1日
旦那さん

 母はいつも父のことを「旦那さん」と呼んでいた。終戦後民主主義が導入され「戸主」が廃止された。それまでは戸主が一家の長であった。祖父は88歳で死んだ。現在の相続制度と異り、当時は全財産を戸主が相続した。戸主の権限は絶大であった。

 父は養子であった。私の生まれる前昭和10年頃に野坂家へ養子に来た。長浜近郊の小藩の士族の末裔である。養子縁組に際して履歴書(実筆墨書)を残している。

 母も養女であった。戸主であった祖父の妹の娘であった母を幼い頃養女にもらっている。野坂家は江戸時代より女系で祖父の父も養子であった。祖父の父は養老の滝で有名な岐阜県養老町から来た。祖父が生まれた時は一族を上げて喜んだという。女系が続くと、男子誕生が切望される。私の誕生もそのような背景の中で喜ばれたようだ。

 母はそれだけに家への思いが強かった。野坂家の柱石ということを常に考えていたようだ。戸主である祖父を敬愛しながらも、父を「旦那さん」と呼んだ。家族全員の中で一人だけそう呼んでいた。他の者はお父さん、父ちゃんなどと呼び、母以外の者が父を「旦那さん」と呼んだことはない。母は和裁塾を若い頃に開いた。結婚前に京都の親戚「清水家」にいて、そこで和裁を修学した。母の和裁塾は30人程の塾生がおり、数軒の呉服屋の丁稚や香頭が出入していた。呉服屋は土地ではお大尽である。その主人は「旦那さん」と呼ばれ、尊敬されている。母はそれを意識していたのであろうか。父が死んだ後も、父のことは常に「旦那さん」の呼称で終始した。

 「旦那さん」という声の響きは未だに耳に残っている。いつも着流しの着物姿で、折目正しく生活していた父の姿を思い浮かばせる。家庭での躾の乱れをいわれるようになったが、親子三代の同居がなくなり、親戚付き合いがなくなり、近所付き合いがなくなった今日、教育の危機をひしひしと感じている。

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投稿者: jsb 日時: 2007年11月01日 09:00

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