2012年04月のアーカイブ

グループセラピー

4月27日
グループセラピー
ガン治療や精神病の治療によく使われるのが、グループセラピーである。あるグループに所属していると、グループの中に共通認識が生まれ、グループに対する所属意識が育ってくる。これはグループ内での情報交換をくり返すことにより自然にかもし出されるものである。自己とグループとの違いを自覚すると同時にグループとしての共通の考え方や文化が生まれてくる。この文化を治療に生かすのである。その効果は予想以上のものがあり、医療の最前線で使われている。末期ガンや終末医療などでは倍以上の延命効果を認めるケースすらあることは、人間は孤でなく、個でもなく、絆の中で生きるものであることの証左である。企業や団体の中にあって、グループ全体を統合する文化、目標、哲学など共有するものが必要である。共通の夢や希望を持ったグループは無敵である。当然そのグループの急成長が期待できるのである。

変化はチャンス

4月26日
変化はチャンス
日本の高令化がどんどん進んでいる。それと同時にシルバーマーケットは急成長しつつある。私は老人市場に興味を持っている。今後の成長市場は新興国マーケットと同時に、先進国のシルバーマーケットである。どの分野を狙うか、それが問題だ。しかしどの分野にもチャンスは一杯ある。衣も食も住もOKだ。そして趣味の世界の可能性も大きい。自分の好きな分野、得意技を生かす道を捜せばよい。時代の流れを把むのも面白い。自分で新しい風をおこすのもすばらしい。団塊の世代の再挑戦がいよいよはじまろうとしている。平均寿命は女性86才男性80才といわれているが、実際の老人の死亡予想は、女性95才男性90才と思われる。この長い老後をいかに楽しく元気で生きていくか、その為の新しいマーケットはまさに黄金の輝きを持った新市場となろう。

大学の経営

4月25日
大学の経営
アメリカの大学では、在学中はもちろんのこと、卒業後も、卒業生をサポートするシステムが出来上っている。私が卒業した同志社大学は毎年11月の第1日曜日に、ホームカミングデーがあり、京都御所の北隣りの今出川校舎を開放して行われる。毎年総長をはじめ教授連中が校内の各所に立ち、久しぶりの面会を楽しんでいる。OB、OGの会合も各県毎に組織されており、そこを訪問すると兄弟のように親しく面倒を見てくれる。私達の福井県のOBOG会は「同志社人の集い」ということで、大学と女子大学の合同で毎年開催し、100名以上が集まり、とても仲が良い。大学や女子大学からは総長や校友会長等が参加し、理想的なスタイルを維持している。寄付金を集める時も、大いに力を発揮するのは、常日頃の努力の賜物である。愛校心を高めるには「ホームカミングデー」や「同志社人の集い」をつづけたり、各地でのOBOG会の組織化が重要である。

池田町の木の里工房

4月24日
池田町の木の里工房
ブータン王国とよく似たところというので池田町を訪れた。木の里工房とは長いおつきあいである。池田町一帯はまだ雪が残っている。山林が多く、木材に関係する人々が多い。久しぶりに小型の桐タンスを見付けて店用に購入した。工房の中は木の香りにつつまれている。つい手で触ってみたい誘惑にかられる。杉本博文町長にアポなしで面会を申込んだが外出中とのことでまたの機会を期待して帰路についた。福井から1時間もドライブすれば山間のなつかしい景色や優しい人情に出あうことが出来る。福井はよいところである。

サウルコス

4月23日
サウルコス
サッカー北信越一部リーグのサウルコス福井の新体制報告会と感謝の集いが先日ユアーズホテルで開かれ、招待されて出席した。4月8日開幕を前にして石田監督をはじめ選手28人からJFL昇格への抱負がのべられた。このサウルコス福井は、「NPO法人福井にJリーグチームをつくる会」の梶本知暉理事長の下、福井にサッカーを根付かせる運動を続けてきた。地元の方々の支援のお蔭と選手1人1人の情熱によってやっと今日を迎えたものである。私は石田監督が「今までは自分の為にサッカーをやってきた。これからは他人の為、福井の為にサッカーをやる」との力強い宣言に大いに感動した。今年はJFL昇格の夢が正夢となるよう祈っている。

