黄金の国ジパング

10月31日
黄金の国ジパング
15世紀以降東南アジア海域に世界中の商人が集まった。マルコポーロは日本へは来なかったが東方見聞録で日本を「黄金の国ジパング」と紹介している。当時の日本は金や銀の産出量が多く、海外との取引の中心は金、銀と世界中の珍しい文物との交換が行われた。
珍しい記録がある。ドイツ人のケンベル(1651―1716)が1690年から92年の間の日本に来て「日本誌」を書いている。江戸時代であるが引用する。
日本人は習俗、道徳、技芸、立居振舞の点で、世界のどこの民よりも優れている。国内の交易も盛んで、田畑は肥沃。頑健な体と豪胆な精神を持っている。生活必需品は豊富で、国内は永い平和が続いている。世界でも稀に見る「幸福な民」である。鎖国をし、一切の交流を断ち乍ら、国民が幸福を満喫する時代は他に例を見ない。
また明治初期に世界中を歴訪したイギリスの女流探検家イザベラバード(1831―1904)の「日本奥地紀行」も面白いので引用する。
南方に繁栄する米沢の町がある。北方には湯治客の多い赤湯があり、全くのエデンの園である。田畑は鍬で耕したというより、鉛筆で描いたように美しい。米・綿・とうもろこし・煙草・麻・藍・大豆・茄子・くるみ・水瓜・きゅうり・柿・杏・ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディアである。自力で栄えるこの豊かな大地は、これを耕作している人々が所有する。
美しさ、勤勉さ、安楽さに満ちた魅惑的な地域である。山に囲まれ、明るく輝く松川に灌漑されている。どこを見渡しても美しい。豊かな農村である。

投稿者: jsb 日時: 2012年10月31日 09:12

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