紅葉の京都

平成19年11月26日
紅葉の京都

 久しぶりに京都を訪れた、紅葉まっさかりである。大原三千院や八瀬の紅葉は散り始めている。木々の燃えるような紅と落ち葉の紅が、上と下に分かれて、紅の帯のように連なっている。北山通りや白河通りの銀杏並木は、黄色の洪水である。京都のテレビは、京都でも大きな古くからの禅寺の一つ、東福寺の紅葉をすすめていたが、私達は鷹ヶ峯のしょうざん光悦村を訪ねることにした。ここは北山杉や台杉を背景に小高い山の斜面に作られた光悦好みの庭園である。随所に趣の異なる茶亭が配されている。その建物群のあちこちで「きもの」の展覧会や、和紙(竹の繊維を使っている)や竹筆の個展が開かれている。京都の冬は厳しいが、特に今日は寒い。小春日和を期待していたが、日陰に入ると冷たい風が身にしみる。50年前に過した下鴨での学生時代を思い出す。1955年頃の京都の下鴨では、くみ取り便所があった。学生のことゆえ、肌着の洗濯は、下宿の洗濯板を借りて、石鹸(粉でない、固型の大きなもの)を押し当てゴシゴシ洗ったものだ。水が冷たかった。不思議に紅葉の印象は薄い。50年前の洛北もこの紅葉は美しかった筈であるが、印象には残っていない。

 秋が深まると寂しくなると義母が言う。特に夕方が人恋しいと。「一日一生」を心がけて、生活している私達であるが、季節は春夏秋冬とめぐりめぐってくる。しかし人の一生は、青春も一度しかない。盛夏もたった一回。秋も同じ。とすると晩秋は人生最後の冬の到来を予感せざるを得ない。夕暮れ時は「一日一生」という気持で迎えると、晩年を思うことになる。残り少ない今日の一日は、人生にたとえると、熟年を過ぎつつある日々ということか。千年の都、京都の、降りしきる紅葉の、小砂利道を踏みしめて歩いていると、私の好きな本阿弥光悦に出会えそうな雰囲気である。

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投稿者: jsb 日時: 2007年11月26日 09:00

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