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福井の宝
平成18年12月12日
○福井の宝
「北前船」に代表される海運は、鉄道が日本中に敷設されるまで、唯一最大の運輸機関であった。江戸(東京)、浪速(大阪)そして河川で京都を結び瀬戸内海を経て日本海へ出て若狭・敦賀・三国を通り更に北上して蝦夷地(北海道から樺太)までを往来した。主要な蝦夷地の産物に昆布がある。三種類の異なる地域の異なる昆布を採取し、それを中継加工地の敦賀や富山で下し、さらに加工品を最終消費地へ運んでいた。昆布は食料として使われると同時に医薬原料としても使われていた。昆布の最大の消費地は沖縄であり、富山である。
富山や敦賀で加工された昆布は薩摩(鹿児島)から琉球(沖縄)を経由して中国へ輸出されていたのである。「北前船」は、樺太から日本海沿岸を通り、遥か沖縄を経て中国へ到る壮大な海の流通ルートの立役者であった。
敦賀や三国の北前船の船主達の活躍の歴史をひもとき、このすばらしい交易の実態を是非後世に語り伝えていきたいものである。そのキーワードの一つが「海流」であり、「昆布」である。そしてその「海流」の上を「昆布」を積んで走った「北前船」である。
北前船は日本海側に大きな富をもたらした。そして今なおその可能性は残されている。産地と加工地と消費地を結ぶ「日本海ルート」である。
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