ものは取りよう、考えようで変る

平成18年9月21日
○ものは取りよう、考えようで変る

 宗教も、哲学も、心理学も同じことを言っている。それはあらゆる事象は、本人が好むと好まざるとにかかわらず、「結果は決っている」と考える人々が多いが、それは完全に間違っているというのだ。あらゆる物事は心の持ちよう、気の持ちようでどうにでも容易に変る。言葉を変えると「ものは取りようで変る」「ものは考えようで変る」というのだ。例えば同じものを見て、「白と思えば白」になり、「黒と思えば黒」になるということだ。

 「幸せの種、喜びの種をまこう」を、私は会社の社是の第一に掲げている。「幸せ」について考えてみよう。「幸せ」は誰にでも簡単に手に入る。これは信じるか信じないかで決まる。例えばボーナスを10万円もらって「10万円しかくれない」と考える人は100万円もらっても満足しない人だ。即ち「幸せ」を手に入れられない人になる。逆に「10万円もらって有難い」と考える人は、既に「幸せ」を手に入れている。
雨の日に空を見上げて「嫌な日だ」と思いがちである。しかし、庭の植物や畑の作物にとっては慈雨になっている。有難いなと考えられるようになると「幸せと喜びを具現できる人」になっている。

 夏の暑い日に「嫌な天気の日だ」と思いがちである。しかし海岸で泳いでいる人達は嬉しいだろうな。登山している人達も、ハイキングしている人達も、大いに汗をかいで楽しいだろうな。今夜のビールが楽しみだと考えると人生は変る。

 失敗をした時にその失敗に打ちひしがれる人と、その失敗から学ぶ人との差は大きい。失敗をしたら、クヨクヨする暇などない。原因は何だったのか。そしてその対策はと考えていくと自然にプラス思考に変っていく。失敗から学ぶ姿勢が大切なのだ。失敗を恐れず、失敗はチャンス到来と考えるのだ。そうするとひとりでに成功に近付いていける。

 古今東西から、宗教も、哲学も、心理学も同じことを言っている。「ものは取りよう、考えようで変る」と。しかし私達は、こんな簡単な真理でさえ、なかなか信じられない愚かな存在である。とりあえず、今日から、これを信じて、幸福の女神をしっかり把んで生きていこう。「この世は闇」いやいや「この世は極楽、極楽」、「ありがたい、ありがたい」。

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投稿者: jsb 日時: 2006年09月21日 10:16

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