カテゴリー:2.町おこし

『またまた日本一。おいしい県 ふくい』

平成18年8月16日
○『またまた日本一。おいしい県 ふくい』

 観光客に対するリクルート(東京)の調査によると、「食べもののおいしかったところ」の日本一に福井県が選ばれたとのこと。福井のブランド「越前ガニ」や「若狭ガレイ」など海の幸が評価されたのであろう。日本海の荒波にもまれ、暖流と寒流が交錯する福井県沖は、最高の漁場の一つである。沿岸漁業の華といわれるイカ釣り舟の漁火が、沖合に一直線に並ぶのは誠に美しい。

 関西方面からの観光客は、毎年シーズンになると「カニづくし」を賞味するためにやってくる。恒例の行事で、これはあまり景気に左右されない。

 越前海岸は、北の石川県境から始まって、三国から敦賀まで美しい海岸線が続く。

 若狭に入ると日本有数のリアス式海岸となり、気候も少し温暖となる。言葉も生活様式も京都風の影響が出てくる。ゆったりとした温もりを感じさせてくれる。

 1泊か2泊で、この海岸線をドライブしながら、海の幸、山の幸を楽しむのも一興である。私の新婚旅行は、このコースを取った。外国へ行く人が多いが、世界中のどこを捜してもこのコースほど変化に富んだ、景色のよい所はない。そして何よりうれしいのは「日本一おいしい食事」が毎日食べられることである。

 「食のふくい」を内外に教えてあげることは、「喜びの種、幸せの種をまこう」という私の提案とピッタリ一致する。「食のブランドづくり」に福井県民がもっと力を入れることを期待している。

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天災は忘れた頃に

平成18年8月9日
○天災は忘れた頃に

 昭和23年6月(1948年)大地震が福井を襲った。福井市中心部のほとんどの建物は倒壊。直後に発生した火災は、すべてを焼き尽くした。

 アメリカ空軍の焼夷弾で灰燼に帰した町は、また再び無と帰した。大水害とあわせて、三度の災禍によって、福井の町は完全にゼロになった。

 しかし、福井市民は、渾身の力を振り絞って、この絶望の渕から這い上がってきた。

 昭和34年4月(1959年)私は生まれてはじめて、この福井市に住まいを定めた。美しく整備され、活気に満ちた町の表情にはもはや大災害の影はなかった。福井は不死鳥の如く、蘇ったのである。「フェニックスシティ」「不死鳥のまち」はこの由来による。

 金沢や富山へはよく出かけていく。しかし当時の三つの市を比較すると、福井市の姿は、コンパクトではあるが、群を抜いてうるおいのある、美しい、活力のある町であった。

 あれから58年。天災は忘れた頃にやってくるという。大震災60年説もある。用心しておいて悪いことはない。福井震災では、僅か数平方キロの中で、5000人近くの人々がなくなられた。これ程の災害は史上まれである。

 私は福井の「えきまえ」といわれる繁華街に今、エコライフプラザをリニューアルオープンしようとしている。そこに約60年前におきた「福井震災」のパネルを展示し、油断禁物と警鐘を鳴らしたい。「転ばぬ先の杖」を是非多くの人々が用意してくれる事を願って。

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福井のメガネ

平成18年6月2日
○福井のメガネ

 「メガネをビジネスに」というご縁に出会ったのは、今から32年前、第1次オイルショックの後の昭和49年のことであった。福井は知る人ぞ知る、「メガネの福井」のまちである。全国の90%以上のメガネは福井で作られている。中国等の追い上げがあり、ここ数年業界は低迷の域にあるが、世界でも有数の産地であることに変りはない。

 遊休不動産の有効活用に力を入れている私は、主としてコインパーキングへの転用を第一としているが、「メガネ産地福井」を守る為、全国各地の遊休不動産を有効活用する新しい方法として、「メガネの小売店」への転用に注力することとした。手始めに金沢市内に2ヶ所、岐阜で1ヶ所を手当して、今月よりオープンしている。土地約1000㎡、建物約300㎡の物件を、全国規模で捜していきたい。メガネの業界は小売サイドが最も強く、メーカーサイドが最も弱い特異な体質となっている。これを少しづつ是正し、産地の復権をはかる為に、全国に点在する私達の協力者の支援をいただき、新しいチャンネルを開拓していきたい。

