気比神宮

平成19年11月12日
気比神宮

 福井県敦賀市に越前一の宮の気比神宮がある。神功皇后が三韓征伐に出発し、帰国した港として有名である。祭神と天皇が名前を交換したという伝えがある。越のくにの中心地であった。三関の一つ愛発の関のすぐ外側にあり、かつて「越の国」は大和と同列の国家であった。その神宮が日本三大松原の近くに鎮座している。能登の気多大社、越中の気多神社等と連なり、その流れは北は東北地方にまで延びている。

 神社は各地の「一の宮」と呼ばれる総社を中心に、全国に広がっている。最大のものは出雲大社(いずもおおやしろ)である。伊勢(大)神宮は別格であるが、大社と神宮が神社より格上の感じがする。諏訪大社も上社、下社があり大きい。宇佐神宮(豊前)は全国の応神天皇(八幡大神)系の神社4万数千社の総本社である。摂津の住吉大社は住吉神社2千社余りの総本社である。一の宮ではないが伊勢の椿大神社(おつかみのやしろ)は猿田彦の2,500社の総本社である。また全国にある熊野神社も有名である。安房の安房神社は180社の総本社である。

 また「一の宮」にかえって、近江には建部大社があるが、日吉大社、多賀大社と上になったり、色々と長年の確執があったようである。丹波の出雲大社神宮は出雲の国の出自を思わせる名前である。熱田神宮の草薙の剣は有名である。下総の香取神宮、常陸の鹿島神宮も有名。大社には、和泉の大鳥、駿河の浅間、伊豆の三嶋、美濃の南宮、筑後の高良大社がある。

 また神宮も、紀伊の三前国懸、淡路の伊弉諾(いざなぎ)があり、大隅の鹿児島神宮は明治時代までは大隅正八幡宮と呼んでいた。神社の古事来歴を調査していくと、日本の歴史の特徴に気付くことが多い。日本海側に点々とある小さな白木神社は、半島の新羅につながる民を思い起こさせる。

 ともあれ継体天皇即位1500年を迎えたこの年に、天皇、皇后みずから出陣したと伝わる気比神宮への興味は尽きない。日本の神社はかつての自然崇拝が、数千年もの時を経て、まだ日本の各地で鬱蒼とした鎮守の森を残している。どんな小さな村にも神社が数社、お寺が数寺必ずある。近くの山頂にその奥社があることが多い。気比神宮の浜辺には、日本三大松原の一つ、気比の松原が広がっている。松原客館という渤海よりの客人を迎える館があったところである。

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投稿者: jsb 日時: 2007年11月12日 09:00

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