2006年10月のアーカイブ

和風のファッション「フロシキ」

平成18年10月31日
○和風のファッション「フロシキ」

 呉服業界が、全般的に困難な状況にあるのは、誠に寂しい限りである。その中にあって強い抵抗を示し、存在感を残しているのは「フロシキ」である。

 包装の過大が叫ばれ、使い捨てが問題視される中にあって、繰り返し使えて、携帯に便利な「フロシキ」が注目され出している。東京ふろしき振興会の発表によれば、1990年以降減少が続き、ピークの1990年842万枚の出荷量に対し、2006年は416万枚と半減。しかし今年はエコ意識の高まりを背景に、ファッション性も見直されて増加に転じる予定とのこと。

 和装は日本の正装である。民族衣裳である。文化である。これ程美しく、繊細で、長持ちする衣裳は世界中捜しても絶対にない。日本の宝なのである。その和装が今、苦境の真っただ中にある。金融機関の救済もほぼ終了した今、業界に対して何らかの新しい政策の実現を期待したい。

 「フロシキ」に話を戻そう。フロシキが復活し、元の姿に戻るためには新しいデザインが必要だ。和装に合ったかつてのフロシキから、洋装でも違和感のないデザインに変える必要がある。若手の新進デザイナーの活躍の場がある。更に復活に必要なのは、「フロシキ」の新しい使い方である。ラッピングにとどまらず、巻きスカート、大きめのスカーフ、小さめのスカーフ、急な雨の傘代わり等等。私の古い知己の小料理店のオカミは額装して店に飾っていた。時々季節にあわせて中身を変えて。なかなかに味わいのあるアイデアであった。

 年間に使われているレジ袋は300億枚といわれている。これをフロシキにかえると、エコロジー効果は莫大となる。知恵は生きているうちに使えといわれるが、エコの種はどこにでも転っている。やるかやらないかの違いだけである。

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首都圏と地方との格差-そして業種別、規模別の格差

平成18年10月30日
○首都圏と地方との格差
そして業種別、規模別の格差

 いざなぎ超えが確実となった今日、景気に対する相反する見方が広がりつつある。首都圏と地方との景況感の格差は、非常に大きくなりつつある。首都圏での景況感が過熱気味であるのに対し、地方では停滞感が払拭されていない。金融緩和政策や財政出動についての要請が、首都圏と地方とでは正反対になりつつあり、景気の認識に大きな格差を生んでいる。

 これは製造業とサービス業の間にもある。どちらかというと今回の好景気は、リストラに成功した製造業の挽回が早かった。サービス業はその恩恵を実感するところまでに至っていない。

 また規模的な格差もある。大企業の絶好調に対し、中小企業や零細企業は、好景気の実感が殆んどない。逆に倒産、廃業が相変わらず多い。

 地価の動きも同様で、首都圏や一部大都市の中心部の地価は、上昇に転じているが、地方ではファンドが買っていくだけで、地価の下落に歯止めがかからない。地方経済の停滞は可成り深刻である。

 地価の中で、最も上昇の大きいものは三大都市圏の商業地である。これはピーク時の、1990年比、8割も下落した後の反騰である。それに続くのは三大都市圏の住宅地である。即ち大きく値下りした三大都市圏の地価は、合理性のあるレベルまで達して、収益性、生産性から見ても魅力のあるものとなったということである。地方でも、札幌、仙台、大津、京都、福岡などの商業地の上昇が見られるが、その他では商業地、住宅地共に前年比5%近い下落が、今でも続いている。

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東京は別世界

平成18年10月27日
○東京は別世界

 経済産業省の長期経済見通しによれば、2030年までの日本経済は、二極分化するとしている。人口と域内のGDPが、共に伸びるのは、東京だけである。

 私はほぼ毎月東京で約1週間を過す。ほとんどホテル住いである。長い習慣なので、あまり苦にならない。しかしこの5年程の間に、東京の町は見違えるほどに変化した。活気が戻ってきた。都心部に、超高層ビル、超高層マンションが林立しだした。地価は、ミニバブルの様相に近付きつつある。

 世界中の大都市を旅行して感じるのは、日本の過密と騒音である。反面日本の安全と便利さである。東京はその最もたるものである。世界中で、東京の都心部ほど交通網が発達し、どこへでも自由に移動できる都市はない。東京は、殆んど10分も歩けば、何かの駅がある。即ちどの土地も駅前の一等地なのである。土地は「一に立地」といわれる。「二に立地、三に立地」といわれる。その「立地」が、東京の都心では、一等地ばかりなのである。このような現在の状態を作り出した先輩達に感謝しなければならない。

 かつて、アメリカと日本が、世界経済の牽引車といわれた。今東京が、日本経済の牽引車になろうとしている。東京は日本でないという人もいる。石原都知事は「日本の改革は、東京から」と常にいわれている。東京を別世界と冷やかに見ているだけでなく、東京の動きをつぶさに見ながら、地方の活性化を図る必要がある。地方には地方のよさがある。「○○らしさ」を忘れず、地方からの情報発信を続けることで、新しい発展が期待できる。今がそのチャンスである。