 メガネは健康ビジネスであり、老人向ビジネスであり、デザイン重視の高付加価値ビジネスである。どれをとっても将来は有望なビジネスである。福井の産地が名実共に、世界一の評価を得る為に、種々のサポートが要求されてくるけれど、売り場を用意することも大切な仕事と考えている。
微力乍ら、福井のメガネの為に、不動産の有効活用で培った私達の経験とネットワークをご提供していきたい。

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まちおこしの目玉 コインパーキングのすすめ

平成18年5月23日
まちおこしの目玉 コインパーキングのすすめ

 6月から、駐車違反の取締り業務の、民間委託がスタートする。手近なところで、手軽に、安く駐車できるコインパーキングの利用が増えるのでは・・・との見方がある。マスコミの取材も日増しに増えてきた。異口同音に取締強化による収益向上を予想される。また過度の取締りによるトラブルの増加を危ぶむ意見もある。

 今回の変更の本質は「官から民へ」の大きな流れの一環にすぎない。メリット、デメリットそれぞれある。それを今、云々することはあまり意味がない。もっと大切なことは地方都市の中心市街地が死にかかっている事である。その解決方法の一つが今回の施策である。誠に小さな一歩ではあるが、変化することは進歩と考えたい。

 「まちおこし」が全国の各地で真剣に議論されている。車社会の成熟化に伴って、中心市街地への車の乗入れが難しくなり、「まちおこし」の目玉はどうしても「コインパーキング」である。僅か100円で、誰でも、いつでも、気兼ねなく停められる。車を駐車して歩けるまち、魅力的なお店のあるまち、ホスピタリティにあふれたまち、文化やアートのあるまち。そんな「まちづくり」を目指して「コインパーキング」を全国の中心市街地でコツコツと作り続けている。

 駐車場不足も未だ解決していない。『まちおこし3法』の施行により、地方都市の中心市街地が再び蘇ることを切に期待したい。

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地域社会と共に

平成18年5月16日
○地域社会と共に

 私の会社は、創業以来、乏しい資金を節約して、地域に育つ優良企業の株式を少しずつ買い増ししてきた。上場企業もあれば、ベンチャー企業もある。一社当りの投資上限を1億円としているので、現在十数社の株式を保有し、毎年の成長ぶりを共に喜んでいる。

 最近では地域ファンドが次々と設定され、私の地域社会に対する熱い心と同質の趣旨であることから、すべてのファンドにお付合いをしている。これからも「地域ファンド」は益々伸長するものと期待している。

 北陸3県の県都、福井市、金沢市、富山市を比較してみると、その相似性、また反対にその相異性に驚く。最近の福井市の現状を見ると、他の二市に比較して大きく差がつきつつあるのを感ずるのは、私だけではあるまい。「30年遅れている」と言って、「まちおこし研究会」の席上、賛否両論が出た。

 地域社会を住みよくするのは、行政の責任だけではない。主体性を持つのは市民である。しかし地方都市も含め、行政の果す役割は、非常に大きいものがある。「官から民へ」「東京から地方へ」を、かけ声だけで終らせてはならない。行政に期待するところ大なりである。

 私の会社は、北陸3県の県都の中心で、コインパーキングを経営している。町の中心部の過疎化をくい止める為に、コインパーキングを各所に作っている。車社会の成熟化の中で、都心部の駐車場不足を解消し、客足を都心へ呼び戻す為のささやかな努力である。

 時代はまちづくり3法の施行と共に、コンパクトシティ構想が全国各地の県都で提唱されつつある。地方復権と同時に、都心部の再開発が進むことを念じている。

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『北陸新幹線』について

平成18年3月31日
○『北陸新幹線』について

 平成8年に新幹線の環境アセスメントが発表になり、早や10年が過ぎようとしている。そして、やっと今年になって、新幹線を迎える為のJR福井駅が新装なった。新幹線の福井駅着工も決定した。福井市民の永年の夢である新幹線が、やっと現実のものとなりつつある。

 故福田一衆議院議長が「新幹線は20世紀中はムリだ」といわれたのは、今から20年程前のことであった。その当時、私は福井県の生コンクリート工業組合の理事長をしており、当時の鉄建公団をはじめ各方面に早期着工の陳情に行っていた。あれから20年。夢の実現が、西川知事をはじめ県民すべて、そして沿線各市町村の関係者のご努力によって、達成されようとしている。

