広島長崎

4月24日
広島長崎
広島は世界初の原爆投下により1945年8月6日に一瞬にして壊滅した。私達の縁者の軍人は爆心地にいて即死。その夫人は爆心地から遠くない旅館の階段の踊り場にいて、膝まで壁土にうずまったが奇跡的に生命をとりとめられた。私は幼少よりその夫人から大きな精神的なパワーをいただいたが、1970年代に逝去された。夫を亡くされたあと、生涯1人で生活されていたが原爆症の心配に悩まされながら30年もの長い間、普通の生活をされてまわりの私たちを激励していただいた。広島も長崎も原爆投下により10万人、7万人もの人々が死亡した。生き残った人々の調査が行われ、記録によると500メートル圏内の生存者は78名もいたのである。全員が高被ばくを受けていたが健康をとり戻し死亡時の平均年齢74才。80才台が13名、90才台が3名と長生きしているとの記録がある。原爆投下後に救援のために入った人々も数多くいた。そして復興はその日のうちに始まり、8月中にはどんどん進んでいったとのこと。広島の路面電車は原爆投下の2ヶ月後にほぼ全線が復旧した。アメリカの進駐軍による現地での調査も、直ちにはじまっている。アメリカの医師、通信員も現地へ入り、生き残った人々の検証に余念がなかったとのことである。彼等も何の防護服も着ていなかった。しかるに福島県下における原発事故の現状を見るに、核アレルギーにおびえる私達の姿に唖然とする。311の日からもう4年もの年月が過ぎた。復興は掛け声ばかりで、低レベル放射能への対応に追われている。広島・長崎の経験は全く生かされていないのはまことに残念至極である。まして原発がその後4年間に次々と休止に追い込まれいまだに稼働ゼロ。政府も電力会社もあらゆる関係者も人が変わったように臆病になり、何の対策も打とうとしない。私達はもう一度、広島・長崎の原爆(これは福島原発の何万倍もの放射能汚染)からの復興の意気をとり戻す必要がある。 

投稿者: jsb 日時: 2015年04月24日 09:05

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