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期待される人間

平成18年10月26日
○期待される人間

 ノーベル賞作家とその息子の話を、当社の社外取締役の蜂屋良彦文学博士から聞いた。重い障害を持つ息子に対して、周囲の人達は、当然のように「何かをしてあげたい」と思い続けていた。逆に息子は、「何かをしてもらいたい」とは思わずに、「父親を助けたい」「父親に何かをしてあげたい」と思っているというのだ。

 人は、人に期待される人になりたいと思っている。ところがそれに気付く親も教師もあまりに少ないのは悲しい現実だ。教育の根本は、愛情を持って人を育てることだ。それは期待される人間を育てることだ。その為には「期待する」という一番大切なことを忘れてはならない。教育の根本は「期待する」ことに尽きる。

 生徒は先生に期待されることによって目の色が変ってくる。欠点を直すのは至難の技であり、成功の確率は限りなく低い。いかなる優秀な教師も、生徒の欠点を直すのは難しい。なぜなら、自分の欠点を知っているのは生徒自身である。一番よく知っている。その欠点を指摘されることによって逆効果が起きる。欠点を意識しすぎるのだ。そして反発につながる。 

 期待されると人は変る。欠点を見ず、よい点を捜しそれを褒め讃えることにより、良い点を伸ばすのだ。よい点が伸ばされてくると、まわりの見る目が変ってくる。生徒は自信を持つ。いつの間にか欠点は小さくなり、その内、消えてなくなってしまう。得意技に磨きをかけると勝てるといわれているのも、これと全く同じことである。

 期待される人間になりたいというのは、万人の持っている夢である。親は我が子に期待をかける。教師は生徒に期待をかける。上司は部下に期待をかける。これがすべての必要条件である。そして成長を促す為に「褒め言葉」を用意しなければならない。温かいまなざしと愛情を持って・・・。

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ほめられて

平成18年10月25日
ほめられて

 母は和裁塾を若い頃から始めていたので、私の家にはいつも若い女性達で一杯であった。母の教え方は厳しかったが、最後に必ず一言ほめるのを常とした。叱りっぱなしは人を育てないということをよく知っていたのだ。

 私は母によくほめられた。戦前の「長男」の地位は大変高く、みんなが大事にしたものだ。祖父にとっては、父母ともに養子養女であったので、尚のこと初孫の男子であった私を大事にした。戸主は男系相続で、全財産を長男が相続した。戦後の農地開放、戸主制度廃止、男女同権などの新法が決まり、世の中は根本からひっくり返ったような様相を呈することになった。しかし長男が家長という考え方はしばらく私の家にも残っていたようである。

 「ほめる」ということは「人を育てる」ことにつながる。「ほめる」為には、相手をよく観察し、その長所、美点を見つける必要がある。そこに愛のまなざしがある。

 「ほめられる」ということは、何をほめられても悪い気はしない。当然その結果、自信が持てる。勇気が湧いてくる。私のような凡人を、母は上手にほめあげて、少しずつ軌道修正をしてくれた。

 母の最後の言葉は「たのむよ、弦司さん」であった。私と妻の二人が枕頭で手を握って見送った。最後まで力の乏しい息子を勇気付けてくれた母であった。

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びわ湖メッセ

平成18年10月24日
○びわ湖メッセ

 明日から3日間にわたって「びわ湖メッセ」が長浜市を中心に開催される。会場は長浜ドーム、そして周辺のホテル等である。「21世紀は環境の時代」ということで、世界中が地球環境維持保全の為の運動を始めている。「京都協議書」が承認され、その隣県の滋賀県において「環境保全のためのびわ湖メッセ」が回を重ねて開催されてきたのは誠に喜ばしい。びわ湖へは幾十という河川が流れこんでいる。しかし流出している川は一本しかない。びわ湖が関西の人々の水ガメといわれるのはそのためである。びわ湖が汚染されると京都や大阪の人々の健康が直ちに危険に陥る。びわ湖の水質保全は1000万人の健康に直結した問題である。

 滋賀県の人々は早くから環境問題に取り組んできた。菜の花プロジェクトはそのすばらしい成果である。天ぷら油の回収、ジーゼルエンジン用燃料への使用、菜の花を植えて、花を楽しみ、菜種油をとって天ぷら油に使う。この環境保全のサイクルを回そうというのである。私は早くからこの考えに共鳴し、発案者の藤井 絢子さんを安土に尋ねた。そして福井のエコフェスティバルでの講演をお願いしたのはもう3年前のことであった。それから福井県でも菜の花プロジェクトの賛同者が出てきたのは、嬉しい限りである。更にその輪が広がっていく事を期待している。

 滋賀銀行の環境保全に取り組む企業への「制度融資」も、特筆に値いする。これはISO認定企業や、環境保全活動に熱心に取り組んでいる企業、団体への特別融資制度である。企業のCSR活動の事例としても、尊敬すべき好事例である。エコ商品、エコ企業、エコ活動が一堂に会し、討論し、互いに情報交換をするこのメッセの更なる発展を祈りたい。