 私は仕事の関係で、毎月2~3回は東京方面へ出張するので、新幹線を利用する機会が多い。今は米原で乗り換えるルートを利用しているが、開通後はどうするのか。楽しみである。

 新幹線の開通は福井と金沢、富山の関係をより緊密にすることであろう。変化を恐れるのではなく、変化をチャンスと把えて、果敢に、すばやく対処していくことが大切である。「ストロー効果」という言葉があるが、「福井」程すばらしい都市は日本中、世界中でも珍しい。この誇りを失わず適確に手を打ち、新しい福井のまちづくりをしようではないか。

 新福井市長坂川 優氏の新任早々の人事の刷新を見ると、やる気満々と思うのは、私だけではない。福井市の未来は明るい。

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『パストガバナーを迎えて』

平成18年3月15日
○『パストガバナーを迎えて』

 ロータリークラブの2650地区は、奈良県、京都府、滋賀県、福井県と、広い地域にまたがる世界一の規模の地区である。クラブ数94、会員数5,298(2006年1月末日現在)と規模も大きいが、問題なのはその地区の広さである。ガバナーが公式訪問される時に、そのタイムスケジュールがいかに過密になるか想像できよう。

 1997~98年のガバナー山田三郎氏(京都亀岡RC)より、私のクラブを訪問したいとの連絡をいただいたのは、もう2ヶ月程前のことであった。早速私のクラブの福井北RCの卓話をお願いすると同時に、山田ガバナーの時の県下RCの会長・幹事に連絡をとり、懇談会の段取りをした。丁度今日はすいせんロータリークラブの発会式があり、拡大委員をしている会長・幹事が多く、時間の調整が難しく、昼の例会への参加者が5名、夜の懇談会の参加者が4名と予想より少ない人数となった。私のクラブのメンバー数は110名である。卓話の題名は「人生のサムシング」。ポールハリスが、1935年に来日した時に、「最もよく奉仕した者が、最もよく報われる」という言葉について、激論が戦わされた。日本では報われることを期待して奉仕するのは、いやしいとの考え方が強いからだ。その答えが「ロータリーのサムシング」であった。「変えてはいけない事」と同時に、「変えていかなければならない事」が必ずある。スローガンは年々変るが、その根本精神、奉仕と親睦、そして世界平和実現は変えてはいけないものだ。

 パストガバナーは一昨年の正月に年賀状を私のクラブの大永武二会員(90歳)からもらった。そこに岡田謙一郎君(前福井医科大学副学長)が、そちらへ行くのでよろしくと添書してあった。大永氏が、地区の財団委員長の時、山田三郎氏は地区の財団委員であった。早速、岡田氏に入会してもらって、ある日隣に座った二人が雑談中に尿の出が悪いと言ったところ、その足で病院へ行き、直ちに検査入院、次々とガンが早期発見された由。もし年賀状をもらわなければ、もし岡田謙一郎氏を入会勧誘しなければ、ガンの早期発見は出来なかったであろう。

 この人と人を結ぶロータリーの縁、ロータリアンの友情を思う時、山田パストガバナーは、大永武二、岡田謙一郎のお二人につながる福井北クラブを訪問したいとの熱望止みがたく、今回の来福となった。ちなみに岡田謙一郎氏は私の次の次の会長で、彼に会長就任を説得する為に、私の家内もひっぱり出して、二人で口説いたのは、忘れ難い思い出である。今なお石原義紀、山田文雄、岡田謙一郎、私とそれぞれの夫人を含めて、十和会というプライベートな会合を京都と福井で年2回ずつ開き、友情を温め合っている。これも不思議な縁である。十和会の名は、10歳若いの意味もある。ともあれ歓談は夜遅くまで続いた。職業奉仕していただいた芦原温泉の八木の社長 八木真一郎君にも感謝感謝。ロータリーの縁につながる人の輪は、拡がり、回り続けている。

