四季つつじ

8月8日
四季つつじ
生家の庭に四季つつじが植えられていた。年に何回も赤い花を咲かせる大株のつつじは、庭の主のようであった。和歌をたしなんでいた母の傘寿の祝いに、歌集にまとめることを提案した。その歌集の題が「四季つつじ」である。身のまわりのことを歌いこんだ母の和歌は、選者や諸先生の目から見ると「身びいきが過ぎる」といわれたが、私から見ると愛情にあふれた秀歌が多い。若い頃に京都で和裁の技を身につけ、和裁塾の塾頭として一生を全うした。それから20年が経過したが、私も傘寿を迎えようとしている。幸いにも「四季つつじ」を出版する費用を分担した妹も弟もまだ健在である。母が生涯をかけて愛したきもの、日本の民族衣装、世界に類のない伝統の美である「和」を再現したいと考えてきたが、今回長浜の「黒壁」のすぐそばにささやかな展示館をつくった。「和の仕事」と命名した。母の名は通称「和代」であり、和服で通した生涯であった。妹は浜ちりめんのメーカーへ嫁ぎ、弟は親戚の経営するビロードの産元商社を継いだ。商社へ入社した私を除いて繊維産業に関連した人生である。長浜のまち全体が太閤秀吉の頃から楽市楽座の職人や商人のまちであった。もう一度湖北の繊維産業復興ののろしを上げたいと念じている。

投稿者: jsb 日時: 2015年08月08日 08:59

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