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使命感で熱い人生が送れる

平成18年10月23日
○使命感で熱い人生が送れる

 百歳を超えて生き抜いた日本彫刻界の雄、平櫛田中の色紙を、元三越百貨店理事、当社社外取締役の越田久康さんにいただいた。

    いまやらねば いつできる
    わしがやらねば たれがやる

 白寿の色紙と二枚いただいたので、九十八歳の老年の筆になるものと思う。筆勢がすばらしい。「使命感」に燃えている。熱い思いが伝わってくる。 

 「使命感」を持っているかどうかで、人間は変ると、私は考えている。「使命感」を持って生きている人は強い。そして究極の勝者となる。「使命感」が人の能力を何倍にも、何十倍にもしてくれるからだ。「使命感」を持っている人は魅力的だ。そして美しい。なぜなら、物事に熱中している人を見ることは、励みにもなり、強く引き付けられる。物事に一心不乱に取組むことで人は大きく成長する。

 「まちおこし」の運動を始めて、あっという間に早や10年が過ぎた。コインパーキングを普及させ、駅前や繁華街の一等地にあった「月極駐車場」を、誰でも、何時でも、安く、安全に、安心して利用できる「無人の、時間貸駐車場」に切りかえる「駐車場革命」を標榜して、「使命感」を持って走ってきた。そして駐車場だけでは不足だと気が付いた。魅力あふれる個店が必要であり、商店街の連携が必要である。いま取組もうとしているのは、全国の地方都市の中心市街地の活性化である。コンパクトシティの実現である。都心居住の推進である。まだまだやるべきことが多い。

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一隅を照す

平成18年10月20日
○一隅を照す

 夜明けと共に世界を照す太陽をあがめる「太陽神の信仰」は、太古の昔より深く人々に信じられてきた。我々人類の生きる目的を捜す旅を、旅する人々は、有史以来決して少なくない。哲学者、宗教家、芸術家、政治家など数多くの人々が「真に生きる目的」を求めてきた。

 私は幼い頃から宗教心を涵養するよい環境の中にいた。私の生家は八幡神社の森にほど近く、幼稚園は森の一隅にあった。また、大通寺という東本願寺別院もすぐ近くにあった。長浜のまちは神社、仏閣を中心とする祭りが年中行われており、子供心にも、神や仏への尊崇の念を感じていた。私の家の奥座敷には仏壇があり、浄土宗の浄国寺の和尚さんが毎月月参りに来宅され、その都度家にいる家族全員がお経を聞き、焼香した。また、床の間には神棚があり、これまた毎月、神主さんが月参りの祝言を上げに来宅された。一斉に拍手を打って神前にお参りをしていた。

 大学に入りキリスト教を知りたくて、SCAというクラブでクリスチャンの友人達と、チャペルアワーに参加したり、英語の聖書を読む集いに出席した。新島襄に強くひかれていったのもその頃である。小野高治教授(当時は助教授)のゼミで、「マックスウェーバー研究」をしたのも、近江商人が悩んだのと同じ悩みを、プロテスタントの商人達も悩んでいたからだった。

 神道、仏教、キリスト教が私の体内で何の抵抗もなく一つになっていくのは、生活の中に密接に重なりあって存在していたからであろうか。

 いずれの宗教からも、私は同じものを教えられた。それは「一隅を照す」ということに尽きる。生きる目的を私は常に数値化している。存在の証拠は付加価値であり、その極大化こそ、私の生きる目的である。己の為の付加価値など存在しない。そう信じている。

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暗夜行路

平成18年10月19日
○暗夜行路

 時代の流れに逆に棹をさして進むのは、大変に難しい。それは暗い夜道を、ただ一人行くが如く、誠に心細い。私の住む福井市の中心街は、この25年間に人口が半減(福井市全体では横ばい)し、高齢化率(65歳以上の住民の比率)が30パーセント(福井市全体では20パーセント)と高い。郊外の商業施設の比率は日本一高い。逆にいえば、福井市の中心街の商業集積度は日本一のワースト(悪化ナンバーワン)ということである。

 私は8年前から、古い歴史と伝統文化を持ち、美しい自然環境の福井市の中心街を、かつてのように活気に満ちあふれた町に作り変える為の運動を始めている。しかし夜の郊外のショッピングセンターの賑わいを見た後で、中心街のシャッターを下ろした店々の前を歩いてみると、無力感に襲われる。休日の昼間も同じである。車社会の成熟化がもたらした現象である。しかしワースト日本一はいただけない。何としてもベストテン入りを目指して努力を続けていきたい。

