音楽の楽しみ方

平成20年10月17日
音楽の楽しみ方

 「原始女性は太陽であった」と平塚らいちょうは高らかに女性解放を宣言した。世界でも稀な女性の地位向上が可能になるきっかけになった瞬間である。その後次々と女性達の熱い戦いが続いたのである。

 「原始女性は太陽であった」と同じ頃、「原始音楽は民のものであった」のである。解放された女性と共に音楽は広く民の生活の中に息づいていた。その後時代の経過と共に、音楽は貴族のものとなっていった。

 敗戦後、すべての日本人が自信をなくし、希望を失い、その日暮らしの暗く厳しい生活を余儀なくされた。その時一条の光がさしてきた。「リンゴの歌」である。「青い山脈」である。ラジオや映画をとおして全国の津々浦々にまで歌われ、日本を、日本人を救ってくれたのは音楽であった。歌であった。

 福井県は小さな県である。人口も少ない。県内生産高も少ない。しかし音楽の点では、過去も現在も層が厚い。世界中で活躍している音楽家が多い。その音楽家たちを育てた土壌について、友人達と意見の交換をした。理由の一つは福井県民の信仰心の厚さだという。神道の「おかぐら」、仏教の「声明」の長い伝統が生き続けているのである。次の理由は私立仁愛短期大学の音楽科の存在である。この学校へ有名な教師が来て、生徒を育て、そして生徒達は都会の音楽大学へ進学し、その一部が世界の有名校へ留学していったのである。有名な教師の元へは幼少の頃から教えを乞い、通ってくる子供達が大勢いる。

 音楽の楽しみ方も上手である。戦災、そして震災と何度も大火災で焼失した町に「福井文化会館」が完成したのは今から40年前のことであった。ある先輩の言葉が忘れられない。「このホールの音響効果のバランスのよさは全国でも珍しい。いずれ時代が変り、このホールを建て直すという話が出たら反対してほしい。音のよさはお金で買えない。バランスなのだ」。音響のよさは、残響感、方向感、広がり感や音の明瞭さを示す「C80」「D値」などで判断される。

 その後福井の郊外に大小の「音楽堂」が建てられた。福井のえきまえにも「響きのホール」ができた。音響の点でも上々の出来である。しかし音楽堂やホールで聞く音楽会と生活の中で息づく音楽とはまた別のものである。もっと身近に、もっと楽しく、一緒になって音楽をと思う人も多い。生活の中に音楽を取り入れることで潤いのある、豊かな毎日が送れるのではないだろうか。

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投稿者: jsb 日時: 2008年10月17日 09:00

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