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エコロプラザへロハス集まれ

平成18年2月27日
○『エコロプラザへロハス集まれ』

 「プラザ」は町の中心にあり、人が集い、交流し、商いが行われる場所「広場」である。私達は全国の地方都市の中心市街地が寂れ、商店街が苦境に陥っているのを目のあたりとし、この活性化の為に研究を重ねている。その結論は徐々に姿を表わすと思われるが、1つの解決策は新しい「プラザ」を作ることと考える。そして、その「プラザ」を具体化する為の必要十分条件を考えた。

1.ユニークな町の装いを作る。
2.カリスマ商店主が3人はいてほしい。
3.若いリーダーが必要。
4.歩きまわれる町づくりが必要。
5.魅力ある店づくりが必要。
6.時流の先を見たプラザであること。

 車社会の成熟化により、郊外立地型の大型ショッピングセンターが市の周辺にいくつも出現し、商圏が根元から変りつつある。中心市街地の駐車場確保が難しいのに対し、地代家賃は固定資産税の高止りの中、安くは出来ず、ドーナツ現象は世界各地の都市に波及している。また一方、地球環境保全の為にもロハス(Lifestyles Of Health And Sustainabilityライフスタイルズ オブ ヘルス アンド サスティナビリディ)な生き方を求める人々が急速に増えつつある。日本では1つの社会現象になりつつある。

 エコロジーは21世紀最大のキーワードである。このエコロジーの「プラザ」を新しい町の中心に作ることにより、上記の必要十分条件の殆んどをクリアーして、町の賑いを取り戻すことが可能になる。

 時代の申し子「ロハスな人々、集まれ」と叫びたい。

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スモールコンパクトシティを望む

平成18年2月24日

○スモールコンパクトシティを望む

1.市町村合併が最終段階を迎える
 平成の大合併といわれる、今回の市町村合併がいよいよ最終段階に入ってきた。合併の目的は、地方行政組織の肥大化ではなく、簡素化でなければならない。いたずらに補助金を獲得して、枯渇した地方財政に一息つかせるのではなく、根本的な発想の転換による、地方行財政の建て直しが求められている。

2.合併による行政区域の拡大
 町村名が消えることによる不安や不満の解消は合併の大きな障害になる。事実、山間部や避地といわれる所では、深刻な不便、不自由が予想される。しかし、少子高齢化時代を迎えて、全集落の維持発展をはかることは、不可能に近い。それは避地に住む人々が、身にしみて自覚されていることである。

 ドーナツ化現象により、都心に住んでいた若い人達が、どんどん郊外に移住していった。今や中心市街地は、残された老人達の住む町である。このように生命線の延びきった、インフラ整備に莫大なお金のかかる都市運営では、我々の将来は暗い。もっともっと、それぞれの集落が中心を持ち、寄り添った、スモールコンパクトシティを作っていくことが必要となってきている。

3.トヨタ自動車のお膝元豊田市の例
 愛知万博の成功、セントレア国際空港の好スタートと、中部地区は今、日本で最も元気なところといわれている。しかし、その徹底したコスト意識は、我々すべての日本人が見習う必要がある。

 顕著な例をひとつあげてみよう。豊田市は4町2村を合併した。豊田市の市会議員数は40名、その他の町村会議員数は77名、合計117名であった。合併後の市会議員数は僅か47名とした。6割減である。私は信じられず、二度も豊田市へ問い合わせてみた。間違いない。不満は起きなかったのだろうか。配慮はあった。市会議員でなく、連絡員のような仕事を若干用意したとのこと。

 見事な采配である。さすがにトヨタのお膝元の市だけであると思うのは私だけであろうか。

4.官公庁の業務の民営化
 PFIという民営化が、現在着々と進行中である。郵政民営化もJR、NTT、タバコに続く超大型案件であるが、これも目途がついた。

 自己組織の肥大化は歴史が証明するとおり、腐敗の温床になる。テレビで人気者の細木数子さんの夫、安岡 正篤先生の言葉に「大蔵省」の「省」は「かえりみて、はぶくの意なり」といわれている。「省事」を人生訓にした政治家もいた。私の尊敬する福田一元衆議院長は「公心無私」の扁額をくれた。「公僕」という言葉が死語にならないことを切望する。