 「郊外が活性化するのは悪いことではない」という人がいる。郊外が活性化することと、高コスト都市経営がイコールになることが問題なのである。地球環境の保全が、21世紀最大の課題であるが、この課題を解決する方法は「コンパクトシティ」の実現である。人が中心街に住み、コンパクトな、低コストなまちづくりをすることである。それが分かっており乍ら、この流れを変えるのは並大抵の努力では不可能である。暗い夜道を、堂々と、たった一人で、歩いていく勇気と自信を持たなければ、不可能である。歩き出した私を、陰に陽に支えてくれる友は増えつつあるが、決して多くはない。

 人はなぜ都市に集まり、住み継いできたのだろう。それは安心、安全、そして安価であったからだと思われる。これからはこの安価という価値観に、更に環境への負荷を考慮したコストを考えなければならない。そして更に都市に住む理由は、魅力である。都市に住むことの魅力があったからこそ、人は都市に集まったはずである。「魅力づくり」、「らしさ発見」が今後の都市経営の根幹である。

 「都市の魅力づくり」とは、個々の商業施設の魅力を高めることである。魅力ある個店の育成である。若い力、新しい力、女性のパワーを集めることである。私は土地約160坪、建物約620坪のリニューアルに7ヶ月をかけた。福井の中心街にある。ここに低家賃で、敷金等のない入居しやすいテナントビルをオープンした。そしていくつかの仕掛けを作った。お年寄りのお参りが出来る地蔵尊の開眼、環境を次世代に引継ぐ為の地球環境ゼミナール、健康長寿の為のフィットネス、リサイクルの勧め、子供達の為の地球学の開講など。この企画が成功し、このシステムが全国に広がっていき、地方都市が活性化し、コンパクトシティの理想が実現出来るのを夢見て、暗夜行路を続けたい。

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失敗学

平成18年10月18日
○失敗学

 成功する為の本が、書店やインタネット上にあふれている。反対に「失敗学」についての本も、チラホラ見かけるようになってきた。「失敗学」とは、失敗について研究する学問である。人生七転び八起きというが、失敗を研究していくと、最後に成功することが出来るという単純なものではない。もっと本質的なものである。失敗することによって成功の可能性が生まれるといった方が正しい。失敗を怖れて、実行しない人が多い。それを機会損失という。失敗を恐がってはならない。失敗してもいいじゃないか。失敗してみよう。そんな気持でやりたい事に全力投球すると、不思議にすんなり成功するものである。

 私の人生は失敗の連続であった。それは黒く苦しい人生ではなく、逆にスリルと興奮に満ちた、すばらしい日々であった。失敗を繰り返すうちに、不撓不屈の負けじ魂を鍛える事が出来た。失敗の原因を考えるうちに、時代の流れを見る眼を養うことが出来た。そして大切なことは、自分の人生の目標が見えてきたことだ。一心不乱に取り組むことが出来る仕事がはっきりしてきたことだ。人は失敗を繰り返すことで、強くなれる。偉人といわれる人、政治家、実業家、教育者、学者、あらゆる成功者は、すべて大きな挫折を経験し、それを乗り越えて成長してきている。失敗の中から得ることが出来るものは非常に多い。反対に成功から学べるものは予想以上に少ない。

 たった一度しかない自分の人生を悔いのない、すばらしいものにするのは、自分の意志次第である。失敗を怖れず勇気を出して挑戦するところに進歩があり、幸せがあり、喜びがある。

 中高年になって失敗は許されないとよくいわれる。本当にそうだろうか。私は59歳で創業した。小さな会社だから数々の試練にほんろうされた。しかし、その課程でも、悔いのない、喜びの日々、感謝の日々を送ってこられた。失敗することも多かった。これからもまだまだ続く失敗の道である。しかし決して怯んではいない。

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上場企業の一極集中

平成18年10月17日
○上場企業の一極集中

 全上場企業約4000社の内、約半分の2000社が東京都に本社がある。異常な国、日本を象徴する現象である。資本主義の国では、株式公開(上場)が自由に行われるはずであるが、何故か日本ではこれが出来ない。上場企業数も日本は経済規模の割に異常に少ない。規制緩和が叫ばれているが、経済の根幹である株式上場というスタート台に上ることを妨げる障害が存在する。

 「自己責任」という民主主義で最も大切な原則を軽んじている風潮にも影響されているが、ライブドアや村上ファンド等の異常な事例を踏まえて、規制が益々強化されつつある。日本の将来のために、誠に憂慮にたえないことと言わねばならない。

 上場企業が少ないのは、東北、四国、九州である。県別では島根、秋田、徳島、長崎、宮崎で僅か5社にも満たない。地方の格差を痛感せざるを得ない。多い都府県は東京、大阪、愛知、神奈川、兵庫の5都府県。全体の約4分の3を占めている。

 地方の時代といわれているが、「上場」という地方企業繁栄の為の手段としてより簡素な方法を開発するという配慮が必要と思われる。最近上場する企業の本社は、殆んどが東京にある。これまた異常現象である。

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中心市街活性化

平成18年10月16日
○中心市街活性化

 私の戦いは、常に孤独な戦いで始まった。最初の試みは「たった一人での挑戦」だった。誰も助けてはくれない。苦しいけれど、つらいけれど、信ずる道を歩き続ける以外に道はない。そう思って努力していると、あちこちから声がかかり出す。人は見ているのだ。

