幸、不幸はあざなえる縄の如し

平成19年6月22日
幸、不幸はあざなえる縄の如し

 縄を作ったことがある。家の土間の三和土(タタキという)の片隅に御影石が埋め込んであった。その石の上で玄能という木づちを使い、ワラの束を丁寧に何度も打ち、ワラを軟かくする。そして二筋のワラの束を、手につばして、より合せていくのだ。

 子供の頃であったので、私の作る縄は太かったり細かったりする。一緒にいる祖父の縄は太くて均一で見事な出来であった。

 縄を作り乍ら祖父は「幸と不幸は順番に出てくる。丁度この縄のようだ。縄目を見るとよくわかるだろう」と教えてくれた。

 私達はよい事が起きると元気になり、強気になり、永久に勝ち続けることが出来るように高揚する。反対によくない事が起きると意気消沈し、弱気になり、もうダメだと引っ込み思案になってしまう。

 しかし、物事には必ず反動が来る。時計の振り子はチクタクチクタクと反復運動を繰り返している。幸せの絶頂でも油断せず万全の配慮をすることだ。また不幸のドン底にいる時は、絶望の淵から近いうちに必ず脱出できることを信じて努力することだ。

 物事には表裏がある。もっと正確に言えば、多面性を持っている。一概に幸とか不幸とか決めつけることが出来ないのだ。だから幸福な時、よく気を引締め、八方に気を配ることこそ肝要である。

 会社の業績が予想以上によいこともあり、満70歳を過ぎた日に社長を長男に譲った。代表権を持たない非常勤の会長になった。人は「おめでとう」と言ってくれる。長男に私が言えることは「油断するな」の一言である。

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投稿者: jsb 日時: 2007年06月22日 09:00

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