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『地方都市の現状』について

2006年2月10日
○『地方都市の現状』について

 地方都市の低迷が指摘されて久しいが、先日、金沢の友人より地方都市の空家率のデータを入手して驚いた。空家がどんどん増えてきている。例を挙げてみよう。

<空家率>  ※小数点以下四捨五入
060210.bmp

 特に、福井市は北陸3県のワースト1位である。

 日本では、中古住宅市場が未成熟といわれている。悲しいかな、これが間違いのない事実である。しかし、これ程の大きな空家率を何とかしなければ、地方都市の明日はない。

 私は今迄、古家を壊してコインパーキングに切換え、町を活性化する仕事に命をかけてきた。しかし、壊すのは見ていても胸が傷む。もう一度、古家や古ビルに命を吹き込む事は出来ないだろうか。そう考えて、再生可能なものには莫大な追加投資をして、リフォーム・リニューアルを行っている。「もったいない精神」である。地域環境を守る為の努力である。古材を生かす「古材バンク」も稼動をはじめる準備をしている。

 中古住宅市場がより整備され、住宅の改善が更に進む為の知恵をもっともっと絞っていきたい。それと同時に少子高齢社会の中の地方都市における住宅政策のあり方を考える必要がある。空家率2割の恐怖はもう目前に迫っているのだ。

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福井市に美しい建物はあるか

18年1月17日
○福井市に美しい建物はあるか

 モダニズムの先駆者前川国男(1905―1986)の生誕百年建築展が東京ステーションギャラリーで開かれている。「モダニズム」とは何かをさぐりに見に行ってきた。彼はル・コルビュジェとアントニン・レーモンドの二人の建築家から学んだ理念を日本の気候風土の中で実践し、日本文化の中に定着させることに努力した。大きな庇のデザインと陶板を外壁に使う「打込タイル工法」が彼のデザインの特長であった。大きな開口部と、光の陰影を重んじた窓の処理、そして見事な空間処理など彼ならではのデザインと同時に耐震性、自然環境との調和など、今日でも新しい発想を随所に見ることができた。

 代表作の旧東京海上火災ビル20階建は、皇居に面した御幸通りの角に建っており数々のエピソードを残し、設計から着工まで8年の歳月を要し、最後は首相から施主へ減階裁定がおりるという、日本建築史上あまり例のない異常づくめの建築物となった。私はトヨタビスタ時代を含めて、この最上階やその下の役員応接室で当時の社長、副社長などから、いろいろ苦労話を漏れ聞いていただけに感慨深く、展示会を見て回った。今でも昨日完成したように生き生きと建っている、独特の深い味わいの、この建物は、フランク・ロイド・ライト(アントニン・レーモンドの師)の設計した赤レンガの東京駅と呼応して、丸の内景観を美しく作り上げている。

 福井へ帰ってきて、福井の町を見て回って、つくづく感じるのは、「福井にはなぜ美しい建物がないのだろうか」という素朴な疑問である。戦災、震災で、数多くの遺産を失くした福井市に、100年後、200年後に残せる建物を是非共作っていきたいものである。明るい色彩、円と曲線の多用、耐震、克雪、保安、省エネなど機能面でも、負けない価値ある百年建造物を作りたい。

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東西文化交流の地――福井 こんなにオイシイ、カラダによいパンの物語

平成18年1月16日
○東西文化交流の地――福井
      こんなにオイシイ、カラダによいパンの物語

 明治維新以来、欧米や大陸との交流の拠点として福井、大野、三国、敦賀、小浜などで外国文化が積極的に取りいれられてきた。また宣教師や外国人教師が福井に大きな足跡を残してくれている。日本人として最初に、正式に、アメリカの大学を卒業した同志社英学校の創立者「新島襄」も親しく福井を訪れ、時の衆議院議長 杉田定一を尋ねており、「一粒の麦、地に落ちて、、、」の一篇の書簡を友人に残している。

 またアメリカのラットガース大学へ入学し、最優秀な成績を残し乍ら、アメリカで客死した日下部太郎との友情を縁に、福井へ来て若者を教育したウィリアム エリオット グリフィスも大きな足跡を残した。その著書「皇国」の中で「松平茂昭公から3千のサムライに城の大広間で別れの言葉を賜った。700年に亘る封建制度の埋葬であった」。

