花咲爺

平成20年8月11日
花咲爺

 日本人は桜の花が大好きだ。桜前線が九州から北上をはじめると、春の到来を待つ日本人はすべて落ち着かなくなる。「花見」の話題が増えるからだ。桜の名所は全国到るところにある。川の堤防、里山、街路樹、どこにでも自分達なりに、心象風景として桜を思い浮かべることが出来る。

 私も桜が大好きである。駐車場に植えたり、自宅の庭に植えたり、別荘の庭に植えたり、毎年どこかに植えている。染井吉野がよい。とても成長が早い。植樹して数年で見間違えるほど成長する。八幡の森の近くで育った私の心のどこかに、森に対するこだわりがあるのだろうか。

 桜は花の季節が短い。パッと咲いて、パッと散る。「花の命は短くて・・・」と美人薄命にたとえられる。しかし、その魅力は花だけではない。新緑が美しい。夏の深緑も強い生命力を感じさせてくれる。秋から冬にかけての紅葉は、その日々の変化と共に、見る者の心を揺さぶる。冬の裸木の美しさも格別のものがある。そこに雪が降ると、白と黒のコントラストが浮び上ってくる。春を待つ裸木の枝から、「南枝ほころぶ」新芽誕生。そして開花まで、私はこの桜の魅力に一年中とりつかれている。

 私の信念ともいうべき生き方の根本は「枯木に花を咲かせましょう」と国語の教科書で習った「花咲爺」の姿にある。「うまいもの」「価値のあるもの」「お金」「幸せ」なんでも人のほしがるものを独占したがるのが人間である。しかし、独占は許されない。してはならないのである。独り占めしないで、パッとまわりの人々にさしあげるのである。花咲爺がザルに入れた大切な灰を、枯木に撒いたように。その灰は養分となり、桜の花が咲き乱れるのである。

 桜の生命力を楽しみ乍ら、今年もまた桜を植える為に働きたい。幸運なことに、今年は福井県が、来年行われる植樹祭の桜の寄付を募っている。貧者の一灯をささげたい。

 今、福井市開発で建設中の分譲マンションにも桜の大木を植える。近くに桜谷神社があり、ここの桜も年々よくなっている。
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投稿者: jsb 日時: 2008年08月11日 09:00

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