ふるさと

平成21年8月10日
ふるさと

誰にでも「ふるさと」はある。転勤族の子供達の中には、「私にはふるさとと呼べる所はない」と嘆く人もいるが、「一番印象に残っている所はどこか」と質問すると、すんなり答がかえってくる。そこが「ふるさと」なのである。
「ふるさとは遠くにありておもうもの、そしてかなしくうたうもの、よしやうらぶれて、異土のかたいとなるとても、帰るところにあるまじや」の室生犀星の歌を私は何度心の中で歌ったことか。「ふるさと」は「帰るところ」なのか、「帰ってはいけないところ」なのかを自問自答する機会が何と多かったことだろう。
福井県知事の西川一誠氏の提唱した「ふるさと納税」が実現した。地方の発想が採択された珍しい例である。そして最近「ふるさとの発想、地方の力を活かす」という書名の本を岩波新書で出された。早速買って読んでみた。そして驚いた。感動したのである。知事がこれ程までに県民のことを思い、日々の仕事に精励されているのかと気付かされた。そして福井県民であることの幸せをしみじみ噛み締めた。
少し前のことになるが、同志社大学の米井嘉一教授に「福井のみなさんはお幸せですね」といわれたことがあった。西川知事の卓見と行政手腕を褒めての言葉であった。最近地方の知事が活発な発言や行動をして注目を集めるケースが増えている。「福井県発ふるさと納税」や「道州制への疑問」や「ふるさとの発想」などは特筆すべき快挙である。
団塊世代680万人は、今、永年勤務した組織から脱出し、新しい始動をはじめつつある。その流れの行く先はどこへ向うのであろうか。地方にとっては大きな影響を受ける問題である。彼等が選ぶ「新しいふるさと像」とはどんなものになるのか。彼等の余生はあと20年、第二の人生か、第三の人生をどのように生きていくのか。自然環境のよい所を選ぶのか、生まれた土地へ帰るのか、都会に残るのか、外国へ移住するのか。いずれにしても団塊世代の諸君は、新しい目的意識を持って行動しようとしている。「仕事をしながらそこで終の住処になるところ」を捜す――この考え方が主流になるであろう。その目的意識にあったところを作ればアイターン、ユーターンを含め、団塊世代の人々をも迎え入れることが出来る。
アメリカ人は、ハッピーリタイヤメントと言って、出来るだけ若い年齢で引退し、フロリダやカリフォルニアの海岸で、釣り三昧やゴルフに熱中することを理想とする人々が多い。「福井県」を日本のフロリダ、カリフォルニアにする方法を考えることも、必要条件の一つかもしれない。農林水産業を含めて、彼等のための受け皿づくりが出来ないものであろうか。

投稿者: jsb 日時: 2009年08月10日 10:01

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