 廃藩置県は、明治維新の雰囲気が色濃く残っている明治初期のことである。

 若狭、越前両国の港々はロシア、中国、朝鮮との交易で賑わっており、特に三国港は、北前船の母港の一つとして江戸時代から栄え、異国文化が早くから入っていた。その異文化との融合に積極的であった福井の人々にとって、西洋文化の根源を為す「パンの文化」を生活にとり入れることは、さほど抵抗はなく、むしろ前向きに真剣に吸収していったものと思われる。

 鯖江の株式会社ヨーロッパンキムラヤの先代はアメリカのパンやケーキの学校を経てドイツやイタリーの諸学校で学んだ後に開業、今も子息が盛大に事業を継続されている。キムラヤのパンがほしいという指名客が非常に多く、東京へも航空便で出荷されている。有名ホテルのパンはキムラヤ製が使用されている。

 福井は九頭竜川水系の河川が網の目のように拡がり各所にすばらしい水源を作っている。その恵まれた自然環境の中で、オーガニックな手作りのパンを作る若い職人達が育ってきている。

 世界一の健康長寿の里を目指す「福井県」に、こんな美しい、こんなにオイシイ、こんなにオーガニックな数々のパンが、毎日楽しく作られているのは貴重な福井の宝である。

 地産地消ブームの中で、トレーサビリティのはっきりした健康で、安全な食を提供し続けるパン屋さんが存在するということで、また一つ新しい福井の宝が発見できそうである。

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団塊世代の退職後の受皿について

18年1月6日
○団塊世代の退職後の受皿について

 団塊世代の大量退職をにらみ、インターネットでの株取引に満足できない資産運用の相談窓口として野村証券が全国に50~100店舗を新規開店(2008年頃まで)するとの新聞報道があった。首都圏、近畿圏が中心となる。団塊世代の退職後の終の住処を用意するという沖縄商工会議所副会頭の 新垣直彦氏に昨年末にお会いした。海人(ウミンチュー)にちなんで、住人(スミンチュー)という名称で商標登録をし、受皿の団地やマンションを新設するということであった。新しいデザインのスペイン風、沖縄風、そして完全なセキュリティ等を備えた500坪程度の区画を街中に作るそうだ。長寿村とでもいえようか。

 そこで私は考えた。福井県は「健康長寿のふくい」を合言葉に長寿研究に、県が率先して乗り出している。団塊世代の退職後の受皿を福井市の中心部に作ったらどうであろうかと。福井は日本の中心。IターンでもUターンでも受け入れてよい。首都圏、中部圏、関西圏からも遠すぎず、近すぎず。そして、福井は長寿の里である。可能性の大きな「団塊村」が作れそうな気がするのは私だけであろうか。福井の「まちなか」でこのプロジェクトを推進すると町の活性化にハズミがつきそうである。長寿に関する研究も沖縄では一歩進んでおり、琉大と新潟大またアメリカと沖縄県立看護大とが共同で進めているとのことであった。長寿は福井、沖縄、長野が三つ巴の競争をしており、この1位競いは、団塊の世代が自分達の住いを選ぶ時にも、大きな選定のファクターになりそうだ。信州、沖縄と比較してもっともっと「福井」のイメージを高める為のアイデアを募集し、福井をアピールする為の情報発信が必要である。

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フェニックス市ふくい花と緑のまちづくり

12月28日
○フェニックス市ふくい花と緑のまちづくり

 福井市は、1945年からの僅か3ヶ年間の短期間に、戦災で焼かれ、震災で燃え、水害ですべてを失った稀有の悲惨な災害を受けた。そして早や60年近くが経過しつつある。その間の力強い復興を、三度よみがえった不死鳥になぞらえて、「フェニックスシティ」と呼んでいる。福井市の憲章は、フェニックス憲章と市民に親しまれている。

 姉妹都市の熊本市などと比較すると、福井は市内周辺を山に囲まれて、緑が豊富であるが、市の中心部には、緑や花が少ないのが、気にかかる。福井市の地図を広げて見ると目につくのは福井城址、中央公園、錦公園、お泉水公園などが小さな緑地として残っている。並木も敗戦後に植えられたものが桜通り、松本通り等細々と残っているに過ぎない。