NPO法人「幸福の国」

4月20日
NPO法人「幸福の国」
ボランティア活動が日本で定着してきた。今度の3.11の大災害において、特にその効果的な、スピーディな、心のこもった対応に注目が集まっている。福井県はNPO法人が150団体も登録されており、人口割でみると日本一活発かと思われる。今度の災害でも何組もの団体がボランティアに出動した。その献身的な努力に深く敬意を表したい。
4月からの新年度でNPO法が少し変更になる。それを機に、私達はNPO法人「幸福の国」を立上げることとした。役員・社員50名、会員300名以上をめざして活動を開始する。福井県が本当の意味の理想郷・桃源境になるよう盡力していきたい。

幸福と健康

4月19日
幸福と健康
国民の幸福度世界一をめざしているブータン王国へ行ってみようと思う。幸福とは何かを考えつづけている私は、健康長寿という人間の夢と、幸福とが非常に近い関係にあるように思える。いや幸福と健康は長寿に限らず、年令に関係なく、等しいものと思える。ブータン王国ではどうだろう。それを自分の目で確かめに行きたい。豊かになれば幸福になれると考え、遮二無二努力してきた私達日本人は、戦後の混乱の中で経験し、みんなが持っていた小さな幸福を失い、今、茫然自失の状態である。豊かになったけれど、小さな幸せをなくした人が多い。自殺する人が毎年3万人をこえる。こくな筈ではなかったと思う。健康についても問題が出てきた。老人がふえて病院はいつも一杯だ。しかも心の病いを持った人が急増している。何かがおかしい。私達はどこで間違ってしまったのか。何を間違ってしまったのか。それを捜しにブータンへの旅を思いついた。

東洋医学と西洋医学

4月18日
東洋医学と西洋医学
オランダ医学からスタートした日本の西洋医学は最近までドイツ医学の流れで、内科系、外科系とわかれて対症療法を中心に発展してきた。精神系は最近心療内科を施せ脳と心を中心に著しい発達をしている。その特徴は心と身体とを別々のものとしてお互に影響しあう研究を行っている。東洋医学(インドのアーユルヴェーダ・漢方)が最近急に見直されてきた。その理由は心と身体を一つのものと考えて病気や健康を診断し治療するからである。いや病気と健康も別々のものとせず、病気を健康な状態の一部分として見る。健康人から病人までを7段階にわけて診断治療するのである。人間の心身は一元的なものであり、細菌、ウイルス、ガン細胞、放射線、ストレス、ニコチン、過剰カロリー、過剰塩分、過剰脂肪などに自発的に反応し、それを撲滅し、正常な状態を保つ力がある。人間には自然治癒力があるので病気にかからない人を最右翼に位置づけ、病気にかかってしまった人を最左翼にして、健康状態の良否によってその間を5段階即ちすべての人間を7段階に分類する。そのレベルは固定したものではなく食事や運動、睡眠、ストレスなどの外的影響を受けて、常に上下に変動するといわれている。健康という概念をもう一度考え直すために、私はアーユルヴェーダを研究してみようと思う。

日本の伝統文化

4月17日
日本の伝統文化
白鳳天平時代と呼ばれているのは、仏教文化の花開く天武持統天皇から淳仁、祢徳天皇の頃である。今に残る法隆寺、薬師寺、東大寺が次々と建立された。特に薬師寺金堂の薬師三尊像、東院堂の聖観音像は彫刻史上最高のブロンズ像である。岡倉天心も激賞している。東日本大震災1周忌法要がその金堂で厳修された。山田法胤師をはじめ全山の僧、数多くの参拝者と共に金堂三尊像と約1時間に亘って対面し、感激にひたった。午前11時から明るい陽ざしの中で、1300年以上もの昔に鋳造されたとは信じられない程の、生き生きとした尊像との対面であつた。
日本の国宝はそのほとんどが、仏教に関する寺院や、彫像、ブロンズ像の仏像、寺院に残る絵画などである。換言すれば日本の伝統文化の流れは、日本古来の神道よりも、インド・中国・朝鮮などを経て伝えられた仏教に求めることが出来る。そしてこれ等の伝統文化は、もはやインドや中国・朝鮮にあるよりも、日本に残っているものが多い。日本のほとんどの都市はアメリカ軍の無差別攻撃によって廃墟に帰したが、貴重な寺宝などは被災をまぬがれて今日地球上に残された。命がけで守った祖先のおかげである。子孫の宝である。この伝統文化を守り、そのすばらしさを世界にアピールする方法を考えたい。現代はデジタル時代である。この伝統文化をデジタル化してこれを世界にアピールすることをライフワークにしたいと考えている。

