カネボウについて

平成18年9月11日
○カネボウについて

 滋賀県長浜市、琵琶湖畔に、カネボウの大きな工場があった。戦後の繊維ブームの頃には、女工さん達が大勢働いていた。工場の中に定時制の高校もあり、その規模の大きさには、子供乍ら興味を持っていた。

 その後同志社大学を卒業し、福井の三谷商事へ入社。入社と同時に大阪勤務となった。梅新。大阪駅前で、国道1号線の終る所、そして国道2号線の始まる所。その交差点ほど近くに大阪営業所があった。一階が事務所、二階が社員寮となっていた。大阪駅前は当時、第一生命ビルが新築されたばかりで、梅田ビル、阪神百貨店、阪急百貨店など僅かなビルがあるだけであった。後は闇市場のようなバラックに近い商店街が並んでいた。この闇市場が、次々と再開発されていった。再開発第一ビル、第二ビルと続いた。福井本社に勤務となって、大分年月が経過していたが、分譲となった第二ビルに、三谷商事が入居した。元の建物のすぐ目の前のビルだからだ。第三、第四ビルが完成し、梅田新道も大きく変貌した。

 その同じ第二ビルにカネボウシルクエレガンスが入居していた。社長は山崎達夫氏。三谷商事の役員であった私は、幼い頃からのカネボウへの憧憬の念、禁じ難く、カネボウへ石油の売込に行ったのだ。当時カネボウの天然繊維は、中国へのシフトが始まっていたが、残存の日本の工場へ、次々と石油納入をお願いしていった。その後山崎氏はカネボウ繊維の社長、そして本体の常務、専務と昇進された。

 カネボウの長浜工場売却の報を新聞で知り、長浜駅に近い工場立地を知っていたので、真剣に、買収を検討したが、福井のセーレンが買い取られた。KBセーレンとして操業中である。

 この度ご縁のあった山崎達夫氏を当社の社外監査役としてお迎えすることとなった。大所高所からのご指導ご叱正を心から期待致している。同時に、人の縁の不思議さに驚くと共に、常に謙虚に、感謝の生活を送りたいと念願している。

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投稿者: jsb 日時: 2006年09月11日 09:32

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