 町に潤いを与えるのは「花と緑」である。勿論、「歴史と文化」を忘れてはならないが、まず一番目に付くのは「花と緑」である。これを県都福井市の再構築のキーワードとしたらどうであろうか。足羽山に桜を植え、足羽川、九頭竜川、日野川べりを親水公園化し、町なか全体に「花と緑」による町おこしを推進する。これで福井は、戦前の美しい古都の面影を取り戻す為の再スタートラインにつくことが出来る。

 私は今年9月より「順化フラワークラブ」を立ち上げ、順化地区での花と緑の町づくりのお手伝いをはじめた。9月25日フェニックスプラザの2005年エコフェスティバルに順化フラワークラブとして出展し、会員募集を開始した。そして、講師を呼んで市民の自由参加で花の育て方、飾り方を学び、花の種や苗木の無料配付を行おうとするものである。11月10日には、約30名がセントラルビル3階会議室に集い、市園芸センター谷さんの指導で第1回研修会を開いた。小さな試みではあるが、一歩一歩福井の町づくりの為の具体策を積み上げている。

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福井の『桜祭り』の提案

12月26日
○福井の『桜祭り』の提案

 福井県の県都、福井市の市長選が、来春行われるが、マニフェストの発表が待たれる。私は福井の中心部が桜で満開になり老若男女、市民すべてが、春を楽しめる『桜祭り』を提案したい。

 日本人の心の花は「桜」である。故福田一先生が「日本桜の会」の会長の時、「どこか桜を植えるよい所はないか」と相談を受けた事がある。
桜祭りや花祭りは、春を待ちわびる雪国の私達にとっては、何よりの楽しみとなる。その為に、福井ならではの、ユニークな福井の『桜祭り』を考えてみたい。

 日本桜百選に選ばれた足羽川堤防の桜並木は、年代的に今が一番見頃の時期である。外国から来るバイヤーと共に桜のトンネルを歩くと全員が「福井の桜」が忘れられないと便りをくれる。長さ7キロに及ぶ
足羽川の桜を、もっともっと大切にしていきたい。

 更に足羽川にかかる橋に「桜橋」がある。ここからの桜の堤防は、まさに一目千両の価値がある絶景である。「桜橋」の名にちなんで、この橋も、もうひと工夫して、もっと特徴を持たせたらどうだろうか。

 そして足羽山の桜が、少ないながら花見客を集めている。足羽山を桜の山にすることは、市長が先頭に立ってくれれば僅かの予算で実現するのではなかろうか。市民全員参加の植樹祭など面白い。
最後はかくれた日本一の桜並木。それが東西約7.3キロ余りもつらなっている「桜通り」である。それを更に延長し、東は東山を含めた桜の公園にする為、そこまで桜並木をつないでいただきたい。勿論道路工事共である。そして西は日野川をこえて西山まで桜並木をつないでいくと、総延長10キロを超える堂々たる日本一の桜並木が完成する。

 県都福井市が、春になると、「桜山」「桜川」「桜橋」そして「桜通り」と市の中心部が桜で満開になる。こんなすばらしい町を私は見たことがない。ぜひ新市長に『桜祭り』を実現されることを提案したい。

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都市間競争に勝ち残る方法

12月16日
○『都市間競争に勝ち残る方法』

道州制の導入について、既に各都市間で競争がはじまっている。州都をどこにするかは、大きな問題であり、その判定のキーポイントを考察しておくことも大事である。まず要点を列記すると

1.歴史的背景  越の国 福井が中心
2.文化的蓄積度 芸術文化、伝統工芸 金沢に匹敵
3.地理的条件  京阪神地域、中京地域 福井が有利
4.地勢的条件  州都としての能力 基盤整備が必要
5.進出企業力  富山が有利
6.交通アクセス 空港、高速道路、新幹線 早目に対等にしておく必要あり
7.自然的な魅力 越中で立山、加賀では白山 越前若狭も優れている

 福井市の魅力を発掘する努力を傾注していく必要がある。長年に亘って先輩達が築き上げてきた「ふくいの宝さがし」を更に深く、広く、念を入れて掘り起すことが望ましい。それは伝統工芸の光輝であり、歴史的遺産の再評価である。金沢はたかだか500年、富山もそれと殆んど変りない。それに対して福井は1500年以上の長い伝統と更にそれ以前より連綿と続く文化遺産が数多く眠っている。それを一つ一つ検証し、陽の目を見させる努力を続けよう。