農業の可能性

4月16日
農業の可能性
福井県の農業は米農家が多い。都市近郊の農業ではないので野菜類の出荷が少い。果物類の出荷も少い。米の生産は1500年以上歴史を遡ってみても、米中心の農業だったことが判る。日本の米は保護され、優遇されていたから今日があるという説がある。TPPに加入して関税が撤廃されたら、日本の米は壊滅してしまうというのである。日本の米はそんなに弱いのだろうか。一粒の米は一年で何倍になるのか、知っている人は少い。一粒の米は一年で百粒になると仮定すれば七年で一兆粒になる。実はそれ以上の生産性を持っている。これ程の成長するものは他にはない。米は日本の歴史上でも特別なものである。天皇家の行事はすべて米にまつわるものである。最近でこそ外交などの行事が増えてきているが、根幹をなくすものは農の本、米に関する行事である。TPPへの加入を恐れて逡巡するのでなく、日本の米に自信を持ち、この保護育成と更なる努力をするのが政治であり、行政である。そして農業団体である。私は「米」ほどの高い生産性を有するものを他には知らない。米の可能性は非常に高い。若者の農への参入、企業の農への進出、そして米の生産性を更に高める研究、省力化の研究などやるべき事は多い。

日本海沿岸

4月13日
日本海沿岸
歴史を遡ると日本海側は長い間日本の先進地帯であった。それが僅か100年程の短期間に太平洋側と大きな差が出来てしまった。その理由は何だろう。敗戦後の日本が大陸よりも、アメリカの方を向いて、経済活動に終始したことも一因である。そして大陸の中国がロシアが朝鮮韓国が日本が学ぶべきものを失っていたことも一因である。北前船が明治に入って突然その意義を失い、急速に没落していったことを考えあわせると、輸入、輸出する物資の向先が大陸から世界全体へと変わったことも原因している。輸送手段が小型・中型船舶から超大型の船舶へ変ったことにより、日本海側の港湾整備が遅れたこともある。また海路から空路への転換に、日本海側がついていけなかった。それ等の空港や港湾の後背地に産地が集積し、コンビナートが次々建設され、雇用が生まれ、人口が集中していったのである。それを決定的にしたのが太平洋ベルト地帯を完成させた「新幹線」と「高速道路」の建設である。この交通インフラの整備によって、日本海側は完全にかっての輝きを失い、先進地帯の地位を奪われてしまった。しかし残っているものは多い。それは私達の祖先が数千年に亘って蓄積してきた文化遺産である。生活習慣である。自然との共生である。太平洋側が失った精神の高揚、美しい水、米、食料、そしてお互いの絆が日本海沿岸にはそのままの状態で残っている。これは日本の宝、人類の宝である。私達はもっともっと自分達の持っている物、持っている心に自信を持つべきである。

精進料理

4月12日
精進料理
福井は浄土真宗が盛んである。県内各地に「報恩講料理」と称する精進料理が残されている。一度食べたら病みつきになるなつかしい味である。昔から法事などで出されるお膳は、県内の河和田地区でつくられる越前漆器(河和田塗)で、食事用の器としては全国一の実績を誇ってきた。その中心に「うるしの里会館」がある。漆器は英語で「ジャパンウェアー」と呼ばれ、世界中に愛好家がいる。精進料理の膳はすべて漆器で統一され、目に入るところは金縁の赤漆塗で側面や足部は黒漆塗、フタ等には蒔絵のものもある。総じて料理の色彩を引き立てる工夫がされている。懐石料理のようにあらゆる素材を使う器の使い方でなく、漆器で統一したお膳は懐石料理の華やかさと違った、独特の雰囲気をかもし出している。鯖江市西袋町の「うるしの里会館」へ行くと「椀椀」という喫茶店でこの精進料理を提供している。「うるしの里ご膳」と指定するとよい。忘れられない味を楽しむことが出来る。
前日迄に要予約10人程度以上@2,500〜3,000円、土・日曜10時〜4時

