越前おろしそば

平成22年8月31日
越前おろしそば

夏の暑い日、車で丸岡町竹田までそばを食べに行った。福井県下には有名なそば屋が数多くある。「千古の家」という国の指定文化財になっている古民家の門に連なる小さなそば屋である。丸岡在来種の全粒粉を使った十割そばを食べさせてくれる。
夏休みの最後の日曜日だったせいか。今日は超満員である。水車小屋をのぞこうと思って近付くと女主人の坪川さんが、畑からねぎの束を抱えて降りてくる。「あら野坂さんいらっしゃい」と言いつつ、忙しそうに小屋に下りていく。
この千古の家はすべてが自家製である。大根、ネギ、丸岡の醤油、丸岡竹田のそばなどすべて地のもの。地産地消である。そしてここへは本当のそば好きが集まってくる。そば名人がそばを打ち、それをすぐにゆで、おいしい地下水でさらして、大根おろしとネギで食べさせてくれる。
この千古の家の「そばがき」は絶品である。いくら誉めても誉めすぎることはない。そばの味と香がすばらしい。ほんのりとした上品な甘味を感ずる。葉らんの上に熱湯でかいたそばがき。わさびと大根おろしとネギとでいただく。コップの水のまたおいしいこと。今日の暑さは格別。麻ののれんをゆらす風が心持よい。
そばの祖神は元正天皇(女帝)といわれている。養老6年(西暦722年7月)、国司にそば栽培をすすめる命令を出している(続日本書紀)。その年発病し、泰澄大師に白山神社に病気平癒を祈らせ、快癒した。その為泰澄大師を尊崇、何度も都へ呼び寄せたと伝えられている。その往還の折、各地に神社仏閣を作り、十一面観音菩薩を彫ったと言い伝えがある。若狭羽賀寺の十一面観世音菩薩はその元正天皇像といわれている。
越前おろしそばの祖は江戸時代初期徳川家康の次男結城秀康が68万石で福井に入城した時、副将本多  が越前武生に入り、「おろしそばの祖」といわれている。その前、一乗谷の朝倉五代(戦国大名)の頃にそばが広く栽培されていたとの伝承がある。結城秀康やその後の松平一門の動向を辿ってみると、そばの有名な土地、信州、結城、出雲などが浮かび上がってくる。本多 は土木建築に優れた譜代の名門で全国各地の土木工事にその名をとどめている。徳川一門の譜代の中で、特異な存在であったようである。
福井県の前知事栗田幸雄、現知事西川一誠ともに福井県の中央部の出身で「越前おろしそば」の振興に情熱をもやされた。そばの情報発信、消費拡大、生産振興、研究開発に並々ならぬ努力をされ、それが見事に開花している。
 

投稿者: jsb 日時: 2010年08月31日 10:47

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