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人情
5月29日
人情
飢餓で苦しんだ終戦後の混乱を知る人は少なくなった。食べるものがないというのはどんなにつらく苦しいことか、経験した者でないと分からない。しかし日本中が食糧難に苦しみ、みんなガリガリに痩せた。栄養失調(食糧不足)で死んだ人が多かった。教師が配給の食糧だけで栄養が十分なはずだと強く主張し闇で流通した闇米を買わずに死んだという新聞記事に驚いた。町内の人々も、親戚の人々も、貧しい中をみんなで分かち合って生きのびた時代である。私の家は前庭や少し離れた所の畑で野菜をつくっていた。祖父はその野菜を家の前の小川で洗い近所の家々へ無償で配るのである。そして「あげるというな、もらってくださいと言って置いてこい」と教えられた。下町の人情話であるが、町内全員の家々の内情までみんなが知っていた。町内全員が琵琶湖の湖岸でさつま芋を植えたり、道路の両端に大豆を植えた。食べられる草かどうかを小学校で教えられた。そんな厳しい時代であったが他人を思う温かい人情は生きていた。しかし親しい友が死んだときはみんなで泣いた。つらい思い出である。
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