 私は伝統工芸の館を福井市の中心街の一角に昨年末オープンさせた。数多くの伝統工芸の作家達の協力を得て毎月魅力あふれる展示会を開いている。各産地や作家のアトリエを結ぶネットワークの出発駅であり、終着駅でもある。小さな試みが皆さんの賛同を得て、大きな輪になって広がっていくことを願っている。「州都を福井に」という夢を捨ててはならない。

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三重苦のフェニックスシティ福井市について

11月21日
◎三重苦のフェニックスシティ福井市について

 戦後最大の犠牲者を出した阪神淡路大震災から、早や10年が過ぎた。私は今、福井市に本社を置いている。福井市は、60年前のアメリカ軍のB29による大空襲の焼夷弾爆撃を受け、中心部は一夜にして灰燼に帰した。そして、3年後直下型の福井大震災により再建したばかりの町並は、また倒壊と大火により跡かたもなく燃え尽きた。その後発生した大水害により、市民はすべての財産を失ったのである。それから営々として、福井の再建がはかられ、57年が経過した。大地震60年周期説がある。また、あの忌まわしい大震災が襲ってくるかと思うと、事前の準備を、今直ちに行う必要があるのに気付く人は私だけであろうか。火災を起こさない耐火建築を、またビルやマンションは耐震、制震、免震の建築を作る事が望まれる。個人の住宅でも転倒防止の工夫をしたり、救命袋の準備をしたり、やるべき事が沢山ある。「転ばぬ先の杖」のたとえを忘れず、三重苦から力強く立ち直った先人達を偲び、どんな困難にも挑戦する勇気をもって、「大地震を迎え撃つ」というフェニックスシティ魂で頑張っていきたい。

福井県人の社長の数は22年間連続日本一。ベンチャー企業の宝庫

福井県人の社長の数は22年間連続日本一。ベンチャー企業の宝庫。

        ――――福井県は世界一すばらしいところ

 日本経済の復活はベンチャー企業の輩出の如何に懸かっていると云われています。福井にはベンチャー企業が多く、福井県人の社長の数は二十二年連続日本一です。社長になるには「人知れない所での努力」「誠実な人間性」「やる気、根気、負けん気」が必要ですが、福井人はこれらの特性を持った人が多いのです。それだけに素地、下地は十分にあるのですから、その能力を伸ばすことが出来れば、福井人の発展の可能性は大きく膨らみます。
 私は、昨年春「高志塾」というベンチャー企業育成の為のインキュベーション機能を持った塾を立ち上げました。「高志塾」は私が毎月一回集中講義を行い、その後質疑応答を活発に行います。そして毎週一時間ずつ、個別面接で相談に乗り、起業の支援をしています。原則無報酬のボランティア活動です。高志塾の中から初年度は2社が起業しました。
 そして次々株式公開企業が生まれる予定です。福井の上場企業、未上場企業への投資は、将来の大きなリターンが期待できる数少ないチャンスです。何卒、「高志塾」の将来にご期待下さい。

福井県は世界一すばらしいところ

(一)長寿世界一は福井県です
日本人は幸いにして健康で60歳になっても働く意欲を持っています。
働く意欲があるからこそ長寿となります。立派な仕事があり、働く意欲をもった年配者が活き活きと働いているのが福井県です。
 男性も女性も日本第二位の長寿です。ということは平均すると日本一。日本は世界一の長寿国ですから、福井県は世界一の長寿国なのです。長寿の秘訣は健康です。健康の秘訣はスローライフ。地産地消の美味しい食べ物、そしてストレスのない快適生活は、争いのない、治安のよい、豊かで、平等な社会から生まれます。肥沃な福井平野、温暖な若狭海岸。人々はゆったりとした豊かな生活をエンジョイしています。貯蓄残高、日本一がその証拠です。食物繊維の摂取量も日本一、そして病院、医院が多く、お医者さんに名医が多いのも影響している筈です。車の普及率も日本一です。
  一家に二台は常識。三台、四台を保有しTPOを楽しむご家庭も多く、カーライフをエンジョイするのがストレス解消に繋がっています。三十分以内に深山幽谷、また日本海へ、自由自在に自然が楽しめるのですから。
  シルバー産業が育つ環境が整っています。