 大切なことは、「それが正しい行為かどうか」。そして「私心や邪心があるかどうか」にかかってくる。みんなの為になる事であれば、救いの手が出てくる。

 中心市街活性化は、福井だけでなく、全国の主要都市で同じように求められている重要なテーマである。しかし、その実現の困難さは、やっている本人以外にはわからない。誠に厳しい。時代の流れに竿さして、逆の方向に向っているような錯覚にとらわれる。

 現代は車社会である。郊外の広い無料駐車場のある所へ、品揃えの豊富な所へ行くのが人情である。その一旦出来上がった人の流れを、逆の方向に戻そうとするのだから、並大抵の努力では、ひっくり返らない。

 国や地方公共団体は財政の困窮を理由に、時代は「コンパクトシティ」だという。私は「地球環境保全」の大命題と私の「勿体ない哲学」から考えて、「コンパクトシティ」以外の未来はないと信じ、その実現に全力を上げている。

 一滴の雨の粒が、大河の流れになるように、仲間を増やし、協力しあう友を捜している。情報発信や口コミによって、輪と和を広げていきたい。

 「コンパクトシティ」は「えきまえ」である。「えきまえ」の再開発が最も重要である。誰もやらないこと。誰もやれないこと、だから私達がやらねばならない。まちの魅力は旧市街に多い。歴史、文化、伝統、景観、そして何より歩いて楽しい、住んで楽しい、訪ねて楽しいまち。それが求められている。それを作るのが私達の仕事である。

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道路交通法改正の影響

平成18年10月13日
○道路交通法改正の影響

 本年6月1日に道交法の改正によって駐車場ビジネスの業界に大きな影響が出るとの観測が早くから流されていた。この影響が少しずつ実感されるようになったのは、本年1月頃より、他業界からの新規参入が始まったことによる。また既存のお客様よりの受注も月を追って増えてきた。ピークは6月であった。

 お客様の情報によれば6月1日以降の駐車場の売上高は、都心部において10〜20%増であるのに対し、郊外や住宅地では殆んど変化がないとのこと。仮に都心部の売上比率の高いお客様の場合(都心比率50%とした場合)には売上高は5〜10%上昇していることになる。また仮に都心部の売上比率の低いお客様の場合(都心比率10%として場合)には、売上高の上昇は僅か1〜2%に過ぎないことになる。

 しかし、日本経済が本格回復を迎える前夜にある中で、売上高の10〜20%上昇や1〜2%の上昇は決して小さい数字ではない。何故なら売上高の上昇は殆んど純利益の上昇となるからである。 

 都心部の土地の価格の上昇が、今コインパーキングの地代の上昇を引き起しつつある。この地代上昇の影響は今後この業界にとってマイナス要素になることと思われる。

 またマンションやビルへの転用が駅前などの一等地から徐々に進みつつあることも気になる現象である。道交法改正の影響は、決して一過性のものではなく、ボデーブローのように徐々に浸透してくると思われる。私達が使命感に燃えて積極的に進めてきた「駐車場革命」=月極を時間貸に=有人を無人にという運動が、今まさに脚光を浴びつつある。この喜びの種、この幸せの種をまき続けていきたい。

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霞たなびく

平成18年10月12日
○霞たなびく

 「かすみ」という言葉がある。雲や霧、そして霞というが、その霞である。私の住む永平寺の陋屋からは季節を問わず、この雲の変化、霧の誕生、そしてたなびく霞の饗宴を見ることが出来る。雲は東方の城山の上を、殆んど毎日北から南へ動いていく。雲は高い。霧は城山や私の名付けた「ゲンジ山」のまわりから沸き出てくる。杉木立から湧き出てくる霧は、何本も、何本もあり、少しずつ湧き上ってきて美しい。

 そして霞は、南から北へ、永平寺のある方向から谷伝いに九頭竜川に向ってゆっくりとたなびいている。霞が幾すじもの流れになり、少しずつまわりの風景を消していく。我が家の白く塗り直したテラスが、雨も降らないのに朝の陽光を浴びて光っている。彼岸を過ぎた今は、太陽が城山より顔を出すのが遅くなってきている。6時半やっと顔を出した。

 福井に日本最古の天守閣を持つ城がある。丸岡城という。かつて国宝であったが、福井大震災で壊れた後に修復された。修復された時の部材がごく一部新しいものを使ったという事で、戦後、国宝から除外されたという。国宝とは一体何だと疑問を抱く人は多い。この日本最古の美しい城の名を「霞ヶ城」という。織田信長の第一の臣といわれた柴田勝家が、その甥 柴田勝豊に作らせた。その後勝豊は近江長浜城に移り、安井家清に在番させた。関ケ原の役の後、結城秀康(徳川家康の次男、二代将軍秀忠の兄)が北ノ庄城へ入った時重臣の今川盛次を、そして次には本多成重を丸岡城へ入居。その後丸岡藩として独立。その後有馬清純が五万石の城主となり、明治まで続いた。霞ヶ城はここから数キロ北へ行った所にある。霞が出るとその中に埋没して、敵の目に見えず、攻められることがないという言い伝えがある。雲や霧、そして霞の美しい山里である。

