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美術との出合い
平成18年7月14日
○美術との出合い
同志社大学へ入学して一番楽しかったのは、クラブ活動であった。私はSCAとクラマ画会へ入会した。SCAはキリスト教主義に基づく教育を目指す新島襄が設立した同志社の根底を知るために入会した。また将来外国へいくための勉強と位置づけた。もう一つのクラマ画会は、学生会館の古びた部室にあった。
絵描き然とした先輩から、油絵の理論・実技等親しく教えていただいた。当時は二科、独立、新制作といった在野諸団体が京都市美術館の広い大きな会場で競い合っていた。東郷青児の特徴のある大壁画が河原町三条上ルの朝日ホールの外壁を覆っていた。彼のモダニズムが一世を風靡していた頃だ。また河原町四条を上ったレストランスエヒロの壁には棟方志功の版画がかかっていて、とても気になったのを覚えている。先輩や後輩から次々とプロの絵描きがクラマ画会から巣立っていった。そんな中で「実存主義」などの美術論、芸術論を戦わせる研究会も毎月開催していた。週末にはスケッチブックを片手に嵯峨野や北山方面を歩いた。スケッチブックは単なる散歩の小道具だったのか、あまり風景画は残っていない。とに角、美術三昧の生活であった。
今から振り返ってみると、誠に幸せな日々であったが、当時は真剣に悩んでいた。絵について、人生について。
若い日に描いた夢は老年になると必ず実現するという。私は芥川賞をもらい、小説家になる夢。プロの絵描きになる夢。画商になる夢。商社マンになって世界を相手に貿易する夢。など異質な夢をいくつか持っていた。結果的には卒業と同時に商社マンになる道を選んで就職した。
絵描きになる夢は、その後細々と描き続け、日曜画家の端くれになった。今は寸暇とてなく、絵筆を持つことはここ十年来殆んどない。「生涯現役」を提唱しているので、絵を描く機会を期待できないのが残念である。
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