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マスメディアの責任
平成19年11月2日
マスメディアの責任
世の中が悪くなってきた。子が親を殺すという。すべての者はみな親から生まれてくる。子が親を殺すのは自己否定である。かつて尊族殺人は死刑であった。
子を捨てる親もいる。自分の命に代えても守るのが親である。しかし育てられないといって子を捨てる。
親も子も、あまりに自分本位にすぎないか。自分を捨てて、相手のことを考えてやれないか。私はできると思う。躾や教育そして愛情によって、社会をよくすることは出来る。
まずマスメディアの報道の取り上げ方を変えてもらう。「ペンの暴力」といわれるが、テレビの通俗番組、悪いことばかり次々としつこく報道するマスメディア。これは明らかに「ペンの暴力」である。必要のない報道というより、悪影響を与える報道なのだ。世の中にはすばらしい人が大勢いる。みんなが見習うべきことが沢山ある。そんなことを報道してほしい。
世の不正を質し、社会を導くべきマスメディアが、人々を反対の方向に引っ張っていってどうすうのか。
世の中の美しいものを捜し、尊敬すべき人を捜し、隠れた美談を捜す。私は前向きに、ひたむきに生きるのが好きだ。そんな人に会いたい。そんな記事を見たい。そんな本が読みたい。そんなテレビ番組がほしい。
マスメディアの責任はそこにある。果たすべき責任と義務はそこにある。それでこそ、社会の公器といわれ、最高の権力を持たされている価値がある。
北朝鮮のニュースを知らせる女性アナを見ていると、私は大本営発表のラジオニュースと酷似しているのに気がつく。正しい時代認識の下、自らの主義主張をするのはよい。しかし、誤った方向へ人々を誘導することは許されない。
報道は「不偏不党」が原則だと日本ではいわれている。これもおかしい。マスメディアは確固たる信念に基いてニュースを流すべきである。
堂々と論陣を張るほどの社説が少ないのが残念である。テレビも新聞も雑誌も、活字ばなれが進み、インターネットや携帯の影響が大きくなる中で、原点に返ってマスメディアの責任について今一度考え直してほしいものである。
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