社会保険庁

4月11日
社会保険庁
AIJビジネスの破綻とそれをめぐる社会保険庁のOBの天下りの問題が報道され、多くの識者の批判が相次いでいる。2,000億円もの国民の年金がなくなったというのである。以前から厚生年金事業団の資金で、全国各地に施設が数多く作られてきたが、そのほとんどが赤字で閉鎖された。資産売却も不透明な背景の中であまり進んでいない。その矢先の出来事である。国民の財産を国が預かっているのは元郵政省の貯金と簡易保険、そして厚労省の厚生年金が大きい。その他にも各省庁でいくばくかの預かり資産を所有しているがこれ等資産の残高が、明確に国民の目にふれる機会がない。そして「このままでは年金は支払えなくなる」という狼少年めいた発言がしばしば無責任に報道される。年金とは少くとも一世代即ち30年単位で設計され、徴収され、運用され、支給されるべきものである。その運用責任者である国から、「このままでは…」という発言が出てくるのは信じられないことといわねばならない。ましてや今回のように天下りOBの関与した不祥事には厳罰でのぞむ必要がある。

21世紀のジャパニーズドリーム

4月10日
21世紀のジャパニーズドリーム
20世紀は戦争と破壊と復興の時代であった。そして何よりも経済重視の時代であった。1950年からはじまった経済成長によって日本は、1990年には世界のトップランナーにまで登りつめた。そこで私達が手にしたのは何だったのか。その後の20年以上にわたる低迷の中で私達は苦悩しつづけた。日本のGDPが世界一になっても、国民一人当りのGDPが世界一になっても、本当の満足は得られない。それに気づいたのだ。そこで世界を見渡すと、1970年代にブータン国王(第4代)が国際会議で主張した「GNPでなくGNHを目標にする」という画期的な目標である。私は59才で起業した。その時社是を作った。社是の中身は私が長年勤務した企業の社是(私が制作したもの)をベースにしたが、その最初に「喜びの種、幸せの種を蒔こう」という一言を挿入した。GNHの思想を社是にこめたのである。岩波書店の社章や、ミレーの種蒔く人、日本の童話の花咲爺や聖書の一粒の麦にも通じる一言だ。21世紀のテーゼは「人々の幸福」である。経済を追い求める国々や覇権をいまだに求める国々に対して、その誤りをただし、正しい国家目標に目ざさせるべきは「幸福」である。「平和」である。私は自信を持って主張したい。21世紀のジャパニーズドリームは、「身心安楽即ち幸福である」これをすべての人々が目標とし、それをかちとり享受することである。

大飯原発

4月9日
大飯原発
関西電力の大飯原発の再稼働について、原子力安全委員会は妥当との結論を出した。これは経産省原子力安全・保安院の妥当との判断を了承したという事である。但し、今後の対策を求めているのが27項目にも及んでおり、地元の同意の重要度が増した表現である。
また被害拡大防止対策を検証する次の評価方法を検討すべきとの表現もあり、責任ある表現かどうかに議論が集まりそうだ。大飯原発3・4号機は国のゴーサインの準備が整った最初のケースである。福井県は福島県と並ぶ原発県である。それだけに原発再稼働に対する重要な責任と義務を負っていることを忘れてはなるまい。国もそのことをもっともっと認識し福井県民への配慮を重ねなければならない。これは基地問題での沖縄県に対する国の配慮の足りなさによる混乱と同様に、同じことが福井県でも起きないように願っている。

ブータンとの交流

4月6日
ブータンとの交流
京都大学の山岳部がヒマラヤをめざしていたのは今から30年程前のことである。そしてネパールやブータン、チベットからヒマラヤの高い峰の登はんを試みた。そこでブータン王国を知った彼等はブータン王国との交流のために日本ブータン友好協会を設立。濃蜜な関係が今日まで続いている。私達はブータン王国にロータリークラブが未だに設立されていないのを知り、この設立の為の手助けをしたいと考えている。更に青少年の交換留学、米山奨学生の受入、各業界団体の交流を行い、お互いの目指すところ即ち、幸福と平和を世界に広める運動を行いたい。
夢は大きく、志は高くを意識しながら、小さな第一歩を新年度の2012年4月1日に踏み出す所存である。