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巣鴨の「とげぬき地蔵」

平成18年10月11日
○巣鴨の「とげぬき地蔵」

 東京の北の方角、JR山手線と都営三田線の二駅が交わるところ、巣鴨は「お年寄りの原宿」といわれる。駅から歩いて数分の「とげぬき地蔵」にお参りのお年寄りが多い。その駅からお地蔵さんまでの間の商店街は活気がある。お年寄り向けの商品を扱う店が並んでいる。他の商店街とは全く違う様相を呈している。色彩は地味。しかし清潔。店員の応対は丁寧で親しみ易い。商店街全体がお年寄りを大切に迎える空気がある。

 とげぬき地蔵のいわれは知らず、このお地蔵さんを迎えて福井のえきまえ活性化に役立っていただこうと永平寺の系列曹洞宗の心月寺松原和尚を尋ねた。そこで意外なことを教えられた。この有名な「とげぬき地蔵」は福井出身なのだとのこと。不思議なご縁に驚くと同時に、まさに仏のありがたさに驚喜した。

 私達のまちおこしの第三の拠点(第一は本社のあるセントラルビル、第二は健康長寿の癒しのヘルシープラザ)エコライフプラザの一階に「健康長寿のふくい、生き生き地蔵尊」をお迎えすることとなった。毎月地蔵盆と同じ24日のお昼時、曹洞禅宗のお坊様を迎えて読経いただくこととなった。

 願わくばこの「生き生き地蔵」が「とげぬき地蔵」と同じように霊験あらたかにまちおこしの仏として、えきまえ活性化を願う人々に慈悲を与えられんことを乞い願っている。

 仏教ではお釈迦様の後、56億7千万年の後に仏が再来され世界を救うまでの間地蔵菩薩がこの世を守るといわれている。この有難い地蔵尊に感謝し、健康長寿に感謝し、生き生きと生き続けていきたいものである。

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「おいしい日本一」

平成18年10月10日
○「おいしい日本一」

 日本一住みやすい県日本一に輝く福井が、またまた日本一をとった。インターネットでの調査「じゃらん宿泊旅行調査2006」である。リクルートによれば、福井県は都道府県別ランキングで「おいしい食べ物が多かった」で第1位となった。関西エリアからの旅行者の支持を集めたと分析している。「グルメ旅行者の舌」を満足させている結果である。

 宿泊旅行の目的では42%近くの人が「おいしいものを食べる」を第1位に上げており、グルメ旅行のニーズが高い。このことはホテル・旅館・民宿をはじめ、観光事業に携わる者にとって、朗報であると同時に、福井の「カニ」をはじめ、新鮮な海の幸だけに頼るのでなく、新しい特徴のある味覚の開発に尽力していくことが必要。

 地酒や上庄いも、越前そば、西田梅、三里浜らっきょ、美山の赤かぶ、勝山の水菜などまだまだ宝物はたくさんある。若狭の「クエ」も有望だ。大年屋の豆腐、竹田の厚揚げなど豆腐懐石料理の材料にも事欠かない。御食国若狭と越前を持つ福井県の可能性の高さに、地元の私達が早く気付いて、この豊富な食材に、誇りを持つことが大事である。

 加賀懐石や京懐石、北海道や四国、九州を抜いて堂々の日本一の評価を得たこの事実を忘れてはならない。

 21世紀の日本は、「おいしいものを少しずつ食べたい」という国民の欲望がますます膨らんでいく時代に入る。それに適合する食品や料理の開発が望まれよう。「健康長寿食」などはその最たるものであろう。

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高志塾について

平成18年10月6日
○高志塾について

 ベンチャー企業として、高い志を持ち、大きな夢を持ってスタートした私達が、ある程度の基盤が固まり、安定成長軌道に乗ったと判断したのは、創業8年目を迎えた今から約2年半ほど前の2004年の春の頃であった。

 その当時の風潮は失われた10年を取り戻し、閉塞状態の日本経済に風穴を開け、ブレイクスルー出来るのは、創業起業家の輩出であるという空気が流れていた。

 そこで私達は、拙い経験が少しでも社会のお役に立てばと考え、「高志塾」を開塾した。そして数多くの出会いをいただき、いくつかの実績を上げることが出来た。最近では公共をはじめ、商工会議所や各学校、金融機関等でも同様の趣旨で種々の講座が開かれだした。私達が当初目指した一応の目的は、ほぼ達成出来たものと判断するのは、少し早計でろうか。

