リサイクル先駆者

平成20年8月12日
リサイクル先駆者

 リサイクル社会が到来した。自動車のリサイクル法が施行されたのは2005年のことである。その遥か昔、1970年にこのことを予想した男がいる。自動車に命をかけた豊田英二氏と神谷正太郎氏である。そして1970年、今から38年前に系列の豊田通商と共に豊田メタル(設立時の正式名は豊田メタルスクラップ)を設立した。第1次オイルショック(1973年)を遡ること3年、工販合併を遡ること10年、日本でのリサイクル法施行を遡る35年のことである。

 当時、欧米では廃車公害が発生していた。そして第1次シュレッダーブームが到来したのである。1973年2月に変動相場制に移行した日本円の影響で、輸入鉄屑が増大した。そして10月第1次オイルショック発生。狂乱インフレといわれた嵐が世界中を吹き荒れた。石油を殆んどすべて輸入にたよっていた日本(現在も状態は同じ)では、物価も、給料も、ドンドン値上りした。騒然とした空気が満ちあふれ、大きな富が中近東の産油国に集まった。

 現在の株主は豊田通商50パーセント、トヨタ自動車48パーセント強、愛知製鋼2パーセント弱である。すべての仕入は豊田通商を通して行われ、すべての販売も豊田通商を通している。自動車メーカーがリサイクル事業に直接かかわっているのは、おそらくこの豊田メタルだけであろう。隣接地に自動車リサイクル研究所がある。

 時代の先を見よと私は常日頃から社員に言ってきたが、この会社を38年前に設立した自動車リサイクルの先駆者、豊田、神谷の両氏の慧眼に感服した。

 1日の処理台数は600台〜1,000台、能力はその10倍もある。回収されるのは鉄が主であるが、アルミ、銅、樹脂、発泡ウレタン、繊維、ゴム、ガラス等である。殆んどを再利用出来る状態にまで選別、加工されており、その努力に頭が下る。リサイクル研究所ではリサイクルしやすい車作りの研究が行われていた。

 面白いことを発見した。「針供養」という習慣を、私は幼い頃から母の和裁塾で身近に経験していた。また日本の各地で「魚供養」「牛馬供養」などが行われている。豊田メタルでは何と「廃車供養」が毎年4月に行われるのだ。しかもそれが1978年からずっと続いている。トヨタの強さの秘密を見る思いがする。まさに入魂の業がくるまづくりに生かされているのである。

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投稿者: jsb 日時: 2008年08月12日 09:00

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