幸福

4月5日
幸福
「幸福」という言葉が日本語として使われるようになったのは割合新しい。明治時代からである。仏教の言葉だと身心安楽という。英語ではハッピネスという。私の会社では「喜びと幸せ」という。ブータン王国では国が目標としているのが「幸福の追求」である。
これは私達の多くのものが、すっかり忘れてしまった大切なものである。20世紀は世界が「経済の発展」に全力でとり組んだ時代であった。貧富の差が広がり、世界の各地で紛争が起きている。物質的な競争からは何も生まれてこない。過当競争から生まれてくるのは醜い人間の欲望であり、もたらすのは幸福とは似てもにつかぬ不調和である。
反対に身も心も安らかに楽しい環境にいると真の幸福を実感できる、そんな幸福の国を作りたい。

仏教伝来

4月4日
仏教伝来
インドで生まれた仏教はヒマラヤの北を通り中国へと伝来した。ヒマラヤの南を東に向って伝来したのを小乗仏教という。ブータン王国の国教とされる仏教は、チベット仏教の系統である。大乗仏教系である。玄奘三蔵法師が中国から遠路インドへ渡り、数多くの経典を持ち帰ったのは約1300年程前のことである。そして驚くほど早く、日本へその教えがもたらされた。玄奘三蔵法師が往来したシルクロードを故平山画伯が30年という長年月をかけて描き、奉納された日本画が薬師寺にある。見る者に仏教伝来の神秘をひしひしと感じさせる名作である。タテ2.2m、ヨコ49m、天井もすべて画伯一人の筆で描かれている。
新しい日本国の宝「国宝」の名に値いする名作である。平和と幸福の象徴といっても過言ではない。私が幼少の頃、夢中になって読んだ孫悟空の物語を平山画伯は夫人と共になぞって歩きスケッチを重ね、画室に籠って描きあげられた稀に見る大作である。
これ程の大規模な芸術作品は世界中を捜しても類がない。私が「国宝」と呼ぶ理由である。

福井の上場企業

4月3日
福井の上場企業
期末に向って株価が大きく動き出している。福井県の全上場企業の株価の動向を調べてもらった。昨年9月末の株価に対して直近の株価は、約1.2倍に上昇している。昨年の株価より下っているのは16社中僅かに3社だけ。それもごく僅かの下げである。一番上ったのはH+Fの1.7倍、前田工繊の1.55倍、三谷セキサンの1.45倍である。しかも3社共連結PBRは0.7〜0.8近辺で解散価格を下回っている。最近サンケイビルが親会社によりM+Aされた時の株価はPBR1.0を下回っていたが、買上価格はPBR1.0と同額で決着したことを契機として、PBR1.0割れの銘柄の株価の見直しがすすんでいる。福井県の企業のほとんどはPBR1.0倍割れではあるが業績見通しが改善され、株価も上昇し、明るいきざしが見えてきた。この傾向は福井県だけに限ったことではないが、特に福井の企業の堅調が目立つ。

戦後を生きた幸福

4月2日
戦後を生きた幸福
朝三暮四という諺がある。猿に豆を与えるのに朝三つやって暮四つ与えたら猿がおこったが、朝四つやって暮三つやったらおこらなくなったという。これは目先のことにとらわれる猿が多いということにつながる。私は戦争中を国民学校生として過し、戦後に小学生として卒業した。激動の世代の人間であるが、とに角目先がくるくる入れ替り何を信じてよいのか判らない時代を過した。鬼畜米英から急転直下親米路線へ。義務教育が小学校6年から中学校3年まで延長。農地解放、預金封鎖、高インフレ、食料不足など戦後の5年間は全く混沌の中にあった。その中で育った私達ではあるが、今思うと隣近所とのおつきあいの濃さ、子供同志の遊びやゲームの工夫、そして何よりも助け合いの精神が生きつづけていた。着るものは乏しく、ワラ草履やゴム草履、ゲタが一番多かった。食べものは極端に不足し、栄養失調で死んだ人が多い。
そんな中でも人々は元気に明日の希望に向かって努力していたように思う。すべての人々が困難な状態にあり乍ら助けあい、はげましあって生きていた。同級生(小・中・高校)は竹馬の友として今でも私の会社の後見役をつとめてくれている。持つべきものは生涯の友、親友である。全く何もない物資不足の時代であったが、実は豊かな人情味あふれた時代なのであった。