 これからは団塊世代の大量退職の時代を迎える。受皿はもう十二分に育ってきている。そこでこの団塊世代の方々に対するプレゼントとして、評論家鶴蒔靖夫さんに「日本システムバンク」のことについて本を書いていただいた。まだ題名は決まっていないが、『59歳からの挑戦』であろうか。先に発刊されている月刊うらら編集室の『夢への挑戦』と併せて読んでいただくと、勇気が湧いてくると思う。

 「21世紀は環境の時代」である。このテーマを常に念頭に進む必要がある。福井という一地方都市から、日本全国へ、そして世界中へ、種々の情報を発信し続ける為に、今迄の高志塾を衣替えしたい。そして「環境についての研究の基地」として「デジタル地球大学」を開講する。テーマは「地球環境」、京都造型芸術大学の竹村真一教授が発明された「デジタル地球儀」を使って講義を行う予定。講師は地球に関する日本有数の学者を招きたい。場所は福井駅前の「エコライフプラザ2Fのキッズグローブ」。毎月1回、約2時間の講演と討論を今迄通り行いたい。乞ご期待。

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日曜日の社長室

平成18年10月5日
○日曜日の社長室

 私の日課は朝4時起床。それから約2時間頭の体操をして、7時半出勤。始業までの1時間社長室で一人でゆっくり考える時間を持つ。この社長室での朝の1時間が貴重である。しかし、日曜日に社長室へ入ると不思議に孤独を感じる。誰もいない、静かな社長室周辺の雰囲気は、毎朝の早朝と何ら変らないが、日曜日に社長室へ入ると自分の無力を知らされるようだ。

 社長は会社の代表だ。社長の能力と努力で会社は変るとよくいわれる。しかし日曜日、静かなオフィス街で、一人社長室に座っていると、その言葉は決して正しくないということがよくわかる。僅か200名足らずの小企業ではあるが、社長が会社を代表してはいるが、本当の代表は誰かを考えてみると、それは社員であることにすぐ気付く。社員が会社を代表している。社員が会社の代表者である。

 私は社員の一人一人の顔を思い浮かべて、密かに労いの言葉をかける。よくやっているね。ありがとう。

 近江商人の金言に「三方よし」がある。仏教の世界で「十方世界」という。「三方よし」は売り手よし、買手よし、世間よしである。「十方世界」とはあらゆる空間を意味する。私の事業のすすめ方は「三方よし」から「十方よし」に進化させている。即ちあらゆる空間を意味する「十方」とあらゆる時間をも含めた「十方」、過去、現在、未来を含めた「十方」がすべてよいやり方で仕事をしようと考えているのだ。

 私を支えてくれる社員、育ててくれたお客様、お取引先、株主、地主、金融機関、地域社会のすべての人々によかれというやり方で仕事をしていきたい。「十方よし」を具現化するのが私の一生の仕事である。

 日曜日の社長室は社員の大切さを思い起こさせる。そして未来への挑戦の意欲を与えてくれる。感謝。

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越前海岸

平成18年10月4日
○越前海岸

 今日は10月の第一水曜日、ロータリークラブの例会の日であるが、先日越前海岸をドライブした。久しぶりの快晴に恵まれ、三国から東尋坊への散歩道、荒磯の道を妻と歩いた。高見順の文学碑がある。何度読み返しても胸にくる詩だ。「黒い日本海」と彼がいう海は、今日は沖縄の海のように波静かで、青々としている。決して黒くない。また今日は秋なので「吹雪」でもない。高見順の心象風景と、目の前のすばらしい眺望とを比較しながら、私は彼の悩みの深さと、その反面、故里を思う心の切なさをしみじみと感じる。

 三国には戦中戦後の一時期三好達治が住んだ。彼を訪ねて、多くの文人が三国を訪れている。彼のかつての偶居で、今日は昼食を旧友を交えていただくこととなった。海岸の高台に建つ、ステーキハウス「三好楼」である。眺望のよいことは文句なし。三好達治が愛した「藤棚」が残っていて芝庭によくうつっている。

 三国は冬のエビや越前ガ二が有名で、毎年越前ガニを皇室に献上している。雪の降り出す頃、12月上旬から1月下旬までがカニの最もおいしい季節ということで、シーズン中はすべてのホテル、旅館、民宿が満員になる。

 三国生まれの薄幸の美人 森田愛子は、伊藤柏翠の紹介で高浜虚子に師事し、その三人の句碑が東尋坊の一隅に残っている。私の好きな愛子の句は、鎌倉から小諸の虚子を思う一句。

虹の上に立てば小諸も鎌倉も

 そして重病の床より電報で届けた最期の一句。

ニジ キエテスデ ニナケレド アルゴ トシ アイコ

 三十歳の、俳句一筋の生涯であった。高浜虚子の晩年の名作に小説「虹」がある。そして私の贔屓のうなぎ屋の箸袋に、俳誌「花鳥」を主宰していた伊藤柏翠の句が残されている。柏翠も生涯を通じて、俳句三昧の生活を送っていた人である。

