家庭の崩壊と企業責任

平成19年11月6日
家庭の崩壊と企業責任

 教育の危機が叫ばれている。躾が出来ていないのだ。かつて当たり前であった三世代同居は夢物語になってしまった。仕事が忙しい父とパートで働く母と孤独な子の3人世帯が標準家庭である。「孤独な」というのは「1人っ子」という意味と「いつも一人ぼっち」という二つの側面を持つ。厳格な父はいない。優しい母もいない。生活の知恵を授ける祖父母もいない。喧嘩と闘争に終始するテレビやゲーム、マンガだけがある。

 日本のアニメの評判は悪くない。しかし評判のよいのはアニメ製作のテクニックである。内容ではない。暴力的な内容に対する批判は、予想以上だ。公害タレ流し以上に、暴力肯定とも思える日本製アニメに対する風当たりはきつい。子供に対する悪影響を心配しているのだ。しかるに日本ではもう批判する人はいない。困ったことだ。

 家庭の崩壊の危機は過ぎたともいわれている。既に崩壊してしまっているというのだ。手遅れなのだ。それでは対策はと考えると、残され道は、企業責任である。企業が受け皿となって、躾や道徳教育をする時代が来た。殆んどの有力企業が、社員研修にマナー教育を重点的に取り入れている。長幼の順、敬語の使い方、話し方からおじぎの仕方に至るまで、懇切丁寧に教えなければならない。

 同時に企業は、社員である父や母を、家庭に帰すことにまで責任を負わされている。本来職場は仕事をするところである。社員の研修は仕事に関することに限定されるべきものである。しかるに今日ではそれでは全く教育の用をなさない。それ程家庭や学校での躾や道徳教育を含む常識的な基礎訓練が出来ていない。

 そこで私達の会社では、入社早々より「お掃除」と「挨拶」は徹底的に教え込む。人間としての根本精神の修練と考えるからである。それが企業責任の一つと考えているからである。毎日毎日お掃除をし、礼儀正しい挨拶をしていると見違えるように成長するのがよくわかる。崩壊した家庭再生の為にもプラスになると考え、私も自らゴミ拾いをしている。

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投稿者: jsb 日時: 2007年11月06日 09:00

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