世界の秘宝

9月30日
世界の秘宝
百済の聖明王から仏像、仏具、経典と共に仏教が渡来したのは西暦538年。おそらく九州や日本海側へは、継体天皇即位(506年)以前から伝えられていたであろう。日本仏教の特長は偶像崇拝からスタートしている。それだけに仏像に対するこだわりは、中国や朝鮮とは大差がある。そして飛鳥・天平・奈良時代を通して、世界の秘宝と目される仏像が次々と作られていった。史上に残るだけでなく現在に伝えられている世界の宝である。まず一人目の止利仏師の作品は飛鳥寺の丈六の釈迦如来606年作1196年焼失、高麗の大興王より黄金320両がこの鍍金のため届けられた。葛井寺千手観音像、聖林寺十一面観音像、法隆寺金堂薬師如来像、この光背に銘文あり。夢殿の救世観音像が優品である。法輪寺の薬師如来像、虚空菩薩像の二体の木像も寺伝で止利作という。止利(鞍作鳥)の祖父司馬達等は522年に南朝の梁より渡来し、天皇に舎利を献上、蘇我家につながる。父は百済仏工鞍部の多須奈と記され、用命天皇の為に出家した。伯母の嶋女は善信尼として女性初の出家をし、尼たちの指導者となった。
二人目の漢の山口大口費の作品は法隆寺金堂に集まっている。木造の四天王の内広目天を作ったと光背にある。多聞天は薬師徳保作とあり、四体を助手二人との、四人で作ったと記されている。百済観音像は日本特産の樟で作られた最高の傑作。
三人目の仏師は当摩寺四天王の作者(白鳳期)、法隆寺五重塔の塑像群(709年)涅槃の仏師と同一人物?
四人目は仏師将軍万福。興福寺の十大弟子と八部衆を作った。画師は秦牛養734年作とある。これまた最高レベル。
五人目は相李の田次万呂。東大寺三月堂の梵天、帝釈天、金剛力士吽形、四天王像も同一人物作であろう。但し吉祥天像は別人の作?
六人目は天才国中連公麻呂(公万呂のサイン残る)で、東大寺三月堂の日光月光菩薩像が傑作。不空羂索観音像も優品。東大寺戒壇院の四天王像、新薬師寺の十二神将像、唐招提寺の鑑真和上、法隆寺の行信僧都等の作品もみな世界の宝である。
これ程の文化遺産が奈良という小さな古都に残されているのは正に奇跡である。広く世界の人々にこの存在を知らせて、人類の文化遺産として大切に伝承すると共に、震災やテロから守護していく重大な義務が私達にはある。
この文章は田中英道著天平のミケランジェロよりの抜粋によるところが多い。

投稿者: jsb 日時: 2014年09月30日 09:01

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