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自動車関連ビジネス

平成18年10月3日
○自動車関連ビジネス

 トヨタとの関係は学生時代に溯る。ゼミの小野高治先生がアメリカのイェール大学へ博士留学をされる時、私達に残された言葉の一つに「アメリカのビッグビジネスは、自動車メーカーだ。ビッグスリーというGM、フォード、クライスラーという巨大企業である。日本もいずれ自動車の時代が来る。君達の就職の面倒は、アメリカからでは見てあげられないが、時代の先を見て就職を決めよ。そして選んだ職業を天職として努力せよ」とあった。

 私は小野教授の言葉通りトヨタ自動車工業を受験した。10月1日にすべての一流企業が全社一斉に就職試験を行った頃だ。当時自動車産業は、マイナーな時代で、車を運転する人も少なく、自動車学校はすべて外車の中古で教習を行っていた。しかし昭和33年10月はナベ底景気といわれた、ドン底の状態であった。マイナーといわれるその頃のトヨタへも、大阪の試験場だけでも750人もの学生が押しかけた。当然入社は出来ず、片思いの恋は破れた。

 次のチャンスは20年後に巡ってきた。トヨタが新しい販売チャンネル「ビスタ店」を立ち上げるというニュースだ。これに立候補することになり、パートナーの運送会社の社長と一緒に何度も何度もトヨタ自販の名古屋本社へ通った。そして獲得した「トヨタビスタ福井」の初代の代表を5年間勤めさせていただいた。初恋の相手と結ばれた記念すべき1980年4月のことである。

 それ以来車ビジネスとは深い因縁で結ばれている。コインパーキング事業の会社を設立した1996年7月も、車ビジネスなら大丈夫、特に駐車場のニーズは大きいとの確信があったからだ。また車のリサイクル法の制定前に、この仕事は誰かが命がけてやらなければならないとの使命感の下に、全国のトヨタ系ディーラーの経営するリサイクルの別会社を歴訪し、種々指導を仰ぐことが出来た。そして福井県で車のリサイクル事業に着手した。日本初の手分解による車の解体業のスタートである。

 時代の先を見る、時代の声を聞く。よく見ること、よく聞くことが何より大切である。車関連ビジネスはまだまだ発展する。自動車関連部門へ多くのベンチャーの参入を期待している。

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「十方よし」「三方よし」

平成18年10月2日
○「十方よし」「三方よし」

 近江商人の基本的な考え方として「三方よし」がよく指摘される。身分制度が厳しかった時代には、自由に他の地方へ出て歩くことは出来なかった。また土地に縛り付けられていたので、なお更他郷をまわることは難しかった。近江商人がどこへ出稼ぎに行っても、どこへ定着しようとしてもまず自分を受入れてもらうことが何よりの前提であった。その為に生まれた思想が「三方よし」という考え方である。商売の道標と言ってもよい。三方とは「売り手」と「買い手」と「世間」である。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の商法を確立することが、見知らぬ土地で成功する秘訣となっていった。

 私は59歳で創業し、全く新しい、全く経験のないビジネスをスタートするに当り、この近江商人の「三方よし」の考え方を分析した。物を売買する場合は、売り手と買い手とそれを取り囲む世間の三つがある。しかし私の場合は、小さいけれど、会社を興すので、社員がいる、株主がいる、下請がいる、金融機関も、地域社会も存在する。国民としての国家への義務を考えると同時に、創業を支援してくれる家族や友人のことも考えなければならない。また競争相手、同業者のことも考える必要がある。お客様には私の提供するサービスに満足してもらうことが大切だ。土地を貸してくれる地主さんには今迄より多い地代を提供したい。

 新しい事業を興すのであるから、私の存在が、誰にとっても邪魔にならないものにすることは出来ないのだろうか。すべての人に利益を与える方法はないのだろうか。まわりの誰にも損をさせないビジネスとは何かを考えた。

 そして「駐車場革命」を確立していった。「勿体ない思想」を具現化していった。「十方よし」を作り上げていった。「三方よし」を基本としているが、自分の利益を度外視するところからスタートしたのだ。自分以外のすべての人々に「喜びと幸せ」を受け取ってもらえることを目指した。まわりすべての人々を「十方」と呼ぶのである。「まわり」即ち「十方」「あらゆる方向」の人々すべてが喜ぶこと。それを「十方よし」と私は呼んでいる。私のビジネスの根底にある考え方である。

 「十方」とは、社員であり、株主であり、土地を貸していただく地主であり、その土地の管理をしている賃貸業者であり、資金を貸してくれる金融機関であり、仕入先の各企業、部品やサービスを提供してくれる各企業、地方税を支払う先であると同時に支援してくれる先でもある県や市、国税を支払う先であると同時に私達を守ってくれる先でもある日本国。そして私達の家族。友人知人。報道機関。

 仏教で「十方世界」と呼ぶその「十方」のことである。その「十方」すべての人々が喜んでいただける道を捜し出して、一歩一歩、ヨロヨロと歩いている。歩みはヨロヨロと見えようとも、志は固く、信念は強く、希望に満ちあふれている。
 「十方よし」を高く掲げて歩み続けたい。

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